ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2014年5月公開の記事です。(一部改変)

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イエス・キリストが磔刑に処せられたのは12使徒の1人ユダが裏切ったからだ――。新約聖書にこう書かれたことで、ヨーロッパではユダヤ人は裏切り者(キリストの敵)と見なされ、迫害の対象となった。
だがちょっと考えればわかるように、イエス自身が「ユダヤ人の王」を名乗り、弟子のほとんどもユダヤ人だったのだから、これは言い掛かりもはなはだしい。キリスト教を受容する過程のなかで、いつのまにかイエスや弟子たちが自分たちと同じヨーロッパ系白人になり、ユダヤ人差別を正当化するためにユダだけがユダヤ人とされたのだ。
キリスト教の歴史のなかで、こうした史実の改変はあちこちで行なわれている。
私たちは欧米経由でキリスト教を理解しているため、無意識のうちにヨーロッパ中心主義を当然のものとしてしまう。宗教革命以前は西ヨーロッパのキリスト教はカトリックだったから、これはカトリック(バチカン)中心史観でもある。
それでは、バチカンが隠蔽し改竄しなければならなかった歴史とはいったい何だろう。それは、「もうひとつのローマ」の存在だ。
初期キリスト教は「ギリシア人の宗教」
イエスの死後、キリスト教は邪教としてローマ帝国の弾圧にさらされた。なかでも“暴君”ネロがローマ大火をキリスト教徒による放火として信者を処刑し、初代ローマ教皇ペテロが逆さ十字にかけられて殉教したことは広く知られている。こうした逸話から、カトリック史観では、初期キリスト教の歴史はエルサレムからいきなり帝都ローマへと移る。
しかしこれは、徒歩やロバで移動するしかなかった当時の交通事情を考えればあり得ない話だ。
キリスト教は、ユダヤ教の選民思想を否定することですべての民族に開かれたグローバル宗教となった。だがこれは、当のユダヤ人にとってはキリスト教を積極的に信仰する理由がない、ということでもある。わざわざ自分たちの既得権(全知全能の神によって選ばれた民族)を放棄する理由はないからだ。
それでは初期のキリスト教はどこで、誰に対して布教を行なったのだろう。
どこで、というのは地図を見れば明らかだ。エルサレム(ユダヤの土地)で布教が進まないのであれば、まずは近くの都市を目指すほかないない。
当時、エルサレムからもっとも近いローマ帝国の大都市はナイル川の河口にあるアレクサンドリアだった。その名のとおりアレクサンドロス大王のエジプト遠征によってつくられた都市で、クレオパトラの死とともにローマ帝国に編入された。
アレクサンドリアに次いでエルサレムに近い大都市は、地中海に面したアナトリア半島(現在のトルコ)西端のアンティオキアだった。アンティオキアはアレクサンドロス大王の後継者の1人ニカトル(セレウコス1世)が築いたセレウコス帝国(セレウコス朝シリア)の首都で、シルクロードの出発点として繁栄し、ローマ、アレクサンドリアと並んでローマ帝国の三大都市とされた。
それでは、初期のキリスト教は誰に対して布教したのか。
アレクサンドロスやアンティオキアはアレクサンドロス大王の遠征によって誕生した都市だ。マケドニアの王子として生まれたアレクサンドロスは、アリストテレスを家庭教師とした古代ギリシア文明の正統な後継者だった。この古代ギリシア文明が、アレクサンドロス大王の東方遠征によって各地に伝播し、古代オリエント文化と融合したのがヘレニズム文化だ。
アレクサンドリアもアンティオキアもヘレニズムを代表する都市で、ひとびとはギリシア語を話し、ギリシアの学問や古典に親しみ、オリンポスの神々を信仰していた。すなわち、彼らは「ギリシア人」だった。
イエスの生きた紀元前後は、アテネやスパルタといった古代ギリシアのポリスは衰退し、文化や学問の中心はアレクサンドリアをはじめとする地中海沿岸の諸都市に移っていた。キリストの教えを最初に受容したのは、こうしたヘレニズム(ギリシア)の知識人たちだった。
初期のキリスト教は、「ギリシア人の宗教」として始まった。だからこそ新約聖書は、ギリシア語で書かれているのだ。
「ヨーロッパ文明は、ヘブライズム(キリスト教)とヘレニズム(古代ギリシア文明)の融合だ」といわれる。ここでいう「ヘレニズム」は、ルネサンスの時期に西ヨーロッパで“再発見”された古典古代のことを指している。だがこれも歴史の歪曲で、イエスの死の直後から、アレクサンドリアやアンティオキアといったギリシア人の都市でキリスト教とヘレニズムは融合していた。
その当時、ローマは政治の中心ではあっても文化的には劣っていると見なされていた。ローマのひとびとはラテン語を使っていたが、知識層はギリシア語でギリシアの古典を学んでいた。そんなローマに、文化の中心だったギリシア(ヘレニズム)世界から最先端の思想/宗教としてキリスト教が伝えられたからこそ、弾圧にもかかわらず急速に信者を増やしていったのだ。 続きを読む →
