アメリカのリベラルがひた隠しにする、ニューヨークの「ユダヤ原理主義コミュニティ」の女性差別

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年9月17日公開の「世界的なリベラルの本拠地アメリカ・ニューヨークに女性の人権を抑圧し、差別的な習俗を持つ一大コミュニティが存在する」です(一部改変)。

『アンオーソドックス』はNetflexで2020年に映像化されている

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アフガニスタンから米軍が撤退し、イスラーム原理主義組織タリバンが全土を掌握したことで、教育や職業選択、あるいは恋愛・結婚でこれまで(まがりなりにも)一定の自由を得ていた女性たちが困難な状況に陥るのではないかと危惧されている。

アメリカ北東部は西海岸と並び、世界的な「リベラル」の本拠地で、女性の自由や人権を守り、ジェンダーギャップをなくすさまざまな試みが行なわれている。だがそのニューヨークに、アフガニスタンと同じような境遇に置かれている多くの女性たちがいるとしたらどうだろうか。

デボラ・フェルドマンの『アンオーソドックス』(中谷友紀子訳、辰巳出版)は、ブルックリンのユダヤ教正統派のコミュニティに生まれ、親の決めた相手と結婚して一子をもうけた著者が「自由な人生」を獲得するまでを描いた自叙伝で、これまで隠されてきた(見て見ないふりをされてきた)女性差別的な文化・習俗を赤裸々に描いて大きな反響を呼んだ。副題の“The Scandalous Rejection of My Hasidic Roots(私のハシド派のルーツのスキャンダラスな拒絶)”が示すように、本書はアメリカのユダヤ社会だけでなく、リベラルにとっても「スキャンダル」だった。

サトマール派は「ウルトラオーソドックス」のユダヤ教

ニューヨークでは、黒のスーツに黒のシルクハット、カールしたもみあげを伸ばした男性や、黒のドレスにスカーフなどで頭髪を隠した女性を見かけることがある。これがユダヤ教正統派だが、そのコミュニティがどのようなものか、ニューヨーカーや世俗的なユダヤ人はもちろん、保守的なユダヤ教徒ですらよく知らなかった(あるいは知ろうとしなかった)。

オーソドックス(orthodox)は「正統派」のことで、ユダヤ教ハシド派は「超正統派(ウルトラオーソドックス)」と呼ばれる。フェルドマン一家が属するサトマール派は、そのなかでもさらに原理主義的なユダヤ教の一派だ。

ハシド派は17世紀後半にアシュケナージ(東欧系ユダヤ人)のあいだで生まれた宗教復興運動とされるが、サトマール派の歴史は比較的新しい。ルーマニアとハンガリーの国境付近にあったユダヤ人コミュニティは第二次世界大戦のホロコーストで壊滅したものの、その一部はナチスから逃れてアメリカに渡った。サトゥ・マーレ(イディッシュ語ではサトマール)出身のラビ(宗教指導者)もその一人で、ホロコーストを生き延びたユダヤ人を集めてブルックリンにハシド派の一派を再興し、故郷の名を付けた。

ユダヤ教正統派のコミュニティがあるのはウイリアムズバーグ南部で、マンハッタンから地下鉄で20分ほどのところだ。私はあいにく訪れたことがないが、一帯は再開発が進んで若いアーティストが集まるおしゃれスポットになっており、そんななかタイムスリップしたようにユダヤ教の戒律を守る6万人ちかいひとたちが暮らしているという。

サトマール派は大家族で、きょうだいのなかで年長者が先に結婚しなければ、弟や妹は結婚できない決まりになっていた。デボラの祖父は事業を運営しながらトーラーを学び、祖母はルーマニア出身のホロコーストの生き残りだった。祖父母には知的障害のある男の子がおり、その結婚相手を必死に探していた。そこで見つけたのがイギリスの貧しいユダヤ人の娘で、アメリカに行けるというだけでこの縁談を受け入れた。

こうして2人は結婚し、デボラが生まれたが、正統派でない家庭に育った母にはサトマール派の暮らしは耐えられず家を出ていった。残されたデボラは、祖父母のもとで育てられることになった。

デボラは祖父母から愛され、それなりに幸福な少女時代を過ごしたが、本が好きだったことで自分が「ふつう」とちがうと気づくようになる。サトマール派ではイディッシュ語(ドイツ語の方言にヘブライ語やスラブ語が混ざった東欧系ユダヤ人の言語)しか認めず、英語の本を家庭に持ち込むことは許されなかったが、デボラは図書館で借りてきた『若草物語』を祖父母に隠れて読みあさり、「自分らしさを追い求める」末妹のジョーに自分を重ねた。

自由な人生への強い憧れはあったものの、その一方でデボラは、生まれ育ったコミュニティや家族を捨てることはできないと思っていた。だが18歳で両親が決めた相手と結婚し、ようやく男の子が生まれたときには、日々の生活は耐え難いものになっていた。一念発起して大学に進学したデボラは、「外の世界」の価値観に触れ、過去を捨て子どもを連れて家を出ることを決意する……という物語だ。

イスラエル建国を「神への冒涜」と呼ぶユダヤ教徒

タラ・ウェストバーの『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』(村井理子訳、 ハヤカワ文庫NF)は、モルモン教のカルト的な家庭に生まれた著者が、大学進学によって人生を切り開いていく話だった。

