「タワマン刺殺事件」に至る現実と「自己イメージ」の絶望的なギャップ 週刊プレイボーイ連載(606)

西新宿のタワーマンションに住む25歳の女性が、51歳の男によって刺殺された事件は、男がホンダの赤のスポーツカー「NSX」やオートバイ「NR」など“マニア垂涎”のコレクションを売って、被害女性に1000万円以上を渡していたとして、「純真な(中年)弱者男性が頂き女子に搾取された」という物語がネットにあふれました。

しかし週刊誌報道によれば、事実はこうした「純愛物語」とはまったくちがいます。

男は6年前にSNSでライブ配信を始めた女性と知り合い、彼女が夜職で働くようになると頻繁に店に顔を出すようになり、自分でキャバクラを始めたときに、開店祝いに1000万円のシャンパンタワーを提案しました。男が「貸した」と主張するのはこのイベントの費用で、借用書が交わされたわけでもなく、女性には返済義務がありません。

その頃から、男は女性のマンションの前で待ち伏せするようになったようです。警察からストーカー規制法に基づく警告の文書を出されたものの、警告を無視したとして逮捕、釈放後に1年間の接近禁止命令を出されました。

警察からこの命令を延長するか尋ねられましたが、女性が「しないで大丈夫」と返答したため命令は解除されました。しかし男の執着と憎悪は消えたわけではなく、約1年後に今回の凶行に及んだのです。

被害女性には反論することができないのですから、「大金を貸したのに返してもらえない」という男の一方的な主張は、「自分は被害者」という自分勝手な自己正当化で、どこにも同情の余地はありません。

それに、こういう言い方をすると反発されるかもしれませんが、被害女性は銀座のキャバクラでナンバーワンになるほどの売れっ子で、その後は自分でキャバクラをオープンして成功しました。そんな女性を1000万円程度のお金で自分のものにできると考えること自体が大きな勘違いです。

報道によれば、事件当時は配達員などの仕事をしていたという男は、高校卒業後、職を転々とし、妻と離婚したあとは実家で親と暮らしていたそうです。こうした現実と、“レアもの”の車やバイクを所有する「自己イメージ」のあいだには、大きなギャップがあったにちがいありません。

「ぼくらの非モテ研究会」が作成した「非モテ研用語辞典」には、「女神化」と「一発逆転」という言葉があります。

女神化は「一人の女性を女神として位置づけていくこと」、一発逆転は「恋人ができれば現在の不遇な状況が挽回され、幸せになることができると考えること」と定義されます。

男は、被害女性を「女神化」し、自分のものにすることができれば、現実と自己イメージのあいだの絶望的なギャップが埋まり、「一発逆転」できると考えて、あれほどまで執着したのではないでしょうか。

社会がリベラル化するほど女性の選択のハードルは上がり、性愛市場から脱落し、不本意な人生を送る男が増えていきます。

「自分は特別で、そんな自分には特別な出来事が起こるはずだ」と勘違いした男と出会ってしまったことが彼女の悲劇でした。こうした男は世の中に一定数いるので、エロス資本のマネタイズはハイリスク・ハイリターンなのです。

参考:橘玲『無理ゲー社会』小学館新書

『週刊プレイボーイ』2024年6月17日発売号 禁・無断転載

「わたしはシャルリ」のデモを、エマニュエル・トッドの家族社会学から考える

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2016年2月25日公開の「リベラル化した欧州で「リベラルでないもの」に 分類されたイスラームを排除する論理」です(一部改変)。

Melanie Lemahieu/Shutterstock

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今回はフランスの人類学者エマニュエル・トッドの『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』( 堀茂樹/文春新書)を参考に、移民問題で混乱するヨーロッパについて考えてみたい。

2015年1月7日、パリの風刺雑誌『シャルリ・エブド』がイスラーム過激派の武装集団に襲われ、編集長やスタッフ、警備の警官など12人が殺害された。この衝撃的な事件を受けてフランス全土で、「私はシャルリ」の標語を掲げた多数の市民が街頭に繰り出した。

ドイツのメルケル首相、イギリスのキャメロン首相など各国要人も加わった1月11日のパリの追悼大行進には160万人、フランス全土では450万人を超えるひとびとが「シャルリ」であることを宣言したという。子どもやデモに参加できない高齢者を除けばフランス人の10人に1人が「シャルリ」を名乗ったことになり、トッドはこの未曾有の事態を受けて「シャルリ=デモ参加者とは何者か」について考察することになる。

