ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2020年4月17日公開の「「愛情あふれる子育てによって子どもは幸福に育つ」 という愛着理論は間違い。子育てに関してラットの研究を 擬人化するのは問題があった」です。(一部改変)

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近年の遺伝学では、「獲得形質は遺伝する」という驚くべき知見が明投稿一覧らかになりつつある。これがエピジェネティクスで、胎内ばかりでなく出産後も環境に適応して細胞レベルの変化が起きる。こうした変化は遺伝子に刻印され、子どもや孫の世代にまで伝えられていくというのだ。
エピジェネティクスは私たちの人間観をどのように変えていくのか。今回はきわめて有名なラットの実験を紹介しつつ、この疑問を考えてみたい。
ラットでは母親の子育てで子どもの性格が決まる
1990年代末、カナダ・モントリオールにあるマギル大学の神経科学者マイケル・ミーニーのラボで、研究者がちょっとしたことに気づいた。
ラボではたくさんのラットを飼育していて、研究者はケージから子ラットを取り出し、検査したり体重を測ったりしたあと母親のもとに戻すのだが、そのとき、子どもに駆け寄って時間をかけてなめたり(リッキング)毛づくろいしたり(グルーミング)する母ラットもいれば、子どもになんの関心も示さない母ラットもいる。そのことに興味をもった研究者がストレスホルモンを測ってみると、ケージから出されたことで高まった子ラットのストレスレベルが、母ラットがなめたり毛づくろいしたときだけ大きく下がっていたのだ。
ミーニーたちはこの現象をより詳しく調べようと、子ラットが生まれてから10日間、1日8回、それぞれ1時間ずつ計8時間、母ラットがなめた回数と毛づくろいした回数を数え、母ラットを高LGと低LGのグループに分けた。LGは「リッキングlicking(なめること)」と「グルーミングgrooming(毛づくろい)」の略だ。
子ラットは生後22日で母親から引き離され、同性のきょうだいと同じケージで育てられた。生後100日ほどで成体になると、研究者は高LGの母ラットから生まれた子どもを低LGの子どもと比較した。
ラットを仕切りのない広い箱に5分間入れ、自由に探索させるのがオープンフィールドテストだ。神経質なラットは壁から離れようとせず、周辺部を回るように動くが、大胆なラットは壁から離れてフィールド全体を探索して歩く。
恐怖心を測定するテストでは、空腹のラットを新しいケージに入れて食べ物を差し出し、10分間置いておく。不安感の強いラットは食べ物に手を出すまでに時間がかかり、大胆なラットは食べる時間も長く量も多い。
結果は明瞭で、オープンフィールドテストでは、低LGグループのラットが5分間のうちにフィールドの真ん中に探検に行った時間は平均して5秒を下回ったのに対し、高LGのグループは平均35秒をフィールドの真ん中で過ごした。恐怖心を測定するテストでは、高LGのラットが平均4分ほどためらったあと、差し出された食料を2分以上食べていた一方で、低LGのラットは食べはじめるまでに平均9分以上かかり、食べたのもほんの数秒だけだった。
それ以外のさまざまなテストでも、高LGグループの子ラットは迷路を抜けるのがうまく、社会性があり、好奇心が強く、攻撃性が低く、自制が効き、より健康で長生きなことがわかった。初期の母親の行動のほんのすこしのちがいが、何カ月もあとの成体の行動に重大なちがいを生んだのだ。
ミーニーたちが成体になったラットの脳を調べてみると、高LGグループと低LGグループではストレス対応システムに大きなちがいが見られた。
