【アクセス6位】Qアノンのディープステイトと秘密結社イルミナティ

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

アクセス6位は2021年2月11日公開の「建国以来、アメリカ人はイルミナティなど「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた」です(一部改変)。

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トランプ前大統領の「選挙は盗まれた」「議事堂に行って、勇敢な議員を励まそう」との演説に扇動された熱狂的な支持者たちによるアメリカ連邦議会議事堂占拠は、今後、現代史の画期をなす出来事として繰り返し語られ分析されることになるだろう。

この事件の不可解さは、トランプ支持者がQアノンなる陰謀論を信じていることにある。この陰謀論では、「アメリカはディープステイト(闇の政府)に支配されており、トランプはそれと闘っている」とされる。彼らにいわせれば、「選挙を盗んだ」のもディープステイトの策略ということになる。

ディープステイトとはいったい何なのか? 諸説あるものの、この用語が広く知られるようになったきっかけは、NSA(国家安全保障局)、CIA(中央情報局)の元局員で、政府がアメリカ国民に対して組織的な監視活動を行なっていることを告発したエドワード・スノーデンのようだ。スノーデンは、行政権力が法や倫理を無視して歯止めなく監視・統制を強めていく実態を「ディープステイト」と呼んだ。

だがQアノンの陰謀論は、このような(真っ当な)権力システム批判ではなく、明らかに政府内に巣くう特定の陰謀集団を想定している。この発想は目新しいものではなく、建国以来、アメリカ人は「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた。

こうした秘密結社のなかでもっともよく登場するのがイルミナティ(Illuminati)だ。といっても、この名高い(悪名高い)結社は日本人にはほとんど馴染みがなく、私もダン・ブラウンの歴史ミステリーを原作にした映画『天使と悪魔』(ロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演。2009年)くらいしか知らなかった。ローマ教皇が死んだばかりのバチカンで4人の枢機卿が拉致され、イルミナティから脅迫テープが届く……というのが物語の導入だ。

キリスト教圏の歴史や文化(サブカルチャー)に大きな影響を与え、いまもアメリカの「怒れるひとびと」を動員するちからをもつ秘密結社とはいったい何なのだろうか?

イルミナティの目的は教育によって理性を広めること

イルミナティは「陰謀」にまみれているので、主流派の歴史家は敬遠し扱おうとしなかった。その数少ない例外がイギリスの歴史家ニーアル・ファーガソンで、『スクエア・アンド・タワー ネットワークが創り変えた世界』( 柴田裕之訳、東洋経済新報社)の冒頭に「イルミナティの謎」の章を置いている。ファーガソンはこの本で、人類の歴史を「スクエア(広場)」と「塔(タワー)」の拮抗と交代として読み解こうとしている。これを私の用語でいうと、「バザール」と「伽藍」になる。

タワー(伽藍)が強固な階層性組織だとするならば、広場(バザール)は階層性を侵食するネットワークだ。強大な権力もいずれはネットワークに侵食されて崩壊するが、中心のない「スクエア=ネットワーク」だけでは社会を統治することができず、混沌のなかからふたたび「タワー=階層性」が現われる。――この魅力的な歴史観についてはいずれ別の機会に論じてみたい。

そのファーガソンはイルミナティを、18世紀のドイツ、バイエルン地方で誕生した秘密結社的なネットワークだとする。それが「神話化」することで、現代に至る壮大な「陰謀論のネットワーク」へと成長したのだ。

アダム・ヴァイスハウプトは1748年に南ドイツの法学教授の家に生まれ、父親が若くして死んだために、大学改革を命ぜられた男爵の後援で父親の跡を継ぎ、若干24歳でバイエルン中部にあるインゴルシュタット大学の教会法の教授に、翌年には法学部の学部長に任命された。

この若い法学者は、幼少期にイエズス会のきびしい教育を受けた反動でフランス啓蒙運動の過激な哲学者に傾倒しており、それを保守的な南ドイツ移植したいと考えていた。だが彼が奉じたのは禁忌とされた無神論だったので、仲間を集めるにしても、その目的を秘匿しなければならなかった。こうして1776年、ヴァイスハウプト28歳のときに秘密結社「イルミナーテンオルデン(イルミナティ教団)」が創設された。

この結社のある会員の回想によると、ヴァイスハウプトはイルミナティの目指すところを次のように語ったという。

この上なく巧妙かつ安全な手段を講じ、美徳と叡智をもってして愚昧と悪意に勝利せしめることを目指す団体。科学のあらゆる分野で最も重要な発見をなし、会員を教導して偉大たらしめる団体。現世において全き者となるという確実な褒賞を会員に保証する団体。迫害と弾圧から会員を守る団体。あらゆる形態の専制を封じる団体。

イルミナティは「啓明」という名のとおり、その目的は「迷信と偏見の雲を追い散らす、理性の太陽によって啓蒙し、知性を導く」ことであり、「私の目的は理性を優位に立たせることだ」とヴァイスハウプトは宣言した。そのための方法は「陰謀」ではなく「教育」で、結社の総則(1781年)には「この同盟の唯一の意図は、空虚な手段に訴えることなく、美徳を助長し、それに報いることによる教育である」と記された。

フリーメイソンに寄生したイルミナティ

イルミナティは啓蒙主義を掲げる秘密結社として創設されたが、その性格に決定的な影響を与えたのは、ヴァイスハウプトがイエズス会しか「組織」を知らなかったことだ。その結果、矛盾するようだが、「イエズス会のような階層性をもつ反イエズス会(反カトリック)の秘密結社」が生まれることになった。

