日本の社会保障制度の「問題」は外国人ではなく、高齢者が多すぎること(週刊プレイボーイ連載653)

この夏の参院選では「外国人問題」が焦点になり、「外国人が社会保障制度にただ乗りしている」との主張があふれましたが、これを論じる前提として、まずは制度の基本を押さえておく必要があります。

外国人であっても、日本に居住していて20歳以上、60歳未満なら国民年金・厚生年金への加入義務があります。ただし、年金を受給するには10年以上の納付期間が必要で、技能実習生のように、短期間しか日本で働かない場合は納めた保険料が丸損になってしまいます。そのため脱退一時金の制度が用意されているものの、受け取れるのは最大5年分までです。

実際には、日本で働いている外国人の若者の多くが、年金保険料を払っても、なんの給付も受けずに帰国していきます。逆にいえば、日本国は彼ら/彼女たちから保険料を「搾取」し、それを日本人の高齢者の年金の原資に充当しているのですが、このことについてはなぜかどの政党も触れません。

それでも、「外国人は国民健康保険の未納率が高い」との反論があるかもしれません。SNSで「外国人の国保の未納は年間4000億円」とする投稿が広がり、それに対して厚労省は、2022年度の未納額が日本人を含めて1457億円と反論しました。そこで次に、外国人の納付率が24年4~12月に63%だったことが注目されたのです。

国保の未納率は全体で7%ほどなのでこれはたしかに「問題」に思えますが、その一方で医療費全体に占める外国人の割合は約1.4%と低く、1人あたり医療費も日本人の3分1であることは触れられません、。そこで、国保の実態を見てみましょう。

会社員は健康保険料の半額が会社負担で、それでも給与・ボーナスから天引きされる保険料の負担は年々重くなっています。ところが国保にはこの会社負担がないため、加入者は(会社員の自己負担分の2倍の)きわめて重い保険料を課せられています。

保険料は自治体によっても異なりますが、東京都内の自治体を例にとれば、40歳以降が納める介護分を除いても、均等割だけで年6万4100円、これに所得の10.4%の所得割が加わりますから、所得200万円の場合の保険料は約27万円、これに国民年金保険料を加えると、納めるべき社会保険料の総額は約48万円で所得の4分の1にもなります。

それでも国保全体の納付率が高いのは、保険料の軽減措置があるからですが、これは貧困世帯や年金を受給する高齢者を想定しており、一定の所得がある現役世代はまったく使えません。その結果、満額の保険料を払っているのは加入者の3割程度という異常なことになっています。働いている外国人の保険料納付率を議論するなら、年金受給者など軽減世帯を除いて比較すべきでしょう。

それ以外にも会社員とちがって、国保は専業主婦でも保険料免除はなく、子どもが生まれたときから納付義務が生じます(小学校入学まで納付免除や減免にしている自治体もあります)。国保の制度は、短期で働く外国人だけでなく、日本人の(とりわけ子どものいる)現役世代にとっても、ものすごく過酷で理不尽なのです。

超高齢社会の日本の社会保障費を圧迫しているのは、高齢者が多すぎることです。そのファクトに触れることなく「外国人」ばかり批判するのは、いい加減やめるべきでしょう。

『週刊プレイボーイ』2025年8月18日発売号 禁・無断転載

黒人保守派が アファーマティブ・アクションを否定する理由

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年9月13日公開の「黒人保守派のソーウェルが アファーマティブ・アクションを否定する理由」です。(一部改変)

Matteo Roma/Shutterstock

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2018年8月30日、アメリカ司法省はハーバード大学の入学選考でアジア系の学生が不当に排除されているとの意見書を提出した。

ハーバード大が2013年に行なった学内調査では、学業成績だけならアジア系の割合は全入学者の43%になるが、他の評価を加えたことで19%まで下がった。また2009年の調査では、アジア系の学生がハーバードのような名門校に合格するには、2400点満点のSAT (大学進学適性試験)で白人より140点、ヒスパニックより270点、黒人より450点高い点数を取る必要があるとされる。

米司法省の意見書は、「公平な入学選考を求める学生たち(SFA)」というNPO団体が、ハーバード大を相手取って2014年にボストンの連邦地裁に起こした訴訟のために提出されたもので、同団体は白人保守派の活動家が代表を務めている。トランプ大統領に任命された共和党保守派のジェフ・セッションズ司法長官も、「誰も、人種を理由に入学を拒否されるべきではない」と述べた。こうした背景から、今回の意見書は、白人に対する「逆差別」として保守派が嫌悪するアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)撤廃に向けての布石ともいわれている(「「ハーバード大、アジア系を排除」米司法省が意見書 少数優遇措置に波及も」朝日新聞2018年9月1日)。

「アンクル・トム(白人に媚びを売る黒人)」と呼ばれて

奴隷解放宣言100周年の1963年、マーティン・ルーサー・キングは「私には夢がある(I Have a Dream)」の有名な演説のなかで、「肌の色でなく人格の中身によって」認められる社会を目指そうと訴えた。これが「カラー・ブラインド主義」で、当たり前のことだと思うかもしれないが、その後、アメリカ社会に大きな混乱をもたらすことになる。なぜならアファーマティブ・アクションでは、公的機関の雇用や公共事業の入札、大学への入学枠などで、「肌の色」による優遇(差別是正)が行なわれているからだ。

