同和地区を掲載することは「絶対に」許されないのか?


「ハシシタ 奴の本性」について、『週刊朝日』に編集長の「おわび」が掲載された。今後は第三者機関が記事掲載の経緯を検証し、結果を公表するという。結論が出るまでにはかなり時間がかかるだろうが、今後の議論の参考に事実関係を整理しておきたい。

最初に、以下のことを断わっておく。

「ハシシタ 奴の本性」は、出自や血脈(ルーツ)を暴くことで橋下市長を政治的に葬り去ることを目的としている。だからこれは、ノンフィクションというよりもプロパガンダ(政治的文書)だ。

記事のこうした性格を考えれば、橋下市長が、記者会見での回答拒否を含むあらゆる手段を行使して『週刊朝日』に謝罪と連載中止を求めるのは当然だ。一連の行為が正当かどうかは、今後、有権者が判断すればいいことだ。

著者である佐野眞一氏の、「両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげ」るという手法に反発したひとは多いだろう。私もこうした手法には同意しないが、だからこそこの事件は表現の自由についての本質的な問題を提起している(正統なノンフィクションであれば、そもそもこんな問題は起こらない)。

原理主義的なリバタリアニズムでは、表現の自由こそが絶対でプライバシーは権利として認めない。私はこうした異端の主張で議論をいたずらに混乱させるつもりはないが(この論理に興味のある方はこちらをどうぞ)、表現の自由とプライバシー権は相対的なものだというより穏当な主張なら多くのひとが同意するだろう。

『週刊朝日』編集部の「おわび」では、連載を中止した第一の理由は、「同和地区を特定」したことだ。もちろん、正当な理由なく同和地区を誌面に掲載することが許されるはずはない。

だが、同和地区のタブーは絶対的なものではないはずだ。同和地区を特定することでそこに住むひとたちが被る不利益よりも、社会全体がより大きな利益を得ることができるならば(あるいはそう確信しているならば)、表現者は自らの意思でタブーを踏み越えていくことができる。

ここでは、こうした視点からあらためてこれまでの経緯をまとめてみたい。

「ハシシタ 奴の本性」掲載まで

(1)『新潮45』2011年11月号にノンフィクション作家・上原善広氏の「「最も危険な政治家」橋下徹研究 孤独なポピュリストの原点」が掲載された(ちなみにこの記事は第18回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」大賞を受賞している)。

上原氏は被差別部落出身であることをカミングアウトしており、『日本の路地を旅する』で第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している(上原氏は中上健二にならって被差別部落を「路地」と呼んでいる)。

「橋下徹研究」で上原氏は、橋下市長の実父が大阪府八尾市の被差別部落出身であることと、橋下という姓がもともと「ハシシタ」と呼ばれていたことを書いた。また実父の弟(橋下市長の叔父)に話を聞き、兄(実父)が土井組というヤクザに属していたこと、同和事業を引き受けて成功した後、放漫経営で会社を倒産させ、ガス自殺したことなどを語らせている。この記事で橋下市長の叔父は、「わしもアニキも同和やゆうのに誇りをもっとった」と述べ、その出自を自ら明かしている。

(2)『新潮45』の上原氏の記事を受けて、『週刊新潮』11年11月3日号は、「「同和」「暴力団」の渦に呑まれた独裁者「橋下知事」出生の秘密」を、同日発売の『週刊文春』も「暴力団組員だった父はガス管くわえて自殺 橋下徹42歳書かれなかった「血脈」」を掲載した。これらの週刊誌も、実父の生まれた被差別部落を実名で掲載している。

週刊誌の記事では、叔父が愛人に産ませた息子(橋下市長の従兄弟)が駐車場をめぐるトラブルから金属バッドでひとを撲殺し、傷害致死で5年の懲役刑を受けたことや、大阪市長選の前夜、橋下氏の秘書がラブホテルを借り切って乱痴気パーティをやっていたことなどが書かれている。

(3)それ以外にも、『許永中 日本の闇を背負い続けた男』『同和と銀行』などの著書のあるノンフィクションライターの森功氏が『g2』で「同和と橋下徹」を連載し、そこで橋下市長の実父が被差別部落で生まれたことを地名を特定して書いている。

(4)『週刊朝日』の「ハシシタ 奴の本性」は、すくなくとも第1回を読むかぎりでは、先行する『新潮45』『週刊新潮』『週刊文春』『g2』の記事の焼き直しであり、新しい事実はなにひとつ書かれていない。また自らの出自を暴いたこれらの雑誌に対し、橋下市長は現時点まで名誉毀損などの法的措置をとっていない。

部落差別と表現の自由

『週刊朝日』編集部は、連載中止のいちばんの理由に、同和地区の地名を掲載したことを挙げている。正当な理由なく被差別部落を名指しするのが重大な人権侵害であることは間違いないが、上記の経緯を踏まえると、「ハシシタ 奴の本性」で橋下市長の実父の出生地を明かしたことについては一般論では括れない事情がある。

