ルワンダのジェノサイドはどのようにして起きたのか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2019年5月にルワンダを旅したときの記事です。(一部改変)

Kigali Genocide Memorial(Alt-Invest.com)

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2019年5月にはじめてルワンダを訪れた。「百聞は一見に如かず」というが、東アフリカのこの小さな国は現在、「アフリカの奇跡」「アフリカのシンガポール」と呼ばれる驚異的な経済発展をつづけており、高層オフィスビルや5つ星ホテル、高級レストランなどが次々とつくられている。

なにより驚いたのは治安のよさで、地元の中産階級が暮らす住宅街を若い白人女性がごくふつうに歩いている。アフリカを知っているひとなら、これがどれほどありえないことかわかるだろう。

南アフリカのヨハネスブルクなどが典型だが、高級住宅地は高いコンクリートの塀と電流の流れる有刺鉄線で囲まれて、中の様子を伺い知ることはできない。富裕層はちょっとした外出でも車を使い、「散策」できるのは外の世界からかんぜんに隔離された高級ショッピングモールのような場所だけ、というのが当たり前だからだ。

ルワンダと聞いて多くのひとが思い浮かべるのが1994年代のジェノサイドであり、映画『ホテル・ルワンダ』だろう。大きな困難を体験した国が、わずか四半世紀でなぜここまで発展できたのか。そんな興味でこの国の歴史をすこし調べてみた。

対立する「民族の起源」

ルワンダの悲劇を説明するには、この国を構成する「ツチ族」と「フツ族」という2つの民族から始めなければならい。とはいえ、これはそうかんたんなことではない。この地域がヨーロッパの考古学者や歴史家、人類学者によって研究されるようになったのは19世紀になってからで、民族の起源を示すような史料はきわめて少ないのだ。

約1万年前、最後の氷河期が終わるとアフリカの高地の氷が溶け、ヒトが住めるようになった。最初にこの土地を訪れたのは狩猟・採集で暮らすピグミー属のトゥワ族で、いまもルワンダで伝統的社会を維持しているが、その割合は1%程度しかいない。

トゥワ族のあとに中央アフリカから大湖地域に移住してきたのがバントゥー系の民族で、森を焼いて農業を始めた。バントゥーはアフリカ最大の民族グループで、ルワンダでは「フツ」と呼ばれるようになった。

ここから「民族の起源」は大きく2つの説に分かれる。「フツ=ツチ同族説」と「ツチ移住説」だ。 続きを読む →

新しい日本のリーダーに望むこと(週刊プレイボーイ連載660)

高市早苗氏が初の女性首相に選出されたのを機に、新しい日本のリーダーへの期待を書いてみたいと思います。

石破前首相は著書で、日米安保条約は「世界で唯一の非対称双務条約」で、日本から見れば、米軍人の犯罪を捜査する権限や基地の管理権などの「主権」を譲り渡し、アメリカから見れば、実際に戦闘行為に参加するのが米軍だけという不満の温床になっていると指摘しました。

トランプ大統領も日米安保条約を「不公平」と批判しており、その認識は石破氏と一致しています。しかし石破氏は、関税交渉の材料にされることを警戒したのか、在任中にこの問題でトランプ氏と話し合うことはありませんでした。新首相にはぜひ、米国大統領と堂々と渡り合い、非対称な日米関係を対等な同盟関係へと正常化してほしいと思います。

これは政治学の常識ですが、近代国家は暴力を独占するかわりに、それを法の支配の下に置いています。そのなかでも軍は最大の「暴力装置」ですから、世界のどの国も軍刑法や軍法会議(軍事裁判所)の規則を定めています。

ところが日本だけは、自衛隊という重武装の軍隊をもちながらも、それを統制する法がありません。自衛隊の戦闘によって民間人が死傷した場合、検察官が自衛隊員を被疑者として刑法199条の殺人罪で起訴したり、民事裁判で戦闘で生じた被害の損害賠償を請求するしかないという、異常な状況が放置されているのです。

こうした事態を解消するには、憲法9条を改正して自衛隊を軍として認めたうえで、その「暴力」を民主的な法の統制の下に置かなくてはなりません。保守派の高市氏を当然、このことを熟知しているでしょうから、在任中にぜひとも実現してほしいと思います。

経済面での喫緊の課題は、金銭解雇のルールを導入して、労働市場に流動性をもたせることです。日本経済は空前の人手不足ですが、じつは企業は膨大な数の「不活性人材」を抱えています。会社にしがみつくしかない社員は、仕事への満足度も、会社への忠誠心も低く、その結果、あらゆる国際調査で日本の労働者のエンゲージメント率(仕事のやる気)は最低です。

