わたしたちはステレオタイプなしで生きていくことはできない 週刊プレイボーイ連載(464)

新型コロナに翻弄される東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会ですが、こんどは森喜朗会長の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」との発言に翻弄されています。翌日には「不適切な表現だった」と撤回・謝罪したものの、国際社会からも「女性蔑視」と見られており、オリンピック開催にさらなる暗雲が漂うことになりました(その後、森会長は辞任)。

発言の内容はたしかに問題ですが、すでにさんざん批判されているので、ここでは別の視点から考えてみましょう。

女性や移民・外国人、異なる人種や性的志向などの属性にネガティブなステレオタイプを当てはめることが「差別」です。森会長の発言は、「女性は話が長くて迷惑だ」と根拠を示さず(伝聞で)決めつけたのですから、差別・偏見と見なされてもしかたありません。

やっかいなのは、すべてのステレオタイプをなくせばいいわけではないことです。「リベラル」を自称するひとたちはそのように考えているかもしれませんが、もしそんなことになったら社会は大混乱に陥るでしょう。

多くのひとが集まる社会はとてつもなく複雑ですが、脳の認知能力には限界があります。人類が大半を過ごしてきた旧石器時代には、それにもかかわらず即座に判断・行動しないと生命にかかわるような場面がたくさんあったでしょう。そんなとき使われるのがステレオタイプ、すなわちパターン認識です。

奇声を発しながら近づいてくる見知らぬ男がいたとして、彼がどのような人物で、なにを意図してそのような行動をしているのかをじっくり観察していたら、あっという間に殺されてしまうかもしれません。そんなときはネガティブなステレオタイプをその男に当てはめ、即座に逃げ出した方が生存確率は高まります。

ところがその男は、友好的に交易を求めていて、異なる社会の言語で呼びかけていただけかもしれません。この場面を現代の価値観で判断すると、男を敵だと決めつけたのは「差別」で、じっくり話し合うのがPC(政治的に正しい)ということになるのでしょうが、人間はそんなふうに進化してきたわけでありません。

「俺たち」と異なる他者(奴ら)がどのような人物なのか(利益をもたらすのか、危険なのか)を短時間で判断するには、「型にはめる」以外にありません。このようにしてわたしたちは、乏しい認知能力の制約を補ってきたのです。

これが無意識の仕様であることは、森会長を批判するひとたちが、「老害」などといって高齢者へのネガティブなステレオタイプを平気で使っていることからも明らかでしょう。日常生活のほとんどはパターン認識で処理されているので、それなしには生きていくことすらできないのです。

だったらどうすればいいのか。それは上手に「空気」を読んで、ステレオタイプを当てはめてはならない場面で適切に振る舞うすべを学習することです(そもそも森会長は、「女は話が長い」などという話をする必要はまったくありませんでした)。これはますます「リベラル化」する現代社会に必須のスキルですが、83歳の老人にはいささかハードルが高かったようです。――おっと、これも典型的なステレオタイプですね。

『週刊プレイボーイ』2021年2月15日発売号 禁・無断転載

適切な罰則はよりよい社会をつくる 週刊プレイボーイ連載(463)

日本の「民主主義社会」の特徴は、罰則を極端に嫌うことです。新型コロナ対策の特別措置法でも、当初は「罰則などとんでもない」され、感染抑制対策は国民の努力義務(行政からのお願い)になりました。その結果が「自粛警察」の跋扈で、それがあちこちでトラブルを起こしたことでようやく、改正特措法では入院を拒否した感染者や、営業時間の短縮命令に応じない事業者に過料を科すことになりました。

コロナ禍が始まって1年経って罰則の導入へと一歩踏み出したわけですが、ルール違反を「罰する」ことはこれほどまで恐る恐るやらなければならないことなのでしょうか。

処罰の効果については、公共財ゲームを使った興味深い研究があります。参加者はそれぞれ同額のお金を渡され、そのなかから好きな金額をファンド(投資信託)に拠出することができます。ファンドは預けられた資金を運用して増やし、参加者全員に均等に分配します。

A、B、Cの3人に1000円ずつ与えられ、ファンドで投資資金を倍にできるというシンプルな例で考えてみましょう。全員が1000円全額を拠出すれば3000円の投資額が倍の6000円になり、それを均等に分配するのですから、1人あたり2000円です。参加者全員(みんな)のことを考えれば、これがいちばんいいに決まっています。

しかし、参加者Cにとってはもっとうまい方法があります。AとBが1000円を拠出し、自分が1円も出さなければ、倍になった4000円が3人に分配されて(分配金1333円)、自分のお金が(手持ちの1000円と合わせて)約2300円になるのです。当然、AとBもこの「抜け駆け」に気づいて全額を出すのをためらうでしょう。

