小説『HACK』:究極の自由を求めて「ドラッグのAmazon」と呼ばれた闇サイトをつくったリバタリアンの若者(1)

小説『HACK(ハック)』発売に合わせて、ビットコインとダークウェブを組み合わせた闇サイト「シルクロード」をつくった20代のリバタリアン、ロス・ウルブリヒトの物語をアップします(全3回の1回)。

ほんとうは小説のなかに入れたかったのですが、うまくいかずに断念しました。とても興味深い話なので、『HACK』の背景としてお読みください。

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「シルクロード」はインターネットでドラッグなどを大規模に売買していたサイトで、2011年2月にオープンし、首謀者がFBIに摘発される13年10月まで続いた。このサイトがある種の伝説になったのは、接続経路を匿名化した特殊なブラウザ(Tor)を使ってアクセスし、支払履歴を匿名化できるビットコインで決済するという、その後、標準化されたダークマーケット(国家による検閲などを避けるために匿名のダークウェブ上につくられたオンラインマーケット)の仕様をいち早く導入したからだ。

しかしそれ以上に興味深いのは、この闇サイトをつくったのがロス・ウルブリヒトというリバタリアンの若者だったことだ。ウルブリヒトは1984年3月27日生まれだから、シルクロードのスタート時は26歳、逮捕されたのが29歳。このわずか2年8カ月のあいだに、ウルブリヒトはほぼ無一文から巨額のビットコイン(FBIが差し押さえたのは2850万ドル≒30億円)を保有するまでになった。さらに興味深いのは、その「成功」にもかかわらず、この若者がサンフランシスコのルームシェアのアパートに住み、5年前に別れた恋人に買ってもらったジーンズをずっと履いていたことだ。

ロス・ウルブリヒトの物語は『シルクロード.com 史上最大の闇サイト』という映画になり、今年、日本でも公開された。その原作がジャーナリスト、ニック・ビルトンの“American Kingpin: The Epic Hunt for the Criminal Mastermind Behind the Silk Road(アメリカン・キングピン シルクロードの背後にある犯罪首謀者の大捜査)だ。

原書は2017年発売で翻訳される可能性はなさそうだが、事件の経緯も登場人物もきわめて刺激的なので、何回かに分けてその概要を紹介してみたい。なお、Kingpinはボーリングの中央の5番ピンで、転じてギャング(犯罪組織)のボスの意味で使われるようになった。副題にあるMastermindは「首謀者」のほかに「偉大な知性」「指導者」の、Epicは「壮大な」のほかに「叙事詩的な」の意味があり、いずれもこの事件の本質を表わしている。シルクロードという闇サイトの興亡はたんなるドラッグ犯罪ではなく、「偉大なる知性の持ち主への叙事詩的な追跡」の物語なのだ。

アメリカの理想の青年

ロス・ウルブリヒトはテキサス州オースティンの中流家庭で生まれ、姉、妹の3人きょうだいで育った。まだ揺りかごにいる頃から、この男の子に特別な才能があることに両親は気づいた。その子はじっと世界を観察していて、大人が教えなくても、その仕組みを理解しているようだった。

母親はロスに、いちども「道を渡ってはいけません」と注意したことはなかった。いつのまにか横断歩道の赤信号と青信号の意味を理解し、左右を見て車が来ないことを確認していたからだ。

学校に通うようになると、ロスはたちまち、親がわからない数学の問題を解くようになったが、勉強だけでなく、スポーツやボードゲーム、それに女の子たちにも夢中だった。ボーイスカウトでは最高位のイーグルスカウトを取得し、高校時代には政治的な過激主義や量子理論の本を読んでいたという。

ロスは賢いだけでなく、とても親切な若者だった。友人と歩きながら会話しているとき、老婦人が道を渡ろうとしているのを見かけると、会話を中断して駆け寄り、荷物を持ち、彼女がゆっくり交差点を渡れるように車を止めた。こうした態度はわざとらしく見られたりもするが、ロスはごく自然に振る舞ったので、中学や高校でも友人たちにとても人気があった。彼らとの交友は、ロスが逮捕される直前まで続くことになる。ロスは身長180センチ超のハンサムで、賢くてやさしくリーダッシップのある、まさに「アメリカの理想の青年」だった。

