「NEET株式会社」という冒険 週刊プレイボーイ連載(113)

 

しばらく前の朝日新聞に「ニートだけの会社 全員取締役」という記事が掲載されていました(8月21日朝刊)。全国からニートの若者を集め、「NEET株式会社(仮称)」の立ち上げに向けた「合宿」を行なったところ、300人が登録し100人以上が参加したというのです。

全員が取締役ということは、ニート自身が新会社の出資者=株主になり、株主総会を取締役会にして、直接民主制で会社統治(コーポレート・ガバナンス)と行なうのだと思われます。それでも代表取締役がいないと会社登記ができませんから、これは象徴天皇制のような扱いになるのでしょうか。もっとも記事によると「働いた人がそれなりに豊かになる、資本主義に代わるもの」を目指すとのことですから、このような旧態依然の理解そのものが間違っているのかもしれません。

こうした理想主義を揶揄・批判するのは簡単です。旧ソ連のコルホーズ(集団農場)や文革期の中国の人民公社、資本主義ばかりか貨幣経済まで否定した民主カンボジアのポル・ポトなど、高邁な理想を掲げた20世紀の社会実験はひとつの例外もなく悲劇的な結末を迎えました。「みんな平等」という建前は、隠蔽された身分制と独裁を必然的に生み出す最悪のガバナンスなのです。

「働かない奴らのただの言い訳」「親や社会に甘えているだけ」という厳しい見方もあるでしょう。記事のなかに出てくる26歳の男性は、アルバイトも含めていちども働いたことがなく、「やりたいこと」を探して仕送りで暮らしています。

とはいえ、こうした蛮勇はもっと積極的に評価すべきかもしれません。失敗からしか学べないこともあるでしょうし、勘違いした若者の理想が社会を動かしてきたことも確かだからです。

ニート(NEET)は「教育・就労・職業訓練」の経験が欠けている、学校や会社などの組織に馴染めないひとたちの総称です。この試みが興味深いのは、そんな彼らが集まって組織をつくり、ニートの蔑称を捨てて「株式会社の取締役」という社会的ブランドを手に入れようと考えたことです。

実は私は、これと同じようなことを『貧乏はお金持ち』という本で提唱したことがあります。

「取締役」は特別な役職ではなく、会社をつくれば誰でもなれます。今では1円から株式会社が設立できるのですから、「ニート」や「フリーター」などと呼ばれるくらいなら、会社(マイクロ法人)をつくって社長(取締役)になってしまえばいいのです。

私の案では、300人が集まって会社を設立するのではなく、300社の株式会社を設立します。一人一社ならガバナンスの問題を考える必要はなく、各社(各人)を対等の立場でネットワークする事業を構想すればいいだけです。成功した会社は大きくなり、失敗した会社はつぶれていきますが、この「市場原理」は独裁や身分制とは無縁です。この方がずっとすっきりすると思いますが、どうでしょうか?

いずれにせよ「年内に会社設立を目指す」とのことですから、“ニートの理想郷”の行く末を楽しみに待ちたいと思います。

『週刊プレイボーイ』2013年9月2日発売号
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リベラルが“保守反動”になった理由 週刊プレイボーイ連載(112)

 

社民党の福島瑞穂氏は、反原発の旗を掲げて参議院議員となった元俳優の山本太郎氏と会談し、「リベラル勢力結集の要となりたい」と述べました。このとき社民党の所属議員は衆院で2名、参院で3名で、山本氏が「結集」してもそれが4名になるだけです。それに対して議員定数は、衆院が480名、参院が242名です。

この会談のあとに福島氏は選挙の責任をとって党首を辞任しましたが、目標と現実のすさまじいギャップを考えれば10年間よく重責に耐えたともいえます。

ところで、リベラル勢力はなぜ日本の政治からいなくなってしまったのでしょうか。

リベラルはリベラリズム(自由主義)の略で、その根底にあるのは自由や平等、人権などの近代的な価値に基づいてよりよい社会をつくっていこうとする理想主義です。

リベラルが退潮したいちばんの理由は、その思想が陳腐化したからではなく、理想の多くが実現してしまったからです。「いまの日本には真の自由や平等はない」というひともいるでしょうが、リベラリズムが成立したのは、権力者に不都合なことを書けば投獄や処刑され、黒人が奴隷として使役され、女性には選挙権も結婚相手を選ぶ自由もなかった時代なのです。

リベラルが夢見た社会が実現するにつれて、理想の弊害が目立つようになってきます。こうして、過度な自由や平等、人権の行使が共同体の歴史や文化、紐帯を破壊しているという保守派の批判がちからを増してきます。最近では共同体主義者(コミュニタリアン)と呼ばれる彼らは、近代以前の封建社会に戻せという暴論を唱えているのではなく、リベラリズムの理想を受け入れたうえでその過剰を憂えているのです。

