株価が乱高下しても確実に儲けることはできるのか? 『文藝春秋』11月号寄稿のおまけ

『文藝春秋』11月号に「インフレに克つ 臆病者の資産防衛術」を寄稿しましたが、当初の依頼は「株価が乱高下しても儲けられるか?」だったので、HFT(高頻度取引)とヘッジファンド、ルネサンス・テクノロジーズのことを書きました。その後、文春本誌の読者はこのような話にはあまり興味がないのではと思い直して、金融商品でインフレにヘッジする話に変えました。

せっかく途中まで書いてもったいないので、自分のブログで公開することにします。

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日本の株価が7月末から8月半ばにかけて乱高下したことで、今年に入ってNISAで株式投資を始めたひとが動揺しているという。投資家の不安を軽んじるわけではないが、しかしこれはまるっきり理屈に合わない。

株価の暴落で驚いて売り、株価が上昇したときに、まだ上がるだろうと買っていたのでは、「高いときに買って、安いときに売る」を繰り返すわけだから、どんどん損が積みあがっていく。これは考えられるなかで、最悪の投資法だ。

だったらどうすれないいのか。シンプルな答えは、「なにも気にせず、放っておく」になる。日本株は1989年末のバブル最高値を超えるまでに(なんと)35年もかかったが、これは特殊なケースで、世界全体の株式市場や、その代替としてのアメリカ市場は、インターネットバブルの崩壊や世界金融危機、コロナショックなどがありながらも、年率5~7%で右肩上がりに上昇している。

過去は未来を映す鏡ではないが、だからといって、これからもAI(人工知能)のようなテクノロジーが指数関数的に発達するだろうから、このトレンドがいきなり変わると考える理由はない(あなたが、気候変動で映画『マッドマックス』のような世界が到来すると考えているなら別だ)。

さらに積み立て投資(ドルコスト平均法)では、将来的に株価が上がるのなら、暴落は平均購入単価を下げる絶好の機会になる。都合のいいことに「つみたてNISA」ではこれ以外の投資はできないのだから、株価の下落は将来の利益を大きくする幸運な機会だと考えればいいのだ。

これが経済学的にもっとも正しい投資法で、『新・臆病者のための株入門』でもそのように書いたのだが、ここではちょっと視点を変えて、リスクがなくて儲かる方法がないか考えてみよう。もちろん、このように思わせぶりに書く以上、そのような“夢の投資法”は存在する。

10億分の1秒を争う男たち

Aさんがトヨタ株を2500円で1000株買いたいと思っていて、Bさんが2490円で1000株売りたいとしよう。そこで、Bさんから買った株をAさんに売れば、1株あたり10円、1000株で1万円の利益になる。株式市場の仲買人(ブローカー)というのは、ずっとこういう仲介業務をして稼いできた。

だが1990年代になると、「場立ち」による取引所の仲介は、投資家に損失を押しつけることで既得権を守っているのではないかと批判されるようになった。より公正な仲介者が、トヨタ株をBさんから2494円で買い、Aさんに2495円で売れば、仲介者の利益が10分の1(1円)になることで、AさんもBさんも利益を得られるからだ。この「公正な仲介者」とは、もちろんコンピュータのことだ。

ここまではものすごく理にかなった話だが、取引所が電子化されると、予想もしないことが起こった。

この取引では、1株あたり1円、1000株でも1000円の利益しか得られない。それっぽちじゃ意味がないと思うだろうが、この取引を1日に1万回やれば利益は1000万円、10万回なら1億円だ。取引所の営業日を年250日とすれば、右から左に株を取り次ぐだけで250億円もの利益が手に入る。それも、取引するのはコンピュータのアルゴリズムだから、ただ見ているだけでいいのだ。――これは「HFT(高頻度取引)」と呼ばれる。

重要なのは、この取引にはリスクがないことだ。わずかに安く買った株を、わずかに高く売れば、確実に小さな利益が手に入る。損失を被ることなく、大金が手に入る夢の投資法なのだ。

