作家・橘玲(たちばなあきら)の公式サイトです。はじめての方は、最初にこちらの「ABOUT THIS SITE」と橘玲からの「ご挨拶」をご覧ください。また、自己紹介を兼ねた「橘玲 6つのQ&A」はこちらをどうぞ。
日本社会の資産格差拡大の原因は「ソロ化」?(週刊プレイボーイ連載698)
すこし前に「日本では所得格差は拡大していないが、それはよい知らせではない」という記事を書きました。厚生労働省の報告書や経済学者の分析によれば、日本の所得格差は拡大していないばかりか、逆に縮小していたのです。ファクトに基づけば、「経済格差が拡大している」とあれだけ大騒ぎしたにもかかわらず、日本の実態は、「失われた30年のあいだ、みんなで平等に貧しくなった」になります。
これはかなり衝撃的な事実ですが、「所得格差は縮小していても、資産格差は拡大しているのではないか」という反論があるでしょう。これについては内閣府が、『日本における所得・収入・資産格差に関する長期的視点からの考察:1984年~2019年』という詳細な研究を発表しています。
資産は銀行預金のほか、おもに株式と不動産で保有されます。1990年代のバブル崩壊によって、日本では株価も地価も大きく下落し、その結果、富裕層の資産が減って格差は縮小しました。
その後、株価・地価が下げ止まると、資産格差は徐々に拡大しはじめます。ところがこの格差拡大は、富裕層の資産が増えたというよりも、現役世代のなかで金融資産をまったく、あるいはほとんどもたない世帯が増えからだというのです。
この傾向が顕著なのは単身世帯で、とりわけ若い世代で、金融資産1000万円超の独身もいれば、金融資産ゼロの独身もいるという二極化(世代内格差)が進んでいます。日本では、単身世帯が増えることで資産格差が拡大しているのです。
研究はその理由について述べていませんが、真っ先に思い浮かぶのは「ロスジェネ世代」でしょう。就職氷河期で正社員になれなかったひとたちは、収入が少ないために資産形成できず、男性は低収入だと結婚が困難になるので、単身世帯が増えているのかもしれません。
これはたしかに説得力がありますが、女性にはあてはまりません。データによれば、女性は収入が少ないほど婚姻率が高いのです。――これは因果関係が逆で、結婚して専業主婦やパートになったから収入が少なくなったというのも考えられます。
それに加えて、日本経済が就職氷河期から人手不足に変わって、正社員として新卒採用されるようになった若い世代でも、単身世帯の増加と資産格差の拡大が観察されます。この現象は「ロスジェネ世代」では説明できません。
そうなると、もうひとつの可能性は「ソロ化」です。ある程度の収入があっても、家族をもつ予定がなければ資産を増やす必要はなく、趣味や推し活など好きなことにお金を使っているのかもしれません。
ライフスタイルの変化によって、所得の大半を消費にまわす「ソロ(単身世帯)」が増えると、マイホームの購入や子どもの教育費のために資産形成しようとする家族世帯とのあいだで資産格差が開いていくのです。
結婚するつもりのない若者の割合は増えつづけており、「ソロ化」はこれからますます進むでしょう。それにともなって資産格差が拡大していけば、日本社会のすがたは大きく変わるかもしれません。
週刊プレイボーイ』2026年10月5日発売号 禁・無断転載
新興国についての10年前の予想はどれくらい当たったか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年5月公開の記事です。(一部改変)
10年前に新興国市場についてどのようにいわれていたのか、なにが正しかったのかを振り返ってみるのも大切だと思います。
******************************************************************************************
バブル崩壊以後、負の遺産の処理に苦しんだ日本経済は、97年のアジア通貨危機を期に、大手金融機関が次々と破綻する深刻な金融危機に襲われた。これを受けて日銀は、それまでの金融政策の常識を覆し「ゼロ金利」という未踏の領域に入っていく。その一方でアメリカ経済は好調を維持し、98年には財政収支が黒字に転じている。
経済学者の吉本佳生氏は、国際商品指数と米国の財政収支・経常収支の関係から、日銀のゼロ金利政策が円キャリートレードを通じて資源価格を押し上げたと推測している(『日本経済の奇妙な常識』講談社現代新書)。
日銀の金融緩和がデフレ不況を生み出した
