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わたしたちはキャンセルカルチャーの時代を生きている 週刊プレイボーイ連載(615)
今年の8月は例年になく暑い日が続きましたが、それに輪をかけてネットも燃えました。
まずは人気女性タレントの“誤爆”事件。お笑い芸人がオリンピックにかけて、「生きてるだけで偉いので皆、優勝でーす」とSNSに投稿したところ、女性タレントが「おまえは偉くないので、死んでくださーい 予選敗退でーす」と引用リポストしました。
投稿は直後に削除され、「本当にすみません」と謝罪したものの、その画像がたちまち拡散しました。その後、女性タレントの事務所が、凍結されているアカウントがあることを認めたため、「裏アカウントで日常的にこのような投稿を重ねていたのではないか」との疑惑が広まり、「祭り」状態になったものです。
女性タレントはこの不祥事でテレビやラジオのレギュラー番組を降板し、YouTubeのCM映像が公開中止になるなどして、芸能活動を休止しました。
次は女性フリーアナウンサーが、「ご事情あるなら本当にごめんなさいなんだけど」と断ったうえで「夏場の男性の匂いや不摂生してる方特有の体臭が苦手過ぎる」などとSNSに投稿し、「男性蔑視だ」と炎上した事件。その3日後に事務所から、「異性の名誉を毀損する不適切な投稿行為」を理由に契約解消を言い渡されました。
投稿の趣旨は、汗拭きシートや制汗剤の使用を呼びかけるもので、「たんなる意見の表明なのに処罰が重すぎる」との反論もありましたが、東京五輪では「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」と発言した組織委員会会長が辞任させられています。「男は臭い」が言論・表現の自由であれば、「女は話が長い」が問題にされる理由はありません。「女が男を批判するのは許されるが、男が女を批判するのは許されない」という非対称性を前提としないかぎり、この投稿をジェンダー差別でないとするのは難しいでしょう。
3つめは、SNSの中傷に対してパラアーチェリーの女子選手が発信者情報開示請求をしたところ、投稿したのが同じパラアーチェリー選手で、パリ・パラリンピック日本代表であることがわかり、損害賠償を求めた事件。パラリンピック前に代表選手に約124万円の支払いを命じる一審判決(被告が控訴)が出たことで、「代表を辞退すべきではないか」と炎上しました。
パリ五輪では、体操女子の主将だった19歳の選手が、飲酒と喫煙を理由に日本体操協会によって出場を辞退させられました。20歳未満の飲酒・喫煙は禁止されていますが、19歳は成人です。それが出場辞退という重い処分になったのに、民事とはいえ裁判で名誉棄損と認定された選手がオリンピックに出場するというのでは、一貫性がないと批判されてもしかないでしょう(その後、控訴を取り下げ出場を辞退)。
3つの事件はどれも、ウクライナやガザで起きている悲劇と比べればささいな出来事です。それにも関わらず、ネットニュースでははるかに大きな比重で報じられ、膨大なコメントがつきました。
わたしたちは海の向こうの重大事件ではなく、自分が知っている小さな世界のことにしか興味がありません。そして、誰もが正義の鉄拳を振り下ろす機会を探している、キャンセルカルチャーの時代を生きています。
そのことがわかっただけでも、興味深い「暑い夏の出来事」でした。
『週刊プレイボーイ』2024年9月2日発売号 禁・無断転載
ムスリムの若者はどのようにジハーディストになっていくのか
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2017年8月31日公開の「バルセロナのテロ犯から考える ムスリムの若者がテロリストに”洗脳”される過程」です(一部改変)
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ヨーロッパでもっとも人気のある観光地のひとつバルセロナで、観光客ら15人が死亡、120人あまりが負傷するイスラーム過激派のテロが起きた。その後の捜査で、世界遺産サグラダ・ファミリア教会の爆破を計画していたこともわかり、世界中に衝撃が広がっている。
