日本の若者はほんとうに「内向き」なのか?(週刊プレイボーイ連載663)

アメリカ大リーグの年間チャンピオンを決めるワールドシリーズは、大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希の日本人3選手が所属するロサンゼルス・ドジャースが、カナダのトロント・ブルージェイズを4勝3敗で破り、2年連続9回目の優勝を果たしました。いずれも熱戦で、日本時間では朝からのテレビ中継にもかかわらず、いまもその興奮を覚えているひとも多いでしょう。

それに先立って10月に行なわれたサッカーの日本対ブラジルの親善試合では、前半に2点を奪われたものの後半に3点を奪い返し、日本のサッカー史上はじめて王者ブラジルを破りました。この試合で先発した日本代表の選手は全員がヨーロッパでプレイしており、ベンチメンバーを含めた25選手のうちJリーグに所属しているのは6人だけでした。

この10年以上、「日本の若者は内向きになった」とずっといわれてきました。その根拠とされたのが海外の大学への留学生の減少で、2004年の約8万3000人から減少をつづけ、2010年代には5万人台に落ち込んでしまいます。とりわけ顕著なのはアメリカ留学で、1994年から98年までは留学生のうち日本人学生が占める割合が1位だったのに、現在ではインド、中国に圧倒され、東アジアでも日本より人口の少ない韓国や台湾にも及ばず、上位10位にすら入りません(ただしコロナの入国制限が緩和されはじめた21年以降、短期留学を中心に留学生数は回復傾向にあります)。

こうして「日本の若者は海外への興味が薄れて内向き化している」とメディアがさかんに報じ、大学だけでなく、官民をあげてその対策に乗り出すようになりました。しかし、ほんとうに日本の若者が海外に興味がないのなら、なぜ毎年多くの若い野球選手やサッカー選手が海を渡るのでしょうか。

この謎は、若者は「内向き」になっているのではなく、合理的な選択をしていると考えれば簡単に解くことができます。

グローバルなスポーツであるサッカーの頂点はヨーロッパリーグで、そこで活躍すればとてつもない名声と富を手にすることができます。サッカーは選手寿命が短く、活躍できる全盛期はせいぜい10年ほどでしょう。海外移籍によって失うものよりも、得られると期待できるもののほうがずっと大きいからこそ、日本人の若いサッカー選手は「外向き」になって次々と海外を目指すのです(こうした事情は野球も同じでしょう)。

それに対して少子化の続く日本では、稀少性のある若者の価値は上がり、いまでは大卒の内定率は90%を超え、選り好みしなければ誰でも就職できます。そのうえ日本の会社は、あいかわらず新卒一括採用という「年齢差別」を続けているので、長期の留学は就活で不利になりかねません。だとしたら、わざわざ大きなコストをかけて留学するよりも、「ぬるい」日本で楽しく暮らしたほうがいいと考えるのも当然でしょう。

なお調査によれば、Z世代の幸福度はきわめて高く、「一応満足」「まあ幸せ」「まあ楽しい」を加えると、人生を謳歌している日本の若者は8割を超えているようです。

博報堂生活総合研究所『Z家族 データが示す「若者と親」の近すぎる関係』光文社新書

『週刊プレイボーイ』2025年11月17日発売号 禁・無断転載

バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち(前編)

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2013年10月公開の記事です。(一部改変)

Fabrizio Maffei/Shutterstock

******************************************************************************************

ロンドンの中心部にある金融街シティが中世から続く“自治権”を有し、「国家のなかのもうひとつの国家」になっていることはあまり知られていない。

参考:イギリスは謎の組織シティに支配されているのか

同様にヨーロッパには、複雑な歴史的経緯のなかで「主権」や「自治権」という法外な特権を手にした小国や地域がいくつもあり、それらの多くがタックスヘイヴンとなっている。シティと並ぶヨーロッパの代表的な「国内タックスヘイヴン」がバチカンだ。

バチカン銀行をつくった男ノガーラ

バチカン市国はサン・ピエトロ大聖堂を中心とするわずか0.44平方キロメートルの敷地に800人ほどの「国民」が暮らす世界最小の主権国家だが、全世界で12億人(世界人口の17.5%)といわれるカトリック信者への絶大な権威を有している。バチカン政府であるローマ教皇庁はカトリックの最高位である枢機卿団によって統治され、その代表がローマ教皇(法王)だ。

バチカンの起源は4世紀にこの地が聖ペテロの墓所とされ、教会が建立されたことだとされている。その後、1626年に現在のサン・ピエトロ(聖ペトロ)大聖堂が完成すると、ローマ教皇の座所としてカトリックの総本山となった。

ローマ教皇は19世紀半ばまでイタリア中部に広大な教皇領を保有していたが、フランス革命とナポレオン戦争に端を発した国民国家の建設運動のなか、1870年にバチカン以外の教皇領がイタリア王国によって接収され、ローマ教皇庁はイタリア政府との関係を断絶した。

