「苦しまずに自殺する権利」を求める若者たち(『無理ゲー社会』はじめに)

出版社の許可を得て、新刊『無理ゲー社会』の「はじめに」を掲載します。本日発売日です。書店さんで見かけたら手に取ってみてください(電子書籍も同日発売です)。

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ある政治家がSNSで「あなたの不安を教えてください」と訊いたところ、「早く死にたい」「生きる意味がわからない」「苦しまずに自殺する権利を法制化してほしい」との要望が殺到した。これはディストピア小説ではない。日本の話だ。

「年収は200万に届かないくらいです。家賃、光熱費、食費で手一杯で、住民税や国保、年金が払えません。市役所に相談に行っても、役所の人に『女性なら稼ぎ方ありますよね、こちらから具体的には言いませんけど』と、風俗やれと示唆するようなことまで言われて。以前鬱を発症し、個人事業主の仕事とは別にアルバイトをすることは難しく。もう惨めで自分には何もなくて、実家も経済状況が厳しく頼ることもできない、はやく自分なんて消えてしまいたいけど親がいるうちの自死は親がかわいそう。ただただ苦しい毎日です」(千葉県・30代)

「非正規雇用労働者、いわゆる派遣社員です。月収手取り14万~15万円で、30代後半です。日々生きるのがやっとの収入のなか、自身も病気をし、両親も歳をとってきました。誰かが倒れたら、手術代や入院費すら満足に支払えないでしょう。とにかく貧しいです。このまま非正規で一生過ごすのかと思うと気が気ではありません。私たちの世代は年金すら満足にもらえず、非正規雇用として、バブルの恩恵を受けた者たちの煽りをくらって生きつづけなければならないのだろうか。失うものがないので、なにをしてもよいような京都アニメーション事件の犯人の気持ちは、わからないではない。自分の生きている世界に絶望したら、みなあのような行動をとると思う。いまの政治や社会が、社会的弱者を限界まで追いつめていると思う。未来に希望がもてない」(静岡県・30代)

「母になりたいとは思っても、産んで育てて大学まで出すという資産のイメージがどうやっても立ちません。今の20代30代でひとり暮らしをしていると右から左の収支で貯金も出来ず、ここに父母を支えるなんてどうやっても無理です。正社員で働いていても先が見通せません。真面目に勉強して卒業して就職したら報われる時代の親に育てられたので、現代はそうはいかないんだよ、も通じません」(東京都・30代)

「自分の世代(昭和50年代生まれ)は就職氷河期を経験して、まともな職に就けないひとが多かった。最近、同窓生がすでに知るかぎり3名自殺している。原因まではわからないが、一人は仕事を辞め、将来の見立てができずに死ぬのを選んだと聞いた。われわれ世代は、こういうひとが多いと思う。自分も同じようになると感じている」(東京都・40代)

「90歳の祖母を60歳の母といっしょに介護している30歳の独身女性です。将来、父が定年になっても退職金はなく、貯蓄もありません。両親の年金も少ないうえに、自分は年収300万で月収手取り20万です。この年収で、税金が年々上がっていくなかで、両親を介護していけるか不安です。未来に絶望しかなく、どうせ年金受給の年齢すらも延ばされるのなら、60歳くらいで両親ともども命を絶ちたいと本気で考えています」(兵庫県・30代)

「正直、将来に対する不安が多様で大きすぎて、早く死にたいと毎日考えています。いまの社会では結婚して子どもを産みたいとも思えません。安楽死の制度化ばかりを望んでいます」(埼玉県・20代)

「子どもにお金を使い(1人あたり大学まで約2000万)、親にお金を使い(施設2名3000万)、老後に自身が生きる蓄えはできるでしょうか。自分の子に迷惑をかけ、なにも生産できず、死ぬのを待つだけなら、条件付きの安楽死を合法化してほしいです」(神奈川県・20代)

「早く安楽死の合法化と自由に自殺できる制度がほしい」(埼玉県・30代)

「安楽死制度を認めてほしい。早く死にたいと口にする自分も含め、友人たちには未来を明るく想像できません」(大阪府・20代)

「自分の寿命が決められればよいのにと、いつも思っています。もしそれが可能ならば、将来のためにと無理な節制をせずに済むし、歳を重ねることで発病率が上がる病気への不安が軽減するのにと。これは極端な話ですが、私が思っていることは、死にまつわる制度についてもっと前向きに検討してほしいということです。こういった話を持ち出すと、生きるのがつらいと思われがちですが、現在ホワイト企業で働いており、私生活も充実しているため、とくに自死の願望があるわけではないです。ただ、死についての話題がタブーのように触れてはいけないことのようであることに危機感を覚えています。私は、自分の人生は自分で決めたいです」(神奈川県・20代)