社会がリベラル化するにつれて、「いまのままでじゅうぶんだ」という穏健な保守派がマジョリティになるのは先進国に共通しています。その一方で、少数派に追いやられたリベラルはより過激な理想を唱えるしかなくなります。

とはいえ、「革命」が熱く語られた時代もいまでは遠い過去になってしまいました。“革命の理想”を実現したはずの旧ソ連や文化大革命下の中国の実態が明らかになるにつれて、夢は幻滅に変わってしまったからです。

こうした有為転変を経て、日本のリベラルはいま憲法護持、TPP反対、社会保障制度の「改悪」反対、原発反対を唱えています。こうしてみると、原発を除けば、リベラルの主張はほとんどが現状維持だということがわかります。

理想が実現してしまえば、その成果である現在を理想化するしかありません。こうして夢を語れなくなったリベラルが保守反動となり、穏健な保守派が“ネオリベ的改革”を求める奇妙な逆転現象が生じたのです。

今回の参院選で、「リベラル勢力が結集」したのは日本共産党だということがはっきりしました。この政党もいまでは共産主義革命の夢を語ろうとせず、「アメリカいいなりもうやめよう」という不思議な日本語のポスターをあちこちに張っています。これは右翼・保守派の主張と同じですが、リベラルが反動になったのならなんの不思議もありません。

共産党と右翼団体が瓜二つになっていくことにこそ、「リベラルの現在」が象徴されているのでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2013年8月26日発売号
禁・無断転載 

いつまでもつづく“居心地の悪い夏” 週刊プレイボーイ連載(111)

 

8月の風物詩といえばお盆と夏祭りと決まっていたのですが、いまや靖国問題と歴史認識がそれにとって変わろうとしています。これはもちろん、中国や韓国からの強い批判があるからですが、「戦争責任」が問われる理由はそれだけではありません。戦後70年ちかくたち世代がほぼ交代しても、敗戦と占領は戦後日本のアイデンティティの核心にあるのです。

1945年9月11日、東京・世田谷の住宅地に一発の銃声が響きました。そこは太平洋戦争開戦時の内閣総理大臣、東条英機の自宅で、東条は占領軍が逮捕に来たこと知って、左胸にピストルを当てて引金を引いたのです。

米兵が踏み込んだとき、応接間の椅子で倒れていた東条にまだ息はありました。銃弾は胸を撃ち抜いていましたが、急所は外れていたのです。

東条は、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」という「戦陣訓」を示達した当人で、その“軍人の鑑”が自決に失敗して敵の囚人となったことに日本じゅうが愕然としました。戦後日本は、この“究極のモラルハザード”から出発したのです。

勝てるはずのないアメリカと戦争したあげく、広島と長崎に原爆を落とされ、東京などの都市はすべて焼け野原になり、兵士・一般市民を含め300万人が犠牲となる無残な敗戦を喫したばかりか、てのひらを返したように「民主主義」を賛美する政治家や官僚、権力者への国民の反応は、怒りというより冷笑にちかいものでした。このとき日本は、国家の信任を完全に失ったのです。

その後の日本の政治は、米国の核の傘の下、国民に経済成長の果実をばらまきながら、戦争責任の問題を棚上げするという低姿勢で現実的なものでした。戦争体験者が有権者の過半を占めるなかで戦前のような権威を振りかざせば、国民から総すかんを食うことは明らかだったからです。

その後時代は移り変わり、“奇跡”と呼ばれた経済成長も終わりました。いまでは政府の役割は、年金や医療保険制度などの負の遺産を国民に分配することです。戦後賠償によってつながっていた近隣諸国との関係も、アジアの成長と賠償の終了によって大きく変わり、中国や韓国は日本に対し対等の立場で謝罪と反省を求めるようになりました。それに呼応するように、グロテスクなヘイトスピーチを叫ぶ集団が日本各地に現われるようになったのです。

国家としてのアイデンティティを取り戻すもっとも安直な方法は、大東亜戦争を“民族自決の聖戦”として再定義することですが、これでは国際社会で生きていけません。かといって戦前を全否定するだけでは、中韓からの批判にただ頭を垂れて押し黙ることしかできません。

このようにして私たちは、ふたたび1945年の暑い夏の日に引き戻されることになりました。どれほど目を背けても、「戦争責任」は戦後日本の歴史に亡霊のようにまとわりついてくるのです。

仮に憲法を改正したとしても、国家の威信を取り戻すことはできません。“居心地の悪い夏”は、来年も、その次の年も、これからずっと続くことになるでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2013年8月19日発売号
禁・無断転載