徴用工判決で、なぜ韓国の民意を無視するのか? 週刊プレイボーイ連載(361)

韓国の大法院(最高裁)が元徴用工の賠償請求を認める判決を出したことで、またもや日韓関係が揺らいでいます。1965年の請求権協定で「(強制動員の被害補償は)完全かつ最終的に解決済み」というのが日本政府の立場で、河野外相が「両国関係の法的基盤が根本から損なわれた」と批判するのも当然でしょう。

国際政治では長らく、リアルポリティクス(現実主義)とリベラル原理主義が対立してきました。典型は核兵器問題で、リアルポリティクスの論者(大半の国際政治学者)はゲーム理論に基づき、米ソいずれも相手を確実に破滅させられる核兵器を保有する「相互確証破壊」こそが平和を維持しているとして、中途半端な軍縮交渉を批判してきました。それに対してリベラル原理主義は、こうした賢しらな論理を嫌悪し、核兵器は「絶対悪」なのだからどんなことをしてでも全廃しなければならない、と主張します。

こうした対立は、日本では沖縄問題で顕著です。

リアルポリティクス派は、「沖縄に負担が集中しているのは事実だが、中国・北朝鮮の軍事的脅威や日米安保を考えれば、住宅街にあって危険な普天間基地を辺野古に移設する以外の選択肢はない」という立場でしょう。それに対してリベラル原理主義は、「沖縄のひとたちが“基地はいらない”といっている以上、普天間も辺野古も認めない」と主張します。リアルポリティクス派にとって、民意はものごとを決めるひとつの要素にすぎないのに対し、リベラル原理主義では、「民主主義では民意こそがすべて」なのです。

私個人は、この世界が完璧なものでない以上、利害の対立するやっかいな問題はリアルポリティクスで対処するほかないと考えますが、そうはいっても「理想」になんの価値もないと切り捨てることもできません。そんな軟弱な人間から見ても、韓国批判一色に染まる日本国内の反応は異様です。

韓国のメディアのなかには日韓関係の悪化を危惧するものもあるようですが、各紙とも一面トップで大法院の判決を歓迎しています。韓国国民の大多数が、今回の判決を支持していることも間違いないでしょう。すなわち、韓国の民意は「元徴用工に賠償すべきだ」ということで一致しています。

それに対してリアルポリティクス派は、「沖縄の民意と同様に、韓国の民意も考慮する必要はない」と一貫した主張ができます。しかし日本では、「国家と個人が対立したら個人の側に立つべきだ」とするリベラル派まで、元徴用工に寄り添った判決を否定し、韓国の民意を「国民情緒法」などと揶揄しているのです。大法院の判決で日韓関係が揺らぐのが問題なら、辺野古への移転に反対して日米関係を危機にさらすことも同じように問題でしょう。

私の疑問は、「沖縄(日本人)の民意は大切で、韓国(外国人)の民意はどうでもいい」というのは、外国人差別ではないか、というものです。それとも、沖縄の民意は正しく、韓国の民意は間違っているという決定的な理由があるのでしょうか。

どなたか、私の誤解を解いていただければ幸いです。

『週刊プレイボーイ』2018年11月19日発売号 禁・無断転載

日本の「自己責任」はどこがおかしいのか? 週刊プレイボーイ連載(360)

シリアの武装組織に拘束されていたジャーナリストが解放されたことで、日本ではまた喧々囂々の「自己責任論」が噴出しています。そのほとんどは「世間に迷惑をかけたからけしからん」というものですが、この主張は世界標準(グローバルスタンダード)のリベラリズムからかけ離れています。

ジャーナリストは無鉄砲な行動で家族に迷惑をかけたかもしれませんが、「世間」がどのような負担を強いられたかは証明されていません。事件の解決にあたった外務省などの担当者が迷惑したというのかもしれませんが、市民・国民のために働くのが彼ら/彼女たちの職責で、それ以前に公務員が「世間」を代表しているわけではありません。

自己責任論者は、「権利と責任はセットだ」と主張します。これはもちろん間違いではなく、近代的な市民社会は、「自らの行為に責任を負うことができる者だけが完全な人権を持つ」という原則によって成り立っています。だからこそ、責任能力が限定された子どもや精神病者は処罰を軽減され、その代わりに親や病院の管理下に入るなど自由を制限されるのです。

こうした権利と責任の関係を「欺瞞だ」とする意見は当然あるでしょう。しかしその場合は、この虚構(共同幻想)を否定して、どのようなルールで社会を運営していくのかを提示する説明責任を負っています。

