陰謀論を規制すると言論の自由は死ぬのか? 週刊プレイボーイ連載(522)

資産30兆円ともいわれる大富豪のイーロン・マスクがツィッターを買収し、トランプ前大統領のアカウント凍結を「道徳的間違い」と述べたことに、反トランプのリベラル派が反発しています(その後、偽アカウントの割合に疑問があるとして買収手続きを停止)。

しかしもともと、「言論・表現の自由」はリベラルが金科玉条としてきたものです。こうなると、どちらがリベラルで、どちらが保守反動なのかわかりません。

原則として、国家による言論・表現の規制は最小限とし、投稿ルールをどうするかはプラットフォーマーが決めるべきです。こうしてネット上に複数の言論空間ができ、もっとも公正かつ効果的に意見を交換できるサイトがユーザーによって選ばれるのが理想であることは間違いありません。

そうはいっても、すべての議論に共通する最低限の基準は必要ではないでしょうか。実際、マスクも野放図な自由を主張しているのではなく、ボットやスパムの排除だけでなく、誹謗中傷や罵詈雑言の規制も(アルゴリズムの公開を条件に)認めています。

とはいえ、「議論に礼節を求めることは、差別され、抑圧された者の怒りを排除するかたちを変えた権力行使だ」との批判があることにも留意しなければなりません。1960年代のアメリカの公民権運動では、白人至上主義者を「レイシスト」と糾弾する黒人の活動家は、「下品でまともに耳を貸す必要もない連中」と見なされました。

言葉の規制以上にやっかいなのが、投稿内容の規制です。トランプは米連邦議会襲撃事件を扇動したとしてフェイスブックとツイッターのアカウントを永久凍結されたわけですが、事件から1年以上たっても訴追されていません。「違法行為が立証されたわけでもない市民(前大統領)の表現の自由を私企業が否定できるのか」との反論には説得力があります。

しかしここには、より重大な問題が隠されています。トランプを追放したフェイスブックでは、社会の変革を論じていたグループの管理者のアカウントがいきなり凍結されてトラブルになりました。

Qアノンはディープステイト(闇の政府)が世界を支配し、コロナワクチンを打つとマイクロチップが埋め込まれるなど荒唐無稽な陰謀論を唱えています。サイバーリバタリアンは、ブロックチェーンやAI(人工知能)など最先端のテクノロジーを駆使して、社会をより効率的な仕組みに設計しようと議論しています。

両者は対極にあるようですが、共通するのは「いまの社会はうまくいっておらず、つくり変えなければならない」という信念です。そしてプラットフォーマーは、「一方を規制してもう一方を許容するのはなぜか」という問いにこたえることができません。思想信条については、なにを基準に線引きするかを決められないのです。

これでは、「社会を変えよう」というラディカルな議論はSNSの言論空間から排除されてしまいます。マスクは、「アイデアのイノベーション」を守るためにツイッターを買収したのでしょう。ただしその場合は、必然的に、陰謀論者の言論・表現の自由も大幅に認められることになりますが。

参考:Jim Rutt”Musk and Moderation”Quilette(2022.04.27)

『週刊プレイボーイ』2022年5月23日発売号 禁・無断転載

中国のコロナ対策の失敗は大きすぎる成功の代償 週刊プレイボーイ連載(521)

中国では、新型コロナウイルス(オミクロン型)の感染拡大で3月末に始まった上海のロックダウン(都市封鎖)が、1カ月を超えても解除の目途が立たず、住民の不満が高まっています(その後、6月中の全面解除の方針が示されました)。北京でも連日感染者が確認され、市民がスーパーの食料品を買い占めるなど緊張が高まっているようです。

それに対してヨーロッパでは、イギリスや北欧、ベネルクス三国などを先頭に、コロナ規制の大半が解除されています。レストランに入る時にワクチン接種証明やPCRの陰性証明を提出する必要もなく、公共の場でのマスク着用義務もなくなり、大規模イベントの制限も撤廃されました。サッカースタジアムでは満員の観客が大声援をあげていて、手拍子のみの日本と比べても別世界です。

