小説『HACK』:究極の自由を求めて「ドラッグのAmazon」と呼ばれた闇サイトをつくったリバタリアンの若者(3)

小説『HACK(ハック)』発売に合わせて、ビットコインとダークウェブを組み合わせた闇サイト「シルクロード」をつくった20代のリバタリアン、ロス・ウルブリヒトの物語をアップします(全3回の3回)。

ほんとうは小説のなかに入れたかったのですが、うまくいかずに断念しました。とても興味深い話なので、『HACK』の背景としてお読みください。

小説『HACK』:究極の自由を求めて「ドラッグのAmazon」と呼ばれた闇サイトをつくったリバタリアンの若者(1)

小説『HACK』:究極の自由を求めて「ドラッグのAmazon」と呼ばれた闇サイトをつくったリバタリアンの若者(2)

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「ドラッグのAmazon」と呼ばれた闇サイト「シルクロード」が有名になるにつれて、アメリカの司法当局は全力をあげて「ドレッド・パイレート・ロバーツ(DPR)」と名乗る首謀者を特定し、逮捕しようと躍起になった。今回はNick Bilton “American Kingpin: The Epic Hunt for the Criminal Mastermind Behind the Silk Road”から、彼らがどのようにロス・ウルブリヒトを追い詰めていったのかを見てみよう。

薬物依存症の麻薬捜査官

カール・フォースはメリーランド州ボルティモアのDEA(アメリカ麻薬取締局:Drug Enforcement Administration)に勤務する捜査員で、仲間からは「solar agent(ソーラー・エージェント)」と呼ばれていた。太陽が出ているときしか働かないことで、午後3時になると、カールはオフィスを抜け出して妻と20歳の娘のいる自宅に帰った。

カールが1999年に麻薬捜査官になったときは、毎日がわくわくするような緊張感にあふれていた。午前4時に起き、防弾チョッキを身につけ、銃の弾倉を確認し、麻薬組織のアジトを急襲する。そんな日々は、これ以上望めないほどエキサイティングだった。

だが幸福な時期はとうに終わり、カールはすべてにうんざりしていた。どれほどドラッグディーラーを逮捕しても、すぐに縄張りを継ぐ者が現われた。若手の捜査官たちは、カールのやり方を時代遅れと見なすようになった。そのうえ彼は薬物依存症になり、飲酒運転で逮捕され、うつ病と診断された。仕事も家庭もすべて失いそうになったとき、デスクワークでの復職を許されたのだ。

2012年1月、カールは上司のニックから呼び出された。ニックは相当な変わり者で、オフィスの自分の部屋のブラインドをすべて下ろし、壁じゅうにアイアン・メイデンとメタリカのポスターを貼り、ドアを閉めて大音量でヘヴィメタルをかけていた。

ニックはその部屋で、ネットで薬物を売っている違法サイトの捜査に加わる気はないかとカールに訊ねた。司法省を中心にシルクロードの捜査体制を強化することになり、「マルコポーロ・タスクフォース」と名づけられた捜査本部にDEAからもスタッフを出さなくてはならなくなったのだ。

カールはコンピュータ犯罪についてなにも知らなかったが、シルクロードにアクセスして、ドラッグ取引の未来を変える恐るべき可能性を知って驚愕した。しかしその当時、FBIやNSA(アメリカ国家安全保障局:National Security Agency)はドラッグ犯罪になんの関心もなく、インターネットの闇サイトが西部開拓時代に匹敵するフロンティアであることに気づいていなかった。人生に希望をなくしていたカールは、シルクロードに「生まれ変わる(Born Again)」チャンスを見出したのだ。

ベテランの麻薬捜査官であるカールは、潜入捜査こそがドレッド・パイレート・ロバーツに迫る最短距離だと考えた。しかし同時に、これまでの経験から、捜査を徹底的に秘匿しないと、すべてが台無しになることも学んでいた。

