「グローバル資本主義が諸悪の根源」なら、トランプ関税でよりよい世界になる? 週刊プレイボーイ連載(640)

あなたがある町でパン屋をやっているとしましょう。ところが隣の町に新しいパン屋ができて、安くて美味しいパンを売るようになりました。当然、大人気で、あなたの町のひとたちも隣町にパンを買いに行くようになりました。

このとき、町ごとの経済を考えると、あなたの町の富が隣の町に流出しているように見えます。これが「貿易赤字」で、隣町は同じ額の「貿易黒字」を計上しています。

これは「町の経済」を理解するためのたんなる便法ですが、店にお客さんがこなくなったあなたは、ここにはなにかの「陰謀」があるにちがいないと考えます。そして町のひとたちに向かって、隣町の不正に報復すべきだと訴えました――。これがトランプ関税です。

国家は町とはちがって、通貨を発行したり、自国の産業を保護・育成するための措置を講じたりしています。それでも「自由貿易がみんなをゆたかにする」という経済学の常識が広く受け入れられたことで、わたしたちは人類史上空前の繁栄を謳歌できるようになりました。

ところがトランプは、貿易黒字は「得」、貿易赤字は「損」だと信じています。アメリカが中国や日本に対して貿易赤字になっているのは、不正によって損させられているのだというわけです。こうして世界経済は、パン屋の寓話と同じになってしまいました。

じつはこの誤解は、1980年代に入って深刻化した日米貿易摩擦でアメリカ政府が主張してから、半世紀ちかくにわたってずっと続いています。国際経済学の初歩の初歩ですから、トランプ政権の官僚たちも当然、このことは知っているでしょう。それにもかかわらず、これがブードゥー(呪術)経済学であることを大統領に理解させることができず、暴走を許してしまったことは、まさに経済学の敗北です。

高関税は経済活動を委縮させますから、アメリカでも日本でも、世界中で株価が暴落しました。これに対してトランプは、「株価の下落は望まないが、薬を飲まなければならない時もある」と強弁しています。――その後、米国債の価格が急落(金利は高騰)したことで、景気の悪化をおそれて関税の上乗せ分を90日間停止することを決めました。

皮肉なのは、国民のゆたかさの指標である「1人当たり名目GDP(2023年)」では、アメリカは8万2715ドルと7位で、それに対して日本は半分以下の3万3899ドルで34位に沈んでいることです。トランプの妄想とは逆に、貿易赤字のアメリカはゆたかで、貿易黒字の日本は貧乏なのです。

さらなる皮肉は、高関税によってアメリカ人が貧乏になれば、輸入品を買うことができなくなって、貿易赤字が縮小することです。(ほぼ)すべての経済学者が、トランプが唱える「関税による経済回復」を愚行だと批判するのも当然でしょう。

ところで、これまで左派(レフト)やリベラルは、「経済格差」の元凶としてグローバル資本主義を諸悪の根源として批判してきました。今回のドタバタ劇に意味があるとすれば、トランプが関税によってグローバル経済を破壊しようとしたことで、多くの「知識人」が主張してきたように、より公正で平等な世界になるかが事実によって検証できることくらいでしょう。

小宮隆太郎『貿易黒字・赤字の経済 日米摩擦の愚かさ』東洋経済新報社

『週刊プレイボーイ』2025年4月21日発売号 禁・無断転載

EUは「未確認政治物体(UPO)」

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2016年8月公開の記事です(一部改変)

Alexandros Michailidis/Shutterstock

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イギリスのEU離脱を機に、日本では「EU=善なるもの」「イギリス=大馬鹿者」という善悪二元論がマスメディアに溢れた。その後、彼らが望んだような大破局(世界金融危機の再来)が起こらず、世界的に株価が逆に上昇したことで尻すぼみになり、最近では「イギリスのEU離脱はたいしたことない」との宗旨変えも増えてきたようだ。

株価が大きく下落すれば、それは「大惨事の予兆」だ。株価が回復すれば、「惨事は過ぎ去った」ということになる。それでなんとなく予測が当たっているように見えるのは、(プロの投資家を含め)金融市場の参加者が後付けの理屈に振り回されるからだ。こうして「エコノミスト」や「アナリスト」の予想どおりに(短期的には)相場が動く。これが「予言の自己実現」効果だ。

