その銃口を日本国に向けろ

『貧乏はお金持ち』のときの未発表原稿です。題材がちょっと古いのと、文章のトーンが前後の話と合わなかったので、掲載を見送りました。

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冒険小説で知られる船戸与一に、『新宿・夏の死』という連作集がある。バブル崩壊後の新宿を舞台に、ヤクザ、オカマ、ホームレスなどさまざまな人生の最後が描かれている。「夏の黄昏」はそのなかの一遍だ。

主人公の荻野洋作は、丹沢でマタギをしている71歳の老人だ。1人息子の49日の法要を控えて、彼はある覚悟から、大切にしていた2匹の猟犬を猟友会の仲間に譲り、自宅を売却し、銃身を切り落としたレミントンを抱えて東京へと向かった。 続きを読む →

国家権力は市場に介入できるか

法学と経済学は日本のアカデミズムではまったく別の学問として扱われているが、法律の目的を社会の厚生を最大化することだと考えれば、法(とりわけ民法や経済法)の根拠は経済合理性にあり、法律家はミクロ経済学やゲーム理論等の知見を活用して市場の効率化を目指すべきだ、ということになる。こうした観点から法学と経済学を統合する(というよりも、法学を経済学の一部に組み込む)のが法と経済学だ。

法と経済学は、国家(政府)の市場への介入は最小限にすべきだとしながらも、市場参加者は常に経済合理的に行動するわけではなく、市場も完全無欠の制度ではないという理由から、国家の市場への介入が正当化できる場合があることを認める。だがそれは、きわめて限定された状況だけだ。

ここでは、私自身の備忘録も兼ねて、福井秀夫(『ケースからはじめよう 法と経済学―法の隠れた機能を知る』)が日本経済新聞「経済教室」(2008年8月26日)に寄稿した「『安心・安全』と真の消費者利益-安易な介入強化許すな」から、法と経済学が考える国家(権力機構)の役割を挙げておこう。 続きを読む →

こんな日本になったらいいな

年明けに明るい話題を、とのご注文を受けて、2005年に書いた「日本がリバタリアン国家になったら」をアップします。これはウォルター・ブロックの『不道徳教育-擁護できないものを擁護する』を翻訳した際の解説の一部で、来月、『不道徳な経済学』とタイトルを変えて文庫化の予定です。

5年前の文章なので、前振りの話題が古いのはご容赦ください。現在であれば、名古屋市や大阪府、阿久根市などの騒動に置き換えて読んでいただければ(現象は変わっても本質は同じです)。

いま読み返すと、考え方が若干変わったところもありますが、加筆・訂正は最小限にしています。

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