トッドはいま、この本によって「多くの侮辱」を受け、フランス国内では表現の自由も討論の自由もない状況に置かれているという。

トッドは、追悼デモの参加者をこう評した。

「私はシャルリだ、私はフランス人だ、私には、自分のカトリシズムに対するのとまったく同様に他者たちのイスラム教に対しても冒涜する権利があり、さらにその義務さえもある」

これでは知識層のみならず、デモ参加者全員が激怒するのも当然だろう。なぜトッドはこんな“カゲキ”なことをいうのだろうか。

直系家族の日本とドイツ、外婚制共同体家族の旧共産圏

本書を理解するには、トッドが創始した「家族人類学」について説明しておく必要がある。とはいえ私はトッドの熱心な読者というわけではないので、ここではフランス文学者石崎晴巳氏の「トッド人類学の基礎」(エマニュエル・トッド『世界像革命 家族人類学の挑戦』所収)に基づいて、その特異な思想をざっと紹介しておこう。

家族は「社会的動物」であるヒトの基礎をかたちづくる。家族を持たない社会は存在しないし、近親相姦のタブーのような人類共通のルールもあるものの、父系制や母系制、遺産の分配方法など、地域ごとに多様な制度が並存している。

従来の人類学では、こうした家族制度はアマゾンや太平洋諸島、アフリカなどの伝統的社会で研究されてきたが、トッドの独創は先進国(とりわけヨーロッパ)にも複数の家族制度があり、それがひとびとの考え方(イデオロギー)に強い影響を与えている、と考えたことだ。

トッドによれば、日本社会は父が家長として一族を従えるとともに、長子(兄弟のうちの最年長者)のみが結婚しても家に残りすべてを相続する「直系家族」に属する。姉妹は他家に嫁ぎ、弟たちは家を出て自ら生計の道を見つける。江戸時代には、家を継げない農村部の若者は江戸や大坂、京などの都市に丁稚に出ていき、武家や商家では弟が分家をつくり、貴族では出家して宗教界に身を置いた。

これは私たちにとって当たり前の家族制度で、西ヨーロッパでもドイツ圏(オーストリア、スイスのドイツ語圏を含む)、スウェーデンとノルウェーの大部分、アイルランド、スコットランド、ウェールズのグレートブリテン西部、フランスの南半分、イベリア半島北部など広い範囲に分布する。だが実際は、直系家族は世界的には少数派で、アジア圏では日本と韓国に見られるだけだとトッドはいう。

直系家族の特徴は父(家長)の権威主義と兄弟間の不平等だ。そのためこの家族制度で育ったひとたちはごく自然に権威を受け入れ、社会は不平等だと考えるようになる。これは一見、万世一系の天皇を「家長」とする戦前の天皇制や、昨今の格差社会(不平等の受容)をうまく説明しているように見える。

それに対して、中国やロシア、中東などユーラシア大陸の大半と北アフリカは「共同体家族」で、父親が権威主義的な家長になるのは同じだが、兄弟は成人して結婚しても実家に住みつづけ、遺産も兄弟間で平等・均等に分配される(共同体家族はヨーロッパではトスカーナを中心とするイタリア中部のみに分布する)。

大家族を形成する共同体家族で生まれ育ったひとたちは、権威を当然のものと受け入れるものの、社会の基本は平等にあると考える。共同体家族はイトコ婚を優先する内婚制と、家族の外から嫁を探す外婚制に分かれ、外婚制共同体家族は中国、ロシア、ベトナム、ブルガリア、旧ユーゴスラヴィア、フィンランドなどに分布する(それに対して内婚制共同体家族はパキスタン、アフガニスタン以西の中東と北アフリカに分布)。

トッドは、権威主義と平等主義を原則とする外婚制共同体家族の地域が旧共産圏と見事に重なることを発見した(イタリア共産党の最大の拠点はトスカーナだった)。「家族制度がイデオロギーを規定する」というトッドの主張は、当然のことながらはげしい論争を巻き起こした。

ラテン系の平等主義核家族、アングロサクソン系の絶対核家族

トッドによれば、世界にはこれ以外にも、ヨーロッパ起源の2つの主要な家族制度がある。

ひとつは「平等主義核家族」で、子どもは成人して結婚すると、長子も含めて全員が家を出て独立の家庭を構える。親が死ぬと、遺産は兄弟のあいだで平等・均等に分けられる。この家族形態はパリ盆地を中心とする北フランス、北部沿岸部を除いたイベリア半島の大部分、イタリアの西北部とシチリアを含む南部などに主に分布し、植民地主義の時代にブラジルやアルゼンチンなど南米に広がった「ラテン系の家族制度」だ。

