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デモクラシーはポピュリズムの暴発を防ぐためのコスト? 週刊プレイボーイ連載(312)


世界有数の観光地バルセロナのあるカタルーニャ州の独立問題でスペインが混乱しています。10月1日に行なわれた独立の是非を問う住民投票で9割を超える賛成を得た(ただし半数は棄権)ことでプッチダモン州首相は「カタルーニャ共和国」の独立宣言に署名、州議会で賛成多数で可決されましたが、住民投票自体が憲法裁判所で差し止められており、中央政府は州政府幹部を更迭し直接統治を行なうことを決めました。プッチダモン州首相は国家反逆罪や扇動罪で起訴され、州政府幹部とともにベルギーに脱出しました。

イラクのクルド人自治区でもほぼ同じ頃、独立分離の是非と問う住民投票が行なわれ、9割以上が独立に賛成しました(2017年9月25日)。クルド人は2500万~3000万人がイラク、イラン、トルコ、シリアに分かれて暮らし、「独自の国家をもたない世界最大の民族集団」とされています。クルド国家ができることは周辺諸国にも甚大な影響を与えるため、イラク政府は原油の生産拠点であるキルクークに軍隊を送って奪取し、トルコ政府はクルド地区から原油を送り出すパイプラインを遮断するとして圧力をかけました。これによって自治区の経済は混乱し、独立運動を主導してきたバルザニ議長が辞任を余儀なくされました。

スペイン政府がカタルーニャの独立を認めないことは最初からわかっていましたが、プッチダモン州首相は住民投票で独立派が圧勝すればEUが仲介に乗り出すとの“期待”を繰り返していました。しかしスペイン以外にもイタリア(北部地域)やベルギー(フランドル)などでやっかいな独立運動を抱えるEUがカタルーニャ側に立って介入できるはずはなく、「独立」の熱気が冷めればどこからも支援を受けられない現実がはっきりしました。

クルド自治区のバルザニ議長は、イラクやシリアでのIS(イスラム国)掃討作戦で、軍事組織ペシュメルガが米軍に協力して大きな成果をあげたことで、住民投票で圧倒的多数が独立を望んでいることがわかれば、「民主主義の擁護者」であるアメリカがイラク政府との交渉を仲介してくれるとの“希望”を振りまいていました。ところがトランプ政権は住民投票の実施にすら反対し、イラク軍によるクルド自治区への攻撃も容認しました。

とはいえ、カタルーニャ州のプッチダモン首相やクルド自治区のバルザニ議長を一方的に断罪するのは公正とはいえません。イギリスのEU離脱を決めた2016年6月の国民投票では、離脱派の圧力によってキャメロン首相には選挙以外の選択肢はありませんでした。これはカタルーニャ州やクルド自治区も同じで、ひとびとの独立への期待が高まるなか、評論家のように「そんなことできるわけない」といっていてはたちまち権力の座を追われてしまうでしょう。彼らはポピュリズムを煽ったかもしれませんが、ポピュリズムに抗することもできなかったのです。

イギリスのEU離脱交渉が混迷を深めているように、一時の激情で決めた判断はたいていうまくいかず、リアリストの主張が正しいことが証明されます。デモクラシー(民主政)というのはポピュリズムの暴発を防ぎ、莫大なコストをかけてひとびとに苦い現実を受け入れさせていく手続きなのかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2017年11月13日発売号 禁・無断転載

カテゴリー: 「読まなくてもいい本」の読書案内, Column | 3件のコメント

『専業主婦は2億円損をする』あとがき


本日発売の新刊『専業主婦は2億円損をする』のあとがきを、出版社の許可を得て掲載します。 

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「なんで専業主婦の話をわたしが書くんですか?」

2014年の冬にマガジンハウスの広瀬桂子さんとお会いしたとき、最初に訊いたことです。

広瀬さんは、「日本の女の子の3割が専業主婦になりたがってるなんて、ぜったいおかしい」と思っていて、彼女たちのための「人生設計」の本をつくろうと考えていました。

わたしはそれまで何冊か、「どうすればもうちょっとうまく生きられるか」という本を書いてきましたが、専業主婦のことなど考えたこともありませんでした。男の立場で見たことしか知らないのですから、ワーキングマザーとして社会的・経済的に成功したひとが、若い女性に向けて人生設計を語ったほうがいいのではないか、と思ったのです。