ここで紹介したのは、参議院自民党の「不安に寄り添う政治のあり方勉強会」のために、2020年1月(コロナ禍以前)に山田太郎参議院議員がSNSで募集した不安についての投稿の一部だ(趣旨は変えず若干の修正を行なった)。たまたま勉強会に講師として招かれたことで、このアンケートのことを知った。

5日間の実施期間にコメントしたのは1741名で、20代(34.3%)、30代(32.2%)、40代(23.3%)が中心だが、10代(4.3%)、50代(5.4%)も一定数いる。アンケート結果を集計するともっとも多いのは経済的な不安で、20代から「年金・社会保障」に、30代から「安楽死・尊厳死」に、40代から「老後・介護・孤独死」に不安を感じはじめていることがわかる。なかでも「安楽死・尊厳死」は、不治の病を宣告されたときの死の決定権ではなく、「自殺の権利」を求めるものがほとんどだった。

これらのコメントを読んで感じたのは、彼ら/彼女たちが直面しているのがたんなる「生きづらさ」ではなく、もっと暴力的で対処不能な現実だということだ。

ゲームマニアのあいだでは、攻略がきわめて困難なゲームは「無理ゲー」と呼ばれる。だとしたらいま、多くのひとたちが「無理ゲー」に放り込まれてしまったかのように感じているのではないだろうか。

「無理ゲー」とはなにかの話を始める前に、「公平(機会平等)」と「平等(結果平等)」を定義しておこう。この誤用・誤解が、格差についての議論をいたずらに混乱させているからだ。ここではそれを50メートル競走で説明してみよう。

「公平」とは、子どもたちが全員同じスタートラインに立ち、同時に走り始めることだ。しかし足の速さにはちがいがあるので、順位がついて結果は「平等」にはならない。

それに対して、足の遅い子どもを前から、速い子どもを後ろからスタートさせて全員が同時にゴールすれば結果は「平等」になるが、「公平」ではなくなる。

ここからわかるように、能力(足の速さ)に差がある場合、「公平」と「平等」は原理的に両立しない。

このようなとき、5歳の子どもであっても、(足の速い子が1等になる)不平等を容認するのに対し、(足の遅い子が優遇される)不公平は「ずるい」と感じることがわかっている。ひとびとが理不尽だと思うのは「不平等」ではなく「不公平」なのだ。

富の分布の不均衡が社会的な混乱の原因なら、20兆円を超える資産をもつイーロン・マスクは世界じゅうから罵詈雑言を浴びているはずだが、5700万人を超えるツイッターのフォロワーの反応は圧倒的に賞賛と応援だ。これはひとびとが、「グローバル資本主義」が生み出すある種の不平等を受け入れていることを示している。
だったら、格差のなにが問題なのか。

ひとつは、競争の条件が公平ではないと感じているひとがいることだ。

アメリカでは、奴隷制の負の遺産によって黒人に不公平な機会しか与えられていないとされる一方で、それを是正するためのアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)によって、白人労働者が不公平な競争を強いられていると主張するひとたちもいる。両者の意見は折り合わないだろうが、自分たちが不公平の「犠牲者」ということでは一致している。

もうひとつは、競争の結果は受け入れるとしても、自分がその競争をさせられるのは理不尽だと考えるひとが声を上げはじめたことだ。

私がテニスで錦織圭と、将棋で藤井聡太と競えば、100回やって100回とも負けるだろう。私はその結果を不公平とは思わないが、自らの意思に反してそのようなゲームを強いられたことはとてつもなく理不尽だと感じるにちがいない。

このようにして、右からも左からも、自分たちは攻略不可能なゲーム(無理ゲー)に同意なく参加させられているとの不満が噴出するようになった。「ディープステイト(闇の政府)」が世界を支配しているというQアノンの陰謀論も、資本主義の「システム」がひとびとを搾取・統制しているという「レフト(左翼)」や「プログレッシブ(進歩派)」の主張も、あるいは「ウォール街を占拠せよ」「ジレジョーヌ(黄色いベスト)運動」「BLM(ブラック・ライヴズ・マター)」など欧米で頻発する抗議行動も、その現代的な亜種として理解できるだろう。

本書は、この「理不尽なゲーム」の構造を解き明かす試みだ。そこでは、大ヒットした2本のアニメ『君の名は。』と『天気の子』が最初の道案内をしてくれるだろう。