有名人「二世」の自己実現は難しい 週刊プレイボーイ連載(468)

総務省の幹部らが菅首相の長男が勤める会社から繰り返し接待を受けていた問題で、「それ以外に違法な接待は受けていない」と国会で答弁した幹部らがNTT社長とも高額の会食をしていたことが明らかになり、混乱が広がっています。疑惑はさらに拡大しそうですが、ここではちょっと視点を変えてこの問題を考えてみましょう。

芸能人など有名人の子どもの「自己実現」が難しいことはよく知られています。歌舞伎役者の家に生まれた子どもが名跡を継ぐのは、「親はあのひとなんだって」と好奇の視線を浴びたり、「なんでこんな仕事してるの?」と揶揄されることを考えれば、役者になるのがいちばんだと小さいときから周囲が説得し、本人もそう思うようになるからでしょう。歌手や俳優の子どもも、けっきょくは芸能関係の仕事をすることが多いようです。

「日本は二世政治家が多すぎる」と批判されますが、ここにも同じ事情がありそうです。政治家が尊敬されたのは昔の話で、いまもそれなりに権力はあるでしょうが、メディアやネットで批判・罵倒されるストレスを考えれば「なりたい職業」ランキングから消えて久しい理由がわかります。それでも「地盤・看板・カバン」があれば他の候補より有利ですから、「ほかの仕事よりマシ」になるのではないでしょうか。

スポーツはもちろん、芸能の世界も実力勝負なので、親の七光りがあるからといって成功の保証はありません。これは二世政治家も同じで、みんなが若くして大臣になって有名ニュースキャスターと結婚できるわけではないでしょう。

それでも「二世」を目指すなら、まずは親の秘書として選挙区の冠婚葬祭に出たり、後援者の挨拶回りをする下積みから始めます。首相の長男は学生時代から「ミュージシャン」として活動し、卒業後も定職に就かなかったことから、心配した首相が総務省時代に政策秘書に起用したとされますが、どうやら肌に合わなかったようで、その後、映像プロダクションに就職します。この会社が総務省に許認可権のある事業を行なっていたことで、利権目的との疑惑を招くことになりました。

この会社の創業者(故人)は首相と同郷で、政界にも深く食い込んで衛星放送事業を拡大してきたとされます。総務省に大きな影響力をもつ首相の長男を預かることで既得権を守り、新たな利権を獲得しようと考えたとしても不思議はありません。外資出資規制に違反していたことが明らかになりましたが(その後、衛星放送事業の一部認定取り消し)、いまのところ贈収賄につながるような働きかけは特定できていません。いずれにせよ、長男を利用して高級官僚の知遇を得ておけば、なにかのときに役に立つという思惑があったことは間違いないでしょう。

そうだとすると、会社側はそもそも明確な利権がないのだから違法な接待だとは思わず、首相は息子を預かってもらった負い目があって強く注意できず、総務省幹部は「首相(官房長官)のお子さんのお守り」としてつき合った、ということになります。

このように考えると、「自助」を尊ぶ首相がこの問題では感情的になったり、いつもは舌鋒するどく疑惑を追求する野党議員ですら、処分された女性幹部に同情的な理由がわかります。国会は狭い世界なので、政治家はみんな「家族という病」を知っているのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2021年3月15日発売号 禁・無断転載

「善意の支援」が苦しむひとをより傷つける 週刊プレイボーイ連載(467)

新型コロナウイルス禍で孤独や孤立の問題が深刻化していることを受け、政府は内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」を設置しました。

ヒトは徹底的に社会化された動物なので、つながりを断たれることで身体的にも精神的にも深刻な負の影響を受けます。孤独に苦しむひとをすこしでも減らすことが社会の目標になるのは当然でしょう。

しかし、ここには難しい問題があります。善意のサポートが、逆に相手を傷つける可能性があるからです。このことは次のような心理実験で確かめられました。

被験者はニューヨークの大学に通う女子学生で、支援者(他の学生)から人前でスピーチするためのサポートを受けます。アドバイスは「あからさまなもの(こうすればいい)」と「間接的なもの(自分だったらこうする)」の2種類で、さらに、サポートする側に優位性がある条件(あなたによい方法を教えてあげる)と、無力さを感じさせる条件(わたしの方がアドバイスを必要としている)に分けられました。

サポートを受けたあとの心理状態を調べると、ディストレス(苦痛)のレベルに大きな差があることがわかりました。

被験者がもっとも大きな心理的苦痛を感じたのは、優位に立つ支援者からあからさまなアドバイスを受けたときでした。支援者に優位性がないときは、アドバイスがあからさまでも間接的でも心理的苦痛のレベルは下がりましたが、それでもサポートがないときより大きな苦痛を感じていました。無力さを感じさせる支援者から間接的なアドバイスを受けたときは、心理的苦痛のレベルが大きく下がりました。

