才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア(『無理ゲー社会』あとがき)

出版社の許可を得て、新刊『無理ゲー社会』の「あとがき」を掲載します。昨日発売で、すでに書店さんには並んでいると思います。電子書籍も同日発売です。

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めったにないことだが、中学3年生から手紙をもらった。大阪の中高一貫公立校の男子生徒で、卒業レポートを書くために私の著書を読み、「上級国民」「下級国民」の定義を教えてほしいのだという。すこし考えて、次のような返事を書いた。

上級国民 知識社会・評判社会において、「自分らしく生きる」という特権を享受できるひとたち
下級国民 「自分らしく生きるべきだ」という社会からの強い圧力を受けながら、そうできないひとたち

これがそのまま本書のコンセプトになった。

ちょうどその頃、20代のライターや編集者と話をする機会があった。ニュースサイトのインタビューで「最近の若者たちは人生を“無理ゲー”のように感じているのではないか」と述べたのだが、興味深いことに、2人ともこの言葉が「刺さった」のだという。

私はゲームにはまったくの素人で、この表現はたまたま思いついただけだが、それに強いインパクトがあることを彼らから教えられた。こうして、本書のタイトルが決まった。

クラウス・シュワブは、世界じゅうからリーダーたちを集める「ダボス会議」で知られる世界経済フォーラム(WEF)の創設者だ。シュワブは日本の新聞社のインタビューに答え、コロナ禍を体験した2021年のテーマは「(世界の社会経済システムを考え直す)「グレート・リセット」になるとしてこう語った。(*)

(リセット後は)資本主義という表現はもはや適切ではない。金融緩和でマネーがあふれ、資本の意味は薄れた。いまや成功を導くのはイノベーションを起こす起業家精神や才能で、むしろ「才能主義(Talentism)」と呼びたい。

これからの世界は、(貨幣が支配する)資本主義を脱却し、(評判が支配する)才能主義に変わっていくのだという。「資本主義」では「資本のない者」でも生きていくことはできるが、「才能主義」の世界では「才能のない者」はどうなるのか? これが私の素朴な疑問だ。

世界は「リベラル化、知識社会化、グローバル化」の巨大な潮流のなかにあると、私は繰り返し述べてきた。資本主義は、「自分らしく生きたい」「より幸せに(ゆたかに)なりたい」という“夢”を効率的にかなえる経済制度としてまたたくまに世界じゅうに広がった。その資本主義がいま、ある種の機能不全を起こしているのは確かだろう。

だが資本主義を「脱却」したあとには(もしそのようなことができるとして)、より効率的に“夢”をかなえる未来がやってくるだけだ。なぜなら、社会・経済制度がどのように変わろうとも、ヒトの脳に埋め込まれた「欲望」のプログラムは変わらないから。わたしたちは、ものごころついてから死ぬまで、「自分らしく生きる」という呪縛にとらわれ、あがくほかないのだ。

本書で述べたのは、とてもシンプルなことだ。あなたがいまの生活に満足しているとしたら素晴らしいことだが、その幸運は「自分らしく生きる」特権を奪われたひとたちの犠牲のうえに成り立っている。

ひとびとが「自分らしく」生きたいと思い、ばらばらになっていけば、あちこちで利害が衝突し、社会はとてつもなく複雑になっていく。これによって政治は渋滞し、利害調整で行政システムが巨大化し、ひとびとを抑圧する。

「リベラル」を自称するひとたちには受け入れがたいだろうが、リベラル化が引き起こした問題をリベラルな政策によって解決することはできない。すべての“不都合な事実”は、「リベラルな社会を目指せば目指すほど生きづらさが増していく」ことを示している。

ヒトの認知能力には限りがあるので、わたしたちは複雑なものを複雑なまま理解することができない。こうして、「なにか邪悪なものが世界を支配している」と考えるようになる。この陰謀思考の標的は、右派では「ディープステイト」、左派では「資本主義」が最近の流行のようだ。

だがどれほどワラ人形に呪詛の言葉を投げつけても、この巨大な潮流をせき止めることはもちろん、流れを変えることすらできないだろう。

それに加えて日本の若者たちは、人類史上未曾有の超高齢社会のなか、増えつづける高齢者を支えるという〝罰ゲーム〞を課せられ、さらには、1世紀(100年)を超えるかもしれない自らの人生をまっとうしなければならない。この状況で「絶望するな」というのは難しいだろう。

それにもかかわらず、きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)を、たった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ。

わたしたちは、なんとかしてこの「残酷な世界」を生き延びていくほかはない。

2021年6月 橘 玲

*「資本主義の「リセット」議論を WEFシュワブ氏21年のダボス会議テーマに」日本経済新聞(電子版)2020年6月3日

「苦しまずに自殺する権利」を求める若者たち(『無理ゲー社会』はじめに)

