職場のいじめは法律や精神論では解決できない。なぜなら、人間の本性だから

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年8月26日公開の「「苦難の転換期」にアメリカ企業で出現した 《残忍なボスたち》による「いじめ」被害は日本でも繰り返されたのか?」です。(一部改変)

claudenakagawa/Shutterstock

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コロンビア大学教授で「社会組織心理学の世界的な権威」ハーヴィー・ホーンスタインは、1995年に”Brutal Bosses(残忍なボスたち)”を出版して大きな評判を呼んだ。『問題上司 「困った上司」の解決法』(齊藤勇訳/プレジデント社)として翻訳されている四半世紀前のこの本を手に取ったのは、アメリカの会社組織のいじめやハランスメントについて語る際に必ず言及される古典だからだ。

ホーンスタインの研究が与えた衝撃を、訳者で社会心理学者でもある齋藤勇氏が「あとがき」で次のように書いている。

私はアメリカの大学に留学していたことがあり、多少なりともアメリカ社会を知っているつもりになっていただけに、本書の内容にはこん棒で殴られたような衝撃を受けた。

私が理解していたアメリカ企業の人間関係は、ビジネスライクな契約関係を基本にしたクールなもので、社員の個性を尊重する社会だと思っていた。仮に、今の上司がどうしても嫌だったら別の会社に移ればいいし、それを可能にするムービング・ソサエティー(可動性のある社会)が機能している、と思っていた。

1980年代後半から90年代前半にかけて、アメリカ企業は「苦難の転換期」を迎え、リストラ、業績評価、ポスト削減、ダウンサイジングなど、企業も労働組合も新たな出口を求めて迷走した。この苦難の時代に、「上司と部下の人間関係」をめぐって多くの問題が噴出した。

ホーンスタインは「日本語版によせて」で、「私は、日本企業に「アメリカ企業の二の舞い」を踏んでほしくない。あの転換期にアメリカ企業で出現した《問題上司》による被害を未然に防いでほしい」と書いている。わたしたちはこの言葉にこたえることができたのだろうか。

アメリカの会社員の90%以上が上司の「いじめ」を体験していた

最初に、アメリカ社会における「残忍なボス(問題上司)」との遭遇体験を紹介しよう。ホーンスタインが「職場いじめ」について調査・研究するなかで出会ったある会社員の告白だ。

上司の机は私の席の隣にあり、私はたまたま、上司の机の上に私のメガネを置いてしまいました。すると、メガネが自分の机の上に置かれるのを見た途端、上司は顔を真っ赤にして怒り出したのです。

彼は突然、私のメガネを投げつけ、メガネは飛んで壁に当たり、コナゴナに割れてしまいました。

私は、ショックのあまり小声で「何をするんですか?」としか言えませんでした。

「何もしてやしないさ。お前は、さっさと消え失せろ!」

私は、怒鳴り返そうと思いました。しかし、上司に逆らってケンカして、もし今の職場を辞めたら、私にはほかに仕事の口が見つかりそうにありません。のみならず、私は子供の学費を払わなければならないうえに、これからまた子供が生まれる、といった状況にありました。

仕方なく、私は割れたメガネと砕かれた自尊心を拾って、言われたとおりにするしかなかったのです。腹が立ち、挫折感と悔しさのあまりに涙が込み上げました。今こうして思い出すと、また悔しい思いが湧き上がってきます。

ホーンスタインの調査によれば、アメリカの会社員の実に90%以上が、サラリーマン人生の中で、一度ならず上司の「いじめ」を体験していた。また、ある1日を無作為に選んで調査すると、会社員の5人のうち1人が、何らかのかたちで上司の「いじめ」を受けていた。

だがホーンスタインは、いじめの「加害者」が悪、「被害者」が善という単純な善悪二元論には立たない。彼の主張は「ヒトの本性」についての(一見矛盾する)2つの洞察によっている。

ひとつは、「残忍なボス」は突然生まれた異質な人間ではないこと。「人間は本質的に利己的な存在であり、自分を守るためには平然と他者を犠牲にすることのできる残酷な一面を持っている。誰もが「悪の使者」に変身する可能性を秘めていることを肝に銘ずる必要がある。《問題上司》は明日の自分の姿かもしれないという問題意識こそ、この問題を解決に導く第一歩である」という。

それにもかかわらず、ホーンスタインは「人間は皆、本質的には「良い人間」である」と述べる。ひとはつねに利己的に振る舞うのではなく、たいていの場合は会社の上司だけでなく、同僚や部下にも気を使う(向社会的に振る舞う)。だとしたら、なにがひとを利己的に変えるかというと、それは「環境」だ。

自動車メーカーのマーケティング部門で働いていた43歳のルイスは、彼の上司がいつも不機嫌で、「目を大きく見開いて、むやみに攻撃し、悪口をわめき続ける」ので、左遷を覚悟で、いじめにはもう我慢できないと伝えた。すると上司は、ルイスをこう怒鳴りつけた。

