ゆたかで幸福な社会から「廃棄」されたひとたち 週刊プレイボーイ連載(398)

これはとても不穏な話です。

あなたが巨大なゴミ処理場を訪れたとしましょう。当然のことながら、そこにはゴミしかありません。圧倒的な量のゴミに圧倒されて、「これは大問題だ」と社会に警鐘を鳴らすかもしれません。

しかし、さらに俯瞰すると、そこにはとてつもなくゆたかな現代日本の消費社会があります。食品、衣料品から家電製品まで、ゴミが増えるのは安価なモノが大量に流通し、気軽にそれらを購入し、使い捨てることができるからです。それに対して、最貧国にはゴミはほとんどありません。モノを捨てるだけの経済的な余裕がないのです。

このことは、ゆたかさと廃棄物がトレードオフであることを示しています。

私たちが、魅力的なモノがあふれた快適な生活を望み、それが実現すると、ゴミが増えていきます。社会がどんどんゆたかになると同時に、ゴミがどんどん減っていくなどということはあり得ません。今の快適な生活をつづけたいのなら、私たちは大量の廃棄物を受け入れるしかないのです。

こうして、ゆたかな社会は「リサイクル」に熱心に取り組むようになります。

ゴミを分別管理し、リサイクルセンターで「再生」し、それをもういちど消費市場に戻す。この循環がうまくいけば、そのぶんだけゴミは減ります。

ただし、こうしてリサイクルされたモノもいずれはゴミになります。リサイクルできなかったモノや、何度もリサイクルされて「再生」できなくなったモノは最終処分場に送られ、誰からも見えないように「隔離」され「隠蔽」されます。なぜなら、きらびやかな消費社会を謳歌するひとたちにとってゴミは不快だから。ところがなかには有害なゴミもあり、不用意に扱うと深刻な健康被害を招くかもしれません。

2015年に行なわれた大規模な社会調査(SSP/階層と社会意識全国調査)では、「あなたはどの程度幸せですか?」の質問に「幸福」と答えたのは男性67.8%、女性74.0%で、「生活全般にどの程度満足していますか?」の質問に「とても満足」「やや満足」と肯定的に答えたのは男性67.0%、女性74.1%でした。現代日本は3人のうち2人超が自分は「幸福で生活に満足」と思っている、歴史的にも世界のなかでも「全般的には」とてもうまくいっている社会です。

しかしその一方で、自分の階層を「下の上(16.4%)」「下の下(4.4%)」とするひとが合わせて20%以上いて、その人数は成人だけでも2000万人に達するでしょう。この「事実」をどちら側から見るかで、日本社会への評価はまったく逆になります。

ヨーロッパの社会学者ジグムント・バウマンは『廃棄された生』(昭和堂)で、欧米のゆたかな社会から排除されたひとたちを「Wasted Humans(人間廃棄物)」と呼びました。バウマンの念頭にあるのは難民や貧しい移民で、彼ら/彼女たちは「人間のリサイクル処理場」でも再生できずに捨てられていくのですが、こころを病んだビジネスパーソンやひきこもりなどもここに含まれるでしょう。

「ゴミ」とのちがいは、人間は「最終処分」できないことです。そして、自分たちを排除した社会にときに刃を向けるのです。

『週刊プレイボーイ』2019年9月2日発売号 禁・無断転載

「他人を傷つけるような表現は許されない」は正しいのか? 週刊プレイボーイ連載(397)

あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」がわずか3日間で中止されました。慰安婦像や昭和天皇をモチーフにした映像作品を展示したことが政治家などから批判され、脅迫行為にまで発展したためと主催者は説明しています。

この事件に関してはすでに多くが語られているので、ここではすこし別の視点から考えてみましょう。それは「共感」です。

前提として、「表現の自由」はもちろん守られるべきですが、「どのような表現でも許される」などということはありません。「そんなことはない」というのなら、バナナを持ったオバマ元大統領のイラストをネットにアップして、「表現の自由だ」といったらどんなことになるか試してみればいいでしょう。

リベラルな社会には暗黙の、しかし厳然たる「ポリティカル・コレクトネス(PC/政治的正しさ)のコードがあります。マイノリティを侮辱したり、攻撃したりするような「PCに反する表現」は事実上、禁じられているのです。

問題は、PCのラインがどこに引かれているのか、誰も納得のできる説明ができないことにあります。その代わり、「他人を傷つけるような表現は許されない」という「共感の論理」が使われます。バナナを持つオバマ元大統領のイラストは、世界じゅうの黒人を侮辱し、傷つけるから「表現の自由」の範囲には入らないのです。

ここまでは、極端な「自由原理主義者」を除けば、すべてのひとが合意するでしょう。しかしこの論理を拡張していくと、たちまち広大なグレイゾーンにぶつかることに気づきます。

社会が「リベラル化」するにつれて、女性や障がい者、LGBTなどへの侮辱は許されなくなりました。しかしそうなると、「日本人」への侮辱はどうなるのでしょう?