参考:アメリカ社会に根づく「サバイバリスト」という終末論カルト

デボラ・フェルドマンの場合は、家庭ではなくコミュニティ全体が「カルト化」していた。本書の冒頭で、デボラはこう書いている。

アメリカに定着したハシド派は、消滅の危機に瀕した民族的遺産への回帰を目指した。先祖にならって伝統的な衣服を身に着け、イディッシュ語のみを使った。ユダヤ人の大量虐殺は同化とシオニズムに対する神の罰だと信じ、多くはイスラエルの建国に反対した。なによりもハシド派が重視したのは子孫の繁栄で、失われた無数の同胞をとりもどそうとするように人口の回復につとめた。今日にいたるまで、ハシド派のコミュニティは絶え間なく拡大を続けている。ヒトラーに対する究極の復讐として。

シオニズムはイスラエルの地(パレスチナ)にユダヤ人の故郷を再建しようとする運動で、イスラエル建国の原動力となった(Sionはエルサレム地方の歴史的地名)。当然のことながら熱心なユダヤ教徒はみなイスラエルを支持していると思っていたのだが、もっとも原理主義的なユダヤ教徒は反イスラエルだった。

毎年5月、イスラエルの独立記念日にサトマール派の各コミュニティが集まり、反イスラエルのデモを行ない、デボラの祖父ゼイディも参加する。サトマール派のラビは「シオニズムはユダヤ史上例を見ない反逆だ」と信徒に説いており、イスラエル解体のためには殉教も厭わない。「民族の離散をみずからの手で解決しようとするなど、おこがましいにもほどがある! 真に敬虔なユダヤ教徒はメシアを待つ。銃や剣を手に立ちあがりはしない」のだという。

デボラはサトマール派の学校で、「神がヒトラーを遣わしたのは、みずからを啓蒙しようとしたユダヤ人たちを罰するためだった」「同化したユダヤ人、選ばれし者の責務から逃れようとした“自由なユダヤ人”を一掃するためだった」と習った。

「彼らの罪を贖うのがわたしたちなのだ」と教師はいった。「メシアが現われるまでは約束の地を踏んではならない」とされ、イスラエルに親戚がいても訊ねることは許されず、規則を破れば退学になる(とはいえ、厳密に適用されていたわけではない)。

だがこれは、けっして奇矯な主張というわけではない。神が全能であるなら、ホロコーストも神の意思ということになる(そうでなければ、神と同格の悪魔の存在を認めることになる)。だとしたら、神はなんのためにホロコーストを起こしたのか? それは、ユダヤの律法をないがしろにした世俗的なユダヤ人への警告以外にあり得ない、というのは論理的な帰結なのだ。

反イスラエルの心理は、デボラの祖母であるバビーの言葉によく表われている。バビーの家族は、兄弟姉妹も、両親も、祖父母も、みなホロコーストで生命を落とした。

バビーはデボラに、「ナチスから逃れるために大勢のユダヤ人が船でイスラエルを目指したが、シオニストに入港を拒否され、収容所に追い返された」と語った。

あの連中は、東欧の小さなユダヤ人街(シュテットル)から来た無知な移民を、自分たちの新しい祖国に住まわせたくなかったのよとバビーは言った。欲しかったのは、教養も見識もあって、大義に身を捧げる新しいユダヤ人だけだった。だから幼い子どもは受け入れた。教育でどうにでも変えられるからだ。それを聞いたユダヤ人難民たちは、わが子の命だけでも救おうと、手放すことを決めたという。

「シオニストはホロコーストに対する同情を利用したんだよ」とバビーは言った。「ホロコーストのことなんて知りもしないくせに。本物の生き残りなんてひとりもいないのに。ただのひとりも」

サトマール派が独特の服装をする理由は、信仰心を見た目で示すためだけではない。それは、内と外の世界のあいだに深い溝があることを、どちらの側の人間にも知らせるためだ。デボラの学校の教師は、「同化こそがホロコーストを引き起こしたのです。わたしたちが社会に溶け込もうとしたために、主はその裏切りに罰を与えられたのです」といつもいっていた。

アメリカ社会に衝撃を与えたニッダーの風習

『アンオーソドックス』がアメリカ社会(とりわけリベラル)に強い衝撃を与えたのは、デボラがニッダーの風習について詳細に述べたからだ。

ニッダーはイディッシュ語で「脇に押しやられる」という意味だが、月経の婉曲表現だ。ユダヤの法では、一滴でも出血があれば女性はニッダーで、月のうち2週間、不浄とみなされる。

妻がニッダーのあいだは、夫は身体に触れることはおろか、料理の皿を渡すことすらできない。妻の身体のどの部分も見てはいけない。妻が歌うのを聞いてもいけない。夫にとって禁じられた存在になる。

生理が終わると、妻は7日間清らかな日を数えなくてはならない。日に2回(朝起きてすぐと日没前に)コットンの布で血が出ていないことを確認し、7日間連続で“白い”日が続けば、ミクヴェ(沐浴用の浴槽)に身を浸して穢れのない身体に戻る。

