ロシアはファシズムではなく「反リベラリズム」

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトでロシアのウクライナ侵攻について書いたものを、全6回で再掲載しています。第5回は前回につづき、歴史家マルレーヌ・ラリュエルの『ファシズムとロシア』(翻訳:浜 由樹子/東京堂出版)の紹介です。(公開は2022年5月13日。一部改変)

モスクワ、赤の広場(クレムリン) (@Alt Invest Com)

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歴史家マルレーヌ・ラリュエルの『ファシズムとロシア』は、原題の“Is Russia Fascist?(ロシアはファシストか?)”のとおり、現在のロシアを「ファシズム」と定義できるかを論じている。この問題を考える前段として、ソ連崩壊後に、中東欧やバルト三国から提起された「記憶をめぐる戦争」が、西欧とロシアの「歴史戦」になっていることを前回紹介した。

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ロシアはファシズムなのかを問うには、「ファシズムとは何か」を定義しておかなくてはならない。だがラリュエルが述べるように、これは一筋縄ではいかない。

歴史的に見れば、「ファシズム」はイタリアのベニート・ムッソリーニが1919年に設立した政党「イタリア戦闘ファッシ」から始まる一連のイデオロギーと政治運動、および統治体制をいう。問題は、この「ファシズム」をどこまで拡張できるかで意見の一致が困難なことだ。

現代史家のなかには、イタリアのファシズムとドイツのナチズムのちがいを厳密に論じる者もいる。その一方で、特定の政党・政治家に「ファシズム」や「ファシスト」のレッテルを貼って批判することがしばしば行なわれている(もちろんこれは日本だけのことではない)。「ファシズム」の定義は、まさに論者の数だけあるのだ。

ファシズムは「不可解なイデオロギー」

ファシズムはずっと、社会科学にとって「不可解なイデオロギー」だった。そのため当初の議論では、「イタリア・ファシズムとドイツ・ナチズムは世界史の中で例外的で、この現象を説明するのに比較研究は役に立たない」とされた。こうしてしまえば、ファシズムを定義すること自体が不要になるので、都合がよかったのだ。

もうひとつの有力な説は、ファシズムに真のイデオロギー的な中身(イズム)があるわけではなく、それは「反共産主義」や「反ユダヤ」のような反動にすぎないというものだった。このような消極的な定義を採用しても、ファシズムを積極的に定義する必要はなくなる。

マルクス主義学派にとって、ファシズムとは「資本主義の矛盾を通じて説明可能な反動的運動」だった。だがこの理論では、ナチズムの人種主義的な側面は切り捨てられることになってしまう。

ファシズムを共産主義への応答と見なし、両者を互いに影響し合う二つの産物として論じる者もいた。この立場では、どちらも近代(進歩主義)の行きついた果てに生まれたイデオロギーになるが、それとは逆に、「進歩、普遍主義、ヒューマニズムを否定した反啓蒙主義イデオロギー」としてファシズムを位置づける者もいた。

ラリュエルによれば、ファシズム研究にはいくつかの流派がある。

「ウェーバー的見地」では、ファシズムを「社会変革があまりに急速で、全員に平等に利益をもたらすわけではない場合に生じる、近代化の犠牲者の反応」として説明する。それが「失われた確かさを取り戻す新しいユートピアを創造し、スケープゴートを見出す」というのだ。

フランスのポスト・モダンの思想家ミシェル・フーコーの「統治性」概念では、ファシズムは「社会における私的・公的生活のあらゆる面を支配する統治性の極端な全体主義的事例」だと見なされた。同じくポスト・モダンの精神分析学者ジャク・ラカンは、「全能の支配的男性とみなされる指導者に容易く操られ、暴力に訴える傾向のある大衆の、本能的なパターン」を分析した。ラカン的にいえば、「ファシズムの歓喜は人民のナルシスティックな自我に侵入し、集団的精神病を促す」のだ。

ユートピアを目指す革命運動

こうした社会科学の議論とは別に、ファシズムを経済学的に定義しようとする試みもあった。それによればファシズム体制は「経済にまで国家の支配を及ぼし、主要産業を国有化し、巨額の国家投資を行い、計画経済や価格コントロールのいくつもの方法を導入した」国家運営ということになる。またカルチュラル・スタディーズは、視覚的プロパガンダ、審美論、劇場型演出の重要性を探求することで、ファシズムを文化(サブカルチャー)としてとらえる方法を開拓した。