HFTのよいところは、仕組みがシンプルで誰でも理解できることだ。悪いところは、そうなると自分も儲けたいという業者が殺到することだ。

株式市場の規制緩和でみんながこのゲームに参加できるようになると、たくさんのライバルのなかから、売り注文と買い注文をすこしでも早く約定させた業者が利益を独り占めするようになった。残りの業者は脱落するという厳しい競争で、株式の仲介業務はF1レースと同じスピード勝負になった。

アメリカでは、ニューヨーク証券取引所やナスダックのサーバーはニュージャージー州に置かれている。ウォール街から売買指示を出していると、サーバーに届くまで何ミリ秒かの遅延が生じる。そこで、取引所のサーバーの隣に場所を借りて、自社のコンピュータを置く業者が現われた(これを「コロケーション」という)。

しかし、スピード競争はこれだけで終わらない。先物市場のあるシカゴと、ニューヨークの株式市場の価格のちがいを利用すれば、同じように無リスクで儲かることに気づいたからだ。

この場合は、HFT業者は往復の通信時間をどこまで短くできるかを競うことになる。2010年には、3億ドルの巨費を投じて、シカゴからニュージャージーまでの地下を、山や川などの地形を無視し、住宅地では地権者から地下の権利を買い取って、一直線に光ケーブルで結んだ業者が現われた。これは『ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち』という映画になっていて、カンザスからニューヨークまで往復で17ミリ秒かかっていたのを、光ケーブルを敷設することで1ミリ秒(ハミングバードの1回の羽ばたき)短くする“夢”に賭ける男たちが描かれている。

だがこの「直線ケーブル」も、高速に限りなく近い「マイクロ波」にとって代わられ、現在は、どんな物質でも通り抜けられるニュートリノを使って、ニューヨークと東京のような地球の裏側にある取引所同士をダイレクトにつなぐことが検討されている。

なぜこんな「異常」なことになるかというと、これが「無リスクで儲かる」話だからだ。そんなおいしい話にはみんなが殺到するので、その果実を手に入れるために、常軌を逸したはげしい競争が起きるのだ。

年率66%の驚異のヘッジファンド

“夢の投資法”は存在するものの、超高速取引に参入するためには、巨額の設備投資とプログラミングの高度なスキルが必要になる。それでも成功できるかどうかわからないのは、大金を賭けて世界中の天才たちがこのビジネスに参入しているからだ。

だとしたら、「無リスク」でなくてもいいから、ほぼ確実に儲かる方法はないだろうか。もちろん、それを実現した投資家も存在する。

ルネサンス・テクノロジーズが運営する「メダリオン」というヘッジファンドは、1988年の設立以降、記録のある2018年までいちども損失を出したことがないばかりか、その収益率は年平均66.07%という驚くべき成績を残している。これがどれほどとんでもないかというと、設立時にこのファンドに投資した100ドルが、31年間で3億9870万ドルに増えたことになる。

同じ期間に株式市場のインデックスに投資すると、最初の100ドルが18倍の1815ドルに増えている(年率9.98%)。これも素晴らしいパフォーマンスだが、メダリオンの(理論上の)収益額は市場平均を20万倍以上も上回ったのだ。――このファンドを設立したのは数学者のジム・サイモンズで、今年の5月に86歳で死去したが、その個人資産は314億ドル(約4兆4000億円)と推計されている。

なぜこんなことが可能になったのか。メダリオンは人工知能の専門家が設計し、市場の大量のデータを瞬時に解析して短期の利益を積み上げていくとされるが、どのような取引を行なっているかは徹底的に秘匿されている。それでもヒントはあって、このファンドの幹部は、「正しかった取引は50.75%」と述べている。大雑把にいえば、10回の取引のうち4回は損をして、利益が出るのは6回だけなのだ。それでもこうした取引を世界中の市場で何百万回も行なうと、塵のような利益が積みあがって、莫大な富を生み出すことになる。