(1)「「最も危険な政治家」橋下徹研究」を書いた上原善広氏は、自身のブログで次のように述べる。

差別的にしろ、なんにしろ、ぼくは路地について書かれるのは全て良いことだと思っています。それがもし差別を助長させたとしても、やはり糾弾などで萎縮し、無意識化にもぐった差別意識をあぶりだすことにもなるからです。膿み出しみたいなものですね。それで表面に出たものを、批判していけば良いのです。大事なのは、影で噂されることではなく、表立って議論されることにあります。そうして初めて、同和問題というのは解決に向かいます。

これは1960年代のアメリカで、同性愛者の反差別運動のなかで生まれた「クローゼット壊し」の考え方に近い。同性愛者の過激な活動家たちは、「ホモセクシャルである自分を“クローゼットに隠して”日常生活を送っていることが社会的な差別を生む」と主張し、芸能人やファッションデザイナー、メディア関係者などの有名人がゲイであることを、本人の意思を無視して積極的に暴いた。クローゼット壊しは、“自分が同性愛者であることを受入れられない抑圧された魂を解放する”とされたのだ。

もちろんこうしたラディカルな運動は、プライバシーの侵害だとして激しい批判を浴びた。しかしその一方で、クローゼット壊しがゲイがカミングアウトできる土壌をつくったことも確かで、その評価はいまだに定まっていない。

上原氏は、「大事なのは、影で噂されることではなく、表立って議論されること」という思想信条から、陰で囁かれていた橋下市長の出生の秘密を暴いた。こうした手法が成立するのは、いうまでもなく、上原氏自身が被差別部落出身であることをカミングアウトした「当事者」だからだ。

上原氏の記事を橋下市長が無視したのも、社会がとりたてて問題視しなかったのも、それが当事者の自覚的な行為だったからだ。だとすると、佐野眞一氏の記事が大きな社会問題になったのは、佐野氏が被差別部落出身ではない“一般人”、すなわち当事者ではないからだ、ということになる。

だが、一見わかりやすいこの考え方には大きな矛盾がある。

表現の自由が普遍的な権利なら、当事者(被差別部落出身者)なら許されて、当事者でない一般人が同じことをすると社会的に厳しい制裁を受ける(黙るしかない)のは明らかにおかしい。上原氏はもちろんこのダブルスタンダードに気づいていて、次のように述べる。

まず佐野氏の連載は、えげつないことは確かですが、いまもっとも話題の政治家・橋下氏の記事としては許される範囲でしょう。心配される路地(同和)への偏見については、しっかりフォローすることも大事ですので、今後の佐野氏の書き方次第だと思います。しかし、こうして一般地区出身の作家が、路地について書くことは、とても重要な意味をもつ画期的なことです。

私はこの発言が、今回の一連の騒動のなかで、議論に値するもっとも重要なものだと思う。だが被差別部落出身の当事者によるこの“不都合な発言”は、「差別」の大合唱のなかで完全に黙殺されている。

同和地区の名称を名指しすることが「絶対に」許されないのなら、上原氏も同じような社会的制裁を受けなければならない。逆に上原氏の記事が許容されるならば、佐野氏の同じ記述も表現の自由の範囲内ということになるだろう。

当事者性によるダブルスタンダードを認めないなら、このように考えるほかはない。

(2)上原氏が寄稿した『新潮45』は部数の少ない月刊誌で、『週刊朝日』は国民的な週刊誌だから影響力が違う、という批判もあるかもしれない。しかしこれは、事実として間違っている。

上原氏の記事を受けて同和地区の名称を実名で報じた『週刊新潮』と『週刊文春』は『週刊朝日』の2~3倍の部数があり、両誌を合わせれば100万部を超える。それに対して『週刊朝日』の発行部数は20万部程度だとされている。

すでに1年ちかく前に、はるかに影響力の大きな週刊誌2誌で報じられた内容を、より影響力の小さな(部数の少ない)雑誌に掲載したら社会的な制裁を受ける、ということはやはり筋が通らない。

『週刊朝日』の今回の記事が「絶対に」許されないのなら、『週刊新潮』や『週刊文春』の記事も遡って批判されるべきだ。『週刊新潮』や『週刊文春』の記事を社会が受け入れているのなら、『週刊朝日』も同様に扱われるべきでだろう。

もちろんこれに対しては、出版社系の(独立した)『週刊新潮』や『週刊文春』と、新聞社系の(朝日新聞社が親会社である)『週刊朝日』では事情が違うという意見があるだろう。私はもちろんこのことを承知しているが、だがこの論理は先ほどと同じ矛盾に逢着するだけだ。

日本では、出版社系か新聞社系かで雑誌に書いていいことが違う(出版社系なら同和地区の名称を名指しできるが、新聞社系は許されない)。このダブルスタンダードを、表現の自由という普遍の権利から説明することはできない。

(3)先行する『新潮45』『週刊新潮』『週刊文春』に比べて、今回の『週刊朝日』の記事はより悪質だという見方もあるだろう。たしかに、「ハシシタ 奴の正体」というタイトルや、「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」という表紙コピーは強烈だ。だがこれは『週刊朝日』編集部の判断で、記事のタイトルや表紙コピーに書き手が関与することは原則としてできない。

したがって、もしもタイトルに問題があるのなら、編集部はそのことを橋下市長に謝罪し、タイトルを変更したうえで連載をつづければいいだけだ。書き手はタイトルになんの責任もないのだから、そのことを理由に連載を中止されるのは理不尽きわまりない。

(4)編集部の「おわび」では、連載を中止した理由は、「同和地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載したこと」と、「タイトルも適正ではなかった」こととされている。

だがこのうちタイトルは、編集部の責任ではあっても著者とは無関係だ。また「同和地区を特定する」ことも、一般論としては許されることではないとしても、上記で述べたように、今回のケースでは表現の自由の範囲に収まると主張することもじゅうぶんに可能だ。したがって、この2つだけでは連載を中止する理由にはならない。それ以外の「不適切な記述」については、いまに至っても一切説明がない。

それではなぜ、『週刊朝日』編集部は連載を中止したのか?

