沖縄県知事の死を冒瀆するひとたちの論理 週刊プレイボーイ連載(350)


沖縄の翁長雄志知事が闘病の末に亡くなりました。がんを明らかにしてから、ネットには容姿や病状についての読むに堪えないコメントが溢れ、訃報のニュースは一時、罵詈雑言で埋め尽くされました(その後、削除されたようです)。

こうしたヘイトコメントを書くのは「ネトウヨ」と呼ばれている一群のひとたちです。彼らは常日頃、「日本がいちばん素晴らしい」とか「日本人の美徳・道徳を守れ」とか主張していますが、死者を罵倒するのが美徳なら、そんな国を「美しい」と胸を張っていえるはずがありません。真っ当な保守・伝統主義者は、「こんなのといっしょにされたくない」と困惑するでしょう。

ネトウヨサイトについては、最近は「ビジネスだから」と説明されるようです。しかしこれでも話はまったく変わりません。ヘイトコメントを載せるのはアクセスが稼げるからで、それを読みたい膨大な層がいることを示しています。

自分が白人であるということ以外に「誇るもの」のないひとたちが「白人アイデンティティ主義者」です。彼らがトランプ支持の中核で、どんなスキャンダルでも支持率が40%を下回ることはありません。同様に、安倍政権の熱心な支持者のなかに、日本人であるということ以外に「誇るもの」のない「日本人アイデンティティ主義者」すなわちネトウヨがいます。

彼らの特徴は、「愛国」と「反日」の善悪二元論です。「愛国者」は光と徳、「反日・売国」は闇と悪を象徴し、善が悪を討伐することで世界(日本)は救済されます。古代ギリシアの叙事詩からハリウッド映画まで、人類は延々と「善と悪の対決」という陳腐な物語を紡いできました。なぜなら、それが世界を理解するもっともかんたんな方法だから。

ネトウヨに特徴的な「在日認定」という奇妙な行為も、ここから説明できます。自分たち=日本人と意見が異なるなら「日本人でない者」にちがいありません。事実かどうかに関係なく、彼らを「在日」に分類して悪のレッテルを貼れば善悪二元論の世界観は揺らぎません。

今上天皇が朝鮮半島にゆかりのある神社を訪問したとき、ネットでは天皇を「反日左翼」とする批判が現われました。従来の右翼の常識ではとうてい考えられませんが、この奇妙奇天烈な現象も「朝鮮とかかわる者はすべて反日」なら理解できます。

ところが「沖縄」に対しては、こうした都合のいいレッテル張りが使えません。「在日」に向かっては「朝鮮半島に叩き出せ」と気勢を上げることができますが、基地に反対する沖縄のひとたちを「日本から出ていけ」と批判すると、琉球独立を認めることになってしまうからです。

こうして沖縄を批判するネトウヨは、「反日なのに日本人でなければならない」という矛盾に直面することになります。これはきわめて不愉快な状況なので、なんとかして認知的不協和を解消しなければなりません。「翁長知事は中国の傀儡」とか「反対派はみんな本土の活動家」などの陰謀論が跋扈するのはこれが理由でしょう。――都合のいいことに、探せば本土から来た市民活動家は見つかります。

ネトウヨは、「日本人」というたったひとつしかないアイデンティティが揺らぐ不安に耐えることができません。「絶対的な正義」という幻想(ウソ)にしがみついているからこそ、平然と死者を冒瀆してまったく意に介さないのです。

参考:高麗神社参拝の天皇陛下を「反日左翼」と呼ぶ人たち

『週刊プレイボーイ』2018年8月27日発売号 禁・無断転

「保守のジャンヌ・ダルク」はどこで地雷を踏んだのか? 週刊プレイボーイ連載(349)


自民党に所属する保守派の女性議員が雑誌への寄稿で、「LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)」に対し、「彼ら彼女らは子供をつくらない、つまり「生産性」がないのです」と述べたことが激しい批判にさらされています。

これまでこのコラムで何回か、「世界の価値観はリベラル化しており、日本も半周遅れで追随している」と書きました。しかし今回の事件は、日本の「右傾化」を象徴しているのではないでしょうか。

その後の展開を見るかぎり、じつはそうともいえません。

「中国」や「韓国」、「リベラル」には過剰なくらいの批判(しばしば罵詈雑言)をしている右派論壇のひとたちは、この件については奇妙なことにみな沈黙を守っています。私が目にした唯一の「擁護」は「新しい歴史教科書をつくる会」創設メンバーの一人である藤岡信勝氏によるもので、「「『生産性』という言葉は(中略)引用符が施されており、(中略)誤読に基づく冤罪というべきものだ」でした。慰安婦問題などでこの女性政治家を「保守のジャンヌ・ダルク」と持ち上げていたひとたちは、いったいどこにいってしまったのでしょう。

