埼玉スタジアムではなぜ人種差別の権利がないのか?週刊プレイボーイ連載(146)

サッカーJ1の人気クラブ浦和レッズは、一部のサポーターが「ジャパニーズ・オンリー」という横断幕をスタジアム内に掲げたことでJリーグから無観客試合の制裁を受け、クラブ側は当該サポーターを無期限入場禁止にすると同時に、ホーム、アウエーを問わず、すべての横断幕やゲートフラッグの掲出を禁止しました。

サッカーの本場であるヨーロッパではアフリカ出身の選手に対する人種差別的行為があとを絶たず、FIFA(国際サッカー連盟)は傘下のクラブに人種差別撲滅のための断固たる行動を求めています。今回の処分はクラブにとってきわめて厳しいものですが、浦和レッズのサポーターグループ11団体が「当事者としての責任を認識」して自主的に解散するなど、批判や反発の声はほとんど聞こえてきません。Jリーグには家族連れの観客も多く、子どもに不快な横断幕を見せたいひとはいないでしょうから、これはファンやサポーターの良識でしょう。

その一方で、東京・新大久保や大阪・鶴橋のコリアンタウンでは「死ね」「殺せ」などと連呼するヘイトスピーチが止まず、「支那・朝鮮抜きの大東亜共栄圏」を目指す団体はナチスドイツのハーケンクロイツ(カギ十字)を掲げたデモを行なっています。ゲルマン民族の人種的優越を理由に、ナチスドイツは600万人ものユダヤ人を強制収容所などで殺戮しましたから、その旗を公然と掲げるのは人種差別行為そのものです。

埼玉スタジアムでは「ジャパニーズ・オンリー」という横断幕だけでクラブもサポーターも厳しい制裁を受けました。それに対して新大久保や鶴橋でははるかに露骨な人種差別行為が容認されているばかりか、彼らはメディアに対しても堂々と自分たちの正当性を主張しています。

なぜこのようなダブルスタンダードが起きるのでしょうか。

それは、浦和レッズが興行主となる埼玉スタジアムは私的空間で、新大久保や鶴橋は公共空間だからです。私的空間には所有者(管理者)がおり、利用者は一定の規則に従わなければなりません。一方、公共空間は日本国憲法によって結社と言論・表現の自由が保障されているので、どのような政治的主張も認められるのです。

私的空間では、その所有者は自分(たち)の利益を最大化しようとしています。ほとんどのひとは、こうした利己的な場所よりも「公共」のほうが素晴らしいと問答無用に決めつけますが、これは本当でしょうか。

もちろんここで、言論・表現の自由を制限すべきだ、といいたいわけではありません。

自由を原理主義的に擁護するリバタリアニズムでは、「公共」の名の下に国家が私的空間に介入するからこそ、こうした問題が起こるのだと考えます。その解決方法は簡単で、すべての公共空間を民営化してしまえばいいのです。

株式会社新大久保や鶴橋株式会社であれば、浦和レッズが埼玉スタジアムを管理するのと同様に、ヘイトスピーチや人種差別を合法的に排除できます。これは言論の抑圧ではなく私的所有権の行使で、政治的主張をしたいひとはそれ以外の場所で自由に活動することが許されています。

たったこれだけで、憲法を遵守しつつ不愉快なヘイトスピーチをなくすことができます――残念なことに実現可能性はないでしょうが。

『週刊プレイボーイ』2014年5月12日発売号
禁・無断転載

『臆病者のための億万長者入門』発売のお知らせ

文春新書より『臆病者のための億万長者入門』が刊行されます。Amazonではすでに予約が始まっています。書店店頭には20日に並びますが、都内の大手書店では週末のところもあるようです。

タイトルは「億万長者入門」ですが、億万長者になる方法が書いてあるわけではありません。

アメリカやヨーロッパ、日本のようなゆたかな国は、人類史上はじめて「誰でも億万長者になれる社会」を実現しました。それは同時に、貧乏が自己責任を問われる“残酷な世界”でもあります。

億万長者になるなんて簡単だ!

