ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2014年7月16日公開の「アメリカでは否定されている「トラウマ理論」 ”わかりやすい説明”ほど危険なものはない」です。(一部改変)

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“こころの病”というのは製薬会社がマーケティングによってつくりだしたものであり、“病のグローバル化”によって、「誰もがアメリカ人と同じように狂わなければならない」時代になったという話を書いた。
今回は、日本でもいまでは“日常語”となったトラウマが「抑圧された記憶」へと”進化”したとき、何がおきたかについて見てみたい。
トラウマから「抑圧された記憶」へ
トラウマ(心的外傷)とは、幼児期の虐待のような“こころの傷”が長期(場合によっては何十年)の潜伏期間を経て、うつ病や自殺衝動、犯罪などの異常行動を引き起こすという精神医学の理論だ。
心理的な衝撃がこころの不調の原因になるというのは、戦争や自然災害、交通事故などの後遺症であるPTSD(心的外傷後ストレス障害)として研究が進められてきた。しかしここでいうトラウマは、(まがりなりにも)科学的な枠組みのなかで議論されてきたPTSDとは異なる概念だ。
「トラウマ」という言葉を有名にしたのはアメリカの心理学者(執筆当時はハーバード大学医学部精神科臨床准教授)でラディカルなフェミニストでもあるジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』(中井久夫/阿部大樹訳/みすず書房)だった。ところがその後、ハーマンの理論を取り入れたセラピストたちが、幼少期のレイプなどのトラウマ体験が“抑圧された記憶”として無意識に刻み込まれており、成人したあともその影響から逃れることはできないと主張するようになる。
この理論が世界じゅうで広く受け入れられたのは、その圧倒的なわかりやすさにある。
幼い頃に父親によって繰り返し性的虐待を受け、こころに深い傷を負った。だが父親から、「このことをけっして口外してはならない」ときびしくいわれ(約束を破れば神の罰が下る、あるいは母親が不幸になる)、その記憶は深く抑圧されてしまった。だが“傷”はいつまでも生々しく残り、それがうずくたびに精神的な混乱に襲われ、やがて社会生活が破綻してしまう……。
いうまでもなくこれは、「人間は性的欲望を無意識に抑圧している」というフロイトの精神分析理論の焼き直しだ。だからこそ、先進国のなかでは例外的に精神分析が大衆化しているアメリカで“トラウマ”は大流行した。
セラピストたちは、幼少期のトラウマによって自責や自殺願望に苦しめられている女性を救うためには、“抑圧された記憶”を回復させることが必要だと説いた(これもフロイト理論そのままだ)。そのために有効だとされたのが催眠療法やグループ療法で、こうした「記憶回復術」によって被害者は失われた記憶とともに“ほんとうの自分”を取り戻すのだ。
この「俗流トラウマ理論」は、1980年代から90年代にかけてアメリカ社会に大混乱を引き起こした。記憶回復療法によって抑圧されたトラウマ体験を思い出した“被害者”が、“加害者”である親を訴えはじめたのだ。
悪魔崇拝で親を訴える子どもたち
“トラウマ”がアメリカで大流行したのは、(一般に思われているのとはちがって)アメリカが迷信のはびこる伝統的な社会だからでもある。さまざまな統計調査で明らかなように、アメリカ人の多くは深く神を信仰している。
神の実在を信じるのなら、悪魔もまた実在しなければならない。保守的で信心深いバイブルベルト(中西部から南東部にかけての“聖書原理主義”の拠点)に住むアメリカ人は、映画『エクソシスト』や『オーメン』で描かれたような悪魔崇拝が現実に行なわれている(にちがいない)と思っている。
このような迷信社会で素人同然の催眠療法家が記憶回復療法を行なった結果、なにが起こったのだろうか。
