分断が深まるとうまくいく場合 週刊プレイボーイ連載(533) 

日本でも海の向こうでも、SNSが社会を分断させているとの声が強まっています。しかしこれには異論もあり、「特定の政治課題で意見が分かれているだけで、有権者の多数派はむかしもいまも中道だ」との調査もあります。とはいえ、SNSの内部では分断(というより罵り合い)がますます強まっていることは間違いないでしょう。

興味深いことに、「分断が深まれば深まるほどものごとがうまくいく」ということがあり得ます。

アメリカでは、黒人が警官に射殺されるたびに大規模な抗議デモが起きています。人種問題はもっともひとびとの感情を煽るので、こうした事件を記述したWikipediaのページは大混乱になると思うでしょう。ところが専門家によると、政治的に敏感なトピックほど説明は詳細かつ正確になり、政府や司法機関の報告書に匹敵するものもあるといいます。

2014年、ミズーリ州ファーガソンで18歳の黒人青年が白人警官に射殺された事件では、警官が無罪になったことへの抗議デモが暴動に発展し、夜間外出禁止令が発令される事態になりました。この事件についての英文のWikipediaの記述は、事件の背景、分単位の事件経過と発砲時の位置関係の図解、現場検証や検視結果、警官・目撃者の証言、裁判の経緯やその後の民事訴訟まで、A4判で30ページ以上にもわたって記述されています。

なぜこんな詳細なページが実現したのでしょうか。それは、執筆者が政治イデオロギーによって対立しているからです。

民主党寄りの執筆者は、「警察=悪/黒人=被害者」という構図を描きがちです。それに対して共和党寄りの執筆者は、「警察官は(犯罪者を取り締まるという)職務を執行しただけだ」と考えるでしょう。この時点で、双方に妥協の余地はどこにもありません。

ところが両者が同じ事件について書こうとすると、厳密なルールに拘束されていることに気づきます。「発砲した警官はレイシストに決まっている」とか、「相手は犯罪者だったにちがいない」などの記述は、たちまち相手側に削除されてしまうのです。Wikipediaでは、「いかなる記述も証拠(エビデンス)に基づいていなければならない」と決められているからです。

そうなるとどちら側も、相手の主張を打ち破ろうとすれば、それを上回る証拠を探し出してこなければなりません。このようにして報道だけでなく、警察発表や裁判で提出された資料まで徹底的に調べつくされ、専門家を驚かすようなレベルに到達するのでしょう。執筆・編集のガイドラインが、いわば党派対立をスポーツ(一定のルールの下でお互いが全力でぶつかり合い、相手を叩きのめす闘い)にするように巧妙につくられているのです。

ここまでは素晴らしいことですが、すでにお気づきのように、この仕組みを普遍化して、SNS全体を“闘議のアリーナ”に設計することはほぼ不可能です。その結果、今日も、明日も、さまざまな政治的トピックをめぐって、なんの生産性もない罵詈雑言でSNSの言論空間が埋め尽くされることになるのでしょう。

参考:イアン・レズリー『Conflicted(コンフリクテッド) 衝突を成功に変える方法』橋本篤史訳、光文社

『週刊プレイボーイ』2022年8月22日発売号 禁・無断転載

時代革命と陰謀論

2019年から香港で始まった大規模な民主化運動を描くドキュメンタリー映画『時代革命』が公開されたので、それに合わせて、19年8月に香港を訪れたときの記事を再公開します。映画では7月の立法会(香港の議会議事堂)占拠事件と、11月の香港中文大学、香港理工大学の籠城が描かれていますが、私が訪れたのはこの2つの大きな出来事の間で、デモ参加者による香港国際空港の占拠で大きな混乱が起きた直後でした(「海外投資の歩き方」のサイトで2019年8月30日公開。一部加筆修正)。

通行止めとなった車道を歩いて駅に向かう8.18デモの参加者 (ⒸAlt Invest Com)

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香港の国際空港が民主化運動のデモ隊に占拠され、空の便が大混乱となった4日後の2019年8月18日から21日まで、3泊4日で香港を訪れた。

私はジャーナリストではないのでデモの渦中に飛び込んで取材するのが目的ではなく、香港の友人と久しぶりに広東料理でも食べながら飲もうと約束して航空券を予約したら、たまたまこの時期になってしまった。前日までは香港便が飛ぶかどうかわからなかったが、空港の混乱が収束したようなので予定通り出かけることにした。

飛行機の座席はそれなりに埋まっていたものの、いつもなら混みあっている入国審査場にいるのはほとんどが帰国する香港市民で、外国人用のカウンターはがらがらだった。

現在は、空港の出発ロビーに入るにはパスポートなどのIDと搭乗証明書類が必要で、デモ隊が占拠することはできなくなった。ただし、市内と空港を結ぶエアポートエクスプレスのホームから出国ロビーへの入口は1カ所しか開いておらず、いまは旅行者が少ないから問題ないものの、大量の出国者をスムーズに処理するのは難しそうだ。そのためか、ホテルでは出発時間の3時間前には空港に着くようにアドバイスされた。