もうひとつは、成人して結婚した子ども全員が家を出て独立した世帯を構えるが、遺産相続は遺言によって行なわれ、兄弟間の平等はあまり顧慮されず、親が自分の好みと意志を主張する「絶対核家族」。こちらもヨーロッパ特有のもので、イングランド、オランダ、デンマークの大部分やフランスのブルターニュ地方に分布し、植民地主義によって北米、オーストラリア、ニュージーランドに広がった。こちらは「「アングロサクソン系の家族制度」だ。

平等主義核家族と絶対核家族に共通する特徴は親の権威が相対的に弱いことで、「自由」や「自立」といった概念に親しみやすい。

ラテン系の平等主義核家族は「ひとは自由で社会は平等だ」と考え、アングロサクソン系の絶対核家族は「ひとは自由で社会は不平等だ」とする。トッドによれば、自由と平等を至上の価値とする革命がフランスで起こったのはそこが平等主義核家族の地域だからで、アメリカが新自由主義(ネオリベ)なのはイギリスから絶対核家族の価値観を引き継いだからなのだ。

こうしてトッドは、主要な家族制度をラテン系(平等主義核家族)、アングロサクソン系(絶対核家族)、ゲルマン=日本系(直系家族)、旧共産圏(外婚制共同体家族)の4つに分ける。トッドの家族人類学は、家族制度のちがいがひとびとのイデオロギーやその国の歴史を決めてきたという「家族決定論」なのだ。

ひとつ付け加えておくと、トッドの主張は、「前近代的な直系家族や共同体家族から(絶対/平等主義的)核家族へと家族制度が近代的なものに変わっていく」という進歩史観ではない。どの社会がいかなる家族制度を採用するかは偶然の要素で決まり、いったん成立した家族制度は容易には変わらない。だからこそ、歴史の偶然がひとびとの運命に大きな影響を与えるのだ。

直系家族で日本と韓国のちがいを説明できるか?

日本とドイツは枢軸国として第二次世界大戦を戦い、戦後はともに経済成長に成功し、日本のサッカー選手がもっとも活躍できるのは(ドイツの)ブンデスリーガだ。

「日本とドイツは似ている」というのは誰もが漠然と思っているが、トッドの家族人類学はこれにシンプルな説明を与える。日本もドイツも同じ直系家族の国なのだ。――ついでにいうとユダヤ社会も直系家族だ。これは「日本人とユダヤ人は似ている」説の傍証になるかもしれない。

しかし、こうした論理にいかがわしいものを感じるひともいるだろう。すべての「決定論」に共通することだが、あとづけではなんでもいえてしまうのだ。

トッドによると、日本と韓国は直系家族で、中国は(外婚的)共同体家族だ。その一方で、中国と韓国は父系の一族が宗族を形成し、同姓同士は結婚せず、女性は結婚しても苗字が変わらない。日本には同姓不婚のタブーがなく、女性が苗字を変えて「イエ」に入るのだから、家族制度に顕著なちがいがある。

中国・韓国は儒教社会で祖先の霊を祀る家長は長男だけだが、日本のイエ社会では血縁関係のない養子や入り婿でも家長になれる。後世に引き継がれるのが血(父系の血統)なのかイエなのかはひとびとの意識や社会の形成に大きな影響をもたらすだろうが、家族人類学ではこのちがいは捨象されてしまう。

トッドは、平等主義の社会は異民族や人種間の結婚に寛容で、不平等主義の社会は人種や民族のちがいを当然と考えるという。これも南米などラテン系平等主義(スペイン、イタリア)の植民地で混血が進み、北米などアングロサクソン系不平等主義(イギリス)の植民地では人種間の結婚が少ない理由を見事に説明しているようだ。――とはいえ、ラテン系平等主義の”本家”であるスペインやイタリアでは移民との混血が進んでいるわけではなく、反移民のポピュリスト政党が大きな影響力をもつようになった。

ちなみにトッドは、平等主義が善で不平等主義が悪だという道徳的評価をしているわけではない。平等主義には「平等」のカテゴリーに入らない相手を全否定する悪弊があり、不平等主義には異なる相手を異なるままに受け入れる寛容さがある。「分割して統治せよ」のイギリス流の植民地政策はその典型だ。

だがこの分類は、不平等主義の直系家族であるはずの日本の植民地政策には当てはまらない。周知のように、戦前の日本は五族共和、一視同仁を掲げて朝鮮や台湾のひとびとを「日本人」にし、建前のうえでは「平等」に扱おうとしたからだ。日本がなぜ不平等主義のイギリス型植民地政策を採用しなかったかは、天皇を幻想の家長とする「イエ社会主義」から説明した方が説得力があるだろう。

