消費税増税と2020年の日本 週刊プレイボーイ連載(119)

 

近所の店にご飯を食べに行くと、顔馴染みの店主から「消費税、どうすればいいんですかねえ」と相談されました。来年4月から消費税が8%に引き上げられることが決まりましたが、それに合わせて680円の定食を700円に値上げできるかどうか悩んでいるのです。ライバル店との競争を考えれば値段は据え置くべきかもしれませんが、そうすると増税分の20円分を取りっぱぐれてしまいます。政府は気軽に「定価に上乗せしろ」といいますが、現場はそう簡単にはいかないのです。

税金が上がると、そのコストは誰かが負担しなければなりません。3%分がすべて価格に転嫁されると、当然、その分だけ生活費を圧迫します。これもさまざまな試算が出ていますが、家賃や教育費などもともと非課税のものもあるので、年収300万円の若者なら課税対象200万円として年間6万円、年収500万円で妻と子どもを養っているサラリーマンなら課税対象300万円として年間9~10万円の負担増になりそうです。6万円というとデート6回(あるいは300円の牛丼200杯)分に相当しますから、生活にかなりの影響があることは間違いありません。

さらに問題なのは、消費税の引き上げが今回かぎりではなさそうなことです。

増税が必要なのは、誰もが知っているように、高齢化によって今後、年金や健康保険、介護保険の支出が爆発的に増えていくからです。15年10月には消費税率10%への再引き上げが予定されていますが、現行の制度を維持するにはそれでもまったく足りず、最終的には消費税率は北欧と同じく25%まで上がるだろうと財政の専門家はいいます。将来の人口動態は正確に予測できますから、暗鬱な運命もいまからはっきり見えてしまうのです。

仮に収入が変わらず消費税率が25%になれば、年収300万円の若者で年40万円、年収500万円のサラリーマンで年60万円の負担増です。これでは生活が崩壊してしまいますから、民主的な政府はとてもこんなことを実行できません。唯一の希望は経済成長で、景気がよくなって収入も税収も増えれば、無理な増税をせずに高齢化社会を乗り切ることができるかもしれません。安倍政権が「経済成長以外に道はない」というのは、その意味では正しいのです。

とはいえこちらも経済学者によるさまざまな試算があり、安定したインフレ率のもとで高度成長期並みの好景気がやってこないと、1000兆円の借金を抱えながら、国の税収が一般会計歳出の半分も賄えないという異常な事態を改善することは難しそうです。この話題はいまだに専門家の論争(というか罵り合い)が続いているので深入りはしませんが、いずれにせよあと1年半で日銀の異次元緩和の結果が出るというのですから、それを待つほかありません。

東京オリンピックが開催される2020年は、団塊の世代が70代を迎えて本格的に医療・介護保険を使うようになる年でもあります。64年のオリンピックのときは、彼らはまだ10代でした。

今回の消費税増税を機に、日本の社会は来るべき超高齢化社会に向けて大きく変わりはじめるでしょう。次のオリンピックもひとびとに夢をもたらすものになることを願うばかりです。

 『週刊プレイボーイ』2013年10月7日発売号
禁・無断転載

“リベラル”とはいったいなんだろう? 週刊プレイボーイ連載(118)

 

すこし前に「リベラルが保守反動になった」という話を書いたところ、「リベラルの定義はなんですか?」という質問をいただきました。これはなかなか難しいのですが、わかる範囲でこたえてみましょう。

まず、議論の前提として私たちは「近代」の枠組みのなかで生きています。近代というのは、政治思想的には、「自由」「平等」「人権」「民主政」などを至上の価値とする社会です。

ところで世界には、近代の理念とは別のルールで動いている社会もあります。代表的なのはコーランの教えに基づいて政治を行なうイスラム原理主義の国で、「神政」は「民主政」と水と油のように相容れません(それに対して中国のような一党独裁は民主政への移行過程とみなされます)。

かつては「文化相対主義」の名の下に擁護されていた近代とは異なる価値観は、9.11同時多発テロによって(すくなくともアメリカでは)全否定されました。「お前はテロリストを認めるのか」という批判に、文化相対主義者は答えられなかったからです。

リベラル(自由主義)は「近代の理念」の実現を純粋に求める立場で、もともとは封建制(王政)への回帰を目指す反動勢力とのたたかいのなかで生まれました。その意味では、日本を含む先進諸国の政治思想はすべてリベラルです(天皇制は立憲君主制として認められるのであって、「現人神」のような反近代思想は排除されます)。

ところが封建制とのたたかいに勝利してしまうと、こんどはリベラルのなかで仲間割れが始まります。さらには社会主義(共産主義)の実験が失敗したことで、それが主要な政治論争に格上げされました。

