第41回 租税回避 国家の逆襲(橘玲の世界は損得勘定)

世界金融危機以降、タックスヘイヴンが大きく揺れている。

金融業界に衝撃を与えたのはプライベートバンク最大手UBSのスキャンダルで、2008年11月、米司法当局はプライベートバンク部門を統括していた最高幹部を脱税の共謀犯として起訴し、UBSは総額7億8000万ドル(約780億円)の罰金と、約4500件の口座情報の提供を余儀なくされた。

この事件はまだ尾を引いており、2013年10月には米連邦大陪審に起訴されていたUBS幹部がイタリアで突然逮捕された。この幹部はインターポール(国際刑事警察機構)の指名手配リストに載せられていたのだ。

オバマ政権に代わってからアメリカはタックスヘイヴンに対する締め付けを強めており、FATCA(外国口座税務コンプライアンス法)によって米国人が海外に保有する口座情報の提供を世界のすべての金融機関に義務づけた。このようなことが可能になるのは米国の税制が属人主義で、米国人は国外に居住していても納税義務を負うからだ(日本をはじめほとんどの国は属地主義で、国外居住者は原則として納税義務はない)。

プライベートバンクが窮地に陥ったのは、顧客情報の流出に歯止めがかからないからでもある。脱税容疑で拘束されたプライベートバンカーが、司法取引で罪の減免と引き換えに顧客情報を提供しているのだ(そればかりか莫大な報奨金を得たケースもある)。

また2013年6月には、国際調査ジャーナリスト連合(ICIJ)がシンガポールとBVI(ブリティッシュ・ヴァージン・アイランズ)から入手した10万件以上の登記情報をインターネットに公開した。

ICIJはその後、半年以上にわたって資料の分析を進め、汚職撲滅の先頭に立つ習近平国家主席のほか、温家宝前首相、李鵬元首相ら中国共産党や人民解放軍幹部の親族などがタックスヘイヴンを使って蓄財している実態を明らかにした。報道によれば、中国と香港の富裕層2万1000人以上が海外法人を所有し、2000年以降、最大4兆ドル(約400兆円)の隠し資産が中国から流出したという。

さらに2014年2月、日米欧など主要20カ国・地域が、課税対象者が海外に保有する銀行口座の自動交換に合意し、2015年までの導入を目指すとした。この合意にはタックスヘイヴン国は含まれないが、スイスや香港、シンガポールにまで拡張されればオフショアビジネスは大打撃を受けるだろう。

金融市場の急速なグローバル化に国家が追いつけないことが明らかになって、国際的な取組みがようやく始まった。今後はタックスヘイヴンを使ったグローバル企業の租税回避に議論が移っていくはずだ。

シンガポールを舞台とする国際金融ミステリー『タックスヘイヴン』では、こうした潮流を背景に、プライベートバンクが国際謀略に巻き込まれていく姿を描いた。これはもちろんフィクションだが、もしかしたら同じことがどこかの国で現実に起きているかもしれない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.41:『日経ヴェリタス』2014年4月20日号掲載
禁・無断転載 

「ゴーストライターのことはみんな知ってる」って本当? 週刊プレイボーイ連載(144)

“日本のベートーベン”の曲を別人が作曲していた問題で、ゴーストライターの存在が議論を呼びました。出版界では代作者を使って本を出すことが慣行になっていますが、「作曲家のゴーストライターがあれだけ批判されるのなら、出版物も同じではないのか」というのです。

もちろん、芥川賞や直木賞の受賞作を他人が書いていたら社会的な事件です。ゴーストライターを使うのは芸能人やスポーツ選手のような文筆を生業にしているわけではないひとや、多忙な企業経営者など執筆時間のないひとですから、今回の事件と同列に語ることはできません。その意味でゴーストライターが社会的に容認されてきたのは確かでしょうが、「そんなこと(芸能人やスポーツ選手がゴーストライターを使っていること)は誰でも知っている」という擁護論には違和感があります。

こうした主張は、「プロレスが真剣勝負でないことは誰でも知っている」というのに似ています。力道山の時代はもちろん、ジャイアント馬場やアントニオ猪木の全盛期も、プロレスラーは真剣勝負をしているとみんな信じていました。しかし徐々にプロレスが「筋書きのある格闘技」だということが広まり、1990年代になるとプロレスを芸能の一種として、レスラーが“筋書き”をいかに上手く演じたかが批評されるようになりました。

しかしこうした“おたく的”プロレス論の隆盛とは裏腹にプロレスは衰退し、K1のようなシュート(真剣勝負)が主流になっていきます。誰もがやらせだと知っていたわけではなく、プロレス人気は「真剣勝負であってほしい」と願うファンに支えられていたのです。だとしたら、「本人が書いたと思っている読者なんて一人もいない」といって済ませていいのでしょうか。

