フランス大統領エマニュエル・マクロンと純化したエリート社会

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年5月5日公開の「「傲慢なエリート」の典型であるマクロンはなぜ39歳でフランス大統領になることができたのか?」です(一部改変)。

Antonin Albert/shutterstock

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2020年4月24日に行なわれたフランス大統領選の決選投票で、現職のエマニュエル・マクロンが国民連合のマリーヌ・ルペンを下して再選を決めた。とはいえ、「圧倒的に有利」とされたマクロンの得票率は59%で、ロシアのウクライナ侵攻でプーチンとの親しい関係が批判されたルペンは前回(2017年)から7ポイント伸ばした41%を獲得した。投票率は過去2番目に低い72%で、有権者の関心が低いというよりも、「ネオリベ」と「極右」では選択のしようがないと棄権した者も多かったのだろう。

2018年に始まった「黄色いベスト(ジレジョーヌ)運動」は、燃料価格の上昇(税率の引き上げ)への抗議行動だが、それがコロナ禍で中断されるまで1年以上続いたのは、「傲慢なエリート」の典型と見なされたマクロンへの反発が大きかったようだ。実際、マクロンの次のような発言は強い批判を浴びた。

彼ら失業者は自分でどんどん動けばいいのだ。道を渡るだけで仕事は見つかるのだ。小さな企業を自分で起ち上げればいいのだ。望めばなんでもできるはずだ。

生活難に苦しむ人々の中には、よくやっている人たちもいますが、ふざけた人たちもいます。

そもそもこんなマクロンがなぜ、2017年に弱冠39歳で大統領になれたのか? それが知りたくて、日本人にはあまり馴染みのないフランスの教育制度とマクロンの経歴を調べてみた。

フランスはエリート主義の社会

フランスで中央集権化が進んだのは絶対王政期で、革命(1789年)によって「中央」にいるはずの王や貴族階級が一層されたことで官僚機構だけが残った。共和国は、官僚制によって統治する以外になくなった。

早くも1794年には、革命を主導した国民公会(ジャコバン派)によって、技術者を養成する「理工科学校(エコール・ポリテクニーク)」と、リセ(高校)の教授の養成を目的とする「高等師範学校(エコール・ノルマル)」が設立された。

この両校は現在でもフランスの高等教育機関の頂点にあり、理工科学校の成績トップから11番目までの最優秀者は「技師」、25番目までは「土木技師」という革命当時のままの称号を与えられ、超エリートとして行政機関に採用される。一方、高等師範学校で「教授資格(アグレガシオン)」を取得した者は「アグレジェ」と呼ばれ、フランスにおける「(文系)知的エリート」の象徴とされている。

フランスの教育制度を国家の統制下で整備したのはナポレオンで、1802年には国立のリセを創設して古典学中心の教育を復活させ、08年には「業績」と「平等」の原理に基づく選抜制度として「バカロレア」が発足した。これは中国の「科挙」に範をとったもので、家柄ではなく試験の結果(学力)を重視した教育制度はヨーロッパでは画期的だった。

フランスは小学校5年制、中学校(コレージュ)4年制で、中学卒業時に普通高校と職業系高校に振り分けられる。日本との大きなちがいは、生徒が進学先を決めるのではなく、各校に設けられた「評議会」で決定されることだ。国立のリセは無償だからで、本人が普通高校を希望しても、評議会で職業高校と決められてしまうとその決定を覆すのは難しいという。

全生徒のおよそ6割が普通高校に進み、3年生(最終年)で論述と口頭のバカロレアを受験する。これは「大学入学資格試験」といわれるが、正しくは高校の卒業試験で、バカロレアに合格しないと高校を卒業できない(留年して翌年もういちど挑戦することになる)。

日本とのもうひとつの大きなちがいは、大学(ユニベルシテ)が国立で授業料無料であることと、バカロレア合格者はどの大学でも自由に入学(登録)できることだ。だったらソルボンヌなどの名門大学に入ればいいではないかと思うが、そのぶん卒業が難しく、8割以上が大学卒業資格を得られないという。

登録自由のユニベルシテに加えて、「グランゼコール」という「入学試験のある大学」がある。グランゼコールは200校あまりあるが、試験の難易度によって厳密に序列化されていて、理工科大学と高等師範学校のほか、行政官を養成する「パリ政治学院(シアンスポ)」がエリートの登竜門とされている。

ユニベルシテに進むならバカロレアにさえ合格すればいいが、グランゼコールを目指す場合は、バカロレア取得後に「グランゼコール準備級(CPGE)」に入らなければならない。これは大学の教育課程(1~2年生)に相当するが、そのための教育施設があるわけではなく、一部のリセ(高校)に併設された「特進コース」のようなものだ(準備級に進むのは普通高校の10%程度とされる)。この準備級を終えて、はじめてグランゼコールの入学試験を受けることができる。

ドゴールが設立した「国立行政学院(ENA)」は官僚養成のための大学院大学で、グランゼコールの成績優秀者が進学し(その多くはシアンスポ卒業生)、上位の優秀者のみがエリート官僚への道である「大官僚団」の一員になれる。ENA卒業生は「エナルク」と呼ばれ、そのなかで最上位の1番から3番ぐらいまでが財務監査総局、次の4人ぐらいが国務院、その次の4人ぐらいが会計検査委に採用され、法案作成作業などの実務に従事する。

国立のエリート養成機関であるENAは授業料無料であるばかりか、在学中は給料が支払われる。その代わり、卒業後10年間は公務員として働く義務を負い、その後は大企業の社長や副社長として「天下り」する。このエナルクによる支配は「エナルシー(エナ帝国)」と呼ばれる。

