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75歳への年金繰り下げ、本当は大損(日経ヴェリタス連載128回)
65歳から支給される年金を繰り下げ受給した場合は、最長75歳まで、月額0.7%が増額され、最大84%多く年金が受け取れる。月額0.7%は年率に換算すると8.4%だから、これはものすごくお得に思える。
もちろん寿命には限りがあるので、受給開始年齢を繰り下げれば、当然、年金を受け取る期間が短くなる。一般にはこれは、「何歳まで生きたら得なのか」で論じられる。たとえば75歳まで繰り下げると、「損益分岐点」は87歳で、それ以上長く生きた場合は、生涯に受け取る金額が多くなるのだという。
この試算に違和感があるのは、死後の損得を論じているからだ。75歳まで繰り下げたひとが80歳で死亡した場合、「65歳から年金を受け取っておけばよかった」と悔やむだろうか。
「損益分岐点」説は、肉体が死んだあとも魂が残っていて、あの世で「損した」とか「得した」とか議論していることを暗黙の前提にしている。こうした宗教を信じるのは自由だが、それを客観的な判断とはいわないだろう。
年金を金融商品と考えるならば、繰り下げはそれぞれの年齢の平均余命から利回りを計算して比較すべきだ。
男性の平均余命を例にとると、65歳は19.47年、70歳は15.6年、75歳は12.08年になる(2024年)。65歳時点の年金受給額を年100万円とすると、(平均余命までの)期待受給総額は1947万円。70歳に繰り下げれば年142万に増えるので、期待受給総額は約2215万円、75歳に繰り下げれば年184万円に増えるので、約2223万円になる。
ところで、ここでおかしなことに気づいたのではないだろうか。65歳から70歳まで繰り下げるとの期待受給総額が268万円増える。ところが75歳までの繰り下げは、70歳で2215万円、75歳で2223万円なのだからなら、5年間受け取りを延ばしても、受給総額がわずか8万円しか増えないのだ。
このようなことになるのは、繰り下げの利率の計算が単利で、受給期間が短くなるほど不利になるからだ。
70歳への繰り下げを、国に(65歳から69歳まで)5年間、毎年100万円を積み立て(積立総額500万円)、平均余命の15.6年間、年42万円の増額分を受け取る債券と考えてみよう。この金融商品の投資利回りをExcelのIRR関数で計算するとは年2.72%になる。
同じ計算を75歳への繰り下げで行なうと、10年間、国に総額1000万円を積み立て、平均余命の12.08年間、年84万円の増額分を受け取ることになるが、この場合の利回りは、わずか年0.13%になってしまう。
このように年金の繰り下げは、70歳まではそれなりに有利だが、それ以降はほとんど意味がなくなる。本来は複利にすべきものを、単利にしたことで、金融商品としての設計が破綻しているのだ。
日本経済がインフレ基調になったことで金利が上昇し、個人向け国債の利回り(5年)は年1.86%になっている。これなら、70歳から受給を開始し、それを国債で運用したほうがずっとマシだ。
こうした逆ザヤは、市中金利が上昇するほど大きくなっていく。厚労省は、本当は大損する75歳への繰り下げを、あたかも得をするように宣伝するのをやめ、金融商品として合理的な設計をすべきだ。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.128『日経ヴェリタス』2025年6月27日号掲載
禁・無断転載
『難しいことはわかりませんが、1億円貯める方法を教えてください!』あとがき
大橋弘祐さんに書いていただいた『難しいことはわかりませんが、1億円貯める方法を教えてください! 普通の会社員が「億り人」になって自由に生きる超現実的ルート』(文響社)のあとがきを、出版社の許可を得て掲載します。
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私は落ちこぼれでした。子どもの頃から親や教師のいうことがよく理解できなかったし、学校では同級生のやっていることがずっと不思議でした。
これはべつのところで書いたのですが(『80’s エイティーズ ある80年代の物語』幻冬舎文庫)、大学生になっても「働く」ということがわからず、就職活動はまったくしませんでした(というより、できませんでした)。
それでも新聞の求人広告を見て新橋の雑居ビルにある小さな出版社に拾ってもらい、そこでようやく自分が業界の最底辺にいることに気づきました。とはいえ、時間を巻き戻してもういちどやり直すことはできません。
こうして、「世の中の仕組みはどうなっているのか?」を考えるようになりました。