血はついていなくてもしみがあれば、それをラビのところに持参して清浄(コシェル)かどうかを判断してもらう。下着が汚れている場合もラビに見せに行く(または夫に持っていってもらう)。「14枚のきれいな布がようやく揃うと、ミクヴェに行って穢れひとつない清らかな身体に戻り、夫の前に出ることができる」のだ。

ミクヴェは人目につかない場所にある黄色いレンガ造りの建物で、浴室でメイクを落とし、耳を掃除し、歯にフロスをかけ、爪を短く切ったあと、浴槽に入って髪を2度洗って櫛でとかし、足のあいだやお臍のなかや耳の後ろに汚れが残らないように入念に洗う(襞になった部分は要注意だ)。

「身体と水を隔てるものがのこらないように」なったかどうかはミクヴェの「お世話係」にチェックされ、合格すると狭い部屋の小さな青いプールに案内され、そこで「神(ハシェム)よ、沐浴の戒律で私を清めてくださることに感謝します」とヘブライ語の祝祷を唱え、三度身を清める。この儀式を終えてはじめて、夫に「抱かれる」ことを許されるのだ。

ニッダーでない「穢れのない2週間」は、戒律はほとんどない。妻がミクヴェで「清浄」になっていれば、夫婦間のセックスは自由だ。こうやって「新鮮な関係を保つおかげで飽きることがない」のだとデボラは説明された。

サトマール派では避妊は認められないため、女性は多産になる。バビー(デボラの祖母)は10人の子どもを産んだが、これは珍しいことではない。だが男は、ビジネスで成功するよりもトーラーを研究する方が価値が高いとされているので、家計が逼迫することも多い。デボラも、「養いきれないほどの子供を産んだ母親たちが換金所に食料配給券を持ちこむ姿を見て育った」と書いている。

だがこれも、サトマール派にとっては悪いことではないらしい。彼らの世界観では、すべての人間がユダヤ人を憎んでいる。なぜなら、「神様がそのように世界をお作りになった」から。

だからこそ、「貧乏で学がないと思わせておいたほうが、異教徒の嫉妬や恨みを買わずにすむ」のだと、バビーはデボラにいった。「ヨーロッパでは身の程をわきまえず異教徒より豊かになり、教養も身につけたばかりに、憎しみを招いた」のだ。バビーは、ホロコーストがふたたび起き、アメリカからユダヤ人が追放されると信じていた。

サトマール派にとって最大の脅威は、自分たちが「寄生」するアメリカ社会

『アンオーソドックス』を読んで感じたのは、サトマール派のホロコースト体験を核とした強烈な被害者意識だ。自分たちは差別され、抑圧され、排除される存在で、その運命を受け入れることによって「神から選ばれた」のだ。

この転倒した意識から、ある種の超越性/精神性が生まれる。祖父のゼイディは、「この世で自分が持っていると思うものはすべて、本当は自分のものではない」とデボラに教えた。すべては「いつ奪われてしまうかわからないもの」だから。

親、兄弟姉妹、家、服――すべてが所有物だが、長い目で見ればたいしたものではないとゼイディは言っていた。すべてを失ったからこそ自分にはわかるのだと。

人生から得られる価値あるものはただひとつ。魂の平穏(メヌハ・ハネフェシュ)であって、それは迫害のさなかにも失われることのない、心の奥深くの静寂だ。われわれは非常に忍耐強く、どれほど過酷な状況に置かれようと平静を保つことができた。惨い拷問も、筆舌に尽くしがたい苦痛も、彼らの心の静けさを揺るがしはしなかった。信仰があれば、大きな目で見て人生に意味などないことがわかる。天国から見ればわれわれの苦しみなどちっぽけなものだが、魂がよどむと目の前のものしか見ることができず、幸せにもなりえない。

とはえいゼイディもバビーも、子どもたちの結婚相手の家柄や、子孫の繁栄には執着した。なぜなら、きわめて閉鎖的な共同体で生きている彼らにとって、仲間内での評判がすべてだから。こうしてデボラは、問答無用で「産む機械」にされていく。

アメリカに逃れてきたサトマール派のひとびとにとっては、「二度とホロコーストの悲劇を体験しない」ことがなによりも重要だった。だがそれから70年以上経って、ホロコーストの意味は、世俗化(リベラル化)するアメリカ社会に対して自分たちの文化・伝統を擁護する道具へと変わっていったのではないか。

そもそもイディッシュ語はドイツ語の方言で、ユダヤの祝日や結婚式にはサトマール派の故郷・東欧の料理が供される。男たちはそのとき「シュトライメル」という毛皮の帽子をかぶるが、これはロシア貴族の習慣を真似たものとされる。いずれもモーセやダビデ王の時代の伝統とはなんの関係もない。

新婦が初夜に備えてはじめてミクヴェに行くのは結婚式の5日前とされていて、そのとき「不浄」であることを避けるためにピルが与えられる。サトマール派はすべてを経典やトーラーに従っているわけではなく、自分たちにとって都合のいい「現代文明」は積極的に利用している。

