ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2014年6月12日公開の「「エイズの原因はHIVウィルスではない」という似非科学は いかに生まれ、不幸を招いたのか」です(一部改変)

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似非科学には、次のような特徴がある。
①一見するともっともらしい理屈を装っている。すくなくとも、専門以外の者が「たしかに一理あるかもしれない」と思う程度の説得力はもっている。
②その主張の背後に「正義」が隠されている。「こうあるべきだ」というイデオロギーが先にあり、それに都合のいいデータだけが選択的に集められる。
③自分に甘くて相手に厳しい。自らの主張を非科学的だと批判されると、「わずかでも可能性があるのなら対等に扱われるべきだ」と強弁する。それに対して相手のミスは絶対に見逃さず、完全無欠の証明を要求する。とりわけ、統計学的な議論はいっさい受け付けない。
④さらに立場が悪くなると、容易に陰謀論に走る。「自分たちの主張が間違っているように見えるのは、権力者が重要なデータを握りつぶしているからだ」などとすぐに言い出す。
⑤言い逃れができないような状況では、感情論を持ち出す。すなわち、「たとえ間違っていたとしても、自分たちの善意には意味があるのだ」などという。
似非科学はなぜ批判されなければならないのか。それを考えるために、「エイズ否認主義」という似非科学を検証したアメリカの臨床心理学者セス・C・カリッチマンの『エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(野中香方子訳/化学同人)を紹介しよう。
一流の科学者が生み出した似非科学
幸いなことに日本ではまともに扱われていないが、アメリカを中心に、「エイズの原因はHIVウイルスではない」という似非科学が広く信じられている。カリッチマンはこれを「エイズ否認主義」という。これはもちろん、「ナチスによるユダヤ人虐殺はなかった」という「ホロコースト否認主義」を念頭に置いた命名だ。
トンデモ科学というのは、科学の専門教育を受けたことのない“素人学者”の荒唐無稽な主張のことで、エンタテインメントとして楽しむこともできるが、エイズ否認主義はこうした“トンデモ”とは一線を画している。それは、議論の中心にいるのが正真正銘の一流科学者だからだ。
ピーター・デューズバーグはドイツ生まれの分子生物学者で、1964年にカリフォルニア大学バークレー校の正教授に就任した。その研究対象はがんを引き起こす遺伝子で、レトロウイルス(遺伝物質(RNA)を細胞の遺伝構造(DNA)に組み込んで自己複製するウイルス)を最初に分離した科学者の1人だ。デューズバーグはこの業績によって1986年に米国科学アカデミー会員に選出され、そのまま研究を続けていればノーベル賞の候補になってもおかしくなかった。
ところがデューズバーグは1980年代前半、これまでの研究成果をすべて投げ捨てて、突然180度主張を変えた。レトロウイルスについての研究を自己批判し、がんとは無関係だといいだしたのだ。デューズバーグによれば、がんの原因はあくまでも環境にあり、有害物質が染色体の異常を誘発し、がんを引き起こすのだ。
もちろんがんの遺伝的な影響については未解明のことも多く、デューズバーグの批判が科学的に無意味だとはいえない。問題なのは、彼が自分の主張をエイズにまで拡張したことだ。
エイズはHIVウイルスの感染によって発症するが、このHIVもレトロウイルスの一種だ。これまでエイズについてなんの研究もしたことのなかったデューズバーグがこの問題に首を突っ込むようになったのは、がんにおいて「レトロウイルスは無害だ」と主張している以上、HIVというレトロウイルスも人体には無害で、エイズの原因になるはずはないからだ。