イルミナティの会員は、多くが古代ギリシアや古代ローマに由来する暗号名をもち(創設者であるヴァイスハウプトの暗号名は「スパルタクス」)、会員は下から「修練者」「ミネルヴァル(ギリシア神話の知恵の神アテナに相当するローマ神話の女神ミネルヴァからとった名称)」「啓蒙されたミネルヴァル」の3階級に分けられ、低い階級の者には結社の目的や活動内容は漠然としか知らされなかった。

入会にあたっては秘密厳守の宣誓をしなければならず、この誓いを破ると「この上なく陰惨な死」をもって罰せられることになっていた。新加入者は孤立した「細胞」に組み込まれ、上位の会員の監督下に置かれるが、その人物の正体は知らされなかった。

とはいえ、創設時の会員は学生が大半で、2年経っても会員総数はわずか25人だった。1779年12月(創設3年目)でも60人にしかならなかったが、それからわずか数年のうちに会員数は1300人を超えるまでに急増し、バイエルンだけでなくドイツ各地に支部をもつようになった。

なぜこのような「躍進」が可能になったのか。それは、イルミナティがフリーメイソンに食い込んだからだ。

フリーメイソンもまた陰謀論の定番で、その神話化された来歴については諸説が入り乱れているが、中世の石工(王宮や教会などの建築家)組合を前身とし、「理性の時代」の潮流のなかで、17世紀中期にスコットランドのロッジ(地方支部)が「思索的メイソン」を受け入れ、そこからイングランド、フランス、ドイツ、北米へと広がっていったとされる。

フリーメイソン自体も啓蒙主義(理神論)の秘密結社だが、1770年代になると、ドイツでは名士の社交クラブのような存在になっていたらしい。そうなると、「テンプル騎士団を起源とする伝承がないがしろにされている」と不満をもつ会員が現われ、「厳格な典礼の遵守」を求めるようになった。

そんな「原理主義者」が新興の弱小秘密結社に目をつけ、それを利用して“堕落したメイソン”を立て直そうとした。イルミナティは「寄生植物」のように、フリーメイソンの内部に埋め込まれることで成長したのだ。

フリーメイソンの原理主義者たちは、イルミナティの組織に自分たちの儀式を次々と加えた。修練者の階級は「ミネルヴァル」と「小啓明者」に分かれ、その上に「大啓明者(スコットランド修練者)」と「教導啓明者(スコットランド騎士)」が置かれた。上位の「啓蒙されたミネルヴァル」階級も「小密儀(司祭)」「大密儀(魔術師)」「王」へと階層化された。「王」の会員のなかから国家監査官、管区長、長官、首席司祭といった結社の役員が選ばれ、多数の地方「教会」は「県」「地方」「査察」の傘下に入った。

「秘密結社のなかの秘密結社」として組織が整備されるにつれて、イルミナティはドイツの名士たちのあいだで強烈な魅力をもつようになった。それはいわば招待制のサロンのようなもので、イルミナティであることが新たなステイタスシンボルになったのだ。こうして、ドイツの錚々たる諸侯や貴族、知識人だけでなく聖職者までもが結社に加わった(モーツァルトのオペラ『魔笛』(1791年)にイルミナティの影響が見られることはよく知られている)。

だが上流階級への急速な浸透がバイエルン政府の警戒を招き、「宗教に背き、敵対する」として、創設から8年後の1784年には活動を事実上禁止する3つの布告のうちの最初のものが発せられた。調査委員会によってイルミナティの会員が大学や官界から追放され、職を失い、投獄されたり国外に追放される者が出ると、結社はあっけなく崩壊した。ファーガソンは、「イルミナティは、1787年の末までには実質的に機能しなくなっていた」と述べる。

それにもかかわらず、なぜこの秘密結社は「神話化」していったのか。それは同じ頃、ヨーロッパで大事件が起きたからだ。それが1789年のフランス革命だ。

秘密結社によって誕生し、秘密結社を恐れるアメリカ

人間にとっての根源的な恐怖は、何が起きているのかわからないことだ。このときわたしたち(脳=無意識)は、納得できる説明を必死になって探し求める。それまで世界でもっとも裕福で強大な権力をもつと信じられていたフランスの絶対王政が革命によってあっけなく倒されただけでなく、国王と王妃がギロチンにかけられて斬首されるという驚天動地の出来事は、まさに「説明」が必要とされていた。

フランス革命を牽引した活動家のなかにフリーメイソンのメンバーがいたことは周知の事実だが、革命運動が「秘密」裏に工作しなければならないことを考えれば当然の話でもあった。活動家たちは、メイソンに入会することで秘密結社のネットワークを自在に使うことができるようになった。

だが先に述べたように、18世紀末のヨーロッパではフリーメイソンは名士の社交クラブになっていたのだから、イギリスやドイツの上流階級は自身がメイソンだったり、周囲にメイソンのメンバーがいることは珍しくなかっただろう。そんな彼らにとって、フリーメイソンが革命の主体というのは容易に信じがたかった。

そこで早くも1797年、高名なスコットランドの物理学者ジョン・ロビンソンが、フリーメイソン、イルミナティ、リーディングソサエティ(啓蒙的な読書クラブ)が「ヨーロッパの既成宗教をすべて根絶し、既存の政府を1つ残さず転覆させる」という陰謀を画策しているとの著書を刊行した。

同年、フランスのイエズス会士、オーギュスタン・ドゥ・バリュエルも「フランス革命の間に見られた最も忌まわしい行為に至るまで、何もかも予知され、決められ、また、組み合わされ、あらかじめ計画されており……考え抜かれた非道の所産だった」として、ジャコバン派そのものがイルミナティの後継者だと主張した。

