第17回 高齢化 波風立てぬコスト重く(橘玲の世界は損得勘定)

「お前、なにやってるんだ!」

道を歩いていたら、いきなり怒鳴り声が聞こえた。何事かと思って振り返ると、70歳前後のおじいさんがスーツ姿の中年男性に食ってかかっている。

男性は、近道をするために車道を斜めに横切っていた。おじいさんはそれをとがめて、ちゃんと横断歩道を渡れと怒ったのだ。

角を曲がるとスーパーがあって、入口の横が花屋になっている。そこで高齢の男性が、花屋の主人と大声で口論していた。店頭に鉢植えを並べているのだが、それが5センチほど歩道にはみ出している。おじいさんは、それが公道の不法使用だと怒っていたのだ。

このささいな出来事が妙に記憶に残っているのは、その日のランチで隣に座った女性客の会話を耳にしたからだ。

いかにも“奥様”ふうの女性は、最近は近所が高齢者ばかりになって、つき合いが大変だとこぼしていた。それは、次のような話だった。

彼女の住んでいる町内会では、年にいちど、60歳以上の住民に1000円分の商品券を配ることにしている。彼女は近所のとりまとめ役で、自分と母親以外に数世帯分の商品券を預かった。配布先のひとつが、「ちょっとボケた」夫婦だった。

彼女はおばあさんに、「あなたと旦那さんの分です」と説明して2枚の商品券を渡した。ところが数日後、彼女が留守のときにおばあさんが訪ねてきて、「商品券を1枚しかもらっていない」と彼女の母親に文句をいったのだという。

母親は、娘が商品券2枚を持っていったことを知っていたが、ここでいい争っても仕方がないと思って、自分の分の商品券をおばあさんに渡した。

それから数日後、こんどは町内会長が彼女のところにやってきた。おじいさんから、「自分たちは商品券を1枚しかもらってない」と怒鳴り込まれたのだという。その迫力に気おされて、町内会長はとりあえず手元にあった商品券を1枚渡したのだが、詳しい事情を聞きにきたのだ。

「ホントにイヤになっちゃうわ」と、彼女が憤慨するのもよくわかる。“ボケた”夫婦は彼女を悪者にして、しめて4000円分の商品券を手に入れたのだ。

「それでどうしたの?」と、もうひとりが訊く。

彼女の話によると、事情を知った町内会長は、来年から、商品券を受け取ったら必ず受領印を捺してもらうことにしたという。トラブルの再発を避けるには、それがもっとも賢明な方法なのだろう。

「でも、なんだかヘンだと思わない?」彼女がため息をつく。「これじゃあどんどん手間が増えるばかりだわ」

高齢化が進む日本では、2030年には国民の3人に1人が老人(65歳以上)になる。高齢化社会とは、人間関係の軋轢を解消するのにものすごくコストのかかる社会なのかもしれない。

上品な奥様の愚痴を聞きながら、その日の朝の出来事を思い返して、いささか不安な気持ちになったのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.17:『日経ヴェリタス』2012年6月17日号掲載
禁・無断転載

 “強欲の象徴”と神 アメリカ人という奇妙なひとたち (『(日本人)』未公開原稿3)

新刊『(日本人)』の未公開原稿です。

世界金融危機の時の米財務長官(元ゴールドマンサックスCEO)ヘンリー・ポールソンの逸話が面白かったので書いたのですが、アメリカ人と神の問題は手に余るのでカットしました。

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どうして新しいコートを着ているの?

ドキュメンタリー映画監督マイケル・ムーアの『キャピタリズム―マネーは踊る』や、2010年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した『インサイド・ジョブ―世界不況の知られざる真実』(チャールズ・ファーガソン監督)などで〝強欲なウォール街〟を象徴する人物に挙げられているのが、ゴールドマンサックスの元CEOで、ブッシュ(息子)政権の財務長官として世界金融危機での金融機関の救済にあたったヘンリー・ポールソンだ。

ポールソンはウォール街でも最高の給与とボーナスを手にしたビリオネアだが、その生活は世間一般の“強欲”のイメージとはずいぶんちがう。

シカゴ郊外の農場で生真面目な中西部人として育ったポールソンは、大学(ダートマス)時代はアメリカンフットボールの選手として活躍し、聖書原理主義と心霊主義(スピリチュアリズム)で知られるクリスチャン・サイエンスの敬虔な信者でもあった。大学時代に海兵隊将校の娘であるウェンディ(彼女はヒラリー・クリントンのクラスメイトだった)と知り合い、結婚してからは、夫婦ともにバードウォッチングを趣味とする自然愛好家として、質素と倹約を旨とする日々を過ごした。