連載中止の経緯こそ検証すべきだ

『週刊朝日』編集部が「ハシシタ 奴の本性」の連載を中止したのは、誰もが知っているように、上位の権力から命じられたからだ。これによって編集部は、本来なら継続すべき連載を中止する理由を探さなくてはならなくなった。このように考えると、『週刊朝日』の「おわび」の意味がよくわかる。

(1)前回も述べたように、佐野眞一氏は「確信犯」で橋下市長の「血脈」を暴こうとしており、今回の騒動で橋下市長に謝罪するつもりはまったくない。『週刊朝日』編集部は自らこの連載を佐野氏に依頼し、その原稿を全面的な同意のうえで掲載したのだから、連載中止にあたって、佐野氏の記事を部落差別だと認めたり、橋下市長に謝罪するよう求めることができるはずはない。すなわち、橋下市長に対する記述は最初から連載中止の理由にできない。

(2)こうして窮余の末に見つけ出してきたのが、「同和地区を特定」した箇所だ。これであれば、「遺憾」の意を表したとしても佐野氏は橋下市長に謝罪したことにはならず、また編集部としても、本来であれば伏字にすべきものを掲載してしまったという“単純ミス”なのだから、佐野氏の記事を否定することにもならない。これが両者がぎりぎり妥協できる落とし所だったのだろう。

(3)しかしこれだけでは、編集部が橋下市長に謝罪する理由がない。そこで見つけたのが、著者とは関係のないタイトルと表紙コピーだ。これについて勝手に編集部が橋下市長に謝罪するのなら、著者としてはどうしようもない。

(4)『週刊朝日』編集部は当初から「極めて不適切な記述が複数ある」と述べていたが、同和地区を特定した箇所以外にどこが不適切なのかを明らかにすることができない。これは当たり前のことで、橋下市長を批判した部分を「不適切」とすることを佐野氏が認めるはずはない。

(5)橋下市長は、「ハシシタ 奴の正体」がナチスの優生思想と同じだと批判した。今回、『週刊朝日』編集部が反論もせず謝罪したことで、社会的には「橋下市長の主張を認めた」と受け取られた。

こうして、大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した佐野眞一氏は、「部落差別作家」のレッテルを貼られることになった。私は佐野氏の今回の記事を評価しないが、それでも雑誌づくりが著者と編集部の共同作業であることを考えれば、一人の書き手として、『週刊朝日』編集部の今回の仕打ちはきわめて不当なものだと思う。これでは、著者を後ろから撃つのと同じだ。

(6)佐野氏は今後、どこかの雑誌で連載を再開するか、単行本版『ハシシタ 奴の本性』を刊行しようとするだろう(手がけたい出版社はいくらでもあるはずだ)。その評価は、作品が完結してから読者(と社会)が行なえばいいことだ。

(7)ここまで述べたように、今回の問題の本質は「同和地区を特定する記述を掲載したこと」ではなく、すべてが完全に自覚的に行なわれた出版行為であるにもかかわらず、『週刊朝日』編集部が手のひらを返すように橋下市長に謝罪し、連載を中止したことにある。第三者機関には、ぜひその経緯を検証してもらいたい。

(8)もちろん、それでも差別は絶対に許されない、というひともいるだろう。だが、「ハシシタ 奴の本性」を全否定し、バッシングすることは部落差別の新たなタブーをつくるだけだ。

上原善広氏は自身のブログのなかで、日本のマスメディアの体質について述べている。

そもそも大新聞各社は二年前、ぼくの『日本の路地を旅する』が発刊されたとき、「同和問題はどのような本であれ、紙面では紹介できない。ただし大宅賞をとったら載せてあげても良い」と豪語しました。これは自分たちの問題意識を低さに乗っかった、大新聞の傲慢な態度だと思います。結局、ぼくは大宅賞を受賞して、メデタク掲載していただきましたが、あまり嬉しくありませんでした。

ぼくがテレビに出れないのは、路地(同和)を書いているからなんですね。確かにルックスはデブなので見苦しいかと思うのですが、それだけではないのです(多分…)。機会があればぜひ出てみたいのですが、まずは同和タブーがなくらないかぎり、土台、無理な話なのです。

これが、「差別」だ。

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35件のコメント

  1. 橋下氏に対する当該文章は個人的なblogや意見としてなら勝手にしていいでしょう。あるいは、出版とするなら(もちろん出版してくれる会社があれば、ですが)。
    しかし、タイトルからその悪意が全面にでている文章が、しかも被差別部落と関連付けられかたられることに吐き気や嫌悪を覚えない人はいないでしょう。
    いくら表現の自由でも、そのまえに人権です。これが正論で、これ以上もこれ以下もありません。
    この大前提を、さまざまな理由をいくらつけたところで、それらは戯言です。
    本コラム最後で述べられている出版社は、明らか差別です。と同時に、橋下氏の記事も、同じく、差別に他なりません。これを許していては、出版人だの作家だのまえに、人間失格です。
    表現したいなら、自分で本なりblogなりで「表現」すればよろしいのでは?