こうしてフランス革命直後から「イルミナティ陰謀説」がヨーロッパを席捲し、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は「イルミナティは依然としてドイツ全土で危険なまでに破壊的な勢力だ」と警告された。

「イルミナティ神話」は、大西洋を渡って独立したばかりのアメリカにも伝わった。アメリカのひとびとも、なぜフランスで革命などという「荒唐無稽」なことが起きたのかの説明を求めていたが、それより切実なのは、独立直後の国家がまだ脆弱で、イギリスやスペインなどのヨーロッパの大国、あるいはカトリック(バチカン)が新政府を転覆させるための陰謀を画策しているのではないかという不安が広まっていたことだった。

当時のアメリカの政治や社会は混沌としており、さまざまな陰謀が現われては消えていっただろう。「何者かが自分たちに陰謀をはたらいている」との不安はたんなる妄想ではなく、根拠があった。この不安が、ヨーロッパの得体の知れない秘密結社(イルミナティ)と結びついても不思議はなかった。

だがファーガソンも指摘するように、ここには歴史の皮肉がある。アメリカの独立革命に大きな役割を果たしたのがフリーメイソンだったからだ。ボストン茶会事件のとき、主要な独立運動組織5つのうちの1つがフリーメイソンのセント・アンドルーズ・ロッジで、「反(植民地)政府的な扇動行為の温床と化していた」。

ベンジャミン・フランクリンはフィラデルフィアの所属ロッジのグランドマスターになったばかりか、『フリーメイソン憲章』のアメリカにおける最初の版の発行者でもあった。ジョージ・ワシントンも20歳のときにヴァージニアのロッジに加入し、1783年には新たに設立されたロッジのマスターになっている。

ワシントンは1789年4月30日の大統領就任式でフリーメイソンのセント・ジョンズ・ロッジ第一の聖書にかけて就任宣誓をし、1794年の連邦議会議事堂定礎式ではフリーメイソンの式服一式を身にまとって肖像画を描かせた。有名な1ドル紙幣の「(未完のピラミッドの上に載った万物を見通す)プロヴィデンスの目」も、多くの歴史家がフリーメイソンとのつながりに疑問を呈しているが、ファーガソンはその関係は明らかだとしている。

フリーメイソンが革命や独立運動で主導的な役割を果たしたのは、「秘密」の活動に向いていたからだけではない。当時はまだ貴族(上流階級)と平民(中流階級)が対等の立場で交流することはできなかったが、「身分にかかわらずすべての会員が平等」という秘密結社が地下活動の拠点となったことで、より大きなネットワークを可能にしたのだとファーガソンは指摘している。

アメリカは秘密結社(フリーメイソン)によって誕生したが、その直後から秘密結社(イルミナティ)を恐れるようになったのだ。

イルミナティと反ユダヤ主義

1730年代にアメリカのニューイングランドを中心に興った宗教復興運動が第一次大覚醒で、次いで独立後の1800年代から1830年代にかけて第二次大覚醒と呼ばれる福音主義運動が始まる。この「キリスト教原理主義」の高揚のなかで、宗教活動を軽視・否定するフリーメイソンへの反発が広がり、独立運動への貢献は歴史から消されていく。こうしてアメリカ現代史のなかで、フリーメイソンの建国の役割は無視されるようになっていった。

それを華々しく復活させたのがジョン・トッドという若者で、1970年代半ばからアメリカ各地で「イルミナティの陰謀」を説き、一時はテレビに出演するまでの注目を集めた。――以下の記述はジェシー・ウォーカー『パラノイア合衆国 陰謀論で読み解く《アメリカ史》』(鍛原多惠子訳、河出書房新社)に拠る。

トッドは自分のことを、アメリカに魔法をもたらしたコリンズ家に生まれ、13歳で魔術師の司祭職について学びはじめ、14歳でオハイオ州コロンバスの魔女団で秘伝を授けられたが、それはフリーメイソンの秘伝とまったく同じだと語った。

18歳で高位の聖職者になったトッドは徴兵されてドイツの軍事基地に駐屯しているとき、酒に酔ってドイツ人将校を射殺して刑務所に送られたが、ある日、「1人の上院議員、1人の下院議員、将官が2人」が迎えに来た。すると軍法会議の記録が抹消され、名誉除隊でアメリカへの帰国を許され、自宅に戻ると2000ドルとニューヨーク行きのファーストクラスの封筒が置かれていた。こうしてトッドは、「イルミナティと呼ばれる強力な政治組織」の存在を知ることになる。

イルミナティを組織していたのはロスチャイルド家で、その下には「十三人委員会」、ロスチャイルド家専属の聖職者、世界でもっとも強力なフリーメイソンから成る「三十三人委員会」、ロックフェラー家、ケネディ家、デュポン家など超富裕層から成る「五百人委員会」の階層があった。イルミナティはスタンダード石油、シェル石油、チェース・マンハッタン銀行、バンク・オブ・アメリカ、シアーズ、セイフウェイなどの大企業を支配し、全米キリスト教会協議会、全米大魔王同盟、連邦準備制度、アメリカ自由人権協会、アメリカ青年商工会議所、(右派の政治団体である)ジョン・バーチ協会、共産党を牛耳っているとされた。

イルミナティは、アメリカでは「外交問題評議会(国際問題を討議する場として1921年に設立され、雑誌『フォーリン・アフェアーズ』を発行。国際連合世界政府を構想したことで右派から「影の世界政府」と批判された)」を自称していたともいう。

トッドは最高位の十三人委員会に迎え入れられ、13州の管理を命じられ、世界全体を支配しようとするイルミナティの8年計画について知らされた。その計画は1980年12月に完了予定となっていた。この大陰謀を知って、トッドは1972年にイルミナティを脱会し(キリスト教福音主義と出会って回心を体験したという)、ひとびとに危険を知らせるために全米を回っている――という話をして教会の信徒から寄付を募っていた。