ハーバード大学ビジネススクールを卒業後、ワシントン(国防総省)の補助スタッフとして働いていたポールソンは、妻が最初の子どもを妊娠すると、“ゴッサムシティ(背徳の町)”ニューヨークには住まないという条件でゴールドマンサックスのシカゴ支店に職を得た。ポールソン一家はシカゴ北西部の生まれ故郷の村に移り、父親から5エーカーの自営農場を買って、オークの林のなかに慎ましい木造の家を建てた。40年後のいまでもそれが彼らの自宅だ。

ゴールドマンサックスのCEOとしてニューヨークで暮らすようになると、部下たちがニューヨーク郊外の城のような邸宅に住んでいるにもかかわらず、アップタウンの二ベッドルームのアパートメントを選んだ。セントラルパークの近くにしたのは、ジョギングとバードウォッチングのためだ。ポールソンは身だしなみにほとんど関心を示さず、擦り切れそうなスーツを着て、プラスティック製のランニングウォッチを愛用していた。

ある日、ポールソンは、10年来着ているコートがずいぶん古くなっていることに気がついた。そこでニューヨーク五番街の高級デパート、バーグドルフ・グッドマンでカシミアのコートを買ったのだが、帰宅した夫の姿を見てウェンディは、「どうして新しいコートを着ているの?」と訊いた。翌日、ポールソンは百貨店にコートを返しにいった。

2006年、ブッシュ政権は新しい財務長官としてポールソンに白羽の矢を立てた。ポールソン家は熱心な民主党の支持者で、そのうえ妻のウェンディはヒラリー・クリントンの親友だった。しかしそれでもポールソンは、「アメリカのために献身せよ」という依頼を断わることができなかった。

こうしてポールソンは、世界金融危機の混乱に巻き込まれていくことになる。

運命の日

第二期ブッシュ政権は、9・11同時多発テロに端を発したアフガニスタンとイラクでの長い戦争で国民の支持を失いつつあった。そのうえ高騰をつづけていた住宅価格は2006年にピークをつけ、サブプライムローンによる破産者の急増が社会問題になりはじめた。

住宅金融専門会社の危機は2007年から始まり、翌085年には投資銀行のベア・スターンズが破綻、フレディマックとファニーメイ(ともに不動産を担保とした債券を発行する政府支援機関(エージェンシー)で、政府が実質的に信用保証をしている)が経営危機に陥った。ポールソンはこれらの金融機関を公的資金で救済し、世論からきびしい批判を浴びた。

巨額の資金を投入しても金融危機は収束せず、やがてウォール街の巨大金融機関の経営が軒並み傾き出した。とりわけ危機的だったのは、投資銀行のリーマン・ブラザーズと世界最大の保険会社であるAIGで、この二社が破綻すればメリルリンチとシティバンクが危うくなり、そうなればモルガンスタンレーとゴールドマンサックスまで存続できなくなると懸念されていた。すなわち、この世からウォール街が消滅するのだ。

しかしこのときポールソンは、深刻な問題を抱えていた。ベア・スターンズの救済がきわめて不評だったため、リーマン・ブラザーズを公的資金で救済することが政治的に不可能だったのだ。危機を回避するには、どこかの金融機関に買収してもらうしかない。

体力を失ったアメリカの金融機関が尻込みするなか、最後に残ったのがイギリスのバークレイズだった。そして、運命の2008年9月14日(日曜日)がやってくる。

この日ポールソンは、リーマンとバークレイズとの合併について、イギリスの財務大臣から拒否の最後通告を受けた。メリルリンチの救済相手は決まらず、AIGの破綻も避けられなかった。

このままでは、月曜の朝から金融市場は大混乱になる。いままさに世界が崩壊しようとしているのに、もはや打つ手はない。

このときのポールソンの心境が回顧録に描かれている。とても興味深いので、その部分を引用してみよう。

週末のあいだはつねに鎧に身を固めていたが、不安に屈したいま、その鎧がほどけ落ちていくのがわかった。妻に電話をしなくてはならない。だが、まわりに人がいるため執務室の電話は使いたくなかった。少し歩いてエレベーターの先、窓がある一角へ行き、ウェンディに電話をかける。教会から戻ったばかりだという彼女に、リーマンの破産は防げず、AIGが破滅の淵に追いやられようとしていると告げた。