「正常化」した香港国際空港の出発ロビー (ⒸAlt Invest Com)

民主化デモに参加する中学生や高校生

香港に着いた8月18日(日)は大規模な集会が行なわれており、午後6時半頃に香港駅でエアポートエクスプレスを降りると、家路に向かうらしい黒シャツ姿の若者たちとすれちがった。

中環(セントラル)のホテルにチェックインし(フロントのスタッフはいっさいデモについて触れなかった)、午後7時過ぎに金融機関や行政施設が集まる中心部まで様子を見に出かけた。

この日の集会は銅鑼湾(コーズウェイベイ)にあるヴィクトリアパークで行なわれ、その後、警察の許可を受けないまま中環に向けて行進したが、大きな混乱は起きなかった。主催者発表の参加者は170万人で、6月の約200万人に次ぐ大規模なデモとなり、抗議行動が衰えていないことを内外に示した。一方、警察発表は12万人で主催者発表と10倍以上のちがいがあり実数は不明だが、メインストリートを埋め尽くす群衆の映像を見ても100万人以上の市民が参加したことは間違いないだろう。

夕方からはげしい雨になったようで、夜になって小降りになってきたものの、駅に向かう黒シャツ姿の参加者はみな傘をさしていた。若者が圧倒的に多いが、中高年の男女の姿も少なくなく、デモが香港市民の広範な支持を受けていることがわかる。海外の報道関係者に混じって、デモに参加したらしい黒いシャツを着た欧米人の若い男も何人か見かけた。

雨のなか傘をさして帰路につくデモ参加者。若者だけでなく中高年の姿も少なくなかった(ⒸAlt Invest Com)

黒シャツの若者たちは地下鉄駅の構内や歩道橋などに友だち同士で集まって、撮影したデモの写真や動画を見せあっていた。それを編集して、SNSなどにアップするのだろう。そうすると、世界じゅうから応援のメッセージが送られてくる。この達成感が、デモに参加する大きなモチベーションになっているようだ。そのなかには高校生というより中学生にしか見えない女の子のグループもいた。

下の写真は、地下鉄香港駅に隣接する国際金融中心の高級ショッピングモールで見かけた光景。ファストフードのヌードルショップだがけっして安くはなく、1人1000~1500円はするだろう。そんな店で、デモに参加した若者が友人たちと、あるいは恋人同士で食事をしていた。裕福な家庭で育った高校生・大学生たちも積極的にデモに参加しているようだ。

デモのあとグループやカップルで食事をする若者たち(ⒸAlt Invest Com)

この日の大規模デモは平和的に行なわれたが、その後、ふたたび警察と衝突し、放水車や催涙ガスが使われる事態になった。とはいえ地下鉄などの公共交通機関は通常どおり運行しており、デモのない平日の金融街や繁華街は拍子抜けするくらいふつうだった。ホテル代は大幅に値下がりしており、高級ホテルも通常の半額程度で泊まれる。

香港の知人からは、デモの参加者に間違えられやすい黒いシャツや、親中国の武闘派と見なされる白いシャツは避け、デモの標的になりやすい警察署や政府施設には近づかないように強くいわれていた。実際には、平日でも黒や白のTシャツ姿の一般人はたくさんいた。下の写真はデモの翌日の繁華街だが、揃いの黒シャツ姿のグループは民主派への支持を表わしているのだろう。

8.18デモの翌日、繁華街の蘭桂坊(ランカイフォン)を歩く黒シャツ姿のグループ (ⒸAlt Invest Com)

「中国の悪口をいったら、ある日突然拘束され、そのまま本土に連れて行かれるかもしれない」

香港特別行政区政府による逃亡犯条例の改正がデモのきっかけとなったことはすでに多く報じられており、ここで説明を繰り返すことはしないが(Wikipediaの「2019年逃亡犯条例改正案」の項目が詳しい)、ポイントは中国本土にも刑事事件の容疑者を引き渡すことができるようになることと、条約締結国からの要請を受けて香港内の資産凍結や差押えを行なえるようになることだ。

民主派や人権派弁護士などがこれを問題視したのは、2016年に銅鑼湾の書店主など出版関係者が中国国内で半年ちかくも拘束される事件があったからだろう。関係者が沈黙を守っているため真相は明らかではないが、拘束の理由は習近平のスキャンダル本を企画したからで、そのうちの1人は中国当局者によって香港から連れ去られたとされる。逃亡犯条例が改正されれば、こうしたことが秘密裏ではなく堂々と行なえるようになる。「人権派」だけでなくビジネスパーソンや一般市民までが不安に思ったのは当然だ。

