板門店を訪れて考えたこと

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2013年2月公開の記事です。(一部改変)

なお北朝鮮に対する国際環境の悪化で、板門店は現在、観光客は訪れることができなくなっているようです。

Loes Kieboom/Shutterstock

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ソウル市内から統一路を車で1時間ほど北上すると、北緯38度線の板門店(パンムジヨム)に至る。板門店というのは、1953年の朝鮮戦争休戦を受けてつくられた南北休戦会談場の名前だが、いまでは韓国映画『JSA』の舞台として知られている。

2000年に公開された映画『JSA』は、『オールドボーイ』でカンヌグランプリを獲得することになるパク・チャヌクの長編デビュー作で、主演は人気俳優イ・ビョンホンと、『殺人の追憶』などで韓国を代表する映画俳優となったソン・ガンホ。韓国軍の若い国境警備兵と北朝鮮軍将校とのあいだに芽生えた友情と、その残酷な結末を描いて、韓国映画の興行記録を塗り替える空前の大ヒットとなった。

JSA(Joint Security Area)は板門店会談場周辺の共同警備区域だが、76年のポプラ事件以後は警備区域が南北に分割されている。警備区域内のポプラ並木を剪定しようとしたアメリカ軍将校2名に斧を手にした北朝鮮兵士が襲いかかり、殺害した事件で、第二次朝鮮戦争勃発の一触即発の危機を迎えた。

そのポプラ並木の傍に小川が流れ、「帰らざる橋」と呼ばれるコンクリートの小さな橋がかけられている。朝鮮戦争時の捕虜がここで北か南かを選び、ひとたび国境を跨げば二度と戻ることは許されなかった。

北朝鮮は、大日本帝国の植民地のうち、ソ連が占領した北緯38度線以北の地域を領土とし、抗日パルチザンの活動家、金日成(キム・イルソン)がスターリンによって擁立され社会主義独裁体制を築いた。94年に金日成が病死すると、息子の金正日(キム・ジョンイル)が最高指導者の座を引き継ぎ、98年に最初のミサイル発射実験となるテポドン1号を打ち上げるなど好戦的な姿勢を示したが、旧共産圏の解体と経済の逼迫によりやがて開放路線に転じることになる。

金正日は2000年に「太陽政策」を唱える金大中(キム・デジュン)韓国大統領と南北首脳会談を行ない、イタリア、カナダ、イギリスなどの西側諸国とあいついで国交を樹立し、2002年には小泉首相との日朝首脳会談で日本人13人の拉致を認め謝罪した。

『JSA』は、こうした南北の雪解けムードを背景に、北朝鮮兵士を「敵」ではなく1人の人間として描いたことで韓国社会に衝撃を与えた。映画では、不遇をかこつ北朝鮮軍の将校(ソン・ガンホ)が、上官と部下を誤って射殺した韓国軍の警備兵(イ・ビョンホン)をかばうために、自分の肩を撃たせて罪をかぶろうとする。これはもちろんお伽噺だが、それをリアルに感じさせるだけの楽観的な雰囲気(同じ民族なのだからいずれはわかり合える)がその当時はたしかにあったのだ。 続きを読む →

お金持ちになる方法はわかっている だったら、なぜそれができないのか

ニューヨーク・タイムズの人気コラムニス、カール・リチャーズの『Your Money 101日後に人生が豊かになりすぎるシンプルなお金の法則』を翻訳しました。

「どうすればいいかわかっているのに、お金のことでいつも失敗してしまう」というひとに向けた「大人の絵本」です。

7月29日(水)発売ですが、今日の午後から都心部の大型店を中心に順次並びはじめると思います。

出版社の許可を得て「訳者あとがき」をアップします。

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「どうすればお金持ちになれるか?」は、いまではAI(チャッピー)に訊けば、すぐに教えてくれるだろう。ためしにやってみたら、次のような答えが返ってきた。

1.頑張って働いてお金を稼ぐ。
2.ぜいたくはせず、支出を抑えてお金を貯める。
3.貯まったお金を長期で運用する。

どうやって運用すればいいかも、いまでは「正解」がわかっている。

NISA(少額投資非課税制度)は、投資で得られた配当や売却益がすべて非課税になるという、国家の大盤振る舞いだ。

株式や債券に投資すると、配当や売却益に約20%の税金がかかる。

不動産に投資すると、家賃収入は給与など他の所得と合わせて総合課税(住民税と合わせて15~55%の累進課税)され、売却益には所有期間 5 年以下だと約 40%、5 年超だと約20% の譲渡所得税がかかる(自宅を売却したときは、譲渡所得から3000 万円を特別控除として差し引ける特例がある)。