すべてのカルト集団と同様に、サトマール派が「伝統」や「掟」に固執するのは、それがないと共同体が解体してしまうことを知っているからだろう。そんな彼らにとって最大の脅威は自分たちが「寄生」するアメリカ社会で、#Me Too運動やイスラームの女性蔑視への声高な批判を見れば、サトマール派の女性への扱いが容認されるとはとうてい思えない。

だがアメリカの「リベラル」は、自分たちの足元で堂々と行なわれている女性差別を「文化相対主義」の名の下に黙認してきた。なぜならそれは、「ホロコーストへの抵抗運動」だから。

『アンオーソドックス』が出版されたあと、正統派のユダヤ教徒を中心にはげしい批判が沸き起こった。それについてデボラはエピローグでこう書いている。

自分の経験を綴っただけのものが、なぜそれほどの脅威になるのだろうか。それはわたしが、きわめて排他的な宗派の内実をほぼ初めて暴露したからだ。信徒たちはコミュニティの実態をひた隠しにし、多くのユダヤ教徒はその問題を見て見ぬふりをしている。わたしは謝罪するつもりはない。物議を醸せば議論が生まれる。その結果として、原理主義的なユダヤ文化に改革と変化がもたらされることを望んでいる。わたしは女性と子供の人権に深い関心を持ち、自分の育ったコミュニティがその権利をいかに侵害するものであるかを知っている。そういった過激な集団を変えていくことは、彼らを支える社会全体にとって有意義なことだと信じている。

デボラは現在、息子を連れてニューヨークを離れ、ハシド派や正統派を抜けた人たちのコミュニティがあるベルリン(第三帝国の首都)で暮らしている。そこで撮影されたのがNetflixの「アンオーソドックス」(全4話)で、イディッシュ語を話す「脱退者」たちによってサトマール派の世界が見事に再現されている。

同じNetflixのドキュメンタリー「ワン・オブ・アス」では、ハシド派のコミュニティから訣別し、自分の人生を取り戻そうとする者たちの苦闘が描かれている。

禁・無断転載

処理水への中国の反応は、日本にとってよかった? 週刊プレイボーイ連載(576)

福島原発事故から3年たった2014年3月、ネットメディアの企画で廃炉作業の現場を視察する機会を得ました。そのとき東電本社で事前のレクがあり、担当者から凍土壁の説明を受けました。

その当時、原発建屋に1日500トンも流れ込んでいた地下水が大きな問題になっており、原発周辺にはすでに処理水を貯めたタンクが林立していました。そこで東電は、地中に約1600本の凍結管を埋め、零下30度の冷却液を循環させて周囲の土を凍らせるという技術で、地下水の流入を防ごうとしたのです。レクのあと、「凍土壁がうまくいかなかった場合はどうなるんですか?」と訊いてみると、担当者の答えは「代案はありません」でした。

地下水に含まれる放射能は除去設備(ALPS)によって規制基準値未満に浄化されますが、水分子の一部となるトリチウムだけは除去できないことも、そのとき説明されました。それから10年ちかくたち、いよいよ処理水のタンクが満杯になって、政府は海洋放出に踏み切る決断をしたのです。

ところがこの措置に中国が強く反発し、日本の水産物の全面禁輸を発表します。それと同時に、中国から日本に大量の苦情や嫌がらせの電話がかけられ、中国国内の日本人学校に石や卵が投げ込まれるなどしたため、外務省は中国に渡航・滞在する日本人に注意を呼びかけました。

すでに報じられているように、この混乱の背景には、中国政府が国民に正しい情報を提供せず、いたずらに不安を煽っていることがあります。バイデン政権が進める「封じ込め政策」によって、中国は自分たちが「被害者」であると考えるようになりました。“汚染水”の一方的な放出は、中国国民の「被害感情」に訴える格好の道具として、政治的に利用されることになったのでしょう。

しかしその一方で、中国の極端な反応によって、処理水の海洋放出に批判的だった野党や市民団体、メディアなどは、この問題の扱いに苦慮することになりました。「海洋放出は早計ではないか」というだけで「反日」のレッテルを貼られ、炎上しかねないからです。

それに加えて、アメリカが処理水の海洋放出を認める声明を出しただけでなく、環境を重視する欧州諸国も、米中対立に巻き込まれかねないこの問題に触れることに慎重になっています(過激な環境保護団体も、いまのところ静観を保っているようです)。

「社会正義」の時代には、良くも悪しくも、あらゆる問題が政治的に扱われ、「俺たち」と「奴ら」に分断されていきます。ロシアはウクライナに侵攻したことで、欧米から(ほぼ)永久に「奴ら」の側に排除されました。中国はロシアと組んでアメリカの圧力に対抗しようとしたことで、「奴ら」の側に半ば押しやられています。

処理水の海洋放出を強行した場合、日本にとっての最悪のシナリオは、中国の反発ではなく、欧米など先進国で市民の抗議行動や不買運動が広がることでした。そう考えれば、中国の強硬姿勢によって逆に海外の反発が抑制されたのですから、日本にとってはよかったといえるかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2023年9月11日発売号 禁・無断転載

アメリカ社会に根づく「サバイバリスト」という終末論カルト

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年12月317日公開の「映画『マッドマックス2』の世界観を持つ「サバイバリスト」は、ディープステイト(闇の政府)が世界を支配し、明日にも「終末」が訪れてキリストが再臨すると信じている」です(一部改変)。

