お役人は「規則」ではなく「前例」を守る 週刊プレイボーイ連載(330)

森友学園問題で朝日新聞の報道を「哀れですね」と嘲笑っていた安倍首相が、朝日新聞のスクープによって窮地に陥っています。「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と大見得を切った首相答弁に驚愕した財務省が公文書を大幅に改ざんしていたというスキャンダルは、首相の悲願である憲法改正を吹き飛ばしただけでなく、このままでは9月に予定されている自民党総裁選での3選も危うくなりそうです。

公文書改ざんが明らかになってから、官僚経験者らが「こんなことは考えられない」と口をそろえて解説しています。決裁文書を改ざんすれば刑法犯の虚偽公文書作成等の罪に問われかねず、優秀な官僚がそんな愚を冒すはずはないというのですが、はたしてこれはほんとうでしょうか。

官庁の情報隠しはこれまでも頻繁に起きてきました。すぐに思いつくものでも、防衛省が廃棄したとしていた南スーダンでの自衛隊の日報が再調査で発見されたり、加計学園の獣医学部新設をめぐって文部科学省が「総理のご意向」と書かれた文書の存在を否定したのち、追加調査で見つかった例などが思い浮かびます。こんなことがごく日常的に行なわれているのなら、そこから決裁文書の改ざんまではほんの一歩でしょう。

「官庁のなかの官庁」である財務省官僚は「規則を守る」倫理観が徹底されているとの声もありましたが、公文書改ざんは近畿財務局の一存で行なったことではなく、理財局を中心とした「組織犯罪」の疑いが濃厚になってきました。真相は検察の捜査を待たなくてはなりませんが、逮捕者が何人も出る事態は避けられそうもありません。

今回の「公文書改ざん事件」を理解するには、そもそも官僚は「規則」を守ったりしないと考えなければなりません。ではなぜ彼らがあんなに杓子定規かというと、「前例」に固執しているからです。お役人というのは、日々を大過なく過ごすためにすべてを前例どおりにやろうとする人種なのです。

規則はどんなことがあっても守らなければなりませんが、前例は守っても守らなくても構いません。平時には両者のちがいはほとんど見わけがつきませんが、異常なことが起きるとはっきりわかります。前例のない事態では、日本の官僚は保身のためにあっさり規則を無視するのです。

アメリカでは、トランプ政権がルールを踏みにじったことに抗議して官僚たちが次々と辞任しました。それに対して日本では、規則に反したことをさせられた末端の官僚が自殺してしまいます。

しかしこれは、アメリカ人が高潔で日本人が劣っているということではありません。トランプ政権に嫌気がさした官僚がさっさと辞表を出せるのは、次の仕事をかんたんに見つけられると思っているからでしょう。日本の官僚が「犯罪」に手を染めざるをえないのは、上司に背けば定年まで飼い殺しにされると思っているからです。労働市場の流動性がない社会では、どれほど優秀な「高級官僚」でも、理不尽な命令に奴隷のように従わざるを得ないのです。

その意味で今回の事件は、「組織」にしばられて生きていくほかはない日本社会の残酷さを象徴してもいるのです。

『週刊プレイボーイ』2018年3月26日発売号 禁・無断転

シリア内戦―過去の失敗に学ぶと子どもたちが死んでいく 週刊プレイボーイ連載(329) 

ひとは過去の失敗に学ぶことがあるのでしょうか?

5年ほど前に「シリア内戦―誰にも止められない殺し合い」という記事を書きました。宗教的少数派であるアサド政権は権力を失えば“皆殺し”にされることがわかっているので、神経ガスでもなんでも使って敵を“皆殺し”にするしかないという話で、実際、その後の展開は予想どおりになりました。

とはいえ、これは私に先見の明があったということではありません。中東に詳しい知人は、「専門家ならみんな知っていること」といっていました。

ところが不思議なことに、中東の専門家がたくさんいるはずのEUやヨーロッパ諸国は、「シリアを民主化する」という大義を掲げて自由シリア軍などに大量の武器を渡しました。これに対してロシアのプーチン大統領は、「権力の空白より独裁の方がはるかにマシだ」と警告しましたが、ヨーロッパの理想主義者たちはまったく耳を貸しませんでした。

その結果、混乱に乗じてIS(イスラム国)が勢力を伸ばし、シリア北部のラッカを首都に国家の樹立を宣言します。そこに白人を含む多くの若者たちが集まり、彼らがヨーロッパでテロを繰り返すようになって、「移民排斥」を叫ぶ極右が台頭することになります。

ISが暴虐のかぎりをつくすようになった原因はシリアの内戦なのですから、これを収束させるには大規模な地上軍を派遣するしかありません。しかしヨーロッパの政治家たちは、犠牲が避けられない軍事行動を決断できず、効果のない空爆をひたすらつづけるしかありませんでした。その結果、生活の糧を失ったひとびとが次々と故郷を捨て、ヨーロッパに殺到することになったのです。