このようにフランスで「エリート」になるためには、きびしい選抜を勝ち抜いて同世代のトップ数十人に入らなければならない。逆にいえば、いったんエリートの地位を得てしまえば、死ぬまでずっとエリートのままだ。公的な社会的地位でいえば、それは20代前半で決まってしまい「再チャレンジ」の道はない(ENAはエリート主義の象徴として批判され、2022年1月に新設の「国立公務学院」に統合された)。

マクロンは「パリ政治学院(シアンスポ)」から「国立行政学院(ENA)」に進み、財務監査総局に採用された超エリートだった。だからこそ、30代で政治経験が乏しくても大統領を目指す資格があると見なされたのだ。

16歳で24歳年上の既婚女性と恋に落ちる

エマニュエル・マクロンはフランス北部の地方都市アミアン(ソンム県)で1977年、神経学者の父と医師である母の長男として生まれた(第一子は死産)。弟と妹の三人きょうだいで、両親は1999年に別居、2010年に離婚している。

ジャーナリスト、アンヌ・フルダ(パリ政治学院卒)の『エマニュエル・マクロン フランス大統領に上りつめた完璧な青年』(加藤かおり訳/プレジデント社)によると、マクロンは子どものときから神童として知られ、5歳のときに文字が読め、物覚えがあまりによいので母親は記憶異常を疑ったほどだという。幼少期から青年時代までのその軌跡は、控えめにいっても「ふつう」とはかなり異なっている。

子ども時代のマクロンに大きな影響を与えたのは、祖母のマネットだった。第一次世界大戦の最中に生まれ(1916年生)、貧しい家庭に育ったマネットは、高校卒業後に通信教育で文学を学んで教員免許を取得、中学校校長として引退するまで教鞭をとった。娘夫婦の近所で老後を送っていたマネットは、この「尋常ならざる孫」と特別な絆を結ぶことになる。

小学校(アミン音楽学校)の頃のマクロンは、友だちと遊ぶよりも、マネットの家で二人で過ごすことを好んだ。マネットはこの孫に文法や歴史、地理を教えるだけでなく、モリエールやラシーヌなどの古典を朗読させた(ジッドやカミュも好んで読んだ)。学校でも同世代の子どもより教師と仲がよく、授業のあとは歴史の教師と熱心に話し込んだという。両親は無神論者だが、マクロンは12歳の時に自分の意思でローマ・カトリックの洗礼を受けている。

この祖母との絆は、中学・高校時代はもちろん、2013年に97歳で彼女が亡くなるまで続いた。マクロンは財務監査官のあと、ロチルド(ロスチャイルド)銀行の投資銀行家になるが、そのときも毎日欠かさず祖母に電話し、ときに1時間ちかくに及ぶこともあった。この習慣は大統領府の副事務総長を務めていたときも続き、マネットは死の床につく直前まで、この最愛の孫(うっかり「私の子」ということもあった)と深い交流を続けた。

ここまでは「おばあさん思いの孫」という美談だが、困惑するのは、マクロンが「祖母を思い出さない日は、そのまなざしを探さない日は一日もない」と自著に書く一方で、実の父母への言及がほとんどないことだ。そのことで、とりわけ母親のフランソワーズはずっと苦しんできた。息子と険悪な関係になっているわけではないものの、まるで自分たちの存在がなくなってしまったかのようなのだ。

よく知られているように、マクロンは16歳のとき、高校の演劇クラブを指導していたブリジッド・オジエールという女性教師と恋に落ちる。ブリジッドは24歳年上で、当時39歳だった。マカロンで有名な老舗菓子店を営む名家の出身で、銀行家の夫と3人の子どもがおり、長女のローランスは高校でマクロンの同級生だった。

当然、この禁断の恋はマクロン家に大きな混乱をもたらしたが、だからといって息子を勘当したり、二人の仲を裂こうとしてパリの高校に転校させたわけではないと両親はいう(高校3年でグランゼコール準備級のある学校に移ることはマクロン自身が希望した)。

「私たちは普通の親と同じようにごく平凡に子育てをした」と、父のジャン=ミシェルは数少ないインタビューでこたえている。「メディアがつくり出した話は不愉快で、あまりにも事実をねじ曲げ、単純化している」

実の両親がこのように“弁解”しなくてはらないのは、息子がいつの間にか自分たちを置き去りにして、この年上の妻と別の「家族」をつくりあげてしまったからだ。

マクロンはブリジッドと結婚すると決めたときに、自分の子どもをもつことをあきらめている。24歳という年齢差やこの決断はやはり「ふつう」ではないので、「マクロンは同性愛者ではないか」との根強い噂があるという。もちろんほんとうのことは本人たちにしかわからないが、もしそうであれば、ブリジッドはなにもかも捨てて教え子との「愛」を選ぶことはなかったのではないか。

マクロンは父母だけではなく、のちに医師になった実の弟や妹とも疎遠になっているという。その代わり、ブリジッドの長女ローランス(高校の同級生)はマクロンの熱心な支持者の一人で、弁護士になった次女のティファニーも一時期、マクロンの選挙運動本部で働いていた。妻のブリジッド、選挙活動を手伝ってくれる義理の子どもたちと孫たちが、彼にとっての「家族」なのだ(7人いるブリジッドの孫は、この若い祖父を“ダディ”と呼んでいるという)。

「性的な要素に欠けたドンファン」

マクロンは知的な年上の女性(祖母のマネットや教師のブリジッド)だけでなく、権力をもつ年上の男性にも魅了された。それは同時に、フランスの政財界の大物たちがこの「完璧な青年」の虜になったということでもあった。