  2. どうも血肉の通わない文章だなあ。

    同じ地球上に産声をあげた赤ん坊に、橘さんのその高説は何か希望を与えられるんでしょうか?その赤ん坊は、同じ地球上に生まれたのに、目に見えない壁に完全に隔たれた世界で育っていくんですけど。

    橘さんは、そういう排除されてきた人たちを取材したことがあるのでしょうか?彼らは成長過程のある時期から、一切その「見えない壁」からこちら側に出てこようとしません。数ミリも離れていないすぐそばに立って、普通に会話もしているのに、彼らは完全に別世界に閉じこもっているのです。どれだけ「絶対安心だから」と熱意を持って説得しようとしても。

    「社会全体がより大きな利益を得ることができるならば」これは、「そこに住むひとたちが被る不利益」を真摯に理解しようとする姿勢が前提だと思いますが、橘さんからはそんな姿勢は感じられません。なのに「より大きな」との表現。「不利益と同等の利益」ぐらいでも伝わるのになぜ社会全体の利益は「より大きい」のでしょうか?

    ラディカルな運動?橘さん、まさか自分の論拠の正しさを見せたいがためだけにそのクローゼット壊しのエピソードをわざわざ抜き出したんじゃないですよね?

    差別の新たなタブーを作るだけ?軽い。あまりにも軽すぎるコメントだと思います。同和教育をかじった小学生でも言えます。

    何かが決定的に足りない。

  3. 橋下の味方か敵かという次元で筆を起こしているのに、そうではないフリをして差別や表現の自由という大きな問題を論じている体裁を取っていて、回りくどいという印象です。
    差別だから佐野の記事はいかん。
    差別と言って口を閉ざすほうが差別だから佐野の記事は良い。
    表現の自由だから佐野の記事は許される。
    …こういうのは差別だ表現だという大きな問題を援用して橋下の擁護や攻撃の材料に使ってるだけじゃないですか。
    本当に差別や表現の自由の問題を考えたいなら、橋下の件と関係なく、独立して論じれば良い。
    「いや今回の件こそ表現の自由を論じる格好の題材なのだ」というのは無理矢理結びつけるための強弁ですよ。

  4. 当方30代です。
    小中学校で少し部落差別を教わりましたが、近くに部落がないからでしょうか、そこまで大仰かつ頻繁なものではなかったと記憶しています。
    しかし私の親は部落に対して結構な偏見を持っていましたから、部落差別をなくすにはこれを語る旧世代がいなくなるのを待つしかない、このことを言わなければいいと当時は考えていたものでした。
    今回の騒動で久しぶりに部落差別という言葉を聞きました。まず20代以下の若い世代は学校で教わっているんだろうかと気になりました。そして当時と考えが変わり、部落差別の経緯をきちんと語った上で差別をしないことを教えるべきだと思いました。理性を正しく働かせればこのことに関する差別意識は生じてこないと思いますし、また同和利権などの逆差別は許してはいけないと思うからです。
    やはり正しい知識を伝えることは大事です。真実を隠したり誤魔化そうとしたりするから変な憶測を呼び、それが差別につながっている面もあるのではないでしょうか。

  5. 当方30代です。
    小中学校で少し部落差別を教わりましたが、近くに部落がないからでしょうか、そこまで大仰かつ頻繁なものではなかったと記憶しています。
    しかし私の親は部落に対して結構な偏見を持っていましたから、部落差別をなくすにはこれを語る旧世代がいなくなるのを待つしかない、このことを言わなければいいと当時は考えていたものでした。
    今回の騒動で久しぶりに部落差別という言葉を聞きました。まず20代以下の若い世代は学校で教わっているんだろうかと気になりました。そして当時と考えが変わり、部落差別の経緯をきちんと語った上で差別をしないことを教えるべきだと思いました。理性を正しく働かせればこのことに関する差別意識は生じてこないと思いますし、また同和利権などの逆差別は許してはいけないと思うからです。
    やはり正しい知識を伝えることは大事です。真実を隠したり誤魔化そうとしたりするから変な憶測を呼び、それが差別につながっている面もあるのではないでしょうか。今、同和地域はどうなっているのか。現実を知るために上原善広氏の「日本の路地を旅する」を読んでみようと思います。

  6. 「そこに住むひとたちが被る不利益よりも、社会全体がより大きな利益を得ることができるならば」
    → ひどい。人権というものをまるきり無視している。
    正しくは:どんなに社会全体の利益の方が大きくても、個人の人権を踏みにじってはいけない。財産もまた同様。たとえば、土地収用の場合、社会の利益が大きいからといって、勝手に土地を収用することはできない。特別な場合に特別な立法がなされた場合は別だが、一般的にはそんなことは禁じられている。そんな政府の横暴がまかり通るのは中国ぐらいだ。