しかしメダリオンには、市場で短期売買を繰り返すという戦略上、運用できる資金に上限がある。この制約によって、運用資金は2009年までは50億ドル、それ以降は100億ドルに増えたが、それがモデルの限界のようだ。そのため外部投資家の口座は閉鎖され、投資できるのはファンドの創設者や幹部、社員だけになった。

簡単にいうとこのファンドは、1兆円の元本から毎年、6000億円から8000億円の利益を生み出し、それを再投資することなく300人の社員に払い戻しているのだ(そのため社員は、多額の所得税を納めている)。

超高速取引やAIを使った短期売買は運用資金に制約があり、成功しているヘッジファンドは外部の資金を受け入れなくなった。当然、自分たちの存在を宣伝する必要もなく、いまでは超高収益のファンドのほとんどは金融業界の人間しか知らない無名の会社だ。

それに対して、将来の経済状況や会社の収益を予想して株式を買い持ちしたり、空売りしたりするファンドは、安定した収益をあげるのが難しくなってきている。株式を頻繁に売買すれば、HFT業者のいいカモになるだけなのだ。

世界金融危機など株価が大きく動くときに適切なポジションをとり、巨額の利益をあげて注目を集めるヘッジファンドもある。こうしたファンドには富裕層の投資家が殺到するが、統計学でいう平均への回帰によって、同じような収益を続けることは難しい。結局、運用資産を減らしたり、損失を出してファンドを閉じたりすることになる。

メダリオンのような“夢のファンド”はいくつか存在するが、そこに投資するためには会社の一員になるしかない(社員のほとんどは一流大学で博士号を取得し、将来を嘱望された若手の数学者だ)。そうでなければ、設立されたばかりのヘッジファンドに投資して大きく当てるのを期待するしかないが、そのように幸運はめったにないし、最初から詐欺のことも多い。――ルネサンス・テクノロジーズにはメダリオン以外に、外部投資家に開放されている2本のファンドがあるが、そのパフォーマンスは平凡なものだ。

ここでも、話は同じだ。市場には歪み(収益機会)があり、それを利用する“おいしい話”があることは間違いない。だがその果実を手に入れるには、とてつもなく厳しい競争に勝ち抜かなくてはならないのだ。

【参考文献】
マイケル・ルイス『フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち』渡会圭子、東江 一紀訳/文春文庫
スコット・パタースン『ウォール街のアルゴリズム戦争』永野直美訳/日経BP
グレゴリー・ザッカーマン『最も賢い億万長者 数学者シモンズはいかにしてマーケットを解読したか』水谷淳訳/ダイヤモンド社
マイケル・ルイス『1兆円を盗んだ男 仮想通貨帝国FTXの崩壊』 小林啓倫訳/日本経済新聞出版

安楽死の「先進国」だった日本で、なぜ安楽死の議論がタブーになっているのか

WEBメディアの依頼で2017年2月に書いた原稿ですが、現在は読めなくなっているようなので、後半部分をブログにアップします。前半はオランダの事情で、その後、状況はかなり変わってきている(より幅広く安楽死を認めるようになっている)ので、あらためて論じたいと思います。参考文献は三井美奈氏(産経新聞記者・執筆当時は読売新聞記者)の『安楽死のできる国』(新潮新書)です。

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じつは日本は安楽死の「先進国」で、早くも1961年、安楽死を容認する6つの要件を名古屋高裁が示している。愛知県の20代の長男が、脳溢血で倒れ5年間寝たきりの父親が発作に苦しみ、「早く死なせてくれ」と悶絶するのを見るに忍べず、農薬を飲ませて死亡させるという事件だった。

その後も家族による「安楽死」がつづいたが、1991年、神奈川県の東海大学医学部付属病院で、末期がんで昏睡状態にある患者に対し、家族の強い求めによって医師が塩化カリウムを注射させて安楽死させ、殺人罪で起訴されるという事件が起きた。

この事件で横浜地裁は、積極的安楽死には「患者本人による意思表示」が前提になるとしたうえで、

  1. 患者に耐え難い苦痛がある
  2. 死が避けられず死期が迫っている
  3. 肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、ほかに代替手段がない
  4. 患者が意思を明示