マクロンに権力の扉を開いたのは、元レジスタンス闘士で、戦後、スーパーマーケット業界で財をなした「進歩的左翼」の実業家アンリ・エルマンで、ENA時代のマクロンに昼食会で出会ったとたんに夢中になった。エルマンはこの「理想の息子」にアパルトマンを購入する資金を貸し、ミシェル・ロカール元首相をはじめとする左派(社会党)の大物たちを紹介し、ブリジットとの結婚式では新郎の証人の一人になり、さらには大統領選に打って出るように背中を押した。

高校生の頃のマクロンの夢は小説家になることで、文系知識人の最高峰である高等師範学校を受験したものの2年つづけて落第し、「ブリジットと結婚するために」行政官を養成するパリ政治学院に入学した。同時にパリ第10大学の哲学コースにも登録して、そこで高名な哲学者ポール・リクールと「父子のようだ」といわれる関係を結んだ。

著名な知識人のジャック・アタリは、2007年にマクロンを経済自由化に関する「フランス成長解放委員会(通称アタリ委員会)」の報告者補佐に抜擢し、社会党のフランソワ・オランドを紹介した。12年にオランドが大統領になると、マクロンは35歳で大統領府副事務総長としてオランドの側近になり、14年にはジスカール・デスタン以来最年少で経済・産業・デジタル大臣に就任した。だが支持率低迷でオランドが再選を断念すると、この“恩人”をさっさと見限り、16年4月に政治団体「アン・マルシュ!(前進!)」(その後「共和国前進(LREM)」と改称)を結成し、大統領への道を歩むことになる。

マクロンは次々と年長の権力者を魅了し、その多くを冷酷に切り捨て、踏み台にしながら権力の頂点へと駆け上がっていくが、それをアンヌ・フルダは「性的な要素に欠けたドンファン」と評している。「相手を魅了して手に入れるという行為を、女性を次々とたらし込む性的なものとしてではなく、自分はすごいのだという自信を確認し続ける手段として捉えているドンファン」だというのだ。

マクロンの権力ネットワーク

マクロンの権力ネットワークのなかでも、(主にマクロンを批判する側からみて)もっとも重要な3人がベルナール・アルノー、グザヴィエ・ニール、ミミ・マルシャンだ。

アルノーはエコール・ポリテクニークを卒業したエリートで、ルイ・ヴィトンやクリスチャン・ディオールなどの高級ブランドを次々と買収して「フランス・ファッション界の帝王」「ファッションの法王」などと呼ばれるようになった大富豪だ。その個人資産は約2000億ドル(約30兆円)で、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスなどシリコンバレーの大物と肩を並べる唯一のフランス人でもある。

グザヴィエ・ニール(準備級に進んだがグランゼコールを受験できず、ユニベルシテで学んだ)はIT実業家で、ベルナール・アルノーの娘デルフィーヌと事実婚の関係にある。

ニールは高級紙のル・モンドをはじめとして複数の新聞・出版グループの共同経営者・大株主としても知られるが、これは投資というよりも「自分に不利なことを書かせないために、裁判よりずっと簡単な方法」だからだという。このように考えるのはニールだけでなく、「今日のフランスでは、10人の富める者が活字メディアの90%を所有している」とされる。ニールは2004年、自身が株主である複数のセックスショップ(売春斡旋組織ともいわれる)の資金の不正使用の疑いで1カ月拘留され、執行猶予付きの懲役2年の判決が出されている。

ミミ(ミシェル)・マルシャンは「セレブ雑誌界の“影の女王”」と呼ばれる女性で、セレブを対象としたフォトエージェンシーを経営し、「ミミは巷に出回っている写真を選別する。都合の悪い写真や迷惑な写真があれば鮮やかな手並みで問題を解決し、必要と判断すればやらせの盗撮を行ったりもする」(アンヌ・フルダ)とされる、パパラッチ(盗撮カメラマン)の元締めのような存在だ。

パリの社交界の演出家でもあるミミは、マクロン夫妻のPRを担当し、ブリジッドの親友となり、彼女を理想のファースト・レディに仕立て上げる役目を担った。ブリジッドのファッションをルイ・ヴィトンで統一したことで、フランス大統領夫人はLVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(ベルナール・アルノーのファッション帝国)にとって「理想の広告塔」になった。

あるジャーナリストによれば、ミミ・マルシャンは「500キログラムの大麻を載せたトラックを運転していた”刑務所に服役した元麻薬密売人”」で、グザヴィエ・ニールが拘留されていたのと同時期に刑務所に収監されていた。2人は同じ女性弁護士に依頼していて、その縁で知り合ったという。

その後、ニールはマクロンを将来の大統領としてバックアップするようになり、自らが所有するメディアを使って大々的にこの年の差婚のカップルを売り出した。その演出をしたのがミミで、ルイ・ヴィトンの取締役でもあるデルフィーヌ・アルノーと、父親のベルナールがその背後に控えている。すくなくともジャーナリストで弁護士でもあるホアン・ブランコは、このような「陰謀論」を主張している。

純化したエリート社会の閉塞感と絶望

ホアン・ブランコはポルトガル人の父(高名な映画プロデユーサー)とスペイン人の母(精神分析医)のあいだに1989年に生まれ、パリで育ち、パリ政治学院、高等師範学校、ソルボンヌ大学などで法律、政治学、文学などを学んで弁護士資格も取得したエリートだ。『さらば偽造された大統領 マクロンとフランスの特権ブルジョワジー』(杉村昌昭、出岡良彦、川端聡子訳/岩波書店)は、そんなブランコによるフランスのエリート社会への批判として話題になった(ブランコはWikiLeaks創設者ジュリアン・アサンジの国際弁護団の一員にもなった)。

