日本でなぜメランコリーが「うつ病」になったのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2014年6月日公開の「製薬会社が「病」をつくり出し治療薬を売りさばく -論文捏造問題の背景にある肥大化したクスリ産業の闇」です(一部改変)

Andri wahyudi/Shutterstock

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「エイズの原因はHIVウイルスではない」という似非科学がアメリカや南アフリカで広まっていることを書いたが、その背景には近代医学があまりに成功しすぎたことがある。

参考:「エイズの原因はウイルスではない」という似非科学は いかに生まれ、陰謀論に変わったのか

ワクチンや抗生物質の発見は医療を飛躍的に進歩させ、人類はこれまで手の施しようのなかった多くの病気を克服した。しかしその結果、医学は治療可能な病気のほとんどをカバーしてしまい、残っているのはがんやエイズ、精神障害など効果的な治療方法がないか、きわめて困難なものばかりだ。製薬事業において、ワクチンや抗生物質に匹敵するイノベーションはもはやありえないかもしれない。

だが薬の特許には期限があり、それが切れると他の製薬会社が同じ成分の薬を製造・販売できる。これが後発医薬品(ジェネリック医薬品)で、研究開発型の大手製薬会社は常に新製品を市場に投入していかないと利益を維持できない。

このようにして製薬会社は、開発できない新薬を無理矢理開発するという歪んだインセンティブをもつようになる。こうした弊害がきわめて大きいのが精神病の治療薬だ。ここでは精神医学の実態を取材したアメリカ人ジャーナリスト、イーサン・ウォッターズの『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』(阿部宏美薬/紀伊国屋書店)に拠りながら、なぜ日本でうつ病が急増したのかを見ていこう。

日本の“うつ病の壁”に挑戦する

『クレイジー・ライク・アメリカ』の原題は“Crazy Like US”で、“US”は「私たち」と「アメリカ」をかけている。著者のウォッターズは本書で、アメリカ発の心の病が世界に輸出され、「精神病のグローバリゼーション」が起きていると主張している。

ここで取り上げられるのは、香港の拒食症、スリランカのPTSD、ザンジバルの統合失調症、日本のうつ病の4つの心の病だ。

2000年秋、カナダ、モントリオールのマギル大学で比較文化社会精神医学を研究するローレンス・カーマイヤーは、「抑うつと不安に関する国際的合意グループ」という団体から、京都とバリ島で行なわれる会議の案内を受けた。全額主催者負担で、航空券は1万ドルもするファーストクラス、ホテルは宮殿のようなスイートルームでバスタブには薔薇の花が浮かんでいた。会議の主催者は大手製薬メーカー、グラクソ・スミスクライン(GSK)で、日本で抗うつ剤SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)パキシルを大々的に売り出そうとしていた。

SSRIは従来のTCA(三環系抗うつ剤)をひな型につくられた新薬の一群で、アメリカでは1980年代後半にイーライリリー社がプロザック(一般名フルオキセチン)の商品名で売り出して大ヒットさせた。だがイーライリリーは1990年代初頭、日本への進出を断念する。日本で新薬の承認を得るためには、日本人だけを対象とした大規模な臨床試験のやり直しが必要になる。それだけの年月とコストをかけても、日本にSSRIの市場が生まれる確信がもてなかったのだ。イーライリリーの幹部は、「日本人のうつ病に対する態度はきわめて否定的だ」と考えた。

それに対してGSKは、日本の“うつ病の壁”に挑戦することを決断し、1999年にパキシルを売り出す許可を得た。だがGSKが莫大な販促費を投じて京都に世界中の精神科医や研究者を集めたのは、新薬の宣伝のためではなかった。

カートマイヤーはそこで、比較文化社会精神医学の立場から、統合失調症やうつ病などの精神病は文化によって症状の現われ方が異なることを発表した。

カートマイヤーによれば、アメリカにおけるうつ病の概念こそが、世界的にみて特異な特徴を持っている。アメリカ人は赤の他人に感情をオープンに表現したがり、精神的苦悩をヘルスケアの問題とみなす。それに対して他の文化圏では、こころの苦しみは社会的・倫理的な意味を持ち、共同体の長老や地元の宗教指導者に救済を求める。自分が所属する社会の輪の外にいる医者や専門家に助けてもらおうという考えは意味をなさない。

カートマイヤーは「人間の苦しみに関する文化の多様性を尊重し、守るべきだ」という警告を述べたのだが、GSKはその発表に満足したようだった。あとになって彼は、自分の発表がまったく別の受け止められ方をしたのかもしれないと気づいた。うつ病をめぐる文化的な考え方は、時代の影響を受けて移り変わるというように。