カールはシルクロードで、「毎年2500万ドルのコカインとヘロインをアメリカ国内で売りさばいているドミニカ共和国の大物ドラッグディーラー、エラデォ・ガズマン」という架空のキャラクターを演じることにした。だがネット上では、誰も本名を名乗らず、特徴のあるハンドル名を使っている。そこで、聖書に出てくる町の名前からとった「Nob(ノブ)」をガズマンに名乗らせることにした。カールは娘の部屋に行くと、フーディー(パーカー)をかぶり、アイパッチで顔を隠した写真を撮らせ、それをアイコンにしてシルクロードのアカウントにログインした。

Nobことカールは、シルクロードの買収を提案してロスの関心を惹くことに成功すると、捜査当局の手口について豊富な知識を提供した。ロスはこれを、Nobが大物ディーラーの証拠だと考えたが、現役の麻薬捜査官なのだから当たり前だった。こうしてロスの信用を獲得したことで、カールはマルコポーロ・タスクフォースのなかで、ドレッド・パイレート・ロバーツに接触できる唯一の人間になった。

カール(Nob)はロス(ドレッド・パイレート・ロバーツ)と毎日、長時間のチャットをするうちに、仮面の背後にいるのが孤独な若者であることに気づいた。そのうち2人は、ドラッグビジネスについてだけでなく、音楽やダイエットなど私的なことも話すようになった。カールはロスに、「Hello my friend」と呼びかけた。

友人のように親身に振る舞うのは潜入捜査官の手口だが、カールは実際にロスのことが好きになっていった。「捜査の手が伸びているぞ」と注意するとき、それが逮捕を目的として親しさを装う演技なのか、それとも本心からロスの身の安全を心配しているのか、わからなくなっていった。

狂言殺人

2013年1月、カールは1キロのコカインをアメリカに持ち込む取引をロスに持ちかけ、ユタ州に住むシルクロードのスタッフの1人、クリス・グリーン宛にドラッグを送るよう指示された。カールはユタ警察と共同で、本物のコカインの小包を用意し、クリスがそれを受け取った瞬間に逮捕する計画を立てた。この捜査には、ショーン・ブリッジというシークレットサービスのスタッフも加わっていた。

おとり捜査でクリスを逮捕したとき、自宅のパソコンはシルクロードのサイトにログインしたままだった。カールとショーンはそのパソコンを調べ、カールが顧客のビットコインの口座にアクセスできる何人かの管理者の一人であることを知った。

ここで、カールも含め誰も気づかないうちに、ショーンは思いがけない行動をとる。パソコンを調べるふりをして、クリスの管理者アカウントを使って、顧客の口座から35万ドル相当のビットコインを自分宛てに送金したのだ。――ドレッド・パイレート・ロバーツ(ロス)はすぐにこの不正取引に気づき、そのことをNob(カール)に告げた。

逮捕されたクリスは、シルクロードについて知っていることはあらいざらいしゃべったが、ビットコインを盗んだとは頑として認めなかった。カールはことの真偽を調べるよりも、これを利用してロスの信頼を得た方が得策だと気づいた。事情を知らないロスは、クリスが裏切ったと信じ込んでいたのだ。

そこでカールは、事情聴取に使っていたホテルの部屋のバスタブに水を張り、そこにクリスの頭を突っ込んで拷問の写真を撮り、そのあと、口のまわりにケチャップをつけて、血を流しているように見せかける写真を撮った。ロスはこの策略にまったく気づかず、8万ドルでNobに殺人を依頼し、それが実行されたのだと信じた。その8万ドルは、カールのビットコインの口座に振り込まれた。

この出来事をきっかけに、カールとロスの関係はますます親密になっていった。シルクロードの捜査状況を知る立場にあるカールは、暗号化されたチャットでその情報をロスに伝え、多額の報酬を受け取るようになった。ロスを逮捕するためにシルコロードに潜入したカールは、いつのまにか、ロスのためにDEAに“潜入”することになっていたのだ。

