ワールドカップで日本と韓国が勝てなかった“共通の理由” 週刊プレイボーイ連載(156)

ドイツの4回目の優勝でサッカーワールドカップの幕が閉じました。開幕前はスタジアム建設の遅れや反政府デモが危惧されましたが、「王国」ブラジルの凋落を象徴する7失点の衝撃も含め、今大会も世界じゅうを沸かせたことは間違いありません。

しかしそんななか、これまでになく大きな期待を背負った日本代表は予選リーグで1勝もできずブラジルを去ることになりました。日本がさらに強くなるためにはなにが足りないのでしょうか。

さまざまな提言があるでしょうが、ここで参考になるのはスイス代表です。

かつてヨーロッパの強豪だったスイスは、1970年代から欧州予選での敗退を繰り返す失意の時代を迎えますが、2006年からは3大会連続でワールドカップに出場し、世界ランクも最高6位まで上がりました。今大会はベスト16の激闘でアルゼンチンに延長の末1対0で敗れましたが、サッカー強国として復活したことは誰もが認めるところです。

人口800万人のスイスは世界でもっともゆたかな国のひとつで、サッカー以外に貧困からはいあがる術のないアフリカや中南米とはちがいます。スイス代表は、屈強なディフェンダーはいるものの鈍重なチーム、という印象でした。

そんなサッカーが変貌するきっかけは冷戦の終焉でした。

ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一されると、東欧の共産諸国が次々と民主化してヨーロッパは動乱の時代を迎えます。そんななか、歴史的に複雑な民族問題を抱えるユーゴスラビアの統治が崩壊し、ボスニアやコソボで凄惨な内戦が勃発しました。こうして1990年代から、多くのひとびとが故郷を捨ててヨーロッパ諸国へと逃げ延びることを余儀なくされます。

スイスも積極的に難民を受け入れた国のひとつで、これが鈍重なサッカーを劇的に変えました。

スイス代表のメンバーを見ると、ジャカ、シャチリ、セフェロヴィッチなどの名前が並んでいます。アルゼンチン戦のスターティング・イレブンにはスイス以外にルーツを持つ選手が8人もおり、そのうち4人は旧ユーゴスラビア出身の移民1世です。彼らは子どもの頃に紛争を逃れてスイスに渡り、異国の地でサッカー選手としての才能を開花させたのです。

現在のスイス代表はスイス系と移民の混成チームで、中盤と前線は「東欧のブラジル」と呼ばれた旧ユーゴスラビア勢が担っています。このようにして屈強なディフェンスと俊敏な攻撃陣をあわせ持つ理想的なチームが生まれ、2000年代に入ってからの快進撃が始まりました。

それに対して日本代表は、ほぼ全員が日系日本人で構成されています。やはり1勝もできずに敗退した韓国代表のメンバーも韓国系韓国人ばかりです。

シリコンバレーには世界じゅうから文化的な背景の異なる優秀な若者たちが集まり、その多様性からさまざまなイノベーションが生まれています。優勝したドイツをはじめ、オランダやベルギーなどヨーロッパの強豪国は移民に支えられています。

これが強さの秘密ならば、日本の敗退の理由は“純血”にあるのかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2014年7月22日発売号
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第43回 北欧は福祉だけではない(橘玲の世界は損得勘定)

「君はスウェーデンははじめてかい。だったら最初に説明しておかなきゃならないことがあるんだ。この国では、タクシー料金は自由化されているんだよ」

フライトが遅れ、空港から高速バスでストックホルム中央駅に着いたのは午後8時前だった。ホテルに寄っていてはレストランの予約に間に合わなくなるので、スーツケースを引きずったまま駅を出ると、ちょうどタクシーが1台停まっていた。若い運転手がボンネットにもたれてスマートフォンをいじっている。

声をかけると、運転手は驚いた顔をして、いきなりスウェーデンのタクシー事情を講釈しはじめた。

「近距離はどれもメーター制だから、とくに気にする必要はない。でも長距離には固定料金とメーターの2種類があるんだ」

そういって後部座席の窓に張られた料金表を指さす。

「固定制のタクシーはゾーンによって運賃が決まっていて、それを顧客に提示しなきゃいけない。なんの表示もないのがメータータクシーだ。

たとえば君が空港までタクシーで行こうとするだろ。そのとき固定制のタクシーを使えば、会社によって料金は違うけど600クローネ(約9000円)くらいだ。それがメーター制だと3000クローネ(約4万5000円)や4000クローネ(約6万円)になるかもしれない。

でもこれはぼったくりじゃなくて、この国の法律ではメーターの金額を請求するのは合法で、乗客には支払義務があるんだよ。だから僕のいったことをちゃんと覚えておいて、長距離のタクシーでは必ずドアの料金表を見るんだよ」