  7. 橋下市長が同和出身が真実なのに
    真実を報道したら悪いって
    問題にする人の考えがわからない。
    佐野氏はとても素晴らしいと思った。
    それに正義か悪かは裁判所が決めること。
    僕達社会はもっと多様性を許容していく世の中が必要だと思う。

  8. 後味悪いのは、結局のところ気骨あるプリンシプルが無いんですよ。

    理論・理屈のガチンコ勝負こそ、今現在で一番必要とされているものなのに、
    社会の空気を日和見しつつ、フニャフニャと腰砕けて、なんかわからんけど適当に有耶無耶
    にして幕引きをしている。

  9. 橋下さんが、なぜ今回に限って敵意を剥き出しにして徹底的に反論したのか。上原さんへの対応と今回の記事への対応が違ったというのは、橘さんが指摘したロジックではなく、橋下さんの攻め方にあるのではないかと思います。
    以下は橋下さんと堺屋さんの共著『体制維新 —大阪都』(76p)の引用です。

    『僕は、仕組みを変えるときは、一点突破の全面展開を考えます。ここがポイントだと思うところにドーンとエネルギーを集中して、現行制度の欠点をあぶり出していく。どこに狙いを定めれば、有権者から、「それはおかしい。橋下の言うことが正しいから応援するよ」と理解してもらえるか。その突破口を探っていくのが、僕のやり方です。』

    市長としての仕事と、維新のトップとしての仕事と、どこにエネルギーを注ぐべきかを考えると、今回のようなことにいちいち反論していたのでは本業が疎かになっていくと思います。さらに、橋下さんは朝日新聞に対して、以前から敵意があった。(自衛隊での演説など)

    週刊朝日も、橋下さんの出自に関する記事は以前から出ていて、それに対して無批判だったことから、まさか今回も反論してはこまいと考え油断したのではないでしょうか。だから、あんなに批判しやすい内容に仕上がった。それに対して上原さんは、被差別部落の当事者であることや、目的が『クローゼット壊し』であることなど、批判する側がただ”ムカつくから”という感情論にしかならないから、攻撃は避けた。

    橋下さんは、これを機に、朝日にも血脈主義的批判にも部落差別にも、まとめて一気に攻め入ったのではないかと思います。

  10. マスメディアの二面性、結局弱いものいじめなのでしょうね。
    日本のムラ社会の悲しさです。出る杭は打たれる。佐野眞一さんの記事の本意はどこにあったのでしょうかね。そこが知りたいところです。

  11. ダブルスタンダードってのは、ある二重基準を色んな事に適用し続けている場合の話であって、個別の事柄を取り出して、対応に差があるからダブルスタンダードだとはならないよ。
    個別の物を持ってくれば、何かしら差があるのは当然だもの。
    女性が痴漢されて、怒って激しく抗議をした。
    その女性がまた別の人に痴漢されて、今度は警察に付き出した。
    そのときに「最初の痴漢の時は警察にはいかなかったじゃないか。ダブルスタンダードは良くないぞ」って言うかね?
    他の人も似たようなことをやってるのに自分だけ叱られて不公平だってのは小学生の愚痴みたいなもん。

  12. 身分制度が廃止されたのが明治初期だから、もう100年以上前になる。
    実際の教育方法が時代で変化しているのは定かではないが、現在生存している全ての国民が、出自においての差別はいけないものだと教育されているのに、いまだに部落差別問題は無いと言えない。こんなにも難しい問題であるのだからこそ、部落問題は慎重に取り組むべきであろう。

    『週刊朝日』の記事を全否定することが部落差別をタブー化するとは思えない。
    ただでさえ、悪意に満ちている差別意識を、個人に対する悪意に満ちた記事で語ろうとするのは、歪んだ見方に繋がるのではないだろうか。佐野氏の記事を読むかぎり、橋下氏の出自を暴く方法論として同和地区が使われており、そこに同和地区へ対する差別の配慮は感じられない。むしろ、「同和地区を特定する記述を掲載したこと」という新たな差別を生み出したにすぎない。

    では、同和地区を特定する記述を無くせば、あの記事を他社で出版することは許されるのだろうか。他社は売れれば良しと飛びつくだろうし、ジャーナリストとしての信念もあるだろう。だが、佐野氏には人間としての品格を期待する。

  13. 橘氏のこの記事を支持。
    橋下氏の対応は発端ではあるが、そもそもここでは重要な問題ではない。
    橘氏が書かれているように、問題は連載打ち切りを決めた出版社が「同和」を理由に挙げたことであり、また、某市図書館が「同和」を理由に閲覧禁止を決めたことである。
    その対応は、本稿指摘のように問題が多いと言わざるを得ない。

  14. しきりに週刊誌の編集部とライター、及びその関係を美化されているようですが、週刊誌なんて基本的にデタラメだらけです。もちろんまともな記事もありますが、政治家や有名人がいちいち法的処置に出ないことをいいことにあることないこと書きまくって、金儲けしてるのが実情です。ときどき訴えられては表現の自由だとか騒いでますが、敗訴しまくってますよね? リーガルチェックしてるはずなのに(笑)

    また「同和問題をタブーにすべきではない」という主旨を述べられているが、そのことに反論している人はいません。「橋下は部落出身だ」、ここまでは良いとして、「だから人格に問題がある」と記事は述べていて、後者を含めた論法を橋下さんもわれわれ市民も問題としているわけです。部落差別を客観的に扱っているわけではなく、部落差別(=没論理的な悪意)そのものなんですよ。橘氏は意図的にこの両者を錯誤されてますよね? なんのために?