2013年になると、マルコポーロ・タスクフォースは司法省を中心にさまざまな組織が加わる国家プロジェクトに格上げされた。それでもカールの不正が発覚しなかったのは、ボルティモアのDEAが自分たちの「利権」を守ろうとして情報提供を拒んだからだ。ユタでのクリスの逮捕は大きな成果で、それが可能になったのは、カールがドレッド・パイレート・ロバーツと直接やり取りできる唯一の捜査員だったからだ。だとしたら、ライバル(とりわけFBI)に協力して手柄を横取りされる理由はどこにもなかった。

しかしこのことで、カールはシルクロードの捜査の進展を知ることができなくなった。これは結果論だが、DEAが捜査に協力し、その情報がカールに伝われば、彼はそれをロスに教えたのではないだろうか。この頃にはカールは、ロスの逮捕が自分の悪事の発覚、すなわち破滅につながることがわかっていた。

すべての文章を最低3回読む男

シルクロードの捜査にはアメリカの多くの法執行機関が参加したが、そのなかで(カールのいるDEAボルティモアを除けば)最初に大きな成果をあげたのは、クリス・ターベル率いるFBIニューヨーク支部のサイバー犯罪対策チームだった。彼らは、ロスがシルクロードのサーバーのIPアドレスを暗号化せずに打ち込んだたった1回のミスを見逃さなかった。そこから、サーバーがアイスランドに置かれていることを突き止めた。

数週間後、アイスランドの捜査機関から、シルクロードのサーバーのデータがUSBドライブで送られてきた。だが期待に反して、サーバーのなかにはドレッド・パイレート・ロバーツを特定するような情報は見つからなかった。ただし彼が、サンフランシスコのカフェからサーバーにアクセスしていることがわかった。

決定的な情報を発見したのは、予想外の組織の予想外の人物だった。ゲイリー・アルフォードはIRS(内国歳入庁)ニューヨーク支部のスタッフで、シルクロードの捜査関係者では数少ない(あるいはただ1人の)黒人だった。ゲイリーは若いときから、脳を鍛え記憶を確かなものにするために、すべての文章を最低3回読むという規則を自分に叩き込んでいた。

2013年2月、ゲイリーは上司からマルコポーロ・タスクフォースに加わるように指示された。そのときゲイリーは、シルクロードの存在をまったく知らなかったし、Torやビットコインの知識もなかった。禁酒法時代にアル・カポネが脱税で逮捕されたことから、捜査を仕切る司法省がIRSのスタッフをチームに加えることにしたのだ。

ゲイリーはとりあえず、ネットで検索したシルクロードについての記事を3回ずつ読むことから始めた。もちろんこんなことは、すでに他の捜査員がやっていることだ。だがこの作業を数カ月、根気よく続けた末に、ゲイリーはこれまでどの捜査員も真剣に考えたことのにない問いにたどり着いた。「シルクロードについて最初に書いたのは誰なのか?」

シルクロードはブロガー、エイドリアン・チェンがネットメディア「ゴーカー」に投稿した記事で有名になった。しかしその前に、シルクロードについての情報がどこかになければ、チェンがこのサイトを知ることはなかったはずだ。

そこでゲイリーは、Googleの検索窓に「Silk Road.onion」というURLを打ち込み、日付順に並べてみた。すると「シュルーメリーShroomery」というマジックマッシュルーム愛好家のフォーラムに、2011年1月27日(木)午後4時20分、ハンドル名Altoidがシルクロードについて書いているのを見つけた。

そこでゲイリーは、検索窓に「Silk Road.onion Altoid」と打ち込んだ。すると今度は、ネット上にヘロインストアをつくる議論しているフォーラムに、Altoidが「シルクロードはもう知ってる?」と書き込んでいるのを見つけた。

ゲイリーはこれらのフォーラムに、Altoidについての情報開示を求める手続きをとった。Altoidは「frosty@frosty.com」というメールアドレスで登録されていたが、これは偽のアドレスで、そこから先を辿ることができなかった。