知人の一人は、「中国の悪口をいったら、ある日突然拘束され、そのまま本土に連れて行かれるかもしれない」といったが、これは大げさではなく、香港人のリアルな恐怖なのだろう。

民主派・人権派からの批判に対して林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は当初、香港市民への説明を拒否し、改正案成立を数で押し切ろうとした。その結果、それまで散発的に行なわれていたデモの規模が拡大して世界を驚かせた6月9日の「200万人デモ」に発展し、7月には立法会(香港の議会議事堂)が一時的に占拠されるに至った。

今回、金融関係者を中心に何人かの知人・友人の話を聞いた。全員が逃亡犯条例改正には反対だが、デモには参加せず一定の距離を置いており、「心情的には理解できる」から、(行政長官が「逃亡犯条例は事実上の廃案」と言明したことを受けて)「そろそろ終結させるべきだ」とする者まで立場はさまざまだった。

しかしそれでも、「これは個人的な意見なんだけど」とか、「ネットに流れているたんなる噂だけど」などの前置きをつけて、全員が同じような話をした。なんの証拠もないとはいえ、なかには金融機関の役員クラスもいるから、いい加減な与太話というわけでもない。

そんな「噂」のひとつを紹介しよう。それは、「デモ鎮圧の警察官を怪我させれば8000香港ドル(約10万円)、死亡させれば5万香港ドル(約70万円)の懸賞が出ている」というものだ。

にわかには信じられないが、これは私の友人が香港警察の知り合いから聞いた話だ。懸賞の真偽は別として、このような噂が香港の警察官のあいだに流れていることは「事実」のようだ。

これから一般のニュースには流れない「噂」を紹介したいと思うのだが、そこから、香港の警察内部になぜこのような「陰謀論」が生まれるのかもわかるだろう。

民主化デモについて、香港人のあいだで語られている「噂」

今回のデモの大きな特徴は「リーダー不在」だとされる。デモを主催する民主派団体はいくつかあるが、2014年の香港反政府デモ(雨傘運動)のときのようなリーダーがいるわけではなく、交渉相手がいないことが香港政府の対応を難しくしている。これはジレジョーヌ(黄色ベスト)デモに苦慮するフランス政府と同じで、SNSを駆使した新しいタイプの「リーダー不在の抗議行動」といえるかもしれない。

しかし、私が話を聞いた知人たちはいちようにこうした見解を否定した。そして、次のような「噂」を教えてくれた。

「それなりに統制のとれていた雨傘運動のデモだって、1カ月くらいしか続かなかった。ところが今回は、2カ月以上たってもまだ大規模なデモを組織することができる。SNSで烏合の衆があれこれいうだけで、これだけのエネルギーを維持できるだろうか」

「空港を占拠するなんて、これまで誰も思いつかなかった戦術が、なんの指示もなく自然発生的に始まった、なんてことがあるだろうか。建物内には外国人旅行者もたくさんいるから、催涙弾を使ってデモ隊を強制排除することはできない。そのうえ、世界へのアピール効果は抜群だ」

「地下鉄のドアが閉じないようにする戦術を、一般の学生が自主的に一斉に始めるなんてことがあると思うかい? 乗客から罵声を浴びるかもしれないし、トラブルになって逮捕されるかもしれないんだよ」

そして「噂」は、デモの最前列にいる若者たちの「装備」に焦点を移す。映像で見たことがあるかもしれないが、彼らはゴーグルと防毒マスクで催涙ガスを防ぎ、高性能のレーザーポインターで警察官を挑発し、警察署や政府機関を「攻撃」する。参加者へのインタビューでは、こうした装備は「もらった」のだと答えている。

「もらった、ということは、配った人間がいるということだろ」と「噂」はいう。「そのためには装備を調達するだけでなく、それを効率的に配布する多くのスタッフも必要だ。装備一式を500香港ドル(約8000円)としても、1000人分なら50万香港ドル(約800万円)、1万人分なら500万香港ドル(約8000万円)だ。そんなことを2カ月もつづけてるんだから、巨額の資金が投じられていても不思議じゃない」

「デモの参加者の大半がSNSなどで自主的に集まったのは間違いないよ。でも警官隊とぶつかる最前列は危険だから、活動家には1日1000香港ドル(約1万5000円)の日当が払われているという噂がある。あくまでもネット情報だけどね」

私が話を聞いたなかで、デモが「自生的に」行なわれていると考える者は1人もいなかった。大きな資金力をもつきわめて有能な「組織者(オーガナイザー)」がいなければあり得ないほど、今回のデモは高度に戦略的に展開されているのだ。

デモを応援する寄せ書きが貼られた掲示板(ⒸAlt Invest Com)

民主化デモを裏で操っているのは誰?