ところが広瀬さんは、そんな企画はぜったいに成立しない、といいます。

ひとつは、女性誌やTVの多くが「主婦」をターゲットにしていることからわかるように、専業主婦批判が一種のタブーになっていることです。「主婦を敵に回してもなにひとついいことはないから、そんなことする女性の筆者なんていません」と広瀬さんはいいます。これについては、わたしの場合、専業主婦になんのうらみもありませんが、うらまれて困ることもありません。

もうひとつは、「女性が書くと“わたしはこんなにがんばった”という話になってしまい、それだと共感できない」からだといいます。こうした女性心理はわたしにはよくわかりませんが、広瀬さんはずっと、専業主婦がいかに不利な人生の選択かを客観的に語れる著者を探していて、わたしが「専業主婦になって3億円をドブに捨て、お金がないからと(当たるはずのない)宝くじ売り場に並ぶのはおかしい」と書いているのを見てこの企画を思いついたのです。

わたしのビジネスモデルは、「ほかのひとがやろうとしないニッチがあれば、とりあえず参入する」というもので、「日本では専業主婦批判はタブー」と聞いたことでこの企画に興味をもちました。しかし、読者として想定する「賢いJK(女子高生)から二十代の女性」に向けての文章など書いたことがありません。そこで、わたしの話をライターの青木由美子さんに原稿にまとめてもらい、それをベースに書き直すことにしました。文責がわたしにあるのはもちろんですが、その意味でこの本は、広瀬さん、青木さんとの共作ということになります。

『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)をお読みになった方はすぐに気づくと思いますが、この本は、そこで述べたことを若い女性向けにカスタマイズしたものです。わたしの本はビジネスパーソンが主な読者ですが、人生を「金融資本」「人的資本」「社会資本」という3つの「資本」に分けるのは「原理的」な考え方なので、若い女性でも、子どもでも、日本とは文化のちがう外国人でも、だれにでも適用可能なのです。

その意味でこれは、新しいパッケージで読者の幅を広げたいという試みでもあります。もっと詳しい話を知りたいと思っていただけたなら、『幸福の「資本」論』もぜひ手にとってみてください。

1980年代のことですからずいぶんむかしになりましたが、24歳で「でき婚」して長男が生まれました。共働きにならざるを得なかったのはわたしの年収が120万円しかなかったからで、ゼロ歳で公立保育園に入園させると、平日5日のうちわたしが朝の送りを3回、夜の迎えを2回担当にすることになりました。

当時の公立保育園は午前9時から午後5時が基本の保育時間で、送りか迎えのどちらかを1時間延長できました。午前8時に子どもを預けると午後5時に迎えにいかなくてはならず、午後6時まで預かってもらうなら午前9時に送りにいく決まりで、例外はいっさい認められませんでした。すぐにわかるように、これではふつうの会社の勤務時間にまったく合いません。

しかしそれ以上に大変だったのが、子どもが頻繁に熱を出すことでした。当時は携帯電話はなかったものの、ポケベルが普及しはじめていました。ブザーが鳴って発信元の電話番号が表示されるだけの機械ですが、相手が電話の近くにいないと連絡のとりようがなかったときから比べると画期的な発明だったのです。

ポケベルは、お迎えをするほうが持つことにしていました。検温で38度を超えると、保育園からポケベルに通知(お迎えコール)が入ります。すると5分以内に(厳密に決められているわけではないがそんな雰囲気でした)保育園に電話を入れ、1時間以内に(こちらも明文化されているわけではないものの、1時間を超えると露骨に嫌な顔をされました)迎えにいかなくてはならないのです。

最初の頃は不安なので、お迎えの担当の日はずっとアパートにいて、おむつの洗濯をしたり(当時は布おむつが主流でした)、野菜を煮込んで離乳食をつくったりしていました。そのうち慣れてくると近所まで出かけるようになりましたが、ベルトにはさんだポケベルが気になって30分以内に保育園に駆けつけられる範囲にしていました。なぜこんなことができたかというと、当時、わたしがフリーランスの編集者だったからです。