ストレス反応は、HPA軸(視床下部・下垂体・副腎系)で制御されている。なんらかの脅威を感じると視床下部からCRH(コルチコトロピン放出ホルモン)が放出され、それが下垂体にACTH(副腎皮質刺激ホルモン)の分泌を促す。するとそれを受けて、副腎が糖質コルチコイド(コルチゾール)と呼ばれるストレスホルモンを送り出して身体の防衛機能を起動させる。その影響は、心拍数の上昇、発汗、口内の渇きなど誰もが体験する緊張反応だけでなく、神経伝達物質の活性化、血糖値の上昇、心臓血管系から筋肉への血流の増加、血中の炎症性タンパク質の増加など多岐にわたる。
低LGグループの(母ラットからなめられたり毛づくろいされなかった)ラットは、高LGグループのラットに比べてストレスホルモン(糖質コルチコイド)のレベルが明らかに高かった。このことが、ふたつのグループのラットの行動・気質の一貫したちがいとして現われたのだ(以上の説明はポール・タフ『成功する子 失敗する子 何が「その後の人生」を決めるのか』〈高山真由美訳/ 英治出版〉より)。
ラットの母親が与えた影響は子どもだけでなく孫にも受け継がれる
ここまで読んで、「それは遺伝で説明できるのではないか」と思ったひともいるだろう。もともと神経質な母ラットは子どもをあまりなめず、その気質が遺伝的に受け継がれる。大胆な母ラットはリッキングやグルーミングにも熱心で、やはりその気質が子どもに受け継がれる――。
ミーニーたちは当然、この反論を予想し、高LGの母ラットから生まれた子ラットを生後すぐに引き離し、低LGの母ラットのケージに移した(同時に低LGの母ラットから生まれた子ラットを高LGの母ラットのケージに移した)。
その結果は驚くべきもので、どのような組み合わせでどんな実験をしても、(生物学上の母親かどうかにかかわらず)生まれてすぐになめられたり毛づくろいされたりした経験のあるラットは、そういう経験のないラットより勇敢で大胆に育ち、環境にもうまく適応したのだ。
ミーニーらの研究のさらに驚くべき成果は、出生後につくられた気質(獲得形質)が子どもだけでなく孫にまで受け継がれることを示したことだ。高LGの母ラットに育てられたメスは、たとえそれが生物学的な母親でなくても、大胆な気質の子どもを産むことが多く、低LGの母ラットに育てられたメスは、逆に神経質な気質の子どもを産むことが多かったのだ。
これは近年の遺伝学でもっとも大きな話題になった研究だが、なぜこんな不思議なことが起こるのだろうか。そのメカニズムを、サイエンスライターで神経生物学の博士号をもつリチャード・C・フランシスは『エピジェネティクス 操られる遺伝子』(野中香方子訳/ダイヤモンド社)で次のように説明している。
よくなめる親に育てられたラット(高LG)は、そうでないラット(低LG)に比べて、海馬のGR(糖質コルチコイド受容体)の量が多かった。GRが多いと、視床下部からのCRH放出が抑制され、HPA(ストレス)軸の反応が連鎖的に抑制され、コルチゾール(ストレスホルモン)の値が下がる。これが、高LGのラットが低LGのラットに比べて大胆に振る舞う理由だ。
ではなにがGRの量を変化させるのだろうか? その原因は、GR遺伝子の発現に影響する転写因子NGFI-A(神経成長因子誘導タンパク質A)ではないかと考えられている(以下は便宜上、NGFとする)。NGFの量は、よくなめる母ラットに育てられた子どもの方が、あまりなめない母親の子どもよりも多い。
これは前回述べたが、エピジェネティクスの重要な機能のひとつに「メチル化」がある。メチル基がDNAに付着すると、スイッチがオフになるように遺伝子の発現が抑制される。逆に「脱メチル化」によってメチル基が外れると、スイッチがオンになって遺伝子の発現が促進される。母ラットによるリッキングとグルーミングは、どうやらGR遺伝子のメチル基を外してNGFと結合しやすくしたからのようだ。その結果、海馬でのGRが増えてHPA軸の活動が抑制され、恐怖や不安をあまり感じなくなったらしい。