もちろんここで、トッドの家族人類学の当否を論じるつもりはない。そこにさまざまな議論の余地があることを確認したうえで、「シャルリ」についての分析を見てみよう。

トッドによれば、世界の多くの地域では「ひとつの国家=ひとつの家族制度」なのに対し、フランスには上記4つの社会制度がすべて含まれている(それ以外にもイギリス、イタリア、スペインは複数の家族制度があるが、ドイツは直系家族制度で統一されている)。

フランスの主な家族型はパリ盆地と地中海沿岸の平等主義核家族と、フランス南部(スペインとの国境沿いのオック語地方)の直系家族で、10世紀のカペー朝発足以来、パリ盆地の勢力とフランス南部の勢力が内戦と征服を繰り返してきた。中世以降のフランスの歴史は、「自由+平等」(パリ盆地)と「権威主義+不平等」(フランス南部)の対立であり、フランス革命によって平等主義核家族が直系家族に勝利したのだ。

とはいえ、家族人類学ではいったん成立した家族制度は容易なことでは変わらない。家族型による地域対立は、現代フランスの政治・社会状況にも影を落としているはずだ。

こうしてようやく本題にたどり着いた。『シャルリとは誰か?』は、フランスにおける家族型の対立から移民問題や政治的対立を読み解こうとする試みなのだ。

「ゾンビカトリシズム」と「ネオ共和主義」

トッドはこの本の冒頭で、1960年に日曜のミサに参加する地域別割合の図を掲載する。それによると、パリ盆地と地中海沿岸はミサの参加率が20%未満で、南部のピレネー山脈麓から東部のアルザス=ロレーヌ、西部のブルターニュ、北部のノルマンディなどはミサへの出席率が高い。これはまさに、パリとプロヴァンスを中心とする「自由と平等」の世俗的なフランスと、それを囲む「権威主義と不平等」のカトリック的フランスの対立が20世紀半ばまでつづいていることを示しているようだ。

この説明から誰もが、世俗的なフランスがリベラル(左翼)を志向し、カトリックのフランソが保守(右翼)を好むと思うだろう。実際、共和主義、共産主義、労働総同盟(CGT)は世俗的なフランスで発展し、伝統的な保守勢力とフランス・キリスト教労働者同盟(CFTC)は「カトリックのフランス」を拠点とした。この2つのフランスの対立が1789年(フランス革命)から1960年まで、フランスの社会および政治の基本的な構造をつくってきたのだとトッドはいう。この関係が現在もつづいているのなら話はかんたんだ。

だが、議論はここから徐々に錯綜していく。

「私はシャルリ」を掲げたひとびとがもっとも多く集結したのはパリだった(人数だけでなく参加者の人口比も高い)。もちろん南部のボルドー、東部のリヨン、西部のレンヌ、北部のシェルブールといった「カトリックのフランス」でもデモの参加率は高い。だがパリと並んで「世俗的なフランス」を代表するニースやマルセイユなど地中海沿岸では参加率は相対的に低いのだ。

さらに困惑するのは、2012年のフランス大統領選で極右政党である国民戦線のルペンの得票率だ。中東部のブルゴーニュなどと並んで国民戦線の牙城となったのは、もっとも世俗的なはずの地中海沿岸とパリ盆地の北東部なのだ。その一方で、同じく2012年の大統領選で社会党のオランドに投票したのはもっとも保守的なはずのピレネーなどフランス南部と西部のブルターニュだった。こうなると「世俗派」と「保守派」が逆転してしているわけで、平等主義と不平等主義の構図が崩壊してしまう。

そこでトッドは、2つの新奇な概念を登場させる。それが「ゾンビカトリシズム」と「ネオ共和主義」だ。

まずトッドは、2009年にカトリックだと自己申告した割合から、フランス全土で宗教が急速に消滅していることを指摘する。従来、カトリックの影響が強かった保守的な地域における教会の消滅は無神論や啓蒙主義につながるのではなく、心理的な空白をもたらした。これが「ゾンビカトリシズム」で、そこでは彼らは“新しい神”としてユーロを崇拝する。これが、保守派がキリスト教系の政党から社会党に乗り換えた理由だとトッドはいう。

その一方で「世俗的なフランス」は、共和主義のよき伝統を捨てて偏狭な普遍主義に堕した。普遍主義者たちは、フランスに暮らすムスリムも「自由と平等」のフランス革命の理念に完全に従うべきだと主張し、この要求を厳格に満たせない者を「平等」のカテゴリーから排除し、全否定する。こうして偏狭な普遍主義者は、イスラーム排斥を唱える国民戦線を熱烈に支持するようになった。これが「ネオ共和主義」だ。

