安倍政権の後世の評価は「悪夢の民主党政権」のリベラルな政策を実現したこと? 週刊プレイボーイ連載(444) 

連続在任期間、通算在任期間ともに歴代最長を達成した安倍首相が、体調不良を理由に辞意を表明しました。そこで安倍政権について、かんたんに振り返ってみましょう。

首相自ら会見で認めたように、政権発足時に掲げていた3つの大きな課題――拉致問題解決、北方領土返還(ロシアとの平和条約締結)、憲法改正――はいずれも実現できませんでした。花道になるはずだった東京オリンピックは新型コロナの影響で延期となり、習近平の来日もなくなりました。在任中のもっとも大きな外交成果はパク・クネ前韓国大統領とのあいだで交わした慰安婦問題の日韓合意(最終的かつ不可逆的な解決)でしょうが、これも後任のムン・ジェイン政権で白紙に戻されてしまいました。

その一方で、森友・加計学園問題や「桜を見る会」、検察庁法改正ではきびしい批判にさらされ、コロナ対策の「アベノマスク」は国民の失笑を買い、感染拡大期に強引に実施した「GO TOトラベル」では混乱が広がりました。こうして見ると、当初の高い志にもかかわらず、歴史に残るような成果を上げることができたかは微妙です。強いていうなら、「アベノミクス」の円安政策で「戦後最長」の景気拡大を実現したことくらいでしょうか。

しかし首相の会見をあらためて聞き直すと、政権の別の顔が見えてきます。記者から「政権のレガシーは何か」を問われて、幼児教育・保育の無償化、高等教育の無償化、働き方改革、一億総活躍社会に向けての取り組みを挙げていますが、これらは安倍首相が「悪夢」と呼ぶ旧民主党政権が掲げていた政策でもあります。

こうした「リベラル」な改革は、たしかに旧民主党政権では実現が難しかったでしょう。なぜなら、「日本の伝統を守れ」と叫ぶ自民党の保守派がこぞって反対するから。

しかし「真性保守」を標榜する安倍首相なら、党内の右派を黙らせつつ改革を進められます。首相は「私がやっていることは、かなりリベラルなんだよ。国際標準でいけば」と周囲に解説したとされますが、これがじつは安倍政権の本質ではないでしょうか。

「日本社会の保守化」を批判するリベラルにとって不都合な事実は、安倍政権が若者(とりわけ男性)から支持され、年齢が上がるほど支持率が下がっていくことです。世界的には「若者はリベラル、高齢者は保守」とされているので、この現象を説明しようとすると、「日本の若者は右傾化し、高齢者はリベラル化している」という“日本特殊論”を唱えるしかありません。

しかし安倍政権が「リベラルな改革」を進めてきたとすれば、この奇妙な逆転現象をすっきり説明できます。若者たちは、高齢者の既得権を守るだけの旧態依然とした政治にうんざりしており、それを「破壊」しようとする安倍政権に期待をかけた。高齢者は自分たちの既得権を奪われることを警戒して、「なにひとつ変えてはいけない」という野党=自称リベラル勢力を支持したのです。

だとすると安倍政権に対する後世の評価は、「旧民主党時代の遺産を活かし、党内の右派勢力を抑えてリベラルな改革を推し進めた」というものになるのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2020年9月7日発売号 禁・無断転載

「経済的独立を達成し、アーリーリタイアしない」理想のライフスタイル 週刊プレイボーイ連載(443)

FIREはFinancial Independence and Retire Early(経済的独立を達成し、アーリーリタイアする)の略で、(1980年代から2000年前後に生まれた)アメリカのミレニアル世代のあいだでいま大きなムーブメントになっています。新型コロナで経済的な不安が高まったこともあり、日本でも注目が集まりました。

「経済的独立」というのは、1990年代にアメリカで唱えられた「自由」についての新しい考え方です。自由はそれまでずっと哲学的・社会学的あるいは宗教的に語られてきましたが、じつはもっと大切なことがあるのではないでしょうか。それは経済、すなわちお金です。

あなたは自由について高邁な理念をもっているかもしれませんが、生活費を得ている組織の上司から意に沿わない(場合によって法に反する)仕事を命じられたとき、それを敢然と拒否できるでしょうか。ここで躊躇するとしたら、「クビになったら生きていけない」と不安に駆られるからでしょう。あなたの(高邁な)自由は、お金によって拘束されているのです。

人生を自由に生きるためには経済的な土台がなくてはならない。――この身も蓋もない真実を突きつけたところに、「経済的独立」の衝撃がありました。それが20年の時を経て、いまの若者たちに再発見されたのです。

アーリーリタイアメント(早期退職)も同じく90年代にブームになりました。アメリカでは退職してから夫婦で旅行を楽しむのが理想でしたが、70歳や80歳を過ぎてからだと行けるところもかぎられてくるし、連れ合いが病気になったり、死んでしまったりするかもしれません。だったら50代、できれば40代で引退して好きなことだけして暮らせばいいというのはたしかに魅力的です。