出版社の許可を得て、新刊『無理ゲー社会』の「はじめに」を掲載します。本日発売日です。書店さんで見かけたら手に取ってみてください(電子書籍も同日発売です)。

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ある政治家がSNSで「あなたの不安を教えてください」と訊いたところ、「早く死にたい」「生きる意味がわからない」「苦しまずに自殺する権利を法制化してほしい」との要望が殺到した。これはディストピア小説ではない。日本の話だ。

「年収は200万に届かないくらいです。家賃、光熱費、食費で手一杯で、住民税や国保、年金が払えません。市役所に相談に行っても、役所の人に『女性なら稼ぎ方ありますよね、こちらから具体的には言いませんけど』と、風俗やれと示唆するようなことまで言われて。以前鬱を発症し、個人事業主の仕事とは別にアルバイトをすることは難しく。もう惨めで自分には何もなくて、実家も経済状況が厳しく頼ることもできない、はやく自分なんて消えてしまいたいけど親がいるうちの自死は親がかわいそう。ただただ苦しい毎日です」(千葉県・30代)

「非正規雇用労働者、いわゆる派遣社員です。月収手取り14万~15万円で、30代後半です。日々生きるのがやっとの収入のなか、自身も病気をし、両親も歳をとってきました。誰かが倒れたら、手術代や入院費すら満足に支払えないでしょう。とにかく貧しいです。このまま非正規で一生過ごすのかと思うと気が気ではありません。私たちの世代は年金すら満足にもらえず、非正規雇用として、バブルの恩恵を受けた者たちの煽りをくらって生きつづけなければならないのだろうか。失うものがないので、なにをしてもよいような京都アニメーション事件の犯人の気持ちは、わからないではない。自分の生きている世界に絶望したら、みなあのような行動をとると思う。いまの政治や社会が、社会的弱者を限界まで追いつめていると思う。未来に希望がもてない」(静岡県・30代)

「母になりたいとは思っても、産んで育てて大学まで出すという資産のイメージがどうやっても立ちません。今の20代30代でひとり暮らしをしていると右から左の収支で貯金も出来ず、ここに父母を支えるなんてどうやっても無理です。正社員で働いていても先が見通せません。真面目に勉強して卒業して就職したら報われる時代の親に育てられたので、現代はそうはいかないんだよ、も通じません」(東京都・30代)

「自分の世代(昭和50年代生まれ)は就職氷河期を経験して、まともな職に就けないひとが多かった。最近、同窓生がすでに知るかぎり3名自殺している。原因まではわからないが、一人は仕事を辞め、将来の見立てができずに死ぬのを選んだと聞いた。われわれ世代は、こういうひとが多いと思う。自分も同じようになると感じている」(東京都・40代)

「90歳の祖母を60歳の母といっしょに介護している30歳の独身女性です。将来、父が定年になっても退職金はなく、貯蓄もありません。両親の年金も少ないうえに、自分は年収300万で月収手取り20万です。この年収で、税金が年々上がっていくなかで、両親を介護していけるか不安です。未来に絶望しかなく、どうせ年金受給の年齢すらも延ばされるのなら、60歳くらいで両親ともども命を絶ちたいと本気で考えています」(兵庫県・30代)

「正直、将来に対する不安が多様で大きすぎて、早く死にたいと毎日考えています。いまの社会では結婚して子どもを産みたいとも思えません。安楽死の制度化ばかりを望んでいます」(埼玉県・20代)

「子どもにお金を使い(1人あたり大学まで約2000万)、親にお金を使い(施設2名3000万)、老後に自身が生きる蓄えはできるでしょうか。自分の子に迷惑をかけ、なにも生産できず、死ぬのを待つだけなら、条件付きの安楽死を合法化してほしいです」(神奈川県・20代)

「早く安楽死の合法化と自由に自殺できる制度がほしい」(埼玉県・30代)

「安楽死制度を認めてほしい。早く死にたいと口にする自分も含め、友人たちには未来を明るく想像できません」(大阪府・20代)

「自分の寿命が決められればよいのにと、いつも思っています。もしそれが可能ならば、将来のためにと無理な節制をせずに済むし、歳を重ねることで発病率が上がる病気への不安が軽減するのにと。これは極端な話ですが、私が思っていることは、死にまつわる制度についてもっと前向きに検討してほしいということです。こういった話を持ち出すと、生きるのがつらいと思われがちですが、現在ホワイト企業で働いており、私生活も充実しているため、とくに自死の願望があるわけではないです。ただ、死についての話題がタブーのように触れてはいけないことのようであることに危機感を覚えています。私は、自分の人生は自分で決めたいです」(神奈川県・20代)

ここで紹介したのは、参議院自民党の「不安に寄り添う政治のあり方勉強会」のために、2020年1月(コロナ禍以前)に山田太郎参議院議員がSNSで募集した不安についての投稿の一部だ(趣旨は変えず若干の修正を行なった)。たまたま勉強会に講師として招かれたことで、このアンケートのことを知った。

