「強すぎる言葉の呪い」が社会を蝕んでいる 週刊プレイボーイ連載(525)

強すぎる主張には呪いがかけられています。

ロシアの国営メディアはウクライナのゼレンスキー政権を「ナチ」と呼び、東部のドンバス地方ではロシア系住民の「ジェノサイド」が行なわれていると非難してきました。しかしこれをあまりに長く言い続けていると、「ロシア人が殺されているのに、なぜ放置しているのか?」と国民が疑問に思いはじめるでしょう。

もちろんプーチン政権は、こうした強い言葉をたんなるレトリックとして使っていたのでしょう。言葉によって大衆の感情を煽るのは、もっとも安上がりに支持を獲得する方法です。「まもなく世界の終わりがやってくる。破滅から逃れる唯一の道は私を信じることだ」というのは、古来、教祖(カルト)の常套句でした。

しかし、どのような予言もいずれ事実によって反証されることになります。ほとんどの新興宗教は、この壁を超えることができずに消えていきます。そして新たな予言者や陰謀論者が現われ、強い言葉によって信者を集め、予言が外れて混乱に陥り……というサイクルを繰り返すのです。

「言霊」が大きな力をもつのは、それを口にした者を拘束し、社会(共同体)に対して責任を負わせるからです。国家の指導者が「国民が虐殺されている」といえば、言霊によって、虐殺を止めるためになんらかの行動を起こさざるを得なくなります。軍事・国際政治の専門家ですら(あるいは専門家だからこそ)ロシアのウクライナ侵攻を予測できなかったのは、戦略的にはいくら不合理でも、プーチンにはそれ以外の選択肢がなくなっていたことを見逃したからでしょう。

さらに事態をこじらせるのは、自分(たち)が「善」で相手を「悪」とし、善が悪を強い言葉で糾弾することで、悪は自らの過ちを認めて悔い改めるはずだと信じていることです。そんなことがあり得ないのは、自分が「悪」として批判されたとき、どう感じるかを想像してみればいいでしょう。

国際芸術祭をめぐる愛知県知事へのリコール運動では、右派・保守派は典型的な「善(愛国)vs悪(反日)」の構図をつくりましたが、思ったほど署名が集まらなかったことで窮地に陥りました。善が悪に負けることは許されないからです。こうして現場責任者が追い詰められ、不正に手を染めることになったのでしょう。

もちろんこれは、左派・リベラルも同じです。キャンセルカルチャーとは、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)の基準を絶対的な正義とし、それに反した(と感じられた)個人を「差別主義者」と糾弾し、社会的に葬り去る(キャンセルする)ことです。この過程はいっさいの公的手続きを無視しているので、誤解によってキャンセルされた者は自らの「冤罪」を晴らす方法がありません。

それにもかかわらず、なぜ日本でも世界でも「善vs悪」の構図ばかりつくられるのか。その理由は、善の立場で正義を振りかざし、悪を叩きつぶすことで脳の報酬系が活性化し、大きな快感が得られるとともに自尊心が高まるからです。

アイデンティティをめぐる争いは(ほぼ)すべてこれで説明できますが、言霊の呪いが怖ろしいのか、口にするひとはほとんどいません。

『週刊プレイボーイ』2022年6月13日発売号 禁・無断転載

進化論的・生物学的に正しい「モテ」がいま必要とされている 週刊プレイボーイ連載(524)

両性生殖の生き物は、成長すると「つがい行動(mating)」を始めます。ヒトも例外ではなく、思春期を迎えるとともに幸福な子ども時代は終わり、性愛を獲得するための過酷な戦いに放り込まれます。

この時期の困難は誰もが経験しているでしょうが、性愛における男女の非対称性によって、まずは男が競争し、女が選択します。その後で、ヒエラルキーの上位を獲得した「アルファの男」をめぐって女が熾烈な競争をするのです。

人類は旧石器時代から、この「つがい行動」を文化によって管理してきました。若い男たちが稀少な女をめぐって暴力的に争えば共同体は崩壊し、他の部族によって皆殺しにされてしまいます。身分によって結婚する相手が決まっているというのは、競争圧力を緩和して平和裏に性愛を分配する典型的な方法です。

ところが、社会がゆたかで平和になるにつれ、共同体による拘束が嫌われ、自由恋愛が当たり前になりました。現代では、もはや親や親戚が同世代のパートナーを見つけてきてはくれません。その代わり男たちは、富や権力によって若くて魅力的な女性たちの関心を惹こうとします。

しかしこの戦略は、思春期の男にはきわめて不利です。大金持ちや権力者の家に生まれたわけでもない男の子は、どうやって女の子にアプローチすればいいのでしょうか。

不幸なことに、男女平等を説く識者は掃いて捨てるほどいても、この重要なことを誰も(学校でも家庭でも)教えてくれません。その結果、気の弱い男の子たちは性愛から脱落し、スクールカーストの最上位にいるごく一部の人気者が、女の子たちの関心を独占するようになります。

