アメリカのリベラルがひた隠しにする、ニューヨークの「ユダヤ原理主義コミュニティ」の女性差別

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年9月17日公開の「世界的なリベラルの本拠地アメリカ・ニューヨークに女性の人権を抑圧し、差別的な習俗を持つ一大コミュニティが存在する」です(一部改変)。

『アンオーソドックス』はNetflexで2020年に映像化されている

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アフガニスタンから米軍が撤退し、イスラーム原理主義組織タリバンが全土を掌握したことで、教育や職業選択、あるいは恋愛・結婚でこれまで(まがりなりにも)一定の自由を得ていた女性たちが困難な状況に陥るのではないかと危惧されている。

アメリカ北東部は西海岸と並び、世界的な「リベラル」の本拠地で、女性の自由や人権を守り、ジェンダーギャップをなくすさまざまな試みが行なわれている。だがそのニューヨークに、アフガニスタンと同じような境遇に置かれている多くの女性たちがいるとしたらどうだろうか。

デボラ・フェルドマンの『アンオーソドックス』(中谷友紀子訳、辰巳出版)は、ブルックリンのユダヤ教正統派のコミュニティに生まれ、親の決めた相手と結婚して一子をもうけた著者が「自由な人生」を獲得するまでを描いた自叙伝で、これまで隠されてきた(見て見ないふりをされてきた)女性差別的な文化・習俗を赤裸々に描いて大きな反響を呼んだ。副題の“The Scandalous Rejection of My Hasidic Roots(私のハシド派のルーツのスキャンダラスな拒絶)”が示すように、本書はアメリカのユダヤ社会だけでなく、リベラルにとっても「スキャンダル」だった。

サトマール派は「ウルトラオーソドックス」のユダヤ教

ニューヨークでは、黒のスーツに黒のシルクハット、カールしたもみあげを伸ばした男性や、黒のドレスにスカーフなどで頭髪を隠した女性を見かけることがある。これがユダヤ教正統派だが、そのコミュニティがどのようなものか、ニューヨーカーや世俗的なユダヤ人はもちろん、保守的なユダヤ教徒ですらよく知らなかった(あるいは知ろうとしなかった)。

オーソドックス(orthodox)は「正統派」のことで、ユダヤ教ハシド派は「超正統派(ウルトラオーソドックス)」と呼ばれる。フェルドマン一家が属するサトマール派は、そのなかでもさらに原理主義的なユダヤ教の一派だ。

ハシド派は17世紀後半にアシュケナージ(東欧系ユダヤ人)のあいだで生まれた宗教復興運動とされるが、サトマール派の歴史は比較的新しい。ルーマニアとハンガリーの国境付近にあったユダヤ人コミュニティは第二次世界大戦のホロコーストで壊滅したものの、その一部はナチスから逃れてアメリカに渡った。サトゥ・マーレ(イディッシュ語ではサトマール)出身のラビ(宗教指導者)もその一人で、ホロコーストを生き延びたユダヤ人を集めてブルックリンにハシド派の一派を再興し、故郷の名を付けた。

ユダヤ教正統派のコミュニティがあるのはウイリアムズバーグ南部で、マンハッタンから地下鉄で20分ほどのところだ。私はあいにく訪れたことがないが、一帯は再開発が進んで若いアーティストが集まるおしゃれスポットになっており、そんななかタイムスリップしたようにユダヤ教の戒律を守る6万人ちかいひとたちが暮らしているという。

サトマール派は大家族で、きょうだいのなかで年長者が先に結婚しなければ、弟や妹は結婚できない決まりになっていた。デボラの祖父は事業を運営しながらトーラーを学び、祖母はルーマニア出身のホロコーストの生き残りだった。祖父母には知的障害のある男の子がおり、その結婚相手を必死に探していた。そこで見つけたのがイギリスの貧しいユダヤ人の娘で、アメリカに行けるというだけでこの縁談を受け入れた。

こうして2人は結婚し、デボラが生まれたが、正統派でない家庭に育った母にはサトマール派の暮らしは耐えられず家を出ていった。残されたデボラは、祖父母のもとで育てられることになった。

