ベーシックインカムは「愚者の楽園」 週刊プレイボーイ連載(41)


橋下徹大阪市長の「維新版・船中八策」で、ベーシックインカムの導入が検討されています。ベーシックインカムは「生存権」を基本的人権として、国家が国民全員に最低限の所得を保障する制度で、これによって貧困問題は解決できると主張するひともいます。

新自由主義の立場から市場の活用を掲げる維新の会がベーシックインカムを取り上げるのは、社会保障から国家の関与をなくし行政を簡素化できると考えているからでしょう。「20歳以上の国民に一律に月額7万円を支給する」と決めてしまえば、年金も失業保険も生活保護もすべて不要になります。

いいことだらけのようなベーシックインカムですが、現実にはこのような政策を採用している国はひとつもありません。しかし歴史をさかのぼれば、きわめてよく似た貧困救済策を実施した例が見つかります。それは、産業革命勃興期のイギリスです。

近代以前は、貧富の差は身分の差であり、農民は貧しいながらもなんとか生きていくことができました。ところが産業革命によって農村から都市に人口が流入すると各地にスラム街が生まれ、不景気になると都市で食い詰めた貧困層が農村に逆流してきます。こうして、「貧困」がはじめて社会問題になりました。

当時のイギリスでは、教会が中心となって、教区ごとに住民の生活を保障する仕組みになっていました。

1795年5月6日、スピーナムランドという小さな町に集まった判事たちは、貧困問題を解決する画期的な決定を下します。彼らは、「一人ひとりの所得に関係なく最低所得が保障されるべきである」として、パンの価格に応じた賃金扶助を命じたのです。

「生存権」を大胆に認めたスピーナムランド法は、イギリス全土に急速に広まっていきますが、1834年にあえなく廃止されてしまいます。この善意にあふれたアイデアの、いったいどこが上手くいかなかったのでしょうか。

最低所得保障はまず、労働の倫理を破壊しました。懸命に努力してもさぼっても受け取る所得が同じになるのなら、雇用主のために働くのはバカバカしいだけです。こうして、ひとびとは自尊心を捨てて貧乏を好むようになりました。

するとこんどは、雇用主が払う賃金が下がってきました。労働者をただ働きさせても、差額の賃金が税金から補填されるのですから、給料を払う理由があるはずはありません。そればかりか彼らは、貧困層に支払われる家賃扶助を目当てに、あばら家を貸し付けて儲けました。これは、昨今の「貧困ビジネス」と同じです。

スピーナムランド法の最大の被害者は、「物乞いとして生きていくのはご免だ」という自立心の強いひとたちでした。賃金が大幅に引き下げられたため、彼らのほとんどが破産してしまったのです。

このようにして、「すべてのひとに最低限の生活を保障する」19世紀はじめのユートピアの実験は、ものの見事に失敗してしまいました。

同じヒトである以上、200年前のイギリス人も現代の日本人もたいして変わりません。ベーシックインカムも、きっと同じような「愚者の楽園」を生み出すことになるでしょう。

参考文献:カール・ポラニー『大転換』

 『週刊プレイボーイ』2012年3月5日発売号
禁・無断転載

コメントを閉じる

35件のコメント

  1. いつも、楽しみに拝見しています。

    スピーナムランド法は1795年~ではなかったでしょうか?

  2. 「一律に月額XX万円を支給する」のと、
    「差額の賃金が税金から補填される」のでは、
    制度設計的に大きな差があるのでは?

    ベーシックインカムの良い点として、
    「やる気のない人間が会社に来なくなるだろう」
    というのを挙げてた人がいたなぁ。

  3. 千円なのか3万円なのか、いくらを支給するかが問題になりそうですが
    時代が変わり、円の価値が変わって、その金額では高すぎるとなった時に、
    公務員の給料を2割カットするとしながら何年もカットできないでいる現状以上に、
    ベーシックインカムの減額は難しそうですね。