繰り返しになるが、シャルリ追悼デモの参加者をトッドは次のように評した。

「私はシャルリだ、私はフランス人だ、私には、自分のカトリシズムに対するのとまったく同様に他者たちのイスラム教に対しても冒涜する権利があり、さらにその義務さえもある」

トッドによれば、これはパリ市民がネオ共和主義になったからで、ボルテールらがかつてカトリックを冒涜したのと同様に、自分たちにはイスラームを冒涜する権利があるばかりか、イスラームへの冒涜は「共和制原理主義者」の義務だと考えているのだ。

トッドの難解な議論を私なりに簡略化すると、シャルリとは「ネオ共和主義」と「ゾンビカトリシズム」によって変容し不寛容になったすべてのフランス人のことになる。

「マルチリンガル国」と「モノリンガル国」

トッドの議論がどこまで妥当性があるかは読者が判断することだが、このようなアクロバティックな理屈が必要になるのは「平等主義的核家族」と「直系家族」という枠組に拘泥しすぎているからのように思える。

たとえばトッドは、EU創設を定めたマースリヒト条約に賛成票を投じた層と、シャルリ追悼デモの規模が、生産人口に占める上流中産階級(管理職・専門職層)の割合と相関関係にあるという。これはカトリシズムの退潮(ゾンビカトリシズム)と、ライシテ(世俗主義)を金科玉条とする中産階級(知識層)がネオ共和主義化した結果だとされるが、私見では、この変容は知識社会化におけるヨーロッパの二極化と、ヨーロッパ全体のリベラル化によってすっきり説明できそうだ。

ヨーロッパを旅行して驚くのは、複数言語を話す(マルチリンガルの)ひとたちが急速に増えていることだ。EU成立で域内の移動が自由化されると、北欧やベネルクス三国のような小国では英語が第二外国語化した。アムステルダムやストックホルムでは、通りがかりのひとに道を訪ねれば即座に英語でこたえが返ってくる。

彼らのなかには他のヨーロッパの言語を習得するひとたちもいて、私がモロッコのレストランで出会ったオランダ人のカップルはフランス語で店主と会話し(モロッコはかつてのフランス植民地)、ドイツ人のレズビアンカップルにはドイツ語で話しかけ、私には英語でお勧めの土産物店を教えてくれた。彼は語学の専門家ではなく、旅行好きのなかには3~4カ国語を話すひとは珍しくないのだという。

こうしたヨーロッパのマルチリンガル化は、ドイツやイタリア、スペインなどの都市部に広がり、「フランス語以外は言語とは認めない」といわれたパリでもほとんどのレストランで英語が通じるようになった。しかしその一方で、ヨーロッパの片田舎にはいまだに英語で数も数えられないモノリンガル(単一言語)のひとたちがいる。

労働者や農業従事者に多いモノリンガル層と、管理職・専門職層が中心のマルチリンガル層とでは、同じフランス人(イタリア人、スペイン人)でも仕事はもちろん価値観、生活習慣、趣味に至るまでまるでちがう。そう考えると、ヨーロッパにはさまざまな「国家」があるのではなく、「マルチリンガル国」と「モノリンガル国」に二極化していると考えた方がいい。リベラルなマルチリンガル層がEUを支持し、保守的なモノリンガル層が共同体を求めるとすれば、マースリヒト条約への支持層が職業や所得で分かれるのは当然なのだ。

「シャルリとは誰か?」はヨーロッパのリベラル化で説明できる

冷戦終焉後の四半世紀でヨーロッパは急速にリベラル化してきた。スティーヴン・ピンカーが指摘するように、現在の「保守」は、かつての「リベラル」よりもずっとリベラルになっている。

かつてはリベラルで寛容だったひとたちが「イスラーム」に対して不寛容になったことを、トッドは平等主義的な家族制度の負の側面(ネオ共和主義)として説明するが、これも話はもっとシンプルだ。

私たちの価値観が急速に変わっていることは、喫煙を例にあげるとわかりやすい。1970年代までは病院の待合室にも当たり前のように灰皿が置いてあって、風邪で咳き込む子どもの隣で大人が平然とタバコを吸っていた。80年代になっても病院の一角に喫煙スペースが設けられ、その周囲は紫煙が立ち込めていた。だがその後、こうした光景は急速に消えていく。いま病院の待合室でタバコをくわえようものなら、狂人を見るような視線を浴びることは間違いないだろう。

同じような価値観の転換がドメスティック・バイオレンスや子どもへの虐待、同性愛者への就職差別などでも起きた(これらはどれも70年代は広く許容されていた)。この「権利革命」を牽引したのがヨーロッパのリベラルだ。

