バカと利口が議論するとどうなるのか? 週刊プレイボーイ連載(540)

デモクラシー(民主政)はデモス(民衆)が主権者として社会を支配する仕組みで、なにが正しくて、なにが間違っているかは市民の議論で決めることになっています。このとき、参加者の認知的な条件が一定の範囲に収まっていることが暗黙の了解事項になっていますが、この前提はつねに成立するのでしょうか。

誰もが学生時代にイヤというほど見せられた偏差値では、学力は正規分布し、それを図にするとベル(釣り鐘)のかたちになります。このベルカーブでは、平均(偏差値50)付近がもっとも多く、偏差値40から60のあいだに全体の7割(68.26%)が収まります。偏差値60~70は13.59%、70~80は2.14%で、偏差値80以上は0.14%しかいません。

ここまではときどき話題になりますが、ほとんど触れられないのは、偏差値40以下、30以下、20以下も同じ割合だけいることです。「少年院に収容されている若者の多くがケーキを3等分できない」という本がベストセラーになったのは、予想外の事実に驚いたというより、誰もがなんとなく思っていたことを「見える化」したからでしょう。

ひとびとの認知能力に(かなりの)ばらつきがあるとするならば、民主政が成り立つかどうかは、そうしたひとたちが集まって議論したときにどうなるかを調べてみなければなりません。とはいえ、被験者に知能指数を訊くわけにもいかず、研究者は人為的に“バカ”をつくりだすことでこの謎を解こうとしてきました。

その結果はというと、ディスプレイの画像をぼやけてよく見えなくするなどで、認知能力にハンディを負わされた被験者は、つねに自分の能力を大幅に高く評価しました。より困惑するのは、認知能力の高い(ハンディのない)被験者がこうした“バカ”と議論すると、正答率が大きく下がって、コイン投げで決めた方がマシになってしまうことです。

この奇妙な現象は、わたしたちの祖先がずっと、150人程度の共同体のなかで地位(ステイタス)をめぐって争ってきたことから説明できそうです。ライバルがたくさんいるときに、自分の能力が劣っていることを正直に認めるのは最悪の戦略です。たとえウソでも、高い能力をもっていると偽装したほうがまだ勝てる可能性があります。

こうして、脳は自らの能力を過大評価するように進化しました。“バカ”の特徴は、自分がバカであると気づかないことなのです。

その一方で、認知能力が高くても、それを露骨に見せびらかすことがつねに有利になるとは限りません。ライバルたちはみな、足を引っ張ろうと、虎視眈々と隙をうかがっているのです。

このような場合、自信満々にマウンティングするのではなく、相手も高い能力があると仮定し、慎重に振る舞うことが最適戦略になるでしょう。賢いひとは自分を過小評価し、(最初のうちは)誰もが同じように賢いと考えるのです。

この2人が対等の立場で議論すると、正しい答えを知っている賢いひとが、自信過剰の“バカ”に引きずられてしまいます。こうして、民主的な議論の結果は破滅的なものになってしまうというのです。

近刊の『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』(新潮新書)では、人間のやっかいな本性をめぐるさまざまな研究を紹介しています。「そんなバカな」と思うひとは、ぜひ自分で読んで確かめてみてください。

『週刊プレイボーイ』2022年10月24日発売号 禁・無断転載

【アクセス4位】先進国で「男子劣化」が起きている理由

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

アクセス4位は2017年9月22日公開の「ポルノ大国の先進国で「男子劣化」が深刻な問題になっている」理由です(一部改変)。

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フィリップ・ジンバルドー、ニキータ・クーロンの『男子劣化社会』(高月園子訳、晶文社)の原題は、イギリス版が『つながらない男:テクノロジーはどのように“男であること”を妨げるのか?(Man Disconnected: How technology has sabotaged what it means to be male)』、アメリカ版が『男はさえぎられている:なぜ若い男たちはもがいているのか? それに対して私たちはなにができるのか?(Man, Interrupted: Why Young Men are Struggling & What We Can Do About It)』だが、『男子劣化社会』は本書のテーマを簡潔に現わすよい邦題になっている。著者たちは、若い男性が現代社会の環境の急速な変化に適応できず、機能不全に陥っていると警告しているのだから。

著者の一人フィリップ・ジンバルドーはスタンフォード大学心理学名誉教授で、大学生を疑似監獄の看守にした「スタンフォード監獄実験」で知られている(近年では再現性問題で批判されてもいる)。本書ではそのジンバルドーが、現代アメリカの社会の「男子劣化」の現状を憂いている。