という四要件を満たせば、医師の行為を罪に問わないとした。それと同時に、延命のための人工呼吸器や点滴を外す「治療行為の停止」や、死期を早める可能性を知りながらモルヒネなど強い鎮痛剤を投与する「間接的安楽死」は、患者が昏睡状態で意思表明できない場合、家族の意向を尊重してよいと判断した。

こうした「先進的」な司法判断の背景には、日本がもともと自殺に対して寛容な社会だということがある。オランダのようなキリスト教国では、安楽死を認めるには「自殺は神への冒瀆」という信仰を乗り越えなければならない。それに対して日本では、切腹が武士の名誉ある死とされ、心中は究極の愛で、子連れの無理心中は子どもへの思いやりだとされてきた。ベストセラーになった『永遠のゼロ』を挙げるまでもなく、特攻は愛国的な(もしくは愛する家族を守るための)崇高な死として称賛され神聖化されている。

自殺を容認する文化によって、日本は韓国やロシアと並び先進国のなかでもっとも自殺率の高い社会になっているとの批判は根づよいが、それは同時に、安楽死に対する寛容さにもつながっている。司法が「積極的安楽死」の要件を示したのは、「病気で苦しむ親や患者を安楽死させることを殺人罪で罰するのはかわいそうだ」という強い世論があったからだろう。

2010年に朝日新聞が死生観についての世論調査を行なっているが(2010年11月4日朝刊)、そこでの安楽死についての質問と回答は以下のようになっている。

・自分が治る見込みのない末期がんなどの病気になって苦痛に耐えられなくなった場合、投薬などで「安楽死」が選べるとしたら、選びたいと思いますか、選びたくないと思いますか。
 選びたい 70         選びたくない 22
・「安楽死」は現在の日本では法律で認められていません。「安楽死」を法律で認めることに賛成ですか。
 賛成 74         反対 18

これを見てもわかるように、日本人の7割以上が安楽死の合法化に賛成で、最期は安楽死で逝きたいと思っている。

だとすれば逆に不思議なのは、これほどまでに自殺に寛容で、国民の多くが安楽死を求めている国で、法制化が一向に進まないことのほうだろう。日本とオランダではいったいなにがちがうのだろうか。

これは『安楽死のできる国』で三井氏も指摘するように、「自分の人生を自分で決める」という覚悟だろう。日本人は、「安楽死が法制化されるなら自分も安楽死したい」と考えるものの、その実現のために周囲から批判されてまでなにかをしようという気はないのだ。

じつは日本でも、元衆議院議員・太田典礼氏を中心に発足した日本安楽死協会が1979年に「末期医療の特別措置法案」を作成し、国会への提出を目指したことがある。だがこの法案は「人権派」や身障者団体から「ナチスの優生思想と同じ」と猛烈に批判され、断念せざるを得なくなった。こうして日本の政治で「安楽死」はタブーとなり、団体は「日本尊厳死協会」と改名して「安らかな死」を求めるリビング・ウィルの普及を目指すようになった。

けっきょくのところ日本人は、死という人生の重要な決断を自分で決めるのではなく、家族や医師という「他人」に任せたいのだ。こうして日本の病院では、家族の合意のもと暗黙の「安楽死」が密かに行なわれることになる。

だがこうした曖昧な状況は、それほど長くはつづかないだろう。

日本はこれから人類史上未曾有の超高齢化時代を迎え、2020年には人口の3分の1、50年には約4割を65歳以上が占める。どこの家にも寝たきりや認知症の老人がいるのが当たり前の社会が間違いなくやってくる。

それにともなって、高齢者の医療費が社会保障費を膨張させ、日本の財政を破綻させるというシナリオが現実のものになってきた。日本経済新聞の連載「砂上の安心 2030年 不都合な未来」(2016年12月19日)によれば、西日本の病院で死亡した80歳の男性の場合、弁膜症の術後の経過が悪く、感染症を繰り返して透析や胃ろうなどあらゆる医療行為を受けた結果、3年半の医療費は約7400万円。そのうち男性の負担は約190万円で、残りの大半は税金と現役世代の支援金だという。