    橘氏は言い訳のように「記事を評価していない」と述べていますが、週刊誌への信頼とライターの経歴(「大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞」!)を理由に作品として世に問う価値があるはずといっています。「出自や血脈(ルーツ)」を理由に一人の人間が職業(政治家)を制限される、そうあるべきという言説を作品として世に問う価値があるといっているのです。私にはゲロ以下の匂いがプンプンするんですがね…

  15. 「同和地区を特定することでそこに住むひとたちが被る不利益よりも、社会全体がより大きな利益を得ることができるならば(あるいはそう確信しているならば)、表現者は自らの意思でタブーを踏み越えていくことができる。」

    それは「表現者」に対する視点からの概念であって、実際にその地区で生活している「生活者」の視点ではない。もとより、表現者の文章を読む読者の視点でもない。同地区に住んでいる人、そうでない人、どちらの生活者も表現者が発する文章(情報)によって、多種多様な影響をただ一方的に受けるだけ、という考え方がこの方からは見て取れない。「受け取る方がどう受け取ろうが、それは読者の自由」という考え方だけで、それによって生活者の中に不必要に助長される同和地区への差別意識が醸成されることを理解していない文章ではないか。

    同和地区のそもそもの由来、差別の土壌となった江戸時代以前からの身分制度等、解放令以降の政府対応、現在までに差別を受けてきた人々・・・これらを正しく理解し、知識として持っている生活者がどれだけいるか、そしてそういう理解・知識を持っていない生活者は「同和」「部落」という言葉だけを見て、聞いて漠然と自分たちと距離を置くべき対象者、と思ってしまう事に気がつかないのであろうか?

    一般の生活者は表現者よりも情報発信力において圧倒的に弱い。その弱い立場の人たちが一方的に「自分たちと距離を置くべき対象者」と思われても、その弱い情報発信力でどうやって太刀打ちすればよいのか?いちいち別の表現者に頼むわけにもいくまい。ただただ耐えるだけ、という今までと何も変わらない状態を助長させるだけであろう。
    同和地区を特定することで、社会全体が得る「大きな利益」とは具体的に何か?提示もせずに文章を連ねても、そこには何の正当性も見えない。読み取れるのは「大きな利益」を盾に文章を読まれたい、文章を書いた媒体が売れてほしい、という思惑だけだと思う。

  16. 今回の件についてコラムニストの小田嶋隆さんが文章を書かれています。
    http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20121025/238594/?bv_ru
    (日経ビジネスオンラインなので登録は必要ですが無料です)

    そこには「文春や新潮のような出版系の雑誌は訴訟に持ち込まれようが何しようが決して謝らないが、朝日のような新聞系の雑誌は簡単に謝る」という趣旨のことが書かれています。

    「部落差別はいけない」というのなら「文春」「新潮」の時点で反応すべきだし、もっと言えば上原氏や森氏の時点で論争すべきでしょう。お二人とも同和問題をフィールドワークとしている作家だし、生半可な気持ちで記事を書いてるわけではないでしょう。今回のような腰砕けではなく、もっと深みのある議論になったかもしれません。

    ここに「新潮45」の後追いで出た「文春」「新潮」には反応せず、「朝日」には峻厳な反応を示した橋下氏のしたたかさが出てると考えます。

    私は朝日が「部落差別」を理由として白旗をあげたことに関して相当な危惧を抱いています。朝日は「部落差別」が絡む事象には一切絡まないと公言したことです。マスメディアが自らタブーを作って取材をためらうことが、はたして「国民の知る権利」を標榜してきたもののすることでしょうか?

  17. 報道によって被害を蒙った人に対して
    言論メディアはどう責任をとるべきかについてもっと考えたらどうでしょうか
    今回の場合地名を明記しただけではなくて
    悪意をもってそこにいる人は育ちが悪いのは当然であると匂わせてますよね
    地域の特定が許されるとして、その結果もたらされた被害にどう責任を取るのでしょうか

    客観を装った論評ではなく
    週刊誌によって幾度となく繰り返されてきた
    決め付けによる事件報道や被害者バッシングなど
    実際に起こった報道被害に対してどう責任が取れるのか
    あなたはご自分のお考えをお持ちではないのですか

    謝罪したり更迭したり裁判で非を認めたたところで
    報道によって引き起こされた被害は回復しません
    自分の引き起こした結果に責任が取れないのであれば
    表現に自制が求められるのは当然なのでは
    この点を論じない限りあなたの机上の空論には説得力はありませんよ

  18. 公人私人に関わらず個人のプライバシー権は認められない。表現の自由は最大限擁護されるべきであり、差別を表現する自由もあれば、それを叩く自由もある。最終的にリングに立っていたものが勝者であり、正義なのだ。

    ということ何故橘氏はリバタリアンとしてはっきり主張しないのか?中途半端な主張はかえって議論を混乱させるばかりではないのか?