「馬鹿野郎! お前なんかに何がわかる。俺はプレッシャーで死にそうなんだ。会社を辞めさせられたヤツの数を数えてみろ。俺は自分の仕事を片づけ、そのうえ首になったヤツらの後始末もしなきゃならない。お前の泣き言に付き合っている暇はないんだ。俺は瀬戸際に立たされているんだ」

人間は、プレッシャーを受けると、わが身を守るために本能的に攻撃に転じる。問題は上司の人間性ではなく、リストラと成果主義によって「追いつめられた上司の心理」と、その結果として起きる「部下への攻撃行為」なのだ。

「新しいリーダーシップ像」がいじめを引き起こす

リストラが社内でのいじめを引き起こすメカニズムは、人員整理の対象が中間管理職であることから説明できる。

1993年に836社を対象にした調査では、対象となった全労働者の5%しか中間管理職がいなかったにもかかわらず、解雇者の実に22%を占めていた。アメリカ経営協会の会員である1100社の調査でも、中間管理職は全社員のうち5~8%だったが、解雇者のうち17%を占めていた。

業績が悪化した企業は、「賃金は高いが、会社においてそれほど権力を持っているわけではない中間管理職をリストラのターゲットにすれば、いちばん手っ取り早く人件費の削減と組織のスリム化を実現できる」と考えたのだ。

1987年から1993年の7年間で140万人の役員、管理者とマネージャーが職を失ったが、93年1月にはたった1週間のあいだに、アメリカの4つの一流企業がトータルで10万人もの社員の解雇を発表した。ホーンスタインが「受難の中間管理職」について述べる言葉は、他人事ではないと感じるひとも多いにちがいない。

リストラによって管理職の人数が少なくなったにもかかわらず、彼ら(中間管理職)はリストラ導入以前以上の成果を出すように企業から求められている。その要求水準が高くなればなるほど、上司の中にはこれに応えられない者も数多く出てくる。

そのようなとき、上司は自分の力不足に苛立ち、途方に暮れる。それまでに築き上げてきた自信が根底から揺らぎ、呆然自失となる。そこで、自分が置かれている過酷な状況を忘れるため、あるいは崩れかけた自信を何とか維持し、体面を保つ手段として、部下を攻撃するようになる。

なぜ部下が攻撃されるかというと、職場において、上司より絶対的に弱い立場にいるからだ。「自分に抵抗できない弱い立場にいる相手を一方的に非難したり、叱りつけることで、上司は挫けそうになった自分をかろうじて支え、優越感に浸ることができる。心の均衡を保てたような気がしてくる。会社での自らの存在を確かめられる」という指摘も、思い当たるひとは多いだろう。

だがこれは、一方的に「加害者」を非難すればすむ話ではない。人間は自尊心なくしては、積極的に行動することができない。上司が「リーダー」として振る舞うためには、どんなことをしてでも自尊心を維持しなくてはならない。そのなりふりかまわない努力が「ハラスメント」として表われるのだ。

もうひとつ、中間管理職を追いつめているのが「新しいリーダーシップ像の登場」だ。

1990年代以降、アメリカでは多くの企業で、「部長」「課長」「主任」などの従来の役職名の代わりに「ファシリテーター」「コーディネーター」「スポンサー」あるいは「コーチ」などの名前が使われるようになった。これらの新しい「上司」は、たんに呼び方が違うだけでなく、組織の中で求められている役割もそれまでとはかなり異なっている。

新しい組織では、ファシリテーターやコーディネーターはチームワークで仕事を達成するため、かなりの部分で部下と権限を共有しなければならない。だが「権限拡散」によって部下が権限を持つと、自分の権力が弱くなり、地位も危うくなる。こうして自己変革を迫られ、心理的に追いつめられた上司が「いじめ行動」に走るようになる構図は、「改革」を掲げる日本企業でも見られるのではないだろうか。

職場のいじめを正当化する論理

アメリカの雇用制度では日本よりも広く解雇が認められているが、ホーンスタインは、「「解雇」そのものには人間性を否定されたような「自尊心の痛み」はともなわない」という。解雇する場合、そこには誰もが認める「公正な理由」があることと、その理由を本人が「納得するようにきちんと説明すること」ができれば、社員は「それなら仕方がない」と思うのだ。――これは北欧のように、手厚いセーフティネットを前提にリストラが頻繁に行なわれている社会でも同じだろう。

問題なのは、解雇に正当な理由がないケースだ。こうなると会社は説明責任を果たせないから、本人が居づらくなるようにするしかない。「毎日、これといった理由もないのに、なにかといっては罵詈雑言を吐かれたり、むやみにいじめられたり、嫌みを言われたりした」「上司から無視されて何の仕事も与えられず、一日中自分の席でじっとしていた」という体験は、解雇要件がきびしく制限されている日本の大企業の「追い出し部屋」とまったく同じだ。

