ゴマはすればするほど得をする 週刊プレイボーイ連載(317)

お話の世界では、努力は報われ、正直者は幸福になり、正義は最後に勝つことになっています。しかし、現実はどうでしょうか。

アメリカの研究者が調べたところ、職場では仕事を頑張るより上司の評価を「管理」したほうが、より高い勤務評価を得ていました。評価の管理とは、ようするに“おべっか”のことです。

もちろん、どんな組織にもゴマすりはいます。「そんな奴はみんなから嫌われるから、最後は失敗するにきまってる」と思うかもしれません。しかしこれも、調べてみた研究者がいます。すると驚いたことに(まあ、驚かないひともいるかもしれませんが)、どれほど見え透いたお世辞であっても、ゴマすりが逆効果になる限界点はありませんでした。ゴマはすればするほど得になるのです。

こうして研究者は、次のように結論しました。

「上司を機嫌よくさせておけば、実際の仕事ぶりはあまり重要ではない。また逆に上司の機嫌を損ねたら、どんなに仕事で業績をあげても事態は好転しない」

ことわっておきますが、これは「成果主義」「実力主義」の代名詞になっているアメリカ企業の話です。

さらに不愉快な研究もあります。アメリカのビジネス専門誌の調査では、同調性の低い人間のほうが、同調性の高い人間より年収が1万ドル(約110万円)も多くなりました。「同調性が低い」というのは、利己的で他人のことなどどうでもいいと思っている、ということです。組織においては、上司にゴマをすりつつ、自分勝手に昇給を要求することが成功の秘訣なのです。

しかしこれでは、善人は報われないのではないでしょうか。残念ながらそのとおりです。

私たちが他人を評価するとき、その80%は「温かさ」と「有能さ」という2つの要素で決まります。問題なのは、この2つが両立しないと見なされていることです。

親切なのはよいことですが、あまりに親切すぎると「無能」の烙印を押されます。逆に傲慢で嫌な奴ほど、第三者にとっては有能で権力があるように映ります。その結果、企業のCEOには常軌を逸して嫌な奴、すなわちサイコパスの比率が高くなります。彼らはみんなのために必死に働くのではなく、組織のなかで権力を握ることだけに全精力を注ぐのです。

これがすべて事実なら、善人は救われないと思うでしょう。これもそのとおりで、職場での冷遇は、肥満や高血圧以上に心臓発作のリスクを高めることがわかっています。

東芝、日産、神戸製鋼から東レまで、日本を代表する企業の不祥事がつづいています。国会では、“モリカケ”問題で官僚が冷や汗をかきながら答弁しています。いつから日本人はこんなに無様になったのか。目の前に不正があるのなら、一身を賭して真実を暴き、悪を掣肘すべきではないのか。そんな怒りにふるえるひともいるかもしれません。

でも、彼らはみんな“宮仕え”の身です。アメリカ以上にベタなムラ社会である日本の会社や官庁に、硬骨漢や正義の士がはたして何人いるでしょうか。

忖度できるひとしか出世しないのなら、忖度が得意なひとがどこにでも現われるのは当たり前の話です。

参考:エリック・バーカー『残酷すぎる成功法則』(飛鳥新社)

『週刊プレイボーイ』2017年12月11日発売号 禁・無断転

「とりあえず謝っとけ」文化がクレーマーを生む? 週刊プレイボーイ連載(316)

モンスター・クラアントやカスタマー・ハラスメントが社会問題になっています。流通や小売業の労組UAゼンセンのアンケートによれば、「お前はバカか」「死ね、やめろ」などの暴言を浴びせられ、説教が3時間つづいたケースもあるそうです。ここまでいくと常軌を逸しており、災難にあったひとには同情するほかありません。

こうしたトラブルの原因は、日本のサービス業が“おもてなし”至上主義で「お客さまは神様」といいすぎたからだとされます。IT化で仕事の内容が高度化し、ミスが増えたり、顧客が説明を理解できなかったりすることもあるでしょう。とはいえ、非が顧客にあることが多いとしても、謝罪についての日本の文化が問題をこじらせている面もありそうです。

7~8年前のことですが、ひょんなことから知人のオーストラリア人と大手損保会社とのもめ事に巻き込まれました。オートバイを運転中に乗用車と接触事故を起こしたのですが、それが高級車(マセラッティ)だったため、損保会社の担当者から自損自弁を強く勧められているというのです。この件は本に書きましたが(『臆病者のための裁判入門』)、担当者は実は、相手が事情のよくわからない外国人なのをいいことに、保険金を支払うのを嫌って勝手に事故を処理していたのです。