  19. 作家で元「ぴあ」副編集長の盛田隆二のツイート ‏@product1954
    「ハシシタ 奴の本性」を掲載した『週刊朝日』河畠大四編集長がついに更迭された。この一連の騒動を論じた文章では、橘玲氏の「同和地区を掲載することは「絶対に」許されないのか?」がもっとも当を得ていると思う。上原善広氏のコメントも大変示唆に富む。
    https://twitter.com/product1954/status/261987815921942528

    評論家で言論誌の発行・編集者でもある東浩紀のツイート @hazuma
    すばらしい分析。RT @ld_blogos: 同和地区を掲載することは「絶対に」許されないのか? – 橘玲
    https://twitter.com/hazuma/status/261797939180085248

  20. >「部落差別はいけない」というのなら「文春」「新潮」の時点で反応すべきだし、もっと言えば上原氏や森氏の時点で論争すべきでしょう。

    そういう論点については、橋下氏自身が、
    「便所の落書きと違って、朝日はクオリティペーパーを自称してるんだから」と言っていたので、

    「文春」「新潮」=便所の落書き という認識なんだと思います。
    で、便所の落書きに対しては、法的責任まで追求したりはしないけど、
    記者会見で質問をするというクオリティペーパーの特権は与えませんよ、てことでしょ。

  21. 今回も素晴らしい内容の投稿ありがとうございました
    この問題に関して興味を持っていた自分にも認識不足の部分が多々あり勉強になりました

    言論の自由とはアプリオリに存在するもので無く(被差別を含む)プライバシーとのバランスで
    存在するものなのです

    先日の橘様の投稿にもありましたように30年前の日本のマスメディアにはひどい部分が多々ありました
    それ故差別の糾弾活動や言葉狩りに正当性を見出す人も一定数居たのですが
    ここ30年で勇気あるライター、編集者、作家の方々の幾多の努力により現在多少は出版業界の状況も改善されてきました

    だからこそ、今回の週刊朝日編集部のように安易な姿勢で被差別地域を扱った記事を掲載し、
    スキャンダラスな広告展開を行い、
    抗議を受けるとすぐ腰砕けになった対応に怒りを覚えるのです

  22. 橘先生はリバタリアンなので、「思想は自由市場にて淘汰される」べきとお考えで、異論はありません。

    >「同和地区を掲載することは「絶対に」許されないのか?」
    コメント2の匿名氏が
    「橘さんのその高説は何か希望を与えられるんでしょうか?」と言っているけど、(8)で
    >これが、「差別」だ。
    と言っている通り、「部落差別を扱うライターへの差別」、もっと悪質な差別を呼んでいるという指摘で、「悪質な差別を洗い出し」ております。
    たとえば、日本人は支那を「中国」と呼べと強制されています。世界は支那をチャイナ、ひどいところはキタイと呼んでいるのに、日本人だけがそうすることを許されません。
    これが日本人差別でなくてなんなのか。
    中国人差別をなくすというで、もっと悪質な差別を招いているだけです。
    構造的にはこれと似たようなものです。

    ただこの朝日問題、最初から最後まで「政治的」問題で、当事者は差別の本質論にはまったく触れていません。
    差別論から分析評論するのは難しいかと思います。

  23. 10/20のレスは、すごかったですね。
    炎上というのですか?
    どこかの団体が動いたのかな。
    (≧∇≦)

  24. 今回も「新潮」や「文春」や「現代」での連載であったならこんな騒ぎにはならなかっただけのこと。

  25. 橋下さんは「ハシシタ~」を許されないと批判するにあたって、ドイツなどでナチス肯定論が許されないことを引き合いに出していますが、橘さんはこのヨーロッパの言論状況をどうお考えでしょうか。
    ナチス肯定論もやはり言論の自由として許されるべきだ(つまりドイツなどの現状はおかしい)と言うのか、ナチス肯定論はだめだが「ハシシタ~」はまた別の話だと言うのか。
    そこを教えていただけると、橘さんの主張がわかりやすくなると思います。

  26. 民主党、「A級戦犯容疑者だった岸氏のDNAを安倍氏が継いでいるのか検証する」…”打倒安倍”で様々な分析 2006/09/13
    http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1158134384/
    > 鳩山由紀夫幹事長は党広報戦略本部に対し、
    > 安倍氏の祖父・岸信介元首相の研究を指示した。
    > 幹部の一人は「安倍氏は岸氏のやったことをすべて肯定したいだけ」と指摘。
    > 別の幹部も「岸氏の業績をすべて否定はしないが、
    >  A級戦犯容疑者であり、危険な側面もある。
    >  安倍氏が政治的に岸氏のDNAを継いでいるのか、検証する必要はある」と述べた。

  27. 橋下市長は一貫して「公人であるから親族のことを書かれるのは仕方がない」というスタンスで、そこでは同和地区に触れることも一定は許容されているように思えます(既出誌へのこれまでの対応などから)。
    一方で今回の件は「育てられてもいない(育てられたことが記憶にない)親族の行動」が「彼の性格につながっている」という部分が問題だ(それが血脈主義だ)と述べているのではないでしょうか。

