「女性が活躍する社会」をつくるミラクルな方法 週刊プレイボーイ連載(318)

男性と女性のあいだの格差を測るジェンダーギャップ指数で、日本は世界111位から114位へと最低を更新しました。「基準がおかしい」との不満はあるでしょうが、日本は世界でもっともゆたかな国のひとつであるにもかかわらず、先進国ではダントツ最下位でインドや中国よりも下というのはいくらなんでも異常です。

なぜこんなヒドいことになるのでしょうか。

ジェンダーギャップ指数は、「教育」「医療」「経済(働き方)」「政治」の4分野で男女の格差を評価します。日本は「教育」と「医療」では北欧などと遜色ありませんが、「経済」と「政治」の2分野の評価が極端に低いことが惨憺たる結果につながっています。

「経済分野」では男性と女性の賃金格差が大きいことと、女性管理職の割合が少ないことが大きな問題です。日本では子どもを産んだ女性の離職率が高く、再就職しようとしてもパートや派遣など非正規の仕事にしか就けません。

「日本は学歴社会」と思われていますが、日本の会社では高卒の男性の7割が管理職になるのに対し、大卒女性はわずか2割です。こんな先進国は他になく、日本では学歴より性別が重視されています。これは「性差別」そのものですが、日本政府や企業・労働組合はこれまで必死になってこの不都合な事実を隠蔽してきました。

「政治」分野の成績が悪いのは、女性の政治家の数が極端に少ないからです。安倍政権は次々と女性を大臣に登用しては失敗していますが、これは女性が政治に向いていないからではなく、人材プールがあまりにも小さいからでしょう。それでも国会は女性の政治家がいるだけまだマシで、地方議会は「女性ゼロ」が2割もあるというさらにヒドいことになっています。

こうした現状を変える“即効薬”と期待されるのがクオータ(割り当て)制です。「議会の半数は女性にする」と問答無用で決めてしまえば、ジェンダーギャップ指数は劇的に改善するでしょう。

もちろんこれには、さまざまな批判が予想されます。「有権者が自由な投票で政治家を選ぶのだから、そこにジェンダーをもちこむのは逆差別だ」というのは一理あります。

仮にクオータ制を導入するなら、みんなを納得させる証拠がなければなりません。だったらそれを探してみようという実験がインドで行なわれました。

女性の地位の低さが深刻な問題になっている西ベンガル州で、ランダムに選んだ村に「議会の3分の1は女性でなければならない」「議長は女性でなければならない」というルールを課し、これまでと変わらない男性中心の村と比較しました。

その結果はというと、残念なことに、クオータ制でも男性の女性に対する偏見はまったく変化しませんでした。しかし同時に、興味深い発見もありました。女性の議長を体験した村では、ひとびとは女性が指導者として無能だとは思わなくなったのです。男性の有権者は女性の演説をあいかわらず低く評価しましたが、以前よりもずっと女性候補者に投票するようになりました。

これはもちろんインドの話で、日本にそのまま当てはまるとはいえません。しかし「男女格差で世界最底」のレッテルを払拭したいのなら、同じような実験をやってみてもいいかもしれません。

参考:エステル・デュフロ 『貧困と闘う知――教育、医療、金融、ガバナンス』

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ゴマはすればするほど得をする 週刊プレイボーイ連載(317)

お話の世界では、努力は報われ、正直者は幸福になり、正義は最後に勝つことになっています。しかし、現実はどうでしょうか。

アメリカの研究者が調べたところ、職場では仕事を頑張るより上司の評価を「管理」したほうが、より高い勤務評価を得ていました。評価の管理とは、ようするに“おべっか”のことです。

もちろん、どんな組織にもゴマすりはいます。「そんな奴はみんなから嫌われるから、最後は失敗するにきまってる」と思うかもしれません。しかしこれも、調べてみた研究者がいます。すると驚いたことに(まあ、驚かないひともいるかもしれませんが)、どれほど見え透いたお世辞であっても、ゴマすりが逆効果になる限界点はありませんでした。ゴマはすればするほど得になるのです。

こうして研究者は、次のように結論しました。

「上司を機嫌よくさせておけば、実際の仕事ぶりはあまり重要ではない。また逆に上司の機嫌を損ねたら、どんなに仕事で業績をあげても事態は好転しない」

ことわっておきますが、これは「成果主義」「実力主義」の代名詞になっているアメリカ企業の話です。

さらに不愉快な研究もあります。アメリカのビジネス専門誌の調査では、同調性の低い人間のほうが、同調性の高い人間より年収が1万ドル(約110万円)も多くなりました。「同調性が低い」というのは、利己的で他人のことなどどうでもいいと思っている、ということです。組織においては、上司にゴマをすりつつ、自分勝手に昇給を要求することが成功の秘訣なのです。

しかしこれでは、善人は報われないのではないでしょうか。残念ながらそのとおりです。

私たちが他人を評価するとき、その80%は「温かさ」と「有能さ」という2つの要素で決まります。問題なのは、この2つが両立しないと見なされていることです。

親切なのはよいことですが、あまりに親切すぎると「無能」の烙印を押されます。逆に傲慢で嫌な奴ほど、第三者にとっては有能で権力があるように映ります。その結果、企業のCEOには常軌を逸して嫌な奴、すなわちサイコパスの比率が高くなります。彼らはみんなのために必死に働くのではなく、組織のなかで権力を握ることだけに全精力を注ぐのです。

これがすべて事実なら、善人は救われないと思うでしょう。これもそのとおりで、職場での冷遇は、肥満や高血圧以上に心臓発作のリスクを高めることがわかっています。

東芝、日産、神戸製鋼から東レまで、日本を代表する企業の不祥事がつづいています。国会では、“モリカケ”問題で官僚が冷や汗をかきながら答弁しています。いつから日本人はこんなに無様になったのか。目の前に不正があるのなら、一身を賭して真実を暴き、悪を掣肘すべきではないのか。そんな怒りにふるえるひともいるかもしれません。

でも、彼らはみんな“宮仕え”の身です。アメリカ以上にベタなムラ社会である日本の会社や官庁に、硬骨漢や正義の士がはたして何人いるでしょうか。

忖度できるひとしか出世しないのなら、忖度が得意なひとがどこにでも現われるのは当たり前の話です。

参考:エリック・バーカー『残酷すぎる成功法則』(飛鳥新社)

『週刊プレイボーイ』2017年12月11日発売号 禁・無断転