男子生徒が教育から脱落しつつある

アメリカではいま、感情面で大人になっていない男性や自立できない男性が増えていて、「マン・チャイルド」や「ムードル(マン+プードル)」といった新語も登場したという。

彼らの特徴は、「成人後も子どもから脱しきれず、女性と同等の人間、友達、パートナー、恋人、ひいては大切な妻としてさえ関わることが困難になっている」ことで、「調査を通して私たちは、今の若い男性の多くが長期的に恋愛を維持することはもとより、結婚にも、父親になることにも、自分の家族を作ることにも興味がないことを発見した」とジンバルドーは述べる。

すぐに気づくようにこれは、日本の「草食化」とよく似た現象だ。実際、この言葉は「herbivore men(草食動物の男)」や「grass-eater men(草を食べる男)」という英語になっている。

その原因をジンバルドーは、テクノロジー(インターネット、ゲーム、オンラインポルノ)とドラッグ(違法薬物と向精神薬)に求めているのだが、それ以前に、アメリカでは(というか世界的に)男子が教育から脱落しつつある。

ジンバルドーによれば、いまやアメリカ史上はじめて、少年たちの受ける教育が父親たちより短くなっている。そればかりか、女子生徒が活躍する一方で、男子生徒はますます学校から脱落しつつある。

アメリカにおいては、女子は小学校から大学まで、すべての学年で男子より成績がよい。13歳と14歳(中学生)で作文や読解が熟達レベルに達している男子は4分の1にも満たないが、女子は41%が作文で、34%が読解で達している。2011年には男子生徒のSAT(大学進学適性試験)の成績は過去40年で最低だった。また、学校が渡す成績表の最低点の70%を男子生徒が占めていた。

若者を対象にした長期的な調査(1997年に開始し2012年に終了)によると、女性の3人に1人が27歳までに学士号を取得しているのに対し、男性では4人に1人しかいない。2021年までには、アメリカでは学士号の58%、修士号の62%、博士号の54%が女性により取得されると予測されている。

だが、これはアメリカだけの現象ではない。

OECDの調査によると、先進国のすべてで男子は女子より成績が悪く、落第する生徒も多く、卒論試験の合格率も低い。スウェーデン、イタリア、ニュージーランド、ポーランドといった国々では、PISAテスト(15歳を対象とした国際学習度到達調査)の読解力部門で女子が男子をはるかに上回り、1学年から1学年半も先を行っているという結果が出た――これでは同い年の男女を同じクラスで教えるのは困難だろう。

カナダとオーストラリアでは、すでに大卒者の60%が女性だ。イングランドでは大学の入学申込者は女子4人に対し男子は3人以下、ウェールズとスコットランドでは、女子の申し込みが男子より40%も上回り、恵まれない家庭ではこのギャップがよりいっそう大きくなっている。

高校中退者の社会コストは1人2500万円

アメリカでは、男子はADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断を受ける率が女子の2倍から3倍も高く、小学生のときからリタリンのような向精神薬を処方されている(リタリンの分子構造はアンフェタミン(覚醒剤)と酷似している)。

特別支援学級では生徒の3分の2が男子だが、これはIQの問題ではなく、男子がうまく勉強に向き合えないからだ。こうした男女間のギャップはマイノリティではさらに大きくなり、黒人の学生に授与された学士号のうち、男子は34%しか占めていない。同様に、ヒスパニック系でも男子は39%だ。

その結果、2000年から2010年の間に、アメリカ人の10代で働いている者の割合は42%減少し、20歳から24歳では17%減少した。イギリスでは、15歳から24歳の失業率は21%だが、これはOECD加盟国の平均より5%ちかく高い。OECDの記録によれば、20代後半から30代前半の男性失業率の世界平均は1970年には2%だったが、2012年には9%と急上昇している。

リーマンショック後の景気後退のため、アメリカでは男性の失業率が2008年1月から09年6月の間に倍になった。女性被雇用者が圧倒的に多いヘルスケア産業は比較的影響を免れたが、被雇用者のほとんどが男性の製造業や建設業などでは650万人の職が消失したのだ。介護と訪問看護は今後もっとも急成長が望まれる分野だが、こういった職の大部分を女性が占めると予測されている。

男児が教育から脱落していくのは、女児とは発達の仕方が異なるからだ。誰もが経験的に知っているように、幼い頃は女児のほうが成長が早く、言葉も先に覚える。

アメリカの幼稚園は女児に合わせて学習プログラムが組まれているため、集中して本を読むことが苦手な男児は落ちこぼれてしまう。脳がまだ準備のできていない状態で何かを学ぶように強制されると無意識のうちに勉強が嫌いになり、早い段階で学ぶことに抵抗と怒りを覚え、たいていは学校嫌いになる。ミシガン大学の調査によると、1980年以降、学校を嫌いだという男児の数は71%も増加している。