だがゲイリーは、同じAltoidのハンドル名が、それ以前にフォーラムのデータベースから削除されていることを突き止めた。Altoidを名乗る何者かは、いったん自分の登録を取り消したあとに、あらためて別の(偽)メールアドレスで再登録したのだ。

ゲイリーにとって幸運なことに、フォーラムのデータベースには退会者の情報も保存されていた。Altoidのハンドル名は最初、RossUlbricht@gmail.comで登録されていた。

このとき、ロス・ウルブリヒトとシルクロードがはじめてつながった。だがこれで難事件が急転直下解決するという、映画やドラマのような展開にはならなかった。

シルクロードの謎にとりつかれた捜査官

FBIを筆頭にアメリカ中の捜査機関を結集した捜査のなかで、IRSという末端組織にいるゲイリー・アルフォードは、驚くべきことに、グーグル検索だけでドレッド・パイレート・ロバーツの本名にたどり着いた。しかしゲイリーは、司法省が主催する捜査検討会議でそれを報告することができなかった。

これはボルティモアのDEAのように、IRSが手柄を独り占めしたいと考えたからではない。この会議でFBIのサイバー犯罪チームがシルクロードのサーバーを突き止めたことが発表され、会場は興奮に包まれた。そんななか、グーグルで見つけた些細な情報を言い出すことなどゲイリーにはできなかったのだ。

この時点では、「ロス・ウルブリヒト」はAltoidというハンドル名で最初期にシルクロードについてネットに書き込んだ人物というだけで、ゲイリーがリストアップした大量の容疑者の1人にすぎなかった。シルクロードの捜査にあたった誰もが、ドレッド・パイレート・ロバーツは凄腕のハッカーにちがいないと思い込んでいた。そうでなければ、たった一人でAmazonに匹敵するドラッグのショッピングサイトをつくることなどできるはずはない。

大学院で結晶物理学の修士号を取得したとはいえ、ロスはプログラミングの専門教育を受けたことはなく、プログラマーとして働いたこともなかった。ゲイリーがロスの名前を捜査本部に報告したとしても、やはり膨大な容疑者リストの下の方に追加されただけだったろう。

シルクロードの捜査で大きな役割を果たすことになるもう一人が、DHS(アメリカ合衆国国土安全保障省:United States Department of Homeland Security)シカゴ支部のジャレド・ダー=イェギアヤンだ。ジャレドの父のサムエルはシリアのアレッポで生まれたアルメニア人で、レバノンのベイルートで子ども時代を過ごしたあと、19歳でアメリカに移民し、その後、アルメニア系移民としてはじめてイリノイ州の地方裁判所判事を務めた。

ジャレドも父と同じ裁判官を目指したものの、大学受験に失敗し、高卒でシカゴのDHSに入り、入国審査官から叩き上げで犯罪捜査官に抜擢された。人生の最初で大きな挫折をしたものの、ジャレドは自分たち家族を受け入れてくれたアメリカに貢献し、いずれはひとかどの人物になりたいと願っていた。

2011年10月、シカゴのオヘア空港から不審な郵便物の通報を受けたジャレドは、オランダからの便で運ばれてきたなんの変哲もない白い封筒に、MDMA(エクスタシー)のピンクの錠剤が1錠入っていることを知った。

ほとんどの捜査員は、こんなつまらない出来事になんの関心も示さないだろう。DHSの任務はアメリカの安全を守ることだが、たった1錠のドラッグが空港で発見されたからといって治安になんの影響があるのか。

だがジャレドは、そこになにか奇妙なものを感じた。なぜわざわざドラッグ1錠を海外から取り寄せるのか。

そこでジャレドは、封筒の宛先を訪ねた。家から出てきたのはカジュアルな格好をした若い男で、ルームメイト宛の郵便だと認めたうえで、「あいつはこれをウェブで買ってるんだよ」とあっさり答えた。

ジャレドはそれ以前の数カ月、同様の封筒がオヘア空港で大量に見つかっていることを知って、シルクロードの謎にとりつかれた。彼は、空港で押収された膨大な郵便物の分析にたった一人で取り組んだのだ。

