過激派テロ組織ISISの戦士を生み出したフランスの「国内問題」

『マネーポスト』2015年春号に掲載された「過激派テロ組織ISISの戦士を生み出したフランスの「国内問題」(連載:セカイの仕組み第14回)」を、編集部の許可を得てアップします。執筆時期は2015年1月です。

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仏紙襲撃事件の実行犯は全員が大規模団地出身

早朝着の便でパリのシャルル・ド・ゴール空港に降り立ち、PER(パリ高速鉄道)B線でパリ市内に向かうと、ル・ブルジェ駅からたくさんの乗客が乗り込んでくる。ほとんどがモロッコ、アルジェリア、チュニジアなど北アフリカの旧フランス植民地(マグレブ地方)出身のひとたちだ。

空港からタクシーで市内に向かうときは、ジョルジュ・ヴァルボン公園の鬱蒼とした森を抜けたあたりで忽然と高層アパート群が現われる。パリ北郊外のラ・クールヌーヴにある典型的な大規模団地(シテ)だ。

パリ中心部は歴史的建造物を保護するために開発がきびしく制限されている。ラ・クールヌーヴの近代的な巨大アパートは、もともとは市内に家を持つことができない中流の都市住民のために1950年代に建てられたが、70年代になると行政の家賃補助などに惹かれてマグレブ出身の低所得者層が集まりはじめた。B線のル・ブルジュ駅は、彼らがパリ市内への通勤に使っているのだ。

今年1月7日、パリにある風刺雑誌の出版社「シャルリー・エブド」を武装したテロリストが襲撃し、編集長やスタッフ、警護にあたっていた警官など12人を殺害した。また2日後の9日には、ユダヤ食品のスーパーマーケットに男が押し入り、居合わせた客を人質にとって立てこもった。突入した警察の特殊部隊に犯人は射殺されたが、店員や客など4人が巻き添えになった。

フランスだけでなくヨーロッパ全土を震撼させた連続テロ事件は、いずれも北アフリカからの移民の家庭に生まれた若いフランス人の犯行だった。彼らはイスラーム原理主義(ジハード唱導主義)のテロ組織ISIS(アイシス/イスラム国)から強い影響を受け、残忍なテロを実行したとされている。犯人たち全員が、ラ・クールヌーヴと同じような大規模団地の出身だった。

フランスでは1990年代からパリやリヨンなどの都市郊外で移民の若者たちによる暴動が頻発するようになった。ラ・クールヌーヴの名を一躍有名にしたのは、「治安回復」を掲げるニコラ・サルコジ内相が2005年6月、この地を訪れ「(犯罪の温床となる)団地をケルヒャーで一掃する」と述べたことだった。ケルヒャーは、隣国ドイツの代表的な高圧洗浄機メーカーだ。

同年10月27日、パリ東郊外で強盗事件を捜査していた警官が容疑者を追跡したところ、逃げ込んだ変電所で北アフリカ出身の若者2人が感電死し、1人が重傷を負った。事件の2日前には、サルコジ内相がパリ北郊外の大規模団地で若者たちを「ラカイユ(くず)」と呼んだ。その“ラカイユ”たちによる抗議行動はたちまち暴動に変わり、全国に広がってフランス政府(ド・ヴィルパン首相)は非常事態を宣言するに至った。この都市暴動をちからによって制圧したことが、2007年の大統領選でのサルコジの勝利につながっていく。

サルコジ政権の徹底した治安強化によって、2010年以降は郊外での暴動はほとんど起こらなくなった。しかしその一方で、郊外の団地で育った若者たちのなかにアル・カーイダやISISの過激な主張に魅了され、シリアやイラクを目指す者たちが相次いでいる。

フランスの都市郊外で、いったいなにが起きたのだろうか。