「イルミナティの大陰謀」はトッドが考えついたものではない。20世紀初頭のイギリス作家ネスタ・ウェブスターは、イルミナティとその関連組織がフランス革命ばかりか、その後のヨーロッパで起きたあらゆる革命の背後にあったと論じた。彼女の語るイルミナティは、「共産主義であるとともに資本主義でもあり、銀行、ボルシェビキ、フリーメイソン、神秘主義、ドイツ人、ユダヤ人すべてをひっくるめたものだった」。

ここには明らかに反ユダヤ主義の影があるが、この議論に影響を受けたのがウィンストン・チャーチルで、1920年、「ユダヤ人による運動というものは新しいものではない。スパルタクス・ヴァイスハウプト集団(イルミナティ)の時代から、カール・マルクス、そしてトロツキー(ロシア)、クン・ベーラ(ハンガリー)、ローザ・ルクセンブルク(ドイツ)、エマ・ゴールドマン(アメリカ)まで、阻害された発展、嫉妬心にもとづく悪意、不可能な平等がもたらす文明破壊と社会再構成は着々と進められてきた」と記した。

トッドの物語(あるいは妄想)は、「イルミナティとその背後にいるユダヤ人」という構図で作り出された膨大な陰謀論の沃野から生まれたのだ。

『スターウォーズ』からQアノンへ

1969年8月、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8カ月だった女優のシャロン・テートと友人ら3人が自宅で斬殺される事件が起きた。この猟奇殺人はカルト的コミューンの指導者チャールズ・マンソンに命じられたメンバーによる犯行だった。

ジョン・トッドの陰謀論で興味深いのは、自分がマンソンの「古い友人」であり、マンソンがアメリカの刑務所に「イルミナティ軍団」を形成し、1~2年後に出所することになっていると述べたことだ。トッドによれば、マンソンの軍団はイルミナティから武器の供与を約束されており、議会が銃規制を強化して一般市民の銃器を押収すると、「(マンソンらは)支持者たちと全米を掃討して何百万人という人を殺し、政府が戒厳令を敷くように仕向ける」のだという。

このように、1970年代のイルミナティ復興の背景にはアメリカ社会を大きく揺さぶったヒッピー・ムーヴメントがある。作家カート・アンダーセンはトランプ後のアメリカでベストセラーとなった『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』( 山田美明、山田文訳、東洋経済新報社)で、60年代のアメリカを「狂気と幻想のビッグバン」と名づけた。

この時代の雰囲気を象徴するものとしてアンダーセンが挙げるのが、ゲシュタルト療法を創始したドイツ人の心理療法士フレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」だ。

私は私の好きなことを、あなたはあなたの好きなことをする。私はあなたの期待に応えるためにこの世界にいるのではなく、あなたは私の期待に応えるためにこの世界にいるのではない。あなたはあなた、私は私であり、この二人がたまたまどこかで出会うのであれば、それはすばらしいことだ。出会わないのであれば、それはそれで仕方のないことだ。

若者たちはこれを、理性や合理主義は自由を拘束する「システム」を生むだけで、自分だけの真実をつくりあげることこそがシステムへの抵抗であり、そのためには「自分らしく生きる」ことが必要だと解釈した。このようにして科学は「文化的構築物」となり、真実は相対的なもので、夢想=スピリチュアリズムに大きな価値が置かれることになった(そこには当然、ドラッグの影響もあった)。

60年代はまたハレー・クリシュナ・マントラ(クリシュナを崇めるヒンドゥーの新興宗教)などのニューエイジが広まったが、それよりも大きな影響力をもったのが急進化したキリスト教だ。

1960年代後半、カリフォルニアのヒッピーたちのなかに、福音主義的キリスト教を信奉する「ジーザス・ピープル」「キャンパス・クルセード・フォー・クライスト」「キリスト教世界解放戦線」などの組織が次々と誕生した。若者たちはLSDで恍惚とするなかで、「福音主義的できわめて熱狂的な根本主義的キリスト教」に出会った。アンダーセンは、これが南部など保守的な地方に移植され、第四次大覚醒(福音主義運動)を引き起こしたのだという。

ヒッピーとキリスト教原理主義は対極にあるように見えるが、「理性を捨て、好きなことを信じる無制限の自由」を謳歌するのは同じだ。福音主義も「ポスト理性のアメリカという荒海から生まれた一つの反体制文化だった」のだ。

1970年に福音主義者ハル・リンゼイの『今は亡き大いなる地球(The Late Great Planet Earth)』がベストセラーになったが、この本では「サタンや反キリストや偽預言者、あるいはその手下が地位も名声もある人々を装い、この世を支配しているという陰謀」が詳細に語られた。福音主義者は1948年のイスラエル建国を「聖書の預言が成就する紛れもない証拠」とし、核戦争によるハルマゲドンとともにキリストが降臨し「千年王国」が始まるとの終末論を夢想した。

1991年には福音主義者パット・ロバートソンによる『新世界秩序(The New World Order)』 がベストセラーになった。この本では、秘密結社が世界政府を創設すると同時に、「キリスト教とアメリカの自由を攻撃し、歴史の終焉をもたらす善と悪の権力間の最終闘争を加速する」とされた(マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論 黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』林和彦訳、三交社)。

この秘密結社はイルミナティのことで、「フランス革命への道筋を準備し、そのあと世界共産主義の源となり、やがてロシア革命を生み出した(イルミナティ創設者の)ヴァイスハウプトの指令」に従っているとされ、その背後にはロスチャイルド家、クーン=ロブエ家、ジェイコブ・シッフ社、ヴァールブルク家などの国際ユダヤ資本があるとする。――この記述が反ユダヤ主義だと批判され、著者たちはユダヤ人社会に謝罪することになった。