  4. 支給する金額が所得があろうがあるまいが無差別で支給されるのならば、インセンティブは変わらないのではないか、と思います。つまり日本政府からベイシックインカムとして毎月10万円提供されるのならば、会社から毎月もらえる金額は全額それへのadd-onとしてもらう、ということだったら、働けば働くほど所得が増えるわけですから、インセンティブは特に低くなることはないかと。
    ただし、もともと働く意欲がない(あるいは働く必要がない)人は何も変わらないでしょうね。
    私の問題意識はベーシックインカムでもきちんと国民全員に行き渡らせるには、それなりの行政コストがかかるわけで、その費用がどのくらいなのかによって、行政の簡素化は期待したほどでないのかもしれない、という点です。つまりホームレスとかにも渡さないといけないわけですが、その人たちを探して本人確認して銀行口座を持っていない人にどのように確実に定期的に渡すことができるか、というあたりは結構コストがかかるはずなわけです。

  5.  最近のイギリスで実際に同様のことが起きていると、朝日新聞の特集記事でちょっと前に読んだ記憶があります。これから仕事を覚えなければならない若い世代が「自分は最低限の暮らしがあれば十分。その方が楽でいい」と、そもそも就労しない人が多数いるそうです。ロンドンの中にも、支給されるお金だけで暮らしている人の集落が、多数点在しているとか。

     ベーシックインカムは、慈善に満ちているように見えて、人の心からがんばる気持ちを奪う悪魔のような構想かもしれませんね。

  6. >懸命に努力してもさぼっても受け取る所得が同じになるのなら

    これはベーシックインカムではなくて、人民公社ですね。全く異なる制度です。

  7. >懸命に努力してもさぼっても受け取る所得が同じになるのなら、雇用主のために働くのはバカバカしいだけです。

    最低限は皆に配るが、それ以上の収入が欲しい人は今までどおり市場で働いて稼ぐ事ができる。
    これがベーシック・インカムの重要な点なわけで、上記の制度の例とは比較にならないのでは?

  8. 現行の生活保護制度、社会保障制度に問題があるから出てきた発想であることを忘れてはなりません。
    現在でもすでに「愚者の楽園」であることには違いがありません。
    少なくとも、良きにつけ悪しきにつけ自らまいた種がキチンと自分に返ってくるようなシステムが必要です。
    自分は好きなことをしておいて、尻ぬぐいは他人任せの社会制度、おいしいところは欲しいが、泥はかぶりたくないという風潮は、何としても変革する必要があるでしょう。
    ベーシックインカムを批判するのなら、代替案を出すべきで、それができないのなら一見高尚な批判であっても、単なる「ヤジ」と大差はありません。

  9. 興味深い論考です。
    橘様の文章を引用はいたしませんので、後ほど拙ブログから当該記事へリンクを張らせていただくことをお許しください。

    ベーシックインカムがある世界は、本来恐ろしく残酷であるだろうと私は想像します。
    一定の金はやるからそれで年金・生活保護・医療などの社会保障を全てまかなってくれ。あとは知らん。足りなければ自分で稼げ。というスタンスを貫徹することが、行政の側に求められます。「特例」を設けてはいけない、特例を認めた瞬間に根底から制度が崩壊する種類の政策だと思います。

    それを受け入れることが、感情がウエットな日本人に出来るのか?
    例えば高額の治療費が必要な病気にかかったとしても、
    「そういう制度だから仕方ない。社会の為に黙って死のう(死ね)。」と割り切れるのか?
    私は確実にNOだと考えています。

    それよりも恐ろしいのが、確実に起きるベーシックインカムの既得権化です。
    この政策は全ての国民に等しく、既得権を押し付けることになります。
    国民全てが同一の既得権を得ることになるのです。

    財政が厳しくなってきた際に、ベーシックインカム費用という「聖域」に切り込むことは、(そのときに日本がまだ民主主義であれば)事実上不可能になるでしょう。
    仮に1億人の国民に毎月7万円を支払うとすれば年間84兆円(税収の倍以上!)という特大の「聖域」が出来上がるのです。
    そしてベーシックインカムの配布に関連する各種の業務(公務員の仕事)にも。

    ベーシックインカムは、予算配分の柔軟性を大きく毀損することになると予想します。
    聖人君子ばかりが住む国で無い限り、メリットよりはデメリットが多いのではないでしょうか。