何年か前のことだが、マレーシアの空港で搭乗を待っていると、若い白人女性の近くにアラブの夫婦が座った。バカンスらしく、白人女性はタンクトップにシュートパンツという下着のような格好をしていた。それに対してアラブ人の妻は、全身を黒のブルカで包んで目だけを出していた。そのとき白人女性がアラブ人の夫にちらりと目をやったのだが、そこには、露骨な嫌悪が表われていた。ヨーロッパのイスラーム批判の中核にあるのは宗教的対立というよりも(女性の)人権問題で、それは「多文化の共生」というリベラルの理想の適用外なのだ。

このように考えると、マルチリンガルのリベラル(知識層)が「私はシャルリ」を掲げて街頭に出た理由もわかる。彼らはムハンマドへの冒涜を義務だと考えたのではなく、病院の待合室で堂々とタバコを吸うような行為に対して「NO」を突きつけた。リベラル化したヨーロッパにおいてイスラームは「リベラルでないもの」に分類され、市民社会から排除されつつあるのだ。

リベラルで所得の高いマルチリンガル層がEUを支持し、「私はシャルリ」の標語を掲げた。それに対してモノリンガル層は共同体への帰属感を求めるナショナリストで、「シャルリ」にはさして興味をもたなかった(同じマルチリンガルでも、事件現場から遠い地中海沿岸ではわざわざデモに出ようとは思わなかった)。このように考えると、家族制度の複雑な議論を抜きに、知識社会における二極化とヨーロッパのリベラル化だけでフランスで起きている変化を説明できそうだ。

もちろんこれは、トッドの家族人類学がなんの意味もないという話ではない。その詳細な分析には教えられるところが多々あるが、それを一種の決定論としてヨーロッパの移民問題やテロに当てはめて複雑な議論をするよりも、もっとシンプルに考えてもいいと思うのだ。

禁・無断転載

ミシェル・ウエルベックの『服従』からパリ同時多発テロ事件を考える

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2015年11月19日公開の「パリ同時多発テロの裏で、 フランスが「豊かな欧州」から没落しつつある現実」です(一部改変)。

2015年の同時多発テロの舞台となったパリ東駅近くのサン・マルタン運河(Alt Invest. Com)

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2013年12月にパリを訪れたときはモロッコのマラケシュに行くためのトランジットで、パリ東駅近くのホテルに泊まった。

Trip Advisorによると、このあたりは一時スラム化が問題になっていたが、近年は再開発が進んで、サン・マルタン運河周辺には洒落たレストランが次々とオープンし、ちょっとした人気スポットになっているのだという。

運河は東駅の横を流れ、途中で地下に潜りバスティーユ広場の先で地上に出て、セーヌ川に合流する。

運河の両岸はきれいに整備されたマロニエの並木道で、ところどころに鉄製の太鼓橋がある。個人営業の小さなレストランが運河沿いに点在していて、平日(火曜日)の夜にもかかわらずどこも賑わっていた。

たまたま覗いたレストランでテーブルがひとつだけ空いていたので、そこで食事をすることにした。レストランの女主人は、「このあたりは観光客は珍しいのよ。日本人は、たぶんあなたがはじめて」といった。

2015年11月13日(金)の夜、パリ市内でIS(イスラム国)の戦闘員による同時テロが起きたが、その標的となったのがこの地区だ。15人が死亡したカンボジア料理店「ルプチカンボジュ」は、上の写真では運河の左手にある。襲撃犯はレストランの客を無差別に銃撃したあと、運河を渡ってすこし先にあるバタクラン劇場に向かい、「アラー・アクバル(神は偉大なり)」などと叫びながら観客に向けて銃を乱射し90人ちかくが犠牲になった。

フランスとドイツの親善試合が行なわれ、オランド大統領も観戦していたサッカースタジアム、スタッド・ド・フランスにも、襲撃犯は強力な爆発物を持ち込もうと試みた。このスタジアムの最大収容人数は8万人超だから、テロが実行されればとてつもない惨劇になったにちがいない。

15年1月のシャルリー・エブド襲撃事件では、ムハンマドの風刺画を掲載した雑誌社が標的となった。社内に警察官が常駐していたように、彼らはリスクを自覚していたが、今回は一般市民が狙われたことで動揺がさらに広がっている。

常軌を逸した凶行というほかないが、ISの戦闘員は狂人ではなく、彼ら独自の「正義」のために戦っている。その正義によれば、これはフランスとイスラム国の国家間戦争であり、フランスが空爆によってイスラム国の市民を殺傷している以上、その罪をフランス市民が自らの生命で贖うのは当然なのだ。これが、テロリストがパリ市内の観光地ではなく、地元のひとたちが集まる地域を選んだ理由だろう。