企業が公正なルールにのっとって社員を労働市場に戻すことができるようになれば、社内に活気が生まれるとともに、人手不足も緩和できるでしょう。

それ以外では、安楽死法案をぜひ国会で議論してほしいと思います。欧米を見れば明らかなように、いまや死の自己決定権はリベラルな社会の前提で、新聞社などが行なった世論調査でも日本人の7割以上が安楽死の法制化に賛成しています。

安倍元総理は、「国際標準では私がやっていることはリベラル」と述べていました。「支持率下げてやる」騒動でわかったように、マスメディアは政治も政治家もバカにしながら、自分たちに都合のいい「報道」ばかりしてますが、「まっとうな保守こそがリベラルである」ことを示せば、似非リベラルたちを黙らせることができるでしょう。

註:コラム掲載時点では首相が決まっていませんでしたが、高市氏の選出を受けて一部加筆しました。

『週刊プレイボーイ』2025年10月20日発売号 禁・無断転載

フーリガンを率いて残虐行為を行なった「アルカン」と呼ばれた男

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2015年10月公開の記事です。(一部改変)

1993年8月16日、ボスニア・モスタル/Northfoto/ Shutterstock

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これまで3回にわたって、東欧史・比較ジェノサイド研究の佐原徹哉氏の労作『ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化』(ちくま学芸文庫)に依拠しながら、1990年代に旧ユーゴスラヴィアで起きた凄惨な殺し合いの歴史的背景を見てきた。

個人でも集団でも、異常者でもないかぎり、正当な(合理的な)理由がなければひとを殺すことなどできるはずはない。ジェノサイドの本質が「歴史の修正」であるのはこのためで、「自分たちは本質的に犠牲者で、悪の脅威によって自分や家族の生命を危うくされており、自衛のための暴力はやむをえない正義の行使だ」という物語が民族のあいだで共有されてはじめて、ごくふつうの市民が、かつての隣人を平然と殺すことができるようになるのだ。

参考:旧ユーゴスラビアの民族紛争はいかにして始まったか(前編)
旧ユーゴスラビアの民族紛争はいかにして始まったか(後編)

安倍総理による「戦後70年談話」でも述べられているように、第一次世界大戦は近代兵器を使った人類初の総力戦で、そのあまりの被害の大きさに震撼した欧州では帝国主義・植民地主義からの脱却が模索されるようになった。だが遅れて近代世界に参入した日本はその潮流に気づかず、さらなる侵略に突き進んで国土は焦土と化した。

アウシュヴィッツとヒロシマに象徴される第二次世界大戦のグロテスクな現実を前に、大国同士の総力戦は封印され冷戦が始まった。それは同時に、国民国家の主権を尊重し、内政不干渉の原則の下に、国家の内部でどのような理不尽なことが起きてもそれは国民の「自己責任」で他国は無関心、という暗黙のルールの支配でもあった。

だが1990年代の旧ユーゴ内戦によって、この内政不干渉の原則は大きく修正されることになる。国際社会が傍観しているうちに、ヨーロッパの一部(裏庭)で凄惨な民族浄化の悲劇が起きたからだ(これに対しては、ドイツが一方的にクロアチアの独立を支持したことがユーゴの解体と内戦を招いた、との批判もある)。

欧州社会での民衆の批判に押され、米国とEUはベオグラードなどの空爆に踏み切り、軍隊を展開してボスニアとコソボの紛争を収束させた。国際社会から一方的に「加害者」の烙印を押されたセルビアには大きな不満があるだろうが、この「内政干渉」の成功が「国家の主権よりも人権が優先する」という新たなルールを生んだ。

この人権志向は国境を越える「積極的平和主義」としてイラク戦争やリビア、シリアの内戦への介入につながっただけでなく、歴史を遡っても適用される。1990年代から従軍慰安婦問題が欧米社会で取り上げられるようになったのは、ボスニア内戦での女性への性的虐待が背景にある。だが日本はここでも、元慰安婦の訴えが「女性の人権問題」であることに気づかず、韓国による「反日」宣伝に矮小化して対応を誤った――これはもちろん、韓国社会が慰安婦問題を「反日ナショナリズム」に利用したことと表裏一体だ。

日本人にとって第一次世界大戦は、漁夫の利よろしく中国におけるドイツの権益を獲得できた「よい戦争」だったが、国際社会のパラダイム転換を理解できなかったことがその後の破滅を招いた。同様に大半の日本人にとって冷戦崩壊や東欧の民主化、旧ユーゴ内戦は他人事だろうが、EUにおける「人権」理念の中核にある現代史の体験を見逃すと、いまの「世界」を理解することはできない。その意味でユーゴ内戦は、わたしたちにとってもきわめて重要なのだ。 続きを読む →