「新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)」というのは、もともとは独立直後のアメリカで、国際的な秘密結社(影の政府)が自分たちの自由と主権を奪うために企んでいる陰謀の総称として使われたようだ。その伝統を60年代のヒッピーカルチャーと福音主義が蘇らせ、映画『スターウォーズ』でも、第1銀河帝国による支配が「ニュー・オーダー(New Order)」と呼ばれている。それをさらにSNSの陰謀論者たちが利用して、「トランプがディープステイト(闇の政府)という秘密結社と闘っている」という物語に仕立て直した。

Qアノンの「秘密結社」はアメリカの歴史に根づいた「神話」を巧妙に利用しており、だからこそ「陰謀」の被害者にされていると疑心暗鬼になったひとびとのこころを強烈にとらえ、燎原の火のように広がることになったのだろう。

禁・無断転載

若者が「苦しまずに自殺する権利」を求める国 週刊プレイボーイ連載(541)

小樽市の女子大生(22)の遺体が札幌市内のアパートで見つかった事件では、このアパートに住む自称元自衛官・元傭兵で無職の53歳の男が、本人の依頼によって殺したと供述しています。報道によれば、男は知人に対して「人をわりと平気で殺せる人なんかなかなかいないですよ」「ただ役に立ちたいだけ」などと述べて、SNSで知り合った自殺願望のある複数の女性を殺害・解体したと話していたとされます(その後、複数殺人は「うそだった」と供述)。

この女子大生がどのような理由で「元傭兵」の男に会いにいったのかはまだわかりませんが、コロナ禍で若い女性の自殺が増えていることは間違いありません。自殺対策の指針となる「自殺総合対策大綱」でも、5年前との比較で、女性の自殺者数が19歳以下で69.8%、20代でも47.4%と大きく増加しており、「非常事態は続いている」と述べられています。

社会調査によれば、日本社会でもっとも幸福度が高いグループは大卒の若い(20代/30代)の女性です。それにもかかわらず、死を考えるようになるのは一人ひとり異なる重い事情があるのでしょうが、確かなのは「未来に希望がない」と思っていることです。

ここまでは多くのひとが同意するでしょうが、メディアが触れたがらないのは、「なぜ若者は将来に絶望しているのか」です。

与党の政治家がSNSで「あなたたちのために何ができますか?」と訊いたところ、「早く死にたい」「苦しまずに自殺する権利を法制化してほしい」という要望が殺到しました。「正直、将来に対する不安が多様で大きすぎて、早く死にたいと毎日考えています。(略)安楽死の制度化ばかりを望んでいます」「自分の子に迷惑をかけ、なにも生産できず、死ぬのを待つだけなら、条件付きの安楽死を合法化してほしいです」などと、20代の若者が政治家に訴えるのが日本という国なのです。――その後、大手新聞が若者に望むことを訊いたときも、「死ぬ権利」を求める意見が多くあったといいます。

若者たちの大きな不安の背景にはなにがあるのでしょうか。それはこのアンケートを読めばわかります。彼ら/彼女たちが繰り返し訴えているのは、「このままでは高齢者に押しつぶされてしまう」という言い知れぬ恐怖なのです。

日本は人類史上未曾有の超高齢社会に突入し、「現役世代(20~64歳)何人で高齢者(65歳以上)を支えるか」では、1975年には7.7人で1人の高齢者の負担を肩代わりしていたのに、2025年は1.9人に1人、2050年には1.4人に1人へと状況は急速に悪化していきます。先進国では人口動態はほぼ変わらないので、これは予測ではなく、「確実にやってくる未来」です。

政府は年金制度を維持するために、国民年金の保険料納付期間を現行の60歳から65歳まで延長する検討に入ったようです。とはいえ、この程度では超高齢化の重圧にとうてい対処できず、いずれ年金支給開始年齢が70歳、あるいはそれ以上へと大幅に引き上げられるのは避けらないでしょう。

この冷酷な現実が日本の若者たちを脅えさせていますが、テレビや新聞の視聴者・読者の大半はいまでは高齢者に占められているので、メディアはこの事実(ファクト)に触れることができないのです。

参考「(不安に寄り添う政治のあり方勉強会向け)Twitterでの不安アンケート収集結果」2020年2月12日 参議院議員 山田太郎事務所

『週刊プレイボーイ』2022年10月31日発売号 禁・無断転載

【アクセス5位】睡眠はもっとも強力な自己啓発

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

アクセス5位は2021年12月16日公開の「ひとはなぜ夢を見るのか?睡眠と夢の驚くべき効能とは」です(一部改変)。

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若い頃は、友人たちが夢について語るのをいつも不思議に思っていた。なぜなら、夢を見たことがほとんどなかったから。大学生でフロイトの『夢判断』を読んだときも、困惑しかなかった。判断しようにも、肝心の夢がないのだ。

同じようなひとはかなりいると思うが、いまではこれは夢を覚えていないだけだとわかっている。眼球運動のあるレム睡眠(浅い睡眠)のときに被験者を起こすと、およそ8割が「夢を見ていた」と答える。眠りの深さは、脳波や筋肉・眼球の動きによって「レム睡眠-N1-N2-N3」と分類され、かつては「深い睡眠では夢は見ない」とされていたが、近年の研究ではN3(もっとも深い睡眠)でも、無理やり起こされた被験者のおよそ半数が「夢を見ていた」と答えるという。

