「子育てによって子どもの人生が決まる」は間違いだった(週刊プレイボーイ連載679)

世の中の「子育て論」の前提は、「正しい子育てをすれば子どもはよい子に育ち、社会的・経済的に成功できる」というもので、この信念は現代の信仰といってよいほど強固です。しかしこれは正しいのでしょうか。

1990年代のアメリカで、この疑問にこたえるために、青年期のきょうだいのいる700家庭を10年間にわたって追跡調査する大規模な研究が行なわれました。対象となったきょうだいには一卵性双生児、二卵性双生児、実のきょうだい、異父母きょうだい、養子きょうだいなどがおり、これによって遺伝と環境の影響を分離できます。

その結果は、これまでの常識を書き換えるものでした。

ひとつは、異父母きょうだいや養子きょうだいだけでなく、一卵性双生児でも性格にかなりのちがいがあったことです。

一卵性双生児は遺伝的にまったく同一で、親が異なる子育てをしているわけでもありませんでした。そうなると考えられるのは家庭外の環境しかありません。同じ家庭で育った一卵性双生児でも、別の学校に行ったり、別の友だちグループとつき合うなどの偶然の体験によって、異なる性格になっていくのです。

ところがその一方で、親が子どもの人格を否定するような子育てをすると、子どものうつや反社会的行動として現われることもわかりました。これは子育てが子どもに影響を与える証拠だと解釈されましたが、より詳細に調べると思わぬ発見があったのです。

子どもが素直なよい子なら、親がきびしいしつけをする理由はないでしょう。子どもが反抗的なら、親は強く叱ったり、場合によっては暴力によってしつけようとするかもしれません。

しかしこれは、子どもにとって理不尽そのものに思えます。そこでより反抗的になり、親の接し方もさらに否定的になるという負のスパイラスにはまってしまうのです。研究では、この遺伝の影響を調整すると、親の子育ては子どもになんのちがいも生んでいませんでした。

この結果をどのように理解すればいいのでしょうか。

ひとつだけはっきりしているのは、「(俗流)子育て論」がいかに残酷かということです。子育てに成功した親にとっては、「あなたががんばったからだ」と自己満足を正当化してくれるかもしれませんが、遺伝的な偶然で「難しい子ども」をもった親は、「お前の子育てが悪いからだ」という暗黙の批判によって、さらに苦しむことになるのです。

同様の研究によれば、家庭だけでなく学校も子どもの人格形成にちがいを生まないことがわかっています。

「子どもに十分なことをしてやれてないのではないか」「受験に失敗したらどうなるだろう」と悩んでいる親もいるかもしれませんが、行動遺伝学の頑健な知見によれば、(虐待などの極端なことがないかぎり)子育ても学校もほとんど関係ないので、自分を責める必要はありません。

子どもは、自分の遺伝的な特徴に合わせた環境を構築しながら、「自分らしい」大人へと成長していくのです。

ロバート・プロミン『こころは遺伝する DNAはいかに〈わたし〉を形づくるか』田中文訳、安藤寿康解説/河出書房新社

『週刊プレイボーイ』2026年4月13日発売号 禁・無断転載

金融危機のギリシアで、世界の残酷さについて考えたこと

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2015年7月公開の記事です。(一部改変)

Kostas Koutsaftikis/Shutterstock

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私がアテネを訪れた2010年の冬は、ギリシアがデフォルトの瀬戸際に追い詰められ、国会議事堂のあるシンタグマ広場周辺はデモ隊がたくさん集まっていた。

ギリシアがユーロ危機の引き金を引いたのは2009年10月で、巨額の財政赤字が粉飾によって隠されていたことが明らかになり、国債の暴落で金融支援を要請したのが翌年4月。資本規制が始まって銀行の窓口やATMの前には長い行列ができ、「反改革」のデモが激しくなった。

過激派の投げた火炎瓶で死者が出たこともあって、日本でも夏ごろまではさかんに報道されていたが、さすがに半年以上経つと海外メディアの姿もほとんど見なくなった。しかしデモに集まるひとたちは意気軒昂で、路上のあちこちで大声で議論をたたかわせていた。

ギリシアの財政状況についてはすでに詳しく報道・解説されているからここで繰り返すことはしない。ニュースを見て思うのは、世の中はかぎりなく残酷だ、ということだ。

「55歳から年金をもらう権利」のための反EUデモ

2010年1月の総選挙で、まがりなりにも財政再建に努力していたアントニス・サマラスが破れ、「EUの再建策を拒否して国民の年金を守る」と公約した急進左派連合のアレクシス・チプラスが首相に就任した。そこからEUとの関係が悪化し、ギリシアの財政破綻が現実味を帯びてきた。それから半年ちかくたっているのだから、富裕層はもちろん中間層ですら、虎の子の預金を自宅の金庫に隠したり、海外に避難させるにはじゅうぶんな時間があったはずだ。

