”奴隷労働”をしながら「残業代ゼロ」を批判する不思議なひとたち 週刊プレイボーイ連載(193)

安倍内閣が今国会で法制化を目指す「高度プロフェッショナル労働制」は、メディアによって呼び方がまったくちがいます。ある新聞は「脱時間給制度」、別の新聞は「残業代ゼロ制度」で、この3つが同じ法案だということを知らないひとも多いでしょう。

このなかでもインパクトが大きいのは「残業代ゼロ」で、働いてもお金がもらえないのなら、そんな法律を支持するひとがいるわけはありません。これは「人種差別法案」とか「戦争参加法案」と同じで、最初に問答無用で否定的なレッテルを貼り、議論そのものを拒絶する典型的なプロパガンダの手口です。

不思議なのは、「残業代ゼロ」を旗印にこの法案を強く批判する新聞社が、従軍慰安婦問題や原発報道でトラブルを起こし、今後は「中立公正な立場」で報道すると紙面で宣言していることです。「残業代ゼロ」という決めつけに対しては、法案の作成にかかわった経済学者などから「あまりにも偏向して不公正」と抗議されていますが、それとこれとは別なのでしょうか。

さらに困惑するのは、「残業代ゼロ」制度を「問題なのは残業代が出ないことではなく、長時間労働に歯止めがきかなくなることだ」と批判していることです。これではますます論点がわからなくなるばかりで、「過労死法案」とでもしたほうがよほどすっきりします。

「高度プロフェッショナル」は年収1075万円以上という要件ばかりが強調されますが、これは本来、社内弁護士や社内会計士など専門的な資格・技能を持つスペシャリストを想定しています。彼らは「会社に所属している自営業者」ですから、報酬が青天井で転勤など人事異動の対象にならない代わりに、働き方は自分で管理し、会社が要求する成果を達成できなければ職を失うことになります。自営業者に収入の保障などないことを考えれば、これは当たり前の話です。

それに対して「正社員」という日本独特の職業身分では、定年までの雇用保障と引き換えに、会社はどのような理不尽な要求をしても許されることになっています。日本では労使協定で事実上無限定の時間外・休日労働が認められていますが、グローバルスタンダードの労働基準ではこれは明らかな違法行為です。そのため日本は、ILO(国際労働機関)の労働時間関係条約をひとつも批准できません。

日本人の長時間労働は終身雇用・年功序列の日本的雇用の悪弊で、「残業代ゼロ」制度とはなんの関係もありません。同じサラリーマンでありながら、一部の人間が「プロフェッショナル」として高給を得ることに嫉妬するひとが批判しているのでしょう。

日本では一部のブラック企業だけでなく、いたるところでサービス残業という名の「残業代ゼロ」すなわち無給の“奴隷労働”が蔓延しています。日本のマスコミでも、サービス残業のないところなどありません。

この話がグロテスクなのは、「残業代ゼロ」で働いているひとたちが、「残業代ゼロ」法案を批判していることです。それよりさらにグロテスクなのは、本人がそのことに気づいていないらしいことです。

サービス残業は「現代の奴隷制」ですから、それを一掃するには経営者に懲役刑を科せばいいだけです。こういう当たり前の主張をする「リベラル」が日本にいないのは、みんな奴隷労働が好きだからなのでしょう。

参考:濱口桂一郎「適切な規制で選択多様に」(日経新聞2015年3月23日朝刊「経済教室」)

『週刊プレイボーイ』2015年4月27日発売号
禁・無断転載