あとで調べてみると、スウェーデンのタクシー事業は1990年に大胆な規制改革が行なわれ、参入自由化、営業地域の規制撤廃、営業時間規制の撤廃などに加えて運賃まで自由化された。

ストックホルム市民は駅から自宅までのルートでもっとも安いタクシー会社を予約しているから、流しのタクシーは使わない。駅前に停まっているタクシーに乗り込んでくるのは、私のようなお上りさんだけなのだ。

スウェーデンのタクシー自由化は今年で24年目になり、すっかり定着した。しかしその一方で、メータータクシーの運転手が事情を知らない観光客に高額の料金を請求するトラブルも起きている。こうした苦情が増えると規制強化の声があがるので、自由化を守りたいタクシー会社はネギを背負ったカモ(私のことだ)を見つけると運賃の説明をすることにしているのだ。

北欧諸国は福祉大国と思われているが、実は1980年代半ばから市場原理の活用に大きく舵を切った。その結果、アメリカですらやっていないタクシー業界の完全自由化という社会実験がスウェーデンで行なわれている。そして利用者も業界も、この規制緩和を支持しているのだ。

日本のタクシー業界は運賃値上げと台車制限を要求するばかりで、いつまでたっても不況から抜け出せない。海の外のさまざまな制度を比較検討してみれば、別の解決策が見つかるかもしれないのに。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.43:『日経ヴェリタス』2014年7月14日号掲載
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集団的自衛権の行使に反対するひとたちはなぜ空洞化するのか 週刊プレイボーイ連載(155)

集団的自衛権の行使が閣議決定で容認され、リベラルなメディアは「立憲主義を破壊する暴挙」と大々的に報じていますが、国民の大半は無関心で、首相官邸を取り囲むデモの熱気も福島第一原発事故を受けた反原発運動のピーク時とは比べ物になりません。

盛り上がりに欠ける理由のひとつは、反対派の理屈がわかりにくいからでしょう。

安倍政権を批判するひとたちの主張は、大きくふたつに分けられます。

(1)集団的自衛権の行使にも、解釈改憲にも反対する

(2)集団的自衛権の行使は容認するが、解釈改憲には反対する

(1)は典型的な平和主義ですが、(2)は「憲法を改正して軍の存在と国家の自衛権を明記すべし」という立場ですから、“戦後民主主義”的な護憲リベラルとは真っ向から対立します。しかしそうなると反対派が分裂してしまうので、憲法改正の是非をあいまいにしたまま解釈改憲を批判するという戦術をとらざるをえません。しかしこれでは、誰がなにに反対しているのかがわからなくなってしまいます。

さらにややこしいのは、平和主義のなかにもふたつの異なる立場があることです。

(3)国家に自衛の権利があるのは当然だから、自衛隊と個別自衛権は認める

(4)日本国憲法9条には「戦力を保持しない」と書かれているのだから、自衛隊は違憲である

この両者も折り合うことはできませんから、反対派を結集するには個別自衛権をめぐる論争も封印しなくてはなりません。その結果、反対派の論理はますます空洞化してしまうのです。

こうして「解釈改憲は憲法を破壊する」と声を張りあげることになるのですが、ここでもやっかいな問題が待ち構えています。

よく知られているように、敗戦直後の吉田内閣は「自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄した」と憲法9条を字義どおりに解釈していました。ところが朝鮮戦争によって米国から再軍備を求められ、帝国陸海軍の残存部隊を再編して警察予備隊と海上警備隊を発足させます(これが現在の自衛隊です)。

この重大な国家の岐路に世論は沸騰しましたが、日本政府は憲法を改正するのではなく、9条を維持したまま解釈改憲で強引に乗り切りました。「国家の自衛権は自然権なのだから、文面として明示されるまでもなく、9条が(個別)自衛権を前提にしているのは当然だ」というのです。これを「第一の解釈改憲」と呼びましょう。

(4)の絶対平和主義は、第一の解釈改憲も(今回の)第二の解釈改憲も認めないのですから、それなりに筋は通っています。ところが(3)の現実的な平和主義では、第一の解釈改憲は容認し、第二の解釈改憲には反対することになってしまいます。ふつうに考えれば、憲法解釈が根底から変えられたのは自衛隊創設の方ですから、こちらを認めるのなら自衛権が「個別」か「集団的」かは些末なことでしょう。

このように反対派の実体は烏合の衆で、その根拠を突き詰めるとたちまち破綻・分裂してしまいます。

それではなぜ、彼らが一致団結しているように見えるのでしょうか。それは、「安倍政権が嫌いだ」という感情的な反発だけは強く共有されているからなのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2014年7月14日発売号
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