リベラルの理想は福祉社会です。それに対する異議申立ては、大きく以下の三つにまとめられます。

(1)差別や奴隷制を否定する「人権の平等」は当然としても、国家による税の強制徴収と分配で結果の平等まで求めると、肝心の「自由」を圧殺してしまう。これは「リバタリアン(自由原理主義者)」の主張です。

(2)近代の理念はもちろん大事だが、自由や平等、人権を過度に強調すると、民主政の土台となる文化や伝統、共同体を破壊してしまう。これは保守派の立場ですが、最近では「コミュニタリアン(共同体主義者)」と呼ばれるようになりました。

(3)近代の理念を実現するためには偏狭な政治理念にとらわれず、「最大多数の最大幸福」を実現できる合理的で効率的な社会をつくるべきだ。こうした功利主義を唱えるのは主に経済学者で、「新自由主義(ネオリベ)」とほぼ同義です。

財政拡大による福祉社会が持続不可能になり、これらの批判に有効な反論ができなくなって、リベラリズムの退潮が始まりました。しかしだからといって、それに代わる新たな政治思想が誕生したわけではありません。リベラルを批判する側も、それぞれの理念を掲げて対立しているからです(リバタリアンと功利主義者の主張はかなり重なりますが)。

こうした構図を頭に入れておくと、マイケル・サンデルの「白熱教室」やその関連番組がより楽しめるようになるでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2013年10月7日発売号
禁・無断転載  

プレゼンでは大事なことは決められない 週刊プレイボーイ連載(117)

 

2020年の夏季オリンピック開催地が東京に決まり日本じゅうが沸いていますが、ここで注目されたのがIOC委員会での最終プレゼンテーションです。とりわけパラリンピック走り幅跳びのアジア記録保持者で、東日本大震災の被災者でもある佐藤真海さんのスピーチがIOC委員のこころを大きく動かしました。

「プレゼン」という言葉がテレビのワイドショーで繰り返されたのは、おそらく前代未聞のことでしょう。なぜならこれまで、日本の社会にはプレゼンなど必要ないとされてきたからです。

サラリーマンなら誰でも知っていますが、日本の会議にはそもそも議論というものがありませんでした。根回しによってあらかじめ結論は決められており、会議とはそれを各部門の責任者が了承する儀式だからです。この根回しを組織の外に拡張したのが談合で、公共事業の入札では、各社が見積もりを出す前に落札先が決められていました。

根回しや談合でないと意思決定できないのは、日本が同質性が強く退出の難しい社会だからです。いったん恨みを買うといつまでも尾を引くのであれば、全員が納得するような解決策を探すしかありません。

日本型の組織では、上司の意を受けて現場が方針を決め、トップがそれを追認するかたちで意思決定してきました。もっとも、この手法が非効率で遅れているとは一概にいえません。旧日本軍は戦術だけあって戦略のないまま戦線を拡大し国家を破滅に導きましたが、戦後日本の製造業は現場主義のマネジメントによって世界を席巻しました。

根回しや談合は、非公式の結論を当事者の総意として誰もが受け入れる、という了解がなければ成り立ちません。組織のなかに異質なメンバー(外国人など)がいて、この前提が共有できないと日本的な意思決定は立ち往生してしまいます。

プレゼンが必要になるのは、根回しや談合が不可能な状況で決定を下さなければならない場合です。これは、組織の公正さとは関係ありません。IOCにもさまざまな黒い噂がありますが、だからこそすべてのひとを納得させるために、公開の場で優劣を競わせなければならないのです。

日本でもプレゼンが注目されるようになってきたのは、経営環境が複雑化するにつれて、根回しや談合ではすべての利害関係者を納得させることができなくなってきたからでしょう。とはいえ、こうしたやり方で最善のものが選ばれる保証はありません。

プレゼンを聞いた上でみんなで決めたのなら、決定を下した個人は責任を負う必要がありません。誰も責任を取りたくない社会では、プレゼンですら責任回避の道具に使われてしまうのです。

そう考えれば、プレゼン型の意思決定は、どうでもいい問題を扱うときに最大の効果を発揮するのかもしれません。どのプランも大したちがいがないならば、「プレゼンの上手い人間がもっとも優秀だ」と考えてもたいていはうまくいくからです。

アップルのスティーブ・ジョブスは“プレゼンの天才”と呼ばれましたが、大切な意思決定をプレゼンに頼ることはありませんでした。こころを動かすようなスピーチは外向けにとっておいて、重要な決断は常に孤独のなかで行なわれたのです。

『週刊プレイボーイ』2013年9月30日発売号
禁・無断転載