ところがこうしてアーリーリタイアしたひとの多く(ウォール街のトレーダーなど)は、数年後にまた仕事に戻ってきました。なぜなら、毎日が退屈すぎて張り合いがないから。

彫刻が好きなのにそれで生活するのは無理だとあきらめたひとが、高収入の仕事で必死に働いて50代でアーリーリタイアし、経済的な不安なしに彫刻家としてデビューして若いときの夢をかなえるというのは、もちろんよい話です。でもよく考えてみると、ここでの問題の本質は好きな彫刻で生活できないことにあります。

SNSなどインターネットの普及とテクノロジーの発達によって、20代でも彫刻の仕事でそれなりの暮らしが成り立つようになれば、20~30年も好きでもない仕事で必死に頑張る必要はありません。「アーリーリタイア」を目指すのは、いまの仕事が好きではないからです。

ひとは他者からの承認(感謝や称賛)を得たときに幸福を感じます。おしゃれな店でのデートや豪華な結婚式で「いいね!」をもらうリア充もいるでしょうが、現代社会でもっとも大きな承認を得られるのは仕事での達成です。「好きを仕事に」できれば、早期退職する理由などないのです。

こうして「人生100年」の時代には、「経済的な独立を達成し、リタイアせずに好きな仕事をずっと続け、自分らしく生きる」ことが理想のライフスタイルになっていくでしょう。もちろん、誰でもできることではないでしょうが。

『週刊プレイボーイ』2020年8月31日発売号 禁・無断転載

サマー・オブ・ラブ(愛の夏)という現代の寓話 週刊プレイボーイ連載(442)

黒人男性が警察官による過度な制圧によって死亡した事件を受けて、全米に「ブラック・ライブズ・マター(黒人の生命も大切だ)」の抗議行動が広がりました。

スターバックス発祥の地としても知られるワシントン州シアトルのキャピトルヒルは、カフェやギャラリーが集まるアート&カルチャーの人気スポットです。6月に入るとこのお洒落な街でデモ隊と警察が衝突を繰り返すようになり、6月8日、警察署長は不測の事態を避けるために警察署を封鎖して地域から退去することを決断します。こうして、21世紀に突如として“コミューン(自治区)”が誕生しました。

トランプ大統領はこの「異常事態」をはげしく非難しましたが、1958年生まれで10代で西海岸のヒッピームーブメントを体験したシアトルの女性市長は、この状況がいつまで続くのかテレビレポーターに訊かれ、「わからない。もしかしたらわたしたちは“愛の夏”を過ごせるかも」と答えています。

愛の夏(サマー・オブ・ラブ)とは1967年にサンフランシスコのヘイト・アシュベリーを中心に起こった大規模な「(フリー)セックス・ドラッグ・ロックンロール」の文化運動です。その熱狂は2年後に起きたカルト集団マンソン・ファミリーによる女優シャロン・テート殺害事件の衝撃によって終わりを告げました。

では、2020年の「愛の夏」はどうなったのでしょうか?

「解放区」では資本主義を拒否する活動家によって水や軽食が無料で配られ、公園では無農薬の野菜が栽培され、ボランティアによる医療が提供されました。街じゅうにストリートアートが描かれ、ヒップホップグループのパフォーマンス、人種差別をテーマにした映画の上映、さらにはあちこちでティーチ・インという討論会が開かれました。

メディアの取材に対して23歳の活動家は、「われわれは警察(行政)なしでもコミュニティのニーズを満たすことができることを、行動と実践を通して証明しようとしている」とこたえています。この宣言に「解放区」の高い理想が象徴されています。

ところがこの祝祭的な高揚感の裏で、地域に不穏な空気が漂ってきます。自動車販売店に押し込み強盗が入り、カッターで襲い掛かる犯人をなんとか取り押さえたものの、なんど警察に電話しても誰も来なかったと報じられると、高級住宅街の住民のあいだに不安が広がります。

決定的なのは、その後、あいついで殺人事件が起きたことです。6月20日に発砲事件が発生したときは、駆けつけた警官が群衆によって阻まれ、高校を卒業したばかりの19歳の男性が死亡しました。翌21日には17歳の男性が銃撃され、22日には「解放区内でレイプが起きた」と警察が発表し、23日は30代の男性が銃撃によって負傷します。29日は4件の銃撃事件が起き、16歳の男性が死亡し、14歳が重体となりました。

“愛の夏”がたちまち暴力の連鎖に変わったことに驚愕した市長は占拠の即時終了を通告し、活動家のリーダーも自らに責任が及ぶのを恐れて撤退に同意します。「解放」が終わったキャピトルヒルを訪れた市長は、「ひとびとが家やアパートから出てきて、戻ってきた警察官に次々と感謝の言葉を述べた」と語りました。

このようにして、「現代の寓話」はわずか1カ月で終わりを告げたのです。

参考:”Free Food, Free Speech and Free of Police: Inside Seattle’s ‘Autonomous Zone’” New York Times Published June 11, 2020 Updated July 6, 2020
“Seattle Police Dismantle ‘Police-Free Zone’” The Wall Street Journal, July 1, 2020

『週刊プレイボーイ』2020年8月24日発売号 禁・無断転載