人生がゲームだとすれば、上手にプレイするには、ルールがどうなっているかを知らなければなりません。ところが私は、こんな当たり前のことに気づかず、「好きなようにやっていれば、なんとかなるだろう」と能天気に考えていたのです。
24歳でデキ婚して、子どもが生まれてからも年収120万円(80年代はじめとはいえ” 極貧”です)で暮らし、友だちと編集プロダクションを始めたもののすぐにつぶれ、25歳のときに運よく中堅の出版社に拾ってもらってようやくひと息つけました。
ところが三十代になると、自分がサラリーマン(管理職)に向いてないのではないかと思うようになりました。とはいえ、その頃は子どもが小学生で、会社を辞めて生きていく自信はありませんでした。このときはじめて、人生には経済的な土台が必要だという現実を突きつけられたのです。
そういうわけで、「人生設計」について考えるようになったのは35歳のときでした。読者のなかには、「そんなのもっと早くから知っていたよ」と思ったひともたくさんいるでしょう。
40歳になって文筆家として独立しますが、それ以来書いてきたのは、「自分のように社会のメインストリームからドロップアウトした人間が、どうやって生き延びるのか」です。だから、私の本の読者は同じようなひとたちだと思っていました。
この本を書いてくれた大橋弘祐さんは、大学で就活を頑張って大手通信会社に入社したのですから、私よりずっとちゃんとしています。最初に会ったときは(ずいぶん前です)、「なぜこんなエリートビジネスマンが出版業界なんかに転職したんだろう」と不思議でした。
でも「(本書に掲載された大橋さんの)体験談 僕が黄金の羽根を拾うまで」を読むと、大橋さんは入社以来、仕事になじめず、「ダメ社員」になってしまったようです。20代後半で「このままではさすがにマズい」と思ってブログを始め、それを見た作家の方から声をかけられて小説を書くようになり、13年間勤めた大手企業を辞めて出版社の立ち上げに参加した、という話ははじめて知りました。大橋さんもやっぱり「ドロップアウト組」で、だからこそ私の書いたものに興味をもってくれたのでしょう。
誰もがうらやむようなメインストリームにいたはずの大橋さんも、30代でドロップアウトしています。そう考えると、そもそも順風満帆の人生を送っているひとなどほとんどいないことがわかります。
会社は社員の人生すべての面倒を見てくれるわけではありません。仮に、いまは会社でうまくいっていたとしても、出世し続けて役員になる人はごく一部です。運よく、社長に上り詰めたとしてもいつか引退があります(70歳で引退しても100歳まで生きたら、残り30年も人生が続きます)。
そもそも勤務先の会社がいつまで続くかわかりません。だとすれば、早いか遅いかのちがいがあるだけで、誰もがどこかで「落ちこぼれる」のです。
でもこれは、それほど悪い話ではありません。ドロップアウトは、「自由」を手入れることでもあるのですから。
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世の中には「成功法則」があふれていますが、じつは私はそうした本をあまり読んだことがありません。「絶体絶命の危機を乗り越えて成功した」という波乱万丈の物語は魅力的ですが、それと同じことができるわけはないし、実際には自分とはなんの関係もないことがほとんどだからです。
私が知りたかったのは、「一般化できる成功法則」です。たとえば、同じ収入でも支払う税・社会保険料が少なければ、そのぶんだけ可処分所得が増えます。1年ではたいした金額ではないかもしれませんが、それが10年、20年と続けばその差は複利で広がっていきます。
これが「マイクロ法人」戦略ですが、最近ではNISAが「一般化できる成功法則」です。これらは、条件さえ同じなら誰でも使えて確実に効果があります。
本書では、こうした成功法則(黄金の羽根)を大橋さんが自ら実践してみた体験が、わかりやすい図表とともに語られています。私が読んでも、「ああ、こういうふうに説明すればよかったのか」と気づかされることがたくさんありました。
日本ではずっと、新卒でたまたま入った会社に定年まで「滅私奉公」するのが当たり前で、OECDをはじめとするあらゆる国際調査で、日本のサラリーマンの仕事へのエンゲージメント(やる気)がきわだって低いことが明らかになっています。日本の知識人は右も左も「日本的雇用が日本人(男だけ)を幸福にした」として、ネオリベ(新自由主義)の「雇用破壊を許すな」と大騒ぎしてきましたが、じつは1980年代のバブル最盛期ですら、「日本人は世界でいちばん仕事が嫌いで、会社を憎んでいた」のです。