デモを裏側で操る「組織者」とは誰だろうか? これについては、大きく3つの説に分かれた。

第1は「アメリカ陰謀論」で、中国政府が主張しているものと同じだ。だがこれについては、金融関係者の多くは、「そんなことをしてもアメリカにメリットはない」と懐疑的だった。

CIAが工作しているとすると、それは大統領の承認を受けているはずだ。だがトランプは、香港情勢について習近平と会談し、仲介役になってもいいとTweetしている。そんなときにアメリカが裏で民主活動家を支援していることが暴露されればトランプの面目は丸つぶれで、来年の大統領選挙にもダメージを与えるだろう。だとすれば、そんなリスクの大きな計画を承認するわけはない、というのだ。

もっとも香港の民主派がアメリカの反共保守の政治家とつながっていることは公然の秘密で、そのルートから資金が流れているということはあるかもしれない。

第2は「中国共産党権力闘争説」で、共産党内部で習近平と敵対する勢力が後ろ盾となってデモを行なわせている、というものだ。習近平が強力に推し進める「反腐敗運動」では多くの有力者が失脚し、「敵」をつくったことは間違いない。それを考えればこの説は魅力的ではあるものの、共産党内部はブラックボックスで、いったい誰(どの勢力)がデモを操っているのか具体的に説明できないのが難点だ。

第3が「香港大富豪黒幕説」で、金融関係者にはこれがいちばん支持者が多い。この説は、逃亡犯条例が成立すると香港内の資産凍結や差押えを行なえるようになることに注目する。

香港の大富豪で、中国で大きな商売をしていない人間はいない。中国側には必ず、ビジネスパートナーがいる。その相手が、習近平の政敵として粛清されたとしたらどうだろう。香港の大富豪であっても、共産党は容赦なく中国に連行し、不動産など香港の資産を差し押さえるかもしれない」

「そもそも、こんなに評判の悪い逃亡犯条例を無理矢理成立させようとしたことが怪しいんだ。そこに中国政府の強い意志があるとするなら、「将来のため」というような漠然とした理由ではなく、すでに明確な標的がいるのかもしれない。大富豪がそのことに気づいていれば、どんな手段を使ってでも、どれだけ金をかけても、逃亡犯条例を廃案にしようとするんじゃないのかい」

そのように語るとき、特定の人物が(おそらく)念頭にあるのだろうが、私にはその名前まで教えてはくれなかった。

この変種として、「中国大富豪黒幕説」もある。中国で経済的に成功した者は、香港を通じて資金を海外に逃避させたり、香港の不動産に投資したりしている。逃亡犯条例ができれば、香港で暮らす家族を拘束したり、香港の資産を差し押さえることができるようになるというのだ。

 楽観論と悲観論

もちろんデモを操る「黒幕」などおらず、「陰謀論」は根も葉もないものばかりかもしれないが、それでも活動家には「組織者」から相当な額の資金が渡されていると考えている香港人は多い。だとすれば、香港警察が疑心暗鬼になって、「警察官に懸賞がかけられている」という「噂」を信じるようになっても不思議はないだろう。

当然のことながら、香港の行政当局や中国共産党も、何者かが裏でデモを操っているにちがいないと考えており、それが対処を難しくしている。

だとすれば、これから香港はどうなるのだろうか? これは楽観論と悲観論に分かれた。

楽観論は、「中国は武力で香港を征圧することはしないし、9月になればデモも徐々に収束する」というものだ。

「活動家の狙いは香港を「第二の天安門」にすることで、その瞬間を報道しようと世界じゅうからジャーナリストやカメラマンが集まっている。それがわかっていて、香港に軍や武装警察を送り込むほど共産党はバカじゃないよ」というのが典型的な意見で、ビジネスパーソンのあいだでは主流だ。そこには、香港が大混乱に陥れば自分たちのビジネスも立ち行かなくなるという事情もあるだろうが。

9月収束説は、学校が始まればデモの主体である大学生や高校生がこれまでのように参加できなくなるだろう、というものだ。目下のところ、香港の行政当局の唯一の戦略が「新学期の開始を待つ」ことだという。

だがもし香港の大富豪が黒幕なら、「(逃亡犯条例は)来年7月には自然に廃案になる」という行政当局の説明に納得するはずはない。デモが収束したあとで、いつでも「状況が変わった」として再審理にかけることができるのだから。

そこで悲観論は、10月1日の国慶節をデッドラインとする。毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したこの記念日に香港で大規模デモが行なわれることになれば、共産党内での習近平の威信は大きく傷つく。だとすれば、武力を投入してでもそれまでにデモを鎮圧しようとするにちがいない、というのだ。

そのうえで、私が話をした知人たちの誰一人として、「香港独立」はもちろん「民主化(普通選挙)」が実現すると述べる者はいなかった。香港は中国(共産党)の統治下にあり、自分たちではなにひとつ決められないというのだ。