その後、フリーのまま中堅の出版社で仕事をするようになりますが、週2回のお迎えはつづけていました。午前10時に出社するには朝の9時に子どもを保育園に連れて行けばいいのですが、迎えにいくのが午後6時なので、夕方5時には会社を出なくてはなりません。

しかしそれより問題なのは、お迎えコールでした。会議中でも、ポケベルが鳴ると慌てて電話まで走り、「すみません。子どもが熱を出したので」といって帰ってしまうのですから、正社員としてはたらくのは無理だったのです。ワークライフバランスが叫ばれる現在でも変則的なはたらき方でしょうが、80年代半ばの出版業界には面白いひとがたくさんいたので、変わり者の一人と思われていただけでした。

子どもが小学校にあがると、学童保育に入れました。共働きの家庭のために夕方まで子どもを預かってくれる制度で、施設やスタッフは自治体が提供するものの、運営には親が積極的にかかわるというのが原則でした。

当時は東京都内の公立小学校でも専業主婦が圧倒的で、共働きは「特別な事情がある家庭」と見られていました。それがかえって親同士の結束をかたくして、お祭りや遠足などをみんなで企画して盛り上がったことはよい思い出です。学童保育に子どもを預けているのは、「女もはたらいて当然」という“意識高い系”が4割、自由に使えるお金がほしいという“ちゃっかり系”が4割、シングルマザーなど、はたらかなくてはならない事情があるひとが2割、という感じでした。

いろいろあって、子どもが中学にあがるのを機に妻とは別々の人生を歩むことになりました。子どもはわたしのところに残ったので父子家庭になり、これは母子家庭よりもっと珍しかったのですが、もう子育てに手がかかることもなく、生活が大きく変わったということはありません。いちばん驚いたのは、年末調整のときに寡婦控除ならぬ寡夫控除という項目があるのを知ったことです。

その頃は公立中学の学級崩壊が大きな社会問題になっていて、学童クラブの親たちも、悩みながらも子どもを私立に入れていました。その影響を受けて中学受験をさせたところ、お坊ちゃん、お嬢さまのいく中高一貫校に合格しました。

入学式のあと保護者が集まる会があって、「うちは父子家庭ですがよろしくお願いします」と挨拶しました。

私立学校はPTAなど親同士のつき合いが大変だと聞いていましたが、そのあとは役員の話はもちろんクラスの連絡の類もほとんどありませんでした。あとで聞いたら、まわりのお母さんたちがわたしの代わりにぜんぶやってくれていたようです。それが代々引き継がれて、高校までの6年間、学校やPTAのことはなにひとつ知らないままでした。

もっともこれは、男女の役割分担がはっきりした日本社会だからで、母子家庭ならこうはいかなかったでしょう。専業主婦の“奥さま”しかいない学校で、クラスのお母さんたちは父子家庭など見たことがなく、どう扱えばいいかわかりませんでした。わたしのほうも“ママ友”のコミュニティに入る気などまったくありませんでしたから、双方の事情がかみあって大過なく日々が過ぎていったのです。

そんな理由で、子どもが私立学校に通っているあいだも専業主婦のお母さんたちとはなんの接点もありませんでした。現在はパートナーと共働きしながら、お互いの仕事を調整して、年に3カ月は海外を旅行しています。もちろん、「生涯共働き」が目標です。

――このような個人的な話を書いたのは、「専業主婦」を語るときには、どういう立場かが大きな問題になるからです。「専業主婦になってはいけない」といっているのに、保育園の送り迎えすらやったことがなかったり、妻が専業主婦だったりしたら読者はドン引きするでしょう。

最後に、エピソードをひとつ紹介します。

仕事場のある街に大学があります。ある日の夕方、近所を散歩していると、授業が終わったらしき2人の女子大生が前を歩いていました。そのうちの1人がついこのあいだ20歳の誕生日だったようで、「人生が80年として、もう4分の1が終わっちゃったんだよ」といっていました。わたしは大学生の頃、そんなことを考えたこともなかったので、「最近の若者は長期の計画を立てるんだなあ」と感心したのですが、そのあとの会話にびっくりしました。