フランシスはここから一歩進めて、エピジェネティクスの仕組みが母ラットのエストロゲン・レベルにも関係しているという。エストロゲンは「女性ホルモン」として知られているが、それはオキシトシン受容体とも結びついている。オキシトシンは「愛情ホルモン」とも呼ばれ、社会的行動や親和行動(共感)を促すはたらきをしている。エストロゲン受容体の濃度が高いとオキシトシンの生産量も多くなるのだ。――「女性は共感力が高い」というのは、脳科学的にはこのように説明できる。
母ラットからよくなめられたメスの子ラットでエストロゲンのレベルが上がり、オキシトシンの量が増えるなら、そのメスが自分の子どもを熱心に世話するようになっても不思議はない。そのエピジェネティックな作用で海馬のGRが増えれば、孫ラットもストレスレベルの低い大胆な気質になるだろう。
逆にいえば、母ラットにあまり世話されなかったメスの子ラットはエストロゲンとオキシトシンのレベルが低いため、自分の子どもをあまりなめようとせず、海馬のGRが少ない孫ラットは不安感が強く神経質になる。
ここまでくると、ミーニーたちのラットの研究がなぜ大きな社会的反響を呼んだかわかるだろう。それは、虐待やネグレクトが子どもから孫へと世代を超えて受け継がれていく仕組みを見事に解き明かした(ように見えた)のだ。
エピジェネティクスは「愛着理論」の正しさを証明したのか
ミーニーたちの研究は、「愛情あふれる母親の子育てが成功する子どもをつくる」「虐待やネグレクトは子どもに負の影響を与え、世代を超えて連鎖する」としてメディアに大きく取り上げられた。
ここで「愛着理論(アタッチメント・セオリー)」を思い浮かべたひともいるだろう。1950年代から1960年代にかけてイギリスの精神分析医ジョン・ボウルビーとトロント大学の研究者メアリー・エインズワースが発展させた理論で、「慣れない状況(ストレンジ・シチュエーション)」の実験で知られている。
被験者となる母親が研究室に生後12カ月の子どもを連れてくる。しばらく母子でともに遊んだあと母親が部屋からいなくなり、子どもは見知らぬ大人と部屋で遊ぶか、ひとりで残される。しばらくすると母親が戻ってくるので、そのときの子どもの反応を観察するというのが実験の概要だ。
ボウルビーは母親との再会の様子によって、子どもをふたつのグループに分けた。ひとつは、戻ってきた母親にときには泣きながら、ときにはうれしそうに駆け寄って抱きついたりする「安定群」で、60%の子どもがこのグループに入った。残りは母親が戻ってきても気づかないふりをしたり、母親を叩いたり、床にうずくまって動かなかったりする「不安定群」の子どもたちだ。
ボウルビーは、安定群と不安定群の子どものちがいは、生後1カ月ほどの母親の子育てによって決まり、このとき親からのしっかりとした反応=愛着を受けた乳児は、1歳になる頃には自立心が強く積極的になり、就学前の時期には自立心旺盛に育つと主張した。親からの温かく敏感なケアは、子どもが外の世界に出てゆけるための「安全基地」になるのだ。
その一方で、母親が子どもに対して突き放した態度をとったり、葛藤や敵意を抱えていたりすると「不安定群」の子どもに育ち、学校や友だちとうまく適応できなくなる。そして、「幼少期の愛着関係が与える精神的な効果は一生つづく」とされる。
これはまさに、ミーニーの母ラットと子ラットの実験と同じだ。ボウルビーとエインズワースの愛着理論には毀誉褒貶があったものの、それがエピジェネティックな作用であることが証明されたと支持者は考えた。子どもが幸福になるかどうかは、母親の愛情によって決まるのだ。
その後、1972年にエインズワースの助手たちがミネソタ大学で「愛着理論」の検証実験を行なった。
研究者はミネアポリスの公衆衛生クリニックから267人の妊婦を研究対象として採用した。80%が白人で、3分の2が結婚しておらず、半数が10代というから、ランダムサンプリングではなく貧困家庭やドロップアウトした母親が意図的に選択されたことになる。研究者たちは長期にわたるコーホート(集団追跡)研究の結果を、2005年に『人格の発達 The Development of the Person』としてまとめた。