西欧化した価値観のなかで育った香港の若者たちが求めているのは、言論・表現の自由や民主的な選挙など、グローバルスタンダードのリベラリズム(自由主義)だ。そしてこれが、リベラルな社会をあきらめざるをえない中国国内で、香港のデモがなんの共感も呼ばない理由になっている。習近平(共産党)は「独裁」ではなく、14億の人民の「なぜ香港だけを特別扱いするのか」との不満に押され、引くに引けなくなっているのだ。

雨のなか帰路につくデモ参加者は口々に、「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、革命の時代だ)」と叫んでいた。

香港のあちこちで見かけた「光復香港、時代革命」の標語(ⒸAlt Invest Com)

【後記】

その後、9月にキャリー・ラム行政長官が「逃亡犯条例改正案」の撤回を表明したが抗議行動の勢いは収まらず、10月に香港政府によって「覆面禁止令」が施行。11月には名門大学である香港中文大学と香港理工大学で学生たちによる籠城が起きたが、警察によって包囲・制圧された。

2020年に入ると新型コロナの影響で、公共の場に5人以上で集まることが禁止されるなど、抗議行動が不可能になった。5月に中国全人代で「国家安全法」の香港への適用が採択、6月に施行されたことで、「一国二制度」は事実上崩壊した。

ロシアはファシズムではなく「反リベラリズム」

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトでロシアのウクライナ侵攻について書いたものを、全6回で再掲載しています。第5回は前回につづき、歴史家マルレーヌ・ラリュエルの『ファシズムとロシア』(翻訳:浜 由樹子/東京堂出版)の紹介です。(公開は2022年5月13日。一部改変)

モスクワ、赤の広場(クレムリン) (@Alt Invest Com)

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歴史家マルレーヌ・ラリュエルの『ファシズムとロシア』は、原題の“Is Russia Fascist?(ロシアはファシストか?)”のとおり、現在のロシアを「ファシズム」と定義できるかを論じている。この問題を考える前段として、ソ連崩壊後に、中東欧やバルト三国から提起された「記憶をめぐる戦争」が、西欧とロシアの「歴史戦」になっていることを前回紹介した。

[参考記事]●「共産主義の犯罪」をめぐる歴史戦の末路

ロシアはファシズムなのかを問うには、「ファシズムとは何か」を定義しておかなくてはならない。だがラリュエルが述べるように、これは一筋縄ではいかない。

歴史的に見れば、「ファシズム」はイタリアのベニート・ムッソリーニが1919年に設立した政党「イタリア戦闘ファッシ」から始まる一連のイデオロギーと政治運動、および統治体制をいう。問題は、この「ファシズム」をどこまで拡張できるかで意見の一致が困難なことだ。

現代史家のなかには、イタリアのファシズムとドイツのナチズムのちがいを厳密に論じる者もいる。その一方で、特定の政党・政治家に「ファシズム」や「ファシスト」のレッテルを貼って批判することがしばしば行なわれている(もちろんこれは日本だけのことではない)。「ファシズム」の定義は、まさに論者の数だけあるのだ。

ファシズムは「不可解なイデオロギー」

ファシズムはずっと、社会科学にとって「不可解なイデオロギー」だった。そのため当初の議論では、「イタリア・ファシズムとドイツ・ナチズムは世界史の中で例外的で、この現象を説明するのに比較研究は役に立たない」とされた。こうしてしまえば、ファシズムを定義すること自体が不要になるので、都合がよかったのだ。

もうひとつの有力な説は、ファシズムに真のイデオロギー的な中身(イズム)があるわけではなく、それは「反共産主義」や「反ユダヤ」のような反動にすぎないというものだった。このような消極的な定義を採用しても、ファシズムを積極的に定義する必要はなくなる。

マルクス主義学派にとって、ファシズムとは「資本主義の矛盾を通じて説明可能な反動的運動」だった。だがこの理論では、ナチズムの人種主義的な側面は切り捨てられることになってしまう。

ファシズムを共産主義への応答と見なし、両者を互いに影響し合う二つの産物として論じる者もいた。この立場では、どちらも近代(進歩主義)の行きついた果てに生まれたイデオロギーになるが、それとは逆に、「進歩、普遍主義、ヒューマニズムを否定した反啓蒙主義イデオロギー」としてファシズムを位置づける者もいた。

ラリュエルによれば、ファシズム研究にはいくつかの流派がある。

「ウェーバー的見地」では、ファシズムを「社会変革があまりに急速で、全員に平等に利益をもたらすわけではない場合に生じる、近代化の犠牲者の反応」として説明する。それが「失われた確かさを取り戻す新しいユートピアを創造し、スケープゴートを見出す」というのだ。

