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「差別かどうかを判断する特権は私だけにあり、お前にはない」問題(週刊プレイボーイ連載698)
日本教育学会の会長でもある東京大学大学院の女性教授が、麻生太郎氏と血縁関係にある皇族女性の顔写真を張りつけたSNSの投稿を引用し、「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる」と記したことが、「容姿への差別(ルッキズム)」「遺伝を強調する優生学」などと批判されました。
この東大教授は高市政権を批判する左派(レフト)の代表的な論客で、これまでSNSでポリコレ(政治的な正しさ)の規範に反する(と見なした)者へのキャンセルを先導してきました。それがこの事件で、「誤解を与えたら申し訳ない、軽率だったと反省している、ではすなまい」などの過去の投稿が次々と掘り起こされ、「炎上」したのです。
火に油を注いだのは、自らの投稿を削除・謝罪する代わりに、「解説」をアップしたことです。それによると、差別・誹謗中傷などの非難は「曲解」であり、「容姿への差別」は「読み取る者自身が有するルッキズムを露呈させている」のだそうです。
そのうえで最後は、「投稿に書かれていない内容を恣意的に読み込み、そうした曲解に基づいて投稿者や所属組織に非難を行う行為は、それを行った者自身の責任が問われる結果になりうることを警告しておきます」とされていました。
この投稿についてはすでに大量の議論がありますが、ここで指摘しておきたいのは「遺伝的要因」の使い方です。
そもそも社会学では、遺伝が生物学的なメカニズムであるのに対し、天皇制/王制は「高貴な血は世襲する」という虚構(社会的構築物)だとして、遺伝と混同することをきびしく批判してきました。ところがこの東大教授は「解説」において、「遺伝的要因」というのは「「血縁者」や「親族」等の言葉と代替可能な意味で用いた」と書いています。しかしこれでは、「天皇制の“高貴な血”には遺伝的要因がある」というとんでもない主張になってしまいます。
ところが不思議なことに、これまでこうした誤用は許されないと論じてきたリベラルなメディアや識者はこの件に沈黙し、「優生学」などと批判するのは右派・保守派ばかりです。だとすれば、学問的な定義が変わったのでしょうか。この東大教授を会長にいただく日本教育学会には、「遺伝」と「血筋」は日常的に同じ意味で使われているのか、ぜひ見解を明らかにしてほしいと思います。
さらに大きな影響を与えそうなのは、差別と批判されたことに対して、「私には差別の意図はなかった。すべて曲解に基づく非難だ」と「解説」すれば、それで済むという態度でしょう。もしこれでいいのなら、これまで差別的な言動(と見なされたこと)でキャンセルされてきたひとたちも、謝罪などせず、「そんな意図はなかった」と開き直って「解説」すればよかった、ということになってしまいます。――この論理を認めないのなら、「差別かどうかを判断する特権は私だけにあり、お前にはない」ということになります。
第二次トランプ政権が誕生してから、欧米(主に英語圏)で行き過ぎたキャンセルカルチャーの揺り戻しが起きています。この騒動は、「文化戦争」で半周から一周遅れの日本におけるその象徴的なケースになるかもしれません。
『週刊プレイボーイ』2026年9月28日発売号 禁・無断転載
バンコクの病院はグローバルスタンダード
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年5月公開の記事です。(一部改変)

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私たちは、病気になったらどの病院にかかるかを考える。書店に行くと、「よい病院」を調べたランキング本が並んでいる。日本では、病気は病院で治すものだ。
「なにを当たり前のことを」と思うかもしれないが、海外では、患者は病院ではなく医師を選ぶ。
私は医療の専門家ではなく、これまで外国の病院を見学したのはニューヨークの大病院のER(救急救命室)と、最先端の精神病院(1泊あたりのコストがウォルドルフ=アストリアホテルより高い)だけだ。
今回、バンコクのサミティヴェート病院を訪れる機会があって、ようやく欧米型の医療制度がどういうものか理解できた。
日本の病院は国際的ランキングで最下位にすら入れない「医療後進国」
先進国の観光客がアジアや中南米など物価の安い国で余暇を過ごすように、メディカルツーリズム(医療観光)は、安価な医療や(生体移植など)母国では不可能な治療を求めて患者が海外に渡ることをいう。最先端の高度な治療を受けられるのがアメリカであることは間違いないが、当然、医療費もおそろしく高くなるから、メディアルツーリズムというと、インドやシンガポール、メキシコなどが挙げられることが多い。
こうした国々の病院は、アメリカで医学を学び、手術・治療の経験を積んだ医師を揃えている。彼らが帰国したのは、アメリカで「その他大勢」の医師の1人となるよりも、母国で「特別な専門家」として遇された方がずっといいからだ。患者にとっては、アメリカと同じ水準の医療をずっと安く(ずっと快適に)受けられることになる。
国際的な大学ランキングでは東大ですら二流になってしまうのはよく知られているが、国際的な病院ランキングでは日本の有名病院の多くは最下位にすら入れない。そもそも評価される資格がないからだ。
米国のジョイント・コミッション・インターナショナル(JCI)は病院の質を保証する国際的な認証機関で、医療分野で世界で認められるためには「JCI認証」が最低条件になる。ところがこの認証を受けた病院は、2011年まで、日本では亀田総合病院(千葉県鴨川市)しかなかった(2012年以降、聖路加国際病院、NTT病院など6病院が取得)。