それによると、「不安定群」に分類された子どもが大人になってから成功する例もあったものの、多くのケースで、「慣れない状況」やその他のテストで判定された満1歳時点での愛着関係が、その後の人生を広範囲にわたって予測する指標になっていた。「アタッチメントの安定した子どもたちは人生のどの段階でも社会生活を送るうえで有能だった。就学前も友だちとうまく遊ぶことができ、思春期の複雑な人間関係もより上手に切り抜けることができた」という。以下、タフ『成功する子 失敗する子』から引用する。
就学前の子供の場合、ミネソタの研究で「安定群」に分類された子どもの3分の2が教師によって行動面で「望ましい」と判断された。そうした子どもたちは人の話が聞けて、積極的に活動でき、教室のなかでめったに癇癪を起さなかった。「不安定群」に分類された子どもでは、「望ましい」部類に入ったのは8人に1人で、教師の分類によれば大部分の子どもが行動面でひとつ以上の問題を抱えていた(ちなみに、教師たちは「慣れない状況」の結果を知らされていなかった)。幼少期における親の役割に関心が薄く、感情面での要求に応じないと診断された親の子どもたちは、幼稚園ではもっとも低い成績しかあげられず、教師はそのうちの3分の2に特別教育を受けるか小学校への入学を延期することを勧めた。(中略)。さらに「不安定群」の子どもは教師やほかの子どもたちから意地悪であるとか、反社会的な傾向があるとか、未熟であるなどといわれることが多かった。(中略)
子どもたちの高校生活を追ったところ、どの生徒がきちんと卒業するかを予測する際に、知能検査や学力テストの得点よりも、幼少期の親のケアに関するデータの方が精度が高かった。幼少期の親の関わり方のみを判断材料に、子供たち自身の気質や能力をあえて無視して数字をはじきだしたところ、精度は77%だった。つまり、子どもたちが4歳にも満たないうちに誰が高校を中退することになるかを8割ちかい確率で予測できたことになる。
どうだろう。これで愛着理論の正しさが証明されたのではないだろうか。
とはいえ、子どもを育てたことのあるひと(母親はもちろん父親でも)なら、ボウルビーの「安定群」と「不安定群」の解釈に違和感を覚えるかもしれない。「慣れない状況」に置かれた1歳児が、母親との再会で泣いたり喜んだりするのは当たり前で、母親が声をかけても無視したり、床にうずくまったまた動かないというのは尋常ではない。いまなら真っ先に発達障害が疑われるのではいだろうか。
もしそうなら、「不安定群」とされた子どもが社会的関係をうまくつくれなかったり、特別教育を受けるように勧められたり、高校を中退することになったとしてもなんの不思議もない。愛着理論など持ち出さなくても、遺伝的要因(自閉症やADHDの遺伝率は80%以上)だけで説明できてしまうのだ。
専門家でも陥る「擬人化」と「擬鼠化」の罠
ミーニーのラットの実験とボウルビーの愛着理論を重ね合わせるのは、無意識のうちに「擬人化」と「擬鼠化」という誤謬に陥っている。
擬人化というのは、子どもをなめる母ラットを「愛情がある」、なめない母ラットを「愛情がない」と見なすことだ。ラットに愛があるかどうかは科学的にまったく証明されていないが、不思議なことに、高名な心理学者ですらこのような表現を安易に使っている。擬鼠化というのはこの逆で、「慣れない状況」の実験で分類された「安定群」と「不安定群」の子どもを、無条件にミーニーのラット(鼠)と同じだと見なすことだ(渡辺茂『動物に「心」は必要か 擬人主義に立ち向かう』東京大学出版会)。
じつはミーニー自身が、ラットを使った研究をヒトにも延長できると考えていた。自殺者の脳細胞を調べ、「子どもの頃に虐待された自殺者と、そうした経験のない自殺者では、海馬のストレス反応に関係するDNAのまったく同じ場所にメチル化の痕跡が見つかった」と発表しているのだ。これはたしかに興味深いが、脳の組織の比較はきわめて微妙で研究者ごとに判断が異なるとされるから、決定的とはいえない。
