選挙を「自己啓発」にした参政党の戦略(週刊プレイボーイ連載654)

「反ワクチン」を押し出して得票率2%を超え、代表の神谷宗幣氏が初当選した2022年の参院選のあと、参政党は「Do It Yourself(DIY)」を合言葉に、全国に289ある小選挙区のすべてに支部をつくる運動を開始します。

党のホームページによれば、月額1000円の一般党員になると、毎日「各界の専門家」からの音声や動画が配信されるだけでなく、地域別オフ会やタウンミーティング、政策学校「DIYスクール」などに参加したり、大規模イベントの運営に加わったりできます。さらに月額2500円(2026年までは月額4000円)の運営党員には、政策立案や公認候補の党内予備選挙の投票権が与えられます。

党員やサポーターはビラ配りやショート動画の拡散など裏方の役割を担いますが、外国人の土地取得問題への関心から活動に参加した60代の女性党員はこれを「大人の部活」と表現しました。参政党はこれまで政治に興味がないか、関心はあってもどうしたらよいかわからなかった層に、手づくりで政治に参加できる「楽しさ」を与えたのです。

このようにして結束感を高めてきた結果、24年末時点で参政党の党員は6万8000人に増え、それを基盤に12人だった地方議員を155人に増やしています。

ところで、なぜ地方選挙なのでしょうか。これについては、陰謀論に詳しいライターの雨宮純さんが興味深い指摘をしています。

2019年の参院選で国政政党になった「NHKから国民を守る党」(当時)の立花孝志元代表は、地方議員の必須出席日が年間30~40日ほどなのにもかかわらず、1000万円以上の年収が見込めるとして、「地方議員は、そりゃあもうオイシイ仕事ですよ!」と述べるだけでなく、戦略によっては知名度の低い政党・候補でも当選できることを証明しました。

国政選挙では主要政党の公認を得て組織票を獲得できなければ当選は困難ですが、都道府県議会議員や市議会議員・区議会議員は、陰謀論や疑似科学のような極端な主張の持ち主であっても、一定の熱心な支持者が見込めれば議員になれるチャンスが開かれています。

雨宮氏は、「人生を変える手段はなかなか見つからないものだが、政治家になるという手法は努力目標も分かりやすい。選挙で勝てば良いからである」として、地方選挙が「自己啓発」の手段になったといいます。政治家になることで社会を変え、同時に自分の人生も変えられるのです。

神谷代表は「龍馬プロジェクト」という私塾で、全国の若手地方議員のネットワークをつくっていました。参政党はこの土台の上に、支持者たちが候補者を”推し活“するだけでなく、自分も政治家を目指せる(かもしれない)という夢を手にできるようにしたのです。それがもたらす一体感と達成感が、どこかカルトめいた熱気を生み出すのでしょう。

戦後民主主義を支えてきたリベラルは、市民の政治への参加こそが重要だとずっと唱えてきました。その理想を体現し、もっとも成功した「新しい共同体」をつくりだしたのが、「陰謀論」「排外主義」と批判される政党だというのは、なんとも皮肉な事態というほかありません。

参考:雨宮純「日本における陰謀論の今後の展望と対策」(『社会分断と陰謀論 虚偽情報があふれる時代の解毒剤』〈文芸社〉所収)
「参政党伸ばした組織と集金力 地方議員12→155人、党員は維新超え」日本経済新聞2025年7月30日

『週刊プレイボーイ』2025年8月25日発売号 禁・無断転載

「愛国」について真面目に考えてみる

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年3月1日公開の「アメリカで20年前に巻き起った「愛国」論争は 今の日本とアメリカに様々な教訓を与えている」です。(一部改変)

esfera/Shutterstock

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「愛国」とはなにかが気になって、マーサ・C・ヌスバウム他の『国を愛するということ 愛国主義の限界をめぐる論争』 (辰巳伸知、能川元一訳/人文書院)を読んだ。これは1990年代半ばにアメリカのアカデミズムで起きた「愛国」論争の記録で、本稿はその備忘録だと思ってほしい。

「文化多元主義」という非愛国的アカデミズム

論争の発端は、アメリカの高名な社会学者リチャード・セネットが、「全米人文科学協会」の「アメリカの多元主義とアイデンティティについての国民的対話」プロジェクトを『ニューヨーク・タイムズ』紙(1994年1月30日)ではげしく批判したことだ。

プロジェクトの趣旨は、「テレビ中継される一連の「市民集会」を通じて、アメリカ国内のエスニックな分裂や対立を克服すべく国民共同体の紐帯やアメリカ人のアイデンティティについて確認しなおそうというもの」だったが、セネットはこれを「存在しなかったアメリカを回顧することに他ならない」と難詰した。

「アメリカは、当初から富や宗教、言語の相違、奴隷容認州と奴隷反対州の対立によって断片化されていたのであり、南北戦争以後および近年、人々の間にある考え方や生活形態の多様性はますます増大している。そのような歴史と現状において「アメリカ的性格」や「国民的アイデンティティ」を要求することは、「紳士面したナショナリズム」を表明していることにほかならない」のだ(以上、辰巳伸知氏の「訳者解説」より)。

