「表現の自由」でエイズの似非科学を擁護した代償 週刊プレイボーイ連載(149)

「自分に甘く他人に厳しい」というのは人間の本性でしょうが、それが目に余るのは似非科学を振りかざすひとたちです。

彼らはまず、相手に対して厳密な証明を求め、すこしのミスも許しません。そして、自分の主張が非科学的だと批判されると「表現の自由」だと言い張ります。

似非科学が流布する背景には、それを支持する知識人(と呼ばれるひとたち)がいます。彼らは、あらゆる意見には発言の場が与えられるべきであり、国家権力がそれを制限するのは不当だといいます。

これは一見、正論のようですが、だとしたら「朝鮮人を殺せ」と叫ぶ集団の表現の自由も命がけで守らなければなりません。しかし彼らは、そんなことをする気はまったくないでしょう。「表現の自由」は、自分の気に入った意見にだけ適用されるのです。

マンガ『美味しんぼ』では、福島第一原発を取材した主人公の鼻血と放射能の関係が問題になりました。マンガを掲載した編集部は「ご批判とご意見」と題した特集を掲載しましたが、そこに似非科学擁護の典型を見ることができます。

長年、反原発の活動を続けてきた原子核工学の専門家は、「私は医者でも生物学者でもない」と断わりつつ、「現在までの科学的な知見では立証できないことであっても、可能性がないとは言えません」と述べます。また疫学の専門家は、「(放射線と鼻血のあいだに)『因果関係がある』という証明はあっても、『因果関係がない』という証明はされていません」として、福島の風評被害は『美味しんぼ』問題を過剰に煽ったせいだといいます。

こうした少数の擁護派を探してきて、「福島県内で被爆を原因とする鼻出血(鼻血)が起こることは絶対にありません」(放射線防護学の専門家)という正論(科学の常識)と並べれば、賛否両論を公平に扱っているように見えて「非科学的」との批判をごまかせるのです。

“トンデモ科学”はエンタテインメントとして楽しめますが、専門家(らしきひと)が似非科学を擁護するようになると被害はとめどもなく拡大します。

アメリカでは、「エイズの原因はHIVウイルスではない」という似非科学が問題になっています。その中心にいるのはトンデモ科学者ではなく、がん遺伝子の研究で大きな成果をあげ、米国科学アカデミー会員に選ばれた超一流の分子生物学者です。「エイズはドラッグの使用や貧困が原因だ」という彼の説は専門家にはまったく相手にされませんが、「異説を述べるのは表現の自由だ」と(自称)知識人が擁護し、「エイズはゲイや黒人を絶滅させるためにつくられた」という陰謀論と融合して広まっていきます。

エイズ否認主義に共感したのが南アフリカのムベキ大統領で、2000年の大統領エイズ諮問委員会に否認主義の学者を加えて、HIVウイルス説と「公平に」扱いました。その結果保健相は、抗レトロウイルス薬を毒物だとしてエイズ患者の治療に使うことを許可せず、似非科学がエイズ治療薬とするビタミン剤を勧めました。ムベキがエイズ否認主義に傾斜したのは無知だからではなく、「エイズはアフリカへの偏見だ」という(彼の考える)正義に合致していたからです。

南アフリカではいま、1日にほぼ800人がエイズで死亡し、1000人が新たにHIVに感染し、産婦人科を訪れた妊婦の3割がHIV検査で陽性と診断されています。これが、表現の自由を守って似非科学を擁護した代償なのです。

参考文献:セス・C・カリッチマン『エイズを弄ぶ人々』

『週刊プレイボーイ』2014年6月2日発売号
禁・無断転載

反原発派こそが似非科学を批判すべきだ 週刊プレイボーイ連載(148)

人気マンガ「美味しんぼ」の主人公・山岡士郎は、福島第一原発を訪れた後に鼻血を流します。実名で登場する被災地の前町長は、「私が思うに、福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いるのは、被ばくしたからですよ」と断言します。これでは個人的な感想をもとに「福島にはもう住めない」といっているようなものですから、風評被害との抗議が殺到するのは当たり前です。

この騒動については、「表現の自由」として擁護する声もあります。これをどう考えればいいのでしょうか。

前提として、私たちの社会ではあらゆる主張に科学的データが求められるわけではありません。
「ふくらはぎをもめば長生きできる」という本が売れていますが、こうした健康本の多くはその効果が医学的に証明されているわけではありません。それでも社会問題にならないのは、みんなが1日5分ふくらはぎをもむようになってもさしたる悪影響がないからでしょう。