ブランコは小学校まで公立学校に通っていたが、母親の勧めでパリ左岸の私立学校エコール・アルザシエンヌに転校する。そこは、「パリの文化的知識人の後継者を再生産し育て上げる場所」で、生徒は著名人や上流階級の子弟ばかりだった。「移民」出身のブランコは、成績は優秀だったものの、そんな雰囲気に馴染めなかったようだ。

パリの有名校での日々を、「足がかりを持たない者にとっては過酷な場所」だったとブランコは回想する。以下の記述は、日本の「お坊ちゃん、お嬢さん学校」でもまったく同じだろう。

(小学校から入学した)一番乗りの子どもたちは、在校期間の長さによってヒエラルキーが構成される学校では王子さまのような存在であり、(中学=コレージュが始まる)第六年級から入学した同期生、その他個別のあとから入ってきて一歩一歩追いつかなければならない者たちの上に立ち、幼年期から恵まれた位置を占める。そのため、小さい頃からの関係や仲間に関して積み重なった情報を利用して、生徒の中心的グループに入ることができる。

何人かいる「アウトサイダー」は、たいていは非常に優秀な成績のおかげで入学できた生徒か、外部から才能がある生徒を引き込むために作られた音楽科クラスの生徒であるが、ほとんどの場合、最も仲の良い中心グループが指揮して爪はじきにした結果である。服装、名前、訛り、その他のちょっとした仕草で社会的、文化的、経済的に異なる出自がわかってしまう生徒には、露骨に仲間外れの仕打ちが向けられる。

ガブリエル・アタルはマクロンから国民教育・青少年大臣付きの青少年担当副大臣に任命され、2018年、29歳で(第五共和制では)最年少の閣僚入りを果たした。アタルはブランコにとって、中学・高校とグランゼコール(パリ政治学院)の同級生で、「王子さま」の典型だった。

なかば私怨も入っているのだろうが、家柄がよく裕福というだけで(だからこそ私立学校からグランゼコールを目指せる)、なんの社会経験もない20代の若者(青二才)が権力の中枢の座を占め、「パンタクール(丈の短いズボン)に白のシャツで、素足のそばにロゼワインのグラスを置いて、セーヌ河畔で自信ありげにカメラに向かってポーズをとる」ようなことはとうてい容認できないとブランコは憤る。そして、マクロン政権のエリート主義に抗議する「黄色いベスト運動」を支援し、フランス社会の「秘密結社」のネットワークを暴く本を書くことになる。

ブランコがなぜエリートたちの交友関係を知っているかというと、自らも24歳のときにグザヴィエ・ニールにランチに招かれたエリート予備軍だったからだ。その日のことをブランコは、「スケジュールは詰まっていた。大使から権力者まで、会うのに忙しかった。『ル・モンド』編集長ナタリー・ヌゲレドともその夜に会うことになっていた」と書く。自分自身も、当時はイェール大学の講師でなんの実績もなかったにもかかわらず。

マクロンへの批判としては、左派政党「不服従のフランス」の国民議会議員でジャーナリストのフランソワ・リュファンによる『裏切りの大統領マクロンへ』(飛幡祐規訳/新潮社)も翻訳されている。リュファンはフランスの“見捨てられたひとたち”と「黄色いベスト運動」に深く共感しているが、マクロンと同郷で同じカトリックの名門私立高校を卒業している。

エリート主義が貫徹したフランスでは、エリートを批判するのもエリートになるほかはない。「純化した知識社会」では、学歴のない者の主張など誰も聞こうとはしない。エリートでなければ、「エリート社会」に異議を唱えることすらできないのだ。

フランスで頻発する街頭の抗議行動や、「極右」や「極左」の政党が支持を伸ばす背景には、純化したエリート社会への閉塞感と絶望があるのだろう。

禁・無断転載

年齢差別を克服するために「タイムマシン」をつくった女 週刊プレイボーイ連載(607) 

「事実は小説なり奇なり」という事件のひとつです。

警備会社で働いていた70歳の女性は、職場の男性の「ババア」という言葉が自分に向けられたものだと思い、年齢のせいで不当な扱いを受けていると感じます。

その頃女性は、ネットで「就籍」という制度を知りました。なんらかの事情で出生届が出されず、無戸籍になっているケースを救済するためのもので、家庭裁判所の許可を得て新たに戸籍をつくることができます。

そこで女性は、自分より24歳も若い46歳の妹の戸籍をつくり、その架空の妹になりすませば、「年齢に関係なく、気持ちよく、長く仕事ができる」と思いつきました。ここからの女性の行動力は、驚嘆すべきものあります。

まず、東京都内の無料法律相談所を訪れ、「妹の戸籍がないことに気づいたので作ってあげたい」と相談します。この話を信じた弁護士は、新たな戸籍を発行するための申立書を作成し、家裁に郵送します。

東京家裁で開かれた家事審判では、女性は「化粧をして普段より明るめの服装」をして妹になりすまし、姉である自分と一人二役をこなします。さらには夫の協力も得て、体調不良を理由に姉としては姿を見せられないときは、扮装した自分を夫に「妻の妹」だと説明させました。裁判所はこの「三文芝居」を見破れず、戸籍の発行を認めてしまいます。

架空の妹の戸籍を手に入れた女性は、住民票やマイナンバーカード、健康保険証などを次々と入手し、別の警備会社に就職し、給与の振込口座も新たに開設しました。これで完全な別人になり、タイムマシンを使わずに24歳も若返ることができたのです。

