「他人を傷つけるような表現は許されない」は正しいのか? 週刊プレイボーイ連載(397)


あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」がわずか3日間で中止されました。慰安婦像や昭和天皇をモチーフにした映像作品を展示したことが政治家などから批判され、脅迫行為にまで発展したためと主催者は説明しています。

この事件に関してはすでに多くが語られているので、ここではすこし別の視点から考えてみましょう。それは「共感」です。

前提として、「表現の自由」はもちろん守られるべきですが、「どのような表現でも許される」などということはありません。「そんなことはない」というのなら、バナナを持ったオバマ元大統領のイラストをネットにアップして、「表現の自由だ」といったらどんなことになるか試してみればいいでしょう。

リベラルな社会には暗黙の、しかし厳然たる「ポリティカル・コレクトネス(PC/政治的正しさ)のコードがあります。マイノリティを侮辱したり、攻撃したりするような「PCに反する表現」は事実上、禁じられているのです。

問題は、PCのラインがどこに引かれているのか、誰も納得のできる説明ができないことにあります。その代わり、「他人を傷つけるような表現は許されない」という「共感の論理」が使われます。バナナを持つオバマ元大統領のイラストは、世界じゅうの黒人を侮辱し、傷つけるから「表現の自由」の範囲には入らないのです。

ここまでは、極端な「自由原理主義者」を除けば、すべてのひとが合意するでしょう。しかしこの論理を拡張していくと、たちまち広大なグレイゾーンにぶつかることに気づきます。

社会が「リベラル化」するにつれて、女性や障がい者、LGBTなどへの侮辱は許されなくなりました。しかしそうなると、「日本人」への侮辱はどうなるのでしょう?

慰安婦像の展示に憤慨しているひとたちは、「日本人」であることを侮辱され、傷ついたと主張しています。だとしたら「表現の不自由展」を擁護するひとたちは、なぜ黒人や女性とは異なって、自分が「日本人」であることに強いアイデンティティをもつひとたち(日本人アイデンティティ主義者)を侮辱することが許されるのか、彼ら/彼女たちに説明しなければなりません。

「日本人は日本社会ではマジョリティだ」というかもしれませんが、日本人アイデンティティ主義者の自己認識は、「慰安婦問題や徴用工問題のような70年以上前の「歴史問題」によって攻撃され、差別されているマイノリティ」です。「日本人を侮辱しているわけではない」という反論は、「黒人を差別しているわけではない」という差別主義者の主張と区別できません。欧米のイデオロギー対立も同じですが、こうした議論は感情的な対立を煽り、双方の憎悪がとめどもなく膨らんでいくだけです。

だとしたら問題は、「他人を傷つけてはならない」という「共感の論理」にあるのではないでしょうか。

「共感」とは無関係に「表現の自由」を定義できるなら、「傷ついた!」という人が現われても、「それは自由な社会を守るためのコストだ」と説明できます。もっとも、そのような明確な基準がないからこそ、世界じゅうでPCをめぐる混乱が起きているのでしょうが。

参考:ポール・ブルーム 『反共感論―社会はいかに判断を誤るか』(白揚社)

『週刊プレイボーイ』2019年8月26日発売号 禁・無断転載

日本社会の歪みを象徴する「下級国民のテロリズム」 週刊プレイボーイ連載(396)


死者35人、負傷者33人という多くの被害者を出した「京都アニメーション放火事件」は、放火や殺人というよりまぎれもない「テロ」です。しかし犯人は、いったい何の目的で「テロ」を行なったのでしょうか。

報道によれば、容疑者はさいたま市在住の41歳の男性で、2006年に下着泥棒で逮捕され、2012年にコンビニ強盗で収監されたあとは、生活保護を受けながら家賃4万円のアパートで暮らしていたとされます。事件の4日前に起こした近隣住民とのトラブルでは、相手の胸ぐらと髪をつかんで「殺すぞ。こっちは余裕ねえんだ」と恫喝し、7年前の逮捕勾留時には、部屋の壁にハンマーで大きな穴が開けられていたとも報じられています。

