人生をリセットするボタンがあれば… 週刊プレイボーイ連載(315)

どんなロールプレイングゲームにもリセットボタンがついているのに、いちばん面倒なゲームである「人生」にリセットボタンがないのは理不尽だ。いまから四半世紀も前にこんな主張をした本が、10代や20代の若者たちの圧倒的な支持を受けてミリオンセラーになりました。服薬から首吊り、投身、自刃、焼身、餓死までさまざまな自殺の方法を紹介した『完全自殺マニュアル』は一部で有害図書に指定されるなど物議をかもしましたが、この本で若者の自殺が急増するような事態は起きませんでした。読者は自殺に興味はあっても、実際に死のうとは思わなかったのです。

いまもむかしも、自我が不安定な若者が「死」という未知の体験に引きつけられるのは同じです。といっても、若者の自殺率がもっとも高かったのは日本が戦争へと突入していく1940年前後で、近年の特徴は40代、50代男性の自殺が増えていることです。これは、自殺が経済的要因に強く影響されることを示しています。男は打たれ弱いので、バブル崩壊後のリストラで失業率が上昇するとそれに応じて自殺者が増えていきます。人手不足で失業率が下がるにつれて自殺者が減ったのも同じ理由でしょう。それに対して女性の自殺率は、経済要因にほとんど影響されません。

座間で起きた猟奇殺人の被害者の多くは、追い詰められていたというよりも、死についてのロマンチックな願望を共有する相手を探していたのでしょう。とはいえ、ふつうは身近にそのような都合のいい人物がいることはなく、ラノベやアニメ、マンガなどが代替してきました。

ところがSNSは、こうしたヴァーチャルな体験をリアルな出会いに変えることができます。そしてサイコパスは、このネットワークツールを利用することで、“ダークな”ロマンスに憧れる若い女性をきわめて効率的に誘惑することができたのです。

産業革命に始まるさまざまなイノベーションは人類の生活水準を大きく改善してきましたが、新しいテクノロジーが登場すればかならずそれを悪用する人間が出てきます。人種や宗教、国籍にかかわりなくひとびとをつなげ、よりよい世界をつくるというフェイスブックの高邁な理想が、フェイクニュースの温床となって極右の台頭やトランプ大統領を生み出したのもそのひとつです。

現代の進化論によれば、ヒトの脳にプレインストールされているOS(基本プログラム)は旧石器時代とほとんど変わりません。私たちが求める幸福や愛情は、原始人と同じなのです。それにもかかわらず、科学技術の進歩によって環境だけが急速に変わっていきます。これでは多くのひとが適応不全におちいるのも当然です。

AI(人工知能)の実用化が現実味を帯びてきたことで、環境の変化は今後さらにはげしくなっていくでしょう。サイコパスは社会のなかにつねに一定数存在するのですから、今回のような猟奇事件がいつまた起きても不思議はありません。

もっとも、「人生をリセットするボタン」が発明されれば別かもしれませんが。

『週刊プレイボーイ』2017年11月27日発売号 禁・無断転載

専業主婦は2億円損をする 週刊プレイボーイ連載(314)

日本はこれからどんどん「格差社会」になっていきます。しかしこれは、一部のひとがいうような「グローバル資本主義の陰謀」というわけではありません。

いちばんの原因は高齢化です。大学生の頃は貯金などないのが当たり前でも、その後の人生の有為転変のなかで、ゆたかな暮らしを手に入れるひとと零落するひとに分かれていきます。「陰謀」などなくても、社会が高齢化すれば自然に格差は開いていきます。

それに加えて「人生100年」の時代では、ずっと働きつづけるひとと、60歳(あるいは65歳)で定年という“強制解雇”を迎えるひとのあいだで大きな格差が生じます。年収200万円でも60歳から80歳まで20年間働けば4000万円になり、「(100歳までの)老後」は40年から20年に縮まるのですから、「生涯現役」の経済効果はとてつもなく大きいのです。

安倍政権の「人生100年時代構想」の影響もあって、この不愉快な現実をひとびとはしぶしぶ認めるようになりましたが、いまだにちゃんと理解されていないのが「専業主婦は敗者の戦略」ということです。

経済学では労働市場から収益を得るちからを「人的資本」と呼び、「金融資本」と並ぶ富の源泉としていますが、専業主婦は20代後半、あるいは30代前半でこの人的資本を放棄してしまいます。大卒女性の平均的な生涯収入は2億円ですから、彼女たちは(そして妻に専業主婦を望む夫たちも)2億円をドブに捨てていることになります。それにもかかわらず、「お金がない」といって(当たるはずのない)宝くじ売り場に並ぶのでは、なにをやっているのかわかりません。