発覚のきっかけは、通勤のために妹の名義で運転免許証を取得しようとして、運転免許試験場で替え玉受験を疑われことでした。きょうだいや友人が本人になりすまして運転免許を取得しようとすることがあるからでしょうが、事情聴取した警察官も、まさか戸籍に記載された妹が実在しないとは思わなかったでしょう。

有印私文書偽造・同行使などの罪に問われた女性は、東京地裁の公判で、「言葉を選ばずにいうと、興味本位でやったことが大変なことになり、驚いている」と語りました。裁判官は「身分証明書の根幹を揺るがす悪質な犯行」だとして、懲役3年執行猶予5年(求刑懲役3年)の判決を言い渡しました。

この奇妙な事件でわかったのは、簡単に別人になれる戸籍制度の不備です。そもそも親が出生届を出さないと無戸籍になってしまうのが問題なのだから、病院で出産した場合はその記録に基づいて自動的にマイナンバーを発行し、親の情報と紐づけるようにすれば解決します。戸籍制度があるのはもはや(実質的には)日本だけで、世界の国々はこうした簡易な手続きで市民権を付与して、なんの支障もなく社会を運営しているのです。

ちなみにこの女性は、46歳の架空の妹として新たに就職した警備会社で、「任せてもらえる仕事が増え(本当の)自分が働くより仕事の幅が広がった」と感じたそうです。「年齢ではなく能力で判断してほしい」という主張は正当なものですが、そのための手段があまりに荒唐無稽だったようです。

参考:「偽戸籍作った女、猶予判決」朝日新聞2024年5月29日
「戸籍偽造事件 架空の妹演じ「24歳若返り」日本経済新聞2024年6月9日

『週刊プレイボーイ』2024年6月24日発売号 禁・無断転載

エマニュル・トッドの家族人類学はどこまで正しいのか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2016年3月3日公開の「「家族人類学」的には最善のはずのフランスで 深刻な移民問題が起きている矛盾」です(一部改変)。

HJBC/Shutterstock

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前回、フランスの人類学者エマニュエル・トッドの『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(堀茂樹/文春新書)を紹介したが、実は予定していたことの半分くらいしか書けなかった。トッドの主張は彼の「家族人類学」を前提としないと理解できないのだが、その説明に思いのほか手間取ったのだ。そこで忘れないうちに、残りの私見も述べておきたい。

参考:「「わたしはシャルリ」のデモを、エマニュエル・トッドの家族社会学から考える」

トッドは、ひとびとの価値観はどのような家族制度に育ったのかに強く影響されるという。人類の主要な家族制度は次の4つだ。

(1) 直系家族。父親の権威に従い、長子のみが結婚後も家に残りすべての財産を相続する。ヨーロッパのドイツ語圏のほか、アジアでは日本、韓国に分布。

(2) 共同体家族。父親の権威に従うが、兄弟が平等に相続し大家族を形成する。外婚制共同体家族(嫁を一族の外から探す)は中国、ロシア、東ヨーロッパなど旧共産圏に分布。内婚制共同体家族(イトコ婚など一族の内部で縁組する)は北アフリカや中東などアラブ/イスラーム圏に分布。

(3) 平等主義核家族。成人すると子ども全員が家を出て独立した家庭を構え、財産は兄弟(姉妹)のあいだで平等に相続する。ヨーロッパではパリ盆地やイベリア半島、イタリア西北部・南部に分布し、植民地時代に中南米に拡大した「ラテン系核家族」。

(4) 絶対核家族。成人した子どもが独立するのは同じだが、財産は遺言によって不平等に相続される。イングランドやオランダ、デンマークなどに分布し、植民地時代に北米やオーストラリアに拡大した「アングロサクソン型核家族」。

ほとんど国は「一地域一家族制度」だが、トッドによれば、フランスは世界でも特殊な地域で、この4つの家族制度がすべて存在するという。とりわけパリと地中海沿岸(ニースやマルセイユ)の平等主義核家族と、ピレネー山脈に近い南部の直系家族の対立が中世以来のフランスの歴史をつくってきた。それに加えて近年は北アフリカからの移民(内婚制共同体家族)が存在感を増し、この3つの家族制度の混在とグローバル化によってフランスの古きよき共和主義は崩壊しつつある、というのがトッドの診断だ。

「家族人類学」には反証可能なエビデンスがない

トッドの家族人類学はきわめて刺激的なもので、「マルクス主義以降の最も巨視的な世界像革命」と呼ばれたりもするが、アカデミズムのなかで正当な扱いを受けているとはいえない。その理由のひとつは、反証可能なエビデンス(証拠)を提示できていないからだろう。

家族制度が価値観を規定するというトッドの理論では、共同体家族や平等主義核家族で育てば「社会は平等であるべきだ」と考えるようになり、直系家族や絶対核家族に生まれれば「社会に格差があるのが当たり前だ」と思う。この仮説が正しいかどうかを検証するのはそれほど難しくないだろう。

社会心理学ではひとびとの価値観の偏りを調べるためのさまざまな実験が考案されている。代表的なのは最後通牒ゲームで、2人1組で分配者と受領者になる。分配者は賞金(たとえば1000円)を受領者と分け合うが、いくら渡すかは自由に決められ、受領者に交渉の余地はない。ただし受領者は分配者の提案を拒絶することができ、その場合賞金は没収される。

このとき2人が「合理的経済人」なら、分配者は999円を自分のものにし、受領者には1円を渡すだろう。受領者は、この提案を拒絶すればなにももらえないのだから、分配者からの1円を受け取って取引は成立するはずだ。

