電子書籍、WEB、出版の未来 Bookscanインタビュー

9月26日にYahoo!ニュース個人の中に「不愉快なことには理由がある」という著者ポータルを開設しました。それに合わせて、以前、bookscanさんにまとめていただいたWEBと電子書籍についてのインタビューを、同社の許可を得て転載します(なお、若干の情報を追加しています)。

Yahoo! ニュースBUSINESSへの配信、ZAiオンラインと共同での海外情報ポータルサイト「海外投資の歩き方」の開設、今回のYahoo!ニュース個人への配信と、WEB関係の企画が続きましたが、これで一段落です。

今後は、紙とWEBのバランスをとりながら、いろいろなことを試してみたいと思います。

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テクノロジーの“費用対効果”が見えたら電子書籍を読みたい

―― ブックスキャンのことは、ご存じでしたか。

全然知らなかったです。

―― 作家の7名の方が、いわゆる自炊業者、スキャン代行業者を訴えたということはご存知ですか。

新聞で読みましたが、個人的には、本を買った人が自分の意思で自炊をするなら著者がとやかくいうことはないのでは、と思っているので。自炊した本が大量に出回って著作権者が経済的損害を被っているならともかく、そういう可能性があるからといって読者の権利を著者が制限できるのか、という感じです。

―― 普段、電子書籍は読まれたりしますか。

ほとんど読まないですね。紙の本しか読まないです。デバイスは持っているんですけど……。電子機も使いこなせれば違うのかもしれないですけど、ページを折ったり、しおりはさんだり、書き込んだり、赤引いたりっていう、そういう本を読むときの一連の手つきというか、これまで何十年もかけてつくってきた読み方のノウハウが人それぞれあるわけじゃないですか。もちろん技術的には、iPadでもしおりを挟めるし、いろんな注釈も書けるし、あるいはその注釈をみんなでシェアできるというのもわかるんですけど、そういう新しいテクノロジーの“費用対効果”も含めて、もうちょっと様子を見てからでもいいかな、と思っています。

―― 書籍の電子化についてはどうお考えですか?

紙であれ、電子であれ、できるだけ多くの読者に読んでもらいたいと思っているのでまったくこだわりはないです。といっても、本格的に電子書籍で発売されるのは近刊の『(日本人)』が最初になります。iPadや楽天のkoboなど、すべてのデバイスに対応しています。

 日本人は『リンゴ』『アップル』『エポー』の3種類を使い分けなくてはならない

―― そうすると、今後は電子化が急速に進むということになるんでしょうか。

そうかもしれないですけど、アルファベットの電子化と、縦書きの日本語の電子化では、技術的なハードルがまったく違いますよね。漢字にルビを振ったり、横書きだと半角数字なのに縦書きだと漢数字や全角数字になったり、簡単そうに見えても技術的にはやっかいなことが日本語にはたくさんあって、それが全部解決できるのかというのは疑問です。縦書きの文に横書きの半角数字が入っているとものすごく違和感があるんですが、だったら古典作品や詩歌などを除いて、日本語も全部横書きにすればいいんじゃないかと思ったりもします。韓国語はすべて横書きになったし、中国語も、台湾(繁体字)は縦書きでも中国(簡体字)は横書きです。日本語も、縦書きにこだわることにどれほど意味があるのかなって。

―― それは、読者にとっては大きな変化になりますよね。

新聞を読んでいていつも困るのが、外国人の名前などのカタカナ表記です。スティーブ・ジョブズのような有名人ならいいんですが、それほど知られていない人だと、カタカナの人名検索ではウィキペディアにも出てこない。英語のサイトで調べようと思ったらスペルが必要ですが、カタカナから想像するしかない。これはかなりのストレスです。

ナラヤナ・ムルティというインド人がいて、彼はインフォシスという世界的なIT企業の創業者なんですが、それ以前は熱心な左翼活動家でした。若き日のムルティはフランスに渡り、そこで現地の共産主義者や社会主義者たちと、どうしたらインドの貧困をなくせるか夜を徹して議論します。ムルティのたどり着いた結論は、「イズム(主義)だけでは世界は変わらない。レトリックは富を生まない。富を創れず、それを分配できない者が、世界を救うことなどできはしない」というものでした。こうして彼はインドに帰国し、1981年に6人の仲間とベンチャー企業を創業するのですが、そのインタビュー記事を読んでムルティという人物に興味を持っても、インド読みのカタカナ表記からは“Murthy”というスペルは出てきません。英語サイトを検索するにはまず、カタカナ表記からスペルを調べなければならないんですが、だったら新聞や雑誌はすべて横書きにして、人名などはそのまま英語表記で記載して、必要なら読み方をカタカナで補足するようにすればいいんじゃないかと思います。“Narayana Murthy(ナラヤナ・ムルティ)”という感じですね。