専門家のなかにエイズとHIVの関係を疑う者はおらず、彼らは最初、デューズバーグの異説に徹底して反論し、それでも彼が考えを変えないと似非科学として無視した。しかしそれでも、デューズバーグのエイズ否認主義は急速に信奉者を増やしていった。
似非科学を擁護した知識人たち
エイズ否認主義はなぜ蔓延したのか。これについてカリッチマンはいくつかの要因を挙げているが、ひとつは「専門家」や「知識人」と称されるひとのなかに一定の理解者を獲得したことだ。
カリッチマンによると、エイズ否認主義のシンボルとなったデューズバーグは疑り深く、辛辣な皮肉屋で、論争では情け容赦なく、業界では徹底して嫌われていた。だがその一方で、科学論争以外の場ではフランクで冗談もいい、人づきあいが好かった。そのため、エイズとHIVの関係を否定したデューズバーグが科学者としての名声を失い、助成金も受けられなくなると、友人や知人のあいだから彼を擁護する声があがりはじめた。
擁護派グループのひとつはドイツ系アメリカ人の知識人で、歴史学者のような門外漢のほかに、連邦病院の院長や生化学・ウイルス学・腫瘍学の教授など医学の専門家も多かった。彼らはデューズバーグに“ドイツ同胞”という親近感を覚え、仲間が不当に攻撃されていると考えた。
もうひとつの擁護グループは、カリフォルニア大学バークレー校でデューズバーグと面識のあった学者たちで、分子生物学の博士号取得者のほかに高名な数学者や法律学者などがいた。彼らは、友人の苦境を見逃すことはできないと思った。
デューズバーグの擁護派はエイズ否認主義を唱えたのではなく、“良心的知識人”として異論にも耳を傾けるべきだと主張した。全米科学アカデミー会員であるデューズバーグの業績については衆目の一致するところで、それほどの学者(そのうえドイツの同胞や友人でもある)が真剣に主張することには一片の真実があるはずだ。あるいは仮に間違っているとしても、なんらかの科学的・社会的意義があるに違いない、というのだ。
擁護者たちは(科学)メディアにデューズバーグの主張を正当に紹介するよう訴え、エイズの専門家に対しては同じ土俵に上がって議論すべきだと批判した。
擁護論がちからを増したのには、エイズという病気の特殊性もある。
エイズ否認論者の多くはHIVウイルスだけでなく、エイズがウイルスによる感染症であること自体を否定している。彼らによれば、エイズの原因はドラッグなどの薬物や貧困による栄養不足などの環境要因なのだ(さらには、エイズ治療薬がエイズの原因だという説もある)。
エイズが感染症であることは、コンドームの使用や注射針の交換で感染・発症率が大きく下がることから医学的(統計学的)に証明されている。だが擁護派は、自分自身が科学者であるにもかかわらず、「統計的な説明では完全な証明になっていない」と反論する。自分に甘く相手に厳しい彼らが求めているのは、完全無欠の因果論的な説明なのだ。
「純粋なHIVウイルスはまだ発見されていない」とか、「エイズの原因がHIVウイルスならばなぜワクチンができないのか」というのもエイズ否認主義の常套句だ。
レトロウイルスは天然痘などのウイルスとちがって変異が早く、もともと「純粋なウイルス」などというものは存在しない。また正常細胞と一体化してしまうため、現在にいたっても完全なワクチンは開発されていない(その代わり、抗レトロウイルス薬によってエイズの発症や母子感染を防ぐことができる)。
だがエイズ否認論者はこうした科学的な説明をすべて無視して、「ワクチンができないのはエイズの原因がウイルスではないからだ(すくなくともその可能性はある)」と主張する。そしてこのわかりやすい理屈は、科学にうとい一般人だけではなく、専門外の科学者(知識人)にも一定の影響力を及ぼした。レトロウイルスの構造について正確に理解している者など、専門の研究者以外には、科学者のなかにもほとんどいないのだ。
エイズ否認主義に救いを求めたひとたち
エイズ否認主義が科学の世界を超えて広がるためには、一般のひとびとの支持が必要になる。