だがすぐにわかるように、現実にはこのようなことは起こらない。分配者が提示する金額があまりに少ないと、受領者はそれを理不尽と感じて提案を拒絶し、分配者を罰しようとするからだ。

分配者もそのことを知っているから、受領者が受け入れ可能な金額を提示しようとする。その金額は300円だったり400円だったりし、ときに500円のこともある。折半なら受領者は確実に取引に応じるから、利益が最小になる代わりに賞金没収のリスクもゼロになるのだ。

これはもっとも単純な経済ゲームだが、ここから分配者や受領者の「正義感覚」を知ることができる。「社会は平等であるべきだ」と考えるなら、分配者は折半に近い金額を提案するだろうし、受領者はは不平等な提案を正義に反すると拒絶し、自分も相手も1円も受け取れない「平等」を選ぶだろう。逆に分配者と受領者がともに不平等=格差が当然と思っていれば、6:4や7:3など分配者に有利な比率で取引が成立するはずだ。

トッドによると、フランスには代表的な4つの家族制度がすべて揃っているという。だとすればそれぞれの地域出身の学生(および北アフリカなどからの移民)を集めてこの経済ゲームをやってみて、地域ごとに明らかな(統計的に有意な)ちがいがあるかどうかを調べてみればいい。家族制度によって取引成立の金額が異なるのなら、「家族人類学」の正しさの有力な証明になるだろう。

こうした実験を行なうのはさほど難しくはないし(被験者は地方出身の学生でいい)、その結果を他の研究者が別の方法で再現することもできる(たとえば直系家族(不平等)の日本人と、共同体家族(平等)の中国人では、最後通牒ゲームで分配する金額に差がでるはずだ)。だがトッドはこうした手法で自説を補強することには興味がないらしく、この魅力的な仮説は「科学」なのか「疑似科学」なのか判別できないままだ。

フランス型の同化がもっともすぐれた移民政策

エマニュエル・トッドは『移民の運命 同化か隔離か』(東松秀雄、石崎晴己訳/藤原書店)で欧米諸国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス)が移民をどのように扱っているかを比較検討している。この大著をあえて要約するなら、「それぞれの国は社会の基盤をなす家族制度に合ったやり方でしか移民を受け入れることができない」ということになる。

絶対核家族のイギリスは社会の根底に「不平等(格差)」があるから、白人のあいだで強固な階級社会をつくりだした。大英帝国が植民地を拡大するにつれてイギリス社会に移民が流入したが、彼らはアングロサクソンと同化することができず、周縁部に隔離されることになった。

そのイギリスの家族制度を“輸入”したアメリカでは、社会の基盤にある不平等主義と、独立宣言で謳いあげた「自由と平等」に整合性を持たせるという難題を抱え込んだ。これを解決したのが黒人の存在で、彼らを差別・隔離することで、プロテスタントかカトリック化を問わずヨーロッパ系白人のあいだでの「平等」が実現した。

ドイツは日本と同じ直系家族で、社会の基盤には血統(血の権利)がある。これがヒトラーの扇動によって社会全体がホロコースト(アーリア人種の純血)へと雪崩を打った理由だ。

戦後ドイツは、東欧(旧ユーゴスラヴィア)からの移民の同化に成功したものの、トルコ移民は社会の主流から隔離されてゲットーをつくった。トッドは、外見的にはギリシア人などと区別のつかないトルコ人を排除する理由は宗教(イスラーム)以外になく、ドイツにおけるトルコ人はアメリカにおける黒人と同じで、彼らの存在が、ゲルマン民族か東欧経過を問わずドイツ社会におけるヨーロッパ系白人の平等を促進したとする。

それに対してフランスは、中央部(パリ盆地)の平等主義が移民の同化を促し、フランス人(白人)と移民の婚姻率はイギリスやドイツに比べて際立って高い。だがフランス南部には不平等を社会の基盤とする直系家族の集団がおり、両者の対立から生じる普遍主義と民族主義の緊張が現代フランスの政治状況を規定している、とされる。

4つの代表的な社会(国家)の家族制度と移民の運命を詳細に検討したうえでトッドは、移民の隔離が社会を不安定化させることにしかならない以上、フランス型の同化以外に道はないと断言する。『移民の運命』は、「あらゆる出自の移民は、フランスが彼らの子供たちを完全なフランス人にしようとしていると知れば、少なくとも安堵し、喜ぶことであろう」と結ばれている。

この本が書かれたのが1994年だから、『シャルリとは誰か?』は、それから20年たってヨーロッパ(とりわけフランス)における移民の運命がどのように変わったのかを検証したものともいえる。

トッドが予言したように、移民と同化するのではなく、差異を認めて共生しようとするアメリカ、イギリス、ドイツの「多文化主義」は頓挫しているように見える。不平等主義においては、共生は隔離にほかならないのだから、これは当然のことだ。

だがそれ以上に、同化政策のフランスで暴動やテロなど大きな問題が起きている。なぜ最善の道を歩んでいたはずのフランスが移民問題で深刻な困難を抱えることになったのか。これがトッドに課せられた問いだろう。

シリアなどから膨大な数の難民たちがヨーロッパに押し寄せているが、彼らの目的地はドイツであり、北欧諸国だ。それにも増して皮肉なのは、ドーバー海峡に面したカレーにイギリスを目指す難民たちの巨大なキャンプが出来ていることだろう。

イギリスでは彼らは「隔離」され、社会の主流に受け入れられることはない。それにもかかわらず、かつてフランスの植民地だったシリアから逃れてきた難民たちは、「完全なフランス人」になることになんの興味も示さずに、「理論的」にはより劣った移民政策を採る国々を目指しているのだ……。

