第38回 来年も「良くも悪くもない」年か(橘玲の世界は損得勘定)

今回の原稿が今年の最終回なので、この1年を振り返ってみたい。

去年の今ごろは、アメリカの話題は「財政の崖」だった。民主・共和両党が合意できなければ1.2兆ドルもの歳出が強制削減されて、景気は崖から転落するように悪化していくと大騒ぎしていた。

この問題はオバマケア(医療保険制度改革)をめぐって再燃し、今年10月には政府機関閉鎖という異常事態を招いたが、心配されていた市場への影響はなく米国株は史上最高値を更新した。

ヨーロッパはギリシャ危機があとを引き、ユーロ解体論は沈静化したものの、誰もが暗い見通しを語っていた。

3月にはユーロ加盟国であるキプロスが金融機関の不良債権で財政破綻し、EUの支援と引き換えに大口預金者の資産が没収された。このとき、ドイツの株価が史上最高値を更新し、1ユーロ=140円を超えるユーロ高になると予想できたひとはほとんどいなかっただろう。イタリアやスペインの政治・経済は相変わらず不安定だが、ECB(ヨーロッパ中央銀行)がユーロの守護神となったことで国債価格は安定した。

中国は昨年11月に習近平政権が発足したものの、経済の減速が明らかになって、不動産バブル崩壊が危惧されていた。今年6月には短期金利が13%台まで跳ね上がり、「影の銀行(シャドーバンキング)」に世界の注目が集まった。

中国の地方政府が高金利で集めた資金を不動産開発に投入して債務を膨張させていることも、「鬼城」と呼ばれるゴーストタウンが全国各地にできていることも間違いないが、大規模なクラッシュは起きず、今年も7.5%程度の経済成長を維持できた模様だ。

日本はというと、安倍バブルで右肩上がりに上昇した株価は1万5600円を超えたところで暴落し、6月には1万2000円台まで下がってしまった。これを見て「バブル崩壊」を囃す声もあったが、けっきょくは半年かけて1万5800円台まで達した。

こうして見ると、恐れていたヒドいことは起きなかったが、だからといって投資家にとってよい年だったともいえない。米株も日本株も年の後半には上昇が止まってしまった。金や原油などの商品にもかつての勢いはなく、投資家は仕方なしに国債を買っている(だから金利も低いままだ)。

長期で見ても事情は同じだ。

米国株は1980年から2000年までの20年間で10倍以上になったが、その後は13年かけて1.6倍にしか上がらない。年利回りで3.7%で、その間にリーマンショックがあったことを考えると、損はしないまでもけっして割のいい投資とはいえない。

もっとも、リーマンショックの直後には「グローバル資本主義は終わった」と叫ぶひとがたくさんいた。それがたった5年で回復したのだから、市場は強靭だったともいえる。

これからもしばらくは、「良くも悪くもない」こんな日々が続くんじゃないだろうか。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.38:『日経ヴェリタス』2013年12月22日号掲載
禁・無断転載 

今年の更新はこれが最後です。みなさまもよいお年をお迎えください。

ヨーロッパからの機上にて 橘玲

メディアによる“世論操作”も危険だ  週刊プレイボーイ連載(129)

日曜に繁華街を歩いていたら、鉦や太鼓の騒々しい音が聞こえてきました。なにごとかと思って見に行くと、特定秘密保護法に反対するひとたちのデモでした。といっても、拡声器や鳴り物で音は大きいものの参加者は50~60人ほどしかおらず、街はひとで溢れていましたが誰もが無関心に通りすぎていくだけです。原発事故直後の大規模なデモとは雲泥の差で、秘密保護法への国民の関心の程度がわかります。

そもそもこの法律は、安全保障にかかわる国家機密を漏洩した公務員への罰則を強化するためのものです。しかしこれではほとんどのひとにはどうでもいい話になってしまいますから、法案に反対するひとたちは、戦前の治安維持法を引き合いに出して、「あなたの生活が危険に晒されている」と主張しています。

新聞やテレビでは、「高校時代の同級生と居酒屋で酒を飲んだら特定秘密の話題が出て逮捕された」などの“想定事例”が紹介されていますが、ここまで拡大解釈するならば、警察や自衛隊も「国民を弾圧する可能性がある」として全否定しなくてはならなくなります。極端なネガティブキャンペーンの氾濫が冷静な議論を妨げているのはとても残念です。

朝日新聞は秘密保護法についての世論調査を実施し、「賛成21%、反対51%」と一面で報じました(12月8日朝刊)。記事にはアンケートの詳細が出ていますが、質問は次のようになっています。