眠りから覚めて覚醒状態になるあいだに、脳は夢の大半を忘れてしまう。この健忘には個人差があるので、夢を詳細に覚えているひとと、「夢を見たことがない」ひとにわかれるのだろう。

アントニオ・ザドラ、ロバート・スティックゴールドの『夢を見るとき脳は 睡眠と夢の謎に迫る科学』(藤井留美訳、紀伊国屋書店)を手に取ったのは、自分が(ほとんど)体験したことのない夢の世界に興味があったからだ。著者たちは、1990年代の初頭から夢の研究に取り組み、睡眠と夢に関する科学論文を200本以上発表してきた第一人者だが、それでも「夢の謎と驚異は大きくなるばかりだ」という。

フロイトの「夢判断」はなんの根拠もない

世界最古の物語とされる4000年前のギルガメシュ叙事詩にも夢が出てくるように、夢の謎はずっとひとびとを虜にしてきた。だが「夢の科学」に大きな影響を与えたのは、フロイトの『夢判断』(1899)だった。

とはいえ現在では、フロイトの「独自の主張」とされるものの多くに先行研究があることがわかっている。

イギリスの心理学者ジェームズ・サリーは、『夢判断』の6年も前に「夢は暴露となる。自我から見かけの包装をはぎとり、赤裸々な正体をむきだしにする。潜在意識の暗い底から、原始的で本能的な衝動を呼び起こすのだ」(「暴露としての夢」1893)と書いた。

カール・シェルナーはフロイトより40年ちかく前に、『夢の生活』(1861)で、「夢は対象をそのまま描くわけではなく、別の何かで対象の重要な属性を象徴させるのだ」として、「煙草のパイプ、ナイフ、クラリネット」は男性器の象徴で、「住宅に囲まれた細い道」は女性器の象徴だと唱えた。

フランスの民族誌学教授エルヴェ・ド・サン=ドニは『夢の操縦法』(1867)で、夢は人物やモノの特徴・特質を「抽出」していると論じた。昼に食べたオレンジ(ミカン)のかたち、色、香りのどれが主体になるかによって、夢ではビーチボール、オレンジ色の夕焼け、レモンの木立として現われる。これが「抽出」だ。サン=ドニは、夢のなかで多種多様な概念が映像で現われることを「映像の重なり」で説明してもいる。――その30年後、フロイトはサン=ドニの説を掘り起こし、「抽出」を「遷移」、「映像の重なり」を「縮合」と呼び方を変えて自分の説に加えた。

フロイト独自の理論といえるのは、「夢は幼児期に由来する抑圧された性的願望の表現」くらいで、これが精神分析学の根幹になっている。眠っているときも「検閲官」が抑圧された無意識の素材を歪め、「縮合」「遷移」「表象可能性」「二次加工」などの「夢の仕事」によって、それとわからないかたちに変えてしまう。だが熟練した精神分析医の手にかかれば、(夢が呼びさます感情や思考を何の制約もなく描写していく)自由連想によって、検閲官による歪曲を「取り消し」て、夢のもとになった無意識の葛藤や欲望にまでさかのぼれるとされた。

ところがその後の数えきれない研究で、フロイトの説は「根拠がほとんどなく、経験的な証拠もない」という明白な結論が導き出されてしまった。だがフロイトの「夢理論」への批判は精神分析学を根底から脅かすものだったため、夢の研究者は精神分析家たちからはげしい攻撃を受け、「フロイト戦争」と呼ばれるまでになった。

そもそも、「フロイトが無意識を発見した」という主張自体が明らかな誤りだ。「意識できないこころのはたらきがある」という概念は数千年前までさかのぼれるし、「無意識(unconscious)」という言葉もフロイトが生まれる100年以上前につくられた。臨床的な観察にもとづいて無意識を最初に理論化したのはフロイトではなく、フランスの精神科医ピエール・ジャネだった。

だがフロイトと、その後継である精神分析学のマーケティングがあまりにも成功したために、「科学としての心理学・精神医学」はずっとフロイトの呪縛に苦しめられることになった。だが1953年にレム睡眠が発見されて、ようやく夢を科学的に研究できるようになり、いまや続々と新しい知見が積み重ねられているのだ。

眠っているあいだに能力が向上する

夢について考える前に、そもそもヒトはなぜ眠るのだろうか。じつはこれはずっと謎で、1970年代には「睡眠にはなんの役割もない」と大真面目に唱える研究者もいた。

だが、睡眠が重要なことは明らかだ。ラットを長時間覚醒させたままにしておくと、1カ月以内にかならず死ぬ。人間も同じで、「致死性家族性不眠症」という遺伝性の脳疾患がある。

昆虫や線形動物といった生き物にも、それなりの眠りがあるらしい。「周囲が明るくても真っ暗でも、毎日きまった時間に動きを止め、反応しなくなる」のだ。ここから、神経系をもつ生き物には、なんらかの「眠り」が必要なことがわかる。

もっとも有力なのは、眠りの「ハウスキーピング機能」説だ。オフィスビルを掃除するには、昼間よりも誰もいない夜間の方が効率がいい。同様に睡眠は、昼間の活動中にできないことを行なう時間なのだ。

N3のような深い睡眠(脳波が大きくゆっくりしているので「徐波睡眠」と呼ばれる)のときは、脳の基底部にある下垂体から成長ホルモンが分泌される。子どもは眠っているときに成長するが、その役割が徐波睡眠に割りあてられたのは、この時間の身体にはほかにやることがないからだろう。

睡眠は抗体の生産やインスリン分泌の調節にもかかわっている。睡眠中は免疫反応が活発になり、抗体生産性が上がるので、ワクチンの効果を最大限に引き出すには充分な睡眠が欠かせない。インスリンの調節にも睡眠は必須で、「健康な大学生でも、4時間睡眠を5日間続けただけで前糖尿病状態になった」という報告がある。