エイズ否認主義を切実に求めるのは、当のエイズ患者やHIV陽性と判定されたひとたちだ。
かつてほどではないとはいえ、エイズはいまでも社会的にネガティブな病だ。HIV陽性と判定されたひとはきわめて大きなショックを受け、「なぜこんなことになってしまったのか」「これからどうすればいいのか」納得できる答を探そうとする。そんな彼らが藁にもすがる思いでネットを検索すると、検索エンジンの上位に「エイズとHIVウイルスは関係ない」という記事が並んでいる。
エイズ否認主義は、エイズについて常識とされていることがすべてウソだという。これは、追い詰められた患者・HIV陽性者の耳にはとても心地よく響く。HIVウイルスがエイズと無関係なら、陽性になってもなにひとつ恥じることはないのだ。
エイズ否認主義は患者に対して、エイズ治療薬を「毒物」として服用しないよう警告する。
あらゆる薬は毒でもあり、副作用を持っている(だから処方が厳密に決められている)。初期のエイズ治療薬のなかには、きわめて強い副作用を持つものもあった。現在の抗レトロウイルス薬はかなり改善されているが、エイズ否認主義者はこうした事実をいっさい認めず、副作用の被害だけを探してきてはネット上に列挙する。
同時に彼らは、エイズはビタミン剤など副作用のない栄養剤によって治療できると主張する(もちろんなんの医学的裏づけもない)。それはエイズ否認主義者のなかに、薬事法などの規制に触れない栄養剤をエイズ患者に売りつけて儲けている者がいるからだが、こうした事実は慎重に伏せられている。
エイズ否認主義を信じたHIV陽性者はすべての有効な治療を拒否するため、やがてエイズを発症して死んでいく。しかしその過程で、自分の過ちを認めることはまれだ。ひとは賭け金が積み上がれば積み上がるほど、過去の選択を正当化しようとする。陰謀論に騙されて野垂れ死んでいく自分を受け入れることなどできるはずはないのだ。
エイズ否認主義に救いを求めた患者は、このようにして病状が悪化するにつれてますます熱心な活動家になり、自分が死ぬまでのあいだにさらに多くの同調者を獲得する。皮肉なことに、彼ら自身がウイルスとなって“感染者”を増やしているのだ。
「エイズは生物兵器」という陰謀論
エイズ否認主義を擁護する第二のグループはキリスト教原理主義などの頑迷な保守派だ。彼らは、エイズは同性愛や放埓な性生活、ドラッグなど不道徳な生活に対する神の罰だと考えている。
これは、ウイルスという目に見えない脅威への本能的な恐怖の表われでもある。
エイズの原因がHIVウイルスなら、なんらかの経路を辿って自分や家族も感染する怖れがある。だが環境要因によってエイズを発症するのなら、道徳的な生活を送っている自分たちはぜったいに安全だ。彼らは、エイズという「道徳的な病」を自分たちから隔離するためにエイズ否認主義を求めるのだ。
こうして保守派は、ドラッグ常用者に注射針を無償で配布するという、医学的には効果が明らかな感染対策に反対する。エイズの原因はウイルスではないのだから、ドラッグを常用する不道徳な人間のために税金を使う必要はいっさいないのだ。
このようなエイズ否認主義者を生み出すゆたかな土壌が陰謀論だ。
日本にかぎらず、世界じゅうに「この世界はすべて陰謀で動いている」と信じているひとたちがいる。エイズに対する陰謀論でもっとも有名なのは、それが自然発生したのではなくCIAなどの政府機関によって開発された生物兵器だというものだ。
こうした説が唱えられるようになったのは、HIVウイルスが発見された経緯にある。
HIVウイルスは1983年から84年にかけてフランスのパスツール研究所と、アメリカ国立衛生研究所のロバート・ギャロによって相次いで分離・発見された。このときギャロはウイルス発見の第一号となるべく、所属するアメリカ国立衛生研究所とともにさまざまな画策を行なったとの疑惑が持ち上がり、それが政府機関関与説へと拡張されていったようだ。