これらの議論を踏まえ、1990年代に歴史家のロジャー・グリフィンが、より研究上の合意を得られるファシズムの定義を提出した。それは、「保守主義、無政府主義、リベラリズム、あるいはエコロジー主義同様、ファシズムも、理想の社会についての特定の『前向きな』ユートピア的ヴィジョン――核となる原理の組み合わせを保ってはいるものの、その地域の状況によって決まるいくつもの特徴的形態とみなすことができるヴィジョン――を掲げるイデオロギーとして定義が可能である」というものだった。

急速な文化的衰退は、文化的悲観主義を喚起するのではなく、代わりに「国家・民族の復活についての革命的思考を希求する動き」を促すとグリフィンは考えた。ファシズムは「新生を掲げるウルトラナショナリズム」なのだ。――2012年には、「形成される状況と国家・民族的(ナショナルな)文脈によって独特なイデオロギー的、文化的、政治的、組織的表現を帯びる、ナショナリズムの革命的な形態」というより明快なファシズムの定義を提案している。

ラリュエルはグリフィンのこの定義を踏まえたうえで、「神話の再生」に重きを置く。ファシズムとは、「暴力的手段によって再構成された、古来の価値に基づく新たな世界を創造することで近代を徹底的に破壊することを呼びかける、メタ政治イデオロギー」なのだ。この場合、重要なのはファシズムの「極端な」ナショナリズムではなく、「ファシズムの黙示録的な特質――再建のために破壊する」になる。

この見方では、ファシズムはなによりも「(ユートピアを目指す)革命運動」だ。歴史的にこれに当てはまるのは、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ロシア革命(レーニン主義)とスターリズム、中国の文化大革命、カンボジアのポルポトなどだろう。戦前の日本の国家総動員体制は「全体主義」ではあるものの、そこに「革命」や「ユートピア(八紘一宇)」の要素がどれほどあるかは議論が分かれるのではないだろうか。

プーチン体制は「大統領府」「軍産複合体」「正教会」の3つの生態系

ロシアと旧ソ連地域の研究者であるラリュエルは、プーチン体制(クレムリン)を3つの生態系で説明する。

第一の生態系は「大統領府」で、それは「ハイブリッドで場当たり的な体制」だとされる。大統領府を構成するのはソ連崩壊を体験した優秀な若手で、ウラジスラフ・スルコフがその象徴として挙げられている。

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彼らはプラグマティックで現実政治的なテクノクラートで、目の前の問題をどうにかして解決することだけに注力する(そしておおむねうまくやってきた)。ただし「愛国主義」は絶対で、現代のロシアでは「誰であれ、その愛国的心情を示すことなく、公的な、政治的正統性を手にすることはできない」。だからこそ経済的自由主義は許されても、政治的自由主義は「非愛国的」として拒絶されるのだ。

第二の生態系は「軍産複合体」で、「劇的に変化することのなかった地政学的、産業的な利益に依存している」とされる。主要人物たちのほとんどは高齢のソ連時代の文官か軍の高官で、彼らにとっての愛国主義はソ連時代をなつかしむノスタルジーでもある。

第三の生態系は「正教会」で、正教こそがロシアの精神的支柱であると主張する。だがたんなる復古主義でなく、1990年代の市場経済に向かう混乱から生まれた新しい世代のなかに、いわゆる「正教ビジネスマン」が台頭しているという。彼らは成功した個人企業家たちで、正教会に傾倒して献金をするが、その目的は政治的目標に近づき、クレムリンに好意的に見てもらうよう仕向けることなのだ。

こうした主要プレイヤーに対して、ファシズム=ナチズムが「絶対悪」とされてきたロシアでは、極右はつねに傍流だった。今日のロシアでファシズムの特徴が見られるのは自警団(民兵)のサブカルチャーくらいで、ロシアのファシズムの象徴とされるアレクサンドル・ドゥギンは、欧米で思われているのとはちがい、プーチンとクレムリンにほとんど影響力をもっていないとされる。

このようにしてラリュエルは、ロシアをファシズム、プーチンをファシストとするティモシー・スナイダーのような歴史家・知識人を批判する。「ロシアをファシストに分類することはしばしば、ロシアを西側にとって他者とし、「我々」にとって望ましくないものすべてを体現させるという単純な役割を果たす」からだ。

ロシア研究は長い間、「民主主義vs権威主義」「西側vs非西側」「ヨーロッパvsアジア」など、時代遅れの二項対立の型にはめられてきた。近年の西欧諸国ではそれが「西側のリベラリズム」対「ロシアのファシズム」となり、ロシアではこの構図が反転して、「ロシアの反ファシズム」対「西側の新たなファシズム」になる。