デボラは祖父母から愛され、それなりに幸福な少女時代を過ごしたが、本が好きだったことで自分が「ふつう」とちがうと気づくようになる。サトマール派ではイディッシュ語(ドイツ語の方言にヘブライ語やスラブ語が混ざった東欧系ユダヤ人の言語)しか認めず、英語の本を家庭に持ち込むことは許されなかったが、デボラは図書館で借りてきた『若草物語』を祖父母に隠れて読みあさり、「自分らしさを追い求める」末妹のジョーに自分を重ねた。

自由な人生への強い憧れはあったものの、その一方でデボラは、生まれ育ったコミュニティや家族を捨てることはできないと思っていた。だが18歳で両親が決めた相手と結婚し、ようやく男の子が生まれたときには、日々の生活は耐え難いものになっていた。一念発起して大学に進学したデボラは、「外の世界」の価値観に触れ、過去を捨て子どもを連れて家を出ることを決意する……という物語だ。

イスラエル建国を「神への冒涜」と呼ぶユダヤ教徒

タラ・ウェストバーの『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』(村井理子訳、 ハヤカワ文庫NF)は、モルモン教のカルト的な家庭に生まれた著者が、大学進学によって人生を切り開いていく話だった。

参考:アメリカ社会に根づく「サバイバリスト」という終末論カルト

デボラ・フェルドマンの場合は、家庭ではなくコミュニティ全体が「カルト化」していた。本書の冒頭で、デボラはこう書いている。

アメリカに定着したハシド派は、消滅の危機に瀕した民族的遺産への回帰を目指した。先祖にならって伝統的な衣服を身に着け、イディッシュ語のみを使った。ユダヤ人の大量虐殺は同化とシオニズムに対する神の罰だと信じ、多くはイスラエルの建国に反対した。なによりもハシド派が重視したのは子孫の繁栄で、失われた無数の同胞をとりもどそうとするように人口の回復につとめた。今日にいたるまで、ハシド派のコミュニティは絶え間なく拡大を続けている。ヒトラーに対する究極の復讐として。

シオニズムはイスラエルの地(パレスチナ)にユダヤ人の故郷を再建しようとする運動で、イスラエル建国の原動力となった(Sionはエルサレム地方の歴史的地名)。当然のことながら熱心なユダヤ教徒はみなイスラエルを支持していると思っていたのだが、もっとも原理主義的なユダヤ教徒は反イスラエルだった。

毎年5月、イスラエルの独立記念日にサトマール派の各コミュニティが集まり、反イスラエルのデモを行ない、デボラの祖父ゼイディも参加する。サトマール派のラビは「シオニズムはユダヤ史上例を見ない反逆だ」と信徒に説いており、イスラエル解体のためには殉教も厭わない。「民族の離散をみずからの手で解決しようとするなど、おこがましいにもほどがある! 真に敬虔なユダヤ教徒はメシアを待つ。銃や剣を手に立ちあがりはしない」のだという。

デボラはサトマール派の学校で、「神がヒトラーを遣わしたのは、みずからを啓蒙しようとしたユダヤ人たちを罰するためだった」「同化したユダヤ人、選ばれし者の責務から逃れようとした“自由なユダヤ人”を一掃するためだった」と習った。

「彼らの罪を贖うのがわたしたちなのだ」と教師はいった。「メシアが現われるまでは約束の地を踏んではならない」とされ、イスラエルに親戚がいても訊ねることは許されず、規則を破れば退学になる(とはいえ、厳密に適用されていたわけではない)。

だがこれは、けっして奇矯な主張というわけではない。神が全能であるなら、ホロコーストも神の意思ということになる(そうでなければ、神と同格の悪魔の存在を認めることになる)。だとしたら、神はなんのためにホロコーストを起こしたのか? それは、ユダヤの律法をないがしろにした世俗的なユダヤ人への警告以外にあり得ない、というのは論理的な帰結なのだ。

反イスラエルの心理は、デボラの祖母であるバビーの言葉によく表われている。バビーの家族は、兄弟姉妹も、両親も、祖父母も、みなホロコーストで生命を落とした。

バビーはデボラに、「ナチスから逃れるために大勢のユダヤ人が船でイスラエルを目指したが、シオニストに入港を拒否され、収容所に追い返された」と語った。

あの連中は、東欧の小さなユダヤ人街(シュテットル)から来た無知な移民を、自分たちの新しい祖国に住まわせたくなかったのよとバビーは言った。欲しかったのは、教養も見識もあって、大義に身を捧げる新しいユダヤ人だけだった。だから幼い子どもは受け入れた。教育でどうにでも変えられるからだ。それを聞いたユダヤ人難民たちは、わが子の命だけでも救おうと、手放すことを決めたという。

