「働き方改革」の第二章は「解雇自由化」 週刊プレイボーイ連載(325)

「働き方改革」で政府は、同一労働同一賃金の実施を当初案から1年遅らせて、大企業は20年度、中小企業は21年度からにする方針とのことです。同じ仕事をしているのに待遇が異なるのは「身分差別」で、それを解消するのになぜ2年も3年も待たなくてはならないのかわかりませんが、「差別」の存在すら認めなかったことを思えば大きな前進です。それに対して、専門職に成果給を導入する「高度プロフェッショナル(高プロ)制度」は予定どおり19年4月からになりそうです。

ほとんど理解されていないようですが、これらの法律が厳密に適用されると「日本的雇用」は根底から覆ります。

いまは「正社員への特別手当を非正規にも払え」というレベルの話ですが、すぐに「なぜ正社員は社宅に入居できて非正規は拒否されるのか」「親会社からの出向と子会社の社員で給与がちがうのは違法だ」という話になっていくでしょう。「一般職」を女性限定で募集するとか、「現地採用」の外国人社員を「本社採用」の日本人と区別することももちろん許されません。

同一労働同一賃金を徹底した北欧では、社宅や住宅手当はもちろんボーナスや退職金もなく、フルタイムでもパートタイムでも平等に時給換算されます。日本でも事務系の仕事は早晩、正規・非正規の区別がなくなり、先進国ではありえないほど劣悪な非正規のステイタスが上がり、ありえないほど恵まれている正社員(サラリーマン)のステイタスが下がることで「平等」が実現されるでしょう。

バックオフィスは時給仕事ですから、サービス残業は「奴隷労働」以外のなにものでもありません。残業代を払ったからといって無制限に働かせていいわけではなく、労働時間の上限規制も必要でしょう。会社の都合で一方的に解雇(雇止め)にされるのは生活権の侵害で、リストラは金銭的な補償を含む厳格なルールの下に行なわれるべきです(ただし、会社が「終身」雇用を約束する義務はないでしょう)。

それに対して専門職(高プロ)は、「会社の屋号を借りた自営業者」です。この法案に「残業代ゼロ」のレッテルを貼って反対するひとたちがいますが、自営業に残業代などないのですからこれは当然のことです。その代わり成果給は青天井で、大きな利益をあげれば社長の給与を上回ることもあります(欧米では珍しくありません)。

「高プロは残業に上限がなく過労死の危険がある」というひともいますが、いい歳をした大人が仕事時間くらい自分で管理できなくてどうするのでしょうか。これでは、「私はバカなのでどうか面倒みてください」といっているのと同じです。高プロの仕事は成果のみで評価し、会社が働き方に介入しないよう決めておけばいいだけです。

そして、もうひとつ大事なことがあります。報酬が青天井ということは、契約時にお互いが合意した目標に成果が達しなければ解雇されても文句はいえない、ということです。これも、自営業者に雇用保障などないことを考えれば当たり前の話です。

流動性の高い労働市場では、専門職はよりよい条件で他の会社に移っていきます。これに反対するひとはいないでしょうが、それは(成果を理由にした)専門職の解雇自由化とセットです。これが、「働き方改革」の第二章になるのです。

『週刊プレイボーイ』2018年2月19日発売号 禁・無断転

第74回 年金受給繰下げて生涯現役(橘玲の世界は損得勘定)

政府は、公的年金を受け取る年齢を70歳超まで先送りできる制度の検討を始めたという。現在は原則65歳が受給開始で、前後5年間の調整が認められている。これが年金受給の繰上げと繰下げだが、知りたいのは「どっちが得か?」だろう。

現行制度では、65歳より早く受給する場合は1カ月あたり0.5%ずつ減額され、遅く受給する場合は0.7%ずつ増額される。だがこれだけではすぐに損得はわからない。

そこでここでは、受給開始年齢を変えても受給総額が同じになる「理論的に平等な国民年金」を考えみよう。

国民年金の満額支給は現在月額6万4941円で、65歳の平均余命は男19.55年、女24.38年だから、生涯に受け取る年金の期待総額は男1524万円、女1900万円になる。60歳の平均余命は男23.67年(女28.91年)、70歳では男15.72年(女19.98年)だが、どちらを選んでも生涯で受け取る年金額を等しくするのだ。

この計算は表計算ソフトを使えばかんたんにできる。以下、論旨は変わらないので男のみを例に挙げる。厚生年金でも結論は同じだ。

年金を60歳で繰上げ受給し、総額が65歳受給と等しくなる受給額は月額5万3637円で17.4%減になる。一方、70歳まで繰下げた場合は8万763円で24.4%増だ。

それに対して現行制度では、受給を60歳に繰上げると月額4万5459円で30%減、70歳まで繰下げると9万2217円で42%増になる。このことからわかるように、「理論的に平等な受給額」に対して、繰上げはかなりのペナルティが課せられ、繰下げにはプレミアムが上乗せされている。そのうえ繰上げ需給には障害基礎年金を請求できないなどの制約があるから、(平均余命まで生きることを前提にすれば)受給開始を繰上げるのは損で、繰下げはかなり有利だ。