こうした非難の応酬は、双方の立場がまったく逆なので、合意を得られる着地点はどこにもない。「プーチンはファシストではなく、ファシズムではロシアは理解できず、安易な「ファシズム」のレッテル貼りは状況を理解できなくさせるだけだ」というラリュエルの主張には説得力がある。

とはいえスナイダーは、こうしたことをわかったうえで、アカデミズムの用語としてではなく、プーチンがもっとも嫌がる表現として「ファシズム」という言葉を政治的に使っているようにも思える。だとしたら、両者の主張が交わることはないのではないだろうか。

反リベラリズムは「下級国民の抵抗運動」

マルレーヌ・ラリュエルは、現在のヨーロッパやロシアの状況を表わす用語は「ファシズム」ではなく「反リベラリズム」だという。

リベラリズムへの抗議とは、政治や経済、文化の分野で国家の主権やサイレント・マジョリティの権利を訴える「ポストリベラリズムの政治的パラダイム」だ。具体的には、政治では「超国家的で多元的な機関の拒否、国民国家の再生」、経済では「保護主義」、文化では「多文化主義と少数派の権利の否定、誰がその民族・国家(ネイション)に含まれ、誰が民族・国家の真の文化的特徴であるべきかについての本質主義的定義」になる。この現象は、リベラリズムを経験した国々に限って起こっており、また、生じた時期も限定的だともいう。

ラリュエルの視点では、ヨーロッパの「右傾化」とは新たなファシズムの台頭ではなく、「反リベラル政党」の影響力が強まったことだ。彼らの特徴は、反リベラルであるにもかかわらず、一見するとリベラルな主張をすることで、「アイデンティティにおける『キリスト教主義』、世俗主義的姿勢、ユダヤ人に同情的な立場、ジェンダー平等やゲイの権利、言論の自由等をうわべではリベラルがするように擁護」している。

フランス大統領選で4割を超える票を獲得したマリーヌ・ルペンは、イスラーム原理主義と差別化するもっとも効果的な方法として、キリスト教(カトリック)の価値観を対置するのではなく、表現の自由や性的マイノリティの権利など、市民社会(世俗)の倫理を強調した。現代のポピュリズムは、社会がエリートに支配されているとして、社会経済的な支配層(金持ち、オリガルヒ、ブルジョワジー)と、制度によって「優遇された」者たち(外国人、移民、国内に潜む裏切り者)を非難するのだ。

だが反リベラリズムを「右派のポピュリズム」と定義すると、イタリアの「五つ星運動」やフランスの「不服従のフランス」のような左派ポピュリズムを説明できなくなる。だとしたら、右と左のポピュリズムをまとめて「下級国民の抵抗運動」とした方がすっきりするのではないだろうか。

プーチンは欧米の極右のアイドル

西欧では、モクスワを敵視する極右政党が存在したのは、フィンランド、バルト諸国、ウクライナ、ポーランド、ルーマニアといった、ロシアと国境を接し、その脅威にさらされている国だけだった。それ以外では、すくなくともウクライナに侵攻する前は、ヨーロッパの極右政党はロシアと良好な関係を保っていた。――アメリカの「オルトライト」たちもプーチンの大ファンだった。

アメリカやヨーロッパの右派・保守派にとって、プーチンは「退廃的なアメリカ・リベラリズムと多文化主義を退け、イスラム過激主義と激しく戦い、キリスト教の価値を守り、西側の「政治的正しさ(PC)」を批判し、グローバル・エリートが普通の人々に対する悪事を企んでいるという思想を支持する、白人世界の指針」だとされてきたのだ。

だがこれは、プーチン(クレムリン)が欧米社会に大きな影響力を行使してきたということではない。欧米の右派もロシアも、「政治的には、ヨーロッパ統合よりも国民国家と強い指導者を優先する。地政学的には、大西洋をまたぐ多国間組織に否定的な姿勢を示し、「諸国家のヨーロッパ」を擁護する。経済的には、グローバリゼーションよりも保護主義を好み、文化的には移民を拒み、昔ながらの国民的アイデンティティと、いわゆる伝統的価値の保護を求める」という反リベラリズムを共有しているのだ。