そこでニューヨーク大学の心理学者クランシー・ブレアは、1万2000人を超える幼児を生後まもない頃から追跡する大規模な実験を行ない、「母親が無関心だったり無反応だったりした場合、家庭内の騒動や混乱、人の出入りといった環境上のリスクが子どものコルチゾール(ストレス)の値に大きな影響を及ぼす」と結論した。逆に質の高い育児は、「逆境による子どものストレス対応システムへのダメージをやわらげる強力な緩衝材」となった。
またコーネル大学のゲイリー・エヴァンズは中学生を対象に、近所の騒音から家族内の軋轢まで、あらゆるものを考慮に入れた累積されたリスクの値(血圧や尿中のストレスホルモンのレベルや肥満度指数など)と、母親の反応の度合いを比較した。母子の愛着は、母親に関する質問への子どもの回答と、母子でいっしょにジェンガ(積み木崩しのようなおもちゃ)で遊んでいるところを研究者が観察した結果を総合して評価した。その結果も、環境上のリスクが高いほど子どものストレス値も高いが、母親が子どもに特別の関心を寄せている場合は、家が狭いとか、困窮しているとか、家庭内に騒動があるなどといったストレス要因の影響はほとんど見られなかったという(タフ、前掲書)。
行動遺伝学が正しければ愛着理論は間違っている
こうした研究は興味深く、それを一概に否定することはできないものの、ミーニーのラットの研究とは明らかに異なることを指摘しておかなければならない。ミーニーはエピジェネティックな現象であることを証明するために、ラットの母親を入れ替えることで遺伝の影響を排除した。しかし人間を使った後続の研究では(当たり前のことだが)こうした統制はされておらず、「神経質な親から神経質な子どもが生まれた」「愛情あふれる親から共感力の高い子どもが生まれた」と説明することができるし、こちらの方がずっとシンプルだ。
さらに決定的なのは、これまでの「愛着理論」の研究が行動遺伝学の知見をいっさい無視していることだ。行動遺伝学は半世紀以上にわたって、双生児を調べることで遺伝と環境の影響を明らかにしてきた。そこには膨大な蓄積があり、そのすべてが「親から子どもへの遺伝の影響は一般に思われているよりも大きい」ことと、「環境が子どもに与える影響のなかで子育て(共有環境)は無視できるほど小さい」ことを示している。
子育ての影響についてはイギリスの双生児研究の権威ティム・スペクターが『双子の遺伝子 「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける』(野中香方子訳/ ダイヤモンド社)のなかで、アメリカ政府が出資した大規模研究「NEAD:非共有外部要因と青年期の発達」の結果を次のように述べている。
思春期の子どもに対する親の態度――厳しいか、優しいか、愛情深いか、無関心か――と、その後の子どもの行動に相関が見られる(ものの)、その根本的な原因となっていたのは、母と子の遺伝的要因だった。(中略)母子が共有する遺伝的要因が、母親には厳しい養育態度をもたらし、子どもには思春期の反社会的行動をもたらしていることもわかった。母親の養育態度と子どもの反社会的行動の一致の70パーセント以上は、未特定ながら母子が共有する遺伝子によって説明できたのだ。
さらに、アメリカの幼い双子と兄弟姉妹のグループを思春期まで追跡した結果、親の虐待が子どもの性格をかたちづくるのではなく(幼児期の虐待とその後の行動にはわずかな相関しか見られなかった)、子どもの(不品行な遺伝子が引き起こす)行動に対する親の否定的な反応が虐待につながることがわかったという。この見方によれば、親を中心とするこれまでの「子育て理論」はコペルニクス的転回を余儀なくされる。虐待は子どもの(遺伝的)特性、あるいは母と子の(遺伝的な)相互作用として研究すべきなのだ。
もちろん、子育ての影響がまったくないということではない。NEADのデータを再分析すると、思春期のうつ病をもたらす外部要因の5%が母親の否定的な態度だとされた。とはいえ、行動遺伝学者のロバート・プロミンが43件の双生児研究をメタ分析したところ、親の影響による行動のちがいはわずか2%で、兄弟姉妹の影響で生じるちがいと同程度だった(生まれ順の影響はわずか1%でさらに重要性が低かった)。