この難題を解決したのがファシスト党のムッソリーニで、1929年のラテラノ条約によって、教皇領の権利放棄と引き換えにバチカンの「主権国家」としての地位とイタリアに対する免税特権を保証した。このときムッソリーニは、バチカン市国以外の領地を放棄する代償として7億5000万リラ、現在の時価に換算して約1000億円を支払うことに合意している。この補償金が、その後の“バチカン株式会社”の資本金となった。

当時の教皇ピオ11世は財産管理局を新設し、ベルナルディーノ・ノガーラというユダヤ人にその管理を任せた。ノガーラ家はユダヤ教を捨ててカトリックに改宗しており、兄は神父として教皇に仕えていた。

ノガーラの投資家としての手腕には目を見張るものがあった。大株主となった企業には教皇の親族を経営陣に送り込み、損害を被りそうになるとムッソリーニに高値で買い取らせ、第二次世界大戦でイタリアの敗北を予測するや資産を金塊に替えて巨額の利益を得た。

戦後はロスチャイルド、クレディ・スイス、JPモルガン、チェースマンハッタンなどの金融機関を通じて世界市場に投資し、ゼネラルモーターズ、シェル、ガルフ石油、IBMなどの大株主となった。また不動産投資にも積極的で、パリのシャンゼリゼの1ブロックを所有し、世界一の高さを誇ったモントリオールの証券取引所タワーやワシントンの名門ウォーターゲートホテルを購入した。

1942年、バチカンは宗務委員会を宗教事業協会に改組し、これが後に「バチカン銀行」と呼ばれるようになる。

1958年にノガーラが死んだとき、バチカンは少なく見積もっても10億ドルの資産を保有し、そこから毎年4000万ドルの利益を得ていた。ある枢機卿は、「イエス・キリストの次にカトリック教会に起こった大事件はノガーラを得たことだ」とまで述べた。 続きを読む →

高市政権成立は予定調和(週刊プレイボーイ連載662)

高市早苗政権の支持率は70%前後で、トランプ米大統領の来日も無事にこなし、順調に船出したようです。そこで今回は、時間をすこし巻き戻して、日本ではじめての女性首相が誕生するまでの経緯を簡単に振り返ってみましょう。

公明党はもともと、支持母体である創価学会員の高齢化や信者の減少から近年の選挙では苦戦が続いており、支持者のあいだに、このまま自民との連立を続けていても利用されるだけ、との不満があったとされます。

公明党代表の斉藤鉄夫氏は高市新総裁に対して、「政治とカネ」問題で企業・団体献金の規制強化を強く求めましたが、これは自民党にとって簡単には飲めない提案なので、会談前から連立解消を決めていたのでしょう。党勢の衰退が避けられないのなら、せめて熱心な支持者だけでも固めておかなくてはならない、というわけです。

企業・団体献金が問題になるのは、その96%(約80億円)を自民党が受け取っており、それによって全国各地の政党支部の活動を支えているからです。逆にいえば、それ以外の政党は企業・団体献金を全面的に禁止しても“損害”が少ないため、自民の「金権体質」を責める格好の材料となっています。

民主政の大原則は市民(個人)が主権者として政治にかかわることですから、法人(企業・団体)が政党や政治家に献金するのは居心地が悪いのはたしかで、フランスやカナダのように禁止している国もあります。とはいえ、個人の政治献金の文化のない日本で法人の献金を禁じれば、国家が税金で政治家を丸抱えするしかなくなる、という別の問題が生じるでしょう。

公明党の連立離脱によって、自民だけでは過半数に達せず、野党が組めば政権を奪取できる可能性が出てきました。思ってもいなかったのこの機会に、野党第一党の立憲民主党は、人気の高い国民民主党の玉木雄一郎氏を総理大臣に担ぎ上げるという奇策に打って出ます。

とはいえ、衆議院の議席は立民が148、国民民主が27で5倍以上の差があります。立民にとっては、玉木氏が首相になっても主要閣僚を自分たちで押さえてしまえば、好きなように政権を運営できるという思惑があったのでしょう。これはあまりに見え透いていますから、いいように利用されるのを警戒した玉木氏が、「政策の一致」を掲げて抵抗したのは当然です。

とはいえその国民民主も連合の支援を受けている以上、自民と連立を組むのはかなり高いハードルです。そうなると、消去法で連立相手は維新しか残りません。

自民はどこかの野党と組まなくては政権をつくれないわけですから、これは自分を高く売り込む千載一遇のチャンスです。維新の吉村洋文代表にとって、不安定な野党連合の一員になるよりも、高市政権に恩を売って大阪の副首都構想を推進し、党の悲願である「大阪都」を実現することのほうがずっと魅力的だったことは間違いありません。そこで、自民が飲めない「企業・団体献金の禁止」ではなく、衆議院の議員定数削減を提案して「政治改革」を演出しようとしたのでしょう。

このようにすべてが終わってみれば、大騒ぎしたわりには、ものごとは予定調和で進んだことがわかるのです。

参考「献金見直し 動かぬ自民」(朝日新聞2025年10月23日)

『週刊プレイボーイ』2025年11月10日発売号 禁・無断転載