ジャレドのこの努力は事件解決に直接は結びつかなかったものの、別のかたちで報われることになる。ゲイリーも参加した司法省主催の捜査会議で、ジャレドはこれまでの自分の捜査情報を公開したうえで、すべての機関が協力し合うことを訴えた。カール(Nob)を擁するボルティモアのDEAが捜査協力を拒否したあとだったため、ジャレドのスピーチは強い印象を与え、FBIの捜査チームからスカウトされることになったのだ。

些細な不運と失態

ロスの逮捕につながったのは、些細な不運と失態だった。捜査の手が伸びていることを知ったロスは、サンフランシスコの友人のアパートを出て、市内の別の家をルームシェアすることにした。それと同時のロスはシルクロードのサイトから、逃亡の際に使う偽IDを発注した。

不運とは、カナダの業者が大量の偽IDをいちどに発送したことだ。それがサンフランシスコ空港の税関の注意を惹き、DHSに通報された。とはいえ、いたずらで偽IDをつくる者はいくらでもいるので、通常はそれだけで捜査対象になることはない。失態とは、ロスがいちどに9つもの偽IDを発注したことだ。

偽IDを持つこと自体は(悪用しないかぎり)犯罪ではないが、捜査官は、なぜこれほど多くの偽IDが必要なのかをこの若者に訊いてみる必要があると考えた。ところが捜査官は、住所の「15 Avenue」を「15 Street」と間違え、別の家を訪ねてしまった。ロスにちょっとした幸運があれば、この件はそのまま忘れられていたかもしれない。だが捜査官はその後、この勘違いに気づいて、2013年7月26日、こんどは同僚と2人で正しい住所を訪ねることにした。

ドアをノックすると、応対に出てきたのは偽IDの写真と同じ若者だった。DHSの制服を見て真っ青になって震えはじめた若者を落ち着かせようと、捜査官は「われわれは偽IDで君を逮捕しにきたんじゃない。ただ、ちょっと話を訊きたいだけだ」と説明した。DHSの仕事は偽IDを売りさばく者を逮捕することで、いたずら心でそれを購入した者ではないのだ。

このとき捜査官は、いかにも賢そうなこの白人の若者がテロリストや犯罪者の類だとはまったく疑っていなかった。そこで、(本物の)IDでこの若者の本名がロス・ウルブリヒトだと確認すると、念のためにルームメイトにも話を聞いて引き上げることにした。

ルームメイトを呼んでくるよういわれたとき、若者はまた動揺した。そして、自分はここで「ジョシュ」という別の名前を使っているのだと告白した。

この偽名を知っても、捜査員はさして怪しまなかった。彼らはそれまで、偏執狂と紙一重までプライバシーを重視するシリコンバレーの「リバタリアン」と何人も出会ってきたからだ。

こうして絶体絶命の危機を切り抜けたものの、「ロス・ウルブリヒト」の名前は捜査機関のデータベースに記録されることになった。ロスの大きな失態は、それにもかかわらず、サンフランシスコにとどまったことだ。彼はこの「リベラル」な町が気に入っていて、ほかに移ることなど考えられなかったのだ。

逮捕へ

FBIのサイバー捜査チームが突き止めたのは、ドレッド・パイレート・ロバーツがサンフランシスコのカフェからシルクロードのサーバーにアクセスしたことだけで、彼が何者なのかの手がかりはほとんどなかった。マルコポーロ・タスクフォースのなかで、IRSのゲイリー・アルフォードだけが、一人でロス・ウルブリヒトの線を追っていた。同僚たちは、グーグル検索でドレッド・パイレート・ロバーツが見つかるわけがないとゲイリーの話を真に受けなかった。

それでもゲイリーはあきらめず、定期的にDHSのデータベースで「ロス・ウルブリヒト」のバックグラウンドを調べていた。ロスに犯罪歴はなく、カリブのタックスヘイヴンであるドミニカを訪れたくらいしかあやしい点はなかったが、ある日、偽IDについて事情聴取された記録が現れたことで、いきなりすべてのピースがつながった。ドレッド・パイレート・ロバーツも、ロス・ウルブリヒトもサンフランシスコに住んでいるのだ。