暗号資産(ビットコインなど)に投資した場合は、現在のところ、税の特例はいっさいないので、利益に対して最大 55%の税金が課せられる。

ファンドマネージャーは「投資のプロ」とされているが、日経平均などのベンチマークを1%上回ったがどうかで大 騒ぎしている。

ファンド選びでは、信託報酬が0.1%高いか安いかを真剣に議論している。

それを考えれば、税負担がゼロになるNISAがとてつもなく有利だとわかるだろう。

では、NISAでなにに投資すればいいのだろうか。これもずいぶん前(いまから半世紀以上前)に、経済学的に正しい答えが出ている。

全世界の株式市場に分散投資するインデックスファンドを長期で保有すれば、大きな利益が得られる確率がもっとも高いのだ。

だったらなぜ、それができないのか。

資産運用の問題は、じつはここにある。ぼくたちは、正 しいことや合理的なことをするのがものすごく苦手なのだ。

カール・リチャーズはニューヨーク・タイムズ紙の金融コラムで、この悩ましい問いについてずっと考えてきた。それが評判になったのは、みんな同じ問題に悩んでいたからだろう。

人間はロボットではないから、合理的に生きることがつねに正しいわけではない。

「若いときバカなことをたくさんしたけど、いま思い返すと楽しかった」と、笑い話にすることもあるだろう―ーそれが、その後の人生をぶち壊すような失敗でない限りは。

ぼくたちはみんな、ゆたかで幸福な人生を築きたいと願っている。そのために、少しでも合理的な選択をしたいと努力する。

そして失敗し、反省し、また努力する。

その繰り返しに、「人間らしさ」や「人生の楽しさ」があるのかもしれないと思ったのが、この「大人の絵本」を翻訳してみようと思った理由だ。

2026 年7 月 橘 玲

「韓国のデパートはなぜ日本のデパートによく似ているのか」問題

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2013年2月公開の記事です。(一部改変)

Aleksandr Medvedkov/Shutterstock

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いまの若いひとには信じられないだろうが、私が20代の頃は韓国旅行など考えられなかった。日本の旧植民地だとか、軍事独裁体制だとか、そういうことはいっさい関係ない。理由はただひとつ。「韓国に行ってきた」などといおうものなら、まわりから蔑みの目で見られたからだ。

当時は東京・赤坂を中心に妓生(キーセン)クラブと呼ばれる風俗店がたくさんあった。妓生は李氏朝鮮の時代に宮廷で歌舞音曲を供した女性たちのことだが、日本統治時代に芸者や遊女と同じく置屋や遊郭で一般客の相手をするようになった。そうした女性の一部が日本に渡り、風俗店で働くようになったのが妓生クラブだ。

1970年代から日本人の海外旅行が本格化すると、朴正煕政権は外貨獲得を目的にソウルなどに大規模な国営娼館をつくり、日本人の団体客を迎え入れた。これが「妓生旅行」で、韓国に行くことは買春の同義語だったのだ。

妓生旅行から「身近な異文化体験のできる国」へ

私が大学生活を送ったのは70年代末から80年代初頭だが、その当時、すくなくとも“知的”な学生の間では妓生旅行は「醜い日本人(セックスアニマル)」の象徴で、アメリカやヨーロッパ、あるいはインドやロシアを旅することはあっても韓国旅行など許されないとされていた。沢木耕太郎のベストセラー『深夜特急』(新潮文庫)の旅が韓国ではなく香港から始まるのも、これが理由ではないかと思っている。

だからこそ、1984年に関川夏央の『ソウルの練習問題 異文化への透視ノート』(新潮文庫)が世に出たのは衝撃的だった。出版社は椎名誠をデビューさせ、藤原新也の『東京漂流』(新潮文庫)を刊行するなど、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった情報センター出版局で、民主化闘争と金大中事件と妓生旅行でしか語られなかったステレオタイプの韓国像を打ち壊した関川の登場は時代の必然でもあった。

関川は『ソウルの練習問題』で、「ハングル酔い」について書いている。

ソウルの街は日本の街並みによく似ているが、看板だけがハングルで書かれている。だからソウルの街に迷い込んだ日本人旅行者は、日本の地方都市にいるかのように錯覚し、しかし看板は一文字も読めず、一種の酩酊状態に陥るのだという。

この俊逸な語り口によって、それまでたんなる地図上の点にすぎなかったソウルは魅力的な非日常の街へと変貌し、多くの若者たちが「ハングル酔い」を体験すべく韓国に渡った。妓生旅行の悪弊は90年代までつづくが、それと同時に韓国は、香港などと並んで、「身近な異文化体験のできる国」になったのだ。

その後、1988年のソウルオリンピックが近づくと、NHKの韓国語講座が大人気を博し、最初の韓国ブームが訪れる。その5~6年前まで「韓国旅行」など口にすることすらできなかったのだから、この頃、日本人の韓国観が劇的に変わったのだ。

関川はその後、『海峡を超えたホームラン』(双葉文庫)で、韓国プロ野球の黎明期に身を投じた在日朝鮮・韓国人のプロ野球選手たちの苦闘を描いて、タブーとされていた在日問題に一石を投じた(当時は、プロ野球選手の出自が在日だということは隠さなければならなかった)。いまでは在日コリアンが通名(日本名)ではなく本名を名乗るのが当たり前になったが、これまで「日本人」だと思っていたプロ野球の有名選手が、韓国名で韓国プロ野球でプレイするのは、やはり衝撃的な(エポックメイキングな)出来事だった。 続きを読む →