睡眠は、アルツハイマー型認知症とも関係がある。認知症の原因のひとつがアミロイドβという老廃物で、これが脳の神経細胞のあいだに蓄積されると認知症の引き金になる。

このアミロイドβは、覚醒時より睡眠中の方が2倍の速度で除去される。逆に、ひと晩徹夜しただけで神経細胞の間隙に存在するアミロイドβは5%も増加するという。認知症の最大の予防は、ちゃんと眠ることなのだ。

睡眠についての近年の大きな発見は、眠っているあいだの記憶や能力が向上することだ。著者たちはこの効果を、タイピングを使って検証した。

被験者に「4-1-3-2-4」の順番でひたすら数字をタイプしてもらうと、最初の5、6分で約60%速くなったが、そこで頭打ちとなり、10分間の制限時間が終わるまでに速さは変わらなかった。午前中に練習して夜にテストしたところ、指はちゃんと覚えていたようで、練習終了時と同じ速さで入力できたが、速くはなっていなかった。ところが、夜に練習して翌朝テストすると、タイプが15~20%速くなり、間違いも減っていたのだ。

同様の学習効果は視覚や聴覚の識別課題でも確認されていて、どれも睡眠後に成績が上がっている。

睡眠時の学習は、眠りの深さによって役割がちがっている。タイピングのような運動能力は深夜のN2睡眠、言語記憶はN3睡眠、情動記憶や問題解決に関係するのはレム睡眠で、視覚的な識別能力課題では、夜早い時間のN3睡眠と深夜のレム睡眠が長い方が翌日の成績が上がった。

このように、眠りの質によって学習分野が変わることが、レム睡眠からN3まで異なる睡眠の段階が生まれた理由だろうと著者たちは述べている。

夢は睡眠に依存する記憶処理の一形式

睡眠時の学習に夢はどのようにかかわっているのだろうか。それを知るために著者たちは、一酸化炭素中毒などで脳深部の海馬が損傷した患者に、3日間で合計7時間テトリスをしてもらった。

海馬は記憶にかかわる脳の部位で、ここが損傷すると、今朝何を食べたか、午後どこへ行ったかなどを思い出すことができなくなる。健忘の患者たちは、寝る時間になると自分がテトリスをやったことをまったく覚えていなかった。

ところがひと晩たつと、目覚めたときに5名中3名がテトリスの夢を見たと報告した。意識的な記憶が消えていても、無意識はテトリスをやったことをちゃんと覚えていて、それを夢で再現したのだ。――これは「テトリス効果」として有名になった。

次いで著者たちが指導する若い研究者が、夢を見ることが学習能力に影響するかを調べた。被験者はバーチャル迷路の課題を行なったあと、90分間の仮眠をとり、そのあとふたたび同じ課題に取り組んだ。

その結果は驚くべきもので、仮眠から目覚めたとき迷路の夢の記憶がなかった被験者は、迷路を脱出するまでの時間が仮眠後に1分半延びたのに対し、夢を見たと報告した被験者は、反対に2分半短縮したのだ。

仮眠中に被験者を起こし、そのときに見ていた夢を報告させる追加実験でも、夢の効果は確認された。課題に関係する夢を見ていた被験者は、迷路の攻略を平均91秒短縮させた(成績が10倍ちかく上がった)。一方、迷路の夢を見なかった被験者の時間短縮は10秒に満たなかった。

こうした実験から著者たちは、「夢は睡眠に依存する記憶処理の一形式」だと考えるようになった。それを体系化したのがNEXTUPモデルで「可能性理解のためのネットワーク検索(Network EXploration To Understand Possibilities) 」の頭文字だ。

夢とLSDによる幻覚は(ほぼ)同じもの

NEXTUPモデルでは、夢は「それまで手つかずだった弱い連想の発見と強化を通じて、既存の記憶から新しい知識を抽出する独特の働きをする」と考える。これを著者たちは「記憶進化」と呼ぶ。

この効果を調べた実験は興味深いので、すこし詳しく紹介しよう。

プライミングは心理学ではサブリミナル(潜在意識)への刺激のことで、意識できないきわめて短い時間、女性のヌードやナイフをもった男などの写真(プライム刺激)をモニターに映し、課題達成にどのような影響があるかを調べる。

著者たちが使ったのは「意味プライミング」と呼ばれる手法で、モニターに「wrong」「wronk」などが次々と表示されるので、被験者はそれを見て、単語か非単語(無意味な文字列)かを判断してキーを押す。

実験では、単語もしくは非単語が表示される直前に、「right(善)」「thief(泥棒)」「prune(剪定)」の3つの単語が0.25秒だけ映された。被験者はこのプライム刺激を意識できないが、無意識はちゃんと読み取っている。

覚醒時には、「right(善)」のプライム刺激のとき、「wrong(悪)」への反応の速さが(「thief(泥棒)」に比べて)3倍になった。

無意識が「right」を読み取ると、脳内でその音と意味を記憶しておく回路が活発になり、同時に関連するほかの単語の記憶が活性化される。脳は「善→悪」の関連づけをしていたため、次に表示された「wrong」に素早く反応することができたのだ。

次に著者たちは、真夜中にレム睡眠になっているとき、被験者を起こして同じテストをさせた。すると奇妙なことに、こんどは「thief(泥棒)」のプライム刺激の方が反応が速くなった(「善」よりも「泥棒」を「悪」と関連づけるようになった)。