「特定秘密保護法は、国の外交や安全保障に関する秘密を漏らした人や不正に取得した人への罰則を強化し、秘密の情報が漏れるのを防ぐことを目的としています。一方、この法律で、政府に都合の悪い情報が隠され、国民の知る権利が侵害される恐れがあるとの指摘もあります。特定秘密保護法に賛成ですか。反対ですか。」

この質問では、秘密保護法の意義を前段で紹介し、後段で反対派の主張を述べています。一見すると両論を併記しているようですが、これは自分の都合のいいように回答を誘導する典型的な手法です。

その理由は、質問の構成を逆にしてみればすぐにわかるでしょう。ひとは無意識のうちに前段を弱い(偽の)主張、後段を強い(正の)主張ととらえ、質問者の意図に添った回答をするのです。

同じの世論調査には、「この法律は、衆議院に続いて参議院の委員会でも与党が採決を強行しました。特定秘密保護法について与党が採決の強行を繰り返したことは問題だと思いますか。」のように、明らかに中立性に欠ける質問がほかにもあります。こうした手法は統計学者などから繰り返し批判されており、関係者には周知の事実でしょうから、これでは「見識」を疑われても仕方ありません。

秘密保護法についての世論を知りたいのなら、余計な注釈は付けず、「賛成ですか、反対ですか」と聞けばいいだけです。しかしそうすると反対が減って「よくわからない」という回答が増えてしまうので、こうした形式を採用したのでしょう。

反対派は秘密保護法が危険だと声を大にして主張しますが、メディアによるこうした“世論操作”も同じように危険なのです。

 『週刊プレイボーイ』2013年12月24日発売号
禁・無断転載

特定秘密保護法案と自分勝手なひとたち 週刊プレイボーイ連載(128)

国家機密の漏洩に罰則を課す特定秘密保護法案が与党の強行採決で成立しました。これに対して法案に反対するひとたちは、国会周辺でデモを繰り返し、「恥を知れ」と叫んでいます。自民党の石破茂幹事長が、「(デモの)絶叫戦術はテロ行為と変わらない」とブログに書いたことで、絶叫はさらにヒートアップしてしまったようです。

この問題については左右両極からさまざまな主張がありますが、議論が紛糾するのは典型的なトレードオフ(こちらを立てればあちらが立たない関係)だからです。

近代国家は軍隊や警察などの暴力を独占していますから、その権力行使は市民に公開され、監視されなければなりません。これがデモクラシーの大原則である以上、不都合な情報を隠蔽する権利を国家に与えるのが矛盾であることはいうまでもありません。

その一方で、北朝鮮の核開発やミサイル発射実験、中国の防空識別圏設定など、日本が隣国と軍事的・外交的緊張関係にあることも明らかです。日本の安全保障が日米安保条約と在日米軍(核の傘)に依存している現実から目を背けることはできません。

安倍政権が特定秘密保護法案の成立を急いだのは、アメリカから「公務員が国家機密を漏らしても処罰されないのでは重要な軍事機密を共有できない」といわれたからです。先進国のほとんどは同様の法律を持っており、「安全保障にきわめて重要」との説明にも説得力があります。

こうした問題意識は政治家にも広く共有されていて、衆院では野党のみんなの党が法案に賛成し、維新が棄権という消極的賛成を選びました。参院は強行採決で紛糾しましたが、両党は法案に反対することなく退席しています。民主党も政権党時代、尖閣諸島中国漁船映像流出事件で秘密保護の法制化を訴えていますから、「絶対反対」は共産党などごく一部で、国会議員の9割ちかくが法案の必要性に同意していることになります。本来ならこれほど揉める話ではなかったはずです。

トレードオフの問題に絶対の正解はなく、よりマシな選択をしたうえで時間をかけて修正していくしかありません。法案がないのは秘密がないことではなく、これまで政治家や官僚が恣意的に情報を隠してきたのですから、曲がりなりにもルールができたことは一歩前進でしょう。あとは責任ある野党が、特定秘密の指定と情報公開について実現可能な対案を提示していけばいいのです。

石破幹事長のブログで批判されているのは、実は国会周辺のデモ隊ではなく、法案の共同修正に同意しながら日程を理由に衆院の採決を棄権した維新の会です。法案成立に責任を負う立場からすれば、日ごろは立派なことをいっていながら、いざとなったら火の粉をかぶるのを恐れて逃げ出すのは許し難かったのでしょう。

維新の会の石原慎太郎共同代表は、党首討論でメディアの批判を「被害妄想」「流言蜚語」と断じ法案に賛成しましたが、採決のときに所属議員は退席してしまいました。「愛国」を振りかざしながら世論に怯え、汚れ仕事はすべて政権に押しつける。こんな自分勝手なポピュリズムを目の当たりにしたら、思わずデモ隊に八つ当たりする気持ちもわからなくはありません。

『週刊プレイボーイ』2013年12月16日発売号
禁・無断転載