「生活保護」をめぐるやっかいな問題 週刊プレイボーイ連載(54)

高収入を得ているお笑い芸人の母親が、生活保護を受給していたことが大きな関心を呼びました。本人だけでなく、事件を実名で取り上げた国会議員も批判を浴びています。

生活保護は貧しいひとをみんなで支える制度ですが、不正受給が常に問題になります。

生活保護費の原資は税金ですが、多くの納税者はけっして楽な生活を送っているわけではありません。病気や障害で収入を得る方途がないなら別ですが、働きたくないひとを税金で食べさせるのに同意するひとはいないでしょう。生活保護の不正受給は深刻なモラルハザードで、放置しておくと制度そのものへの信頼が失われてしまいます。

その一方で、生活保護には別の問題もあります。

2007年7月、北九州市の住宅街で52歳の男性の死体が発見されました。男性はタクシー会社を病気で辞めた後、生活保護を3カ月半ほどで打ち切られ、餓死したと見られています。日記に「おにぎりが食べたい」と書かれていたことから、生活保護のあり方をめぐって大きな議論を巻き起こしました。

当時、北九州市は生活保護費の膨張に頭を悩ませており、受給者への就労指導を強化していました。この「水際作戦」が孤独死の悲劇を招いたのだと、マスコミは批判しました。

生活保護が必要なひとに届かないことを、「漏給」といいます。生活保護制度には、「不正受給」と「漏給」の二つの欠陥があるのです。

生活保護の受給者を指導するのは、福祉事務所のケースワーカーです。彼らは一人あたり平均して80世帯を担当しており、申請者の資産調査や受給者の就労支援を行なっています。厚労相は扶養義務の厳格化を指示しましたが、生活保護の受給者は200万人を超え、親族の資産調査などとても手が回らないのが実情だといいます。

誰もが「不正受給は許されない」というでしょうが、次のようなケースはどう考えればいいのでしょう。

幼い子どもを抱えた母親が、毎日パチンコで遊んでいます(よくある話です)。不正受給の疑いが濃厚ですが、保護を打ち切ると子どもが生きていけなくなってしまいます。ケースワーカーは、こうしたグレイゾーンでの判断を日々迫られているのです。

「なにかを手に入れようと思えば、なにかを手放さなければならない」ことをトレードオフといいます。「ケーキはおいしいけれど、ダイエットに失敗してしまう」という関係です。

世の中にはたくさんのトレードオフがありますが、生活保護の漏給と不正受給もそのひとつです。税金を食いものにする不届き者を水際で防ごうとすると、漏給によって餓死者が出てしまいます。かといって申請をすべて認めていたら、不正受給で保護費は莫大な金額になってしまうでしょう。

漏給と不正受給がトレードオフなら、政治の役割は、漏給を減らすのにどの程度の不正受給を覚悟するかを決めることです。しかしほとんどのひとはこうした不愉快な議論を嫌い、快適な「正義」を求めて、不正受給をバッシングし、漏給をきびしく批判します。

こうして、不毛な議論がいつまでもつづくことになるのです。

 『週刊プレイボーイ』2012年6月11日発売号
禁・無断転載

38年目の亡霊 奥崎謙三と戦争責任 (『(日本人)』未公開原稿1)

海外出張中なので、新刊『(日本人)』から、最終稿で削った部分をアップします。

奥崎謙三「ゆきゆきて進軍」のエピソードは、戦争責任と原発事故責任の対比で使おうと思ったのですが、他のエピソードと重複する感があるのでカットしました。

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『ゲゲゲの女房』で一躍、国民的なスターとなった漫画家・水木しげるは戦局の悪化した1943(昭和18)年末、南太平洋の航空拠点ラバウルのあるニューブリテン島に派遣された。21歳の水木は臨時歩兵連隊の二等兵で、上陸直後から、米軍機の爆撃と食糧不足に悩まされることになる。