身柄を確保されたとき、容疑者は「小説をパクリやがって」と叫んだとされます。アニメーション会社は、容疑者と同姓同名の応募があり、一次審査を形式面で通過しなかったと説明しています。

ここからなんらかの被害妄想にとらわれていたことが疑われますが、精神疾患と犯罪を安易に結びつけることはできません。これは「人権問題」ではなく、そもそも重度の統合失調症では妄想や幻聴によって頭のなかが大混乱しているので、今回のような犯罪を計画し、実行するだけの心理的なエネルギーが残っていないのです。欧米の研究でも、精神疾患がアルコールやドラッグの乱用に結びついて犯罪に至ることはあっても、病気そのものを理由とする犯罪は一般よりはるかに少ないことがわかっています。

じつは、あらゆるテロに共通する犯人の要件がひとつあります。それが、「若い男」です。IS(イスラム国)にしても、欧米で続発する銃撃事件にしても、女性や子ども、高齢者が大量殺人を犯すことはありません。

これは生理学的には、男性ホルモンであるテストステロンが攻撃性や暴力性と結びつくことで説明されます。思春期になると男はテストステロンの濃度が急激に上がり、20代前半で最高になって、それ以降は年齢とともに下がっています。欧米の銃撃事件の犯人の年齢は、ほとんどがこの頂点付近にかたまっています。

日本の「特殊性」は、川崎のスクールバス殺傷事件の犯人が51歳、今回の京アニ放火事件の容疑者が41歳、元農水省事務次官長男刺殺事件の被害者が44歳など、世間に衝撃を与えた事件の関係者の年齢が欧米よりかなり上がっていることです。さまざまな調査で、20代の若者の「生活の充実度」や「幸福度」がかなり高いことがわかっています。日々の暮らしに満足していれば、「社会に復讐する」理由はありません。

このように考えると、日本の社会の歪みが「就職氷河期」と呼ばれた1990年代半ばから2000年代はじめに成人した世代に集中していることがわかります。当時、正社員になることができず、その後も非正規や無職として貧困に喘ぐ彼らは、ネットの世界では自らを「下級国民」と呼んでいます。とりわけ低所得の男性は結婚もできず、社会からも性愛からも排除されてしまいます。

この国で続発するさまざまな事件は、「下級国民のテロリズム」なのかもしれません。そんな話を、新刊の『上級国民/下級国民』で書いています。

『週刊プレイボーイ』2019年8月19日発売号 禁・無断転載

『上級国民/下級国民』をベルカーブとロングテールで説明する


新刊『上級国民/下級国民』が発売されたあと、後期近代において不可逆的に格差が拡大していく理由を「ベルカーブからロングテールへ」で説明できることに気づきました。以下にまとめておきますので、本を読んでいただいた方は参考にしてください(未読の方にもわかるように書いています)。

「ベルカーブ(正規分布)の世界」では、平均付近にもっとも多くのひとが集まり、極端にゆたかなひとや、極端に貧しいひとは少なくなります。下の図では平均から1標準偏差以内(偏差値では40~60)の範囲に全体の約7割(68.3%)が収まります。

これを「中間層」とするならば、平均から2標準偏差以上離れた「中流の上」(偏差値60~70)と「中流の下」(偏差値30~40)はそれぞれ1割強(13.55%)で、「(広い意味での)中流」=平均値の2標準偏差以内に全体の95.4%が収まります。まさに、昭和の「1億総中流時代」です。

それに対して「ロングテール(べき分布)」の世界では、ほとんどのことはショートヘッドに集まりますが、恐竜の尻尾のようにテールがどこまでも伸びていって、「とてつもなく極端なこと」が起こります。その典型がインターネットで、大半のホームページはたいしたアクセスがない一方、Yahoo!やGoogle、Facebookのような少数の「ロングテール」に膨大なアクセスが集中します。

