ネオリベは「歴史認識」を語れない 週刊プレイボーイ連載(101)

 

橋下徹大阪市長が戦時中の旧日本軍慰安婦を「必要だった」と述べ、沖縄県の米軍普天間基地の司令官に風俗業の活用を提言したことが国際的な波紋を拡げています。

慰安婦問題は日韓の歴史認識でもっともセンシティブな話題で、それを沖縄の米軍基地問題と絡めて論じたことで、アメリカの大手メディアにまで「性奴隷(セックススレイブ)を容認した」と報じられる有様です。橋下市長の真意がどうであれ、「奴隷は必要だった」と述べたと見なされれば、政治家として国際社会に居場所はありません。

弁護士出身の橋下市長は、Twitterを駆使してあらゆる批判に論駁することで人気を集めてきました。それなのになぜこんな事態になってしまったのでしょう。

橋下市長と日本維新の会は、石原慎太郎前東京都知事の「太陽の党」と合併する以前は、「ネオリベ(新自由主義)」と呼ばれる政治思想で一貫していました。

ネオリベとはいったい何でしょうか?

第二次世界大戦が終わると、世界じゅうのすべてのひとが戦争の凄惨な現実に慄然としました。ヒロシマ、ナガサキの後では、大国同士の戦争はただちに人類の滅亡につながります。植民地によって権益を拡大する帝国主義のビジネスモデルが破綻したのは明らかで、米ソ両陣営が国民の「福祉」を競う新しい時代が訪れました。こうした変化を主導したのが、国民の幸福を最大化するために国家は積極的に関与すべきだと主張するひとびとで、その政治的立場が「リベラル」です。

ところが1960年代になると、福祉社会は早くも壁にぶつかってしまいます。福祉を充実させればさせるほど国民はより多くを求め、国家は借金漬けになって財政が立ち行かなくなってしまうのです。

こうして、国家によるばら撒き的な福祉を否定し、市場の活用を求める新しい政治思想が登場しました。経済学者のミルトン・フリードマンに代表されるこの政治的立場が「ネオリベラル」です。

それ以来ネオリベは、福祉社会を擁護するリベラル派と激しい論争を繰り広げてきました。80年代には、ネオリベの主張を取り入れたレーガン、サッチャー、中曽根が規制緩和と政治・行政改革に乗り出します。この頃には、誰の目にも明らかなほど福祉社会は行き詰まっていました。

ネオリベは半世紀の歴史を持つグローバル思想です。「法の支配」や「市場原理の導入」はノーベル賞受賞者を含む多くの経済学者が強く支持しており、その主張は膨大な文献によって裏づけられています。だからこそ、非効率な行政を改革する橋下市長は多くの有権者を引きつけ、リベラル派からの旧態依然とした攻撃を140文字の短文で一刀両断にできたのです。

しかしネオリベは、福祉社会批判には素晴らしい切れ味を持つものの、外交問題や歴史認識についてはなんの主張も持っていません。市場原理を徹底すれば、国家はいらなくなってしまうからです。

こうして橋下市長は、はじめて自分自身の言葉で語ることを余儀なくされたのです。

 『週刊プレイボーイ』2013年6月3日発売号
禁・無断転載

私たちは人類史上もっとも幸福な時代に生きている 週刊プレイボーイ連載(100)

 

格差社会やグローバリズム、テロや環境破壊、犯罪の増加や社会の右傾化で、私たちの暮らしはどんどん悪いほうに向かっていると多くのひとが思っています。しかし、それはほんとうでしょうか?

明治時代の日本人の平均寿命は男性も女性も40歳代で、1950年代にようやく60歳を超えました。乳幼児の死亡率が高く、結核やコレラ、ペストなどの感染症への対策が不十分だったためです。跡継ぎを得るために、戦前の日本女性は5人以上の子どもを産むのが当たり前でした。

人類はその長い歴史において、ずっと食糧不足と栄養失調に悩まされていましたが、いまやアメリカでは肥満、すなわち食糧の過剰摂取が大きな社会問題になっています。富める国と貧しい国の格差だと批判されますが、しかしこれではなぜアフリカで人口爆発が起きているかが説明できません。当たり前の話ですが、人口が増えるのは食糧が豊富だからで、食糧がなければ餓死してしまいますから人口は増えません。

1940年代から60年代にかけての「緑の革命」で、品種改良や化学肥料の投入が進んだ結果、人類は歴史上はじめて食糧不足から解放されました。民間シンクタンク「ローマクラブ」は、1972年の報告書「成長の限界」で、エネルギーの枯渇と食糧危機を警告しましたが、石油や天然ガスの確認埋蔵量は増えつづけ、先進国の農業はつくり過ぎに苦しんでどこも減反政策を導入しています。

アフリカの飢饉が頻繁に報じられますが、これは戦争や内乱などの社会的混乱で農作業ができなかったり、物流が滞ったりするためです。政治が安定すれば安価な食糧を入手できるようになり、ふたたび人口が増えはじめます。