これまで心理学者は、行動遺伝学の研究を一貫して無視して独自の理論を唱えてきた。愛着理論はその典型だが、双生児研究の頑健さが分子遺伝学レベルでも確認されている以上、もはや「別世界」の話にすることはできない。行動遺伝学が正しければ、愛着理論は間違っているのだ。
生後1カ月の母親の対応で一生が決まるような「設計」は進化論的に説明できない
だとすれば、ミーニーのラットの研究はどのように理解すればいいのだろうか。「母ラットの愛情」という擬人化を取り除いてこの現象を眺めるなら、エピジェネティクスが環境に適応する進化の仕組みであることが理解できる。
ラットにとって「危険な環境(天敵であるネコがたくさんいる)」と、「安全な環境(ネコがいない)」があったとしよう。当然のことながら、危険な環境では神経質なラットが、安全な環境では大胆なラットが生き残るのに有利だ。ラットは生後10~12週齢から交配を行なうので、子どもや孫が生まれるときにも同じ環境が継続している可能性は高いだろう。
そのように考えれば、危険な環境で生息する母ラットが、(なめないことで)子どもをエピジェネティックに神経質にし、その変化がメスの子どもに引き継がれて神経質な孫を産むのは進化論的にきわめて合理的だ。その一方で、安全な環境に生息する大胆なラットは、子どもをなめることでエピジェネティックに大胆にし、それがメスの子どもに引き継がれて、安全な環境に適した大胆な孫を産むようになる。
ここに「愛情」はなんの関係もない。ラットはリッキングとグルーミングによって、子どもがどのような環境に生きることになるかのシグナルを送り、そこで最適な気質になるようエピジェネティックに遺伝子を操作しているのだ。
だとすれば、これと同じ仕組みをヒトが備えているとするのは、控えめにいってもかなり疑わしい。赤ん坊が生まれてから自分の子どもを産むまでには20年ちかくかかるから、その間に環境は大きく変わっているだろう。ラットのような単純なシステムで気質を固定してしまうのは、かえって生き残りに不利になるのだ。ヒトの環境への適応はラットよりはるかに複雑で、生後1カ月の母親の対応で一生が決まるような「設計」は進化論的に説明できない。
もちろんこれについてはさまざまな議論があるだろうが、最後に付け加えておくと、ラットを擬人化する背景には「母親の愛情が子どもに大きな影響を与えているにちがいない(与えているべきだ)」という願望や、「愛情あふれる子育てによって子どもは幸福に育つはずだ(育つべきだ)」というイデオロギー(子育て神話)がある。
だがこれは逆にいえば、「愛情のない親に育てられた子どもは社会的に成功できない」「子どもに愛情を注ぐ余裕のない貧困家庭に生まれたら一生不幸になる」ということでもある。リベラリな社会は、こうした偏見を受け入れることはできないだろう。
子育ての科学はまだ緒についたばかりで、「母親の養育態度が悪く、なおかつその支配が強い場合、うつ病、不安障害、反社会性人格障害、強迫性障害、薬物乱用、反動的ストレス反応を招くおそれがある」との研究もある。これは「愛情なき支配」と呼ばれるが、日本には「毒親」というぴったりな言葉がある。
虐待された子どもの大半は虐待する親にならないが、そこにエピジェネティックな影響がまったくないとすることもできない。だが救いは、メチル化のようなエピジェネティックな変化は元に戻せないわけではないということだ。
ミーニーらは、母ラットからネグレクトされた子ラットのストレス反応を社会環境や薬物で解消することに成功したという。だとすれば将来、毒親に苦しむ子どもの治療にエピジェネティックな薬が使われるようになるかもしれない。
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