アメリカ、ザイオン国立公園で見かけたモルモン教の学校の教師と生徒たち(本文とは関係ありません) (Photo:@Alt Invest Com)

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タラ・ウェストーバーの『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』(村井理子訳、ハヤカワ文庫NF)は、ビル・ゲイツやミシェル&バラク・オバマが絶賛したことで、全米で400万部のベストセラーとなった。

中西部アイオワ州の片田舎に生まれた少女は、きわめて特異な環境で育つことになる。両親は厳格なモルモン教徒で、とりわけ父親は「サバイバリスト」と呼ばれる極端な原理主義者だった。

「終末」は明日にも訪れキリストが再臨する

サバイバリストの特徴は、政府は陰謀組織(ディープステイト)によって支配されている信じ、いっさいの公共的なものを拒否することだ。これは教育だけでなく、医療や社会保障のような公共サービスも含まれる(もちろん納税もしない)。

その結果、タラは小学校から高校まで、いちども学校に通ったことがなかった。こうした子どもは「ホームスクーリング」によって自宅学習していることになっているが、親から習ったのはモールス信号だけだった。

アメリカではホームスクーリングの権利が広く認められているが、これは教育の多様化というよりも、保守的な宗教原理主義者(聖書に反する進化論などを子どもに教えたくない親たち)への配慮で、すくなくともタラの場合は、家庭でどのような教育が行なわれているのか、公的機関による確認はいっさい行なわれていない。

もうひとつのサバイバリストの特徴は、明日にも「終末」が訪れてキリストが再臨すると信じていることだ。彼らの世界観は映画『マッドマックス2』(あるいはマンガ『北斗の拳』)そのもので、子どもにモールス信号を教えるのは、世界の終わりがきて電話やインターネットなどがすべて使えなくなったあとでも、自分たちだけは交信できるようにするためなのだ。

タラは7人きょうだい(男の子5人、女の子2人)の末っ子で、一家は廃品処理と建築業で生計を立てていた。母親は自然分娩の助産婦の助手をしたり、自家製のハーブ薬をつくったりしていた。タラの家庭については、次のように書かれている。

父は政府に頼ることが何より嫌いだった。いつか、私たちは政府の枠組みから完全に外れるのだと言っていた。お金を集めたらすぐにパイプラインを建設して山から水を引き、そのあとの農地全体にソーラーパネルを設置するのが父の計画だった。そうすれば、私たち以外の世の中の全員が水たまりから泥水をすすり、暗闇のなかで生活するようになったとしても、水と電気を「世界の終わり」まで確保することができる。母はハーブに詳しかったから、私たちの健康管理をすることができるし、もし助産婦の仕事を学んだら、孫が生まれるときには、出産を手伝うことだってできる。

両親は医療を信用していなかったので、タラは学校だけでなく病院に行ったこともなかった。あらゆる病気はホメオパシー(症状を引き起こす成分を繰り返し希釈した水薬「レメディ」)とハーブによって治療できると信じていたのだ。

タラの家には電話がなく、父親は運転免許の更新をせず、車検は受けず自動車保険にも加入していなかった。政府が発行する貨幣も信用せず、くしゃくしゃに握りしめた20ドル札をタラに見せて、「こんな偽物は金じゃない。“忌まわしい日”が来たら、こんなもの、役にたちはしない。人びとは100ドル札をトイレットペーパーがわりにするような日が来るんだ」といった。

ある日、父親は納屋の隣に掘削機で穴を掘り、そこに1000ガロン(3785リットル)も入るタンクを埋めてシャベルで土を覆いかぶせ、周囲に注意深くイラクサを植えた。かぶせたばかりの土にアザミの種を蒔いて、成長させてタンクを隠すようにした。そして帽子のつばを上げ、きらきらと光るような笑顔を見せ、「世界の終わりが来たら、燃料を持っているのは俺たちだけだ。誰もが靴の裏を焦がしているときに、俺たちは車で移動することになる」と娘に教えた。

1999年12月31日、世界じゅうのコンピュータが誤作動する「Y2K問題」をきっかけに「世界の終わり」が来るとされた。その日、タラの一家はずっと、(終末を見学するために購入したばかりの)テレビを息を詰めて観ていたが、なにも起きなった。1月1日がありきたりに過ぎると父の魂は壊れてしまい、絶望にうちひしがれ、何時間もテレビの前に座って過ごすようになった。

高校までいちども学校教育を受けたことがないにもかかわらず、タラはACT(日本でいう大検)に合格してモルモン教徒のためのブリガム・ヤング大学に進学するが、そこで父親の言動が双極性障害(躁うつ病)に驚くほど当てはまることを知る。

アメリカ国民の双極性障害の有病率は世界最高の4.4%で、世界のほかの地域の2倍近くに達する。タラの父親がこの「25人に1人」の精神疾患で、それによって家族が「カルト空間」に閉じ込められてしまった可能性は高いだろう。

タラは優秀な学業成績を認められ、ケンブリッジ大学に留学して哲学の修士号を、ハーバード大学で歴史学の博士号を取得する。そのサクセスストーリーと、奇妙な(そして痛々しい)家族の物語は本を読んでいただくとして、ここではタラの父親にとりついた「終末論」について考えてみたい。

