日本人は中国人に謝罪すべきか(2)

ヒトは社会的な動物なので、私たちは生得的に、ひとの集団を「ひと」と見なすようにプログラムされて生まれてくる。

近代的な市民社会は自由と自己責任を原則とする市民(個人)によって構成されるが、実態としては、さまざまなひとの集団が協調したり対立したりして社会を動かしている。ひとの集団をいっさい認めず、すべてを個人に還元してしまうと、社会を適切に管理・運営できなくなるのだ。

こうした矛盾を回避するための方策として考え出された便利なアイデアが、ひとの集団にも法的な人格を認める「法人」だ。私たちの社会でもっとも馴染みのある法人は会社で、その権利や義務は会社法で規定されている。 続きを読む →

日本人は中国人に謝罪すべきか(1)

「リバタリアニズムとコミュニタリアニズム」というエントリを書いた時に、サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』(これは素晴らしい本だ)を読んでいて、もうちょっとちがう議論ができるんじゃないかと感じたことを思い出した。このままだとすぐに忘れてしまうので、ちょうどいい機会だからアップしておきたい(長文なので3回に分けます)。 続きを読む →

遺伝子決定論?

『残酷な世界~』は、幸いなことに、多くの方に読んでいただけているようです(ありがとうございます)。

作品の評価はもちろん読者の自由なのですが、レビューを見ていると、「遺伝子決定論」という表現が目についてちょっと気になりました。たしかに「遺伝的なちがいが人生に大きな影響を与える」と書きましたが、これは遺伝子決定論ではありません。細かなことのようですが、大事な点なので、ちょっと説明しておきたいと思います。

それによって、本書が遺伝的な影響を強調しすぎているのではないかという勝間和代さんの疑問にもお答えできると思います。 続きを読む →