「わたし、やっぱり子どもほしいなあ」20歳になったばかりの女の子がいいます。「でも、子どもを産んだら、人生、終わりだと思うんだよね」

「なんで?」もうひとりの女の子が訊きます。

「子どもがいたら、いろいろやってあげたいじゃん? そうしたら、仕事するとか、自分の好きなこととかもうできないし」

彼女のなかでは、子どものいる(専業主婦の)人生と、自分のための自由な人生は二者択一なのです。

20歳の女の子にこんなことをいわせる社会はどこかがまちがっている、と思ったのが、この本を世に問うことにした理由です。

2017年10月 橘 玲

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専業主婦は2億円をドブに捨てている


11月16日発売の新刊『専業主婦は2億円損をする』のプロローグを、出版社の許可を得て掲載します。

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あなたは「専業主婦」にどんなイメージをもっているでしょうか。

「なりたい!」「あこがれる」「つまらなそう」「楽じゃない?」なんてこたえが返ってきそうです。2016年の調査では、「将来は主婦になりたい」とこたえた若い女性は10人のうち3人もいました。

でも、こんな話を聞いたらどう思うでしょう?

1  専業主婦はお金がない
2  専業主婦は自由がない
3  専業主婦は自己実現できない
4  専業主婦はカッコ悪い
5  専業主婦になりたい女子は賢い男子に選ばれない
6  専業主婦には“愛”がない
7  専業主婦の子育ては報われない
8  専業主婦は幸福になれない
9  専業主婦は最貧困のリスクが高い
10 ぜんぶまとめると、専業主婦にはなにひとついいことがない

この本は、「なんでそんなことになるの?」と興味をもったあなたのために書かれています。

なぜ、専業主婦にはお金がないのか? それは、2億円をドブに捨てているからです。

これは、ものすごく単純な話です。

大学を出た女性が60歳まではたらいたとして、平均的な収入の合計は2億1800万円です(男性は2億6600万円)。これは、退職金は勘定に入っていません。

それにもかかわらず、日本でははたらく女性10人のうち、結婚後も仕事をつづけるひとは7人。出産をきっかけに退職するひとが3人もいます。10人のうち6人は専業主婦になって、40年かけて2億円になる「お金持ちチケット」をぽいと捨ててしまうのです。

「専業主婦になりたい女子は賢い男子に選ばれない」というところで、「なんで!」と思ったひともいるでしょう。日本では、バリバリはたらいてキャリアアップしていく女性(バリキャリ)よりも、男性を立てて家庭を守る「男尊女子(©酒井順子)」のほうがずっとモテるとされているからです。

たしかにそういうこともあるでしょうが、でも、男と女を逆にして考えてみてください。あなたが賢い男の子だとしたら、2億円の「お金持ちチケット」をもっている女の子と、それを捨ててしまった女の子の、どちらをパートナーに選ぼうとするでしょうか。2人でちからを合わせてはたらけば生涯年収は5億円にも6億円にもなるというのに……。

「もっともらしいこといっているけど、みんな、専業主婦になりたくてなってるんじゃない!」というひともいるかもしれません。

子どもを育てながらはたらこうとすると、いろんな苦労があることはたしかです。非婚化や少子化というのは、日本の社会が「結婚して子どもを産んでもロクなことがない」という強烈なメッセージを、若い女性に送っているということです。これはとてもむずかしい問題ですが、でもそれを理由に専業主婦になったところで、問題はなにひとつ解決しません。

理想の社会などどこにもありません。ここで提案しているのは、世の中がまちがっているということを前提としたうえで、どうすればあなたが幸せになれるか、ということです。

少子化と人口減のため日本経済は空前の人手不足になっていて、これからますます深刻化していきます。超高齢社会とは、高齢者の数が(ものすごく)増えて、若者の数が(ものすごく)少ない社会です。「若くてはたらける」女の子の価値はどんどん上がっていくのです。

