バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち(前編)

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2013年10月公開の記事です。(一部改変)

Fabrizio Maffei/Shutterstock

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ロンドンの中心部にある金融街シティが中世から続く“自治権”を有し、「国家のなかのもうひとつの国家」になっていることはあまり知られていない。

参考:イギリスは謎の組織シティに支配されているのか

同様にヨーロッパには、複雑な歴史的経緯のなかで「主権」や「自治権」という法外な特権を手にした小国や地域がいくつもあり、それらの多くがタックスヘイヴンとなっている。シティと並ぶヨーロッパの代表的な「国内タックスヘイヴン」がバチカンだ。

バチカン銀行をつくった男ノガーラ

バチカン市国はサン・ピエトロ大聖堂を中心とするわずか0.44平方キロメートルの敷地に800人ほどの「国民」が暮らす世界最小の主権国家だが、全世界で12億人(世界人口の17.5%)といわれるカトリック信者への絶大な権威を有している。バチカン政府であるローマ教皇庁はカトリックの最高位である枢機卿団によって統治され、その代表がローマ教皇(法王)だ。

バチカンの起源は4世紀にこの地が聖ペテロの墓所とされ、教会が建立されたことだとされている。その後、1626年に現在のサン・ピエトロ(聖ペトロ)大聖堂が完成すると、ローマ教皇の座所としてカトリックの総本山となった。

ローマ教皇は19世紀半ばまでイタリア中部に広大な教皇領を保有していたが、フランス革命とナポレオン戦争に端を発した国民国家の建設運動のなか、1870年にバチカン以外の教皇領がイタリア王国によって接収され、ローマ教皇庁はイタリア政府との関係を断絶した。

この難題を解決したのがファシスト党のムッソリーニで、1929年のラテラノ条約によって、教皇領の権利放棄と引き換えにバチカンの「主権国家」としての地位とイタリアに対する免税特権を保証した。このときムッソリーニは、バチカン市国以外の領地を放棄する代償として7億5000万リラ、現在の時価に換算して約1000億円を支払うことに合意している。この補償金が、その後の“バチカン株式会社”の資本金となった。

当時の教皇ピオ11世は財産管理局を新設し、ベルナルディーノ・ノガーラというユダヤ人にその管理を任せた。ノガーラ家はユダヤ教を捨ててカトリックに改宗しており、兄は神父として教皇に仕えていた。

ノガーラの投資家としての手腕には目を見張るものがあった。大株主となった企業には教皇の親族を経営陣に送り込み、損害を被りそうになるとムッソリーニに高値で買い取らせ、第二次世界大戦でイタリアの敗北を予測するや資産を金塊に替えて巨額の利益を得た。

戦後はロスチャイルド、クレディ・スイス、JPモルガン、チェースマンハッタンなどの金融機関を通じて世界市場に投資し、ゼネラルモーターズ、シェル、ガルフ石油、IBMなどの大株主となった。また不動産投資にも積極的で、パリのシャンゼリゼの1ブロックを所有し、世界一の高さを誇ったモントリオールの証券取引所タワーやワシントンの名門ウォーターゲートホテルを購入した。

1942年、バチカンは宗務委員会を宗教事業協会に改組し、これが後に「バチカン銀行」と呼ばれるようになる。

1958年にノガーラが死んだとき、バチカンは少なく見積もっても10億ドルの資産を保有し、そこから毎年4000万ドルの利益を得ていた。ある枢機卿は、「イエス・キリストの次にカトリック教会に起こった大事件はノガーラを得たことだ」とまで述べた。 続きを読む →

高市政権成立は予定調和(週刊プレイボーイ連載662)

高市早苗政権の支持率は70%前後で、トランプ米大統領の来日も無事にこなし、順調に船出したようです。そこで今回は、時間をすこし巻き戻して、日本ではじめての女性首相が誕生するまでの経緯を簡単に振り返ってみましょう。

公明党はもともと、支持母体である創価学会員の高齢化や信者の減少から近年の選挙では苦戦が続いており、支持者のあいだに、このまま自民との連立を続けていても利用されるだけ、との不満があったとされます。

公明党代表の斉藤鉄夫氏は高市新総裁に対して、「政治とカネ」問題で企業・団体献金の規制強化を強く求めましたが、これは自民党にとって簡単には飲めない提案なので、会談前から連立解消を決めていたのでしょう。党勢の衰退が避けられないのなら、せめて熱心な支持者だけでも固めておかなくてはならない、というわけです。

企業・団体献金が問題になるのは、その96%(約80億円)を自民党が受け取っており、それによって全国各地の政党支部の活動を支えているからです。逆にいえば、それ以外の政党は企業・団体献金を全面的に禁止しても“損害”が少ないため、自民の「金権体質」を責める格好の材料となっています。

民主政の大原則は市民(個人)が主権者として政治にかかわることですから、法人(企業・団体)が政党や政治家に献金するのは居心地が悪いのはたしかで、フランスやカナダのように禁止している国もあります。とはいえ、個人の政治献金の文化のない日本で法人の献金を禁じれば、国家が税金で政治家を丸抱えするしかなくなる、という別の問題が生じるでしょう。

公明党の連立離脱によって、自民だけでは過半数に達せず、野党が組めば政権を奪取できる可能性が出てきました。思ってもいなかったのこの機会に、野党第一党の立憲民主党は、人気の高い国民民主党の玉木雄一郎氏を総理大臣に担ぎ上げるという奇策に打って出ます。