ジンバルドーは、全米ネット公共放送網(PBS)の論説「学校の何が悪いのか?」が、男児の苦境をうまく要約しているという。日本の現状にも参考になると思うので、紹介しておこう。

  1. 学校教育が始まる年齢では、一般的に男児は女児に比べ身体的にはより活発だが、社会性や言語の面では未熟だ。男児は女児よりアクティブなので、長時間じっと座っていることが苦手だ(アメリカの小学校では、子どもたちが体を動かせる時間はほとんど消えてしまった)。
  2. 今の子どもたちは幼稚園から読むことを習うが、まだ女児ほど言葉が巧み出ない男児は、成長発達学的にも、女児に比べ読む訓練を受けていない。
  3. 平均して女児はもともと男児に比べ言語に強い。ところが小学校の授業の5分の4が言語をベースにしている。したがって、男児は読み書きが下手だと感じ、その自覚した欠陥は、彼らのネガティブな自己認識の一部になる。
  4. 男児は体験型の学習を好むが、学校は実際にはモノを扱う機会を十分に提供していない。さらに学校の教材としては、男児の好きな漫画やSF(サイエンス・フィクション)などより、女児の好きな日記や一人称の物語の方が好まれる。
  5. 男子教師は9人に1人未満(イギリスでは5人に1人未満)。小学校教諭に限るとほぼ全員が女性なので、学習を男らしい作業だと教えてくれるポジティブな男性のロールモデルはほとんどいない。高校ではこの状況はさらにひどくなる。

このようにしてアメリカでは、膨大な数の男子生徒が高校をドロップアウトしていくのだという。

25歳以上の中退者の健康状態を調べると、収入に関係なく、卒業した生徒より不健康なことがわかっている。さらに中退者は罪を犯す率が高く、全国の死刑囚のなかに不均衡なほど大きな割合を占めている。

高校の平均的中退者は、納めるべき税金の少なさ、高い犯罪率、社会保障への高い依存度その他を含めると、卒業した者に比べ、生涯で国の経済に一人あたり約24万ドル(約2500万円)もの負担増になるとの試算もある。

生身のセックスとオンラインポルノが区別できなくなる

ジンバルドーは、男子が「劣化」していく理由として、ゲーム、肥満、オンラインポルノ、薬物療法・違法ドラッグを挙げている。日本の学校では違法ドラッグや肥満は(アメリカほど)大きな問題になっておらず、ゲームやスマホ依存症についてはすでにさんざん議論されているから、ここではアメリカにおける「オンラインポルノ」問題の深刻さを見てみよう。

アジアでは日本が圧倒的なAV(アダルトビデオ)大国だが、アメリカはその比ではない。

インターネットが登場した6年後の1997年に、アメリカにはすでに約900のポルノサイトが存在していた。2005年にハリウッドが制作した映画は600本程度だったのに、長編ポルノ映画は約1万3500本もリリースされている。今日、数万社にのぼる会社や配信元が、とても正確には把握できないほど膨大な数のポルノを直接オンラインで提供している。

2013年だけをとっても、PornHubは150億ちかくの視聴数を獲得し、年間を通して毎時間平均168万人が同サイトを閲覧した。ポルノのウェブページの最大の供給国はアメリカで、全世界の89%に相当する2億4460万ページを制作しているという。

イギリスでは2013年に、PornHubが6歳から14歳の子どもの閲覧ランキングで第35位に入った。平均的な少年は週に2時間近くポルノを視聴し、少年の3人に1人が、ポルノを何時間見ているかが自分でもわからないほどのヘビーユーザーだとされる。その結果、ポルノのせいで何かを先延ばしにする「プロクラスターベーションProcrastabation(Procrastinateぐずぐず先延ばしにする+Masturbationマスターベーション)」なる造語まで生まれたという。

アメリカやイギリスでは、若い男性の多くが「ポルノサイトの過度な視聴」を早くも14歳で開始し、20代の半ばには「最も暴力的なセックスシーン」にさえ慣れきっていたと答えている。

少年期から膨大なポルノにさらされつづけたことで、「セックス拒食症」とでも呼ぶべき症例が社会問題になってきた。ほんもののセックスと“ポルノの再演”の違いがわからなくなり、「セックス拒食症」の若者はガールフレンドをモノ扱いしはじめる。

彼らは自分の身体が他者の身体とつながっているという感覚から切り離されているので、セックスのときには逆に、相手が人間のパートナーだという空想を巡らさなくてはならなくなる。