褐色の肌と大きな瞳の恋人

全額給付の奨学金を受けて地元テキサス大学ダラス校の物理学部に進学したロスは、卒業時に最初の挫折を経験することになる。彼には卒業と同時に結婚を考えていたガールフレンドがいたのだが、その彼女から、(ロスの親友を含む)複数の男とつき合っていたことを告げられたのだ。ナイーヴなロスは、そのことにまったく気づかなかった。

さらに悪いことに、24歳で大学を卒業したのが2008年で、世界金融危機ともろにぶつかったことだ。シリコンバレーのIT企業も、ウォール街の金融機関も、新卒の若者に門戸を閉ざしていた。日本でいう「ロスジェネ世代」になったロスは、ペンシルベニア州立大学で物理学の修士課程に進学し、そこで材料工学と結晶学を学ぶことにした。

この大学院時代に、ロスは2つのことに夢中になった。アフリカンドラムとリバタリアニズムだ。そしてこれが、どちらも彼の人生に大きな影響を与えることになる。

新入生としてペンシルベニア州立大学の寮に入った18歳のジュリア・ヴィーは、荷をほどく間もなく、母親が死んだという電話を受けた。慌ただしい葬儀のあと誰ひとり知り合いのいない大学に戻ったジュリアは、キャンパス内の大きな建物に迷い込み、どこからともなく太鼓の音が聞こえてくるのに気づいた。

音のする部屋のドアを開けると、何人かの男がジャンベ(西アフリカの伝統楽器)を叩き、その周りを6、7人の女子学生が取り囲んでいた。しばらく演奏を聴いていると、若い男がジュリアに声をかけた。男は裸足で、皺だらけで染みのあるシャツとショーツ姿で、1カ月以上もひげを剃っていないようだった。

黒人と白人の両親のもとで生まれ、褐色の肌ときらきらした大きな瞳のジュリアは魅力的な女子大生で、ホームレスのような学生に興味を持つ理由はなにもなかった。だが1週間ほどあとにたまたま学内で出会ったとき、彼はきちんとひげを剃っていて、ズボンと靴を履いていた。大学院で結晶の研究をしていて、電気磁気学のリサーチで大学から週に数百ドルを受け取っているのだと自己紹介した。

すこし話しただけで、この長身の男性が面白くてキュートで、とてつもなく賢いことがわかった。孤独なジュリアは、ディナーの誘いを受けることにした。こうして彼女は、ロス・ウルブリヒトとつき合いはじめた。

ミニマリストのリバタリアン

ジュリアがロスとデートするようになって最初に驚いたのは、彼が学生とシェアしている家の地下室で暮らしていたことだ。黴臭く狭い部屋を見て驚く彼女に、ロスは「ここはタダなんだ」と自慢した。彼は無一文だったが、そのことをまったく気にしていなかった。世捨て人のようなライフスタイルは実験のようなもので、自分はモノのない生活を極限まで追求したいのだと、ロスは新しい恋人に説明した。

ロスは1カ月以上も温水のシャワーを浴びておらず、まる1週間、豆の缶詰と一袋の米だけで過ごした。「コーヒーはどうするの?」と訊くと、「飲まない」との答えが返ってきた。

ベッドの下に突っ込んである2つのゴミ袋がロスの「クローゼット」で、ひとつが「洗濯済み」もうひとつが「汚れもの」。ソックスやシャツ、ぼろぼろの靴に至るまで、すべて友人からのお下がりだった。

地下室にあるロスの持ち物は、ラップトップコンピュータ以外には本しかなかった。マレー・ロスバードやルートヴィッヒ・フォン・ミーゼスなどオーストリア学派の経済学者の著作で、ロスはアフリカンドラムのほかに、「カレッジ・リバタリアン」というサークルにも入っていた。

リバタリアニズム(自由原理主義)についてなにも知らなかったジュリアは、ロスが登壇する学内のディベートを見学することにした。共和党支持、民主党支持、リバタリアンの学生の討論で、ドラッグ合法化がテーマだった。

ロスは、単位目当てに集まった40人ほどの聴衆に向かって、「自分の身体になにを取り込み、なにを取り込まないかを告げる権利は政府にはない」と切り出した。マリファナのようなソフトドラッグだけでなく、すべてのドラッグを合法化すれば、個人の自由を守ると同時に、社会はより安全になるというのだ。