厚生労働省は薬事法によって、投薬などの効果を宣伝に使うことをきびしく制限しています。臨床実験もなく製薬会社が「がんの特効薬」を売り出せば大問題になりますが、その一方で、「キノコを食べたらがんが治った」というような情報が巷にあふれています。なぜこれが許されるかというと、それが(すくなくとも)体験的事実で、個人の体験を述べることは自由だからです。

キノコを食べたあとにがん細胞が消えたとしても、そこに因果関係があるかどうかを知るには膨大な実験が必要です。そんなことは個人には不可能ですから、厳密な証明を要求すると、私的な体験を公表することまで禁じてしまうのです。

しかしこれは、体験に基づけばどのような一般化も許される、ということではありません。

借金を踏み倒された相手がたまたまユダヤ人だったとしても、「すべてのユダヤ人はウソつきだ」と差別する理由にならないのはいうまでもありません。“キノコでがんが治った”ことを理由に「抗がん剤はいますぐやめなさい」と煽れば、それを信じた患者が適切な治療を放棄するかもしれません。そう考えれば、表現の自由にも社会的な許容範囲があることがわかります。

福島第一原発の事故現場では1日4000人もの作業員が復旧作業に従事しています。福島の住人に被ばくによる鼻血の症状が出ているのなら、放射線量の高い場所で作業する彼らの被害ははるかに深刻なはずですが、そのような事実は報じられていません。こうした明らかな矛盾に反論できなければ、似非科学といわれても仕方ないでしょう。

今回の事件で気になるのは、「国や東京電力を批判するためなら多少の行き過ぎも許される」という論調が一部にあることです。しかしこんなことでは、原発に反対する主張はすべて似非科学と見なされてしまいます。

「美味しんぼ」の描写は政府関係者をはじめ、原発推進の側から強く批判されています。それだからこそ反原発派は、動機を理由に似非科学を擁護するのではなく、より徹底して批判しなければならないのです。

『週刊プレイボーイ』2014年5月26日発売号
禁・無断転載

「夢の海外移住」で失敗しないために(「臆病者のための資産運用入門」特別編)

『臆病者のための億万長者入門』の発売に合わせて『週刊文春』(5月22日発売号)に掲載された「「夢の海外移住」で失敗しないために」を、編集部の許可を得て転載します。

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「日本の若者は外国に行かなくなった」といわれるが、その代わりリタイア後に海外生活をするひとが増えている。

80年代バブルの頃は通産省(現・経産省)がスペインに「日本人村」をつくるシルバーコロンビア計画を提唱したが、ヨーロッパは遠すぎて頓挫した。90年代にはカナダが注目されたが、北米との往復は時差がつらい。ハワイはあいかわらず人気だが、9.11後のアメリカは居住ビザの取得が難しい。

そんなこんなで、リタイア層の注目は東南アジアに集まるようになった。ロングステイ財団の調査でも、ここ数年は「住んでみたい国」の第1位はマレーシア、第2位はタイで、フィリピンやシンガポール、インドネシアもベスト10の常連だ。ベトナムやカンボジアに暮らす日本人も多い。

これらの国に共通するのは日本から近いことと、熱帯・亜熱帯に位置することだ。心臓に不安のあるひとは冬の寒さが大敵なので、医者に勧められて移住を決意したという話もよく聞く。

それにも増して東南アジアのいちばんの魅力は、「親日」にある。日本人だということでイヤな目にあうことは皆無で、ほとんどの滞在者は「いい思いばかりしている」と語る。

親日の理由のひとつは、和食(とりわけ寿司とラーメン)やマンガ・アニメなどの“クールジャパン”だ。経済成長で中流社会の消費文化を体験するようになった彼らにとって、日本はまだ「坂の上の雲」なのだ。

親日のもうひとつの理由は中国だ。

南シナ海問題でベトナムの反中デモが激化しているが、フィリピンやインドネシアも中国との国境問題を抱えている。

領海をめぐって中国と紛争が起こるたびに、太平洋戦争で多くの死者を出した地域で日本の人気が上がっていく。フィリピン政府は日本に対して憲法改正と軍事強化を求めているのだ。

東南アジアでは、日本人というだけでずいぶんと高いゲタを履くことができる――それで勘違いする困った輩もあとを絶たないが。

「アジアは生活コストが安い」といわれるが、これには注意が必要だ。もちろん1人あたりのGDPを見れば、日本とアジアの生活水準の差はまだ大きい。だが言葉を話せない外国人が長期滞在するとなると、現地のひとと同じ生活をするわけにはいかない。