イースト・ロンドン大学が行ったオンライン調査では、16歳から20歳の男子の5人に1人が「実際のセックスでも刺激剤としてポルノの世話になっている」と認めた。ポルノのせいで健康的な性的関係についての考えが歪められ、実際に女性を相手にしているときもポルノの「スクリプト」が頭の奥で再生されるのだという。

オンラインポルノを見ただけでポルノ依存症になる

軟体動物を使った古典的な反応実験では、最初は軽くタッチされただけでも反射的に収縮していたウミウシは、危害を加えられることなく繰り返しタッチされていると、あっという間に慣れて収縮する本能を失う。

生物学者エリック・カンデルはウミウシの神経システムを観察した結果、この学習効果が、シグナルを送る運動ニューロン間のシナプス結合の弱化を反映していることを発見した。実験のはじめにはウミウシの知覚ニューロンの90%が運動ニューロンと結合していたが、40回タッチされたあとでは、わずか10%しか結合していなかったのだ(カンデルはこの一連の研究によってノーベル賞を受賞した)。

もちろんこれだけでは、ポルノを過剰に視聴することが現実のセックスに影響を与える理由だとはいえない。セックスは身体的な体験だが、オンラインポルノは「ただ見るだけ」なのだ。

そこでハーヴァード大学メディカル・スクールの神経学研究者アルヴァロ・パスキュアル-レオーネは、実体験と想像のちがいを調べるために次のような実験を行なった。

ピアノをいちども弾いたことがない被験者に簡単な一節のメロディを教えてから、彼らをふたつのグループに分ける。

第一のグループはつづく5日間、毎日2時間、キーボードでそのメロディを練習した。それに対して第二のグループは、同じ時間をキーボードの前に座り、キーには触れずにただメロディを弾いていると想像するよう指示された。

そのうえで実験中の参加者たちの脳活動を調べると、驚くべきことに、両グループの脳はまったく同じ変化を示していた。身体的な体験をともなわなくても、ただ考えただけで脳は変化するのだ。

ジンバルドーは、インターネット、ギャンブル、オンラインポルノの3つの依存症について脳科学的な研究は90以上あり、これらの依存症のすべてにおいて、脳内に薬物依存症と同様の変化が起きているという。

脳内で性的興奮が起きる部位は、依存が起きる部位(報酬回路)と同じだ。ドーパミンは報酬回路を起動する主要な神経伝達物質なので、性的に興奮すればするほど、その分泌はより高まり、ドーパミンの量が不足すれば勃起は起きない。

こうしたメカニズムによって、「ポルノ依存症」は次のように進行していく。

  1. 静止画面やすでに見たポルノでは性的興奮は起きなくなる。単に興奮を得るためにも、より過激なポルノへとエスカレートしていく――依存症の兆し。
  2. ペニスの感覚が鈍くなる――脳が快感に対して麻痺しつつある証拠。
  3. 現実の相手とのセックスで射精までに時間がかかる。もしくは射精に到達できない。
  4. 性交不能――現実の相手とのセックスでは勃起を維持できない。
  5. 勃起不能――たとえ過激なポルノを見てもまったく勃起しない。
  6. 勃起不全治療薬も効力を失う。バイアグラもシアリスも勃起を維持する血管を拡張するだけで、脳に性的刺激を引き起こすことはできない。興奮しなければ何も起きない。

愛しているのにセックスできない

ベルリンのマックス・プランク人間発達研究所で行なわれたオンラインポルノ視聴者の脳に関する研究では、長年にわたる長時間のポルノ視聴は、脳の報酬感受性に関係した領域における灰白質の減少と関連性があることが発見された。

灰白質が減少すれば、ドーパミンの量もドーパミン受容体の数も減る。「ポルノの習慣的な使用は多かれ少なかれ報酬回路をすり減らす」のだ。

ポルノユーザーたちがより過激なポルノに依存するようになるのは、性的興奮を覚えて勃起するのにますます大きな刺激が必要になるからだ。

しかし、現実にこのようなことが起こるのだろうか。ジンバルドーは、20代前半の女性から聞いた話を紹介している。

彼女はある男性と7カ月ほどつき合ったあとに、いっしょに暮らすようになったが、彼には勃起障害があった。たまに勃起することがあっても、いざ挿入する段になると萎えてしまうのだ。

彼はハグや抱き締めることは楽しんでいたので、セックス以外はとてもうまくいっていました。私たちは何についてもざっくばらんに話していました。彼はPCに大量のポルノを収集していました。それ自体はさほど気にならなかったのですが、それらが彼のセックスに対する考え方にかなり悪影響を与えていると感じていました。彼は自分の性的能力に対してあまりに大きな不安を抱いていて、そのせいでどうしても行為に没頭することができなかったのです。