それでは、このまま受給を繰下げていったらどうなるだろう。現行の上乗せ率(0.7%)で試算すると、75歳で11万9493円、80歳で14万6769円になる。報道では70歳超の部分は上乗せ率をより高くするというから、実際はこれより多くなるだろう。

さらにこのまま受給開始を繰下げていくと85歳で17万4045円、90歳で20万1320円になる。だがこのあたりから理論値との逆転が起こり、90歳男性の平均余命4.28年で試算すると、受給額は月額30万円に達するはずだ。

年金の繰下げ受給の有利さが周知されれば、日本人の働き方に大きな変化が起きるだろう。超高齢社会でひとびとの不安は「長生きしすぎること」に変わったが、生涯現役ならそのぶん老後が短くなり、年金受給額が増える。そう考えれば、繰下げを80歳に止めるのではなく、90歳にしたっていいのではないか。

「その前に寿命がきたら無駄になる」というかもしれないが、死んだあとのことまで心配しても仕方がない。長く働き、たくさん年金をもらい、平均余命まで生きられなかった分は国庫に返納する。早晩、そんな人生設計が当たり前の時代がくるのではないだろうか。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.73『日経ヴェリタス』2018年2月11日号掲載
禁・無断転載

保守思想家はなぜ「溺死」しなければならなかったのか? 週刊プレイボーイ連載(324)

保守思想家の西部邁さんが78歳で亡くなりました。発見されたのは多摩川で、河川敷には遺書らしきメモが残されていたといいます。編集者時代に何度かインタビューさせていただいたことがあり、教師としてはきびしい方だったようですが、私のような若輩者の門外漢にはとても丁寧な受けこたえで、腰の低いやさしいひとでした。

しかしここで書きたいのは、西部さんの思想家としての評価ではありません。

オランダ・ユトレヒトで数学教師をしていたウィル・フィサー氏は、65歳のときに左顎骨周辺の扁平上皮がんと診断されます。病気の進行は早く、がんが咽喉部分まで広がり激痛とともに呼吸困難な状態に陥ったとき、彼は「僕が死ぬ日にパーティしよう!」といいます。

パーティには身内14人と友だち12人が集まり、誕生会のような和気あいあいとした雰囲気で、全員がシャンパンを持ちウィルが乾杯の音頭をとりました。その後、病気になってから止めていた大好物の葉巻を1本巻き、火をつけて煙をそっと肺のなかに吸い込むと、「じゃあみんな、僕はこれからベッドに行って死ぬ。最後までパーティを楽しんでくれ。ありがとう」と別れの挨拶を告げました(宮下洋一『安楽死を遂げるまで』小学館)。

驚くような話ですが、オランダではこれは珍しい光景ではありません。

安楽死についての議論がオランダで始まったのは1970年代で、2001年4月には「要請に基づく生命の終焉ならびに自殺幇助法(安楽死法)」が成立、「患者の安楽死要請は自発的」「医師と患者が共にほかの解決策がないという結論に至った」など6つの要件を満たせば、自殺を幇助した医師は送検されないことになりました(それ以前は、いったん送検されたあと、要件を満たせば無罪とされた)。その結果、いまではオランダの全死因の4%が安楽死になっています。

ひるがえって、日本はどうでしょう。

じつは日本でも1976年に日本安楽死協会が設立され、積極的安楽死の法制化を目指しましたが、高名な作家などが「安楽死法制化を阻止する会」を結成して徹底的に批判したため頓挫し、無用な延命治療を中止するリビング・ウィルの普及に趣旨が変わりました。そのため、積極的安楽死を望むひとたちは縊死、墜落死、溺死、轢死などを選択するほかなくなりました。そのなかでも広く行なわれているのが「絶食死」で、日本緩和医療学会の専門家グループによる実態調査では、終末期の患者に点滴や飲食を拒まれた体験をした医師は3割にものぼるといいます。

最近では、「自殺報道は自殺を誘発する」として事件を報じないことも増えてきました。これには一理ありますが、しかしそうすると、この国で「死の自己決定権」を望むひとたちが置かれた理不尽な状況が見えなくなってしまいます。

オランダの数学教師は家族や友人に囲まれた華やかなパーティで人生を終え、日本の高名な思想家はなぜ誰にも看取られず、真冬の多摩川で「溺死」しなければならないのか。

私たちはそろそろ、この問題についてちゃんと議論すべきではないでしょうか。

【追記】オランダでは近年、安楽死の概念が大幅に拡張されており、「死が避けられず、死期が迫っている」状況でなくても、「自殺願望を消す方法はなく、このままではより悲劇的な自殺をするだろう」と複数の専門家(医師・心理学者)が判断した場合は「平穏に自殺する権利」が認められている。

『週刊プレイボーイ』2018年2月13日発売号 禁・無断転