こうした実験を繰り返すことで著者たちは、レム睡眠のときは、覚醒時に関連性が強かったプライミング効果が90%も低下していたのに対し、逆に関連が弱かった単語のプライミング効果が2倍以上になっていたことを発見した。「眠っている脳は、覚醒時よりずっと広範囲を検索して、起きているときには考えてもみなかった財宝を掘りあげようとする」のだ。

これはある種の「拡散思考」で、「疑問の答になりそうなことを、制約を課さずいくつでも出していく創造的方法」でもある。そしてじつは、こうした効果は別の方法でも実現できることが知られている。それがLSDなどの幻覚剤だ。夢と薬物による幻覚は、(ほぼ)同じものなのだ。

ぼーっとしているときにひらめく理由

LSDはセロトニン1A受容体と結合し、脳の各所でセロトニンの放出を阻害することで幻覚効果を生じさせる。同様に、ノンレム睡眠中にセロトニン濃度が(覚醒時に比べて)下がっていき、レム睡眠に入ると放出が完全に停止する。

レム睡眠時には、ノルアドレナリンの放出も阻害される。ノルアドレナリンはアドレナリンの脳内版で、いま目の前にあることに注意を集中させる効果がある。レム睡眠時にノルアドレナリンが消えると集中がほぐれ、セロトニン濃度もほぼゼロになることで、覚醒時には無視していた弱い連想に対して驚異を覚え、重要性を強く感じるようになるらしい。

この現象に重要な役割を果たすのがDMN(デフォルトモードネットワーク)だ。文字どおり、脳が(なんのタスクもしていない)デフォルト状態のときの活動で、「マインドワンダリング」ともいわれる。要するに、「ぼーっとしている」ことだ。

DMNは、「環境に重大な変化がないか監視して、危険を察知するサブネットワーク」「過去の出来事を思い出し、未来に起きることを想像するサブネットワーク」「空間を上手に動きまわるためのサブネットワーク」「単語と他者の行動を解釈するサブネットワーク」など、複数のネットワークで構成されることもわかってきた。

ぼーっと考えごとをしているとき、わたしたちは無意識のうちに、過去(あのときこんなふうにしていたら、こうなっただろう)と未来(これからこんなふうにしたら、こうなるだろう)をシミュレーションしている。DMNが自己と関連するのは、過去から未来へと向かう一貫した「自分」がいなければ、そもそもシミュレーションが成立しないからだ。「過去の自分」や「未来の自分」が「いまの自分」となんの関係もなければ、そんなことを考えてもなんの意味もない。

著者たちは、レム睡眠で夢を見ているとき「拡張マインドワンダリング」とでも呼べる状態になり、さまざまな連想をつなげているという。実際、睡眠中の脳画像でDMNの変化が大きいほど、翌日の課題の成績が向上していた。

夢のなかでアイデアを思いついたり、ぼーっとしているときに問題の解決策に気づいた経験は誰にもあるだろう。これはDMNが、脳の記憶を探索してさまざまな要素をつなげているからだ。それによって、思いもかけない要素が結びついてイノベーションが生まれる。

覚醒時には、脳は目の前の課題を処理しなくてはならないから、強い関係を優先し、弱い関係を脇にどけておく。だがこれは弱い関係を忘れてしまうのではなく、「気になること(気がかり)」を無意識に保存しているらしい。そして所在ない時間にDMNが活性化すると、こうした記憶が呼び出されてさまざまなひらめきが生まれるのだ。

仕事や勉強に集中しすぎるのは逆効果

これと関連して興味深いのは、近年、LSDなどの幻覚剤がうつ病の治療に高い効果があるとの研究が脚光を浴びていることだ。

この「幻覚剤ルネサンス」を牽引する研究者は、うつ病とは「自己」が強すぎる状態で、幻覚剤がDMNを後景に退かせることで自由な連想が可能になり、それが治療につながるのではないかと考えている。

だが『夢を見るとき脳は』の著者たちによると、夢や幻覚はDMNが活性化している状態で、それはセロトニンとノルアドレナリンの低下によって引き起こされる。どちらが正しいかは今後、検証されるだろうが、私見では、「うつ病とはDMNのシミュレーションがネガティブな方向にロックインされてしまった状態」と考えればいいのではないか。その拘束がレム睡眠や幻覚剤によってはずれ、自由にマインドワンダリングできるようになることで、別の可能性に気づいたり、気分が楽になったりするのだ。

代表的な抗うつ剤であるSSRIは、脳内でセロトニンの再取り込みを阻害することでセロトニン濃度を上げる効果があるとされており、この理論では、セロトニンの濃度が低いと抑うつ的になるはずだ。だがレム睡眠では、脳内のセロトニン濃度がゼロになることでマインドワンダリングが活性化し、幻覚剤はセロトニンの分泌を阻害してうつを寛解させる。主要な脳内神経伝達物質のひとつであるセロトニンについてはまだわからないことが多いが、今後、こうした矛盾にも一貫した説明ができるようになることを期待したい。

私たちは昼間のぼーっとした時間に、睡眠時の処理にそなえてさまざまな「気になること」を標識付けしている。ところがスマホなどによってマインドワンダリングする時間がどんどん少なくなると、この標識付けができなくなる(ぼーっとするのは「生産性が低い」のだ)。

著者たちは、じつはこれが不眠症が増えている理由のひとつではないかという。ベッドに入ったとたんに心配事が一気に押しよせてくるのは、昼間の時間に「気がかり」を処理できなかったからで、入眠前が「記憶の識別と標識付けという大事な作業ができる唯一の時間」になってしまうのだ。

現代社会では、仕事や勉強に「集中」することが重要だとされる。だがもっと大切なのは、なにもせずに「ぼーっとする」ことなのかもしれない。

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