ユーロを否定すれば極右に近づく

トッドによれば、「シャルリ」とは、ムハンマドを冒涜する権利だけでなく、“義務”すら負っていると考えるフランス人(白人)のことだ。『シャルリ・エブド』襲撃事件直後には10人に1人が「私はシャルリ」の標語を掲げて街頭に出たことを考えれば、いまやほとんどすべてのフランス人がシャルリになってしまった。

なぜこのような驚くべき事態が起きたのか。これについてトッドは、二つの理由をあげている。

ひとつはユーロ導入によって「グローバル資本主義」が経済を破壊し、若年層を中心に失業率が上がったこと。不況と雇用不安は労働者層を移民排斥に向かわせると同時に、社会的にもっとも弱い立場にあるムスリムの若者たちから生計の道を奪い、彼らをイスラーム原理主義に追いやることになった。

もうひとつは高齢化によって、有権者の多数派が「平等」よりも福祉を求めるようになったこと。彼らは自分たちの安楽な生活を守ることを優先し、苦境に置かれた若者や移民のことなど考えようとはしない。

だがこうした説明は、それまでの華麗な論理からすると肩透かしを食った感は否めない。格差の拡大や高齢化はどこでも(日本でも)起きていることで、フランス特有の問題ではないからだ。

トッドは、統一通貨ユーロをグローバル資本主義の“新しい神”だとして否定する。だがユーロ創設時の議論を振り返れば明らかなように、財政基盤のない統一通貨の構造的な欠陥を指摘したのはミルトン・フリードマンら「ネオリベ」の経済学者で、その警告を無視してユーロ導入に突き進んだのは、ドイツに“最強通貨マルク”を放棄させることが国益に適うと判断したフランスの政治家・官僚・国民だ。

たしかにギリシアのような破綻寸前の国家は、ユーロから離脱して通貨を大幅に切り下げることで市場での競争力を回復できるかもしれない。だがフランスがユーロから離脱すればユーロは解体し、ドイツもマルクに戻ることになるだろう。ユーロのくびきから逃れることでドイツ経済がますます強くなれば(その可能性も高い)、フランスとドイツの「経済格差」はより広がることになる。

ユーロ導入時には、旧東ドイツとの統合に苦しむドイツとフランスの国力は拮抗していた。“ドイツ1強”になったのは、グローバル資本主義の陰謀というよりは、フランスの経済制度や企業の経営戦略、労働者の働き方に問題があったからだろう。だがトッドは、『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』(堀茂樹訳/文春新書)などでドイツの「帝国化」をはげしく批判するだけで、なぜ20年のうちに彼我でこれほど大きな差がついたのかについてはいっさい言及しない。――こうした議論のスタイルは、「アメリカ帝国主義」の陰謀を批判し、日本的経営や日本的雇用の低い生産性を無視する一部の論者と瓜二つだ。

フランスにおいてユーロ離脱を主張するもっとも強力な政治勢力は“極右政党”の国民戦線(FN)だ。それ以外の国でも、EUからの脱退やユーロ離脱を求めるのは「反移民」の右翼政党と相場が決まっている。それに対して高学歴・高所得層はEUとユーロを支持しているのだから、トッドがフランスのユーロ離脱を本気で実現しようとすれば極右と組むほかはない。

極右と極左は、「市場原理(グローバリズム)の否定」ということで共通している。その結果両者の政治的主張は近似してしまうのだが、トッドにその自覚があるかどうかはよくわからない。

「ムハンマドを冒涜する自由」を批判する自由

トッドは、フランスにおいて経済格差がイスラーム原理主義のテロリストを産む理由は「ライシテ(非宗教性)」を絶対化する「ネオ共和主義」だという。

ライシテは、フランスの共和主義の根幹にある政教分離の原則のことだ

立憲(議会)君主制は君主のいる民主政、共和制は君主のいない(人民主権の)民主政のことだが、フランスの「共和主義」は日本人にはわかりにくい概念で、フランス革命の理念(自由・平等・友愛)に立脚した保守主義をいう。これがなぜ「保守」なのかというと、「フランスの偉大さは革命の理念の普遍性にこそある」と考えるからで、第二次世界大戦中に対独レジスタンスを率い、戦後は大統領として第五共和制を開始したシャルル・ド・ゴールがその象徴だ。

こうした事情はアメリカも同じで、独立戦争の理念(自主と自由)を掲げるのが保守派で、「共和党」を名乗っている。フランスでも2015年5月、前大統領ニコラ・サルコジは中道右派の国民運動連合を「共和党」に改称した。それに対して進歩と改革を求めるのがリベラルで、アメリカでは民主党、フランスでは社会党になる。

ところがフランスは、アメリカとは若干事情が異なる。周知のようにアメリカはインディアン(アメリカ原住民)の土地につくられた人口国家で、「歴史」の1ページ目は独立戦争から始まる。

それに対してフランスは、革命の前にも長い歴史がある。5世紀のフランク王国(あるいは前9世紀のケルト人の移住)まで遡って「国民の歴史」を書くこともできるわけで、このエスニシティ(民族性)をフランス固有の伝統とする保守主義も当然成立するだろう。この政治的立場を担うのが“極右”とされる国民戦線だ。

フランスでは長らく革命の理念の普遍性こそが「フランス」だとされ、エスニシティに拠った政治的主張は偏狭な「反ユダヤ主義」として忌避されてきた。だが国民国家は国家と国民(民族)を一体化させる仕組みだから、理念的な普遍主義(フランスこそが世界だ)ではどうしても無理が生じる。この矛盾が移民問題を契機に噴出して、国民戦線(民族主義)、共和党(共和主義)、社会党(リベラル)が鼎立することになったのだ。