円キャリートレードとは、ヘッジファンドなどが低金利の円で調達した資金を米ドルなど高金利の通貨で運用する取引だが、この時期、財政収支が黒字に転じた米国ではじゅうぶんな量の新発国債が発行されなかった。そのため行き場を失った投機マネーが米国の株式市場に流入してインターネットバブルを起こし、2000年にそれがはじけると、こんどはコモディティ市場に流れ込んでエネルギーや金属、食糧などの価格を高騰させたというのだ。
この見方が正しいかは一概に判断できないが、2008年のリーマンショックで原油価格が1バレル=60ドル台まで4割も急落したように、コモディティ価格が投機によって乱高下することは間違いない。
2010年、若者の焼身自殺をきっかけにチュニジアで反政府デモが広がり、独裁政権が打倒された(ジャスミン革命)。この民主化運動はアラブ諸国を巻き込み、エジプトでは民衆デモでムバラク体制が崩壊し、リビアでは内戦の末、反カダフィ派が政権を奪取し「アラブの春」と呼ばれた。
これらアラブ諸国に共通するのは、小麦の輸入国だということだ(たとえばエジプトの小麦輸入量は世界最大)。小麦からつくられる丸パン(ホブス)はアラブのひとびとの主食で、小麦価格の上昇は家計を直撃する。
このことから、アラブの春の原因はSNSなどのインターネットの普及ではなく、国際的な小麦価格の高騰による社会不安だというのが近年の定説になりつつある。貧しい(1人あたりGDPの低い)国はインフレに対する耐性が弱く、先進国ではさしたることのない食糧・エネルギー価格の上昇が社会全体を混乱に陥れるのだ。
吉本氏は、日銀のゼロ金利政策がコモディティ価格(輸入価格)を押し上げたものの、供給過剰の日本経済はそれを価格に転嫁することができず、その代わりに人件費を削ったことでデフレ不況が深刻化したと指摘する。
「日銀の金融緩和がデフレ不況を生み出した」というコペルニクス的転換だが、これが正しいとすると、日本の金融政策はそれと同時に、小麦価格を引き上げることで中東の国々に「アラブの春」をもたらしたことになる―ーインターネットバブル崩壊と9.11同時多発テロを受けて、グリーンスパンのFRBが大幅に金利を引き下げたことで、サブプライム・バブルを引き起こし、資源価格の高騰や新興国株の上昇に大きな影響を与えた。
「新興国はさらに経済発展を続ける」という楽観論
ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントのジム・オニールは2001年、「人口が多く経済的にも有望な国」としてブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国を挙げ、これを「BRICs」と名づけた。その後、オニールの予言どおりにこれらの国は大幅な経済成長を達成し、BRICsは新興国投資の代名詞になった。
“BRICsの伝道師”となったオニールは、世界金融危機後も新興国の成長に楽観的だ。2011年に書かれた『次なる経済大国』(ダイヤモンド社)から、この4カ国についての予測を抜粋してみよう。
・ ブラジル:レアル高は大きな問題だが、世界第5位の人口は若くて増加傾向にある。インフレを克服し政治の安定が達成できれば、2050年のGDPは現在の5倍の10兆ドルに達し、ドイツや日本を追い抜くだろう。
・ ロシア:死亡率の高さと少子化が課題だが、それを克服すれば今後も年3%程度の経済成長はじゅうぶん可能。これだけでロシアのGDPは2017年にイタリアを、2020年代にはフランス、イギリスを追い抜き、2030年代にはドイツを上回る経済大国になっているだろう。
・ インド:BRICsのなかではもっとも悲観的。理由は市場が閉鎖的・非効率的で、政治家がグローバル資本主義を受け入れようとしないから。それでも巨大な人口のパワーは圧倒的で、GDPは2020年代にドイツなどヨーロッパの国々を、2030年代には日本を追い抜くだろう。
・ 中国:BRICsのなかではもっとも楽観的。人口構成の高齢化や極端な経済格差、不動産バブルなどさまざまな問題を抱えているものの、中国人の勤勉さと中国政府の賢明な経済運営によってすべて乗り越えることが可能で、2039年までにはGDPで米国を抜いて世界最大の経済大国になるだろう。
「新興国はもはや成長できない」という悲観論
もっとも、誰もがこうした見方に賛成しているわけではない。
ルチル・シャルマはインド出身のエコノミストで、モルガン・スタンレー・インベストメント・マネジメントで新興国市場の調査を担当している。その近著『ブレイクアウト・ネーションズ』(早川書房)は、ライバルであるゴールドマン・サックスのBRICs礼賛からはかなり距離をとって、新興国の現状と課題を冷静に分析している。