1980年に出版された『ミシェルは覚えている』では、催眠療法を受けてトランス状態だったときに抑圧されていた記憶が蘇ったとする30歳のカナダ人女性が、「幼児期に悪魔崇拝カルトによって性的虐待を受けた。母親もカルトの一員だった」と告白し、センセーションを巻き起こした。この本が出版されてから約3年間で、「託児所がじつは悪魔崇拝カルトの一員で、預かった子どもたちに性的な虐待を行なっていた」という訴訟が全米で100件以上提起された。
さらに1988年に出版され、75万部を超えるベストセラーとなったエレン・バス、ローラ・デイビス共著の『生きる勇気と癒す力』では、「記憶が抑圧されている可能性が高い」チェックリストのほかに、「性的虐待を受けたという記憶が蘇ってから3年以内であれば訴訟を起こすことができ、和解金の範囲は2万ドルから10万ドル」という弁護士のコメントと、こうした訴訟を専門とする弁護士の連絡先リストが掲載されていた。
1990年には、現職警官が悪魔崇拝で有罪を宣告されるという衝撃的な事件が全米を賑わせた。
熱心なクリスチャンで共和党地方本部の代表者でもあるポール・イングラムは、記憶回復療法を受けた娘のエリカから次のように告発された。
父は、角のついたバイキングハットに似た帽子をかぶりガウンを着ていた。母を含めた悪魔崇拝の教徒たちが、全員で生後半年ぐらいの赤ん坊を順番にナイフで突き刺し、女性の教徒が死体を穴に埋めた。
乱交パーティが催された。父は私に、ヤギや犬とセックスするように強制した。母も動物とセックスをし、その様子を父がカメラに撮っていた。母は、棒で私の性器に傷をつけた。100回くらいは暴行を受けたが、ある時は、その後で父と母が私の体のうえに脱糞した。
生贄にされた赤ん坊は25人以上目撃した。また私が身ごもった赤ん坊をハンガーで掻き出し、手足をもぎ取ってその血まみれの死体を私の裸にこすりつけた。
驚くべきことにアメリカの裁判所は、このような荒唐無稽な物語を根拠に、なにひとつ物的証拠がないにもかかわらず、悪魔崇拝の罪で父親を有罪にしてしまった(この事件には、父親を刑務所送りにした娘のエリカがテレビ局をはじめとするマスコミから引っ張りだこになり、ちょっとしたタレントになるというおまけまでついた)。
きわめつきは、「ヒロインが子ども時代に使ったベッドに寝転んだときに、父親から性的虐待を受けていた記憶が蘇る」という物語仕立ての『広い場所』が1992年のピューリッツァー賞を受けたことだった。92年から94年の3年間に「蘇った記憶」の訴訟はピークに達し、年間に100件を超えるようになった(上記のエピソードはすべて矢幡洋『危ない精神分析 マインドハッカーたちの詐術』〈亜紀書房〉による)。
記憶は簡単に捏造できる
記憶回復療法が全米で大ブームを巻き起こすようになると、一部の専門家から疑問の声があがりはじめた。
だが当初、彼らは「蘇った記憶」を支持する一派から「幼児と女性に対する犯罪を擁護する学者たち」としてヒステリックな抗議が浴びせられた。とりわけ、記憶研究の大家でハーマンのトラウマ理論を厳しく批判した認知心理学者のエリザベス・ロフタスは「懐疑派」の筆頭とされ、「殺すぞ」という脅迫状が送りつけられるなど、一時は身辺警護のためにボディガードを雇わなければならないほどだった。
ロフタスは1992年に「ショッピング・モールの迷子記憶実験」という有名な実験を行なって、ハーマンのトラウマ理論に決定的な打撃を与えた。
ロフタスは、催眠療法は抑圧されていた記憶を取り戻すのではなく、記憶を捏造するのだと論じた。そして、きわめてかんたんな方法で偽りの記憶を思い出させることができると実証してみせたのだ。
成人の被験者対し、親や兄が「お前が5歳のとき、ショッピングセンターで迷子になったことを覚えているかい?」と聞く。そんな事実はないのだから、被験者はもちろん「覚えていない」とこたえる。
だが、「ポロシャツを着た親切な老人がお前を母さんのところに連れてきたじゃないか」「暑い日で、お前が泣き止んでからアイスクリームをいっしょに食べたよね」などとディテールを積み重ねられると、被験者はなんとかしてその体験を思い出そうとし、しばらくすると「ああ、そういわれてみれば、そんなこともあったよね」といいだす。