同時テロを受けてオランド大統領はISとの「戦争」を宣言し、イスラム国への空爆を強化した。これによってフランスはISと同じ認識を共有することになり、相手の土俵に引きずり込まれていく。9.11同時多発テロのあとにアメリカのブッシュ政権がはまりこんだ構図だが、他に有効な対抗手段がない以上、しかたのないことでもあるのだろう。

一部の中東専門家は、報復の応酬では双方の憎悪が膨らむだけで、問題は解決しないのだから、唯一の解決策はイスラム国を「国家」と認めて交渉することだという。だが西欧諸国にこうした提案を受け入れる余地はなく、IS掃討のためにシリアに地上軍を投入するようなことになれば事態はさらに泥沼化しかねない。

ブッシュが独裁者フセインを打倒すべくイラクへの侵攻を主張したとき、フランスは先頭に立ってそれに反対した。皮肉なのは、そのフランスがいまやイスラーム過激派との終わりなき戦争に突入しつつあることだ。

予言の書としてベストセラーになったウエルベックの『服従』

近頃翻訳されたフランスの人気作家ミシェル・ウエルベックの『服従』(大塚桃訳/ 河出文庫)では、2022年にフランスはムスリムの大統領を迎え、イスラームに「服従」することになっている。

『服従』の発売日は2015年1月7日で、『シャルリー・エブド』が襲撃された当日だった。そのうえ、表紙ではウエルベックが(イスラームの象徴である)三日月と星の三角帽をかぶり、煙草をくゆらせながら、「2015年、私の歯は抜け落ちるだろう。2022年、私はラマダンの断食をするだろう」と“預言”していた。このあまりにもできすぎた偶然によって、『服従』はフランス国内で60万部を超えるベストセラーになり、そしてこんどは、その日本語訳が発売された直後にパリの同時テロ事件が起きた。

だが『服従』を読んでみると、これを『預言の書』とするには無理がある。

ウエルベックの小説によれば、2017年の大統領選ではオランドがかろうじて再選を果たすものの、次の2022年はマリーヌ・ル・ペンの国民戦線が支持率30%で第一党になり、社会党の支持率は20%と低迷している。ところがそこにモアンド・ベン・アッベスなる超エリートのムスリムが率いる「イスラーム同胞党」が登場し、社会党と並ぶ20%の支持率を獲得する。社会党は“極右”のル・ペンよりもベン・アッベスを大統領にしたほうが自分たちの既得権を維持できると考え、イスラーム同胞党と連立政権を組むことに決める。こうしてフランスはイスラーム化していく……という話だ。

しかしすぐにわかるように、「イスラーム同胞党」なる政党は存在せず、政教分離(ライシテ)を国是とするフランスに政教一致のイスラーム政党の居場所があるとも思えない――公立学校においてヒジャブ(スカーフ)を着用することすら法で禁じられているのだ。

また仮にイスラーム政党が誕生しても、フランスの人口6600万人のうちムスリムはおよそ500万人(約7.5%)で、そこには市民権を持たない移民も含まれるのだから、7年後にムスリムが有権者の20%を超えるというのも荒唐無稽な話だろう。

実質的なデビュー作である『素粒子』(野崎歓訳/ちくま文庫)以来、良識あるひとたちの神経を逆なでする作風で人気を博してきたウエルベックは、もちろんこんな批判は端から承知のうえにちがいない。しかしそれでも、『服従』が近未来小説の形式をとっている以上、リアリティの有無が重要なことは間違いない。ところが奇妙なことに、「自由」と「人権」の近代民主社会を誕生させたと自負するフランスは、 自らのアイデンティティを全否定してイスラーム国家へと変わっていくというのに、パリ市内で散発的に暴動や銃撃戦が起きるだけですべては平穏のうちに進んでいくのだ。

素通りされたイスラーム原理主義

『服従』では、イスラーム原理主義の問題も素通りされている。

政教分離の市民社会では、宗教は各自の私的な領域にとどめ公の場に持ち込んではならないとされる。この原則は当然、共和国内のムスリムにも適用されるから、世俗的かつ穏健なムスリムは、イスラームをキリスト教やユダヤ教などさまざまな宗教のひとつとし、ほかの神を(あるいは同じ神を異なるやり方で)信じるひとたちの信仰の自由を尊重するとともに、公的生活においは民主的に決定された法の支配に服する。ところがクルアーンでムハンマドは、こうした“キリスト教的政教分離”を明確に否定し、アッラーの言葉は神の国の法であると同時に世俗の法でもあると宣言しているのだ。