あと、もっと困るのは中国人の名前です。「毛沢東(モウタクトウ)」というのは、日本人にしか通じません。中国語では「マオ・ツートン」、英語でもMao Tse-tung(もしくはMao Zedong)です。だから、日本語読みで中国人の人名を覚えていても、海外の人と毛沢東について話すことができません。“鄧小平Deng Xiaoping”も“江沢民Jiang Zemin”も“胡錦濤Hu Jintao”も同じで、中国語読みや英語表記を知らないと、観光ガイドの説明や英字新聞の記事ですらなんのことかわからない。旅行者同士は英語で話しますが、これでは中国についての初歩的な会話すら成立しませんから、日本人は相手にされなくなってしまいます。最近は日本の新聞も中国人の人名にルビをふるようになりましたが、やっぱり不便です。

もっというと、Appleをアップルと発音しても通じません。カタカナだと「エポー」か「アポー」になるんですが、それなら横書きのまま、“Apple/’æpl”と発音記号を併記したほうがいい。カジノ(カシーノ)とかウォーター(米語ではワラー)とか、カタカナ英語ではまったく通じない言葉はいくらでもあります。カタカナが外国の文化を取り入れる素晴らしい発明なのは間違いありませんが、それがいまではグローバル化の足かせになっているのではないでしょうか。

東南アジアなどの新興国は、大学では英語で授業をするのが当たり前ですから、学生たちはアメリカ人やヨーロッパ人ともふつうに話ができます。それに対して日本人は、Appleという単語に対して「リンゴ」「アップル」「エポー」の3種類を使い分けなくてはならない。これは、日本のカタカナ文化の限界なんじゃないかと思います。

もっともこれは私の個人的な体験からで、中国に行くと、いつも中国人の人名の現地語読みが出てこなくて苦労するんです。中国でMao Tse-tungを知らないと、「こいつバカか?」って顔をされますから(笑)。

学校はいじめを前提に成立している 週刊プレイボーイ連載(68)

文部科学省がいじめ対策として、全国の中学校にスクールカウンセラーを配置すると発表しました。しかしこれで、いじめ問題は解決するのでしょうか。

「子供の『命』を守るために」との副題がついた文科省の「取組方針」には、「いじめは決して許されないことである」とあります。しかしいじめの根絶を目指すのは、子どもに人間であることをやめろというのと同じです。

ヒトは社会的な動物ですから、チンパンジーなどと同様に、ごく自然に集団をつくり、敵対する集団と競い合いながら仲間意識を高めていくよう生得的にプログラミングされています。クラスではリーダーを中心に5~10人の複数の集団が生まれますが、同じタイプの集団が並存することはありません。クラス内では集団同士の抗争が禁じられているからで、まず男子と女子に分かれたうえで、ガリ勉、おたく、不良など、異なるタイプの集団が微妙なバランスで棲み分けることになります。

集団が成立するためには、「仲間」と「敵」を区別する境界が必要です。この境界は、誰かを仲間に入れたり、仲間はずれにしたりすることで絶えず確認されます。こうした境界確認行動によって子どもたちは「共同体」をつくっていくのですが、このゲームがいまは「いじめ」と呼ばれるのです。

いじめ(=集団づくり)はヒトとしての本能ですから、原理的に根絶できません。子どもを強制的に一カ所に集めて教育する近代の学校制度は、最初からいじめを前提にしているのです。

子どもには、「俺たち」と「奴ら(自分たち以外)」を分ける本能があります。クラスが男と女でグループ化するのは異なる性を「自分たち以外」に分類するからですが、じつはそれ以上に明確な境界線があります。それが、「子ども」と「大人」です。

どのような子どもでも、大人を「敵」もしくは「他人」と感じています。仲間の秘密を教師にチクることはもっとも不道徳な行為で、この規範を侵すと子ども集団全体から排除されてしまいます。教師であれば誰でも身に染みて感じているでしょうが、仲間同士のトラブルを生徒に「相談」させることはきわめて困難なのです。