なぜこんなことになってしまうかというと、日本の会社が終身年功制によって40年も社員を「監禁」しているからでしょう。解雇がきびしく制限され、労働市場に流動性がない日本では、中高年が転職しようとすると収入が大きく下がるか、そもそも雇ってもらえません。そうなると、どれほど嫌な仕事(あるいは嫌いな上司)でも会社にしがみつくしかなくなりますから、会社を憎むようになるのも当然です。
嫌な仕事はさっさと辞めて、フリーエージェントとして生活できれば、人間関係のしがらみ(健康・お金と並ぶ不幸の大きな原因です)から自由になれますが、いきなりそんなリスクは負えないというひともいるでしょう。私も独立するときはずいぶん悩みましたから、この気持ちはわかります。
そこで、会社員として働きながら別の可能性にチャレンジする「副業」が注目されています。ただし、私には副業の経験がないので、自分のノウハウがどのように活かせるのかよくわかりませんでした。でも本書では、大橋さんが自身の体験から、「副業しながらどうやって黄金の羽根を拾うのか」を解説してくれます。
人類史上、未曽有の超高齢社会になった日本は、発展途上国ならぬ「衰退途上国」と揶揄されますが、それでもGDPでは世界第4位の経済大国です。そんなゆたかな社会に生まれた幸運を活かせば、経済的な独立を達成するのはけっして無理な目標ではありません。そればかりか、「合理的な人生設計」を実践すればほぼ確実に達成できるでしょう。
この本によって新たな読者を獲得して、一人でも多くのひとが「自分らしく生きる」人生を手に入れてほしいと願っています。
2026年2月 橘 玲
「世界最大の”推し活”」ワールドカップを支える市場原理
6月14日(現地時間)にテキサス州ダラスで行なわれた日本とオランダの一戦を現地で観戦しました。
会場となったAT&Tスタジアムは地元では圧倒的な人気を誇るアメリカン・フットボールのダラス・カウボーイズの本拠地で、入場者は約7万人とほぼ満席、後半に互いに2点を取り合う展開に大変な盛り上がりでした。
今回驚いたのは、日本人サポの数の多さです。8年前のロシア・ワールドカップでは、ロストフ・ナ・ドヌで行なわれたベルギー戦を現地観戦しましたが、日本人サポは3000人くらいでした。ところが今回は、会場に向かう電車の車内は日本代表のユニフォーム姿ばかりで、すくなくとも2万人は集まったのではないでしょうか。
今回の代表への期待がそれだけ高いということもあるでしょうが、幼い子どもを連れた家族に声をかけると、アメリカで働いているとのことでした。代表のユニを着た男の子と英語で話している親子は、日系アメリカ人でしょう。日本からのサポだけでなく、アメリカに住む日本人や日系人が大挙してやってきたからこそ、この人数になったのだと思います。
同様の現象は他の試合でも見られ、ロサンゼルスで行なわれたイラン×ニュージーランド戦では、アメリカによるイランからの入国禁止もあって空席が懸念されましたが、全米のイラン人コミュニティだけでなく、別の国籍をもつイランのサポが世界中から駆けつけ、巨大なスタジアムをイランのホームに変えました。
韓国×チェコ戦でスタジアムの空席が話題になりましたが、これは試合が行なわれたメキシコのグアダラハラの治安が不安だからで、試合会場がアメリカならやはり在米の韓国人が押しかけたでしょう。アメリカには移民や移民出身者の大きな社会があり、それが熱狂的な応援をつくりだしているのです。
今回のワールドカップでは、チケットの高騰が問題になりました。チケットは下層階のカテゴリー1と、上層階のカテゴリー2に大きく分けられ、グループリーグのカテ1の正規価格は人気カードが450ドル(約7万2000円)、それ以外が350ドル(約5万6000円)ですが、この価格で入手できたのは抽選に当たった幸運なひとだけで、ほとんどはFIFAが行なうリセールで購入したと思われます。
これはいわば「公式転売」で、チケット保有者はできるだけ高く売ろうとし、買い手は少しでも安くてよい席を手に入れようとして、「市場原理」で価格が決まります。
この転売システムによって人気カードの価格はグループリーグで2~3倍、決勝にいたっては10倍以上にもなり、8万ドル(約1280万円)で取引が成立したとして話題になりました。FIFAは転売にあたって売り手と買い手の双方から15%の手数料を徴収しますから、まさに濡れ手に粟のぼろ儲けです。
とはいえ、FIFAのインファンティーノ会長が反論するように、これまでは民間の転売業者が同じことを行なっていて、その利益はいっさい選手などサッカー界に還元されませんでした。転売をFIFAが主催することで、闇業者を排除できるというわけです。
ワールドカップは「世界最大の“推し活”」で、それを移民ですら数十万円のチケットを(無理すれば)買うことができるアメリカのゆたかさが支えているのです。
『週刊プレイボーイ』2026年6月29日発売号 禁・無断転載