このことが、大多数の穏健なムスリムを苦境に追いやることになる。西欧の市民社会は彼らに対し、公的領域ではムハンマドの言葉よりも法を優先するよう求める。それに対して「原理主義者」は、世俗化したムスリムをアッラーの教えに背く反イスラーム(似非イスラーム)とみなすだろう。ISの過激思想がヨーロッパの若いムスリムを惹きつけるのは、時代背景を無視してクルアーンを逐語的に解釈するなら、それが「純粋」で「正しい」からなのだ。

穏健なムスリムが原理主義(サラフィー主義)を否定できないと、市民社会(右派・保守派)から疑いの目で見られ、「イスラームは遅れた宗教」とのステレオタイプがつくられていく。こうしたステレオタイプが定着すると、純真なムスリムほど多数派の「抑圧」に反発し、過激思想(純化したイスラーム)に引き寄せられる。この悪循環によって“カルト”が増殖していくのだ。

ところが『服従』では、イスラーム原理主義にほとんど言及されることなく、穏健で世俗的な「イスラーム同胞党」は社会党の支持のもとにあっさりと政権を獲得してしまう。

2001年の(奇しくも9.11同時多発テロと同じ年に発表された)『プラットフォーム』( 中村佳子訳/河出文庫)では、主人公の最愛の女性がイスラーム過激派のテロで殺されるばかりか、エジプトの知識人やヨルダンの銀行家が露骨なイスラーム批判を口にしていた。

この作品でウエルベックはイスラーム社会から激しい抗議を浴びることになるのだが、『服従』ではそれに懲りたのか、フランスを支配したイスラーム政権は莫大なオイルマネーで国民を懐柔し(40代で退職しても死ぬまで優雅に暮らせる年金が支給されるのだ)、“グローバル資本主義”よりもずっと幸福な社会が訪れる。もっとも、その後は大学や公教育のイスラーム化が次々と進められることになっているから、原理主義者も満足するように帳尻は合っているのかもしれないが。

性生活の衰えと「西欧の没落」

出世作の『素粒子』ではニューエイジ的なフリーセックスのコミューンの実態を暴き、『プラットフォーム』ではタイの売春ツアーが題材になった。ウエルベックの魅力は、「個人の自由を極限まで追求すれば、セックス以外に価値のあるものはなくなってしまう」という(一部)フランスの知識人の現実=リアルを赤裸々に描いたことだ。

『服従』でもそれは一貫しているものの、ウエルベックの代名詞ともなった露骨な性描写は控えめで、ほとんどが主人公(大学のフランス文学教師)の独白と妄想で埋められている。主人公のフランソワの興味もセックスだけで、たいした葛藤もなくイスラーム政権を受け入れる理由は、一夫多妻制の導入によって15歳の少女を妻に迎えることができるからなのだ。

ほとんどのムスリムは一夫一妻で不倫や婚前交渉も禁じられているのだから、セックスを目的としてイスラームに改宗するのは冒涜以外のなにものでもない。そのうえこの本には、権力目当ての俗物を除けば、まともなムスリムは一人も登場しない。イスラーム社会の反感をかったウエルベックは、いまでは(ムスリムのほとんどいない)パリの中華街のアパートで護衛つきの生活を送っているという。

ウエルベックの本はこれまで、「西欧の没落」と重ね合わせて読まれてきた。自分自身の性的な衰えが、「自由」や「人権」という人類の普遍的価値を体現したはずのヨーロッパの衰退と二重写しになって、その対極にあるイスラームに「服従」していくというのがこの作品の面白さだ。

このような作品が、ドイツやイギリス、あるいはイタリアやスペインではなく、フランスから現われたというのは、ある種の歴史的必然なのではないだろうか。

ギリシアの財政危機でも明らかになったように、ヨーロッパは「北」と「南」に分裂しつつある。そしてドイツとともにEUの中核であるはずのフランスはいま、「ゆたかな北」から「貧しい南」に転落しつつある。この“没落感覚”を個人的な性体験や西欧・人類の運命にリアルに反映できるのはフランスの知識人だけなのだ、たぶん。

いずれにせよ、現実は作家の想像力を超えて進んでいき、『服従』は絵空事になってしまった。

レバノンの首都ベイルートの住宅街で起きた自爆テロでは少なくとも37人が死亡、181人が負傷した。エジプトの観光地シャルムシェイクからサンクトペテルブルクに向かうロシアの旅客機の墜落事故では乗客・乗員224人が犠牲になった。トルコの首都アンカラで起きた自爆テロでは、死者は少なくとも95人、負傷者は246人に達した。この1カ月あまりで、ISは世界各地で4件もの大規模テロを実行したことになる。

ISによるさらなるテロが計画されているとの情報も流れているが、これ以上、犠牲者の出ないことを祈りたい。

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