私は知人に頼まれて、通訳兼代理人として損保会社と交渉したのですが、当初は自らの非を認めて(言い逃れのしようのない不祥事なのです)ひたすら謝罪するのですが、そのうちだんだん雲行きがあやしくなってきました。最後は本社の部長まで出てきて「たいへんご迷惑をおかけしました」と深々と頭を下げるのですが、それだけなのです。

オーストラリア人の彼にとっては、謝罪と賠償(責任)は一体のものです。「謝ったけどなにもしない」というのはまったく理解できません。そのことを指摘すると、損保会社の弁護士は「これで納得できなければ裁判でもなんでもやってください」といいました。

仕方がないので自分たちで裁判して、2年半かけて東京高裁で20万円の和解に漕ぎつけたのですが、裁判では損保会社の態度は180度変わって、私たちは「法外な賠償金目当てで悪質」と非難されました。「お客さま」から一転して「クレーマー」扱いされることになったのです。

この貴重な体験からわかったのは、日本の会社のトラブル処理の基本は、相手があきらめるまでひたすら謝り倒すことだということです。それに納得しないと、こんどは逆ギレして自分たちが被害者のようにいいはじめます。これでは解決できるものもどんどんこじれていくのは当然です。

しばしば指摘されるように、アメリカでは謝罪が裁判で不利な証拠として扱われるので、どんなに非があってもぜったいに謝りません(最近はすこし変わってきたようですが)。それに対して日本では、「謝罪はタダ」でとにかく頭を下げますが、それ以上なにもしようとはしません。

どちらも一長一短ですが、顧客の怒りを誘発するのは、この「とりあえず謝っとけ」文化にも理由があるのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2017年12月4日発売号 禁・無断転

第72回 パラダイス文書、守秘はどこへ(橘玲の世界は損得勘定)

鳴り物入りで報道が始まったパラダイス文書だが、エリザベス女王やロス米商務長官の名前が出たもののその後は失速気味だ。

日本では鳩山元総理や有名マンガ家の関与が報じられたが、記事を読むと、名誉会長に就任した香港の上場企業がたまたまバミューダ籍だったとか、節税目的で不動産リースの投資事業組合に出資したところ、その組合がたまたまバミューダに設立されていた(おまけにその節税スキームは国税庁に否認され、出資者は追徴課税された)とかで、本人がタックスヘイヴンを悪用して違法な税逃れをしたという事実はない。

こんなことになる理由のひとつは、パナマ文書とは異なり、文書が流出したのがバミューダを拠点とする法律事務所だったからだろう。カリブ海のバミューダ諸島はイギリスの海外領土だが、ニューヨークからは飛行機でわずか2時間の距離。通貨バミューダ・ドルは米ドルと等価で、経済を支えるのは米国からの観光客だ。実態はアメリカの「経済領土」という豆粒のような島が、「主権」を盾に米司法・税務当局の圧力に抵抗できるとも思えない。

タックスヘイヴンとしての守秘性が覚束ないなら、法律事務所はトラブルになりそうな顧客との関係を避けようとするだろう。脱法行為をたくらむ側も、そんな場所にあやうい情報を預けようとはしないはずだ。こうして、「大山鳴動して鼠一匹」になる。

もうひとつの理由は、度重なる情報流出によって、タックスヘイヴンの利用者が対策を立てているからだろう。

2008年には、リヒテンシュタインの大手銀行LGTの元行員がドイツ当局に顧客情報を約8億円で売り渡した。09年には、そのことを知ったスイス・ジュネーヴのHSBCプライベート・バンキング部門の元行員が、12万7000件の顧客情報を盗み出し、フランス・イタリア・スペインなどの司法・税務当局に提供した。

「スイスリークス」と呼ばれたこの事件では、主謀者は金銭的な見返りを得られなかったが、ICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)が口座情報の一部をインターネット上に公開したことで「脱税のスノーデン」と呼ばれる“ヒーロー”に祭り上げられた。また08年にはプライベートバンク最大手UBSの米国部門トップが脱税ほう助の疑いで身柄を拘束され、情報提供した元行員にはその後、約140億円もの報奨金が支払われた。パナマ文書以前に、すでにタックスヘイヴンの「守秘性神話」は崩壊していたのだ。

経済のグローバル化によってタックスヘイヴンを利用する取引は増えていくが、その大半は合法的なものだ。来年からは、日本や香港、シンガポールなどが参加するCRS(国際的な口座情報自動交換制度)の運用が本格化する。ICIJはタックスヘイヴンに関与した膨大な個人情報をインターネットで一方的に公開しているが、わずかな「不正」を暴くためにこうした手法が正当化できるのか、いずれ問われることになるだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.72『日経ヴェリタス』2017年11月25日号掲載
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