シャルマの主張は、「どの木も空まで伸びるわけではない」という言葉に要約されている。スタート台が低いからといって、すべての国が平等に先進国にキャッチアップできるわけではない。シャルマのBRICsに対する診断は次のようなものだ。
・ ブラジル:通貨も金利もあまりに高いためにインフラなどへの投資ができず、政府は有権者の福利厚生にばかり金を使っている。金もないのに福祉国家を目指すようでは経済成長は無理だろう。
・ ロシア:資源価格の高騰によってモスクワやペテルブルグで大金持ちの酒池肉林が演じられているが、国土の大半は荒地で国民のほとんどは貧しいままだ。有権者を懐柔したいプーチンによって、いまでは年金支払額の割合が実質賃金の40%に達し(アメリカは28%)、人口の12%が政府職員なので、全ロシア人の半分以上が生活を国に依存している。その原資は原油と天然ガスしかないのだから、エネルギー価格が30%下落すれば社会は崩壊するだろう。
・ インド:社会があまりに複雑なため、インド企業ですら国内への投資に二の足を踏み、輸出に活路を見出そうとする。新興国のなかでも1人当たりGDPは下位にあるにもかかわらず、ビリオネア(10億ドル以上の資産保有者)の数はアメリカ、ロシア、ドイツに続いて世界4位。権力者や富裕層の社会的地位は固定化し、与党・国民会議では35歳未満は全員が世襲議員。唯一の利点は、スタート台が低いため、相対的に経済成長が容易なことくらいだ。
・ 中国:経済成長にともなう成熟化(中所得国の罠)によって、経済成長率は6%台まで減速。若年労働者の減少と高齢化、インフレと賃金上昇、過剰投資による負債などによって、改革の果実のほとんどは食べつくされてしまった。2兆5000億ドルの外貨準備高も、地方政府の隠れ債務を考えるとただの幻想。消費者支出も、この30年間、年平均9%近く伸びており、“内需拡大”の余地は大きくない。だが、経済の減速は中国社会を破壊することはないだろう。「痩せて死んだ駱駝でも馬よりは大きい(腐っても鯛)」からだ。
コモディティバブルが格差を拡大させた?
『ブレイクアウト・ネーションズ』でルチル・シャルマは、2000年以降の資源価格の高騰をドットコム(インターネット)バブルに匹敵する「コモディティ・ドットコム」だと述べる。だが両者には、決定的なちがいがある。
インターネットバブルは、世界じゅうで興奮を巻き起こした。IT企業のCEOはロックスターのように祭り上げられ、サラリーマンは会社を辞めてデイトレーダーになり、誰もが人類の新しい歴史が始まるのだと信じた。
そのほとんどは幻想だったわけだが、光ケーブルなど通信設備への莫大な投資がムダになったわけではない。ICT(情報通信技術)の技術革新の成果はバブル崩壊によって失われることはなく、スマートフォンや電子ブックなどの新製品やグーグル、フェイスブックのような新しいサービスが次々と現われた。
それに対してコモディティ・ドットコムは、ごく一部の大金持ちを生み出したほかは、この世界になんの貢献もしていない。バブルがはじけたら、バブル前と変わらない量の金、ダイヤモンド、高級ワインが残されるだけだ。
エネルギー関連先物取引の2011年の売買高は日量20億バレルで、エネルギーに対する世界の1日あたりの需要量の22倍だ。コモディティは投機によっと支配され、その価格は実態経済から大きく外れている。
そもそもコモディティ価格は、技術革新(生産性の向上)によって、この200年間、「10年値上がり、20年値下がり」というリズムで趨勢的に下落してきた。価格上昇のスーパーサイクルが長期にわたって続いたことはない。
「コモディティ・ドットコム」の背景に中国の驚異的な経済成長があることは間違いないが、それがさらなる価格高騰を約束するわけではない。価格があまりに高くなると、中国の工場ですら立ち行かなくなるからだ。
世界の製造業生産高に占める中国のシェアはこの20年間で4%から17%に大幅に増えた。だがその一方で、世界経済に占める製造業のシェアは23%から17%に減っている。中国の製造業の高度成長はアメリカ、日本、ヨーロッパの製造業の凋落の裏返しで、世界経済全体では製造業からサービス業へのシフトが続いている。中国は縮みゆく池のなかで成長を続ける大きな魚で、コモディティの需要が拡大しているわけではない。
世界じゅうの鉱業会社は、2015年までに鉄鉱石の採掘量が60%増えるという想定で業務を拡大しているが、この水準にこたえるためには中国の需要が同じ期間に2倍になる必要がある。資源の総需要の伸びの大半を中国が占めているため、中国の銅の需要が今後5年間で20%低下したとすると、新興国の残りの国々はそれを埋め合わせるために、これまでの2倍のペースで需要を伸ばさなければならない。