フランスのポスト・モダンの思想家ミシェル・フーコーの「統治性」概念では、ファシズムは「社会における私的・公的生活のあらゆる面を支配する統治性の極端な全体主義的事例」だと見なされた。同じくポスト・モダンの精神分析学者ジャク・ラカンは、「全能の支配的男性とみなされる指導者に容易く操られ、暴力に訴える傾向のある大衆の、本能的なパターン」を分析した。ラカン的にいえば、「ファシズムの歓喜は人民のナルシスティックな自我に侵入し、集団的精神病を促す」のだ。

ユートピアを目指す革命運動

こうした社会科学の議論とは別に、ファシズムを経済学的に定義しようとする試みもあった。それによればファシズム体制は「経済にまで国家の支配を及ぼし、主要産業を国有化し、巨額の国家投資を行い、計画経済や価格コントロールのいくつもの方法を導入した」国家運営ということになる。またカルチュラル・スタディーズは、視覚的プロパガンダ、審美論、劇場型演出の重要性を探求することで、ファシズムを文化(サブカルチャー)としてとらえる方法を開拓した。

これらの議論を踏まえ、1990年代に歴史家のロジャー・グリフィンが、より研究上の合意を得られるファシズムの定義を提出した。それは、「保守主義、無政府主義、リベラリズム、あるいはエコロジー主義同様、ファシズムも、理想の社会についての特定の『前向きな』ユートピア的ヴィジョン――核となる原理の組み合わせを保ってはいるものの、その地域の状況によって決まるいくつもの特徴的形態とみなすことができるヴィジョン――を掲げるイデオロギーとして定義が可能である」というものだった。

急速な文化的衰退は、文化的悲観主義を喚起するのではなく、代わりに「国家・民族の復活についての革命的思考を希求する動き」を促すとグリフィンは考えた。ファシズムは「新生を掲げるウルトラナショナリズム」なのだ。――2012年には、「形成される状況と国家・民族的(ナショナルな)文脈によって独特なイデオロギー的、文化的、政治的、組織的表現を帯びる、ナショナリズムの革命的な形態」というより明快なファシズムの定義を提案している。

ラリュエルはグリフィンのこの定義を踏まえたうえで、「神話の再生」に重きを置く。ファシズムとは、「暴力的手段によって再構成された、古来の価値に基づく新たな世界を創造することで近代を徹底的に破壊することを呼びかける、メタ政治イデオロギー」なのだ。この場合、重要なのはファシズムの「極端な」ナショナリズムではなく、「ファシズムの黙示録的な特質――再建のために破壊する」になる。

この見方では、ファシズムはなによりも「(ユートピアを目指す)革命運動」だ。歴史的にこれに当てはまるのは、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ロシア革命(レーニン主義)とスターリズム、中国の文化大革命、カンボジアのポルポトなどだろう。戦前の日本の国家総動員体制は「全体主義」ではあるものの、そこに「革命」や「ユートピア(八紘一宇)」の要素がどれほどあるかは議論が分かれるのではないだろうか。

プーチン体制は「大統領府」「軍産複合体」「正教会」の3つの生態系

ロシアと旧ソ連地域の研究者であるラリュエルは、プーチン体制(クレムリン)を3つの生態系で説明する。

第一の生態系は「大統領府」で、それは「ハイブリッドで場当たり的な体制」だとされる。大統領府を構成するのはソ連崩壊を体験した優秀な若手で、ウラジスラフ・スルコフがその象徴として挙げられている。

[参考記事]●「プーチンの演出家」が書いた奇妙な小説を読んでみた

彼らはプラグマティックで現実政治的なテクノクラートで、目の前の問題をどうにかして解決することだけに注力する(そしておおむねうまくやってきた)。ただし「愛国主義」は絶対で、現代のロシアでは「誰であれ、その愛国的心情を示すことなく、公的な、政治的正統性を手にすることはできない」。だからこそ経済的自由主義は許されても、政治的自由主義は「非愛国的」として拒絶されるのだ。

第二の生態系は「軍産複合体」で、「劇的に変化することのなかった地政学的、産業的な利益に依存している」とされる。主要人物たちのほとんどは高齢のソ連時代の文官か軍の高官で、彼らにとっての愛国主義はソ連時代をなつかしむノスタルジーでもある。

第三の生態系は「正教会」で、正教こそがロシアの精神的支柱であると主張する。だがたんなる復古主義でなく、1990年代の市場経済に向かう混乱から生まれた新しい世代のなかに、いわゆる「正教ビジネスマン」が台頭しているという。彼らは成功した個人企業家たちで、正教会に傾倒して献金をするが、その目的は政治的目標に近づき、クレムリンに好意的に見てもらうよう仕向けることなのだ。

こうした主要プレイヤーに対して、ファシズム=ナチズムが「絶対悪」とされてきたロシアでは、極右はつねに傍流だった。今日のロシアでファシズムの特徴が見られるのは自警団(民兵)のサブカルチャーくらいで、ロシアのファシズムの象徴とされるアレクサンドル・ドゥギンは、欧米で思われているのとはちがい、プーチンとクレムリンにほとんど影響力をもっていないとされる。