    つまり彼が怒っている部分と、朝日側が勝手に解釈して謝罪している部分がズレているように思うのです。

  28. 人権侵害については、絶対的な基準はありません。侵害された側が侵害されたと感じるかどうかです。同和地区を実名で報道することについては、同和地区に関連するすべての方の意見を聞くことが必要です。仮に報道することが差別の撤廃に有効であったとしても、それを望まないのであれば、報道は人権侵害になります。マスコミやジャーナリストは同和地区名の報道が過去もあったことをあげて、橋下氏はダブルスタンダードだといっている方も多いですが、それは侵害を受けた側が決めること。今だからNGかもしれないし、週刊朝日だからNGという権利も留保されています。おそらく今回はDNAに触れた敵対的記事と橋下氏が感じたことが問題だったでしょう。子供への影響を強く主張していましたからね。

  29. 橘氏がペンネームで活動をされている理由は何でしょう?
    色んな意味で煩わしさから逃れるためという意識はないですか?

    実態の無い「より大きな利益」とやらで本名、住所、顔写真が全国にばら撒かれたら、
    屁理屈以前に人権侵害だと怒りたくなりませんか?
    小難しい理屈以前に、他人の気持ちを慮れない人々が多いことに慄然とします。

    正当な理由なしに差別されて一生を送らなければならないと自覚したときの
    10代の若者の絶望と怒りが分からない方が物書きなんかしてはいけません。

  30. 色々ある橋下・朝日関係の考察で一番納得するものでした。
    どこが同和地域なのかという情報を隠すことで何か同和のために「良いことをしている」と
    思う人がいるのなら馬鹿としか言いようがありません。同和地区の掲載をすることは差別ではないと思います。同和の出自が経済的、社会的不利益になるときに差別が生じます。

    クローゼットとの比較はわかります。他の大多数の社会では差別は体に刻まれています。部落差別と違い、人種差別は見た目でわかります。街を歩いているだけで差別の対象となる出自を公表しているようなものです。それに比べて同性愛、部落差別は「隠す」ことができます。
    でも隠すことのみでは、真の差別解放にはなりません。それはアメリカの同性愛運動が如実に物語っています。

  31. 佐野氏の出自を深く掘り下げることで人物の思想をつきとめていくという手法は、商売人であるソフトバンクの孫氏の場合:「あんぽん」ではそれが効果的であり、当初の目的が達せられたと思うが、現職の政治家である橋本氏に対しても同じ切り口で迫ったことは拙速だったのではないだろうか。サイドストーリーであるはずの同和問題のみをピックアップされ、結果的に朝日新聞は橋本氏に借りを作ってしまった。もう朝日は橋本氏に頭が上がらないでしょう。

    私はノンフェクションライターとしての佐野氏を高く評価しています。掲載第一回で打ち切りでは記事の本質が全く分からないままで踏むられてしまう。佐野氏も覚悟を決めて執筆しているわけでしょうから、ぜひとも他の媒体にて「ハシシタ 奴の本性」を完結していただきたい。

  32. 相変わらずメインの問題提起部分とそこに至るまでの記述が回りくどくて、わざと錯誤させるかのような記事ですね。まぁ、いいんですけど。

    それはさておき、出自と血脈について相変わらず思考の断絶を感じるのは、私だけだろうか?

    被差別部落なんてものは、当時の権力者によって人為的に作られたもの。では、そこに権力者によって集められた人たちはどんな人たちなのか?他の人達と何か違うのか?何も変わらんとしたら、何故、差別するのか?被差別部落の出身だから…という思考停止になってしまうのは何故なのか?当時の権力者に現代でも踊らされてるだけという考えには至らないのか?考えても理解不能。だが、理解できる人達がいる。という不思議。

    そして被差別部落出身という事を書く・記事にするという事が、さも何か大事なことを書いたかのように扱われることも理解不能。先にも書いたように被差別部落が当時の権力者によって人為的に作られたものであること。血脈がいい(いい悪いってなんだ?(笑))人々の中にも色んな人格の人がいて、被差別部落出身の人々の中にも色んな人がいるという当たり前すぎる事実の前に、出自・出身を暴いたと大仰に書くことになんの意味があるのか?それどころか、その記事自体、そこに関わる人々の本性・知性をさらけ出していて、恥ずかしいとさえ思えるが、そうではないということも理解不能。

    顔も知らない親や祖父母、遠い親類のした事・人格とは全然関係なく素晴らしい人もいれば、全然ダメな人がいる。という当たり前の事実があるのに、その事を取り上げて人の本性をどうのとドヤ顔で語れるその頭も理解不能。

    文化人、ジャーナリスト、報道の自由、なんて大袈裟に語ってみても、やはり程度はしれてるなと、つくづくおもった次第。

  33. 公共の政治家なのだから、出自報道にプライバシーなどあるわけがない。
    今回はアサヒ嫌いの人間が、保守の文春や新潮の誹謗はあえて見逃して、
    あえて朝日攻撃しただけ。
    ためにする攻撃にすぎない。
    佐野でもなんでもどんどん書くべきだ。

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