とはいえ、衆議院の議席は立民が148、国民民主が27で5倍以上の差があります。立民にとっては、玉木氏が首相になっても主要閣僚を自分たちで押さえてしまえば、好きなように政権を運営できるという思惑があったのでしょう。これはあまりに見え透いていますから、いいように利用されるのを警戒した玉木氏が、「政策の一致」を掲げて抵抗したのは当然です。

とはいえその国民民主も連合の支援を受けている以上、自民と連立を組むのはかなり高いハードルです。そうなると、消去法で連立相手は維新しか残りません。

自民はどこかの野党と組まなくては政権をつくれないわけですから、これは自分を高く売り込む千載一遇のチャンスです。維新の吉村洋文代表にとって、不安定な野党連合の一員になるよりも、高市政権に恩を売って大阪の副首都構想を推進し、党の悲願である「大阪都」を実現することのほうがずっと魅力的だったことは間違いありません。そこで、自民が飲めない「企業・団体献金の禁止」ではなく、衆議院の議員定数削減を提案して「政治改革」を演出しようとしたのでしょう。

このようにすべてが終わってみれば、大騒ぎしたわりには、ものごとは予定調和で進んだことがわかるのです。

参考「献金見直し 動かぬ自民」(朝日新聞2025年10月23日)

『週刊プレイボーイ』2025年11月10日発売号 禁・無断転載

イギリスの排外主義者は、リベラルな社会が生み出した新たな「マイノリティ」

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2019年10月公開の記事です。(一部改変)

Clive Chilvers/Shutterstock

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世界金融危機の直後に刊行した『チャヴ 弱者を敵視する社会』(依田卓巳訳/海と月社)で、オックスフォード大学卒の20代のライター、オーウェン・ジョーンズは「21世紀の左翼の騎手」として世界的に有名になった。チャヴ(Chavs)とは、知識社会=グローバル世界から脱落した貧しい白人労働者への蔑称で、イギリスではミドルクラス(エリート階級)とワーキングクラス(チャヴ)の分断が進んでいる。

参考:チャヴはイギリス白人の最底辺で「下級国民」

『チャヴ』のなかでジョーンズは、2010年の総選挙で左派議員のために戸別訪問したときの体験を書いている。

(数カ月ぶりによく晴れた日曜日で、ほとんどの家は外出していたため)数軒訪問して空振りしたあと、エプロンをつけた中年女性がついに出てきた。彼女は明らかに、気持ちを打ち明けたがっていた。「うちの息子は、仕事を見つけられないの」と彼女は怒った。「でも、移民はこんなにたくさん入ってきて、みんな就職している。移民が多すぎるのよ!」

こうしてジョーンズは、貧困や格差、差別とたたかう左翼運動の中心となるべき貧困層が“排外主義者”になっているという不都合な事実に向き合わざるを得なくなった。それは、移民排斥を掲げるイギリス国民党(BNP/British National Party)の躍進に象徴されていた。

「排外主義者」は強いベンガル語訛りの女性

BNPは1882年に創設された白人至上主義の極右政党で、2010年当時はニック・グリフィンをリーダーに、イギリスで5番目に大きな政党になっていた。――その後、EUからの離脱を掲げるイギリス独立党(UKIP/UK Independence Party)に押されて党勢は凋落する。

ジョーンズは、BNPの台頭はイギリス社会が人種差別的になったことの表われではないとして、「イギリスは欧州でもっとも異人種間の婚姻率が高く、みずから「強い人種差別的偏見を持っている」と認める人はたったの3パーセントで、5人中4人はまったく偏見を持っていないと主張する」とのデータを紹介している。問題は、「イギリスが人種差別的でなくなっているのと同時に、史上もっとも人種差別的な政党が選挙で成功している」ことなのだ。

投票所の出口調査ではBNPへの投票者の多くが労働者階級で、世論調査ではBNP支持者の61%が社会階級の下から3つの階級に属していた。かつては労働党を支持した「リベラル」な白人労働者階級が、大挙して人種差別主義者に変貌してしまったかのようだ。

BNPの躍進の理由を、政治家やジャーナリストは「白人労働者階級が白人以外の人々の侵略からアイデンティを守ろうとしたことが原因だ」と分析した。労働党のある議員は、「BNPは、なんの断りもないまま自分たちの国が失われていく、という国民の感情に訴えている」と語った。

だがジョーンズは、BNPの台頭を許したのは人種差別というより、労働者階級を軽視した既成政治への反発だと述べる。じつは冒頭のエピソードにはつづきがあって、ジョーンズ向かって「移民排斥」を求めたのは、強いベンガル語訛りの女性だった。インド出身の彼女は、インドから来た移民女性が、息子のような「イギリス人労働者」から仕事を奪うと訴えた。移民に対する反感は、人種への偏見ではなく、経済的な不安(移民に仕事を奪われる)から生まれてくるのだ。

マルクス主義が一定の権威をもっていた時代には、資本主義の不公平なシステムが貧困のような社会問題の元凶だとされた。冷戦の終焉でマルクス主義が退潮すると、右派がその空隙を、「すべての社会問題はよそ者、すなわち「移民」によって引き起こされている」というわかりやすいイデオロギーで埋めたのだ。 続きを読む →