    文章を打っていて気が付いたのですが、ベーシックインカムは独裁制と非常に親和性が高い気がします。と言うか、独裁制でないと円滑な運用は不可能なのではないかと。
    橋下市長はそれを狙っている、などと考えたくは無いのですが、どうも私は彼を評価できないせいか、穿って見てしまいます。

  10. 引用させていただきます。

    >>近代以前は、貧富の差は身分の差であり、農民は貧しいながらもなんとか生きていくことができました。

    この部分は、もう少し正確な記述が必要ではないでしょうか。歴史によると、当時は、餓死者や自殺者も多くいたのではないでしょうか。
    つまり、前提条件が崩れていませんか。

    さらに引用します。
    >>同じヒトである以上、200年前のイギリス人も現代の日本人もたいして変わりません。ベーシックインカムも、きっと同じような「愚者の楽園」を生み出すことになるでしょう。

    確かに、ヒトとしての部分は同じです。しかし、現在は生産性がまったく違います。
    この部分を検証してから結論に至るほうが適切ではないでしょうか。

  11. 橋下市長は気付いていない。
    タダで現金を与えると、人間はどこまでも堕落するということに。
    ベーシックインカムなんてのは要らない。
    むしろ、ナマポ民の人権を制限し、「はやく人間になりたい(生活保護をやめたい)!」と動機づけさせる制度に変更すればよい。

  12. >例えば高額の治療費が必要な病気にかかったとしても、
    >「そういう制度だから仕方ない。社会の為に黙って死のう(死ね)。」と割り切れるのか?

    多くの日本人は、本当は他人の高額治療費なんて払いたくないんだと思います。
    でも、ムラ社会のなかで薄情な人間だとは思われたくないんですよ。

    ベーシックインカムという大義名分があれば
    薄情な奴だと非難されることなく堂々と、他人の高額治療費を拒否できる
    これは日本人の心情に沿った制度ではないでしょうか。

    それから、高額治療費といいますが、ジェネリック医薬品を使い
    手術はインドで行えば、かなり負担は減ります。

    ジェネリック医薬品を使えば、20年前の薬は手に入ります。
    20年前の日本人と同じ薬を使えるのです。
    20年前と同じなんだから、日本人同士平等ですよ。

    インドの医師は嫌ですか?同じ人間です。
    人間平等だからと私にも医療をと言っておいて、インド人は嫌って
    平等に反します。

    上記のような治療方針は、アメリカの貧困層向け医療保険では既に実現しているそうです。

  13. ベーシックインカムが不可能な場合は、私たちみんなが「ベーシックインカム」を知っている場合でしょう。
    「ベーシックインカム」を知らないみんなだけの密室では、ベーシックインカムが可能だと思います。

  14. ベーシックインカムなんて良くない。この国がもうすぐ財政破たんするのも依存心ばかり強い人間が増えすぎたからです。パンとサーカスを求める貧民を増長させるような政策は国民を堕落させ民主主義を滅ぼすでしょう。
    健康な人間が生活保護を受けるなんて恥ずべきこととされていなければなりません。
    生活保護受給者には選挙権を放棄させる制度が必要です。
    扶養義務のある親族に求償する制度も必要です。

  15. >懸命に努力してもさぼっても受け取る所得が同じになるのなら

    他の方も指摘されていますが、これはベーシックインカムとは違う制度ですね。

    >労働者をただ働きさせても、差額の賃金が税金から補填されるの
    >ですから、給料を払う理由があるはずはありません。

    給料がないなら労働者である必要もないのに、何で働いたんだろう?
    「働いていること」が受給条件であったのだとしたら、これもベーシックインカムとは違う制度です。

  16. なぜ、憲法における権利は使わなければ無くなるのに、義務は無くならないと主張するタイプの方が後を絶たないのでしょうか?

