日本の政治家・官僚の国際感覚は大丈夫なのか? 週刊プレイボーイ連載(382)

福島原発事故の被災地などからの水産物を韓国が全面禁輸していることについて、世界貿易機関(WTO)上級委員会が日本の逆転敗訴の判決を出しました。韓国に是正を求めた第一審は破棄され、輸入規制の継続が認められたことになります。

この報道を見て、調査捕鯨の是非をめぐってオーストラリアが国際司法裁判所(ICJ)に日本を提訴した裁判を思い出したひとも多いでしょう。「科学的根拠」を盾に日本側は強気で、首相官邸にも楽観的な予想が伝えられていたにもかかわらず、ふたを開けてみれば全面敗訴ともいうべき屈辱的な判決だったため、安倍首相が外務省の担当官を厳しく叱責したと報じられました。今回のWTO上級委員会の審査でも、日本側は第一審の勝訴で安心しきっており、予想外の結果に大きな衝撃を受けたようです。

この二つの失態で誰もが最初に考えるのは、「日本の官僚は大丈夫か?」でしょう。韓国は一審で敗訴したあと、通商の専門家を含む各省庁横断的な紛争対応チームを設置し、「こうした韓国政府の努力が反映された結果だ」とコメントしています。だとしたら日本政府は、「被災地の復興支援」のためにどんな努力をしたのでしょうか。

厚労省の「統計不正」問題で暴露されたように、専門性に関係なく新卒を採用し、さまざまな部署を異動させてゼネラリストを養成するという官庁の人事システムはかんぜんに世界の潮流から取り残されています。

法学部や経済学部卒の「学士」の官僚が国際会議に出ると、そこにいるのは欧米の一流大学で博士号を取得したその分野のスペシャリストばかりです。これでは、アマチュアのスポーツチームがプロを相手に試合するようなもので、最初から勝負は決まっています。

もうひとつの懸念は、日本の政治家・官僚の感覚が国際社会の価値観から大きくずれているのではないかということです。

欧米では狩猟はかつて「紳士のスポーツ」として人気でしたが、いまでは「アフリカに象を撃ちに行く」などといおうものなら、殺人犯のような(あるいはそれ以上の)白い目で見られます。「科学的根拠」があろうがなかろうが、大型動物を殺すことはもはや許容されなくなりました。調査捕鯨を容認する判決を出したときの国際社会からの強烈なバッシングを考えれば、ICJの判断は最初から決まっていたと考えるべきでしょう。

原発被災地の水産物については、日本が生産者の立場、韓国が消費者の立場で互いの主張をたたかわせました。WTOは日本の食品の安全性を認めたとされますが、それでも韓国の禁輸を容認したのは、政府には国民=消費者の不安に対処する裁量権があるとしたためでしょう。いわば「消費者主権」の考え方で、これも世界の趨勢です。

二つの判決は、国際社会の価値観の変化を前提とすれば、じゅうぶん予想されたものでした。だとしたら問題は、そのことにまったく気づかず、唯我独尊のような態度で裁判に臨んだ側にあります。

元徴用工らの訴えに対する韓国大法院の判決に対し、与党内にはICJに訴えるべきだとの強硬論もあるといいます。裁判で決着をつけるのは自由ですが、ますますリベラル化する国際世論を考えれば、けっして楽観できないことを肝に銘じるべきでしょう。

参考:「日本からの水産物禁輸容認「努力が反映された」 韓国」朝日新聞4月12日朝刊

追記:2019年4月23日朝日新聞は、「政府説明、WTO判断と乖離」として、日本政府が根拠にしている「日本産食品の科学的安全性が認められた」との記載がWTO第一審の判決文にあたる報告書に存在しないことを報じました。国際法の専門家などからの批判を受け、外務省と農水省の担当者は「『日本産食品が国際機関より厳しい基準で出荷されている』との認定をわかりやすく言い換えた」と釈明、外務省経済局長は自民党の会合で政府の公式見解を一部修正したとのことです。ますます、「日本の官僚、大丈夫か?」という気がしてきます。

『週刊プレイボーイ』2019年4月29日発売号 禁・無断転載

ひきこもりは100万人ではなく500万人? 週刊プレイボーイ連載(381)

秋田県藤里町は人口3200人、65歳以上が43.6%と全国平均(26.6%)を大きく上回る「高齢化した地方」の典型です。そんな町で2010年2月、ひきこもりと長期不就労者の実態調査が行なわれました。

調査を行なったのは町の社会福祉協議会で、それまでは「福祉で町づくり」を掲げて介護予防・支援などの取り組みを行なってきました。ところがその過程で、老人ばかりだと思っていた町に若年層のひきこもりがかなりの数いることがわかり、とりあえずその人数を調べてみようということになったのです。

藤里町社協の調査の特徴は、ひきこもり状態か否かにかかわらず、「18歳以上55歳未満で、(学生や専業主婦などを除いて)定職をもたずに2年以上経過したひとすべて」を把握しようとしたことと、地域からの情報提供を受けてソーシャルワーカーが「あなたのお宅に、ひきこもっているお子さんがいらっしゃいますよね?」と一軒一軒確認したことです。

一人暮らしの老女の家に音信不通だった息子が帰ってくる、認知症になった親の介護のために娘が仕事を辞めたが再就職できない……こうした話はよく聞くものの、調査を率いた社協の事務局長は、その人数を20人か、多くても30人と見込んでいました。ところが1年半におよぶ調査の結果、高齢化が進んだこの小さな町になんと113人もの「ひきこもり(長期無業者)」がいたのです。