そんな「ゆたかで残酷な日本」でどのように経済的な土台(インフラストラクチャー)を築いていけばいいのか、というのが本書のテーマです。

本書は、2013年4月から14年1月まで『週刊文春』に連載した「臆病者のための資産運用入門」をベースに、加筆・再構成のうえ1冊にまとめたものです。株式投資、保険、不動産、外国為替(FX)などについてこれまで述べてきたことと趣旨は同じですが、これは、市場は日々刻々変化するとしても原理は不変で、長期的には(市場原理による)正しい場所へと収斂していくはずだからです。

連載をまとめることのメリットは、過去の記述を検証できることです。

『週刊文春』に「1万5000円突破 日本株はもう高すぎる」という記事が掲載されたのが2013年5月23日(木)で、この日に日経平均は1143円暴落しました。同年6月13日発売号の「激動する為替レート 今の円高は当たり前」では、「今後、大幅な円安は見込めない」と述べました。

当時はアベノミクスの絶頂期で、ほとんどの論者がさらなる円安と株価の上昇を予想していました。それから1年たって、株価は1万4000円、為替は1ドル=101円とほとんど変わっていません。べつに自慢したいわけではありませんが、いずれの予測が正しかったかは明らかでしょう(経済予測の世界では過去の発言を検証しないことになっているので、自分でいうしかありません)。私が「日本株はもう上がらない」「これ以上の円安はない」と考えた理由も、この本で詳しく説明しています。

市場では、とんでもないこと(ブラックスワン)はめったに起こりません。リーマンショックは「100年にいちど」の大惨事といわれましたが、わずか5年で米国株は史上最高値を更新しました。これを見ても、戦争や内乱・政治的混乱に比べて、経済的な事象は未来をある程度限定できることがわかります。“米ドル暴落”“ユーロ崩壊”“中国の不動産バブル崩壊”“日本の財政破綻”などさまざまな危機がいわれますが、金融市場の仕組みと資産運用の原則を理解していれば、誰でもこうした経済的リスクにヘッジ(保険)をかけることができます。

日本はこれから、超高齢化という人類がこれまで体験したことのない社会を迎えます。そのなかで自分の(経済的な)人生をどのように「設計」するのか、それを考える一助になれば幸いです。

すべてのメディアは”捏造装置” 週刊プレイボーイ連載(145)

STAP細胞はどんな組織にも変化できる機能を持った多能性細胞の一種で、iPS細胞などと比べてつくり方が圧倒的に簡単で、再生医療を劇的に発展させると期待されていました。この“ノーベル賞級の発見”を割烹着姿の31歳の小保方晴子さんが主導したことでマスコミの大騒ぎが始まりましたが、その後、論文自体の信憑性を疑わせるさまざまな疑惑が噴出して事態は混迷していきます。

この問題の本質が、「そもそもSTAP細胞は存在するのか?」なのは誰でもわかります。

小保方さんは200回以上STAP細胞を作成したと述べていますが、それには「言葉では伝えにくいコツ」があり、本来、つくりやすいはずなのに他の研究者は誰ひとり追試に成功していません。しかしだからといって論文自体を捏造と決めつけることはできず、写真の転用についてもそれがたんなるミスなのか、意図的なのかを素人が判断するのは不可能です。

“日本のベートーヴェン”は、野心を抱きながらも挫折を繰り返してきた男が、才能はあるもののずっと音楽界の傍流にいた作曲家と出会い、彼をゴーストライターに聴覚障害を装って成功をつかむという、テレビの2時間ドラマに使えそうなベタな話でした。ワイドショーで連日大きく取り上げられたのは、こうした“わかりやすい物語”なら視聴者が安心して楽しめるからです。

大衆が好むのは昔も今も勧善懲悪で、そのためにはまず悪者を特定しなければなりません。それによって悪を糾す自分(視聴者とその代弁者としてのメディア)が正義の側に立てますし、悪者に人間味(幼児虐待や貧困、自殺未遂など)を持たせれば物語の魅力はさらに増してひとびとを魅きつけます。

しかしSTAP細胞論文疑惑では、この悪者をうまく特定することができません。いまだに論争の決着がついていないということもありますが、そもそもマスメディアには「読者/視聴者が理解できることしか報道できない」という制約があり、科学の世界での議論を追うことが困難だからです。

勧善懲悪のドラマは悪役がいないと成り立ちませんから理化学研究所を批判したりもしてみますが、ここは日本の誇るノーベル賞受賞者が理事長をやっており、そもそも誰に責任があるのかもよくわかりません。

こうして科学論争は研究者間の愛憎劇(失楽園)や、「人格障害」「モンスター・サイエンティスト」へと歪んでいってしまいます。大衆は科学の最先端を知りたいのではなく、“割烹着姿のかわいい女の子”の将来に興味津々なのです。

娯楽としてのマスメディアの限界は、真実が複雑でわかりにくいものだとしても(たいていはそうです)、それをわかりやすく加工しなければ商品にならないことにあります。だとすれば、メディアそのものが“捏造装置”なのです。

もっとも「そもそも真実なんてあるのか」というさらにやっかいな問題もあり、それを言い出すと本稿も含め、すべてのメディアは捏造の度合いを競っているだけだ、というオチになってしまうのですが。

 『週刊プレイボーイ』2014年4月28日発売号
禁・無断転載