リベラルな社会では、自己責任を前提として、「すべてのひとが生まれ持った可能性を最大限発揮できるべきだ」と考えます。「誰もが自由に生きられる」ことに反対するひとはいないでしょうが、これを徹底すると「売春で生活するのも、ドラッグを楽しむのも、安楽死で人生を終わらせるのも本人の自由な選択」ということになります。北欧やオランダのような自由主義的な社会はどんどんこういう方向に進んでおり、ジャーナリストが自らの意思で危険な地域に取材に行くことを批判するなど考えられません。

もちろん、その選択で失敗することもあるでしょう。その場合、自己責任はどうなるかというと、「本人が助けを求めているのであれば、社会は(一定の範囲で)支援する義務がある」となります。これを逆にいうと、「ドラッグの快楽を本人が求めているなら、破滅しようがどうしようが放っておけばいい」ということです。これが、ヨーロッパのリベラルな社会に私たちが感じる「冷たさ」の理由でしょう。

リベラルな国家がテロリストに拘束されたジャーナリストの救援に尽力するのは当然ですが、しかしここには別のルールもあって、身代金目当ての誘拐を助長しないために、金銭を支払うことは認められていません。

犯人の要求に応えることができないとなると、自国民を救出するには、特殊部隊を送り込んで奪還するしかありません。しかし日本は国外での武力行使を憲法で禁じられていますから、首相が「日本人には指一本触れさせない」と豪語しても、実際にはできることはなにもないのです。

それにもかかわらず今回は、外国政府が身代金を肩代わりしてくれたことで、自国民を救出できました。だとしたら、この僥倖を素直に喜べばいいのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2018年11月12日発売号 禁・無断転載

「男女を平等に扱わないこと」は差別なのか? 週刊プレイボーイ連載(359)

女子受験生に不利な得点操作をしていたことが明らかになった東京医科大学につづいて、文部科学省の調査ですくなくとも6大学が「不適切な入試の疑いが高い」とされました。報道によれば、女性や浪人回数の多い受験生を不利に扱ったり、合格圏外の同窓生の子どもを入学させていたとされ、柴山昌彦文科相は「合理的な理由が必ずしも見てとれない」として大学側に説明責任を求めています。

第三者委員会の調査によれば、東京医大は2年間で55人もの女子受験生を一方的に不合格にしており、これはもちろん許されることではありません。とはいえ、メディアの論調を見ていると、いったいなにが問題なのかをちゃんと理解できていないようです。

今回の不正は、「すべての受験生を平等に扱っていないから」ではありません。私立学校には公序良俗に反しない範囲で生徒を選別する裁量が認められており、宗教系の学校が信者の子どもを優先的に入学させることは世界じゅうでごくふつうに行なわれています。なにもかも男女平等にしなければならないのなら、男子校や女子校は存在できません。

アメリカの大学が人種別に入学者を選別していることはよく知られています。

ハーバード大学が2013年に行なった学内調査では、学業成績だけならアジア系の割合は全入学者の43%になるが、他の評価を加えたことで19%まで下がったとされます。2009年の調査では、アジア系の学生がハーバードのような名門校に合格するには、2400点満点のSAT (大学進学適性試験)で白人より140点、ヒスパニックより270点、黒人より450点高い点数を取る必要があるとされました。

これはアジア系に対する人種差別そのもののように見えますが、あれほどPC(政治的正しさ)にうるさいアメリカでも大きな社会問題になっているわけではありません。それは大学側が、こうした得点調整は「奴隷制の負の遺産を解消するため」であり、「大学には人種的多様性(ダイバーシティ)が必要だ」と説明しており、それが一定の理解を得ているからでしょう。これが「合理的な理由」で、説明責任を果たしているなら、属性によって扱いを変えても「差別」とはみなされないのです(ただし、これを「逆差別」だとして訴訟を起こされています)。

このことからわかるように、不正なのは私立の医大が男子受験生を優遇したことではなく、その判断に正当な理由があることを説明できないからです。仮に日本の救急医療の現場で男性医師が足りないという実態があるとして、それを解消するために男子受験生に加点するのであれば、「合理的な理由」として認められたかもしれません。もっともその場合は、得点調整の事実をあらかじめ公表することが前提となります。それによって、自分が不利に扱われると知った女子受験生は、男女を平等に扱う他の医大を目指すことができます。

グローバルスタンダードのリベラリズムでは、「差別とは合理的に説明できないこと」と定義されます。文科相は就任早々、「(教育勅語を)道徳等に使うことができる」と発言して批判されましたが、皮肉なことに、なにが差別なのかを正しく理解していたのはこの文科相の方だったようです。

参考:「「ハーバード大、アジア系を排除」米司法省が意見書 少数優遇措置に波及も」朝日新聞9月1日

『週刊プレイボーイ』2018年11月5日発売号 禁・無断転載