GSKはパキシル販売のために、日本のうつ病の概念を変えようとしていたのだ。

日本に「うつ」を認知させた皇太子妃

日本ではそれまで、軽いうつは重度の大うつ病や躁うつ病(双極性障害)とは区別され、「メランコリー」と呼ばれていた。これは1960年代初頭にドイツの臨床精神病理学者テレンバッハが提唱した「メランコリー親和型性格」に由来し、アメリカではまったく相手にされなかったものの日本では広く受け入れられた。メランコリーが、「真面目・勤勉で思慮深く、他人や社会全体の幸福に強い関心を示し、秩序を求め、並はずれて高い目標を自分に課す」人格特性とされたためだ。日本では軽うつ(メランコリー)は病気ではく、望ましい性格と見なされたのだ。

これに対して製薬会社は、「うつ病は治療が必要な病気だ」という大キャンペーンを張ることにした。だがそれはきわめて巧妙で、ソフィスティケイトされたものだった。

GSKのうつ病啓発CMでは、女優が「いつからですか? いつから我慢してるんですか?」と呼びかける。そして画面が変わり、「うつは1カ月、辛かったらお医者さんへ。それ以上我慢しないでください」というナレーションが流れる。

女優・木の実ナナが『私は、バリバリの「鬱」です』と告白する塩野義製薬の広告では、うつ病への理解促進とともに、新薬の臨床試験の被験者が募集された。

これは日本では、特定の処方薬について宣伝することができなかったためで、各企業は公共広告の名のもとに、精神的な苦痛を感じているひとに専門医への受診を進めたのだ。

こうした啓発戦略はマスコミの目の引き、雑誌や新聞・テレビなどでサラリーマンや女性の軽うつが「病気」として取り上げられることが増えていった。90年代の日本で急速にうつについての「グローバルな理解」が広まったのは、長引く不況によって個人も国家も自信を失っているという背景があった。そしてなにより、日本人に「うつ」という病気の存在を知らしめたのは皇太子妃をめぐる報道だった。

かつて日本にはアメリカのようなうつ病はなく、抗うつ薬の市場もないとされていた。ところがGSKがパキシルを売り出してわずか数年で、忽然とメガマーケットが出現したのだ。

その結果、日本で「うつ病」と診断される患者が急増する。しかしこれは、日本だけの現象ではない。

世界でもっともうつ病の多い国は北欧のスウェーデンで、長く厳しい冬のせいだとされていたが、実はスウェーデンはアメリカ以上に抗うつ薬の処方量の多い国だ。抗うつ薬が普及するとうつ病が増える現象は、イギリスやカナダ、オーストラリアでも確認されており、逆に治験の厳しさでSSRIの承認が遅れたドイツやイタリアではうつ病の罹患率も低い(冨高辰一郎『なぜうつ病の人が増えたのか』幻冬舎ルネッサンス新書)。

製薬会社はまず「こころの病」をつくりだし、それから病気を治療する薬を大々的に販売したのだ。

製薬会社のキャンペーンによって病気が増える

『クレイジー・ライク・アメリカ』には、ウィスコンシン大学の人類学者、カルマン・アップルバウムによる興味深いフィールドワークが紹介されている。アップルバウムの研究対象は伝統的社会ではなく、現代の資本主義社会だ。大手製薬会社が日本にSSRIを売り込もうとしていると聞くと、彼は格好のフィールドワークの対象だと考えた。

アップルバウムのインタビューに、製薬会社の役員たちは驚くほど正直に本心を語った。それは彼らが、「自分たちが世界を救おうとしているとまっすぐに信じている」からだ。アップルバウムはいう。

「製薬会社はほかのどの業界よりも、マーケティングキャンペーンが倫理的な方針と直結しています。結果、病気を『儲けるチャンス』とみる利潤追求の考え方と、不安定な状態にある人類の健康を救おうという倫理観が結びつくことになります。これにより、相当に強引なマーケティングをしている者でさえ、自分は社会に奉仕しているのだ、と信じきってしまうのです」

製薬会社は、「根拠のない科学」とされたものを「先進国の医学」に変えることによって、錬金術のように富を生み出していく。彼らが信奉しているのは、社会進化論ともいうべき“欧米中心史観”だ。