被験者はたんに、親や兄の言葉に同調したのではない。「あのおじいさんが着ていたのはポロシャツじゃなくて黄色のTシャツだったよ」などと相手の話を修正したり、「お母さんが何度も頭を下げて礼をいっていた」などと出来事の細部を創作したりするのだ。
これは心理学的には、「ショッピングセンターで迷子になった」という(存在しない)過去の出来事を信頼しているひとから指摘されたにもかかわらず、自分にはその記憶がまったくないという矛盾(認知的不協和)を解決するために、脳が無意識のうちに都合のいい物語をつくりだしているのだと説明できる。だが被験者はこの過程を、忘れていた子ども時代の記憶を思い出しているのだと強く体験する。このように、外部から偽りの記憶を埋め込むことはかんたんなのだ。
この「ショッピング・モールの迷子記憶実験」は、トラウマが幼児期の“原初体験”ではないことを強く示唆している。
なんらかの理由で社会生活に失敗し、精神的に苦しんでいる女性がいるとしよう。そんな彼女がトラウマ理論を知ることで、「この苦しさの原因は幼児期の性的虐待によるものだ(私に責任があるわけではない)」という“真理”に気づき、無意識のうちに自分に都合のいい物語を紡ぎ出していく。ハーマンの本に影響を受けた素人セラピストたちはこの過程に介入することで記憶の捏造を幇助し、“加害者”である親を訴えさせてその損害賠償金から分け前を受け取ろうとしたのだ(E.F.ロフタス、K.ケッチャム『抑圧された記憶の神話 偽りの性的虐待の記憶をめぐって』仲真紀子訳/誠信書房)。
トンデモ科学が引き起こした災厄
ロフタスの研究につづき、認知心理学者たちがつぎつぎと「記憶はつくりだせる」という研究を発表したことで、アメリカ心理学会や精神医学会は「回復した記憶が真実か否かを判断する決定的な手段はない」と結論づけ、米国医師会は94年に「蘇った記憶の信頼性は不確実であり、外部からの暗示に影響されている」との声明を発表した。
これを受けて司法の方針も転換され、メリーランド州裁判所は96年に、「抑圧理論を証明しようとする研究は、まったく非科学的でバイアスがかかったものである」との判断を下した。その後、各地の裁判所が「蘇った記憶」による告発を却下するようになり、爆発的に増えつづけた訴訟は95年に55件、96年には20件と激減した。
その後、幼児虐待などで有罪とされ懲役刑を科せられた被告の再審が始まった。
カリフォルニア州のジョージ・フランクリンは娘のアイリーンから、20年前に父親が8歳の少女を鈍器で殴り殺した記憶が蘇ったとして告発され、殺人罪で有罪判決を受けた。7年間の投獄の後、逆転無罪を勝ち取ると、ジョージは娘と当時の検察官を告訴した。
さらに、「偽りの記憶」を植えつけられた女性たちが、催眠療法家やセラピストに対して損害賠償を請求する医療過誤訴訟のラッシュが始まった。親への告訴を撤回してセラピストを批判するようになった患者をリトラクター(撤回者)と呼ぶが、彼女たちは催眠療法やグループ療法によってデタラメな記憶を思い出すように強制され、家庭や社会生活を破壊されていく体験を生々しく証言した。
このようにして1997年には「記憶戦争」にほぼ決着がつき、“抑圧されたトラウマ”はアメリカでも知識人や専門家から相手にされなくなった。そして2002年のアメリカ精神医学会の会議で「記憶回復療法の論争は死んだ」と宣言されたことでこの論争は決着がついた。
精神分析療法が普及しなかった日本では、幸いなことに、アメリカのような深刻な被害は起きてはいない。だが逆にそのことが“抑圧された記憶”というトンデモ科学を安易に受け入れ、テレビドラマやマンガ、ミステリーなどのエンタテインメントで多用することにつながったのではないだろうか。
「わかりやすい説明」ほど危険なものはない。とくにそれを“正義の実現”に利用しようとするひとが出てくると、とてつもない社会的災害を引き起こすことになる。わたしたちはこのことに、常に自覚的でなければならない。
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