ここに、「幸福な人生」を手に入れる秘密が隠されています。それは、「自由に生きることを大切にすれば、すべてではないとしても、かなりの問題は解決できる」ということです。これから社会に出て行く女の子にも、キャリアを目指してはたらきはじめた女性にも、子どもが生まれて仕事をつづけようか悩んでいるひとにも、そして(たぶん)専業主婦にも、ここに書いてあることはほぼほぼ役に立つはずです。

この本を手に取った方のなかには、いままさに会社を辞めて専業主婦になろうと考えているひとがいるかもしれません。わたしがいいたいのは、会社を辞めても仕事をやめるな、ということです。これからの長い人生を考えれば、いまのがんばりはかならずむくわれます。

日本ではいまだに、「男は外ではたらき、女は家を守る」という“分業”が主流ですが、このような時代遅れの生き方を選択すると、40歳を過ぎて夫は会社、妻は家庭という“檻”に閉じ込められてしまいます。

家庭生活に満足している女性の割合を国際比較すると、共働きが当たり前のアメリカでは67%、イギリスでは72%の女性が「満足」とこたえているのに、日本はたった46%です。若い女の子の多くが主婦に憧れ、実際に専業主婦になっているにもかかわらず、日本の女性の幸福度はものすごく低いのです。

なぜこんなことになるのか、これからその理由を説明していきましょう。

なお、この本で書いたことは行動経済学、進化心理学、脳科学など、近年のさまざまな研究成果にもとづいていますが、煩瑣になるので、いちいちデータを示したり註をつけたりはしていません。その代わり、巻末により詳しく勉強したいひとのための本を紹介しているので役立ててださい。

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不倫疑惑の議員の当選を認めないひとと、選挙結果を認めないひと 週刊プレイボーイ連載(311)


総選挙が終わってから、暗い気分になる話題がつづいています。

ひとつは、不倫疑惑によって民進党を離党した女性議員の当選に対して、「無効票が1万票もあるのに834票差で当選したのはおかしい」として、「選挙をやり直せ」という電話が選挙管理委員会に大量にかかっていることです。なかには2時間半も抗議するものもあるとのことで、ここまでくると常軌を逸しています。

もちろん選管は「開票は公正に行なわれ不正はあり得ない」と述べており、抗議になんの根拠もありません。アメリカでは「ヒラリー・クリントンがかかわる小児性愛者の巣窟」とのフェイクニュースをネットに書かれたピザ店に銃をもった男が押し入り、発砲するという事件が衝撃を与えましたが、日本の民度もアメリカと変わりません。

もうひとつは、自公の与党で3分の2を獲得した選挙結果に対して、「総理の解散権の乱用」だとして、「こんな選挙は認めない」と主張するひとたちがいることです。「憲法で解散権を制限すべきだ」というのは今回の選挙が決まってから出てきた話で、それ以前にこんな改憲論は聞いたことがありません。これでは「安倍政権が勝つような選挙はするな」というのと同じで、かりに野党が政権をとるようなことがあれば自分に不利な“改憲”はすぐに忘れることでしょう。「出口調査では安倍政権を支持しないという回答が多かった」との声もありますが、これだと「選挙などせずに世論調査で政治を決めればいい」ということになってしまいます。

そのなかでもいちばんがっかりしたのは、“リベラル”な新聞が「共闘実現していたら」として、各選挙区の野党候補の得票数を単純合算し、希望の党から共産党までが共闘していれば63選挙区で勝敗が逆転したとの試算を載せていたことです。民進党が分裂したのは共産党との共闘を頑強に拒否する保守系議員がいたからで、右から左までごちゃまぜになった異様な政治組織に有権者が同じ投票をする根拠もありませんが、そんな事実をすべてなかったことにして空想(というか妄想)をわざわざ記事にするのでは“フェイクニュース”といわれても仕方ありません。

「与党圧勝」という有権者の判断を当然と思うなら、女性議員を当選させた有権者の“良識”を認めなければなりません。政治家は公職ですから「不倫」を批判されるのはしかたないとしても、選挙で当選したということは、政治家としての将来に期待する多くの有権者と強固な支援者がいたということです。これによって一定の責任を果たしたとわたしは考えますが、これに同意するなら選挙結果も有権者の判断として尊重すべきでしょう。

