女児虐待死事件でメディアがぜったいいわないこと 週刊プレイボーイ連載(343)


目黒区で5歳の女児が虐待死した事件では、「きょうよりか もっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして」などと書かれたノートが発見され、日本じゅうが大きな衝撃に包まれました。このような残酷な事件が起きないようにするために、いったいなにができるでしょうか。

この事件について大量の報道があふれていますが、じつは意図的に触れていないことが2つあります。

女児を虐待したのは義父で、母親とのあいだには1歳の実子がいました。じつはこれは、虐待が起こりやすいハイリスクな家族構成です。

父親は自分の子どもをかわいがり、血のつながらない連れ子を疎ましく思います。母親は自分の子どもを守ろうとしますが、それ以上に新しい夫に見捨てられることを恐れ、夫に同調して子どもを責めるようになるのです。なぜなら進化論的には、ヒトは自分の遺伝子をもっとも効率的に残すよう“プログラム”されているから……。

これが進化心理学の標準的な説明で、こうした主張を不愉快に思うひとは多いでしょうが、アメリカやカナダの研究では、両親ともに実親だった場合に比べ、一方が義理の親だったケースでは虐待数で10倍程度、幼い子どもが殺される危険性は数百倍であることがわかっています。

もちろん連れ子のいるほとんどの家庭は虐待とは無縁で、偏見につながらないような配慮は大事ですが、残念なことに、「進化の圧力」に抗する理性をもたない親が一定数いることはまちがいありません。児童相談所がこのリスク要因を正しく把握していれば、もっと強い対応もできたのではないでしょうか。

メディアが触れないもうひとつの事実は、この女児にはどこかに実の父親がいることです。ここでも誤解のないようにいっておくと、「父親を探し出して責任を追及しろ」といいたいわけではありません。

日本では、夫婦が離婚するとどちらかが親権をもつことになります。これが「単独親権」ですが、考えてみれば、離婚によって親子関係までなくなるわけではありませんから、これには合理的な理由がありません。そのため欧米では、夫婦関係の有無にかかわらず両親が親権をもつ「共同親権」が主流になっています。

共同親権では、子どもが母親と暮らしていても、別れた父親に子どもと面会する権利が保障されると同時に、養育費を支払う義務が課せられます。ところが単独親権の日本では、ほとんどのケースで父親が親権を失うので、義務感までなくなって、2割弱しか養育費を払わないという異常なことになっています。

虐待への対処でむずかしいのは、公権力はプライベートな空間にむやみに介入できないことです。子どもが家で泣いていたら近所のひとに通報され、いきなり警察や児相がやってくるような社会では、誰も子育てしたいとは思わないでしょう。

しかし実の父親なら、面会を通じて子どもの状態を確認できるし、子育てにも介入できます。子どもが危険にさらされていると判断すれば、保護したうえで公的機関に訴えることも可能でしょう。

今回のような悲劇をなくそうとするのなら、いたずらに行政をバッシングするのではなく、「子どものことを真剣に考えるのは親である」という原点に立ち返る必要があるのです。

参考:マーティン・デイリー、マーゴ ウィルソン『人が人を殺すとき―進化でその謎をとく』

『週刊プレイボーイ』2018年7月2日発売号 禁・無断転載

第77回 日本的雇用 年齢差別の不合理(橘玲の世界は損得勘定)


日本ではあまり理解されていないが、グローバルスタンダードでは「差別とは合理的に説明できないこと」と定義されている。

欧米ではジェンダーギャップ(社会的性差)を論じるとき、たんに男性社員と女性社員の収入の差を比べるのではなく、そのなかに「合理的に説明できない」ものがどれだけ残っているかが問題になる。北欧でも女性が子育てを優先して公務員などを希望することはあるが、これは彼女の自由な選択であって、それによって男女の平均給与に差がついても社会的な差別とはいえない。

そしてじつは、この原則はすでに日本でも導入されている。

2013年4月、民主党政権が労働契約法20条を成立させ、パートや契約社員など有期契約で働く労働者と正社員のあいだで、賃金や手当、福利厚生などの労働条件に不合理な差をつけることを禁じた。それにともなって司法も、「正社員」と「非正規」の合理的な根拠のない待遇のちがいを「差別」と認定するようになった。

2017年9月、日本郵政の契約社員が正社員との格差解消を求めた訴訟で、東京地裁は年末年始手当、住居手当、休暇制度などの格差を不合理と判断し、日本郵政は労働組合との合意のもとに正社員2万人のうち約5000人に支給していた住宅手当を10年かけて廃止することにした。

