第75回 「金融リテラシー」の虚実(橘玲の世界は損得勘定)

シェアハウスへの投資でトラブルが起きている。「30年家賃保証」「高利回り」「頭金ゼロ」などとうたう不動産業者から勧誘され、銀行から多額の融資を受けて物件を購入したところ、賃料の支払いが途絶えて借金だけが残った。被害者の多くは30代~50代で、子どもの教育費や定年後の暮らしが不安で投資話に手を出したのだという。

ゼロ金利の時代に、「利回り8~10%で30年間保証」などいうウマすぎる話があるはずがない。もしそれがほんとうなら、個人からお金を集めたりせずに、不動産開発業者が自分で銀行から融資を受けて経営すればいいだけの話だ。こんなことは子どもでもわかりそうなのに、なぜ騙されてしまうのだろうか。

無担保で1億円以上借りようとすれば、相当な信用力が必要だ。そのため投資話に騙されたのは、一流企業でそれなりの地位にある高収入のサラリーマンや医師が目立つという。

振り込め詐欺の被害者の多くは高齢者で、そのなかには認知症のひともいる。だがシェアハウス投資の特徴は、社会経験の豊富な中高年をターゲットにしていることだ。

投資詐欺の世界では、「自分に自信がある人間がいちばん騙しやすい」といわれている。経済的・社会的に成功したひとは、「ウマい話はない」と頭ではわかっていても、言葉巧みな詐欺話をかんたんに信じてしまう。なぜなら、「特別な自分には特別な出来事が起きて当たり前」だと(無意識に)思っているから。

目を閉じれば世界は消え、目を開ければ世界が現われる。「私が世界の中心だ」という錯覚はとてつもなく強力で、賢いひとほどこの罠にはまってしまうのだ。

もうひとつの理由は、自分に自信のあるひとは他人に相談しないからだ。「こんな話があるんだけど……」と上司や同僚に話していれば、「ちょっと変だから詳しく調べてみたら」とアドバイスしてもらえただろう。

それに加えて今回のトラブルでは、特定の地銀に融資が集中していることも問題になっている。報道では、仲介の不動産業者が顧客の通帳のコピーを偽造して預金残高をかさ上げし、融資を通していたケースもあるという。

頭金ゼロで1億円超もの融資をするのだから、担当者は本人と面談し、通帳は原本を確認するのが当然だ。そのうえこの銀行は、シェアハウスの投資家に定期預金と年利7.5%のフリーローンをセットで求めていた。これでは「利回り8%」がほんとうでも、ほとんど利益は残らないだろう。

この地銀は「個人向け不動産融資」の市場を開拓して高収益を上げているとして、金融庁の幹部から高く評価されていた。しかしいま、「新時代のビジネスモデル」は被害者から、「悪徳業者と結託していたのではないか」と批判されている。

行政や金融機関がこのレベルでは、投資家だけを責めても仕方ない。金融リテラシーの必要が叫ばれて久しいが、この国にはそんなものはどこにもなかったことがよくわかる。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.75『日経ヴェリタス』2018年4月1日号掲載
禁・無断転載

日本の大学やメディアが隠す「不都合な事実」 週刊プレイボーイ連載(331)

文科省主導の大学改革で、文学部などの人文科学系学部の「組織見直し」が掲げられ、大学教員らが強く反発しています。しかしこれは文科省の暴走というわけではなく、「教育による国際競争力の強化」を目指すのは先進諸国どこも同じで、日本はこのレースから大きく出遅れているというのが実情でしょう。

日本の労働生産性は先進国で最低で、日本のサラリーマンは過労死するほど働いてもアメリカの労働者の7割程度の利益しかあげられないという「不都合な事実」は、最近になってようやく認知されるようになりました。では、日本の研究者の生産性はどうなっているのでしょうか。

じつはここにも「不都合な事実」が隠されているようです。

オランダの学術出版大手エルゼビアが日本の研究活動を主要国と比較したところ、日本の官民合わせた研究開発投資の総額は米国と中国に次ぐ世界3位なのに、一定額あたりの論文数は主要9カ国で最低水準だとわかりました。1本の論文を書くのに、日本の研究者はカナダや英国の5倍以上の研究費を使っているのです。