恋人と同棲し、お互いの関係もうまくいっているのに、彼はなぜセックスができないのだろうか。彼女はこう説明する。

彼は中高時代を男子ばかりの寄宿舎で過ごしたのですが、そこで少年たちは大量のポルノを見たそうです。彼らの誰一人、まだ実際には体験していなかったそうです。それこそ彼がのちに勃起障害と性行為に対する不安症に苦しむことになった原因ではないかと思います。(略)
彼は私を欲情の対象として見るのは難しいと言いました。つまり、愛する女性が同時にセックスの相手であることに折り合いをつけられないのだと。彼にとってセックスとは、自分にとってどうでもいい誰か――生身の人間ではなく、欲情させるモノ――とするものなのです。彼との生活の終わりころには、私たちはまるでルームメイトのような暮らしをしていました。

VR(ヴァーチャル・リアリティ)のテクノロジーが大衆化すれば、セックスはますますリアルな体験から離脱していくだろう。その先には、いったいどのような世界が待っているのだろうか。

参考:オンラインポルノで「セックス拒食症」になるのか?

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ハラスメントを訴えることがハラスメントとされる時代 週刊プレイボーイ連載(539)

近年、職場などでハラスメントの新しい事例が増えているといいます。パワハラ、モラハラ、カスハラくらいまではわかりますが、「テレハラ/リモハラ」はテレワークやリモートワークでプライベートなことを質問したり、業務時間外の対応を要求したりすることです。「エンハラ」は「エンジョイハラスメント」の略で、「楽しいだろ」などと無理に共感を求めることだそうです。

なかでも戸惑うのは「ロジハラ」で、「正論を突きつけて相手を追い詰めること」だとされますが、部下を指導したり、外部の業者に仕事を発注するときには、ロジカルでなければ混乱するだけでしょう。そうなると相手の受け取り方次第になり、あるときは効果的なアドバイスも、同じことを別の相手にしたら「ロジハラ」として問題にされた、ということが起こり得ます。

これでは、管理職は部下にどう話しかけたらいいか困惑するでしょう。現場では実際にこうしたトラブルが起きていて、「ハラハラ」と呼ばれます。「あなたの言動はハラスメントだ」と上司などを攻撃するハラスメントです。

ある研究で、会社での96組の同僚同士のやりとりをスナップ写真に撮ったあと、それらを切り取って白地に貼りつけたところ、被験者はまったく状況(文脈)がわからないにもかかわらず(2人が向かい合ってなにか話しているスナップだけで)、どちらのステイタスが高いかを正確に推測しました。見知らぬ集団に入ったとき、わたしたちが声やボディランゲージから支配側と服従側を瞬時に(43ミリ秒のうちに)見分けることもわかっています。

徹底的に社会的な動物であるヒトは、共同体のなかのヒエラルキーにきわめて敏感になるように進化してきました。わたしたちの脳は、自分のステイタスが上がる(ライバルのステイタスが下がる)ときに報酬系が活性化して大きな快感を得る一方で、自分のステイタスが下がる(ライバルのステイタスが上がる)ときに、殴られたり蹴られたりするのと同じ痛みを感じるように「設計」されています。

人類はその歴史の大半を150人程度の濃密な共同体で暮らしてきましたが、そこで生き延びて子どもを産み育てるためには、相手のステイタスを瞬時に判断して、地位の高い者にこびへつらうと同時に、相手を蹴落として自分がその地位に取って代わるという複雑なゲームに習熟しなくてはなりませんでした。当然、このような能力をもつのはあなただけでなく、すべてのメンバーが権謀術数を駆使しているのです。

現代の学校や職場においても、わたしたちは(無意識に)、あらゆる機会をとらえて自分のステイタスを上げようと死に物狂いの努力をしています。だとすれば、相手が自分のステイタスを下げようとしている(と感じた)ときに、ハラスメントだと告発して報復するのが効果的な戦略になっても不思議はありません。

もちろん、大半のハラスメントでは被害者の主張は正当なものでしょう。とはいえ、ヒトの本性であるステイタスへの執着を考えれば、「ひとはみな平等」という理想を高く掲げれば掲げるほど、それを悪用しようとする者が現われて、社会が混乱するのかもしれません。

ウィル・ストー『ステータス・ゲームの心理学 なぜ人は他者より優位に立ちたいのか』風早さとみ訳、原書房

『週刊プレイボーイ』2022年10月17日発売号 禁・無断転載