また2018年6月、浜松市の物流会社の契約社員が6種類の手当の格差是正を求めた裁判で、最高裁は4種類の手当を不合理とした高裁判決を支持するとともに、正社員に支給される皆勤手当も「出勤者を確保する必要性は非正規社員も変わらない」として不合理と認定した。

しかしその一方で、横浜市の運送会社に定年後再雇用された嘱託社員が賃金の減額を不当と訴えた訴訟では、すでに退職金を受け取り、近く年金が支給されることなどを理由に、基本給や大半の手当の格差が「合理的」とされた。これはどう考えればいいのだろうか。

じつはアメリカでは定年制は年齢差別として違法で、2010年にイギリスがそれにつづいた。高齢化が進むなか世界の趨勢は「生涯現役」で、これからは年齢にかかわらずいつまでも働ける権利が重視されるようになるだろう。

ところが日本の会社は、いまだに年功序列・終身雇用が当たり前で、60歳(ないしは65歳)になれば「強制解雇」され、その代償として退職金が支払われる。勤続年数が長くなるほど給与に年齢相応の上乗せがあるのは、逆にいえば若いときは安く働かせるためだ。

これはすなわち、日本的雇用そのものが「年齢差別」だということだ。それを放置したまま定年後再雇用に同一労働同一賃金を適用すると、逆に「差別」を助長することになると最高裁は危惧したのだろう。

定年退職したというだけで、同じ仕事をしている同僚より安い報酬に甘んじなくてはならないのはたしかに理不尽だ。この不合理を是正しようとすれば、日本の経営者と労働組合はまず、年功序列・終身雇用と決別しなくてはならない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.77『日経ヴェリタス』2018年6月24日号掲載
禁・無断転載

トランプに学ぶ「安倍3選」の必勝戦略 週刊プレイボーイ連載(342)


「なんの成果もないじゃないか」とさっそくいわれているトランプ大統領と金正恩委員長の「歴史的」会談ですが、私たち日本人にとっては、とりあえず北朝鮮からミサイルが飛んでこなくなって、Jアラートで右往左往しないだけでも大きな成果でしょう。

「モリカケ」問題で逆風下の安倍首相ですが、その言動を見るとトランプ大統領をじつによく研究していることがわかります。その安倍首相は米朝首脳会談後にトランプ大統領と電話会談を行ない、「拉致問題について取り上げていただいたことに感謝申し上げた」と述べ、金委員長との直接対談に意欲を示しました。

アメリカの政界を揺るがすロシアゲートでは、2016年の大統領選でトランプ陣営が、ロシアの情報機関に依頼してヒラリー・クリントンに不利な電子メールを大量流出させたり、SNSでフェイクニュースを流すなどの世論工作を行なったと疑われています。特別検察官(元FBI長官)の捜査ですでに関係者が起訴されており、その深刻さは「モリカケ」の比ではありません。しかしそれにもかかわらず、トランプの支持率は40%を大きく下回ることはなく、最近は逆に上昇しています。

社会心理学はこれを、「部族」同士のアイデンティティの衝突で説明します。アイデンティティは「社会的な私」の核心にあるもので、それを攻撃されると脳は実際に殴られたのと同じ痛みを感じます。

アメリカの白人保守派は自らのアイデンティティをトランプと一体化させているので、「リベラル」のトランプ批判を自分への攻撃とみなし、理屈もなにもなく衝動的に反発します。これはヒトが旧石器時代から、さらにはその前のサルと未分化の頃からもちつづけてきた部族同士の殺し合いの感情です。

トランプはこのことを(本能的に)よく知っているので、「リベラル」からの批判をすべて「フェイクニュース」と切り捨てます。敵に弱みを見せれば味方の信頼は失われますから、部族抗争ではこれは正しい戦略です。その代わり今回の米朝首脳会談のような大掛かりなショーを実現させ、成果があってもなくても、支持者に「俺たちの大統領がデカいことをやった」と思わせればいいのです。

アメリカは共和党と民主党に二極化しているといわれますが、両極のあいだには広大なグレイゾーンがあります。このひとたちは「保守的」ないしは「リベラル的」かもしれませんが、政策ごとに是々非々で判断し、なによりも自分と家族の生活がいちばんだと思っています。トランプはこの中間層を引きつけるために、どれほど世界から批判されても「アメリカファースト」の保護主義を貫き、「雇用」と「治安」を強調しますが、これもきわめて理にかなっています。

これを安倍政権に当てはめれば、「モリカケ」で譲歩することになんのメリットもなく、ただ頭を低くして嵐が過ぎ去るのを待てばいいということになります。その代わり経済の好調をアピールし、日朝首脳会談で「デカい」ショーを演出することが、3期目の自民党総裁を確実にするもっとも合理的な戦略になるのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2018年6月25日発売号 禁・無断転載