Siri、デモクラシーって何? 週刊プレイボーイ連載(401)

ブレグジット(EUからの離脱)をめぐるイギリスの混乱が収まりません。ボリス・ジョンソン首相は「合意なき離脱」も辞さない覚悟でEUとの交渉に臨もうとしましたが、経済への深刻な打撃を懸念した議会は離脱延期をEUと交渉するよう義務づける新法を可決しました。国民に信を問う前倒しの総選挙も否決されたジョンソン首相は進退窮まり、「(離脱延期を求めるくらいなら)野垂れ死んだ方がましだ」とまで口走っています。

それ以前にジョンソン首相は、EU離脱をめぐる審議を嫌って長期間にわたって議会を閉鎖するという奇策に出ました。この暴挙はEU残留を求める「リベラル」なひとたちに大きな衝撃を与えましたが、それは怒りというより困惑に近いものでした。議会閉鎖に抗議する集会のプラカードに、「Siri, What is Democracy?(Siri、デモクラシーって何?)」と書かれていたのが彼らの心境を象徴しています。SiriはiPhoneに搭載されているAI(人工知能)で、イギリス社会の現状を理解することも、これからどうすべきかを決めるのも、もはや機械に訊かなくてはわからなくなっているのです。

戦後ずっと、日本人にとって米英の政治こそが理想でした。政治学者のような知識人は、「日本の政治が機能しないのは共和党と民主党、保守党と労働党のような二大政党制になっていないからだ」と決めつけ、強引なやり方で小選挙区制を導入しました。これによってたしかに自民党の派閥政治は解体されましたが、民主党の「政権奪還」の失敗後に実現したのは「一強他弱」であり「“戦後最長”の安倍政権」でした。

日本の政治が衆参のねじれで機能しなくなったとき、アメリカのような強力な大統領制を待望する論者がたくさんいました。ところが皮肉なことにそのアメリカで、ポピュリズムの権化のようなトランプ大統領が登場したことで、「(愚かな)国民が直接投票で最高権力者を選ぶ大統領制より、イギリスや日本のような議員内閣制の方がマシ」との主張が出てきました。隣国の大統領の存在もあるのでしょうが、いまや日本でも「大統領制が素晴らしい」という論者はすっかり影を潜めました。

しかし、「相対的にマシ」とされた議院内閣制でも、イギリス政治はブレグジットの大混乱で、イタリアでは右と左のポピュリスト政党が連立内閣をつくったものの、たちまち仲たがいしてさらなる混乱を招いています。

大統領制も議院内閣制も機能しないとなると、あとは独裁制ということになりますが、プーチンのロシアや共産党独裁の中国を見て、「あんな社会になりたい!」というひとはほとんどいないでしょう。これでは「なにをやってもムダ」で、「デモクラシーって何?」と訊いてみたくなるのもわかります。

いまはまだ「あきらめ半分」でも、イギリスがEUから強硬離脱し、来年の大統領選でトランプが再選されるようなことになれば、英米のリベラルは自国の政治や社会にかかわることをかんぜんにあきらめてしまうのではないでしょうか。

そんな絶望したエリートたちは、AIに悩みを訴えるのではなく、AI=機械による統治を求めるようになるのかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2019年9月30日発売号 禁・無断転載

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女性経済学者は男と論文を共同執筆すると出世できない? 週刊プレイボーイ連載(400)

「ジェンダーギャップ(社会的な性差)をなくさなければならない」というのは、リベラルな社会の大前提です。それにもかかわらず、残念なことに、世の中にはセクハラやマタハラ、ストーカーやドメスティック・バイオレンスなどの「女性差別」があふれています。

こうした現実に憤慨するのは当然ですが、だとしたら、「差別主義者」を批判するリベラルなひとたちはどうなのでしょう?

アメリカではアカデミズムは「リベラルの牙城」とされていて、「大学でトランプ大統領に反対する集会を開こうとしたら、トランプ支持者は誰もいなかった」というジョークもあります。そのなかでも、有名大学の経済学部ともなれば、女だからといって差別されるようなことがあるはずはありません。

そこで研究者が、これを検証するために、経済学の論文数と終身在職権の関係を調べました。ジェンダーギャップがなければ、定評のある学会誌に発表した論文の数と、大学の審査で終身在職権を認められる可能性は男女で同じはずだからです。

リベラルな大学関係者が安心するのは、単独の論文では男女差がなかったことです。男でも女でも、論文を1本発表するたびに終身在職権の可能性が8~9%上昇しました。

その一方で、不穏な結果もあります。女性の経済学者が共同で論文を執筆すると、在職権を認められる確率が上がるのではなく、逆に下がってしまうのです。

さらに不穏なのは、こうした効果が、男性の経済学者と共同執筆したときにだけ現われることです。女性の経済学者同士が共同で論文を書いたときは、単独の論文と同じように評価されました。男性の経済学者は、共同研究の相手が男であっても女であっても評価になんの関係もありませんでした。

経済学者の名誉のためにいっておくと、「ふだんは立派なことをいっているくせに、本音では女を差別しているじゃないか」と決めつけることはできません。単独で論文を書く女性経済学者は、ちゃんと評価されているのですから。

だとしたら問題は、「なぜ男性と論文を共同執筆すると評価が下がるのか」です。その理由は2つ考えられます。

ひとつは、アカデミズムのなかに暗黙の性役割分業がある可能性。年上の男性経済学者が、駆け出しの女性経済学者を指導しながら共同で論文を執筆しているのだとしたら、終身在職権の審査で女性の評価だけが下がる理由が説明できます。

もうひとつは、女性の経済学者がこうした「家父長制」の負の効果に気づいていて、優秀なひとほど単独で論文を発表している可能性。実際には両者の相乗効果で、「論文を書けば書くほど評価されなくなる」という理不尽なことになるでしょう。

この「不都合な事実」を発見した研究者(女性)は、「経済学の論文では、共同研究者の名前をアルファベット順にしていることが影響しているのではないか」と指摘しています。貢献度の大きさで順番を決める社会学の論文では、こうした「性差別」は観察されなかったからです。

「リベラル」な大学人ですら、無意識に埋め込まれた「ジェンダー意識」から逃れることは容易ではありません。しかしそれは、ちょっとした工夫で改善することができるのです。

参考:Heather Sarsons(2017)Gender Differences in Recognition for Group Work, https://www.harvard.edu/

『週刊プレイボーイ』2019年9月17日発売号 禁・無断転載