車を運転できず、公共交通機関を乗りこなすこともできなければ街の中心に住むしかない。近くに大型スーパーも欲しいし、万が一のときに頼れる病院も必要だ。そう考えると、東京でいえば麻布や青山といった地域で家を探すことになる。

バンコクの高級住宅地スクンビットには日本人の駐在員が多く住んでいるが、2LDKの標準的な部屋で月額家賃は12~15万円だ。地方都市のチェンマイも人気があるが、外国人向けのコンドミニアム(マンション)だと2LDKで月額5~8万円する。

住居費に加え、日本食レストランに通ったり和食を自炊しようとすると、長期滞在の生活費は思いのほか高くなる(これは断言できるが、日本人が現地の食事を食べつづけるのは不可能だ)。

それに対して、都心回帰で東京郊外は空室が増え、家賃が下落している。八王子や青梅の駅からバスで10分ほどのところなら、2LDKのこぎれいなアパートで家賃は月5万円程度だ。

交通の便はたしかに悪いが、コンビニやスーパー、ファミリーレストランはあるし、最近ではネット通販でなんでも買える。医療施設も充実しており、なんといってもすべてが日本語だけで足りる。

90年代の金融危機の頃は、「アジアに移住してゆたかな年金生活」が流行した。しかし日本の長引くデフレとアジアの経済成長+インフレによって、この老後プランはすっかり過去のものになった。いまではバンコクに住むより東京の方がずっと安い。限られた年金を有効に使うなら、東京(や他の大都市)の郊外を目指すべきだ。

それではなぜ、リタイア後に海外で暮らそうとするのか。それは資産も年金もそれなりにあるひとが、新しい体験を求めているからだ。日本人の老後は20年以上もあって、悠々自適だけではやっていけないのだ。

海外生活のハードルは、いまでは大きく下がった。

マレーシア、タイ、フィリピンには年金受給者向けの長期滞在ビザ制度があるが、東南アジア諸国なら、ミャンマーを除けばどこも(実質)ビザなしで1~3カ月は滞在できる。どんなところか暮らしてみるだけならこれでじゅうぶんだ。

バンコクやクアラルンプールのような大都市では、外国人向けのサービスアパートが増えてきた。テレビ、冷蔵庫、洗濯機や最低限のキッチン用品があらかじめ用意されているマンションで、スーツケースひとつで生活を始められる。家賃は1週間で3~5万円、1カ月で10~15万円で、ホテルに長期滞在するよりずっと安い(インターネットで検索して申し込むだけだ)。

東南アジアはLCC(格安航空会社)が発達しているので、数千円で地方都市や隣の国に行ける。拠点が決まったらあちこち旅して、次に暮らしてみる場所を決めればいい。

もちろんはじめての海外生活ではさまざまなトラブルがあるだろう。そんなときは片言の英語でいいからまわりのひとに相談してみよう。みんな「困っている日本人」を親切に助けてくれるはずだ。

海外暮らしでぜったいにやってはいけないのは、安易に不動産を買うことだ。

日本人は、「暮らす」となるとまず家が必要だと考える。海外には日本人の不動産業者がいて、「投資物件としても有利ですよ」と勧めてくる。

たしかに東南アジアの不動産は、日本に比べればまだまだ安い。だが、それが将来、値上がりするかどうかは神のみぞ知るだ。

本誌の連載をお読みいただいた方ならおわかりだろうが、「確実に儲かる投資」などというものはこの世にない。不動産業者があなたに投資を勧めるのは、売買手数料が入るからだ。もしほんとうに儲かるのなら自分で買うだろう。

海外生活の深刻なトラブルはほとんどが不動産がらみだ。それも残念なことに、日本人の業者が日本人を騙すケースが圧倒的に多い。

海外に永住する決意をしても、半年も経たないうちに気が変わるひとはいくらでもいる。そうなると投げ売りするしかなくなるのだから、最初に家を買うのは最悪の投資だ。

最新刊『臆病者のための億万長者入門』では、「億万長者になる方法」ではなく、「誰でも億万長者になれるゆたかで残酷な社会」でいかに生きるかを考えた。そこでは触れられなかったが、海外暮らしも人生の重要な選択肢のひとつだ。

あと、アジアで暮らすのに大切なのは、現地のひとを自分と対等の人間として扱うことだ。これさえ知っていれば、きっと素晴らしい体験が待っているだろう。

『週刊文春』2014年5月22日発売号
禁・無断転載