なぜこんな悲惨なことになるのでしょうか。報告書は、「日本の研究者は日本国内にとどまりがちで、流動性の低さも問題だ」と指摘しています。先端研究では優れた研究者との国際共同研究が成果につながりやすく、各国とも積極的に海外との研究に乗り出しているのですが、日本の研究者は海外の研究者ネットワークに加われず、情報収集や共同研究で後手に回っているというのです。

大学に投入される研究費の多くは税金です。リベラルアーツの大切さを説くのもかまいませんが、その前に大学関係者は、研究開発投資がほんとうに有効に使われているのかを納税者に説明する重い責任を負っています。

じつはこれ以外にも「不都合な事実」はあります。

国連の「言論と表現の自由」に関する特別報告者デイビッド・ケイ氏は、「日本政府がメディアに圧力をかけている」として放送法4条の撤廃に触れたことで「反日」のレッテルを貼られましたが、その後の記者会見では日本の報道機関に対し、「先進国では優れた記者が所属媒体を移る、一種の流動性があるが、日本には存在しない。そのため政府からの圧力が記者にも特別な影響を与える」と述べています。

ところが、日本のマスコミの構造的な問題を指摘したこの会見を記事にしたのは朝日新聞だけで、他のメディアは無視を決め込んでいます。ケイ氏が安倍政権を批判したときは、「国連」を水戸黄門の印籠のようにしてこぞって大騒ぎしたというのに。

東芝は利益を水増しするために決算を粉飾し、財務省は首相の国会答弁に合わせて決裁文書を改ざんしました。ここでも問題はまったく同じ「流動性の低さ」です。「転職」という選択肢がないことで、有能なひとたちは違法行為に手を染めざるを得なくなりました。

日本の社会のすべての「不都合な事実」は、「タコツボ」にしがみつくしかないひとびとが生み出しているようです。

参考文献:「日本の研究 生産性低く オランダ出版社調査、投資あたり論文数 最低水準」日経新聞3月12日朝刊
「「日本メディア、政府圧力に弱い」――国連報告者デービッド・ケイ氏が指摘」朝日新聞2017年10月26日朝刊

『週刊プレイボーイ』2018年4月2日発売号 禁・無断転

文庫『言ってはいけない中国の真実』が発売されました

新潮文庫より『言ってはいけない中国の真実』が発売されました。文庫化にあたって、13章「「超未来社会」に向かう中国」を加筆しました。 Kindle版も改定されています。

出版社の許可を得て文庫版前書きを掲載します。

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本書は2015年3月にダイヤモンド社から発売された『橘玲の中国私論』を文庫化したものだ。文庫化にあたって本文の修正は最低限にとどめ、そのかわりに親本の発売以降の変化を踏まえた13章を追加した。

私がはじめて中国を訪れたのは20年ちかく前で、当時は上海の中心部でも古い町並みが残っていた。それから中国を何度も訪れ、満州から内モンゴル、チベット、新疆ウイグル自治区まで旅行ガイドブックに紹介されているような場所はほぼすべて旅した。

その時期は「奇跡の高度経済成長」の真っただ中で、訪れるたびに驚きとともにその変貌を眺めていたのだが、それはやがて別の驚きにとってかわった。あらゆるところでゴーストタウン(鬼城)を目にするようになったのだ。「この巨大な隣国でいったいなにが起きているのだろう」と興味をもって調べてみたのが、このちょっと長い本になった。

とはいえ、私は中国の専門家ではないから、ここで書いたことの多くは内外の研究者・ジャーナリストに負っている。3年後の現在でも本文にほとんど手を加える必要がないのは、私に先見の明があるからではなく、本書で紹介した専門家たちの知見が優れているからだ。

親本が出てから、ヨーロッパは難民問題とテロの恐怖に揺れ、イギリスは国民投票でEUからの離脱を選択し、アメリカではトランプ政権が誕生した。どれも現代史を画する大事件で、私はもちろんそれらをまったく予見できなかったが、中国に関してはもはや大きな驚きはなかった。この本で書いたことが、たんたんと進行しているからだろう。

その意味で本書は中国社会についての「原理的」な説明であり、留学やビジネス、あるいは観光でこの「不思議な隣人」と触れ合い、私と同じ疑問を抱いたひとにはきっと役に立つだろう。