慰安婦像の展示に憤慨しているひとたちは、「日本人」であることを侮辱され、傷ついたと主張しています。だとしたら「表現の不自由展」を擁護するひとたちは、なぜ黒人や女性とは異なって、自分が「日本人」であることに強いアイデンティティをもつひとたち(日本人アイデンティティ主義者)を侮辱することが許されるのか、彼ら/彼女たちに説明しなければなりません。

「日本人は日本社会ではマジョリティだ」というかもしれませんが、日本人アイデンティティ主義者の自己認識は、「慰安婦問題や徴用工問題のような70年以上前の「歴史問題」によって攻撃され、差別されているマイノリティ」です。「日本人を侮辱しているわけではない」という反論は、「黒人を差別しているわけではない」という差別主義者の主張と区別できません。欧米のイデオロギー対立も同じですが、こうした議論は感情的な対立を煽り、双方の憎悪がとめどもなく膨らんでいくだけです。

だとしたら問題は、「他人を傷つけてはならない」という「共感の論理」にあるのではないでしょうか。

「共感」とは無関係に「表現の自由」を定義できるなら、「傷ついた!」という人が現われても、「それは自由な社会を守るためのコストだ」と説明できます。もっとも、そのような明確な基準がないからこそ、世界じゅうでPCをめぐる混乱が起きているのでしょうが。

参考:ポール・ブルーム 『反共感論―社会はいかに判断を誤るか』(白揚社)

『週刊プレイボーイ』2019年8月26日発売号 禁・無断転載

日本社会の歪みを象徴する「下級国民のテロリズム」 週刊プレイボーイ連載(396)

死者35人、負傷者33人という多くの被害者を出した「京都アニメーション放火事件」は、放火や殺人というよりまぎれもない「テロ」です。しかし犯人は、いったい何の目的で「テロ」を行なったのでしょうか。

報道によれば、容疑者はさいたま市在住の41歳の男性で、2006年に下着泥棒で逮捕され、2012年にコンビニ強盗で収監されたあとは、生活保護を受けながら家賃4万円のアパートで暮らしていたとされます。事件の4日前に起こした近隣住民とのトラブルでは、相手の胸ぐらと髪をつかんで「殺すぞ。こっちは余裕ねえんだ」と恫喝し、7年前の逮捕勾留時には、部屋の壁にハンマーで大きな穴が開けられていたとも報じられています。

身柄を確保されたとき、容疑者は「小説をパクリやがって」と叫んだとされます。アニメーション会社は、容疑者と同姓同名の応募があり、一次審査を形式面で通過しなかったと説明しています。

ここからなんらかの被害妄想にとらわれていたことが疑われますが、精神疾患と犯罪を安易に結びつけることはできません。これは「人権問題」ではなく、そもそも重度の統合失調症では妄想や幻聴によって頭のなかが大混乱しているので、今回のような犯罪を計画し、実行するだけの心理的なエネルギーが残っていないのです。欧米の研究でも、精神疾患がアルコールやドラッグの乱用に結びついて犯罪に至ることはあっても、病気そのものを理由とする犯罪は一般よりはるかに少ないことがわかっています。

じつは、あらゆるテロに共通する犯人の要件がひとつあります。それが、「若い男」です。IS(イスラム国)にしても、欧米で続発する銃撃事件にしても、女性や子ども、高齢者が大量殺人を犯すことはありません。

これは生理学的には、男性ホルモンであるテストステロンが攻撃性や暴力性と結びつくことで説明されます。思春期になると男はテストステロンの濃度が急激に上がり、20代前半で最高になって、それ以降は年齢とともに下がっています。欧米の銃撃事件の犯人の年齢は、ほとんどがこの頂点付近にかたまっています。

日本の「特殊性」は、川崎のスクールバス殺傷事件の犯人が51歳、今回の京アニ放火事件の容疑者が41歳、元農水省事務次官長男刺殺事件の被害者が44歳など、世間に衝撃を与えた事件の関係者の年齢が欧米よりかなり上がっていることです。さまざまな調査で、20代の若者の「生活の充実度」や「幸福度」がかなり高いことがわかっています。日々の暮らしに満足していれば、「社会に復讐する」理由はありません。

このように考えると、日本の社会の歪みが「就職氷河期」と呼ばれた1990年代半ばから2000年代はじめに成人した世代に集中していることがわかります。当時、正社員になることができず、その後も非正規や無職として貧困に喘ぐ彼らは、ネットの世界では自らを「下級国民」と呼んでいます。とりわけ低所得の男性は結婚もできず、社会からも性愛からも排除されてしまいます。

この国で続発するさまざまな事件は、「下級国民のテロリズム」なのかもしれません。そんな話を、新刊の『上級国民/下級国民』で書いています。

『週刊プレイボーイ』2019年8月19日発売号 禁・無断転載