5日間の実施期間にコメントしたのは1741名で、20代(34.3%)、30代(32.2%)、40代(23.3%)が中心だが、10代(4.3%)、50代(5.4%)も一定数いる。アンケート結果を集計するともっとも多いのは経済的な不安で、20代から「年金・社会保障」に、30代から「安楽死・尊厳死」に、40代から「老後・介護・孤独死」に不安を感じはじめていることがわかる。なかでも「安楽死・尊厳死」は、不治の病を宣告されたときの死の決定権ではなく、「自殺の権利」を求めるものがほとんどだった。

これらのコメントを読んで感じたのは、彼ら/彼女たちが直面しているのがたんなる「生きづらさ」ではなく、もっと暴力的で対処不能な現実だということだ。

ゲームマニアのあいだでは、攻略がきわめて困難なゲームは「無理ゲー」と呼ばれる。だとしたらいま、多くのひとたちが「無理ゲー」に放り込まれてしまったかのように感じているのではないだろうか。

「無理ゲー」とはなにかの話を始める前に、「公平(機会平等)」と「平等(結果平等)」を定義しておこう。この誤用・誤解が、格差についての議論をいたずらに混乱させているからだ。ここではそれを50メートル競走で説明してみよう。

「公平」とは、子どもたちが全員同じスタートラインに立ち、同時に走り始めることだ。しかし足の速さにはちがいがあるので、順位がついて結果は「平等」にはならない。

それに対して、足の遅い子どもを前から、速い子どもを後ろからスタートさせて全員が同時にゴールすれば結果は「平等」になるが、「公平」ではなくなる。

ここからわかるように、能力(足の速さ)に差がある場合、「公平」と「平等」は原理的に両立しない。

このようなとき、5歳の子どもであっても、(足の速い子が1等になる)不平等を容認するのに対し、(足の遅い子が優遇される)不公平は「ずるい」と感じることがわかっている。ひとびとが理不尽だと思うのは「不平等」ではなく「不公平」なのだ。

富の分布の不均衡が社会的な混乱の原因なら、20兆円を超える資産をもつイーロン・マスクは世界じゅうから罵詈雑言を浴びているはずだが、5700万人を超えるツイッターのフォロワーの反応は圧倒的に賞賛と応援だ。これはひとびとが、「グローバル資本主義」が生み出すある種の不平等を受け入れていることを示している。
だったら、格差のなにが問題なのか。

ひとつは、競争の条件が公平ではないと感じているひとがいることだ。

アメリカでは、奴隷制の負の遺産によって黒人に不公平な機会しか与えられていないとされる一方で、それを是正するためのアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)によって、白人労働者が不公平な競争を強いられていると主張するひとたちもいる。両者の意見は折り合わないだろうが、自分たちが不公平の「犠牲者」ということでは一致している。

もうひとつは、競争の結果は受け入れるとしても、自分がその競争をさせられるのは理不尽だと考えるひとが声を上げはじめたことだ。

私がテニスで錦織圭と、将棋で藤井聡太と競えば、100回やって100回とも負けるだろう。私はその結果を不公平とは思わないが、自らの意思に反してそのようなゲームを強いられたことはとてつもなく理不尽だと感じるにちがいない。

このようにして、右からも左からも、自分たちは攻略不可能なゲーム(無理ゲー)に同意なく参加させられているとの不満が噴出するようになった。「ディープステイト(闇の政府)」が世界を支配しているというQアノンの陰謀論も、資本主義の「システム」がひとびとを搾取・統制しているという「レフト(左翼)」や「プログレッシブ(進歩派)」の主張も、あるいは「ウォール街を占拠せよ」「ジレジョーヌ(黄色いベスト)運動」「BLM(ブラック・ライヴズ・マター)」など欧米で頻発する抗議行動も、その現代的な亜種として理解できるだろう。

本書は、この「理不尽なゲーム」の構造を解き明かす試みだ。そこでは、大ヒットした2本のアニメ『君の名は。』と『天気の子』が最初の道案内をしてくれるだろう。

 

 

『無理ゲー社会』発売のお知らせ

小学館新書より『無理ゲー社会』が発売されます。発売日は7月29日(木)ですが、大手書店には、早ければ明日にでも並びはじめると思います。

Amazonでは予約が始まりました(電子書籍も同日発売です)。

日本も世界も、「リベラル化」の大潮流に翻弄されています。「生きづらさ」の大きな理由のひとつは、誰もが「自分らしく」生きられるリベラルな世界が(ある程度)実現したからです。

五輪前に勃発した日本版「キャンセルカルチャー」の背景もこの1冊でわかります。

<出版社より>

人生の攻略難易度はここまで上がった。

〈きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)をたった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ〉(本書より)

才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア。誰もが「知能と努力」によって成功できるメリトクラシー社会では、知能格差が経済格差に直結する。遺伝ガチャで人生は決まるのか?  絶望の先になにがあるのか?  はたして「自由で公正なユートピア」は実現可能なのか──。

13万部を超えるベストセラー『上級国民/下級国民』で現代社会のリアルな分断を描いた著者が、知能格差のタブーに踏み込み、リベラルな社会の「残酷な構造」を解き明かす衝撃作。