この結果は、「ひとはつねに他者と自分を比較している」ことから説明できます。相手が自分と同じか、より困難な状況にあると思えば、「困った者同士の助け合い」として素直にアドバイスを聞くことができます。それに対して押しつけがましいサポートは、マウンティングされるのと同じで、ものすごく傷つくのです。

だとしたら、支援者は自分を無力に見せればいいのでしょうか。しかし、これもうまくいきそうもありません。サポートには「正当性」が必要だからです。

ある課題について、参加者のなかで成績トップの友人か、平均的な成績の友人からサポートを受ける実験では、正当性の高い(成績のいい友人からの)アドバイスでは課題の成績が上がり、正当性の低い(平均的な成績の友人からの)アドバイスでは逆に成績が下がってしまいました。この場合は、自分と同程度の能力の相手からマウントされたことで心理的な苦痛が生じたのでしょう。

このように考えると、支援を求めている「孤独なひと」を、自尊心を傷つけずに支援するのはものすごく難しいことがわかります。それにもかかわらず、なぜ他人を助けたいひとたちがたくさんいるのでしょうか。

その理由は、この実験の逆を考えればわかります。サポートする側に回ることは、自尊心を引き上げるもっとも簡便な方法なのです。これは「言ってはいけない」でしょうが、みんなうすうす気づいているのではないでしょうか。

参考:Niall Bolger and David Amarel (2007) Effects of Social Support Visibility on Adjustment to Stress: Experimental Evidence, Journal of Personality and Social Psychology
浦光博『排斥と受容の行動科学 社会と心が作り出す孤立』サイエンス社

『週刊プレイボーイ』2021年3月8日発売号 禁・無断転載

女性差別より「先輩に逆らえない」体育会系文化? 週刊プレイボーイ連載(466)

すこし前の話ですが、都内の有名私立大学でバレーボールのサークルに入っている女の子がアルバイトにやってきたので、みんなで歓迎会をすることになりました。

最近の学生事情などを教えてもらいながら楽しくおしゃべりして、私のワイングラスが空くと、その女の子がボトルをもって注ごうとしました。びっくりして「そんなホステスみたいなことしなくていいよ」といったのですが、きょとんとした顔をしています。

話を聞いてみると、大学の体育会系サークルでは後輩が先輩にお酌をする決まりになっていて、どこでもそうするのが当たり前だと思っていたといいます。「それっておかしいと思わないの?」と訊くと、「わたしはヘンだなと思ってたんですけど……」とのことです。

彼女は3年生で、4年生は就活で抜けるので、今年からサークルの最上級生です。そこで、「こんな封建時代みたいなことは自分たちの代でやめようって提案したらどう?」と訊くと、真顔で「そんなことぜったいできません」といいます。同級生はみんな2年間の下積み(召使い扱い)に耐えて、ようやく自分たちが「主人」に昇格できたのに、その既得権を放棄しろなどといったら仲間外れにされ、サークルにいられなくなるというのです。

サークルの飲み会は男女一緒のことも多いというので、「だったら男の先輩にもお酌するの?」と訊いたら、「それはないです」とのことで、男子サークルでは男の後輩が先輩の世話をするのだそうです。さすがに「一流大学」では、この程度まで男女平等が浸透してきたのでしょう。

そのとき思ったのは、日本社会の問題は「男性中心主義」というより(もちろんその影響が根強く残っているのはたしかですが)、「先輩―後輩の身分制」ではないかということです。

「リベラル」とされる新聞社や出版社のひとたちと話をする機会がたまにありますが、そんなときいつも不思議に思うのは、「彼/彼女とは同期で」とか、「2コ上/下で」という会話が当たり前のように出てくることです。

リベラリズムの原則は、「人種や性別、性的志向のような(本人には変えることのできない)属性で評価してはならない」です。年齢ももちろん、毎年1歳ずつ“強制的に”増えていく属性です。そのため欧米では、年齢での人事評価は「差別」とされ、応募書類には顔写真を貼るところも生年月日を記載する欄もありません。会社では、職階が同じなら20歳と若者と40代、50代のシニアは対等です(それが行き過ぎて、上司と部下も友だち言葉で話すようになりました)。

「同期の桜」という軍歌があるように、先輩―後輩の厳格な身分制は軍隊の階層社会の根幹でした。それにもかかわらず日本では、「軍国主義に反対する」はずのリベラルなひとたちですら、自分たちの組織の「軍国主義」を当然のように受け入れています。

オリンピック組織委員会の会長問題で日本社会のジェンダーギャップの大きさがあらためて浮き彫りにされましたが、その背景には、「先輩に逆らえない」という強固な体育会系文化があるのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2021年3月1日発売号 禁・無断転載