「シオニストはホロコーストに対する同情を利用したんだよ」とバビーは言った。「ホロコーストのことなんて知りもしないくせに。本物の生き残りなんてひとりもいないのに。ただのひとりも」

サトマール派が独特の服装をする理由は、信仰心を見た目で示すためだけではない。それは、内と外の世界のあいだに深い溝があることを、どちらの側の人間にも知らせるためだ。デボラの学校の教師は、「同化こそがホロコーストを引き起こしたのです。わたしたちが社会に溶け込もうとしたために、主はその裏切りに罰を与えられたのです」といつもいっていた。

アメリカ社会に衝撃を与えたニッダーの風習

『アンオーソドックス』がアメリカ社会(とりわけリベラル)に強い衝撃を与えたのは、デボラがニッダーの風習について詳細に述べたからだ。

ニッダーはイディッシュ語で「脇に押しやられる」という意味だが、月経の婉曲表現だ。ユダヤの法では、一滴でも出血があれば女性はニッダーで、月のうち2週間、不浄とみなされる。

妻がニッダーのあいだは、夫は身体に触れることはおろか、料理の皿を渡すことすらできない。妻の身体のどの部分も見てはいけない。妻が歌うのを聞いてもいけない。夫にとって禁じられた存在になる。

生理が終わると、妻は7日間清らかな日を数えなくてはならない。日に2回(朝起きてすぐと日没前に)コットンの布で血が出ていないことを確認し、7日間連続で“白い”日が続けば、ミクヴェ(沐浴用の浴槽)に身を浸して穢れのない身体に戻る。

血はついていなくてもしみがあれば、それをラビのところに持参して清浄(コシェル)かどうかを判断してもらう。下着が汚れている場合もラビに見せに行く(または夫に持っていってもらう)。「14枚のきれいな布がようやく揃うと、ミクヴェに行って穢れひとつない清らかな身体に戻り、夫の前に出ることができる」のだ。

ミクヴェは人目につかない場所にある黄色いレンガ造りの建物で、浴室でメイクを落とし、耳を掃除し、歯にフロスをかけ、爪を短く切ったあと、浴槽に入って髪を2度洗って櫛でとかし、足のあいだやお臍のなかや耳の後ろに汚れが残らないように入念に洗う(襞になった部分は要注意だ)。

「身体と水を隔てるものがのこらないように」なったかどうかはミクヴェの「お世話係」にチェックされ、合格すると狭い部屋の小さな青いプールに案内され、そこで「神(ハシェム)よ、沐浴の戒律で私を清めてくださることに感謝します」とヘブライ語の祝祷を唱え、三度身を清める。この儀式を終えてはじめて、夫に「抱かれる」ことを許されるのだ。

ニッダーでない「穢れのない2週間」は、戒律はほとんどない。妻がミクヴェで「清浄」になっていれば、夫婦間のセックスは自由だ。こうやって「新鮮な関係を保つおかげで飽きることがない」のだとデボラは説明された。

サトマール派では避妊は認められないため、女性は多産になる。バビー(デボラの祖母)は10人の子どもを産んだが、これは珍しいことではない。だが男は、ビジネスで成功するよりもトーラーを研究する方が価値が高いとされているので、家計が逼迫することも多い。デボラも、「養いきれないほどの子供を産んだ母親たちが換金所に食料配給券を持ちこむ姿を見て育った」と書いている。

だがこれも、サトマール派にとっては悪いことではないらしい。彼らの世界観では、すべての人間がユダヤ人を憎んでいる。なぜなら、「神様がそのように世界をお作りになった」から。

だからこそ、「貧乏で学がないと思わせておいたほうが、異教徒の嫉妬や恨みを買わずにすむ」のだと、バビーはデボラにいった。「ヨーロッパでは身の程をわきまえず異教徒より豊かになり、教養も身につけたばかりに、憎しみを招いた」のだ。バビーは、ホロコーストがふたたび起き、アメリカからユダヤ人が追放されると信じていた。

サトマール派にとって最大の脅威は、自分たちが「寄生」するアメリカ社会

『アンオーソドックス』を読んで感じたのは、サトマール派のホロコースト体験を核とした強烈な被害者意識だ。自分たちは差別され、抑圧され、排除される存在で、その運命を受け入れることによって「神から選ばれた」のだ。