いずれにせよ、フランスでは革命の理念こそが「国家の品格」の根幹だと考えられている。共和主義からすれば、公立学校でヒジャブ(ベール)を着用するのは「信仰の自由」ではなく、「フランス」を否定する行為なのだ。

トッドもまた(オールド)共和主義者としてライシテを擁護し、ヒジャブを法で禁じるのは当然だと述べる。ヒジャブが女性差別につながるからで、フランス社会に同化するためにはイスラームは女性の権利を完全に認めるところまで世俗化しなければならないのだ。

トッドはさらに、「ムハンマドを冒涜する表現の自由」も擁護する。だがそれと同時に、「ムハンマドを冒涜する自由」を批判する自由もまた擁護されなくてはならない。これはもちろんトッド自身のことで、「シャルリ(デモ参加者)はムハンマドを冒涜することを“義務”としている」と述べたことで、(本人がいうには)フランス社会におけるいっさいの表現の自由を奪われた。

割礼を禁じるのは宗教への差別なのか

それでは、ネオ共和主義の「ライシテの絶対化」とはなんだろう。実はこれは、トッドの本を読んでもよくわからない。そこに出てくるのは、ドイツにおいて男子の割礼(陰茎の包皮の切除)が傷害罪で起訴されたことと、『シャルリ』襲撃事件のあと、フランスのテレビ番組でムスリムの出演者が、ムハンマドを風刺する表現の自由を認めるように出演者たちから強要された、というエピソードくらいなのだ。

クリトリスを切除する女子の割礼が先進諸国で違法とされるのは、本人の意思を無視して、身体に回復不能の損傷を負わせるからだ。それに対して男子の割礼は衛生上有用で、さしたる不都合はないのかもしれない。だがたとえそうだとしても、親が宗教的な理由で一方的に包皮を切除するのではなく、子どもが成人後に自らの意思で選択すればいいだけのことではないだろうか。私はこれを本人の自己決定権を尊重する穏当な世俗主義だと思うのだが、トッドによればライシテを絶対化した許しがたい暴挙なのだ。

前回述べたように、これはヨーロッパにおけるリベラル化の潮流(権利革命)のなかで考えた方がすっきり理解できる。「子どもの身体的インテグリティ(身体を完全なかたちで保存すること)の権利」を決議するよう欧州評議会に求めたドイツ社会民主党の議員は、自分を「子どもの権利を擁護する戦士」と見なしているとトッドは批判する。かつては多文化主義(異なる文化の尊重)の名の下に許容されていたものが、リベラルのハードルが上がったことで、「残酷で許しがたい因習」へと変わったのだ(ちなみにこの決議案は、賛成78票、反対13票、棄権15票で欧州議会で可決された)。

トッドが割礼についてこだわるのは、それがイスラームだけでなくユダヤ教の慣習でもあるからだ(EUの決議に対してイスラエルが抗議したのはそのためだ)。ライシテの絶対化はイスラームだけでなくユダヤ教をも標的にしており、シャルリの悪意はいずれ反ユダヤ主義に変質していくとトッドは考えているようだ。トッド自身がユダヤ人だが、その危機感は次の一節にもあらわれている。

実地調査によれば、割礼を施された者も、施されていない者も同様に自分の状態に満足していて、何の不満も抱いていない。したがって、ほかでもないドイツが、100万人のユダヤ人の子供を皆殺しにしてからまだせいぜい70年しか経たないのに、その国内にいる他のユダヤ人の子供たちの身体的インテグリティに関して、何の後ろめたさもなしに判定者のような態度をとるというのはどういうことなのだろうか。唖然とするほかない。

そしてドイツ人のことを、「やや特殊な国民で、もちろん本質的に反ユダヤ主義やイスラム恐怖症だということではないが、少なくとも分裂症だとはいえるだろう」と、かなり微妙な表現で批判するのだ。

だがここで、トッドはかなり混乱しているようだ。ライシテはフランス共和主義の原理なのに、なぜそれがドイツ批判になるか、正直、この論理をそのまま受け入れるのは難しい。

移民から見捨てられるトッドの夢

トッドはヨーロッパの将来について、いまでも最善の道はフランス型の「同化」しかないと考えている。フランス人(白人)とムスリムの移民が対立しているように見えたとしても、今後、移民との混血がつづいていけば、アラブ(内婚的共同家族)の平等主義がパリ盆地などの平等主義核家族を補強して、フランスはより自由で平等な国になるだろうとの展望を語る。

パリはおそらく、いろいろな困難にもかかわらず、やはりいつの日にか地球上の驚異の一つとなるだろう。世界中のすべての民族の出身者らが融合する街、ホモ・サピエンスが地球上のいたるところへ分散したときに分かれて、以後10万年以上分かれていた表現型(フェノタイプ)の数々がついに混ぜ合わされ、かき混ぜられ、再組成されて、あらゆる人種意識から解放された一つの人類に再構成される。そんな新たなエルサレムになるのかもしれない。

これがトッドの描くユートピアだが、その実現は遠い先の出来事だ。「それまでの道のりは、私が20年前に想像していたより遙かに混沌として」いることをトッドは認め、「私の世代が約束の地を見ることがないだろうことは、すでに確実である」と本書を終えている。

だがそれにも増して落胆すべきことは、当の移民たちが、トッドの夢見る「新たなエルサレム」になんの魅力も感じていないことではないだろうか。

グローバル化によってひとびとの移動が自由になり、何百世代、何千世代と絶てば、混血によって人種や国民、国家という枠組は不用になるだろう。あるいはその前に、人類が絶滅しているかもしれないが。

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