取材班が全国約1740市区町村の75歳以上の後期高齢者1人当たり医療費を調べたところ、1人につき100万円以上の医療費を使っている市区町村は14年度分で347に及んだ。2030年の人口推計などから試算すると、社会保障給付はいまより30兆円増えて170兆円に達し、後期高齢者医療費は約1.5倍の21兆円に達する公算が大きいという。

こうした巨額の支出を賄うことができなければ、いずれ高額の医療費は自己負担とされ、高齢者の安楽死が国家の主導で進められることになるだろう。そのような事態になる前に、国民が自らの意思で「人生の自己決定」のルールを決めるべきだろうが、話題になるのはエンディングノートや遺言の書き方、相続を争続にしないための財産分与、葬儀や墓、戒名を自分で決める方法などの「終活」ばかりだ。

日本社会はずっと、安楽死というやっかいな問題から目を背け、縊死や墜落死、二酸化炭素中毒死などのむごたらしい死に方しかできない現実を放置してきた。そしてひとびとはいまも、お上が「まわりの迷惑にならないよう」いかに死ぬかを決めてくれるのを待ちつづけているのだろう。

『新・臆病者のための株入門』あとがき

18日発売の新刊『新・臆病者のための株入門』(文春新書)の「新版・あとがき」を出版社の許可を得て掲載します。書店の店頭で見かけたら手に取ってみてください(電子書籍も発売中です)。

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親本のあとがきに「ひとには、正しくないことをする自由もあるからだ」と書いたが、2006年当時の私は、新興国の銀行・証券会社に口座を開設し、現地通貨で預金したり、株式を購入することにはまっていた。東アジアと東南アジアが中心で、モンゴルとミャンマーを除けば、ほぼすべての国に口座をつくった。インドネシア、ベトナム、フィリピン、タイ、マレーシアなど、どこも思い出があるが、珍しいのはカンボジアとラオスの銀行・証券口座だろう。

この本を書いている頃は、イラクに行って銀行口座を開くことを考えていた。アメリカ軍によって2003年にフセイン政権が崩壊したのち、イラクは内戦状態に陥るが、北部のクルド人地区は自治領のようになっていて治安もよく、銀行から招待状を出してもらえば現地に行って口座開設することが可能だったのだ。

イラクの通貨ディナールはフセイン政権末期に暴落したが、アメリカの占領で治安が回復すれば、石油収入によってディナールは上昇し、大きな利益が期待できるといわれていた。

私はこの話を信じていたわけではないが(案の定、その後はディナール詐欺の温床になった)、イラクに行ってみるのは面白そうだと思っていたのだ。だがぐずぐずしているうちにイラク北部でも民族紛争が始まり、アラブの春以降はイスラーム原理主義の武装組織のテロ活動が激しくなって、やがて「イスラム国」の樹立が宣言されることになる。

すくなくとも当分のあいだ、イラクを旅できるようにはなりそうもないので、やはりあのときに行っておけばよかったと残念に思う。

これも親本のあとがきに書いたが、人的資本を執筆活動に集中させることにしてから、海外の株式はほとんど売却して外貨にしてしまった。その時期が2008年の世界金融危機の前だったのは、慧眼ではなく、たまたま運がよかっただけだ。

こうして振り返ると、1990年代末から2000年代はじめの10年にも満たない間に、インターネットバブルと新興国バブルという大きな2つのバブルに遭遇することができたのは、ほんとうに幸運だったと思う。

私の場合、「正しくない投資」によっていろんな体験ができた(あちこちの国に知り合いもつくれた)が、誰にでも勧めようとは思わない。限られた時間のやりくりに四苦八苦しているひとにとっては、コスパだけでなくタイパも優れた「経済学的に正しい投資法」がやはり最強だろう。

これは私が書いたもののなかでも長く読まれる本になったが、この新版で新たな読者に手に取ってもらえるとうれしい。

2024年10月 橘 玲