スイスのプライベートバンクでなくても、タックスヘイヴンのキプロスならギリシア語で口座開設できる。キプロスも財政破綻と預金封鎖を経験していて不安なら、地中海のマルタとか、フランス・スペイン国境のアンドラとか、イギリス領の飛び地のジブラルタルとか、あるいはジャージーやガーンジー、マン島など英国王室領の島々とか、ヨーロッパには富裕層でなくても利用できるオフショア金融センター(タックスヘイヴン)がいくらでもある。

旅行のついでにそういうところで銀行口座をつくっておけば、クリックひとつでギリシア国内の預金全額を送金することだってかんたんだろう。――念のために説明しておくと、ここで重要なのは非居住者でも金融機関に口座開設できることだ。日本と同じく、ヨーロッパの主要国でも労働ビザなど正規の滞在資格を持っていない外国人は銀行口座を開設できない。

もしそれが無理でも、ギリシアでは家族や親戚の誰かがドイツなど近隣諸国に出稼ぎに行っているはずだから、その口座を借りるだけでも「キャピタルフライト(資本逃避)」は可能だ。ヨーロッパはいまやひとつの「国」で、マネーが国境を越える敷居はものすごく低いのだ。

ほとんどの個人や法人は決済に必要な最低限の預金を除いてすでに“避難”を終えていると考えれば、ATMに並んでいるのがどんなひとたちなのかは容易に想像がつく。彼らは、毎月振り込まれる乏しい年金以外に預金などまったくなく、いまあるありったけの現金を引き出す以外に資産を守る術をなにひとつもっていないのだ。 続きを読む →

日本では所得格差は拡大していないが、それはよい知らせではない(週刊プレイボーイ連載678)

「グローバル資本主義」や「ネオリベの陰謀」によって、経済格差がとめどもなく拡大しているといわれます。しかし最近になって、「これはアメリカのような社会にはあてはまるものの、日本では格差の拡大は見られない」というデータが増えてきました。

ジニ係数は所得や資産の分配の平等さ表わす指標で、数値が0だと完全平等(すべてのひとが所得・資産を平等に分け合う)で、1だと完全不平等(1人がすべての所得・資産を独占する)になり、0.5を超えると「格差が大きい」とされます。

厚生労働省が3年に1回行なっている「所得再分配調査報告書」によると、所得のジニ係数は徐々に大きくなっているものの、それでも2011年の0.37から23年に0.38に上がっただけです。

20代のときはみんな貧乏でも、年齢とともに才能・努力・運などによって所得の差は開いていき、社会全体が高齢化すると自然にジニ係数が上がります。そこで高齢化の効果を調整すると、ジニ係数はほとんど変わっていないこともわかりました。

それ以外にも、同様の結果を示す調査があります。

国税庁の「民間給与実態統計調査」からの推計では、給与所得の過去30年間の推移は、中央値が約400万円、上位10%が800万円、上位1%が1600万円でほとんど動きがありません。

さらに税務データと世帯調査を組み合わせた純国民所得の国際比較でも、上位1%層の所得シェアで、アメリカは19%、韓国が16%と高水準なのに対して、日本は8%で先進諸国でもっとも低くなっています。

このように日本は、格差問題で政治や社会が動揺する欧米などとくらべて、格差が少ない平等な社会といえます。しかしこれを、手放しで喜んでいいのでしょうか。

インフレにともなって賃上げが進んでいるとされますが、厚労省の「所得再分配調査報告書」では、世帯単位で見た(再分配前の)所得が2年間で423.4万円から384.8万円と9.1%(38万6000円)も減っています。これは高齢化にともなって、退職して年金のみに依存する世帯が増えているからでしょう。その結果、年金以外の所得がほとんどない(年間50万円未満)世帯が全体の3割を占め、半数の世帯が(再分配前の)所得250万円以下というのが日本社会の実態なのです。

給与所得が30年間ほとんど変わらないということは、収入がまったく増えていないということです。そればかりかこの間、給与の中央値は9%も下落しています。それでも実質GDPが年率約0.5%増えたのは、共働きによって家計の所得を補ったからです。

上位1%層の所得シェアが低いということは、逆にいえば、優秀な人材が自らの能力を発揮してお金を稼ぐことができない社会だということでもあります。

これをまとめると、日本は「失われた30年」のあいだ、「出る杭」を打ちながら「みんなで平等に貧しくなった」になります。格差が拡大しても活気のある社会とどちらがいいのか、そろそろ真剣に考えるべきときがきたようです。

楡井誠「分配の起点は経営者の競争」日本経済新聞2026年3月23日
森口千晶「機会の平等 政策の軸足に」日本経済新聞2026年3月24日

『週刊プレイボーイ』2026年4月6日発売号 禁・無断転載