子どもがいるひとは、いないひとより3.6倍もその決断を後悔している 週刊プレイボーイ連載(337)


数年前、グーグル検索で「夫」と入力すると「死んでほしい」という候補が最初に現われることが話題になりました。その後、夫への恨みつらみをえんえんと書きつらねる「だんなDEATH NOTE」なるサイトが登場し、結婚生活に不満(というか憎悪)をもつ妻が世の中にあふれていることが明らかになりました。検索頻度の高い言葉を自動表示するオートコンプリート機能はひとびとの本音を示していたのです。

だとしたら、検索を調べることで社会の深層に隠されているものが見えてくるのではないでしょうか。じつは、匿名化されたビッグデータを使ってそれを調べている研究者がアメリカにいます。

データ・サイエンティストのセス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ『誰もが嘘をついている』(光文社)によると、英語で「……したいことは正常?」と検索したときのトップ表示は「人を殺したいと思うことは」で、「……を殺したいことは正常?」のトップは「家族を」です。幸いなことに(?)「DEATH NOTE」は日本だけの特殊な現象ではないようです。

それ以外でも、検索データは興味深い事実をいろいろ教えてくれます。

アメリカでは、奴隷制度の負の遺産によっていまも南部で人種差別が行なわれているとされています。しかしビッグデータは、人種差別的なジョークを検索するひとが南部よりも東部に多いことを明らかにしました。しかもそれは、大統領選でトランプが「予想外の勝利」を収めた地区と重なっています。アメリカは南北ではなく東西で分断されているのです。

都市のエリートビジネスマンはストレスに苦しみ、田舎暮らしはのんびりしていると思われています。ところが、「不安 助けて」などと検索しているひとは農村人口比率が高い地域に住み、教育程度が低く、収入の中央値が低いことがわかりました。

「彼氏・彼女と共通の友人をもつことは関係が長つづきしないことの強力な予兆になる」とのデータもあります。パートナーとうまくやっていくなら、少人数の同じ仲間とつるむのではなく、それぞれが別の社交集団をもつほうがよいようです。

子どもをもてなかったことを後悔するひとがいますが、子どもがいるひとは、いないひとより3.6倍もその決断を後悔しています。「私の夫は浮気しているか?」よりも、「私の夫はゲイか?」と検索するひとがたくさんいます。セックスをしてくれないパートナーへの文句は「会話に応じてくれない」という文句より16倍も多く、彼女がセックスに応じてくれないという文句より、彼氏が応じてくれないという文句の方が2倍も多いこともわかりました。アメリカでも男性のセックスレスは深刻なようです。

その一方で、元気が出るメッセージもあります。

受験や就職に失敗して絶望するひともいるでしょうが、有名校にわずかの差で落ちたひとと合格したひとのその後の人生を大規模比較したところ、高校受験でうまくいかなかった生徒も一流大学に進学し、大学受験に失敗しても同じような一流企業に就職していることがわかりました。

1点差で合格・不合格が決まるのは運で、能力にちがいがあるわけではありません。ビッグデータは、不運は人生に決定的な影響を及ぼすわけではなく、失敗は取り返せることを教えてくれるのです。

『週刊プレイボーイ』2018年5月21日発売号 禁・無断転載

第76回 教育無償化、お金の配り方に注意(橘玲の世界は損得勘定)


「教育を無償化すればみんなが幸福になる」という通説の背後には、「教育は無条件によきもの」という信念がある。私はこれを疑わしいと思っているが、それは本題ではない。

自由経済で格差が生じるのは当然と考えるひとも、「貧しさのために教育機会を得られないのは正義に反する」との意見には同意するだろう。一流大学に入学する学生のほとんどが裕福な家庭出身なのは、欧米でも日本でも変わらない。貧しい家庭の所得を増やせば、教育を介して子どもはゆたかさを手にし、社会も好影響を受けるのだ。

だが、この主張はどこまで正しいのだろうか。

複雑な人種問題を抱えるアメリカでは、黒人貧困層に福祉の重点が置かれたため、白人保守派から「逆差別」との批判を受けることになった。これに反論するには、所得支援の効果を証拠(エビデンス)によって証明しなければならなない。

母子家庭の世帯所得を増やすには、行政からの生活保護、父親(別れた夫)からの養育費、母親が働いて得た所得などが考えられる。所得の増加が教育効果に直結するなら、生活保護と養育費は同等で、労働所得はもっとも効果が低いはずだ。母親が働けば、子どもの世話をする時間がそれだけ減るのだから。

だが実際には、成績や学習態度(中退率)でみて教育効果が高いのは養育費で、次いで労働所得、生活保護の順になっている。同じ不労所得なのに生活保護の効果がきわだって低いのは、母親の(ひいては子どもの)自尊心を低下させるからのようだ。