その後、アフリカでエイズが爆発的に広まると、「エイズウイルスは黒人を絶滅させるために開発された」との陰謀論が唱えられるようになる。ハーバード大学の心理学者の調査によると、アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)の3分の2が政府はエイズについてほんとうのことを語っていないと考え、16%がエイズは黒人の人口を抑制するために政府がつくり出したものだと信じ込んでいた。
ところでエイズ陰謀論では、当局や専門家の公式見解は不都合な真実を隠蔽するためのつくり話だとされるが、HIVウイルスの存在自体が否定されているわけではない。それがなぜ、(エイズの原因はHIVウイルスではないという)エイズ否認主義と結びつくのだろうか。
それは「否認主義」というものが、その名のとおり、「否認すること」を自らのアイデンティティ(存在理由)にしているからだ。彼らの唱える大義とは、隠された真実を世に知らしめることだ。その正義を共にしている以上、真実の内容(HIVウイルスがエイズの原因かどうか)はどうでもいいのだ。
似非科学が引き起こした南アの悲劇
では最後に、エイズ否認主義という似非科学を擁護することがどのような結果を招くかを見てみよう。
ネルソン・マンデラの後任として南アフリカ大統領となったタボ・ムベキはイギリスの名門サセックス大学で経済学の学位を取得したきわめて聡明な人物だが、あるときインターネットを検索していてエイズ否認主義のサイトにたどり着き、強い関心もつようになる。
ムベキはそれまでずっと、アフリカが“エイズの温床”として批判されるのが我慢できなかった。そこには「アフリカ人の生活態度が不道徳で遅れているからエイズが蔓延して世界に迷惑をかけている」という悪意が隠されているのだ。
そんなムベキにとって、「エイズの原因はHIVウイルスではなく貧困のような環境要因だ」というエイズ否認論者の主張はきわめて“政治的に正しい”ものだった。こうしてムベキは、大統領エイズ諮問委員会を2000年に発足させたとき、その約半数をデューズバーグをはじめとするエイズ否認主義者にするという「政治的英断」をする。
ムベキは、エイズ否認主義を全面的に受け入れたわけではない。彼の態度は“良心的知識人”と同じで、「異論にも誠実に耳を傾けるべきだ」というものだった。
エイズの専門家と否認主義者が諮問委員会で“対等に”議論する効果は絶大なものがあった。エイズ否認主義は、とうとう国家が公認する“科学”に格上げされたのだ。
アパルトヘイト時代の南アフリカでは、少数派の白人政府が秘密裡に生物兵器開発計画を進めているとの噂が広まっていたが、後にこの噂は事実であることが判明する。アパルトヘイト政権は、黒人がちからをもちすぎた場合に備え、特定の人種のみに威力を発揮する細菌や毒物、大量断種の技術研究を行なっていたのだ。
南アフリカの不幸は、こうした“ファクト”によってエイズ否認主義が受け入れられやすい土壌があったことだ。その結果、いかなる事態が起きたのだろうか。
ムベキ政権の保健相は、抗レトルウイルス薬には副作用があるとして、エイズ患者の治療と、(母子感染をほぼ完全に予防できることが実証されているにもかかわらず)HIVに感染した女性への使用を許可しなかった。その代わり、エイズには栄養面から取り組むべきだと述べ、否認主義者が販売するビタミン剤を推奨したのだ。
こうして南アフリカでは、1日にほぼ800人がエイズで死亡し、1000人が新たにHIVに感染し、産婦人科を訪れた妊婦の3割がHIV検査で陽性と診断されるようになった。NGO団体は、ムベキの“エイズ否認主義”によって助かるはずの多くの生命が失われたと批判している。彼らが推定するその数は200万人だ。
このとてつもない災厄が、“善意”や“正義”によって似非科学を擁護したことの代償なのだ。
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