「そのドラッグが数万人を殺すことになったらどうするのか」と共和党支持の学生が問い、民主党支持の学生も同意した。それに対してロスは、「だとしたら君は、マクドナルドのビッグマックを違法にすべきだと考えるわけだね。ひとびとの体重を増やし、心疾患で死亡する結果を招いているわけだから」と落ち着いて答えた。「同じように、交通事故で多数の死亡者を出している自動車も非合法にすべきだよね」

ロスは、自分の部屋でヘロインを打つのは、仕事のあとに1杯のワインを飲むのと同じだと論じた。ドラッグが犯罪と結びつくのは政府がその売買を違法にしているからで、「酒やビッグマックをギャングが売ろうとしないのは、それが合法だから」なのだ。

もちろんこのとき、ロスは自分がそのドラッグを大量に扱うようになるとは想像もしていなかった。

マジックマッシュルームを倉庫で栽培する

ロスは2009年に修士号を取得したものの、リバタリアンクラブにのめり込みすぎて博士課程への進学に失敗し、試しに始めた逆張り投資のファンドもうまくいかず、ジュリアに大学をドロップアウトさせて2人で生まれ故郷のオースティンに戻ることにした。

テキサスで高校時代の友人たちと再会したロスは、彼らとキャンプをし、新しいガールフレンドを紹介した。リバタリアンの理想に関連した仕事で金を稼ぎ、なによりも両親に自慢の息子だと思われたいと願っていた。

ロスが友人の一人と地元で始めたのは、「グッド・ワゴン・ブックス」というNPOだった。ワゴン車でオースティンの家々を回り、古い本を集めてオンラインで売ろうというのだ。それでも捌けない本は、地域の刑務所に寄贈することにした。それ以外の収入は、株式のデイトレーディングと、ペンシルベニアの借家の家賃だけだった。ロスは大学院時代の超倹約生活によって、わずかな収入の大半を貯蓄して家を購入していたのだ。

とはいえ、トレーディングではほとんど利益は得られず、大学生に家を貸すのは面倒なだけで、すぐに売り払ってしまった。シーステディング(海上自由都市)をテーマにしたゲームを開発したものの見向きもされず、科学論文の編集などで数ドルを稼ぐだけだった。ロスはすっかり行き詰っていたが、友人たちのように9時-5時の仕事をするつもりはなかった。このきわめて聡明な若者は、起業家としての大きな成功をなによりも求めていたのだ。

オースティンのダウンタウンのアパートでジュリアと暮らすようになったロスは、2010年の夏頃から、ラップトップを使って新しいビジネスを始めた。ジュリアはアパートの1室を写真スタジオに改造し、夫のために妻のセクシーな姿を撮影する「ヴィヴィアンのミューズ」を開業した。そのスタジオの隣の寝室がロスの仕事部屋だった。

ある日、「君に見せたいものがあるんだ」とロスはジュリアにいった。「でもそのためには、君は目隠ししなくちゃいけない」

「目隠し!?」ジュリアは大喜びで椅子から飛び上がった。ロスは慌てて、それがセックスに関係したものでないことを説明しなくてはならなかった。

厳重に目隠しされたジュリアは、車でオースティン郊外の建物に連れていかれた。ロスに手を引かれて階段を上り、なかに入って目隠しを取ると、そこはなにもない打ち捨てられた倉庫だった。動物の糞尿のような臭いがしていた。

「ここはどこ?」とジュリアが訊くと、「ついておいで」とロスは隣の部屋のドアを開けた。部屋の窓は段ボールでふさがり、エアコンの冷たい風が吹きつけた。壁にはずらりと棚が並び、そこでなにかの植物が育てられていた。ジュリアは、自分がなぜ目隠しをされたのかすぐに気づいた。ロスはここで大量のマジックマッシュルームを育てていたのだ。

テキサス州法では、400グラムのマッシュルーム所持で5年から99年の刑に処せられる。ロスの「秘密農場」は、40キロ以上もの幻覚キノコを育てていた。これはもちろんきわめてリスキーだが、ロスにはほかに選択肢がなかった。

プログラミングの専門教育を受けておらず、プログラマーとして仕事をしたこともないロスは、わかないことはネット掲示板で訊くなどして、夏のあいだにたった一人で、Torブラウザでアクセスし、ビットコインで決済するオンラインショッピングサイトをつくりあげた。それがようやく完成したとき、大きな問題は、そこで売るものがなにもないことだった。ロスは、自分のサイトの商品を自分で栽培していたのだ。