 製薬会社の役員たちとの会話のなかで、アップルバウムは、彼らが一様に、進化の方向はあらかじめ決まっていて、各文化がその諸々の段階にいるかのような発言をするのを耳にした。異なる文化は既定のレールに沿って進む途上にあるのだ、と。
アメリカの医薬品市場は、商品の認知度や(専門家および非専門家による)処方率の高さや自由価格競争において進歩的であり、日本は15年遅れている、とみな等しく口にした。中国は日本よりさらに5年遅れているのだという。
利益のあがるアメリカ市場は、ほかのすべての市場を計る物差しになっていた。アメリカの文化は最も「進化」しており、我々の仕事は「この進化を加速させる」こと、つまり、他国にも自分たちと同じような道を歩ませることであると、ある役員はアップルバウムに語った。(『クレイジー・ライク・アメリカ』)〉

アメリカでSSRIが大成功したあと、それはカナダやオーストラリア、イギリス、フランス、スウェーデンへと広がっていった。製薬会社は製品化の課程で作成したマニュアルを各国に配布するとともに、「進歩的」な国で使った広告手法も輸出したからだ。日本にSSRIの巨大マーケットが誕生するのは時間の問題だった。

SSRIはうつ病の「奇跡の薬」なのか

SSRIは、うつ病を治療する画期的な新薬だとされた。それが事実なら、マーケティングの方法はどうあれ、社会的・医学的な意味はあるだろう。

うつ病はセロトニンと呼ばれる脳内の神経伝達物質の不足によるもので、SSRIはセロトニン濃度のバランスの維持を助けるのだと製薬会社はいう。脳内の環境を物理的に変えるのではなくバランスを調整するだけだという説明は、患者の警戒感をゆるめ、SSRIを普及させるのに必須のものだった。

うつ病がセロトニン不足によるものだという学説は、自殺者の脳やうつ病患者の髄液中にセロトニンレベルの低下が見られた、という1950年代の発見に依拠している。ところがその後、より感度の高い装置と測定法を使った追試では逆の結果が示され、1970年頃には、発見者自身がセロトニンの減少とうつ病に関連性はないと認めてしまった。いまではアメリカ精神医学協会が出版した『臨床精神医学』にも、セロトニン仮説は裏づけられていないと記されている。

SSRIが脳内の自然なバランスを回復させるというのも根拠のない理論だ。実際には、SSRIは脳内の化学物質のバランスをむしろ変化させてしまう。

それではなぜ、このようなデタラメな(追試によって否定された)理論がいまだにまかり通っているのか。それはSSRIがあまりに巨大な市場を開拓したために、大手製薬会社が科学的知識を創作し、コントロールしているからだ。

この問題を追及しているイギリス、カーディフ大学精神医学部のデイヴィッド・ヒーリーによると、製薬会社は1970年代から臨床試験に手当たり次第に資金を提供してコントロールを及ぼすようになり、90年代半ばには超一流誌の研究の半分以上が、大学の研究者が代表らしく見せかけながら、実は製薬会社が雇った医学系論文の代筆会社の手によるものだ(デイヴィッド・ヒーリー『抗うつ薬の功罪 SSRI論争と訴訟』 田島治監修/谷垣暁美訳/みすず書房)。

製薬会社の圧力によって、専門誌に掲載されるのもSSRIの効果に肯定的なものだけだ。ところが実際には、米国食品医薬品局(FDA)に登録された臨床試験74本のうち、否定的な結果が出た試験が36本もある。さらにこれらの研究の元データを再検討したところ、SSRIを摂取した10人の被験者のうち5人にうつ病の評価尺度で改善が見られたものの、プラセボ(偽薬)を飲んだ被験者でも10人中4人が改善していた。SSRIの効果は、巷間いわれているほど目覚しいものではないのだ。

製薬会社は、「うつ病は自殺の原因になる」として専門医への受診や抗うつ剤の服用をすすめてきた。だがデイヴィッド・ヒーリーは、SSRIの臨床試験において、20人の被験者のうち1人が服用によって非常に興奮し、状況次第で自殺に至ると警告している。

その後のより詳細な研究では、SSRIによる興奮や攻撃性は治療初期に見られるものの、初期段階を超えれば緩和するか消える傾向があるとされる。コロンビア大学の医学部グループの研究では、SSRIは成人男性の自殺行動に予防的な効果を発揮するものの、10代の子どもでは薬を飲んだ患者が飲まなかった患者より、投薬後4カ月以内に自殺を図る傾向が著しく高いことがわかった。

このようにSSRIは「奇跡の薬」でもなんでもなく、その効果は贔屓目に見ても、従来の三環系抗うつ剤と同じようなものだ。ただSSRIには、ひとつだけ大きな魅力がある。既存の抗うつ剤に比べて薬価がとんでもなく高いのだ。

近代医学が人類の幸福や社会の厚生に大きな貢献をしたことは間違いない。しかしいまやクスリのマーケットはあまりにも巨大になりすぎて、製薬会社も研究者もコントロールすることが難しくなっしまったのだ。

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