終末論の起源は古代メソポタミア

イギリスのジャーナリスト、ダミアン・トンプソンは『終末思想に夢中な人たち』( 渡会和子訳、翔泳社)で、(一部の)ひとはなぜこれほどまでに終末論にこころを奪われるのかを論じている。この本では、キリスト教カルトのブランチ・デヴィディアンによるウェーコ事件とともに、オウム真理教による地下鉄サリン事件が大きく取り上げられている。

1993年2月にテキサス州ウェーコで起きた事件では、大量の銃器を違法に所有しているとして司法当局がブランチ・デヴィディアンの教団本部に強制捜査を行ない、銃撃戦ののち建物から出火、信者たちは炎に包まれた。教祖のデビッド・コレシュを含む81人が死亡、うち子ども25名という惨劇は、陰謀集団に支配された政府が自分たちを弾圧していると信じる宗教原理主義者に大きな衝撃を与えた。

「世界に終末が訪れる」という観念は、人類が「死」を意識するのとほぼ同時に生まれたようだ。すべてのひとはいずれは死ぬ、すなわち「自分も死ぬ運命にある」という認識が、世界はいずれ終わるという感覚と重ね合わされるのはごく自然なことだろう。

トンプソンによると、世界が周期的に破壊され、再創造されるという考えは古代メソポタミアにまで遡る。バビロニアでは、7つの惑星が蟹座に集まる冬至には大洪水が起き、山羊座で出会う夏至には全宇宙が火で焼き尽くされると考えられた。戦争や洪水、全宇宙の破壊など、大災害は永遠に繰り返される歴史の周期のなかに自らの位置を見出すための指標とされたのだ。

シュメール人は、1カ月を28日にして、それを聖数4で割って1週間を7日にした。それがユダヤ人を通じてキリスト教に伝わり、現代の暦がつくられた。

同様に、メソポタミアでは歴史を4つの時代に区分しており、それがインド、ペルシア、ギリシア、ヘブライなど中近東・地中海文明に広がったらしい。よく知られているのはギリシアの「黄金・銀・青銅・鉄」の時代区分で、紀元前8世紀のヘーシオドスは詩『仕事と農民』で、「今は鉄の時代だ」として、「神々は過酷な重荷を与えるが、よいことも一緒に与えるだろう。ゼウスはこの死を免れない種族である人間を滅ぼすだろう」と嘆いた。

ヒンドゥーでは、クリタユガ(黄金時代)、トゥレタユガ(薄明時代)、ドゥワパラユガ(薄暗時代)、カリユガ(暗黒時代)のやはり4つの時代区分があり、われわれは徳よりも罪のほうがずっと大きいカリユガの時代を生きているとされた。

これらに共通するのは、「時代はどんどん悪い方に向かっている」という感覚で、これは「自分はどんどん老いて死に向かっている」という感覚の反映だろう。その理由が、人間が神の法を順守できず道徳的に堕落してしまったからというのも共通で、神の怒りによって世界は「火による破壊」で最期を迎えるのだ。

道徳的堕落については、エデンの園のような「最初の楽園」神話も、紀元前4000年頃にシュメール人が書き記した文書に登場する。そこでは交易相手のディルムンという不思議な国について、「そこは純潔で清潔である。ディルムンでは、鴉(カラス)は不吉な声で鳴かない。鳶(トビ)は鳶らしい鋭い声をあげない。獅子は肉を八つ裂きにしない。狼は子羊を襲わない……なにも鳩を飛び去らせない」と描かれたが、「いずれもはるか昔に、「不安も恐怖もなく」そして「人間に仲間がいなかった」頃だ」という。

「祖先の方が道徳的にすぐれていた」として現在を「堕落」ととらえる思想は、保守派・リベラルにかかわらず日本の知識人にも頻繁に見られるが、この考え方にはすくなくとも6000年の歴史があり、「むかしはよかった」には(おそらく)人間の本性が影響しているのだろう。

アポカリプスは「未来への希望を語る思想」

黙示(アポカリプス)はギリシア語で「覆いを取る」の意味で、選ばれた預言者に神が与えた「秘密」を暴くものとされる。ユダヤ教にとっての黙示録が、旧約聖書の『ダニエル書』だ。

『ダニエル書』はバビロン虜囚時代(紀元前597~538年)に書かれた体裁になっているが、実際にはそれから400年もあとの紀元前168年頃に成立したとされる。当時、エルサレムはギリシア(セレウコス朝)の王アンティコス4世エピファネスの支配下にあった。エピファネスはユダヤ人の神殿崇拝に過酷な弾圧を加え、神殿の黄金をはがし、そこにバール神の像をすえた。この弾圧が、バビロン虜囚という民族の悲劇と重ね合わされたのだろう。

トンプソンは、『ダニエル書』はユダヤ人に対してギリシアの圧政への抵抗を呼びかけるプロパガンダだという。圧倒的なちからをもつ権力者に立ち向かうには、未来への希望が必要だ。だからこそ、バビロン虜囚時代にペルシア王ネブカドネザルの悪夢を次々と読み解いた預言者ダニエルの物語を創造し、ハルマゲドンの戦いの末に死者が復活するという「革命的な概念」が提示された。抵抗運動で生命を失ったとしても、正しい教えを守っていれば最後には復活できるというのは、殉教への強力な誘因になっただろう。

