「保守のジャンヌ・ダルク」はどこで地雷を踏んだのか? 週刊プレイボーイ連載(349)


自民党に所属する保守派の女性議員が雑誌への寄稿で、「LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)」に対し、「彼ら彼女らは子供をつくらない、つまり「生産性」がないのです」と述べたことが激しい批判にさらされています。

これまでこのコラムで何回か、「世界の価値観はリベラル化しており、日本も半周遅れで追随している」と書きました。しかし今回の事件は、日本の「右傾化」を象徴しているのではないでしょうか。

その後の展開を見るかぎり、じつはそうともいえません。

「中国」や「韓国」、「リベラル」には過剰なくらいの批判(しばしば罵詈雑言)をしている右派論壇のひとたちは、この件については奇妙なことにみな沈黙を守っています。私が目にした唯一の「擁護」は「新しい歴史教科書をつくる会」創設メンバーの一人である藤岡信勝氏によるもので、「「『生産性』という言葉は(中略)引用符が施されており、(中略)誤読に基づく冤罪というべきものだ」でした。慰安婦問題などでこの女性政治家を「保守のジャンヌ・ダルク」と持ち上げていたひとたちは、いったいどこにいってしまったのでしょう。

自民党内にも彼女の主張を擁護する声はほとんどなく、9月の総裁選で安倍首相のライバルである石破茂氏や野田聖子氏ははっきり批判していますし、「人それぞれ政治的立場、色んな人生観もある」と庇った二階俊博幹事長も、同じ会見で「多様性を受け入れる社会の実現を図ることが大事」と述べています。それぞれニュアンスの差はありますが、保守派議員のなかでも四面楚歌になっていることは間違いありません。

この女性政治家は母子家庭や生活保護を「自己責任」と批判してもいましたが、驚いたことに今回の問題ではいっさいの説明を拒絶しています。自らの意見を開陳するのは思想・表現の自由でしょうが、国会議員は多額の税金を受領しているのですから、一般人はもちろん言論人と比べても重い説明責任を負っています。それを放棄するのでは、「弱い者には厳しく自分に甘い」といわれてもしかたないでしょう。

私の考えでは、世界は「リベラル化」と同時に「アイデンティティ化」しており、日本ではそれが「日本人」という脆弱なアイデンティティを守ろうとするかたちで表われます。これが「日本」を攻撃する(と思われている)者たちへの強い反発(嫌韓・反中、朝日ぎらい)になるのですが、逆にいえば「日本」に関係ないことはリベラルでかまわないのです。

「ネトウヨ」と呼ばれるひとたちは、「反日」だけでなく、「フェミニズム」「夫婦別姓」「LGBT」はたまた「ベビーカー」までさまざまな“弱者利権”を攻撃しますが、じつはこうしたテーマはリベラル化が進むなかで大衆的な支持を得ることができなくなっています。「すべてのひとが平等に、もって生まれた可能性を最大化できる社会を目指すべきだ」という意味でのリベラルを否定し、前近代的な日本の「伝統」を称揚するひとは右派論壇や保守派の政治家でもどんどん減っています。

ところが件の女性政治家は、「ネトウヨ」的な主張をすればするほど「ジャンヌ・ダルク」ともてはやされると思ったのでしょう。この勘違いで地雷を踏み、バッシングするつもりがバッシングの標的になってしまったのです。

参考:朝日新聞2018年7月27日「杉田氏「生産性」発言に広がる批判 自民党本部前で抗議」

『週刊プレイボーイ』2018年8月20日発売号 禁・無断転

第78回 チケット転売は不道徳か(橘玲の世界は損得勘定)


6月末から7月半ばまでロシアを訪れ、日本サッカーの歴史に長く語り継がれるであろうベスト16のベルギー戦を含む4試合を観戦した。

この話をすると必ず、「チケットはどうやって入手したんですか?」と訊かれる。ワールドカップを観に行こうと決めたのは開幕の1カ月ほど前で、すでにチケットの販売期間は終わっていたから再販(リセール)で入手するしかない。

日本では人気アイドルグループなどのコンサートチケットが高額で転売されているとして問題になっているが、ワールドカップも同じで、FIFA(国際サッカー連盟)はオフィシャルのリセールしか認めていない。だがこれは定額での再販になるので、抽選で運よく人気試合を引き当てたひとは、当然のことながら、高値で転売できる民間のサービスを利用しようとする。

さらに問題なのは、今回はじめて導入されたFAN IDというシステムだ。ラミネート加工された顔写真入りのIDで、スタジアムに入場する際に携行を義務づけられている。FAN IDはチケットを入手したのちネットで申請し、日本まで郵送してもらう。それを考えれば、購入できるかどうかわからない正規の手段に頼るわけにはいかない。

ワールドカップのチケットは購入者の名前が印字されており、再販で購入した場合は他人名義になる。そのためFIFAはネットで名義変更できるようにしているが、これは新しい所有者の名前を印字したチケットが再発行されるのではなく、サーバーのデータを修正するだけだ。その結果、名義変更したひとも他人の名前のチケットで入場することになる。