この転倒した意識から、ある種の超越性/精神性が生まれる。祖父のゼイディは、「この世で自分が持っていると思うものはすべて、本当は自分のものではない」とデボラに教えた。すべては「いつ奪われてしまうかわからないもの」だから。

親、兄弟姉妹、家、服――すべてが所有物だが、長い目で見ればたいしたものではないとゼイディは言っていた。すべてを失ったからこそ自分にはわかるのだと。

人生から得られる価値あるものはただひとつ。魂の平穏(メヌハ・ハネフェシュ)であって、それは迫害のさなかにも失われることのない、心の奥深くの静寂だ。われわれは非常に忍耐強く、どれほど過酷な状況に置かれようと平静を保つことができた。惨い拷問も、筆舌に尽くしがたい苦痛も、彼らの心の静けさを揺るがしはしなかった。信仰があれば、大きな目で見て人生に意味などないことがわかる。天国から見ればわれわれの苦しみなどちっぽけなものだが、魂がよどむと目の前のものしか見ることができず、幸せにもなりえない。

とはえいゼイディもバビーも、子どもたちの結婚相手の家柄や、子孫の繁栄には執着した。なぜなら、きわめて閉鎖的な共同体で生きている彼らにとって、仲間内での評判がすべてだから。こうしてデボラは、問答無用で「産む機械」にされていく。

アメリカに逃れてきたサトマール派のひとびとにとっては、「二度とホロコーストの悲劇を体験しない」ことがなによりも重要だった。だがそれから70年以上経って、ホロコーストの意味は、世俗化(リベラル化)するアメリカ社会に対して自分たちの文化・伝統を擁護する道具へと変わっていったのではないか。

そもそもイディッシュ語はドイツ語の方言で、ユダヤの祝日や結婚式にはサトマール派の故郷・東欧の料理が供される。男たちはそのとき「シュトライメル」という毛皮の帽子をかぶるが、これはロシア貴族の習慣を真似たものとされる。いずれもモーセやダビデ王の時代の伝統とはなんの関係もない。

新婦が初夜に備えてはじめてミクヴェに行くのは結婚式の5日前とされていて、そのとき「不浄」であることを避けるためにピルが与えられる。サトマール派はすべてを経典やトーラーに従っているわけではなく、自分たちにとって都合のいい「現代文明」は積極的に利用している。

すべてのカルト集団と同様に、サトマール派が「伝統」や「掟」に固執するのは、それがないと共同体が解体してしまうことを知っているからだろう。そんな彼らにとって最大の脅威は自分たちが「寄生」するアメリカ社会で、#Me Too運動やイスラームの女性蔑視への声高な批判を見れば、サトマール派の女性への扱いが容認されるとはとうてい思えない。

だがアメリカの「リベラル」は、自分たちの足元で堂々と行なわれている女性差別を「文化相対主義」の名の下に黙認してきた。なぜならそれは、「ホロコーストへの抵抗運動」だから。

『アンオーソドックス』が出版されたあと、正統派のユダヤ教徒を中心にはげしい批判が沸き起こった。それについてデボラはエピローグでこう書いている。

自分の経験を綴っただけのものが、なぜそれほどの脅威になるのだろうか。それはわたしが、きわめて排他的な宗派の内実をほぼ初めて暴露したからだ。信徒たちはコミュニティの実態をひた隠しにし、多くのユダヤ教徒はその問題を見て見ぬふりをしている。わたしは謝罪するつもりはない。物議を醸せば議論が生まれる。その結果として、原理主義的なユダヤ文化に改革と変化がもたらされることを望んでいる。わたしは女性と子供の人権に深い関心を持ち、自分の育ったコミュニティがその権利をいかに侵害するものであるかを知っている。そういった過激な集団を変えていくことは、彼らを支える社会全体にとって有意義なことだと信じている。

デボラは現在、息子を連れてニューヨークを離れ、ハシド派や正統派を抜けた人たちのコミュニティがあるベルリン(第三帝国の首都)で暮らしている。そこで撮影されたのがNetflixの「アンオーソドックス」(全4話)で、イディッシュ語を話す「脱退者」たちによってサトマール派の世界が見事に再現されている。

同じNetflixのドキュメンタリー「ワン・オブ・アス」では、ハシド派のコミュニティから訣別し、自分の人生を取り戻そうとする者たちの苦闘が描かれている。

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