実行犯グループはモロッコ国籍などのムスリムの若い男性12人で、イスラーム原理主義のイマーム(指導者)に洗脳され、ガスボンベを使った爆弾を製造していたとされている。そのイマームが実験中の爆発事故で死亡したため、捜査の手が及ぶのを恐れ、観光客であふれる歩行者天国に車で突っ込む凶行に及んだのだ。
19世紀末からモロッコは英仏独ヨーロッパ列強のアフリカ分割の舞台となり、1904年の英仏協商によってフランスが優越権を獲得した。こうした歴史的経緯もあって、モロッコではいまもフランス語が第二言語(準公用語)で、政治や教育、ビジネスの場で広く使われている。
その一方でジブラルタル海峡を挟んでスペインとの関係も深く、現在も北端のセウタ、メリリャの2つの都市はスペイン領の飛び地だ。モロッコからスペインへの出稼ぎもごくふつうで、それがモロッコ国籍の多くの若者がスペイン国内に住んでいる理由だ。
モロッコには、支配層のアラブ系と原住民であるベルベル系のひとたちがいる。両者の関係は敵対的とまではいえなくても良好とはいえず、ベルベル系のモロッコ人が、アラブ系スンニ派の原理主義者が率いるIS(イスラム国)に参加するとは考えにくいから、今回のテロの犯人も「アラブ系モロッコ人」なのだろう。
ところで、こうしたムスリムの若者たちはどのようにしてテロリストへと“洗脳”されていくのだろうか。
戦後日本のリベラルは民族主義の一変種 週刊プレイボーイ連載(614)
原爆投下から79年目となる平和祈念式典で、長崎市長は被爆した詩人の「原爆を作る人々よ! 今こそ ためらうことなく 手の中にある一切を放棄するのだ」を引用し、核兵器廃絶を訴えました。
ところがその場には、原爆を投下したアメリカや核保有国である英仏など主要国の大使の姿はありませんでした。ロシア、ベラルーシとともにイスラエルを招待しなかったことが理由で、米大使は「ロシアの侵略と、ハマスのテロの犠牲となったイスラエルを同列に扱う式典には出席できない」と述べました。長崎市長は「政治的な判断ではない」と繰り返していますが、紛争の一方の当事者であるパレスチナを招待しているのですから、「政治的」と見なされても仕方ないでしょう。
それに対して広島市は、例年どおりイスラエルを招待し、米英などの大使も式典に出席しました。長崎と広島の対応のちがいの背景には、ホロコーストへの距離がありそうです。
1963年、日本の平和活動家4人が、広島からアジアと欧州23カ国を経由する3万3000キロを8カ月かけて歩いて、アウシュヴィッツ解放18周年記念式に参加しました。この式典で、日本から持参した被爆時に溶けた瓦と、アウシュヴィッツの犠牲者の遺灰を込めた壺が交換されました。
この「広島・アウシュヴィッツ平和行進団」以降、ヒロシマ(原爆)とアウシュヴィッツ(ホロコースト)が「人類の悲劇」として重ね合わされ、現代史におけるもっとも強力な「犠牲の物語」になっていきます。そのため広島には、式典にイスラエルを招待しないという選択肢はなかったのでしょう。
日本では毎年8月になると、広島・長崎の原爆投下や沖縄戦の「犠牲の物語」を各メディアが特集し、「八月ジャーナリズム」と揶揄されます。これらの記事に共通するのは、“庶民”は戦争の被害者で、その責任は「戦前の軍国主義」にあり、戦争が迫っている(いまは「新しい戦前だ」)と警告して終わることです。
戦争の「被害体験」ばかりを強調することに対して、中国や韓国、東南アジアの国々は「戦前の植民地支配や日本軍がアジア各地で行なった加害を無視している」と感じるでしょうが、自称「リベラル」のメディアも含め、そうした声を徹底して無視するのも“夏の風物詩”です。
日本の反核平和運動は、アメリカやソ連(ロシア)、中国などの核保有国を名指しで批判するのではなく、「核のない世界」という抽象的なメッセージを飽きもせずに繰り返してきました。この国の左派・リベラルは、「世界で唯一の被爆国」と「世界で唯一、戦争を放棄した憲法」を方便として、不愉快な「加害の歴史」から目を逸らせてきたのです。
自分たちは「犠牲者」だと言い立て、「加害」を否認するのは、民族主義者(ナショナリスト)の特徴です。だとしたら絶対平和を唱える戦後日本のリベラルは、民族主義の一変種なのです。――というような不都合な話を、新刊の『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)で書いています。
参考:林志弦『犠牲者意識ナショナリズム 国境を超える「記憶」の戦争』澤田克己訳/東洋経済新報社
『週刊プレイボーイ』2024年8月26日発売号 禁・無断転載