「金融システムが壊滅したらどうなるのだろう。世の中から一身に注目されているというのに、打開策が見えてこない。恐怖で胸が詰まりそうだ」

「恐れなくてもいいわ。あなたの務めは神の御心、無窮の心に沿うこと。神のご加護に頼ればいいでしょう」

わたしのため、そしてこの国のために祈ってほしい。不意に襲った猛烈な恐怖に立ち向かえるよう救いを与えてほしい。こうすがるわたしに向けて、彼女は迷わずテモテへの第二の手紙一章七節を唱えた。「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」(新共同訳)

わたしたちが愛唱する一節である。悟りの境地に達すると魂が安らぎ、強さがみなぎってきた。

 “神なき国”に生きている私たちにはとうてい想像できないが、アメリカの政権中枢というのはこういう世界なのだ。

参考文献
1 ヘンリー・ポールソン『ポールソン回顧録』(日本経済新聞出版社)
2 アンドリュー・ロス・ソーキン『リーマン・ショック・コンフィデンシャル―追いつめられた金融エリートたち』(早川書房)

江戸時代の暮らしが知りたければインドのスラムに行けばいい 週刊プレイボーイ連載(55)

「日本はもう経済成長しないのだから、江戸時代のような定常社会に戻ればいい」というひとがいます。市場原理主義の世の中より、近代以前の社会のほうがずっと人間らしい暮らしができるというのです。

「歴史人口学」という新しい歴史学では、宗門改帳などの資料を使って過去の人口動態を研究しています。ひとびとの移動や人口の増減から見ると、江戸の暮らしはいったいどのようなものだったのでしょうか。

歴史学者は、ここで奇妙な現象を発見しました。江戸時代はほとんどの地域で人口が増えているものの、なぜか関東地方と近畿地方だけ人口が減っているのです。この二地域には、江戸と京・大坂という100万都市があります。なぜ地方で増えた人口が、都市で減っているのでしょうか?

それは、当時の都市の暮らしがきわめて劣悪だったからです。

農家では、干拓などによる農地の拡大がないかぎり、長男以外は出稼ぎに出されます。もっとも多かったのが奉公で、14~15歳で家を出て、西陣の織り子になったり、商家の丁稚になって働くのがふつうでした。

奉公人は、商家の屋根裏部屋にすし詰めにされて暮らしていました。こうした環境は感染症(伝染病)にきわめて弱く、天然痘や赤痢がひとたび流行れば甚大な被害は避けられなかったのです。

江戸時代は乳幼児の死亡率こそ高かったものの、農村部では60代まで生きることも珍しくありませんでした。しかし江戸や京・大坂では、10代や20代の若者が栄養失調や伝染病でつぎつぎと死んでいったのです。

江戸時代が「定常社会」なのは、日本の総人口が2600万人前後のままほとんど変わらなかったからです。しかしこれは社会が安定していたためではなく、農村で増えた人口を都市が間引いていたからでした。江戸や京・大坂は、出稼ぎの若者たちを集めては死へと追いやる“アリ地獄”だったのです。

江戸では、地方出身の貧しいひとたちは人足(建設労働者)や物売りになったり、商家の下働きをしていました。さらに食い詰めれば、物乞いや売春でその日の糧を得るしかなくなったことでしょう。

このように考えると、彼らの生活は、インドや東南アジアの貧困層の暮らしにきわめてよく似ています。インドでは、農村で生きていけないひとたちはデリーやムンバイなどの大都市に集まり、スラムで共同生活を送ります。彼らは同郷の者同士で結束を固め、お互いに支えあいながら、必死に生き延びようとするのです。

貧しい国々では、売春が女性にとって生きていくただひとつの方途になることも珍しくありません。こうして、政府(警察)の公認する高級売春宿から非合法の街娼まで巨大な売春産業が生まれますが、これは吉原を頂点とする江戸時代の売春システムと瓜二つです。

貧しい国は、どこもよく似ています。江戸時代は貧しい社会だったから、ひとびとは長屋というスラムで身を寄せ合って暮らすしかありませんでした。

江戸時代の生活を体験するのにタイムマシンはいりません。インドやタイのスラムに行けばいいのです。

参考文献:速水融歴史人口学で見た日本』

後記:インドのスラムについては、ムンバイ(ボンベイ)のスラムで暮らしたオーストラリア人の『シャンタラム』(書評はこちら)、最貧困国のスラムや路上の暮らしについては石井光太絶対貧困』を読むとよくわかります。

 『週刊プレイボーイ』2012年6月17日発売号
禁・無断転載