日本では「子どもがいじめられる」との理由で多くの母子家庭が生活保護の受給を躊躇しているが、「税金」を受け取ることへの蔑視はアメリカも同じらしい。それに対して養育費は、正当な権利として周囲にも堂々といえるので、子どもへの教育効果も高いのだ。

子どもが10代のときに年収が増えた家庭と、ずっと貧しくて、子どもが成人してから年収が同じだけ増えた家庭の比較も行なわれた。所得と教育効果の関係が一方的なら、事後的に所得が増えてもなんの効果もないはずだが、実際には両者に大きな差はなかった。これは、教育効果をもたらすのは所得そのものではなく、所得を増やすなんらかの要因(母親の能力や勤勉さなど)がかかわっていることを示唆している。

それ以外でも、増えた所得を親がなにに使うのか(子どもの教育投資より食費や家の修繕、車の買い替えなどに充てられた)や、子育て支援の充実した州は、そうでない州よりも教育効果が高いのか(あまり変わらなかった)なども調べられている。

誤解のないようにいっておくと、これは貧しい家庭への金銭支援が無意味だということではない。アメリカの研究が示すのは、漫然とお金と配るだけでは思ったような効果は得られそうにないということだ。

だったらどうすればいいのか。じつは日本には、それを議論するための基礎的なデータすらない。こんな状態で、教育無償化の議論は行なわれているのだ。

参考:Susan E. Mayer (1998)”What Money Can’t Buy Family Income and Children’s Life Chances” Harvard University Press

橘玲の世界は損得勘定 Vol.75『日経ヴェリタス』2018年5月12日号掲載
禁・無断転載

女性記者はなぜ「タダで遊べるキャバ嬢」になるのか? 週刊プレイボーイ連載(336)


仕事場の近くの住宅街に、玄関脇に警察官の警備ボックスが設置された家があります。路上に黒のスーツ姿の若者が5、6人立っていて、黒塗りの車が家の前に停まると、一斉に走り寄って下りてきた人物を取り囲みます。自民党重鎮の東京の自宅で、憲法改正問題で強い影響力をもっているため、メディア業界で「夜討ち」と呼ばれる取材対象になっているようです。

夜の散歩の途中にこうした場面に何度か遭遇したことがありますが、政治家は記者たちに軽く手を振るとさっさと家に入ってしまいます。すると記者は、それ以上なにをするでもなく、スマホを取り出してなにごとか話しながら駅へと向かいます。「話すことはないよ」といわれ、それを社に報告しているのでしょう。

こんな「取材」になんの意味があるのかさっぱりわかりませんが、なにごとも横並びで、他社に「抜かれる」ことを最大の汚点とする日本のメディアは、この奇妙な風習を一向にやめようとはしません。

早朝や深夜にアポなしで自宅にやってこられては迷惑以外のなにものでもありません。こんなことを毎日やれば、「ストーカー行為」として逮捕されてもおかしくないでしょう。それなのに警備の警官が黙認しているのは、彼らが「記者クラブ」というインナーサークルのメンバーだからです。

日本は「先進国の皮をかぶった身分制社会」なので、あらゆるところに「身分」が顔を出します。記者クラブ制度もその典型で、そこに加入している大手メディアの記者だけが政治家や官僚、警察幹部などに特権的にアクセスでき、フリーのジャーナリストが同じことをすると「犯罪」になってしまうのです。

権力の側から見れば、これは特定のメディアに便宜をはかってやっている、ということです。便宜供与を受ければ、当然、返礼が求められます。このようにして、権力とメディアは癒着していきます。このことは、アメリカの法学者で、言論・表現の自由に関する国連特別報告者でもあるデイヴィッド・ケイ氏からも指摘されていますが、驚いたことに、日本のほとんどのメディアはこの記者会見を無視しました。

これまで日本の大手メディアは、「夜討ち、朝駆けは取材対象者との信頼関係をつくるのに必須」と主張してきました。しかし、大学を出たばかりの若者と、憲法改正のような重要な政治課題についていったい何を話せばいいというのでしょう。政治家の側から、「何も知らない記者を取材によこすな」とクレームが入ることも多いといいます。

記者クラブ制度の欺瞞は、財務省の前事務次官が、記者のなかから気に入った若い女性を選んで、「タダで遊べるキャバ嬢」として夜中に呼び出していたことから白日のもとにさらされました。女性記者からセクハラを相談された上司が揉み消そうとしたのは、権力との「特別な関係」を壊したくなかったからでしょう。批判が自分たちの特権に飛び火するのを嫌がる各社が、この問題の追及に及び腰なのも当然です。

ちなみに、私がこれまで見た「夜討ち」の記者は全員が若い男性でした。彼らは、官僚の頂点に君臨する財務省事務次官とタメ口をきく同世代の女性記者をどう思っているのでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2018年5月14日発売号 禁・無断転載