モスクワはずっと、ヨーロッパの極右政党を支援することで、EUを弱体化させようとしてきた。ロシアとヨーロッパの極右は、共通の敵と戦っている。それは「世界のリベラルな秩序、議会制民主主義、超国家的なEU機構、そして、彼らが呼ぶところの文化的マルクス主義――つまり、個人主義と、フェミニズムとマイノリティの権利の保護」だ。

ロシアがヨーロッパの極右を操っているのではなく、両者は「リベラル」という敵をもつことで、共闘しているにすぎない。右傾化は西欧に固有の問題で、ロシアは「反リベラル・ドクトリンの際立った輸出者」でしかないのだ。

こうしてラリュエルは、「ロシアは(西欧の)社会変革者として行動しているのではなく、むしろ、ヨーロッパとアメリカ社会の疑念と変質のエコーチェンバーなのである」と述べる。

破壊されたロシアのアイデンティ

ロシアを「ファシズム」と批判する者は、ロシアを「見知らぬ他者」として、「自由で民主的」な西欧社会と比較する。これは典型的な「俺たち/奴ら」の二分論だが、この構図はリベラルな西欧社会を正当化するのに都合がよかった。逆にいえば、だからこそ「リベラルなエリート主義」を嫌悪する勢力は、「反リベラリズム」としてのロシアに接近したのだ。

だが、西欧とロシアはまったく異なる社会ではなく、むしろ「ロシアは西側の連続体」だとラリュエルはいう。「ソ連ないしポスト・ソヴィエト期のロシアは、様々なかたちで西側の鏡として機能している」のだ。

ロシア革命以降の1世紀、ロシアは「社会主義、全体主義、民主主義、新自由主義、そして現在は反リベラリズム」の実験によって、西側全体の発展、行き過ぎ、過ち、失敗を増幅してきた。ロシアは例外ではなく、今日ロシアで起こっていることは、「異なる規模で西側でも観察されるより広いグローバルな潮流」に深く結び付いている。

国際的な場ではロシアは「地位を追い求める国(status-seeker)」の位置にあり、「アジェンダ立案国(agenda-setter)」であることを希求しているが、よくてもせいぜい「ルールに従う国(rule-taker)」、最悪の場合、ならず者国家か簒奪者として位置付けようとするアメリカやヨーロッパに阻まれている。

19世紀ロシア文学が描いてきたように、ロシアはナポレオン戦争ではじめて西欧近代に触れてから、自虐(自分たちは遅れている)と自尊(だからこそ純粋な精神性=聖なるロシアを保持してきた)とのあいだで大きく揺らいだ。これは西欧の周縁に位置する国の特徴で、もちろん明治維新以降の日本も例外ではない。

ラリュエルは、ロシア=ソ連の歴史は、社会的動員戦略から、社会的競争との混合戦略、さらには社会的創造へと振れてきたという。

「社会的動員戦略」とは、西側諸国のような、より高い地位にあるとみなされる国家に加わることを熱望することだ、「社会的競争との混合戦略」では、ランキングを変え、自身の地位を上げるための新しいツールを獲得しようとする。さらに「社会的創造」では、西側諸国との比較を拒み、西側の上位に位置付けるような別のランキングを提案するようになるという。

プーチンのロシアは2000年代のどこかの時点で、西欧に包摂されることを断念した。ユーラシア主義とは、大西洋から太平洋に至るユーラシアの盟主となることで、ロシアが西欧を包摂するという逆転の発想なのだろう。

「どんな反リベラルあるいはポピュリズム的な指導者に対してであれ、「ファシスト」のレッテルを貼ることは、一種の知的降伏である」とラリュエルはいう。ロシア=ファシズム論は「レッテルと誹謗の氾濫を、たやすく再利用できる時代遅れの教義・概念へと引き戻すような、我々が生きるイデオロギー的流動性と不確かさの時代の結果」なのだ。

どのような国家も、アイデンティティとしての神話を必要としている。ロシアにとっての問題は、自分たちは西欧の一員だと思っているにもかかわらず、そのアイデンティティが(中東欧やバルト三国との「記憶をめぐる戦争」によって)西欧から拒絶されていることにあるのだろう。だとしたらこの問題は、たとえウクライナ問題がなんらかのかたちで決着したとしても、これからもずっと続くことになる。

第1回 ロシアは巨大なカルト国家なのか?
第2回 陰謀論とフェイクニュースにまみれた国
第3回 「プーチンの演出家」が書いた奇妙な小説を読んでみた
第4回 「共産主義の犯罪」をめぐる歴史戦の末路
第6回 30年前に予告されていた戦争

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