このようにしてラリュエルは、ロシアをファシズム、プーチンをファシストとするティモシー・スナイダーのような歴史家・知識人を批判する。「ロシアをファシストに分類することはしばしば、ロシアを西側にとって他者とし、「我々」にとって望ましくないものすべてを体現させるという単純な役割を果たす」からだ。

ロシア研究は長い間、「民主主義vs権威主義」「西側vs非西側」「ヨーロッパvsアジア」など、時代遅れの二項対立の型にはめられてきた。近年の西欧諸国ではそれが「西側のリベラリズム」対「ロシアのファシズム」となり、ロシアではこの構図が反転して、「ロシアの反ファシズム」対「西側の新たなファシズム」になる。

こうした非難の応酬は、双方の立場がまったく逆なので、合意を得られる着地点はどこにもない。「プーチンはファシストではなく、ファシズムではロシアは理解できず、安易な「ファシズム」のレッテル貼りは状況を理解できなくさせるだけだ」というラリュエルの主張には説得力がある。

とはいえスナイダーは、こうしたことをわかったうえで、アカデミズムの用語としてではなく、プーチンがもっとも嫌がる表現として「ファシズム」という言葉を政治的に使っているようにも思える。だとしたら、両者の主張が交わることはないのではないだろうか。

反リベラリズムは「下級国民の抵抗運動」

マルレーヌ・ラリュエルは、現在のヨーロッパやロシアの状況を表わす用語は「ファシズム」ではなく「反リベラリズム」だという。

リベラリズムへの抗議とは、政治や経済、文化の分野で国家の主権やサイレント・マジョリティの権利を訴える「ポストリベラリズムの政治的パラダイム」だ。具体的には、政治では「超国家的で多元的な機関の拒否、国民国家の再生」、経済では「保護主義」、文化では「多文化主義と少数派の権利の否定、誰がその民族・国家(ネイション)に含まれ、誰が民族・国家の真の文化的特徴であるべきかについての本質主義的定義」になる。この現象は、リベラリズムを経験した国々に限って起こっており、また、生じた時期も限定的だともいう。

ラリュエルの視点では、ヨーロッパの「右傾化」とは新たなファシズムの台頭ではなく、「反リベラル政党」の影響力が強まったことだ。彼らの特徴は、反リベラルであるにもかかわらず、一見するとリベラルな主張をすることで、「アイデンティティにおける『キリスト教主義』、世俗主義的姿勢、ユダヤ人に同情的な立場、ジェンダー平等やゲイの権利、言論の自由等をうわべではリベラルがするように擁護」している。

フランス大統領選で4割を超える票を獲得したマリーヌ・ルペンは、イスラーム原理主義と差別化するもっとも効果的な方法として、キリスト教(カトリック)の価値観を対置するのではなく、表現の自由や性的マイノリティの権利など、市民社会(世俗)の倫理を強調した。現代のポピュリズムは、社会がエリートに支配されているとして、社会経済的な支配層(金持ち、オリガルヒ、ブルジョワジー)と、制度によって「優遇された」者たち(外国人、移民、国内に潜む裏切り者)を非難するのだ。

だが反リベラリズムを「右派のポピュリズム」と定義すると、イタリアの「五つ星運動」やフランスの「不服従のフランス」のような左派ポピュリズムを説明できなくなる。だとしたら、右と左のポピュリズムをまとめて「下級国民の抵抗運動」とした方がすっきりするのではないだろうか。

プーチンは欧米の極右のアイドル

西欧では、モクスワを敵視する極右政党が存在したのは、フィンランド、バルト諸国、ウクライナ、ポーランド、ルーマニアといった、ロシアと国境を接し、その脅威にさらされている国だけだった。それ以外では、すくなくともウクライナに侵攻する前は、ヨーロッパの極右政党はロシアと良好な関係を保っていた。――アメリカの「オルトライト」たちもプーチンの大ファンだった。

アメリカやヨーロッパの右派・保守派にとって、プーチンは「退廃的なアメリカ・リベラリズムと多文化主義を退け、イスラム過激主義と激しく戦い、キリスト教の価値を守り、西側の「政治的正しさ(PC)」を批判し、グローバル・エリートが普通の人々に対する悪事を企んでいるという思想を支持する、白人世界の指針」だとされてきたのだ。

だがこれは、プーチン(クレムリン)が欧米社会に大きな影響力を行使してきたということではない。欧米の右派もロシアも、「政治的には、ヨーロッパ統合よりも国民国家と強い指導者を優先する。地政学的には、大西洋をまたぐ多国間組織に否定的な姿勢を示し、「諸国家のヨーロッパ」を擁護する。経済的には、グローバリゼーションよりも保護主義を好み、文化的には移民を拒み、昔ながらの国民的アイデンティティと、いわゆる伝統的価値の保護を求める」という反リベラリズムを共有しているのだ。