これに対して「逆差別」される側の白人やアジア系から不満が出るのは当然だが、じつは黒人のなかにも「アファーマティブ・アクションを廃止すべきだ」と主張する一派がいる。彼らは「黒人保守派」と呼ばれ、アメリカ政治のなかでは特異な地位を占めているが、その根拠はキングの「私には夢がある」の一節だ。「肌の色でなく人格の中身によって」国民を平等に評価するのなら、大学への入学も人種に関係なく(カラー・ブラインドで)得点のみで決めるべきだ、となるほかない。

黒人保守派としては、日本ではシェルビー・スティールの『黒い憂鬱 90年代アメリカの新しい人種関係』(李隆訳/五月書房)などがよく知られている。

スティールは1946年に、シカゴでトラック運転手をしていた黒人の父親と、ソーシャルワーカーだった白人の母親のあいだに生まれた。大学で政治科学や社会学を学んだあと、ユタ大学で英語学の博士号を取得し、サンノゼ州立大学で英文学を教えたのち、フーバー研究所のフェローとなった。双子の兄弟のクラウド・スティールも学者で、スタンフォード大学教育学部長などを務めた。

こうした経歴からもわかるように、「肌の色を気にせずにすむ社会」を目指す黒人保守派は典型的なエリートで、白人保守派から支持される一方、黒人活動家やリベラル派の白人からは「アンクル・トム(白人に媚びを売る黒人)」の蔑称で毛嫌いされている。

経済学者のトーマス・ソーウェルはスティールと並ぶ黒人保守派の代表的な論客だが、日本ではほとんど知られていない。唯一『入門経済学 グラフ・数式のない教科書』 (加藤寛監訳、堀越修訳/ダイヤモンド社)が翻訳されているが、これは「専門用語を使わず、さらに関数もグラフも登場しないため、経済学に必須の数学が苦手な人でも十分理解できる」経済学の入門書で、手に取ったひとはソーウェルの政治的立場はもちろん、黒人であることもまったく気づかないだろう。

黒人保守派はなぜ、公民権運動で勝ち取った黒人の権利を放棄するような主張をするのだろうか。それを知りたくて、ソーウェルの自伝“A Personal Odyssey(私の人生航路)”を読んでみた。以前紹介した“The Idealist”と同様にとても面白い本だが、本書も同様に翻訳されることはなさそうなので、この機会に紹介してみたい。

参考:ジェフリー・サックスの「ミレニアム・ヴィレッジ・プロジェクト」はどうなったのか? 続きを読む →

マイナ騒動は「老人ファシズム」である 「紙の保険証残せ」はエセ正義

『週刊文春』(2023年8月17・24日夏の特大号)に寄稿した記事ですが、ネットで読めなくなっているようなので、出版社の許可を得て『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)から転載します。

関連記事:自ら道徳的責任を引き受けた藤島ジュリー景子こそまっとうだ

umaruchan4678/Shutterstock

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「できない」ことは権利なのか?

「なんなんだ、この店は。客をバカにしているのか!」

ランチを食べに近所の店に入ろうとしたら、いきなり怒鳴り声がして、顔を真っ赤にした高齢の男性がぶつかってきた。妻なのだろう、同じくらいの年の女性が顔を伏せて、あとに続いた。

その店では、注文はテーブルに置かれた専用のタブレットで行なうことになっている。昼時でレジ前には精算の列ができており、スタッフはみな配膳に追われていた。その男性は席に案内されたもののタブレットの使い方がわからず、放置され、ないがしろにされたように感じたらしい。

人口が減り続ける日本ではどこも人手が足りず、タッチパネルやORコードを使ったオーダーも当たり前になった。店内を見渡すと、みんなごくふつうにタブレットで注文している。

だとしたら、「できない」ということは権利なのか?

2024年秋に紙の健康保険証を廃止し、マイナンバーカードと一体化するとの方針が高齢者の不安を引き起こし、支持率低下に焦った岸田首相は、マイナ保険証を持たないひとに一律に交付する「資格確認書」の有効期限を5年に延長すると発表した。混乱の原因には政府の対応の稚拙さがあるものの、この間の「マイナ問題」の報道はあまりに偏向しているのではないか。

メディアが大きく取り上げた事例に、公金受取口座の誤登録がある。マイナカード普及を目的とした最大2万円分のポイント付与キャンペーンでは、口座情報の登録が条件とされた。そこで自治体が登録を代行する支援窓口を設けたところ、そこに市民が押し寄せて現場が混乱し、別人の口座を誤って登録したケースが900件あまり判明したという。

これはずいぶん批判されたが、メディアは本質的な「問題」に触れていない。それは、マイナンバーと銀行口座との紐づけは、本来、マイナポータルでユーザー自身が行なうようになっていることだ。

だとしたら自治体は、「できない」高齢者の面倒を見るのではなく、マイナポータルの使い方を説明した冊子を配るだけでよかったのではないか。ほとんどの国民は、自分で手続きしているのだから。

政府が推進する行政のデジタル化の目的は、市民が窓口に行かなくても行政サービスを受けられるようにすることだ。そのための基幹インフラがマイナンバーであるにもかかわらず、マイナポイントのために窓口に高齢者が殺到したのは皮肉というほかない。 続きを読む →