これに驚いたEUは、シリア難民支援の名目でトルコに60億ユーロ(約7800億円)を支払うことで「防波堤」とし、現在は小康状態を保っています。トルコ国内の難民キャンプの環境は劣悪だといわれていますが、「人権」をなによりも重視するEU政府はこれを問題視したりはしません。トルコを怒らせ、難民がふたたび流入するようなことになるのを恐れているのです。

ロシアとイランの支援を受けて態勢を挽回したアサド政権は、首都ダマスカス近郊で大規模な空爆を行ない、子どもたちを含む多数の犠牲者が出ています。この事態に対しユニセフ(国連児童基金)は、「殺された子供たち、その父母、そして彼らが愛した人々のことを正しく言い表せる言葉がない」という一文のみの異例の声明を発表し、筆舌に尽くしがたい惨状への怒りを表現しました。

ところがここでも、EUはなんの行動も起こそうとしないばかりか、アサド政権への批判すら控えています。これは、シリア国内でどれだけ死傷者が出ようとも、アサド政権が権力を維持したほうが難民の発生を抑えられると考えているからでしょう。

残念なことに、ほとんどの場合、ひとは過去の失敗に学ぶことができません。しかしこれには例外もあって、ちゃんと学べることもあるようです。

『週刊プレイボーイ』2018年3月19日発売号 禁・無断転

「善意」のひとたちによって10万個の子宮が失われていく 週刊プレイボーイ連載(328)

2013年4月に子宮頸がんワクチンが定期接種になったあと、ワクチン接種が原因だとされる健康被害がテレビや新聞などで繰り返し報じられるようになりました。はげしく痙攣する少女や、車椅子姿で「元の身体に戻してほしい」と訴える女性を覚えているひとも多いでしょう。2016年7月には、「被害者」による世界ではじめての国家賠償請求訴訟も起こされました。

子宮頸がんはHPVウイルスの感染によって引き起こされる病気で、日本でも20代、30代を中心に増加しており、毎年3000人が生命を失い、子宮摘出が必要と診断される新規患者は年間約1万人にのぼります。子宮頸がんワクチンはこの感染症を予防できる画期的な新薬で、WHO(世界保健機関)は世界各国の政府に定期接種を強く勧告しています。

もちろん、どんなに効能のあるワクチンでも、強い副反応があるのなら接種を勧められません。ところが不思議なことに、日本にさきがけて子宮頸がんワクチンを定期接種にした諸外国では同様の健康被害は報告されていないのです。

子宮頸がんワクチンは世界約130カ国で承認され、71カ国で女子に定期接種、11カ国で男子も定期接種になっています(女性の多くが男性パートナーから感染するためです)。ところが日本は、世界で唯一、政府(厚労省)が「積極的な接種勧奨の一時差し控え」を行なっており、WHOから繰り返し批判されています。

この問題を追及したのが、医師で医療ジャーナリストでもある村中璃子さんで、その功績によって科学雑誌『ネイチャー』などが主催する2017年度のジョン・マドックス賞を与えられました。「公共の利益のために科学を広めたことへの貢献」を称えた栄誉ある賞ですが、この受賞を報じたメディアはほとんどありませんでした。その理由は、村中さんの『10万個の子宮』(平凡社)を読むとよくわかります。

「子宮頸がんワクチン問題」とは、「健康被害」の訴えを利用して、一部の医師・研究者や人権派弁護士、そしてメディアがつくりだしたものだったからです。

じつはすでに2015年に、名古屋市がワクチンの副反応を調べる7万人の疫学調査を実施しています。これは国政時代にサリドマイドやエイズなどの薬害の悲惨さを知った河村たかし名古屋市長が「被害者の会」の要望で実施したものですが、名古屋市立大学による検証結果は、「ワクチンを打っていない女性でも同様な症状は出るし、その割合は24症例中15症例で接種者より多い」という驚くべき内容でした。しかしこの科学的な証拠(エビデンス)は、「圧力」によって公表できなくなってしまいます。

村中さんは、国賠訴訟が決着するまで10年間、ワクチンの定期接種が再開されなければ、子宮頸がんによって10万人の女性の子宮が失われると警鐘を鳴らしています。優柔不断な対応で事態を悪化させた厚労省はもちろんですが、不安を煽ったメディアにも大きな責任があります。

煽情的な報道の結果、日本でのワクチン接種率は約7割から1%以下になってしまいました。とりわけ名指しで「誤報」を指摘された新聞社・テレビ局は、沈黙や無視ではなく、「10万個の子宮」を守るための行動が求められています。

『週刊プレイボーイ』2018年3月12日発売号 禁・無断転