これに対してこちらも高名な哲学者のリチャード・ローティが、同じ『ニューヨーク・タイムズ』紙(1994年2月13日)に「非愛国的アカデミー」という反論を載せた。これは“The Unpatriotic Academy”としてネットにもアップされていて、一読して強い調子に驚かされる。

ローティの主張は、アメリカの大学(アカデミズム)には自己陶酔的でわけのわからないジャーゴンばかり使っている“サヨク”の知識人が跋扈していて、彼らが「マルチカルチュラリズム(多文化主義)」とか「差異の政治(the politics of difference)」とかを言い立ててアメリカの連帯を破壊しているというものだ。

ローティが支持するのは多元主義(pluralism)で、さまざまな文化をもつコミュニティが、(アメリカという)より大きなコミュニティを織り上げていくことだ。ところが文化多元主義のサヨクは人種や宗教・文化によってコミュニティを分断し、対立させている。

「すべての国と同様に、アメリカの歴史には誇るべきものも恥ずべきものもあった」とローティは書く。「しかし、(ひとびとが)自分の国に誇りをもたなければ、(アメリカ人という)アイデンティティをもたなければ、そのアイデンティティを喜びとともに受け入れ、じっくりと噛みしめ、ともに歩んでいこうとしなければ、よりよい国をつくっていくことなどできるはずがない」

これを読んで、「『哲学と自然の鏡』のローティってこんなゴロゴリの保守派だったの?」と驚くひともいるだろう。だったら、次の文章を読むと腰が抜けそうになるにちがいない。

もしもイデオロギー的な純粋さを追求したり、(正義の)怒りをぶちまけたいという必要から、アカデミックなサヨクが「差異の政治」に固執するなら、そんなものは誰からも相手にされず、なんの役にも立たなくなるにちがいない。非愛国的なサヨクは、けっしてどんな(まともな)場所にもたどりつけない。この国を誇りに思うことを拒絶するようなサヨクは、この国の政治になんの影響も与えられないばかりか、侮辱の対象になってお終いだろう。

愛国者であるローティは、アメリカの大学を「支配」している非愛国的なサヨクに我慢ならなかったのだ。 続きを読む →

日本の社会保障制度の「問題」は外国人ではなく、高齢者が多すぎること(週刊プレイボーイ連載653)

この夏の参院選では「外国人問題」が焦点になり、「外国人が社会保障制度にただ乗りしている」との主張があふれましたが、これを論じる前提として、まずは制度の基本を押さえておく必要があります。

外国人であっても、日本に居住していて20歳以上、60歳未満なら国民年金・厚生年金への加入義務があります。ただし、年金を受給するには10年以上の納付期間が必要で、技能実習生のように、短期間しか日本で働かない場合は納めた保険料が丸損になってしまいます。そのため脱退一時金の制度が用意されているものの、受け取れるのは最大5年分までです。

実際には、日本で働いている外国人の若者の多くが、年金保険料を払っても、なんの給付も受けずに帰国していきます。逆にいえば、日本国は彼ら/彼女たちから保険料を「搾取」し、それを日本人の高齢者の年金の原資に充当しているのですが、このことについてはなぜかどの政党も触れません。

それでも、「外国人は国民健康保険の未納率が高い」との反論があるかもしれません。SNSで「外国人の国保の未納は年間4000億円」とする投稿が広がり、それに対して厚労省は、2022年度の未納額が日本人を含めて1457億円と反論しました。そこで次に、外国人の納付率が24年4~12月に63%だったことが注目されたのです。

国保の未納率は全体で7%ほどなのでこれはたしかに「問題」に思えますが、その一方で医療費全体に占める外国人の割合は約1.4%と低く、1人あたり医療費も日本人の3分1であることは触れられません、。そこで、国保の実態を見てみましょう。

会社員は健康保険料の半額が会社負担で、それでも給与・ボーナスから天引きされる保険料の負担は年々重くなっています。ところが国保にはこの会社負担がないため、加入者は(会社員の自己負担分の2倍の)きわめて重い保険料を課せられています。

保険料は自治体によっても異なりますが、東京都内の自治体を例にとれば、40歳以降が納める介護分を除いても、均等割だけで年6万4100円、これに所得の10.4%の所得割が加わりますから、所得200万円の場合の保険料は約27万円、これに国民年金保険料を加えると、納めるべき社会保険料の総額は約48万円で所得の4分の1にもなります。

それでも国保全体の納付率が高いのは、保険料の軽減措置があるからですが、これは貧困世帯や年金を受給する高齢者を想定しており、一定の所得がある現役世代はまったく使えません。その結果、満額の保険料を払っているのは加入者の3割程度という異常なことになっています。働いている外国人の保険料納付率を議論するなら、年金受給者など軽減世帯を除いて比較すべきでしょう。

それ以外にも会社員とちがって、国保は専業主婦でも保険料免除はなく、子どもが生まれたときから納付義務が生じます(小学校入学まで納付免除や減免にしている自治体もあります)。国保の制度は、短期で働く外国人だけでなく、日本人の(とりわけ子どものいる)現役世代にとっても、ものすごく過酷で理不尽なのです。

超高齢社会の日本の社会保障費を圧迫しているのは、高齢者が多すぎることです。そのファクトに触れることなく「外国人」ばかり批判するのは、いい加減やめるべきでしょう。

『週刊プレイボーイ』2025年8月18日発売号 禁・無断転載