水木の小隊は戦闘らしい戦闘もしないままジャングルのなかで転進を繰り返し、海軍基地のあったバイエンという海辺の村で米軍の急襲を受ける。兵舎で寝ていた兵たちはなんの抵抗もできないまま全滅したが、水木はそのときたまたま歩哨に立っており、断崖から渦を巻く海に飛び込んで難を逃れた。珊瑚で切った足は血だらけになり、マラリア蚊の大群に襲われ、命からがら中隊に戻ると、中隊長は、「なんで逃げ帰ったんだ。皆が死んだんだから、お前も死ね」といった。

マラリアの高熱で動けなくなった水木は、敵の空襲に逃げ遅れ、爆風とともに左腕を失った。米軍の哨戒する海を輸送船で渡り、野戦病院に移送され、そこで終戦を迎えることになる。

水木の描く戦記もののいちばんの魅力は、土人たちとの交友だ(「土人」は現在では差別語とされているが、水木は「土とともに生きるひと」という尊敬の意味で使っている)。捕虜となっても、柵を越えて毎日のような土人部落に遊びにいって彼らの絵を描いた。

日本に帰ると決まったとき、水木は土人たちから、「お前はこの部落の者になれ」といわれる。日本に戻って軍隊みたいに働かされるよりは、ここでのんびり一生を送った方がいいかもしれないと考えた水木は、現地除隊を軍医に相談した。驚いた軍医から、「せめて父母の顔を見てから決めてはどうか」と説得され、帰国の船に乗ることになるのだが、土人たちは水木のために別れの宴を開き、「7年たったら必ず帰ってくる」と固い約束を交わした。

故郷に戻った水木夫婦の赤貧生活と、妖怪漫画での成功は広く知られている。水木が土人たちとの約束を果たし、ニューブリテン島を再訪したのは23年後のことだった。

全滅の島

水木たちのいたニューブリテン島の東にニューギニアがある。ここはフィリピン(レイテ島)、ミャンマー(インパール)と並ぶ太平洋戦争最大の激戦地で、投入された日本兵14万人のうち12万7600名が戦死したとされる。

独立工兵第36連隊の二等兵・奥崎謙三が東ニューギニアに着いたのは、43年4月初旬だった。部隊は橋や道路をつくりながら3ヶ月かけて目的地まで移動したものの、その頃には制空権は完全に連合軍に奪われ、飛行場も用をなさなくなったため、年末には200キロ離れた中部ニューギニア北岸のウェワクまで後退することになった。

ところが戦況はさらに悪化し、翌年3月には部隊はさらに西のホーランジャ(現在のインドネシア領)に移動することになる。このときウェワクには、200名ちかい将兵が病気その他のために残留することになった。

ウェワクからホーランジャまでのジャングルの移動は、凄惨そのものだった。兵士たちの多くはマラリアと飢餓に倒れ、つぎつぎと脱落していった。そのうえ目的地のホーランジャはすでに連合軍の手に落ちており、山中に立ち往生した日本兵に米軍から銃を貸与された原住民たちが襲いかかった。この頃には部隊は四分五裂になり、一人ひとりが己の才覚で生き延びるほかない敗残兵の群れと化していた。

3ヶ月におよぶ流浪の果てに奥崎もとうとうマラリアに倒れ、そこを原住民に銃撃されて、右手小指を吹き飛ばされ右大腿部を銃弾が貫通した。それでも左手一本で濁流の川を泳ぎ渡り、さらに西に逃げ延びようとしたが、頭部に銃弾を受けるに及んで死を覚悟せざるを得なくなる。

日本につづく海までいって死のうと決心し、ようやくたどり着いた海岸は、敵兵の駐屯する原住民の部落の一角だった。夜陰にまぎれて部落に忍び込んだものの、海に入って海岸沿いに逃れることもできず、かといって山に戻れば確実な死が待っていた。