「民間業者で購入した転売チケットでスタジアムに入場できるか」がしばしば議論になるが、身分証明書(FAN ID)の名前とチケットの名義を照合し、他人名義の場合は名義変更されているかをいちいち確認していては大混乱になってしまう。こうして、「チケットをもっていればどんどん入場させる」ということになる。

これは厳密にはルール違反だが、その一方でFIFAに改善するつもりがまったくなさそうなところを見ると、こうした現状を黙認しているともいえる。市場原理に頼らなければ効率的にチケットを流通させられないのだ。

もっとも合理的なのは、チケットを電子化したうえで、FIFA自体が転売市場を運営することだろう。これなら、自国チームが敗退してもチケットを転売できないとか、たまたま休みが取れたがチケットが手に入らないといった残念な事態を最小化できるだろう。

なぜこれが実現できないかというと、「チケットで金儲けするな」との批判があるからだろうが、抽選が道徳的で、お金を出して購入するのが不道徳だという理由はない。抽選は公平ではなく、運のよさで希望者を「差別」している。

ちなみに、私が調べたときは決勝戦のチケットは最低でも70万円だったが、フランス×クロアチアに決まったあとは20万円まで下落していた。転売が常に儲かるわけではないのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.78『日経ヴェリタス』2018年8月12日号掲載
禁・無断転載

死刑制度は存続するが執行しないという選択 週刊プレイボーイ連載(348)


麻原彰晃らオウム真理教事件の確定囚7人が死刑執行されたのにつづいて、残る6人の確定囚の死刑も7月26日に執行されました。1カ月のあいだに2度、13人もの死刑執行は日本だけでなく世界に波紋を広げています。

前提として、民主国家において量刑は有権者の総意によって決められるもので、国民の8割が死刑制度を容認している日本で、人権団体や欧州諸国からの批判を根拠にいますぐ死刑を廃止するのは現実的ではないことを確認しておきましょう。政治家が国会で死刑制度を議論できるようになるためには、現在1割以下しかいない廃止派がせめて4割に近づかなくてはなりません。

しかしそれにもかかわらず、今回の大量死刑執行に納得しがたいものを感じたひとも多いのではないでしょうか。

死刑を支持する背景には、「重罪は死をもって償うべき」という道徳観があるとされています。犯罪被害者が極刑を望んでいることや、死刑があることで犯罪が抑止されるとの説明もよく聞きます。

こうした主張には当然、「死刑は国家による殺人」と考える側から多くの反論があるわけですが、とりあえずは一定の(直観的)正しさがあるとしましょう。しかしそうだとしても、今回の死刑執行を正当化するにはじゅうぶんではありません。

報道によれば、地下鉄サリン事件などの被害者は「(死刑執行で)事件が風化してしまうのではないか」「真相はまだ解明されていない」と困惑しているようです。執行によって応報感情が満たされたのでないならば、「被害者救済のための執行」という理由は成立しません。

犯罪抑止効果にしても、教祖の麻原はともかくとして、洗脳されて宗教テロに加わった元信徒の多くは罪を悔い、被害者に謝罪しています。彼らがいまも社会の脅威だと考えるひとはいないでしょうし、「抑止」というのなら、宗教原理主義の恐ろしさを生きて語りつづけたほうが効果的ともいえます。

このように考えると、今回の死刑執行には「裁判で死刑判決が出たから」という以外の理由は見当たりません。これがたんなる「司法の理屈」としか感じられないことが、強い違和感の正体なのでしょう。

日本では「容認」「廃止」の二者択一でしか語られない死刑制度ですが、じつはもうひとつの選択肢があります。

アメリカでは州によって刑法が異なり、リベラルな東部は死刑を廃止し、保守的な南部は死刑制度を維持しています。ここまではよく知られていますが、じつは西部の州の多くは死刑を容認していますが、ほとんど執行されていないのです。

その理由は、「道徳的な理由で死刑を支持するひとも、実際に死刑が執行されると不快感を抱く」からだとされます。有権者のこうした矛盾した感情を反映して、「死刑判決が出ても執行しない」ことになり、この現状に格段の反対もないようです。ひとびとが求めているのは「道徳の象徴」としての死刑であり、執行されなくてもべつにかまわないのです。

日本でも、「オウム事件での死刑判決はやむを得ないが、(教祖以外は)執行する必要はなかった」という選択肢を意識調査に加えると、社会の変化が見えてくるかもしれません。

参考:リチャード・E・ニスベット、ドヴ・コーエン『名誉と暴力: アメリカ南部の文化と心理』(北王路書房)

『週刊プレイボーイ』2018年8月6日発売号 禁・無断転載

『名誉と暴力』より。アメリカ西部の州は保守的な南部と同様に死刑制度があり、死刑判決も出ているが、執行された割合はリベラルな北部と変わらない。