自民党内にも彼女の主張を擁護する声はほとんどなく、9月の総裁選で安倍首相のライバルである石破茂氏や野田聖子氏ははっきり批判していますし、「人それぞれ政治的立場、色んな人生観もある」と庇った二階俊博幹事長も、同じ会見で「多様性を受け入れる社会の実現を図ることが大事」と述べています。それぞれニュアンスの差はありますが、保守派議員のなかでも四面楚歌になっていることは間違いありません。

この女性政治家は母子家庭や生活保護を「自己責任」と批判してもいましたが、驚いたことに今回の問題ではいっさいの説明を拒絶しています。自らの意見を開陳するのは思想・表現の自由でしょうが、国会議員は多額の税金を受領しているのですから、一般人はもちろん言論人と比べても重い説明責任を負っています。それを放棄するのでは、「弱い者には厳しく自分に甘い」といわれてもしかたないでしょう。

私の考えでは、世界は「リベラル化」と同時に「アイデンティティ化」しており、日本ではそれが「日本人」という脆弱なアイデンティティを守ろうとするかたちで表われます。これが「日本」を攻撃する(と思われている)者たちへの強い反発(嫌韓・反中、朝日ぎらい)になるのですが、逆にいえば「日本」に関係ないことはリベラルでかまわないのです。

「ネトウヨ」と呼ばれるひとたちは、「反日」だけでなく、「フェミニズム」「夫婦別姓」「LGBT」はたまた「ベビーカー」までさまざまな“弱者利権”を攻撃しますが、じつはこうしたテーマはリベラル化が進むなかで大衆的な支持を得ることができなくなっています。「すべてのひとが平等に、もって生まれた可能性を最大化できる社会を目指すべきだ」という意味でのリベラルを否定し、前近代的な日本の「伝統」を称揚するひとは右派論壇や保守派の政治家でもどんどん減っています。

ところが件の女性政治家は、「ネトウヨ」的な主張をすればするほど「ジャンヌ・ダルク」ともてはやされると思ったのでしょう。この勘違いで地雷を踏み、バッシングするつもりがバッシングの標的になってしまったのです。

参考:朝日新聞2018年7月27日「杉田氏「生産性」発言に広がる批判 自民党本部前で抗議」

『週刊プレイボーイ』2018年8月20日発売号 禁・無断転

第78回 チケット転売は不道徳か(橘玲の世界は損得勘定)


6月末から7月半ばまでロシアを訪れ、日本サッカーの歴史に長く語り継がれるであろうベスト16のベルギー戦を含む4試合を観戦した。

この話をすると必ず、「チケットはどうやって入手したんですか?」と訊かれる。ワールドカップを観に行こうと決めたのは開幕の1カ月ほど前で、すでにチケットの販売期間は終わっていたから再販(リセール)で入手するしかない。

日本では人気アイドルグループなどのコンサートチケットが高額で転売されているとして問題になっているが、ワールドカップも同じで、FIFA(国際サッカー連盟)はオフィシャルのリセールしか認めていない。だがこれは定額での再販になるので、抽選で運よく人気試合を引き当てたひとは、当然のことながら、高値で転売できる民間のサービスを利用しようとする。

さらに問題なのは、今回はじめて導入されたFAN IDというシステムだ。ラミネート加工された顔写真入りのIDで、スタジアムに入場する際に携行を義務づけられている。FAN IDはチケットを入手したのちネットで申請し、日本まで郵送してもらう。それを考えれば、購入できるかどうかわからない正規の手段に頼るわけにはいかない。

ワールドカップのチケットは購入者の名前が印字されており、再販で購入した場合は他人名義になる。そのためFIFAはネットで名義変更できるようにしているが、これは新しい所有者の名前を印字したチケットが再発行されるのではなく、サーバーのデータを修正するだけだ。その結果、名義変更したひとも他人の名前のチケットで入場することになる。

「民間業者で購入した転売チケットでスタジアムに入場できるか」がしばしば議論になるが、身分証明書(FAN ID)の名前とチケットの名義を照合し、他人名義の場合は名義変更されているかをいちいち確認していては大混乱になってしまう。こうして、「チケットをもっていればどんどん入場させる」ということになる。

これは厳密にはルール違反だが、その一方でFIFAに改善するつもりがまったくなさそうなところを見ると、こうした現状を黙認しているともいえる。市場原理に頼らなければ効率的にチケットを流通させられないのだ。

もっとも合理的なのは、チケットを電子化したうえで、FIFA自体が転売市場を運営することだろう。これなら、自国チームが敗退してもチケットを転売できないとか、たまたま休みが取れたがチケットが手に入らないといった残念な事態を最小化できるだろう。

なぜこれが実現できないかというと、「チケットで金儲けするな」との批判があるからだろうが、抽選が道徳的で、お金を出して購入するのが不道徳だという理由はない。抽選は公平ではなく、運のよさで希望者を「差別」している。

ちなみに、私が調べたときは決勝戦のチケットは最低でも70万円だったが、フランス×クロアチアに決まったあとは20万円まで下落していた。転売が常に儲かるわけではないのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.78『日経ヴェリタス』2018年8月12日号掲載
禁・無断転載