奥崎は、山中で腐り果て、蛆虫にたかられ山豚の餌になるよりは、ひとおもいに米兵に射殺された方がマシだと思い、酋長らしき男の前に飛び出し「アメリカ・ソルジャー・カム・ガン(米兵を呼んで撃ち殺してくれ)」と叫んで自分の胸を指した。だが酋長は、「アメリカ、イギリス、オランダ、インドネシア、ニッポンみんな同じ」といって、奥崎に食事をふるまったあと米兵に引き渡した。

奥崎はこうして終戦の1年前に捕えられ、オーストラリアの俘虜収容所で玉音放送を聴くことになる。ウェワクからホーランジャを目指した独立工兵第36連隊千数百人のうち、生き残ったのは奥崎を含めわずか8名だった。

ジャングルという生き地獄 

帰国した奥崎は結婚して神戸でバッテリー商を営むが、56年4月、不動産業者とのトラブルから相手を刺し殺し、傷害致死で懲役10年の刑に処せられる。大阪刑務所の独居房で奥崎は、自分はなぜあの戦場から生きて日本に戻ってきたのかを考える。そして、この世のすべての権力を打ち倒し、万人が幸福になれる「神の国」をつくることこそが、ニューギニアで神が自分を生かした理由であり、戦争責任を果たそうとしない天皇を攻撃することで自らの信念を広く世に知らしめるべきだと決意する。

出所後の69年1月2日、新春の一般参賀で、奥崎はバルコニーの天皇に向かってゴムパチンコで数個のパチンコ玉を撃ち込んだ(暴行罪で懲役1年6ヶ月の実刑)。

原一男監督のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて神軍』では、「神軍平等兵」を名乗る奥崎が、ニューギニア・ウェワクの残留部隊で起きた銃殺事件をめぐって、終戦後38年目にかつての帝国陸軍兵士たちを訪ね歩く。

ウェワクでは終戦当時、4キロ四方のジャングルに一万数千人の日本兵が立てこもり、その周囲を連合軍が完全に包囲していた。日本軍は敗戦を知ってもただちに投降せず、独立工兵第36連隊の残留守備隊長(中尉)は9月7日(終戦の23日後)、2人の上等兵を敵前逃亡の罪で銃殺刑に処した。2人は「戦病死」として処理されたものの、この異常な出来事は兵士たちのあいだで広く知られており、ドキュメンタリーの格好の素材として、原監督が奥崎に、遺族とともに真相を究明することを提案したのだ。

奥崎の特異なキャラクターは、ベルリン国際映画祭カリガリ映画賞など多くの賞を受賞した映画を観てもらうほかないのだが、この銃殺事件の全貌を知るうえで不可欠なのが、残留日本兵が体験した絶対的な飢餓状態だ。

『日本人とユダヤ人』などの著作で知られる評論家の山本七平は、大学を繰上げ卒業した後、幹部候補生として予備士官学校に入校し、陸軍砲兵見習士官・野戦観測将校としてフィリピン・ルソン島に送られ、終戦前の3ヶ月間、ジャングルに閉じ込められた。この体験を山本は、「生き地獄」と表現する。

ジャングルには空がない、と山本はいう。大木、小木、下ばえ、つるが幾重にも重なりあい、からまりあって昼でも暗く、夜ともなれば10センチ先も見えない。

湿度は常に100パーセントで、蒸し風呂に入れられたようななか、衣服は汗と湿気でべとべとになり、ぼろぼろに腐っていく。

歩くには、なたで下ばえとつるを切り払って、ひと一人がかろうじて通れる伐開路を切り開く以外に方法がない。しかも籐【ルビ:とう】のやぶにつきたると普通のなたでは刃が立たず、身動きがとれなくなる。

地面は腐植土の厚い層で、ひとが歩けばすぐに泥濘となり、踝や膝までが泥水のなかに入ってしまう。軍靴は一ヶ月もたたないうちに糸が朽ちて分解してしまい、足全体がひどい水虫のような皮膚病になる。