スクールカウンセラーが機能しているように見えるのは、不登校のような家庭問題を扱っているからです。大人が自分たちの集団に介入してこなければ、ほかの生徒は興味を持ちません。だがいじめは子ども集団の秘密そのものですから、いじめられている生徒が自分から相談に来ることはないし、無理に相談に乗ったとしてもその生徒をより追いつめることにしかならないでしょう。

効果的な“いじめ対策”があるとしたら、いじめを前提としたうえで、仲間はずれにされた生徒が別の集団に移っていけるよう、学校という閉鎖空間を流動化させることです。そのうえで、暴行や恐喝のような犯罪行為には、犯人を学校から排除(退学)させる仕組みが必要です。しかしこうした「改革」は、現在の公教育の枠組みを根底から覆すので、文科省にできるわけがありません。

文科省によれば、「いじめ対策関連事業」の概算要求案は前年度より27億円多い約73億円になっています。このようにして、税金は無意味に使われていくのです。

『週刊プレイボーイ』2012年9月24日発売号
禁・無断転載 

尖閣問題で、海外メディアは日本に対して予想以上に厳しい

上海で反日デモが猛威をふるった9月半ばから昨日まで、香港やシンガポールなどを回った。忘れないうちに、海外メディアの論調で気づいたことをメモしておく。

1)日本国内で尖閣諸島が日本固有の領土だとされているのと同じように、中国や香港、台湾では「釣魚島」は中国固有の領土で、日本によって不法占拠されているというのが常識で、日本の主張は一顧だにされていない。日本では「中国共産党の偏った歴史教育」が原因といわれるが、香港や台湾は中国の教育制度とは切り離されており、表現・報道の自由も保障されているのだから、共産党の一党独裁が終わったとしても、日本の主張が受け入れられてこの問題が解決することはない。

2)中立系の香港の英字新聞では、日系企業や日系の店舗への暴力行為はChina Riskとして批判的に報じられているが、反日デモの責任は日本政府にあるとされている。

3)中国と距離のあるシンガポールでも、メディアの論調は日本に対してきわめて批判的。領土問題は原理的に解決不可能なのだから、問題化させないというのが国際社会の常識。それを日本が国有化によって踏みにじったために反日デモを引き起こした。これは、中国政府の主張とほぼ同じ。

4)CNNのような欧米メディアは原則中立だが、中国問題の専門家などのコメントは「領土問題に火をつけた責任は日本にある」というものが多い。なかには、「ドイツは第二次世界大戦の戦争犯罪について真摯に謝罪してヨーロッパの一員になったのに、日本がいまだに中国や韓国から激しい抗議を受けているのは、戦後日本の謝罪が足りないからだ」という解説もあった。これは、慰安婦問題における韓国の主張とほぼ同じ。

なお、マイケル・サンデルが『これからの「正義」の話をしよう』で、日本は慰安婦問題で韓国に謝罪すべきだと書いたように、これは欧米の知識層では一般的な主張と考えた方がいい。

5)日本国内と、海外メディアの論調はかなりの温度差がある。「国際世論」は、日本人が思っているよりもはるかに日本に対して厳しい。実態としては、日本が一方的に悪役にされているというのに近い。

とはいえ、尖閣問題が高い関心を持って報じられるのは領土を接する中国、香港、台湾だけで、マレーシアやインドネシアなどの東南アジア諸国では(シンガポールを除けば)ほぼ無関心。これは、日本人が南沙諸島の領有権問題にまったく興味がないのと同じだろう。

6)日本国内の議論は、日本語の壁のなかでガラパゴス化し、自己完結しているので、海外にはほとんど発信されない。

7)日本のメディアは反日デモによる日系企業の被害のみを報じるが、ほんとうに悲惨なのは、香港や中国に根を下ろし、中国国内で工場を経営する中小の日本人事業者。彼らの話を聞いたのだが、ひとたび標的にされれば黙って損失に耐えるしかない。

日本政府は、形式的には中国政府に補償を要求するが、当然、認められるわけもなく、あとは放っておくだけ。国家の面子のために、これまで真面目に事業を営んできたひとたちが破産の危機にあるが、ほとんどの日本人は彼らの苦境になんの関心もない。

8)この程度のことは、ほんの数日滞在しただけの私にでもわかるのだから、日本メディアの海外特派員は当然知っているはずだが、日本ではなぜかほとんど報じられない。