問題はそれだけではありません。

芸能人やスポーツ選手の本のほとんどがゴーストライターの手によるものだとしても、なかには自分で文章をつづるひともいるでしょう。しかしいまのままでは、そうした努力も有象無象の“ゴーストライター本”と一緒にされてしまいます。擁護論には、「芸能人やスポーツ選手に本なんか書けるわけがない」という傲慢さが見え隠れしています。

この問題の解決するのはかんたんで、すでに一部の本で行なわれているように、“ゴースト”をやめてちゃんとライターの名前をクレジットすればいいだけです。出版社が代作者を用意してまで本を出したいひとは、本人の実績や経験、生き方に読者が魅力を感じているのですから、本来であれば自分で書いたかどうかは商品価値に影響しないはずです。それでも“ゴースト”のままにしておくのは、「執筆」という幻想を残しておいたほうが商売に有利だと関係者が思っているからでしょう。こうした下心があるのなら“偽装”と批判されても文句はいえません。

ゴーストライターを表に出せば彼らの仕事が認知され、優秀なライターに仕事が集まって正当な報酬が支払われるようになるでしょう。それ以上に大事なのは、“自分で書いた”ことがちゃんと評価されることです。私にはこれでなんの不都合もないと思えますが、なぜこの悪弊を改めることができないのでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2014年4月21発売号
禁・無断転載 

「公営住宅をもっとつくれ」という奇妙な理屈をふりかざすひとたち 週刊プレイボーイ連載(143)

低所得者向けの公営住宅で抽選倍率が100倍を超え、希望者が入居できない事態になっています。都営住宅はとりわけ人気が高く、1500戸に4万3000人が応募し(平均倍率28.5倍)、場所によってはさらに倍率が上がるためです。

このことを報じた新聞記事では「自治体の財政難で公営住宅が増設できない」と書かれていましたが、これが問題の本質なのでしょうか?

日本はこれから人口減少社会へと向かい、民間アパートの空室率も高くなっています。そんななかで自治体が住宅を大量供給するのでは民業圧迫そのものです。社会全体で住宅が余っているのだから、公営住宅は減らしていくべきです。

公営住宅の供給に対して需要が極端に大きいのは家賃が安すぎるからです。そのため入居者を抽選で決めようとすると、民間アパートの家賃を払えるひとまでが大挙して申し込んできます。財布はひとつなので、家賃を節約できればその分をほかのことに使えます。認可保育園や特別養護老人ホームと同じく公営住宅も、市場原理を無視したために入居希望者が多くなりすぎたことが問題なのです。

この混乱を解決する第一歩は、不要不急の申込者を減らして、家賃の安い住宅をほんとうに必要としているひとがとばっちりを食わないようにすることです。現在でも入居時の所得制限(都営住宅の場合は月収15万8000円以下)はありますが、これだけでは多額の資産(貯金)のある退職者や、所得を調整できる自営業者を排除できません。また入居時の資格制限だけでは、幸運にも抽選に当たったひとはそれを既得権にして、家計が楽になっても退去しようとはしないでしょう。国民の税金を投入している以上、公営住宅の利用にあたっては資産を含めた経済力を公正な方法で測ることが不可欠なのです。

日本でも国民全員に共通番号を振るマイナンバー(社会保障・税番号制度)が2016年から始まることになりましたが、銀行・証券口座への登録が義務づけられるのは(可能だとしても)まだずいぶん先のことです。現状では自治体が入居(申込)者の資産を把握するのは不可能で、それが不公平をもたらしています。

これを解決するには、公営住宅の申込時に金融資産を税務署に申告するとともに、税務署から金融機関に照会できるようにすることです。これで「そんな面倒なことはしたくない」というひとが大量に脱落するでしょうが、それに加えて、一部の口座しか申告しないなどの不正が発覚した場合は厳しい罰則を科すようにしておけばほんとうに必要なひとだけが残るでしょう。たったこれだけのことで、公営住宅の抽選倍率は劇的に下がるはずです。

さらに、今後はますます空き家が増えていくのですから、自治体が公営住宅を運営するのをやめて低所得者向けの家賃補助に切り替えた方がずっと効率的です。公営住宅から退去させるのは困難でも、じゅうぶんな収入や資産があることが判明した利用者への補助を打ち切るのはかんたんです。これで限られた予算をより有効に使うことができるようになります。

社会問題を取り上げることはメディアの重要な役割ですが、その問題を合理的に解決(改善)する方法がある場合、それもあわせて提起することでより立派な「社会の木鐸」になれるのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2014年4月14日発売号
禁・無断転載