これは子どもでもわかるかんたんな理屈ですが、不倫疑惑の議員の当選を認めないひとと、安倍政権を「独裁」と批判して「こんな選挙は認めない」というひとはこのダブルスタンダードに気づかず、自らを“善”、相手を“悪”としてあいかわらずはげしく罵り合っています。

彼らはじつは、ものすごくよく似ています。冷静になってみれば、鏡には自分の醜い姿が映っていることに気づくのに……。

あっ、だからこのひとたちは冷静な議論を拒絶して、いつも怒っているんですね。

『週刊プレイボーイ』2017年11月6日発売号 禁・無断転載

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日本は世界でもっとも格差の小さな社会? 週刊プレイボーイ連載(310)


なんのためにやったのかよくわからない総選挙の結果は、事前の予測どおり与党が安定多数を確保し、いささか賞味期限の切れかけた安倍政権で2020年の東京オリンピックを迎えることになりそうです。変化があったとすれば民進党(衆院)が分裂し、小池東京都知事が率いる希望の党が失速、立憲民主党が大きく票を伸ばしたことでしょうか。

今回の選挙で明らかになったのは、ひとびとが“右傾化”しているわけではなさそうだ、ということです。安倍政治にうんざりした有権者は、現状が大きく変わらないのであれば、右(小池新党)でも左(枝野新党)でもどちらでもかまわなかったのです。嫌われていたのは民主党=民進党で、政権党時代のスティグマがこれほど深く刻印されていては解党以外に道はなかったでしょう。

立憲民主党の枝野代表は自らを「リベラル保守」と述べており、日本の政治は“共産党以外ぜんぶ保守”という奇妙な状況になってしまいました。これではなにがなんだかわからないので、どこかに線を引く必要があります。憲法9条についてはすでにいいつくされているので、ここでは「格差」を考えてみましょう。

経済学では、「機会平等」と「結果平等」の2つの平等を考えます。徒競走にたとえれば、機会平等とはすべての選手が同じスタートラインに並ぶことで、結果平等は全員が同時にゴールすることです。

機会平等は自由な市民社会の基本原理で、身分制を理想とする封建主義者でもないかぎり右から左まで異論はないでしょう。ところが結果平等に対しては、深刻な意見の対立があります。

中国(文化大革命)やカンボジア(ポルポト)で死者の山を築き、ソ連が収容所国家と化したことで、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という共産主義の壮大な実験は悲惨な結果に終わりました。こうして90年代以降、「機会が平等なら貧富の格差が拡大しても問題ない」という“ネオリベ”的な論調が主流になっていきます。「改革」を掲げる希望の党や日本維新の会はこの路線です。

それに対して、“ネオリベ化”が極端に進むアメリカで、「これ以上格差が拡大すると社会が崩壊する」との警鐘が鳴らされるようになります。経済学者リチャード・ウィルキンソンは世界各国の膨大な統計データを調査し、平均余命、健康状態、肥満、学業成績、暴力や犯罪など、あらゆる指標で「格差社会」のアメリカが格差の小さな社会に劣っていることを示して大きな衝撃を与えました。

こうして「自由な競争を維持しつつも格差を一定範囲に抑えるべきだ」との主張が勢いを増してきます。これが現代のリベラルで、立憲民主党はこの立場をとることになるでしょう。

とはいえ、アメリカとちがって日本では格差をめぐる論争はいまひとつ盛り上がりません。

ウィルキンソンによれば、日本は北欧とならんで世界でもっとも格差の小さな社会です。そんな“平等主義者の理想郷”では、「みんなもうちょっと競争しようよ」という主張が「リベラル」になってしまうからかもしれません。

所得格差と健康の国際比較 リチャード・ウィルキンソン『平等社会』より

参考:リチャード・ウィルキンソン、 ケイト・ピケット『平等社会』

『週刊プレイボーイ』2017年10月30日発売号 禁・無断転載

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