全員がマラリアにかかっていて、毎日1回、あるいは3日に1回、40度ぐらいの熱が1時間ほどつづく。このとき全身から滝のような汗が流れ、体じゅうの塩分が出てしまうが、補給すべき塩がない。これが毎日つづくとどんな強健な人間でも耐えられず、やがて脳をおかされ狂い死にする。

発熱に暑気が加わるからだれもが狂ったように水ばかり飲む。これがアメーバ赤痢のような下痢を起こし、排便の最後に血痰のような粘液が出るともう助からない。ジャングルで生き延びるには、超人的な克己心で食物と水に気をつけなくてはならないのだ。

あなたは“ゴミ”になれますか? 週刊プレイボーイ連載(53)

この連載を始めたのはちょうど1年前で、東日本大震災と福島原発事故の直後ということもあり、この国の政治についてあれこれ意見を述べたのですが、最近はまったく書くことがなくなってしまいました。消費税や議員定数是正をテーマにしようとしても、これまでの記事のコピー(繰り返し)になってしまうからです。

コピーにはオリジナルがあります。それでは、日本の政治の深層にあるオリジナルとはいったいなんでしょう。

かつて自民党の長老議員は、「サルは木から落ちてもサルだが、議員は落選すればタダの人だ」と述べました。いまではこの言葉は、「政治家は落選したらタダのゴミ」とヴァージョンアップして、永田町で広く使われています。

ひとは誰でも“ゴミ”にはなりたくありません。学歴もプライドもひといちばい高い政治家ならなおさらでしょう。

2006年の偽メール事件で、「堀江貴文ライブドア社長(当時)が、衆院選出馬に際して自民党幹事長の次男に3000万円を支払った」との偽情報を国会で質問し、議員辞職に追い込まれた民主党の代議士がいました。彼は東大工学部を卒業後に大蔵省(現・財務省)に入省し、初当選は若干30歳でした。

議員バッヂを失った後、この“超エリート”はどのような境遇に陥ったのでしょうか。

彼は地元の千葉県で再出馬の機会を探り、それに失敗すると実家のある九州から出馬を目指しますがうまくいきません。その間に親族の経営する会社で働くものの長続きせず、妻とは離婚し、やがて精神に変調を来たして福岡県の精神病院に入院することになります。そして2009年1月、病院近くのマンションから飛び降り、駐輪場で死んでいるのが発見されたのです。享年39の、あまりにも若すぎる死でした。

政治家なら誰でも、“ゴミ”になった彼の悲惨な晩年は他人事ではありません。落選は不運や失敗のひとつではなく、人生そのものを全否定されることです。だったら、どんなことをしてでもいまの地位にしがみつこうとするのは当然でしょう。

日本の財政は、90兆円の歳出に対して税収が40兆円しかなく、2000年に500兆円だった国の借金はわずか10年で1000兆円を超えてしまいました。この惨状を冷静に考えれば、誰でも歳出(公共事業や社会保障費)を削って歳入(税収)を増やすほかないことはわかります。しかし歳出カットも増税も有権者の不満に直結し、賛成すれば次の選挙が危うくなってしまいます。

与党が増税をいい出せば、選挙区のライバルは当然、「増税反対」を主張します。自民党が「政権党の責任」として消費税増税は不可避と述べたとき、民主党は「埋蔵金がある」と大合唱して政権の座を奪取しました。そのときの“風”で当選した新人たちは、増税なら落選と知っているのでなりふり構わず抵抗します。野党も、敵に塩を送るようなことはせず、「増税の前にやるべきことがある」といい立てます。

日本の政治家のなかにも、知識教養に優れ、国家の将来を憂い、身を捨てる覚悟のひとはたくさんいるでしょう。しかしそんな立派なひとたちが集まる国会で起きていることは、「ゴミになりたくない」という、たったひとつの行動原理で説明できてしまうのです。

 『週刊プレイボーイ』2012年6月4日発売号
禁・無断転載