このように「コモディティ・ドットコム」は、中国の過剰投資によって支えられているだけで、中国経済の減速がはっきりしてきた以上、バブルは早晩はじけるだろう。しかしそれは、悪いことばかりではない。
「コモディティ・ドットコム」は、金持ちになる資格のないひとをゆたかにする一方で、市場の資源配分を大きく歪めた。各国の中央銀行は、景気を回復させてひとびとの生活をよくするために金融を緩和したが、それが資源価格を高騰させて、逆に家計を苦しめている。だが資源バブルが崩壊すれば、資源のない多くの貧しい国だけでなく、アメリカ、ヨーロッパ、日本などの先進国も大きな利益を受けることになるだろう。
さらに、ブラジルのような資源国にすら価格下落のメリットは及ぶかもしれない。通貨の下落と金利の低下によって、政府や企業が国内のインフラに投資できるようになるからだ。だが石油と天然ガスしか売るものがない中東の国々はもちろん、国家予算が原油1バレル=100ドルを前提にしているロシアも救いようがないだろう。
こうしてシャルマは、「コモディティ・ブームのなかで大騒ぎをしていた国々は、残念ながら、平凡な国へ逆戻りという、苛酷な運命にある」という。「宴の後には、後片付けが待っている」のだ。
この分析から10年以上を経た2026年から見て、はたしてどのように感じるだろうか。
禁・無断転載
「差別かどうかを判断する特権は私だけにあり、お前にはない」問題(週刊プレイボーイ連載698)
日本教育学会の会長でもある東京大学大学院の女性教授が、麻生太郎氏と血縁関係にある皇族女性の顔写真を張りつけたSNSの投稿を引用し、「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる」と記したことが、「容姿への差別(ルッキズム)」「遺伝を強調する優生学」などと批判されました。
この東大教授は高市政権を批判する左派(レフト)の代表的な論客で、これまでSNSでポリコレ(政治的な正しさ)の規範に反する(と見なした)者へのキャンセルを先導してきました。それがこの事件で、「誤解を与えたら申し訳ない、軽率だったと反省している、ではすなまい」などの過去の投稿が次々と掘り起こされ、「炎上」したのです。
火に油を注いだのは、自らの投稿を削除・謝罪する代わりに、「解説」をアップしたことです。それによると、差別・誹謗中傷などの非難は「曲解」であり、「容姿への差別」は「読み取る者自身が有するルッキズムを露呈させている」のだそうです。
そのうえで最後は、「投稿に書かれていない内容を恣意的に読み込み、そうした曲解に基づいて投稿者や所属組織に非難を行う行為は、それを行った者自身の責任が問われる結果になりうることを警告しておきます」とされていました。
この投稿についてはすでに大量の議論がありますが、ここで指摘しておきたいのは「遺伝的要因」の使い方です。
そもそも社会学では、遺伝が生物学的なメカニズムであるのに対し、天皇制/王制は「高貴な血は世襲する」という虚構(社会的構築物)だとして、遺伝と混同することをきびしく批判してきました。ところがこの東大教授は「解説」において、「遺伝的要因」というのは「「血縁者」や「親族」等の言葉と代替可能な意味で用いた」と書いています。しかしこれでは、「天皇制の“高貴な血”には遺伝的要因がある」というとんでもない主張になってしまいます。
ところが不思議なことに、これまでこうした誤用は許されないと論じてきたリベラルなメディアや識者はこの件に沈黙し、「優生学」などと批判するのは右派・保守派ばかりです。だとすれば、学問的な定義が変わったのでしょうか。この東大教授を会長にいただく日本教育学会には、「遺伝」と「血筋」は日常的に同じ意味で使われているのか、ぜひ見解を明らかにしてほしいと思います。
さらに大きな影響を与えそうなのは、差別と批判されたことに対して、「私には差別の意図はなかった。すべて曲解に基づく非難だ」と「解説」すれば、それで済むという態度でしょう。もしこれでいいのなら、これまで差別的な言動(と見なされたこと)でキャンセルされてきたひとたちも、謝罪などせず、「そんな意図はなかった」と開き直って「解説」すればよかった、ということになってしまいます。――この論理を認めないのなら、「差別かどうかを判断する特権は私だけにあり、お前にはない」ということになります。
第二次トランプ政権が誕生してから、欧米(主に英語圏)で行き過ぎたキャンセルカルチャーの揺り戻しが起きています。この騒動は、「文化戦争」で半周から一周遅れの日本におけるその象徴的なケースになるかもしれません。
『週刊プレイボーイ』2026年9月28日発売号 禁・無断転載