だが歴史学者ノーマン・コーンによると、「危機と審判の時期のあとに正しい人間だけが生き残る新しい世界が到来する」という黙示録信仰はユダヤ人が生み出したものではなく、ペルシア人(ゾロアスター教)からの借り物だという。紀元前1400年頃、開祖ゾロアスターは、「すばらしい創造」という世界の変容が訪れ、そのときすべての死者が復活すると説いた。そして大集会が開かれ、すべての人間に審判が下る。悪人は滅ぼされるが、正義のひとは不死になる。新しい世界では、若者は永久に15歳であり、成人は40歳のままだという。

古代中近東の「循環的」な時の概念に対して、「直線的」な時の概念はユダヤ教とキリスト教が神から授けられたとの解釈がある。だがこれもゾロアスター教に起源があり、「時の終わり」は元の楽園への逆戻りではなく、「その完全さには過去の何ものも及ばない」として「存在の全面的変容と世界の全面的な完成」を約束した。

黙示録(終末論)とは本来、未来への希望を語る思想であり、圧政によって方向性を見失い、アイデンティティが脅かされているひとたちにもっとも訴えかけるものだった。「時の終わり」が、周囲の帝国に翻弄されつづけたユダヤ人に大きな影響を与えたのも当然だった。

黙示録で終末が切迫しているのは、士気を高めるためだ。ギリシア支配の崩壊がすぐそばまで近づいているとの預言があってはじめて、死をも恐れぬ抵抗運動ははげしく燃え上がるのだ。

『ダニエル書』では、「エルサレムを復活再建しに行けという命令」から永遠の正義の時までの期間は70週とされている。これは490日で1年半たらずだが、当然、ダニエルが預言したような善と悪との最終戦争(ハルマゲドン)は起きなかった。だとすれば、「黙示録の秘密は暗号化されている」と考えるほかはない。

『エレミア書』では「70日」が70年を意味していたから、70週は490年になる。そのうえダニエルが、「このような奇跡の終わり」までどのくらいかかるのか神に訊ねると、「一時期、二時期、そして半時期」という暗号めいた答えが返ってくるので、話はさらにややこしくなる。

こうして「時の終わり」を信じるキリスト教徒は、2000年以上もせっせと謎解きを続けることになった。

千年王国信仰から進歩主義へ

キリスト教がローマ帝国で広く信仰されるようになり、信者も増えてきた紀元1世紀頃、重大な問題がもちあがった。磔刑に処せられたイエスは死者のなかから復活することになっているが、いつまでたってもその気配はない。教会は、「イエスはいつ再臨するのか?」という信者の素朴な疑問にこたえなくてはならなくなった。こうしてヨハネという名の人物がパトモス島で『黙示録』を書くことになったのだとトンプソンはいう。

『ヨハネの黙示録』は西欧の歴史に大きな影響を与えたばかりか、「666という数の獣」「反キリスト」「七つの封印が解かれたときに現われる四騎士」などは繰り返し現代のサブカルチャーに登場し、陰謀論の定番のガジェットになっている。

だが、『ヨハネの黙示録』であまりにも有名になった「千年王国」も、「時の神スルバーンが天地創造前の1000年間を統治していた」というゾロアスター教に原型を見ることができる。ゾロアスター教の物語が古代世界で広く流通していたことを考えれば、ヨハネがこの話を知っていた可能性は高い。

『ヨハネの黙示録』が描く壮大な善と悪の戦いは、ゾロアスター教の善悪二元論そのものだ。ヨハネは旧約聖書やゾロアスター教などのさまざまな物語を素材に、懐疑的な信者を説得するために『黙示録』の預言をつくりあげたのだろう。

紀元1世紀頃に成立した『ヨハネの黙示録』では、終末が訪れるとき世界は炎によって焼き尽くされるという。これは紀元79年のポンペイ(ヴェスヴィオ山)の噴火が影響しているのではないか。教会は信者たちに、ポンペイの悲劇は世界が焼き尽くされる前触れであり、正しい信仰だけが運命から逃れられる方途だと説いたのだ。

キリスト教の終末論にオリジナリティがあるとすれば、「終末が始まるときに、キリスト教を信じる者はみな空中に浮かんで天国に運ばれる」という“ラプチャー”で、聖パウロの『テサロニケの信徒への手紙』に出てくる。アメリカには「UFOに誘拐(アブダクション)された」と信じるひとがものすごくたくさんいるが、日本人には理解しづらいこの現象はここから説明できるかもしれない。

「千年王国信仰」は中世を通じて西欧社会に浸透し、十字軍にも影響を与えたが、「革命運動」としてのその性格がより明確になるのは宗教改革以後だ。カトリック教会の権威が否定されただけでなく、印刷技術と識字率向上によって、自ら聖書を読み、その意味を解釈する自由がすべてのひとに与えられたのだ。

民衆革命としての最初の千年王国運動は1525年のドイツ農民戦争で、ついでイギリスに広がった。カトリックの守護者を任じたスペインと対立していたイギリスは、『黙示録』の「獣」とは教皇のことであり、カトリック教会こそが「悪魔」だとして国民の戦意を煽った。