ゲイリーがそのことを司法省の担当官に電話で告げると、彼女はグーグルマップで、ロスのサンフランシスコの住所と、ドレッド・パイレート・ロバーツがWi-Fiを利用したカフェを重ね合わせた。「なんてことなの!」と担当官は叫んだ。「この男が住んでいるのは、カフェから角を曲がったところじゃないの」

こうして捜査は最終局面を迎えたが、それでも逮捕には大きな壁があった。ロスがドレッド・パイレート・ロバーツであることを証明するには、シルクロードのサーバーにアクセスした状態でパソコンを押収しなければならない。

ロスは、ラップトップを閉じるとすべてのファイルが暗号化されるようにしているはずだと捜査本部は考えた(実際にそうだった)。パソコンを使っていたとしても、別の作業をしていれば、ロスはいくらでも言い逃れができる。そうなればこれまでの努力は水の泡だ。

ここで大きな役割を果たしたのが、FBIの捜査チームに参加したばかりのジャレドだった。彼はシルクロードのフォーラム管理をしている女性とチャットで仲よくなり、プレゼントを送りたいからと彼女の住所を聞き出すことに成功したのだ。

彼女は司法取引で捜査協力に同意し、ジャレドは彼女のアカウントを乗っ取った。こうして捜査チームは、カール(Nob)がいなくても、ドレッド・パイレート・ロバーツとコンタクトできるようになった。

FBIを中心とする捜査チームはサンフランシスコに乗り込み、ロス・ウルブリヒトの行動を監視した。ロスがラップトップを持って公立図書館に入ったとき、ジャレドが乗っ取ったアカウントからドレッド・パイレート・ロバーツに呼びかけると、しばらくして返事が来た。ジャレッドは指をヘリコプターのように回し、「Go!」と伝えた。

終身刑2回に加えて別件で禁錮40年、仮釈放なし

2013年10月1に、ロス・ウルブルヒト(ドレッド・パイレート・ロバーツ)は逮捕された。最後に、その後のことを簡単に述べておこう。

家族や親戚はもちろんのこと、小学校から高校、大学時代の友人、近所の知り合いに至るまで、ロス・ウルブリヒトを知る者は一人の例外もなく、事件が報じられたときはなにかの間違いか、さもなくば冤罪だと思った。絵に描いたような好青年のロス・ウルブリヒトほど、犯罪と縁遠い存在は考えられなかったのだ。

さまざまな証拠からロスがシルクロードを運営していたことを否定できなくなると、ネットを中心に、「プラットフォームをつくっただけではないか」と擁護する声が高まった。オークションサイトのeBayでも違法な商品が取引されているのだから、ロスが有罪ならeBayのCEOも逮捕すべきだというのだ。

検察はロスを殺人罪でも告発したが、すでに述べたように、クリス・グリーンの「殺人」は麻薬捜査官カール・フォースの狂言だった。それ以外にも、ロスは複数の「殺人」への関与が疑われた。

シルクロードが莫大な富を生むことがわかると、ハッカーたちの格好の標的になった。公的機関に訴えることができないのだから、データベースをハックしてユーザー名簿を公開すると脅せば、身代金(ランサム)を払うしかないのだ。

こんなことを許していては事業の継続は不可能だと考えたロスは、悪名高い暴走族集団ヘルズ・エンジェルズとコンタクトを取り、15万ドルの報酬で身代金を奪った犯人の「クリーン・マーダー」を依頼した。ロスの元には死体の写真と「お前の問題は解決した。安心しろ」というメールが届いた。ロスは5人のハッカーを始末するために、総額65万ドルをヘルズ・エンジェルズに支払った。

だが検察は裁判で、実際に殺された者がいることを立証できなかった。カール・フォースと同じく、ヘルズ・エンジェルズも死体に見せかけた写真を送って、ロスをだましてまんまと大金をせしめたのだ。