対象年齢に占める「ひきこもり」比率は8.74%、男性が女性の約2倍で、40歳以上が半数ちかくにのぼることも明らかになりました。

内閣府が40~64歳までのひきこもりを約61万人と発表し、40歳未満の約54万人と合わせて全国で100万人以上になったことに驚きが広がりました。しかし藤里町の徹底した全数調査は、事態がさらに深刻なことを示唆しています。

18歳以上55歳未満の人口は5703万人(2017年)、その8.74%は498万人です。都市と地方では環境が異なるし、藤里町の調査は精神疾患なども含まれているため単純にあてはめることはできないとしても、この数字は衝撃的です。――内閣府調査は64歳までを対象に「ひきこもり状態になって6カ月以上」の人数を推計していますが、藤里町社協が調べたのはシルバーバンク(高齢者就労支援事業)の対象にならない55歳未満で、なおかつ「2年以上」働いていない町民なのです。

「ひきこもり500万人」なんてありえないと思うかもしれません。しかし藤里町の結果を男女比で見ると、「ひきこもり率」は男が11.6%、女が5.6%です。地域の子どもが集まる公立中学校の40人学級(男女同数)で、男子生徒2人、女子生徒1人が55歳までにひきこもりになると考えれば、これが荒唐無稽な数字とはいえないことがわかるでしょう。

藤里町の訪問調査では、本人は求職準備のために一時的に故郷に戻っていると思っていながら、その期間が5年(あるいは10年!)を超えていたり、「うちの子どもは遊び回っている」と親は思い込んでいても、その「遊び」はガソリンがなくなるまで一人でドライブすることだった、というケースがありました。

全国調査でも、アンケートではなく訪問調査で対象世帯の実態を調べれば驚くような数字が出てくる可能性があります。必要なのはまず、私たちの社会がどうなっているのか、そのほんとうの姿を知ることではないでしょうか。

参考:藤里町社会福祉協議会、秋田魁新報社『ひきこもり町おこしに発つ』(秋田魁新報社)

『週刊プレイボーイ』2019年4月22日発売号 禁・無断転載

令和は団塊の世代に年金を払う時代 週刊プレイボーイ連載(380)

新元号が「令和」になったことで、あらためて「平成」や「昭和」を振り返る機運が盛り上がっています。

第二次世界大戦が終わると、すべての国で出生率が大きく上がるベビーブームが起きました。日本では「団塊の世代」と呼ばれ、1947年から49年までの3年間の合計出産数は800万人を超え、日本の人口ピラミッドのなかで突出したブロックを構成しています。

1960年代後半に青年期を迎えた彼らは、フォークやロックなど欧米の新しい音楽を真っ先に取り入れ、安保闘争などの学生運動にかかわったのち、70年代には「企業戦士」として戦後の高度成長を牽引します。昭和は戦前と戦後に分かれますが、多くのひとがイメージする「昭和」は80年代末のバブル経済で頂点に達するこの時期でしょう。

元号が昭和から平成に変わる頃、団塊の世代は40代前半で、子育てにもっとも経済的負担のかかる時期にさしかかっていました。バブル崩壊は彼らの人生設計を大きく動揺させ、この時期の政治の役割は、巨額の公的資金を投入して団塊の世代の生活を下支えすることになります。建設業での雇用を維持するために、日本全国に採算のとれない橋や道路、豪華な庁舎や公民館などの公共施設があふれたのはその象徴です。

団塊の世代の子どもたちが「団塊ジュニア」で、1971年から73年までの3年間に600万人が生まれました。彼らが大学を卒業する90年代半ばはバブル崩壊後の「就職氷河期」で、正社員として採用されずフリーターや非正規(派遣社員)となる若者が大きく増えました。「ニート(就学・就労・職業訓練のいずれも行なっていない者)」が社会問題になるのもこの頃です。

いまから振り返るならば、この時期の日本経済に起きたのは、「子どもを労働市場から排除することで親の雇用を守る」という現象でした。その結果、自活するだけの収入を得られずに成人してからも実家で暮らす「パラサイトシングル」が登場し、アルバイトで働くことすらできなくなると「ひきこもり」と呼ばれるようになりました。

令和元年には団塊の世代は70代になり、早晩、後期高齢者(75歳以上)として労働市場からかんぜんに退場することになります。70代の金融資産(2人以上世帯)は平均で1780万円ですが、金融資産非保有が28.6%とほぼ3世帯に1世帯で、3000万円以上は18.3%で5世帯に1世帯程度です(2018年)。70歳の平均余命は男性15年、女性20年ですから、団塊の世代の8割は人生終盤のこの期間をほぼ年金に頼って生きていくことになります。

このように考えると、これから始まる令和の姿がおおよそ見えてきます。「平成」が団塊の世代の雇用を守るための30年だったするならば、「令和」は団塊の世代に年金を支給し、医療や介護を提供するための時代になるでしょう。

団塊の世代が90代を迎える2040年には団塊ジュニアが前期高齢者(65歳以上)となって日本の高齢化比率は35%に達し、単純計算では、現役世代1.5人で高齢世代1人を支えることになります。

令和の時代の私たちは、戦後日本の主役となった人口ピラミッドの大きなブロックの動きにともなう、さまざまな政治的・社会的出来事を体験することになるのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2019年4月15日発売号 禁・無断転載