その一方、アジアのメディカルツーリズムの先頭を走るシンガポールでは、国立大学病院(2004年取得)をはじめとして22病院がJCI認証を受けている。医療ビジネスでシンガポールを追走するのがタイで、こちらは最大手のバンコク病院を筆頭に、現在、JCI認証施設が26病院ある。
何年か前に、中国などの富裕層を日本の病院に迎え入れるメディカルツーリズムが厚生労働省や経済産業省によって提案されたが、このとき日本にはJCI認証病院がほとんどなかった。ところが中国には、JCI認証を受けた病院が30施設ちかくあり、なかでも北京郊外の燕達国際健康城は50万平米の敷地に3000床を擁するメガ病院で、日本の駐在員や富裕層の患者のために日本語サービスも提供している。
日本の医療が内に引きこもっているあいだに、彼我の立場はすっかり逆転してしまった。“世界基準”の医療を提供するこれらの病院と比べれば、日本は明らかに「医療後進国」なのだ。 続きを読む →
バリ島の喧騒のなかで、人口と人権の関係を考えてみた
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年5月公開の記事です。(一部改変)

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バリ島のデンパサール空港に飛行機が着陸すると、お揃いの青いシャツを着たタクシー運転手たちが一斉に到着ゲートに集まってたいへんな騒ぎになる。スーツケースを引きずりながらゲートから出てくる観光客に我先に声をかけ、あちこちで値段交渉が始まるのだ。
【註】この記事は2013年3月のバリ島旅行のときのもので、24年5月にバリを訪れたときは、デンパサール空港からウブドまで配車アプリのGrabを利用して移動した。
もっとも、個人旅行をする観光客よりもタクシー運転手の数が圧倒的に多いので、ほとんどが仕事にあぶれてしまう。そうするとまた所在なげに次の便を待つことになって、こうして一日が終わっていく。
空港で客待ちをする運転手たちの行動を観察していると、そこには部外者にはわからない微妙な棲み分けがあるらしい。
客をつかまえる確率は、もちろん到着ゲートに近いほど高くなる。しかしなかには、到着ゲートに近寄らず、かなり離れたところで必死に声をかけている運転手もいる。彼らは新入りで到着ゲートに近い一等地で客引きをする権利が認められていないのだろうが、これでは宝くじを当てるのと同じで、いくらなんでも効率が悪すぎる。
タクシー乗り場を整備して順番に客待ちをするか、せめて乗車窓口を統一して配車係が案内すればいいのに、なぜこんなに非効率なやり方しかできないのだろうか――。
ひとが多すぎる社会では、効率的なシステムをつくってはならない
バリというとクタやレギャン、ヌサドゥアといったビーチリゾートが有名だが、リピーターのなかには芸能と芸術の村ウブドに通い詰めるひとも多い。11~14世紀半ばにバリ島初期の王朝があった地域で、稲穂の揺れる田園風景のなかに古代の遺跡やヒンドゥー寺院が点在し、夜になれば村のあちらこちらで伝統舞踏が披露される。
ウブドは世界的な観光地だが、たどり着くにはデンパサール空港からタクシーに乗って、狭い二車線道路を北上するしかない。すいていれば1時間半ほどの距離だが、雨や事故で渋滞すれば抜け道がほとんどないのでたちまち悲惨なことになる。
空港を中心に北のウブドと南のビーチリゾートを結ぶ高速道路や鉄道をつくればアクセスは格段に向上し、もっとたくさんの観光客がやってくるようになるだろう。こんなことは都市計画の専門家でなくても、素人だってわかりそうなものだが、いつまで経っても交通インフラが整備される気配はなく、訪れるたびに渋滞はひどくなる一方だ。
ウブド周辺の美しい水田地帯には高級リゾートのアマンダリや王家のリゾート、ロイヤル・ピタ・マハなどがありハネムーナーに人気だが、ほとんどの観光施設はウブド王宮の周辺に集まっている。
ウブドにはタクシーはないから、周辺の宿泊施設に泊まると、ホテルの車でウブド王宮あたりまで送ってもらい、食事や買物、観光が終わるとホテルに電話して迎えに来てもらうことになる。これではあまりにも面倒だと思うだろうが、そこはよくしたもので、路上駐車している車の多くが白タクで、観光客が通るたびに声をかけてくる。行き先を告げて料金交渉するのだが、概して明朗会計で、片道500円も出せばたいていのところは行ける。
とはいえ、ウブドの街を訪れたひとなら、たちまちもっと効率的な方法があることに気づくだろう。ウブド王宮を長方形の一角として、南に向かうジャラン・モンキー・フォレストとジャラン・ハヌマンの2本の大通りがある。1時間も歩けば一周できるこの長方形の区画が観光の中心で、その周囲にホテルが点在しているのだから、ホテル地区から往復のバスを出し、中心部は小型のマイクロバスを循環させれば観光客の利便性は飛躍的に高まるだろう。おまけに白タクの路上駐車も減って交通渋滞が緩和され、コストもほとんどかからない。
なぜこんなかんたんなことができないのだろう?
政治・行政制度の混乱や政府資金の配分などさまざまな問題がありそうだが、そのいちばんの理由は効率が失業を生むからだろう。空港と観光地を結ぶモノレールとか、ウブドを循環する小型バスなどを導入すると、空港や路上で客引きをしていたタクシー(白タク)運転手のやることがなくなってしまうのだ。
もちろん現状でも、1日じゅう客がつかず1銭にもならなかった、ということは多々あるだろう。だがそれでも、仕事をしていることには変わりない。「働いたけれど稼げなかった」のと、「失業してやることがない」のでは、同じゼロ円でも心理的には大きなちがいがある。
ひとが多すぎる社会では、失業者を増やしたくなければ効率的なシステムをつくってはならないのだ。 続きを読む →