ここで確認しておく必要があるのは、だからといって「コロナ対策で欧米が成功し、中国が失敗した」とは単純にいえないことです。

コロナによる累計死者(5月5日時点)は、アメリカが99万人、イギリスが17万5000人、日本が2万9700人に対し、中国は5100人です。人口10万にあたりで見ると、英米が260~300人に対し、中国はわずか0.37人です(日本は23.6人)。「中国のデータは信用できない」というかもしれませんが、それでも人口あたりで中国の死者数がアメリカの800分の1という大きな差が覆ることはないでしょう。

ほとんどのひとが、「政治にとって、国民の生命を守ることほど大切なものはない」という主張に同意するでしょう。だとしたら、経済活動をさほど犠牲にせずに死者数をきわめて低い水準に抑え込んだ中国は、圧倒的に成功しています。逆にいえば、欧米諸国は感染拡大を(結果的に)許したことで、高齢者や持病のあるひとなどの大量の犠牲のうえに「集団免疫」を達成したともいえるのです。

中国にとっての問題は、欧米や日本で接種されているメッセンジャーRNAを使ったワクチンに比べ、中国製ワクチンの有効性が低いことです。医療体制も整備されているとはいえないため、弱毒化したオミクロン株でも、ひとたび感染が拡大すると大きな被害と社会の混乱を招く恐れがあります。

中国と同様に強い規制で感染を抑制してきたオーストラリアやニュージーランドは、段階的に規制解除へとシフトしました。欧米と同じワクチンを使っていて、感染が拡大してもその影響を予測できるからですが、14億の人口を抱える中国は同じことができません。

もうひとつの問題は、あまりに成功しすぎると、これまでやってきたことを続けるしかなくなることです。前例を変えて失敗すると、「改革」を主導した者がすべての責任を負うことになってしまいます。習近平は今年秋の党大会で3期目を目指すようですが、だとしたらなおのことリスクは取れないでしょう。

とはいえこれは、「だから独裁はダメなんだ」という話でもありません。日本もまた、戦後の高度経済成長という大きすぎる成功体験のあとで、既存の社会・経済制度をほとんど変えられず、いまも「失われた30年」の低迷にあえいでいるわけですから。

『週刊プレイボーイ』2022年5月16日発売号 禁・無断転載

『モテるために必要なことはすべてダーウィンが教えてくれた』監訳者あとがき

昨日発売されたタッカー・マックス、ジェフリー・ミラー『モテるために必要なことはすべてダーウィンが教えてくれた 進化心理学が教える最強の恋愛戦略』の監訳者あとがきを、出版社の許可を得て掲載します。

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本書は『Mate: Become the Man Women Want(メイト 女が求める男になる)』(その後、『What Women Want(女が求めるもの)』と改題)を、原著者の許可を得たうえで再構成した ものである。

原著のタイトルであるMateは日本語にするのが難しい言葉で、クラスメイトやルームメイトのように「仲間」「相棒」の意味で使われ、夫や妻をmateと表現することもある。動物行動学では、「つがい行動」をmatingという。従来の翻訳では「恋人選び」「パートナー選び」などとされているが、本書で一貫して述べられているように、男女の生物学的な性愛の非対称性から、男にとってのmateは「女性から選ばれる」ことだ。そこで、訳語はこの意味にもっとも近い「モテ」とし、文脈によって「パートナー探し」なども使った。

私は、翻訳書は参考文献を含めて全訳するのが理想だと考えているが、なぜこのようなかたちになったかというと原著が部厚いからで、すべて訳すと600ぺージを超えてしまう。2015年に出版された原著は英語圏で話題になったものの、これまで翻訳が出なかったのは、これでは多くの読者の手に取ってもらうことが難しいと判断されたからだろう。