このゲームを繰り返しやってみると、最初はみんなそれなりの金額をファンドに拠出しますが、回を重ねるにつれて(1円も出さない)ただ乗りが優勢になり、拠出額は減っていきます。自分だけが損をして相手がいい思いをするのはものすごく不愉快なのです。

そこで次に、このゲームに処罰を導入してみます。参加者は、自分の手持ちからいくらかお金を払うことで、抜け駆けしたプレーヤーを罰することができます。

すると驚いたことに、処罰が可能になるだけで、処罰なしの条件より平均拠出額が2~4倍高くなりました。それも回を重ねるごとに拠出額が上がり、最終ラウンドでは6~7.5倍にもなったのです。

この効果は、参加者がコストを払ってでも積極的に処罰することから説明できます。6ラウンドのゲームでは84.3%の参加者がすくなくとも1回は誰かを罰し、裏切り行為の74.2%は処罰されました。

いったん処罰が導入されると、抜け駆けすれば罰せられることを思い知らされます。その結果、処罰ありの条件では正直者がバカを見るリスクが減り、より多くのお金をファンドに拠出することが合理的な戦略になります。

処罰のない「やさしい社会」はフリーライダー(ただ乗り)を増やすだけで、適切な処罰はみんなを幸福にするのです。

参考:Ernst Fehr and Simon Gachter(2000)Corporation and Punishment in Public Goods Experiments, American Economic Review
パトリシア・S・チャーチランド『脳がつくる倫理 科学と哲学から道徳の起源にせまる』化学同人

『週刊プレイボーイ』2021年2月8日発売号 禁・無断転載

「表現の自由」と「公共の利益」の対立は超監視社会に向かう? 週刊プレイボーイ連載(462)

トランプ支持者が連邦議会議事堂を占拠するという前代未聞の出来事を経て、ジョー・バイデンが、危惧されていた混乱もなく第46代アメリカ大統領に就任しました。今後はオバマ時代の路線に「正常化」させていくのでしょうが、稀代のポピュリストであるトランプが“リベラルによるエリート支配”への反発を追い風に大統領の座を獲得したことを考えると、アメリカ社会の混乱はまだまだ続きそうです。

「われわれは何らかのかたちで戻ってくる。またすぐに会いましょう」と退任の演説をしたトランプですが、共和党を支配しバイデン政権を揺さぶりながら2024年の大統領選を目指すのかと思ったら、暴動を扇動したとしてSNSから「追放」されてしまいました。トランプの最大の権力の源泉はツイッターでの発信力なのですから、これは大きな戦略的失敗に思えますが、本人にはどうしても譲れない事情があったのでしょう。

この「追放事件」で興味深いのは、保守派だけでなくトランプと敵対してきたリベラルのなかからも、フェイスブックやツイッターなど「ビッグテック」への批判が出てきたことです。

人種差別や性差別、フェイクニュースをSNSで垂れ流すトランプは許せないものの、民主的な選挙で選ばれたわけでもない私企業(ビッグテック)が、(誰に発言権があるのかを決める)最高裁をも超越する権力をもつことも許せない。このジレンマによって、トランプ「追放」を容認する者と、(トランプを含む)言論の自由を守ろうとする者でまた裂き状態になってしまったのです。

米自由人権協会の前会長は、暴力を意図的に煽る投稿の削除を「緊急要件」として認めつつも、「表現の自由というのは、発言者のものだけではない。聞く側にも情報や考えを受け取る権利として認められている」と述べています。この論理だとトランプのSNSアカウントは復活されるべきですが、ふたたび暴動を煽るかのような(とはいえ緊急要件とは明確にいえない)投稿があったとしたら、それをどう扱うか判断するのはビッグテックです。これでは問題はなにも解決しません。

ドイツのメルケル首相は、「表現の自由は基本的人権として非常に重要だ。制限は可能だが、立法者が条件を決定すべきで、SNS運営会社の経営陣の決定に従って決めるべきではない」と報道官を通じてコメントしました。私企業に任せておけないのなら国家が決めるべきだとの主張ですが、そもそも政府が大統領(最高権力者)の言論を制限できるかは大いに疑問です。

さらに困惑するのは、ツイッターのジャック・ドーシーCEOが「一個人または一企業が世界の公共の議論を上回る力を持つという危険な前例をつくったと感じる」と投稿したように、ビッグテックは「権力」を振るいたいとまったく思っていないことです。そうなるとやはり「国家が管理するしかない」になるのかもしれませんが、これだと中国がやっていることと区別がつかなくなりそうです。

日本でも有名人の自殺などをきっかけに、「SNSを規制しろ」との声は高まるばかりです。「表現の自由」と「公共の利益」の対立の結末が「超監視社会」だとしても、すこしも意外ではありません。

参考:「「SNS規制は必要最小限に」「陰謀論に流されぬ基礎必要」米自由人権協会前会長は」朝日新聞2021年1月18日

『週刊プレイボーイ』2021年2月1日発売号 禁・無断転載