ドラッグのAmazon開業

何人たりとも、他者に危害を加えないかぎり、誰でもどんなモノでも自由に売買できるようにすべきだというリバタリアンの理念に従って、ロスは匿名で取引するダークウェブのショッピングサイトをオープンさせようとしていた。サイトの名称は、かつて東洋と西洋を結んだ「シルクロード」とし、ラクダのロゴも決まった。

ロスはこのスタートアップのCEOであり、唯一の投資家だった。それ以外に、フロントエンド・プログラマー、バックエンド・デベロッパー、データベース管理者、Torコンサルタント、ビットコイン・アナリスト、プロジェクト・マネージャー、マーケティング・ストラテジストの役割を一人で担い、さらにはマジックマッシュルーム栽培家でもあった。

このプロジェクトに費やした膨大な時間と努力を考えれば、ぜったいに失敗するわけにはいかなかった。しかし、どうやって顧客を集めればいいのか。その方法は、ネット掲示板などで第三者を装って自分のサイトを宣伝する「ステルスマーケティング」だった。

2011年1月27日、ロスはthe Shroomeryというマジックマッシュルーム愛好家のウェブサイトに、Altoidというハンドルネームで、「ダークウェブをサーチしてたら、たまたま“シルクロード”っていうサイトを見つけたんだけど」と投稿した。「ヘロイン・ストア」について議論していたビットコインのサイトにも、「みんな、“シルクロード”をもう知ってる?」と書き込んだ。

その直後から、サイトに最初の訪問者が現われた。とはいえ当初、この怪しげなサイトから商品を購入してみようという酔狂な客は週に2、3人しかなかった。ロスは「グッド・ワゴン・ブックス」のオンラインでの古本販売と、マジックマッシュルームの発送の両方を一人でやっていた。

やがて、マリファナ、コカイン、エクスタシーなどをシルクロードで売ろうとする業者が登録しはじめた。

ロスはeBayなどのオークションサイトと同様のレイティング・システムを導入し、商品に満足した顧客が「カルマ(karma)ポイント」を付与できるようにした。同じマリファナを注文するのでも、買い手はできるだけ多くのポイント(よい評判)を持っている業者を選ぼうとする。ドラッグディーラーたちは、違法なビジネスを行なっているにもかかわらず、一般の小売業と同様に、親切丁寧なサービスで顧客満足度を上げようとした。

この評判システムによって不良な業者が淘汰され、優良な業者だけが残ることで、ユーザーのシルクロードに対する信頼度は徐々に上がっていった。サイトのオープンから2カ月もたたないうちに、月に数千ドルの利益をあげるまでになり、ロスは古本ビジネスを廃業してシルクロード専業になった。

ちょうどその頃、ブロガーのアイドリアン・チェンは、ネット掲示板で「ドラッグのAmazon(Amazon for drugs)」と呼ばれるサイトが話題になっていることを知った。最初は半信半疑だったが、ヘロイン、ハシッシ、マリファナ、エクスタシーなど343種類のドラッグが実際に販売されていることに驚き、ネット上のゴシップサイト「ゴーカー(The Gawker)」に「想像できるどんなドラッグでも買えるアンダーグラウンドのウェブサイト(The Underground Website You Can Buy Any Drug Imaginable)」という記事を投稿した。

「ドラッグのAmazon」についてのチェンの記事はたちまち大きな注目を集め、数日後には、チャック・シューマー上院議員が記者会見を開いた。

上院議員はシルクロードのサイトを拡大した図版を見せながら、「違法薬物のいかれたワンストップショップであり、これまで我々が目にしたなかでもっとも恥知らずなオンラインのドラッグ販売の試み」と述べ、「ヘロイン、阿片、マリファナ、エクスタシー、幻覚剤、覚醒剤……」と、シルクロードで販売されている薬物を読み上げた。上院議員の意図とは異なり、これはシルクロードにとって最高の宣伝になった。

「ドラッグのAmazon」は全国紙やテレビ、ラジオニュースの全国ネットで次々と取り上げられ、新規登録者が雪崩のように押し寄せた。ロスは、夢にまで見ていたとてつもなく大きな成功を手にしつつあった。

初出:ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン『橘玲の世の中の仕組みと人生のデザイン』(2018年8月23日配信)

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