20世紀前半は戦争の時代で、第二次世界大戦で日本は広島と長崎に原子爆弾を投下され、民間人を含む300万人が犠牲になりました。世界全体では、ソ連の2000万人、中国の1000万人をはじめ、餓死者を含む戦争の犠牲者の総数は6000万人にのぼります。

戦争が終わっても、米ソの冷戦の激化で、核戦争による人類滅亡がリアルな恐怖としてひとびとを襲いました。日本では1973年に『日本沈没』と『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになりますが、高度経済成長真っ只中の、未来への悲観的な雰囲気をよく示しています。

グローバリズムが諸悪の根源のようにいわれますが、経済のグローバル化によって、中国では過去15年で3億人が貧困から抜け出し、2030年までには新興国を中心に新たに20億人が中流階級に加わるといわれています。このようなデータを客観的に眺めれば、世界がよりよくなっていることは間違いありません。

しかし私たちは、無意識のうちに、過去は安定していて未来は不確実だと思ってしまいます。過去がどれほど悲惨でも、終わってしまったことは現在の脅威にならないからです。

私たちは、人類の歴史上、もっとも幸福な時代に生きています。問題は、この単純な事実を認めるのが不都合なひとが多すぎることにあるのです。

『週刊プレイボーイ』2013年5月27日発売号
禁・無断転載 

PS 今回で『週刊プレイボーイ』の「そ、そうだったのか!? 真実のニッポン」が100回を迎えました。連載を始めた当初はこんなに続けられるとは思ってもいませんでした。これも、拙文をお読みいただいた皆さまのお陰です。これからもよろしくお願いします。

橘 玲

第30回 クレームが増える理由(橘玲の世界は損得勘定)

 

私はほとんどクレームをつけたことがないのだが、先日、鉄道会社との些細な紛争を体験した。事情は次のようなものだ。

新宿から成田空港に向かおうとしたとき、強風のため特急電車が運休になった。調べると西新宿から空港までのバスが出ているが、改札の有人窓口にはすでにひとだかりができている。列に並ぶ余裕はなく、やむなく自動改札から出場し、ぎりぎりで空港バスに飛び乗ってなんとか間に合った。

帰国後、駅の窓口に行くと、特急料金は払い戻せるが、乗車料金は切符がないから返金できないという(切符の購入は領収書で確認できる)。

もちろん私は、一般常識として、払い戻しには途中下車のスタンプを捺した切符が必要なことは承知している。しかし当時の状況では、混雑する有人改札の列の最後尾に並んでいては飛行機に乗り遅れてしまう。こうした事態は列車の運休によって引き起こされたのだから、自動改札を使ったことを顧客の責任にするのは理不尽だ。

けっきょく駅の窓口では埒があかず、「お客さま相談センター」と話をしたのだが、そこでも「原券がなければ無理」の一点張りでまったくとりあってもらえなかった。

最近はどの業界でも、消費者からのクレームの多発が問題になっている。これは“クレーマー”のせいだとされているが、私はマニュアル化された会社の苦情対応にも問題があるのではないかと思った。

以下、議論が噛み合わなかった理由を列挙してみる。

①権限のない人間が問題を解決しようとする

駅の窓口では、そもそも原券のない払い戻しをする権限がない。それにもかかわらず助役は、現場で問題を解決しようと、こちらが聞くまで相談センターの存在を教えなかった。

②いい加減なウソをつく

駅の窓口では「切符はすでに処分してしまった」と説明されたが、相談センターの担当者は「(新宿駅で投入した)切符を探したが見つからなかった」と言い訳した。

③責任の所在を曖昧にする

「返金しないのは私に責任があるということなのか」と訊くと「そうではない」という。「だったら鉄道会社の責任ではないか」というと「そうでもない」という。

④決定の理由を説明しない

「なぜ原券がないと返金できないのか」と訊くと、「原券がないからです」とこたえる。約款の条項など法的根拠はぜったいに教えない。

⑤規則と前例を譲らない

例外はいっさい認めない、という強固な意志だけははっきりしている。

⑥謝り倒して泣き寝入りを待つ

「運休で迷惑をかけたことは申し訳ないが返金はできない」とひたすら謝る。損害額が少ないので、そのうち諦めるだろうとの魂胆が見え透いている。

鉄道会社は半独占で、不愉快な思いをしても消費者には他の選択肢がない。むなしい交渉の後で、これならクレームが増えるのも当たり前だと思った。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.30:『日経ヴェリタス』2013年5月19日号掲載
禁・無断転

PS:紙幅の関係で概略しか説明できなかったのですが、①新宿-成田空港の乗車券を購入したこと(券売機の領収書で切符の番号まで確認できる)、②列車が運休したこと、③それによって新宿駅で退場し空港バスに乗車したこと(空港バスの領収書で乗車時間まで確認できる)の3点は鉄道会社も事実だと認めていて、私が新宿-成田空港間を乗車していないことと、有人改札を利用できない状況だったことにも同意しているにもかかわらず、「いかなる事情であれ切符がなければ払い戻さない」という話になるわけです。