自由を至上のものとするリバタリアンであるロスは、この裁判に勝つことはできず、いまや自らの自由を失ったことを覚悟せざるを得なかった。彼は裁判官に宛てた書面で、「若い日々はすでに過ぎ、私の中年期をあなたが奪うにちがいないこともわかっています。ただ、お願いですから、私の老年期だけは残しておいてください」と書いた。裁判官が下したのは、「終身刑2回に加えて別件で禁錮40年、仮釈放なし」という判決だった。

ドレッド・パイレート・ロバーツの盟友だったバラエティ・ジョーンズはタイに逃れたが、2015年12月、FBI、DHS、DEAとタイの警察当局との共同捜査で逮捕された。ロスのコンピュータに残されていたIDから、ジョーンズはトーマス・クラークという45歳のカナダ人だとされたが、「本物のトーマス・クラークは何年も前に死んでいる」と述べる者もいて、この男が何者なのかはわかっていない。

麻薬捜査官のカールは、一時期はシルクロード捜査の立役者の一人に祭り上げられたが、財務省がビットコインの行方を調べたことで、複数のアカウントを使ってロスに捜査情報を提供していたことが発覚した。総額75万7000ドルの報酬を不正に受け取ったとして、カールは6年半の禁錮刑に処せられた。

カールとともにクリス・グリーンの逮捕に立ち会い、35万ドルのビットコインを盗んだシークレットサービスのショーン・ブリッジズは、名前とID(社会保障番号)を変えて追及を逃れようとしたがやはり逮捕された。ショーンは最終的に、総額82万ドルをシルクロードから奪ったとされ、71カ月の禁錮刑と50万ドルの損害賠償を命じられた。

恋人のジュリアはロスと別れたあと、つき合った男からDVの被害を受け、再洗礼派(キリスト教原理主義)の教会に救われた。ロスが誤ってジュリアのSNSに返信したことで二人はふたたび連絡を取り合うようになり、ジュリアはサンフシスコにロスを訪ねた。逮捕直前には、ロスがオースティンに来る約束もしていた。

ジュリアはロスがまだシルクロードにかかわっていることに気づいたが、それでも神のちからによって彼の魂を救い、共に暮らして子どもを産み育てたいと願っていた。ロスもまた、身の安全のために遠ざけたとはいえ、ジュリアに魅かれていた。

逮捕後、ジュリアはニューヨークの刑務所に何度かロスを訪ねたが、終身刑を二度受けた男をいつまでも待つことはできないとして、自ら関係を断つことにした。

シルクロードでドラッグを販売していたディーラーたちも次々と逮捕されたが、最長の刑期でも10年だった。それに対してロス・ウルブリヒトだけが、非暴力的な違法行為で、そのうえ初犯であるにもかかわらず、「二重の終身刑+40年」の刑はあまりに重すぎるとして、Free Ross Ulbrichtという団体が釈放を求めて現在も活動を続けている。そのホームページには、元州知事やベンチャーキャピタリスト、ノーム・チョムスキーからキアヌ・リーヴスまで、多くの賛同者のコメントがアップされている。

2021年12月、ロスの家族は弁護費用の調達のため、彼が刑務所で描いたアート作品などをNFTにしてオークションにかけ、約627万ドル(約7億8000万円)で落札されたと報じられた。

後期:シリコンバレーのテクノ・リバタリアンやクリプト(暗号資産)業界から支援を受けたトランプは、2016年に大統領に当選したときのウルブリヒトの恩赦を検討したが、殺人の指示を出していたことが問題になって取りやめとなった。

2024年の選挙では、トランプはリバタリアンの集会でウルブリヒトの恩赦を約束し、クリプト業界の大富豪たちから多額の選挙資金が提供されたこともあり、大統領就任直後の2025年1月21日に、ウルブリヒトに(「完全かつ無条件」の)恩赦が与えられた。

初出:ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン『橘玲の世の中の仕組みと人生のデザイン』(2022年4月28日配信)

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