これが「モテ/非モテ問題」ですが、日本だけでなく欧米でも深刻な事態になっています。北米では、非モテ(インセル)の若い男が銃を乱射する無差別殺人が繰り返し起きているのです。

こうした状況を改善するために、どうすればいいのでしょうか。それは若者に説教することではなく、ごくふつうの男の子が、どうすれば女の子に自分を魅力を伝えられるかを、具体的なノウハウとともに教えてあげることです。

進化心理学者のジェフリー・ミラーと人気作家のタッカー・マックスは、「女性の脳は男のどのような特性に惹かれるように進化してきたのか」という視点から、モテを科学的に解明しました。彼らによれば、身体的・精神的な健康や知性、意志力、やさしさと男らしさを身につけ、それを効果的にシグナリング(披露)することで、性愛の自由市場に自信をもって参加できるようになります。

日本では婚姻率が下がる以前に、パートナーのいない若者が増えています。「なぜ恋人をつくろうとしないのか?」との質問に、もっとも多い答が「断られて傷つくのが怖い」です。

そこでミラーとマックスのアドバイスを、『モテるために必要なことはすべてダーウィンが教えてくれた』(SBクリエイティブ)として翻訳しました。「リベラルな社会で認められるのは唯一、倫理的・道徳的なモテ戦略だけだ」と述べるこの本を、若い男性だけでなく、男の子をもつ親や教育関係者にも広く読んでほしいと思います。

『週刊プレイボーイ』2022年6月6日発売号 禁・無断転載

ロシアによるウクライナ侵攻は「歴史戦」の末路 週刊プレイボーイ連載(523)

5月9日は、ロシアにとってもっとも大切な記念日です。1945年のこの日、ソ連軍と連合軍がベルリンを陥落させてドイツが無条件降伏し、ヨーロッパでの戦争は終わったのです。

プーチン大統領はこの戦勝記念日で、「われわれの責務は、ナチズムを倒し、世界規模の戦争の恐怖が繰り返されないよう、油断せず、あらゆる努力をするよう言い残した人たちの記憶を、大切にすることだ」と述べたうえで、2月から始まったウクライナへの侵攻を「侵略に備えた先制的な対応」だと正当化しました。

いうまでもなく、ウクライナにはロシアを侵略する意図もその能力もなく、これを「自衛」だとするのは詭弁以外のなにものでもありません。しかし、ロシア国民の多く(独立系調査機関の世論調査によれば7割以上)がプーチンを支持している以上、これをたんなるフェイクニュースと切り捨てることもできません。

プーチンの演説に一貫しているのは、異様なまでの被害者意識です。そしてこれは、多かれ少なかれロシアのひとびとにも共有されています。

1991年にソ連が崩壊してバルト三国やウクライナなどが独立、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーなどの衛星国は民主化を達成してソ連の影響から離脱しました。これを受けてEUとNATOは東へと拡大し、いまではベラルーシを除くすべての国が「ヨーロッパ」の一員になることを希望しています。これはすなわち、ロシアが「ヨーロッパ」から排除されるということでもあります。

それと同時に、バルト三国や中・東欧の国々で「歴史の見直し」が始まり、ソ連によってナチズムからの解放されたのはなく、ナチズムとスターリニズムの「2つのファシズム」に支配されたのだと主張するようになりました。“リベラルの守護神”であるEUも新加盟国と歩調を合わせ、ヒトラーとともにスターリンによる虐殺や粛清などの暴虐行為を非難するようになります。

しかしこれは、ロシアにとってとうてい受け入れることのできない「歴史観」でした。独ソ戦はヒトラーが不可侵条約を破って一方的に侵略を開始したもので、この「絶滅戦争」によってソ連は1億9000万の人口のうち戦闘員・民間人含め2700万人が犠牲になりました。そして、この「大祖国戦争」を勝利に導いたのはスターリンなのです。

このようにして2000年前後から、ヨーロッパとロシアのあいだで「記憶をめぐる戦争」が始まり、ウクライナもこれに加わります。そこでは中・東欧諸国とロシアの双方が、自分たちこそが「犠牲者」だと主張しあうことになります。

このような経緯を紹介したのは、ロシアにもなんらかの理があるというDD(どっちもどっち)論をするためではありません。軍事的にはまったく安全を脅かされていないロシアがなぜ無謀な侵略行為を始めたのかを理解するには、これが「アイデンティティの戦争」だと考えるほかないのです。

日本でも保守派のメディアなどが、東アジアでの過去をめぐって「歴史戦」を煽ってきました。わたしたちはその「末路」がどうなったのか、いちど冷静に考えてみるべきかもしれません。

参考:マルレーヌ・ラリュエル『ファシズムとロシア』東京堂出版

『週刊プレイボーイ』2022年5月30日発売号 禁・無断転載