30年前は日本の「民度」もこんなもの 週刊プレイボーイ連載(71)

これは今から30年前に、プロ野球史上、実質的にはじめての外国人監督となったドン・ブレイザーの物語です。

一流の大リーガーだったブレイザーは35歳で日本に渡り、野球選手としてのキャリアを南海ホークスで終えたあと、日本が気に入ってそのまま家族とともに神戸で暮らすようになります。選手兼監督だった野村克也の下でホークスのコーチなどをしていたブレイザーに目をつけたのが、球団史上最悪の成績で最下位になり、ファンから非難の嵐を浴びていた阪神タイガースでした。球団のオーナーは、ショック療法として外国人監督の招聘を決意したのです(経営破綻の危機に陥った日産がカルロス・ゴーンを社長に迎えたのと同じです)。

1979年、ブレイザーの率いた新生タイガースは目覚しい復活をとげ、9月まで優勝戦線に踏みとどまり、ライバルのジャイアンツに一方的に勝ち越します。観客動員は150万人を超えて球団史上最高を更新し、ブレイザーに対するファンの支持は70%を超えました。

しかし翌年になると、様相は一変します。きっかけは、タイガースに鳴り物入りで入団した岡田彰布と、ヤクルトから解雇された外国人内野手を競わせたことでした。ブレイザーは岡田の天性の資質を認めながらも、いきなりプロ野球で130試合プレイするのはリスクが大きいと判断します。しかしタイガースファンとスポーツ新聞は、ブレイザーがポンコツの(お払い箱になった)外国人選手を優遇し、日本人の有望な若手を差別していると激怒したのです。

この対立はブレイザーが岡田の起用にあくまでも慎重だったことでさらに激化し、ある週刊誌は、「ブレイザーは外国人選手から賄賂を受け取っているから使わざるを得ないのだ」と事実無根の記事を掲載しました。さらには、後楽園球場で行なわれた巨人戦の後、暴徒と化した一部のタイガースファンが、ブレイザーと選手の家族(それも妊婦)の乗ったタクシーを取り囲み、「アメリカへ帰れ!」「ヤンキー・ゴー・ホーム!」「死んじまえ!」などと車に拳を叩きつけながら叫ぶという騒ぎになります。

ブレイザーの元には毎日のように脅迫やいやがらせの手紙が送られてきて、なかには「お前もお前の家族も殺してやる」というものもありました。今ならどれも大問題になる事件ですが、当時は新聞も週刊誌も一切報道しませんでした。

追いつめられたブレイザーは、阪神のフロントと対立して辞表を出すことになります。それについてあるスポーツ新聞は「合理的精神の持ち主であるアメリカ人の監督にはやはり日本人の考え方が理解できなかった」と書き、セリーグの会長は「ガイジン監督は、やはり日本の野球には合わないと思います」とコメントしました。またブレイザーの後任となった阪神の監督は、「結局のところ、日本人の心をわかることのできるのは、日本人しかいないと思う」と記者会見で発言しました。

日本人の「民度」も、30年前はこんなものだったのです。

後年、日本での体験を聞かれてブレイザーはこう答えます。

「すべての時間が、わたしにとってかけがえのない経験だったと思う。もっと日本で、監督を続けたかったよ……」

私たちは、あの時からすこしは成長できたのでしょうか?

参考文献:ロバート・ホワイティング『和をもって日本となす』

 『週刊プレイボーイ』2012年10月15日発売号
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