その後、清教徒革命(1642年)、護国卿クロムウェルの統治(1648~1658年)、王政復古(1660年)に至る動乱の時代に、「世界の終わり」を告げる預言者が次々と現われた。だが「陽気な君主」と呼ばれたチャールズ2世が王位について世情が安定すると、黙示録信仰は廃れていく。

その理由のひとつは、王政復古によって千年王国の到来が無期限に延期されたことだ。これがベーコンの科学的楽観主義と結びついて、進歩の理論を形成した。もうひとつは原理主義的なピューリタン(清教徒)がイギリス国教を認めず、『黙示録』の論理を転用して、国王を「悪魔」と批判するようになったことだ。

こうしてイギリスの主流派は、終末思想から距離を置くようになった。いまだに「世界の終わり」を信じているのは、カルト的な少数集団や下層階級だけだとされるようになったのだ。

Qアノンの陰謀論の背景にあるもの

イギリスで居場所を失った『黙示録』は、ピューリタンとともに大西洋を渡って新大陸(アメリカ)に移植されることになった。

アメリカへの初期の入植者は、『黙示録』の世界観を当然のごとく信じていた。アメリカ独立戦争によってその思いはさらに強くなり、「建国の父」たちはこの新しい国が黙示録的運命を背負っていると確信していた。このことは、1ドル紙幣の「三角形の中の目」のようなフリーメーソンのシンボルにも反映されている(当時、聖書から霊感を得ることと、啓蒙思想に目を向けることに明確な境界線はなかった)。

アメリカ社会が大きく2つに分かれるきっかけになったのが南北戦争だ。奴隷制をめぐる争いには、「前千年王国派」と「後千年王国派」の黙示録をめぐる解釈のちがいが関わっている。

『ヨハネの黙示録』はキリストの再臨と千年王国を予言するが、じつはその前後関係が明確に定められているわけではない。そこで、「聖人たちの1000年の治世が終わってキリストが再臨する」という「後千年王国派」と、「反キリストによってハルマゲドンが引き起こされ、キリストが再臨して千年王国が始まる」という「前千年王国派」が対立するようになった。

後千年王国派の考え方では、キリストの再臨にためには1000年の平和な治世が前提となる。これが19世紀前半の社会改革運動家の強力な動機となり、奴隷制反対運動につながった。聖書の教えに反する奴隷制のままでは千年王国は実現せず、キリストはアメリカの地に降臨できないのだ。北部の白人たちが自らの血を流してまで黒人の「人権」のために戦った背景には、千年王国の熱狂があったというトンプソンの指摘は重要だ。

それに対して前千年王国説では、世界はまずサタンによって支配され、その混乱と破壊の果てに救世主としてのキリストが現われる。救済のためには災厄が起きなければならないという「自虐的」な思想だが、こちらは黒人奴隷を使って広大なプランテーションを経営する南部の保守的なプロテスタントにとって都合がよかった。自分たちが時代から取り残されているというアイデンティティの動揺も、終末思想に引きつけられる誘因になっただろう。

後千年王国説に立ち奴隷制度に反対したプロテスタントは、その後、終末論を離れて、日々の現実に根差した社会的福音に向かった。この進歩思想は、王政復古によって終末論を捨てたイギリスの主流派と同じだ。キリストの再臨まで1000年もかかるのなら、それを待ちつづけるより、自分たちの暮らしや社会をよりよいものにするよう努力した方がずっといい。この考え方が、アメリカの進歩主義的なリベラリズムになっていった(ここからわかるように、進歩主義は信仰と両立できる)。

一方、前千年王国説に立つ保守派は、「神の「予言時計」は福音書時代の始まりとともに止まっており、再び動き出すのは、終わりの日々のドラマが始まってからだ」と考えるようになった。「終わりの日々」は今にも始まるかもしれず、いったん始まったら、『黙示録』の血みどろの預言が次々と実現されることになる。だが、霊的に生まれ変わったキリスト教徒には恐れることはなにもないのだ。

じつはアメリカでは、1844年に終末の到来が予言され、大きな話題になったことがある。それが外れて笑いものにされてから、カルト教団ですら日付を特定しなくなった。その代わり彼らは、「終末はいつやってきてもおかしくない」と切迫感を煽るようになった。

前千年王国説では、現在は「悪魔が支配する末世」でなくてはならない。これが、「ディープステイト(闇の政府)によって世界は支配されている」という陰謀論を生み出すのだろう。そのうえ「終末の日」がいつかは知ることができず、Y2K(2000年1月1日)や2001年の同時多発テロがきっかけになるかもしれない。それがたとえハルマゲドンに結びつかなくても、「いますぐ」起きることは間違いないのだから、そのために準備しておかなくてはならないのだ。

黙示録をこのように理解すれば、『エデュケーション』で描かれたサバイバリストの父親の発言や行動とぴったり重なる。アメリカではいま、「ディープステイトと戦うトランプ」を熱烈に支持するQアノンというSNSの陰謀ネットワークが急速に広がっているが、そのための肥沃な土壌はずっと以前から整っていたのだろう。

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