最近は、子育てが終われば働きはじめる母親が増えてきました。しかしそのほとんどは非正規の仕事で、正社員としてキャリアを積み上げてきた女性の収入とは比べものになりません。こうして、キャリアと非正規や専業主婦との「女性格差」も広がっていくでしょう。

さらに問題なのは、専業主婦の夫の多くがサラリーマンで、60歳で“強制解雇”されてしまうことです。そうなると夫婦ともに人的資本はゼロなのですから、あとは乏しい年金を分け合うしかありません。「カネの切れ目が縁の切れ目」というように、夫の退職後、お金をめぐって夫婦仲が険悪になり熟年離婚に至るケースはますます増えるでしょう。

そう考えれば、日本の未来に待ち構えている「超格差社会」がどのようなものかがわかります。それは、子どもが生まれても妻が仕事を続け、夫婦ともに専門知識や経験を活かして定年後も収入を得る「生涯共働き」の家庭と、老後破産の恐怖に脅える人的資本のない高齢者世帯のあいだにとてつもない「経済格差」が生じる社会のことなのです。

経済合理的な生き方はどこでも同じで、欧米諸国は先行して「共働き」と「生涯現役」が当たり前になっています。これはすこし考えれば誰でも気がつく1+1=2のような話ですが、日本では不思議なことに誰も指摘しないので『専業主婦は2億円損をする』(マガジンハウス)で書きました。将来を真剣に考えるならぜひご一読を。

『週刊プレイボーイ』2017年11月20日発売号 禁・無断転載

デモクラシーはポピュリズムの暴発を防ぐためのコスト? 週刊プレイボーイ連載(313)

世界有数の観光地バルセロナのあるカタルーニャ州の独立問題でスペインが混乱しています。10月1日に行なわれた独立の是非を問う住民投票で9割を超える賛成を得た(ただし半数は棄権)ことでプッチダモン州首相は「カタルーニャ共和国」の独立宣言に署名、州議会で賛成多数で可決されましたが、住民投票自体が憲法裁判所で差し止められており、中央政府は州政府幹部を更迭し直接統治を行なうことを決めました。プッチダモン州首相は国家反逆罪や扇動罪で起訴され、州政府幹部とともにベルギーに脱出しました。

イラクのクルド人自治区でもほぼ同じ頃、独立分離の是非と問う住民投票が行なわれ、9割以上が独立に賛成しました(2017年9月25日)。クルド人は2500万~3000万人がイラク、イラン、トルコ、シリアに分かれて暮らし、「独自の国家をもたない世界最大の民族集団」とされています。クルド国家ができることは周辺諸国にも甚大な影響を与えるため、イラク政府は原油の生産拠点であるキルクークに軍隊を送って奪取し、トルコ政府はクルド地区から原油を送り出すパイプラインを遮断するとして圧力をかけました。これによって自治区の経済は混乱し、独立運動を主導してきたバルザニ議長が辞任を余儀なくされました。

スペイン政府がカタルーニャの独立を認めないことは最初からわかっていましたが、プッチダモン州首相は住民投票で独立派が圧勝すればEUが仲介に乗り出すとの“期待”を繰り返していました。しかしスペイン以外にもイタリア(北部地域)やベルギー(フランドル)などでやっかいな独立運動を抱えるEUがカタルーニャ側に立って介入できるはずはなく、「独立」の熱気が冷めればどこからも支援を受けられない現実がはっきりしました。

クルド自治区のバルザニ議長は、イラクやシリアでのIS(イスラム国)掃討作戦で、軍事組織ペシュメルガが米軍に協力して大きな成果をあげたことで、住民投票で圧倒的多数が独立を望んでいることがわかれば、「民主主義の擁護者」であるアメリカがイラク政府との交渉を仲介してくれるとの“希望”を振りまいていました。ところがトランプ政権は住民投票の実施にすら反対し、イラク軍によるクルド自治区への攻撃も容認しました。

とはいえ、カタルーニャ州のプッチダモン首相やクルド自治区のバルザニ議長を一方的に断罪するのは公正とはいえません。イギリスのEU離脱を決めた2016年6月の国民投票では、離脱派の圧力によってキャメロン首相には選挙以外の選択肢はありませんでした。これはカタルーニャ州やクルド自治区も同じで、ひとびとの独立への期待が高まるなか、評論家のように「そんなことできるわけない」といっていてはたちまち権力の座を追われてしまうでしょう。彼らはポピュリズムを煽ったかもしれませんが、ポピュリズムに抗することもできなかったのです。

イギリスのEU離脱交渉が混迷を深めているように、一時の激情で決めた判断はたいていうまくいかず、リアリストの主張が正しいことが証明されます。デモクラシー(民主政)というのはポピュリズムの暴発を防ぎ、莫大なコストをかけてひとびとに苦い現実を受け入れさせていく手続きなのかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2017年11月13日発売号 禁・無断転載