だがヨーロッパでいったい何が起きているのかを知ろうとすれば、もっと本質的な問題に目を向けなければならない。それはたとえばEUという壮大な政治・社会実験の構造的な欠陥で、そこから、日本では「大馬鹿者」と一蹴されているEU離脱派の論理にも耳を傾けるじゅうぶんな理由があることがわかるだろう。

参考 ブレグジット(イギリスのEUからの離脱)の論理をあらためて考える

「誰がEUを統治しているのか」問題

イギリスの国民投票でEU離脱派は「コントロールを取り戻せ」をスローガンに掲げたが、これが大きな効果を発揮したのは、EUが民主的な正統性を欠いているからだ。

EUの統治構造はきわめてわかりにくいが、その基本設計は(皮肉なことに)離脱を決めたイギリスの政治制度を踏襲している。 続きを読む →

放漫財政なのに緊縮財政を批判する「財務省解体デモ」の不思議 週刊プレイボーイ連載(639)

「財務省解体デモ」という奇妙な現象が起きています。報道によればSNSを通じた呼びかけで集まった1000人を超すひとたちが霞が関の庁舎前に集まり、「罪務省解体!」「天下りやめろ!」などの手製のプラカードを掲げ、「消費税をぶっこわーす!」「明日からやめろ、コラっ!」などと叫んだとされます。

この運動の背景に、アメリカで起きている行政機関の解体・リストラがあることは間違いありません。トランプはUSAID(アメリカ国際開発庁)につづいて教育省を解体する大統領令に署名しました。

米共和党がこのような政策を推進するのは、アメリカが「州(State)」の連合体で、教育は連邦政府ではなく、それぞれの州政府の自治に任せるべきだと考えているからです。大統領令の効果は限定的で、議会の承認を得て実現する可能性は低いとされますが、仮に教育省が解体されても公教育は州によって提供されることになります。

それに対して、国の予算をつくったり、国債の発行・管理をする財務省の役割は、他の行政機関が肩代わりすることはできません。財務省を解体すれば、第二財務省ができるだけなのです。

もうひとつの背景は、一部のインフルエンサーなどが財務省を「緊縮財政の元凶」として批判してきたことでしょう。しかし不思議なのは、日本の政府債務残高がGDP比で240%と、先進諸国で最悪なことです。「緊縮財政」をしているのに国と地方を合わせた「借金」が1200兆円も積み上がるというのは、なにかの超常現象か、そうでなければ、日本は「バブル崩壊後これまで緊縮財政だったためしがない」のです。

こうした「放漫財政」批判に対しては、「主権通貨をもつ国は(インフレになるまで)無制限に財政を拡張できる」と反論されます。これは「いくら放漫財政をしても問題ない」という主張ですが、そうなると財務省が「緊縮財政」をしているという話と矛盾してしまいます。「放漫財政なのに緊縮財政」とは、いったいどういうことなのでしょうか。

とはいえ、財務省解体デモの参加者は、こうした理屈にはさしたる関心はないようです。コロナ禍とロシアのウクライナ侵攻を機に日本は長いデフレから「脱却」しましたが、期待されたような「日本経済の大復活」が起こらないばかりか、物価の上昇が賃金の上昇率を上回り、日本人はどんどんビンボーになってしまいました。最近はコメや生鮮食料品が値上がりして、それが家計を直撃しています。

「一生懸命働いているのに、どんどん貧しくなるのはなにかがおかしい」と思うのは当然です。そんなときにSNSを見ると、「国民の生活が苦しいのは、財務省の緊縮財政のせいだ」と説明する動画が次々と出てきます。こうして「答え」を見つけたひとたちが財務省前に集まっているのだと考えれば、この現象が理解できるでしょう。

ここで重要なのは、「財務省解体」論に根拠がないとしても、ひとびとの怒りや不満は本物だということです。昨年の衆院選では与党が過半数割れに追い込まれましたが、今年7月の参院選では、その怒りが日本の政治をさらに大きく変えていくことになりそうです。

参考:土居丈朗「日本は「緊縮財政」だったためしがない」日経ヴェリタス2025年3月30日

『週刊プレイボーイ』2025年4月14日発売号 禁・無断転載