モスクワはずっと、ヨーロッパの極右政党を支援することで、EUを弱体化させようとしてきた。ロシアとヨーロッパの極右は、共通の敵と戦っている。それは「世界のリベラルな秩序、議会制民主主義、超国家的なEU機構、そして、彼らが呼ぶところの文化的マルクス主義――つまり、個人主義と、フェミニズムとマイノリティの権利の保護」だ。

ロシアがヨーロッパの極右を操っているのではなく、両者は「リベラル」という敵をもつことで、共闘しているにすぎない。右傾化は西欧に固有の問題で、ロシアは「反リベラル・ドクトリンの際立った輸出者」でしかないのだ。

こうしてラリュエルは、「ロシアは(西欧の)社会変革者として行動しているのではなく、むしろ、ヨーロッパとアメリカ社会の疑念と変質のエコーチェンバーなのである」と述べる。

破壊されたロシアのアイデンティ

ロシアを「ファシズム」と批判する者は、ロシアを「見知らぬ他者」として、「自由で民主的」な西欧社会と比較する。これは典型的な「俺たち/奴ら」の二分論だが、この構図はリベラルな西欧社会を正当化するのに都合がよかった。逆にいえば、だからこそ「リベラルなエリート主義」を嫌悪する勢力は、「反リベラリズム」としてのロシアに接近したのだ。

だが、西欧とロシアはまったく異なる社会ではなく、むしろ「ロシアは西側の連続体」だとラリュエルはいう。「ソ連ないしポスト・ソヴィエト期のロシアは、様々なかたちで西側の鏡として機能している」のだ。

ロシア革命以降の1世紀、ロシアは「社会主義、全体主義、民主主義、新自由主義、そして現在は反リベラリズム」の実験によって、西側全体の発展、行き過ぎ、過ち、失敗を増幅してきた。ロシアは例外ではなく、今日ロシアで起こっていることは、「異なる規模で西側でも観察されるより広いグローバルな潮流」に深く結び付いている。

国際的な場ではロシアは「地位を追い求める国(status-seeker)」の位置にあり、「アジェンダ立案国(agenda-setter)」であることを希求しているが、よくてもせいぜい「ルールに従う国(rule-taker)」、最悪の場合、ならず者国家か簒奪者として位置付けようとするアメリカやヨーロッパに阻まれている。

19世紀ロシア文学が描いてきたように、ロシアはナポレオン戦争ではじめて西欧近代に触れてから、自虐(自分たちは遅れている)と自尊(だからこそ純粋な精神性=聖なるロシアを保持してきた)とのあいだで大きく揺らいだ。これは西欧の周縁に位置する国の特徴で、もちろん明治維新以降の日本も例外ではない。

ラリュエルは、ロシア=ソ連の歴史は、社会的動員戦略から、社会的競争との混合戦略、さらには社会的創造へと振れてきたという。

「社会的動員戦略」とは、西側諸国のような、より高い地位にあるとみなされる国家に加わることを熱望することだ、「社会的競争との混合戦略」では、ランキングを変え、自身の地位を上げるための新しいツールを獲得しようとする。さらに「社会的創造」では、西側諸国との比較を拒み、西側の上位に位置付けるような別のランキングを提案するようになるという。

プーチンのロシアは2000年代のどこかの時点で、西欧に包摂されることを断念した。ユーラシア主義とは、大西洋から太平洋に至るユーラシアの盟主となることで、ロシアが西欧を包摂するという逆転の発想なのだろう。

「どんな反リベラルあるいはポピュリズム的な指導者に対してであれ、「ファシスト」のレッテルを貼ることは、一種の知的降伏である」とラリュエルはいう。ロシア=ファシズム論は「レッテルと誹謗の氾濫を、たやすく再利用できる時代遅れの教義・概念へと引き戻すような、我々が生きるイデオロギー的流動性と不確かさの時代の結果」なのだ。

どのような国家も、アイデンティティとしての神話を必要としている。ロシアにとっての問題は、自分たちは西欧の一員だと思っているにもかかわらず、そのアイデンティティが(中東欧やバルト三国との「記憶をめぐる戦争」によって)西欧から拒絶されていることにあるのだろう。だとしたらこの問題は、たとえウクライナ問題がなんらかのかたちで決着したとしても、これからもずっと続くことになる。

第1回 ロシアは巨大なカルト国家なのか?
第2回 陰謀論とフェイクニュースにまみれた国
第3回 「プーチンの演出家」が書いた奇妙な小説を読んでみた
第4回 「共産主義の犯罪」をめぐる歴史戦の末路
第6回 30年前に予告されていた戦争

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