そこで今回は、日本の読者に向けた体裁にする条件で版権を取得してもらい、私の責任で全体の分量を調整した。ここで原著から割愛した部分を説明しておく。

PART0「モテを実現する5つの原則」とPART1「理論編  進化論的にモテを理解する」で本書の主張の根幹が明らかにされる。この部分はほぼ全訳している。

PART2「準備編 モテる要素を装備する」では、「身体の健康を整える」ための睡眠、 食事、運動の具体的方法(糖質制限や筋トレ)、「心の健康を手に入れる」ためのマインドフルネス(瞑想)などの記述を割愛した。健康分野では日進月歩で新たな知見が積み上がっており、日本でも最新の研究にもとづいたアドバイスが容易に手に入るだろう。

PART3「実践編 モテのシグナルを発する」は、原著における「ステップ3 証拠を見せる」「ステップ4 女性のいるところへ出かける」「ステップ5 行動する」を合体している。

本書で展開される「進化論的なモテ戦略」の基本は、①女性を魅了する特性を身につけることと、②その証拠(プルーフ)を見せることで、「ロマンティック証拠」をシグナリングする段階ですでに「モテ」は実現している。原著ではそれ以降、服装や身だしなみ、デートの誘いからパーティでの会話術、セックスまでが詳細に説明されているが、ここは日本とアメリカでかなりの文化の違いがあることから大幅にカットした。

アメリカではパーティで男女が出会うのが一般的で、初対面の会話で女性を笑わすことや、ボディコンタクトやハグ、軽いキスなどが重要になるが、こうしたノウハウはそれなりに興味深いものの、日本ではほとんど役に立たないと判断したからだ(若い女性に読んでもらったところ、「こんなことされたら気持ち悪い」といわれた)。アメリカのどの都市や大学、どんなスポーツクラブなら女性と出会いやすいかという情報も意味がないだろう。

本書のアドバイスをすべて実行するのは難しいだろうし、日本の性愛文化に合わないものもあるだろうが、同じ生きものである以上、「女性を魅了するいくつかの特性を身につけ、それを正しくシグナリングできれば素敵な恋人と出会える」という原則は共通している。この本に書いてあることを日本流に翻案しながら、読者一人ひとりがよりよいデートやセックスを楽しんでほしい。

念のために言い添えておくが、本書の根幹である「徹底的に進化論的・生物学的に考えたモテの法則」の部分は、これらの編集によってもいっさい手を加えていない。精神疾患に関する記述には、現代日本のPC(政治的正しさ)の基準に照らして微妙なものもあるが、それも含めて著者たち(とりわけジェフリー・ミラー)の信念であると考えてそのまま訳出している(アメリカではまったく問題になっていない)。

本書でもっとも重要な主張は、「現代社会では〝倫理的なモテ〟以外の戦略はない」ということだろう。

リベラル化の進展によって、欧米では「性行為には相手の同意が必要」が常識になっており、パーティで泥酔したうえで性交したスタンフォード大学の男子学生が、相手の女性にいっさい記憶がないにもかかわらず、性的暴行で6か月の実刑判決を受けた(生涯にわたって性犯罪者として登録された)などの事例が実際に起きている。日本でも、刑法の性犯罪規定の見直しを議論してきた法務省の検討会で、「相手の同意がない性行為を処罰すべきだ」と意見が一致したと報じられた。

今後は、レイプのような暴力による性交だけでなく、催眠などの心理テクニックを使ったPUA(ナンパ師)の手法も「同意を得ていない」とみなされる可能性が高い。性愛において「倫理的・道徳的であれ」というのはきれいごとの説教ではなく、すべての男が受け入れなくてはならない〝現実〟なのだ。

本書の制作にあたっては、翻訳家の寺田早紀さん、河合隼雄さんに原著を全訳してもらったうえで、それをもとに私が全面的にリライトしました。原典まであたるなど丁寧な翻訳作業をしていただきましたが、その多くを使うことができず申し訳ありません。おふたりとも、正確かつ読みやすい翻訳でした。おふたりの作業が終わってから本になるまで長くかかったこともお詫びします。

最後に私事になりますが、本書の編集をしてくれた杉本かの子さんは、大学卒業後しばらくの間私の事務所でアルバイトをしていました。その彼女の担当で本を出すというのは、感慨深いものがあります。

2022年4月 橘 玲