下図では、ベルカーブの「中流」が崩壊して、ショートヘッドの「下級国民」とロングテールの「上級国民」に分断されています。これが「前期近代(ベルカーブ)」から「後期近代(ロングテール)」への移行です。

ここで重要なポイントは、ロングテールの世界では、「テール(尻尾)」が右に伸びれば伸びるほど「極端なこと」がたくさん起きるということです。

世界一の大富豪はアマゾン創業者のジェフ・ベゾスで、その純資産は1310億ドル(14兆4100億円)ですが、ロングテールの右端に1人だけぽつんといるわけではありません。2位は純資産965億ドル(10兆6150億円)のビル・ゲイツ、3位は840億ドル(9兆750億円)のウォーレン・バフェットで、ベルナール・アルノー(LVMH〈モエ ヘネシー・ルイ ヴィトングループ〉会長)、カルロス・スリム・ヘル(メキシコのコングロマリット創業者)、アマンシオ・オルテガ(ZARA創業者)、ラリー・エリソン(オラクル創業者)、マーク・ザッカーバーグ(フェイスブック創業者)などが続きます。

日本では柳井正氏(146億ドル)、孫正義氏(117億ドル)がロングテールの右端で、滝崎武光氏(キーエンス名誉会長)、三木谷浩史氏(楽天創業者)、森章氏(森トラスト社長)らが続いています。

このように、グローバル世界が拡大し、とてつもない大富豪(ロングテール)が登場することによって「テール」は右に大きく伸び、「上級国民」全体の富は増えていきます。その結果、アメリカではおよそ10世帯に1世帯(10%)がミリオネア(金融資産100万ドル以上)となり、日本でもおよそ20世帯に1世帯(5%)が「億万長者」です。「上級国民」と「下級国民」の分断は、社会全体がゆたかになることの代償なのです。

ロングテールの世界(複雑系)を発見した数学者のブノワ・マンデルブロは、50年以上前に資産がベキ分布することを指摘していました。資産とは日々の収入を積み立て、運用した結果ですから、わずかな収入の差が何年、何十年と継続するうちに蓄積され、「格差」はどんどん開いていくのです。

私たちは無意識のうちに、「ベルカーブの世界」を正常、「ロングテールの世界」を異常と思っていますが、これはまちがいで、(マンデルブロがいうように)ロングテール(複雑系)こそが世界の根本法則です。

それではなぜ、戦後の日本に代表されるように、先進国はどこも(それなりに)ベルカーブの世界を実現できたのでしょうか。その理由を解き明かしたのが、アメリカの歴史学者ウォルター シャイデルの『暴力と不平等の人類史: 戦争・革命・崩壊・疫病』(東洋経済新報社)です。

シャイデルはこの大著で、人類史に「平等な世界」をもたらした4人の「騎士」を取り上げています。それは「戦争」「革命」「(統治の)崩壊」「疫病」です。二度の世界大戦やロシア革命、文化大革命、黒死病(ペスト)の蔓延のような「とてつもなくヒドいこと」が起きると、それまでの統治構造は崩壊し、権力者や富裕層は富を失い、「平等」が実現するのです。

そのように考えれば、戦前までは「格差社会」だった日本が戦後になって突如「1億総中流」になった理由がわかります。ひとびとが懐かしむ「平等な社会」は、敗戦によって300万人が死に、国土が焼け野原になり、アメリカ軍(GHQ)によって占領された「恩恵」だったのです。

シャイデルは、人類史において、「4人の騎士」がいなければ社会の格差は開く一方だといいます。私たちが目にしているロングテールの世界は、戦後の「とてつもなくゆたかで平和な時代」が生み出したものなのです。

「いかなる犠牲を払っても平等な世界を実現しなければならない」と主張するひとは、その前にまず社会全体を「破壊」しなければなりません。シャイデルによれば、そのもっとも効果的な手段は「核戦争」です。

たしかに映画『マッドマックス』の世界では、ひとびとはいまよりずっと「平等」でしょう。