自分の行為を「悪」だと認める人間はほとんどいない(もしそうなら、そんな行為はしないだろう)。だとしたら、理由のない解雇(首切り)をする上司は、なんらかの方法で自分の行為を正当化しなければならない。そんなときによく使われるのが以下の3つだ。

  1. 部下の人間性を認めず、数字のみを信じる
    部下は単なる「数字」でしかなく、したがって「数字」として対応する。数字には過去の歴史も将来もないし、家族も感情も友人もない。部下の苦しみやその後の人生も意識しなくていい。
  2. 自分の立場を守るために口を極めて部下を非難する
    解雇の対象となった部下のことを、「解雇されるのは当然」「あいつは自業自得なんだ」と強引に思い込もうとするために、その部下をことごとく非難する
  3. 自分勝手のご都合主義を「会社のためだ」と合理化する
    「一人を殺せば犯罪者だが、何万人も殺せば英雄になれる」というように、たった一人をたいした理由もなく首にするのは明らかな「いじめ」でも、大量の社員を退職に追い込めば、会社のために大英断を行なった英雄になれる。

ホーンスタインはこうした合理化を、「「少数者は大多数の犠牲になってしかるべきだ」「出来の悪い部下を会社のために辞めさせるのは当然である」などの考えを半ば狂信的に持つことで、自分のイメージを傷つけないようにする」と説明する。これは、大規模なリストラで“チェーンソー・アル”と呼ばれたアル・ダンラップが、自分の行為を反省しないどころか、自慢している心理をうまく説明するだろう。

参考:サイコパスはビジネスで成功するか?

実際、ホーンスタインが調べた範囲でも、上司の誰一人として、自分たちが部下をいじめたり、不公正な扱いをしているという認識を持っていなかった。「厳しくするのは君のためなんだ」などと口当たりのいい台詞を吐きつつ、自分の利益を守ろうとするのは「セルフ・サービング・カバー・アップ」と呼ばれるが、本音では、いずれライバルになるかもしれない部下を、自分が上の地位にいるうちに徹底的に痛めつけて自信喪失させておいたほうがいいと考えているのかもしれない。

いじめはサイエント・マジョリティの暗黙の同意を得て行なわれる

ホーンスタインは、「残忍なボス」を3つのタイプに分けている。

  • 征服者タイプ 「力と縄張りの世界」で生きている征服者にとってもっとも重要なのは、自分の力が部下たちに比べてより大きいこと、強いことの認識を持つことだ。
  • 完璧者タイプ 自分が完璧であることが最大の価値で、つねに自分の有能さに関心が向いている。四六時中、自分の能力が不安だからだ。
  • 策略家タイプ 他人が自分をどのように評価しているかを気にする。自分が上役から認められることが何よりもいちばん大事であり、絶えず上役の称賛と、自分に対する高い評価を求めている。

誰もが、いずれかのタイプの上司と出会った経験があるのではないだろうか。もちろんよい上司もいて、タフで厳しくても公平に部下と接する上司は、部下の「不安」「憂鬱」「自尊心」のレベルにはまったく影響がないとされる。だが事業環境がきびしくなるにつれて、こうした余裕は失われていく。

驚くことに、アメリカの職場では、そこで働く者の死因の第2位が「殺人」だ。1993年には、なんと1年間に1063人が職場で殺されている。アメリカの郵便局では、1983年から1993年の間に10人の職員が殺人鬼と化し、34人の上司と同僚を殺している。

ここまで「いじめ」が蔓延していても、あるいはだからこそ、職場には「残忍なボス」を容認する雰囲気がある。ホーンスタインはインタビューの最中、しばしば「なぜ、それが部下への虐待になるんですか?」という質問を受けた。多くの管理職や経営幹部がかつての同僚についてこのように語った。

「彼の人の扱いがよかったと言っているわけではありません。でも、彼のやったことをいじめとか虐待などというのなら、私たちも皆、部下をいじめ、虐待していたことになる。ただ、彼と私たちの違いは、私たちがやってほしいと思ったことを、彼が進んでやっただけのことですよ」

学校のいじめでは、生徒や教師だけでなく親たちも「いじめられる側にも問題がある」と思っており、これが解決を難しくしている。これは会社でも同じで、上司から過度の叱責を受けるのは、それだけの理由があるのかもしれない。

人間は徹底的に社会的な動物なので、共同体の(暗黙の)支持がなければ、「反社会的」と見なされる「いじめ行為」はできない。そんなことをすれば、自分が共同体から排除されてしまうだろう。

学校でも職場でも、自分は手を下さなくても、「加害行為」を合理化し容認するサイレント・マジョリティがいる。これはアメリカの会社の話だが、「失われた30年」で日本の会社に起きたこととまったく同じではないだろうか。なぜなら、洋の東西を問わず「人間の本性」は変わらないのだから。

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