  17. ベーシックインカムについて、果たして橘氏の主張しているとおりだろうか?ベーシックインカム導入反対論者に一番多い意見としてよく言われることだが(簡単に言うと「働かなくなる」)、働かなくて生活できるだけの金額を支給するわけではないのである。社会保障等も含めた「最低限」の金額を支給するというのがベーシックインカムの趣旨のはずである。現在、社会保障費用の極大化が日本では問題になっており、すでに数年後には破たんするという論者も多くいる。その解決に必要なのは、決して消費税の増税ではあるまい。生活保護受給の問題も含め(そもそも、年金をもらうより生活保護を受給したほうがいいというのはおかしな話。厚生労働省がいくら制度的に違うなどと説明したとしても、それを納得できる人は少ないはず。)、全体的に考えたときに、ベーシックインカムの導入は1つの選択肢になるのではないかと考えている。ちなみに、諸外国でやっているかどうかなどというのはどうでもいい話のはずである(日本初の制度だっていいのである。)。

  18. 彼らの言うことを真に受けてとらえちゃ駄目ですよ。注目させ続けることと、とりあえず吹っかけて本当の落とし所にもって行こうとしてるだけです。(アラブ人の商法がこんな感じだそうです)

    現状よりも何か変化が起こったのなら彼らの思惑どおりなのでしょう。

  19. 悪徳政治業者なら「ベーシックインカムを(ナマポ並みに)引き上げます!」と掲げるに違いない。

  20. > ベーシックインカムでもきちんと国民全員に行き渡らせるには、それなりの行政コストがかかる

    電子マネーか銀行口座でいいですし、どちらもタダで作れるので問題なし。

    > 現物支給にしたらどうだろう?

    それでは官僚の思うつぼ。
    現金給付の方が裁量の余地が少ない。

    > 悪徳政治業者なら「ベーシックインカムを(ナマポ並みに)引き上げます!」と掲げるに違いない。

    選挙権とセットにすれば良いのでは?

    選挙権欲しければ、ベーシックインカムを放棄。
    ベーシックインカムを欲しければ、選挙権を放棄。

    一度でもベーシックインカムを受給したら、次回の選挙には投票できないみたいな感じで。
    義務と権利は一体なので。

  21. 現在義務教育は無償ですので、教育にかけるお金はかけなくていいはずなのに、
    大多数の親は子供を塾に行かせています。
    国から無償、もしくは安価で与えられているのもかかわらず、さらに支出している例があるから
    最低限で満足する人が大多数にはならないと思います。
    ホームセキュリティ、車の自賠責、水道水とかも、医療保険、などでも言える。

  22. 生活保護の機能不全(不正受給、労働意欲の毀損、スティグマティズム)に対する回答でもあるベーシックインカムなんだけど、「行き過ぎた生活保護」と誤解する人が絶えないのは何故なんだろう。

  23. “懸命に努力してもさぼっても受け取る所得が同じになるのなら、雇用主のために働くのはバカバカしいだけです。こうして、ひとびとは自尊心を捨てて貧乏を好むようになりました。”

    これが現在の生活保護なのでは無いでしょうか?
    ベーシックインカムの重要な点は年収5千万の富裕層でも年収50万のワーキングプアでも全く同額のベーシックインカムを得られるという点です。

    現在の生活保護制度は(スピーナムランド法と同じく)働けば働いた分だけ支給額が減らされてしまいます。
    これはスピーナムランド法と同じく生活保護受給者の自立心を奪ってしまっています。
    そうした問題を解決するための手法の一つがベーシックインカムです。

  24. ベーシックインカムを否定するのに必死だが、
    働けなくなった人間は愚者だから死ねとでも言いたいのですか?
    もしそうなら、本当の愚者は誰でしょうかね?
    スピーナムランド法にしても、よく調べるとベーシックインカムと違うし。
    適当なこと書いてると、信用無くすと思う。

  25. 経済的に困ってない人にも渡るお金のためにも自分の所得を割くことを納得できる人がどのくらいいるのでしょうね。

  26. 経済的理由に因る自殺や餓死の犠牲者の増大を抑え、低迷の続く経済を復興させる為には国民にお金を配り内需を拡大する必要があると思います。
    財源を拵える手段はいくつもあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

投稿したコメントが表示されない場合は、SPAM判定された可能性があります。詳細はこちらをごらんください。